こんにちわ♪

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貧乏・第一話/第二話


大学卒業以来、日本に滞在していた時間が、海外で暮らしていた時間の3分の一くらいしかないんだけれども。

そんな、短い日本在住期間中に、俺は日本で働いていました、獣医師として、一応。


世間一般から見ると、獣医師はお金持ち的に見えるかもしれないけれども。

開業獣医師(院長)、勤務医を含めて。


その拘束時間と労働の質を考慮したときの給料を見てみると。


相当、割に合いません。


つまり、簡単に言うと、お給料はいいんだけれども、労働時間が果てしなく長すぎなのです、そして決して楽な仕事ではない。




ず~っとそれを考えていました。



今回は詳しく書かないけれども、アフリカやフィリピンなどで獣医として働いていたときは、
もちろん日本で働いているときよりも、稼ぐお金の価値は少ないかもしれないけれども、自由に、のんびりと、意義のある仕事をしていたような気がする。

もちろん日本での仕事が意義がないというわけではないが、自由は完全になくなっていた。

時々、日本の飼い主さんの中には。
『獣医なんだから、24時間いて当たり前だろっ!』

なんて無茶を言われる方がいる。


そんな無茶な。


獣医である前に、人間なのだ(汗)



つまり、日本での労働は俺の自由を売っていたのだ。


自分の自由を売ってお金を稼ぐ、それは労働者としての基本条件のようなんだけれども、それが度を越すと、労働者ではなく、奴隷に限りなく近くなってくるような気がする。


いくらお金が稼げても、自由がなければ意味がない。


有給休暇が取れたとしても、それはやはりリミットのあるもので、完全な自由ではないのだ。

アフリカ時代を経験しているせいか、俺は自由に固執しているのかもしれないけれど。


つまり、野生動物時代を経験してしまった動物は、なかなか飼いならせないのと同じ事なんだ。




冒頭のほうで、俺は『仕事の生きる人間ではない』と書いたが、『仕事が嫌い』なわけではない。


ただ、俺にとって『仕事=お金儲け』ではないのだ。


ただし、文明社会ではそれが通用しないので。


お金を稼ぐために働かなければいけない。



日本を含めた先進国では、お金がすべてを掌握する世界なので、お金があればそれこそ何でもできるけど、お金がなければ、本当に何もできないのだ。


でも、俺は大学卒業後、そうでない世界で暮らしていた期間が結構長い。


アフリカの奥地じゃ、お金を持っていても、使えるところなんかないのだ(笑)

フィリピンのジャングル地帯で、お金はけつを拭く紙にもならないという事をよく理解した。



だから、今僕は貧乏だけれども。


決して、惨めだとは思っていません。


ひもじい事はあるけどね(笑)



ぼろは着てても心は錦ってやつかな。



今、大学の授業がとっても大変で、ちょっと前なんかはうつになりかけたけれども。


今思い返せば、それは俺が望んできたことだし。


そして、仕事をやめてきたという事は、自分の自由を買い戻したという事であり。

大学のめちゃ高い授業料を払って苦しい事をしているのは、新たな知識を買っているという事でもあり。


これほどの贅沢が存在するでしょうか?



そう考えて、今を乗り越えようとしています。




第二話へ続く。













さて、何で貧乏なのかというと。

実は、学費の思わぬ、予想外の出費があったんだな。


ちゃんと留学前に、学費、生活費などすべて計算して、さらに大学にも問い合わせて、しまいにゃ『これだけの予算で足りますか?』なんて質問までしちゃったりなんかして、それで大丈夫という結果が出たので留学したにもかかわらず。



さすが極道英国(By・NinjaCatさん)


学費が、支払うべきもの以外に、実はまだ支払うものが生じてしまったのです。

ていうか、そんなの聞いてないよっ!

そのとおり、大学側は何もインフォメーションしてないんだもん。

EU圏の学生は、学費が俺らEU圏外の学費の4分の1なので、さほど大きな負担にはならないんだけれども。


ちょっとEU圏外の学生は非常にみんな困っちゃっております。

俺なんかはまだましかもしれない、だって確かに今極貧状態だけれども、学費払えたもん。


一番かわいそうなのは、アジア、アフリカ諸国の発展途上国からの留学生かもしれない。

でもアフリカ圏はほとんどが、CommonWelthと呼ばれる奨学金制度があるので、さほど深刻にみんな受け止めてはいないみたいだけれども。


アジアの、しかも元々英国の植民地でもなかった国の学生は。

Common Weaithもないので、結構かわいそうかもしれない。

今必死になってスポンサーを探したり、お金を借りるすべを探したりしている。


俺は今極貧状態になってしまってはいるけれど。


借金は一切ないのだ♪


それが、俺の唯一の自慢かもしれない。



俺の考える本当の貧乏というのは。



心の貧しさにあると思う。



そして、多くの先進国の見かけ豊かな人たちが、かなりの割合で心が貧乏になっているんじゃないかと思う。


心の貧しさは、どこから生ずるかというと。


借金をして、見た目良い生活をするという事から始まるんだと思います。


例えば、俺の場合、手持ちのお金は限りなくないに等しい。

でも、借金額はゼロ。


だから見た目の生活は非常につらいですが、借金がないという事で、精神的に『あぁ、借金を返さなくちゃ』というようなことに追い詰められることはない。



一方借金生活者は。


物理的には、借金をしてでもお金を作っているため、満たされているけれども。


借金を返済しなければならないために、それによって生活が縛られてしまっているんだと思う。


何で、借金するのか?


きっとそれは、みんな見た目の貧乏が怖いからじゃないのかな。


日本は、生活レベルが高度経済成長によっていちぢるしく急成長したから。


ほとんどの家に、電話があり、テレビがあり、冷蔵庫がある。

そして、多くの過程には、車があり、洗濯機があったりするんだな。


でもついでに、多くの人が借金を何らかの形で抱えている。


借金があるという事は、借金がない貧乏人よりもしたのランクになるかもしれない。


ちょっと話は、それるかもしれないんだけれども。

日本人の、特に女性の中には『ブランド品』を進行している人がいるかもしれない。


実は、俺はこのブランド品ってのがよくわからない。


例えば、丈夫で壊れず長持ちするものだったらば。


少しお値段が張っても良いと思うんだけれども。


このブランド品てのはいったい、何のアドバンテージがあるんだろうか?


バブルの時代に、このブランド信仰が大流行したみたいなんだけれども。


いったい、何なんだろう?



実はこちらに来て、とある日本人女性がいるんだけれども。

まぁ、友人のパーティーにただ飯食いに行った時に、ちょっと知り合ったのですが。


彼女は、そのバブル時代の落とし子のようなお方で。


もうね、俺から見たら『うわぁ、はではでの芸能人もどきかぁ?』てな感じに見えたのだ(笑)


元々ブランド品に興味のない自分にとって、ブランド名すらよくわからないのですが。

そんな俺にもばっちりわかるような、ブランド品に身を包まれていました。


それで、パーティーが終わったあと。

まぁ貧乏人の僕にとって、学割が効く、そしてロンドンで考えられる、徒歩以外の最も安い子通手段のバスで帰ることにしたんですが。

何しろ、バスはどこのバス乗っても定期がありますから、ただみたいなもんなのです(笑)

しかも深夜バスなんてのもあり、非常に貧乏人にとっては心強い、庶民の足なのであります。


すると、なんと言うことでしょう、総額おそらく100万円以上はすると思われる物に身を包まれた彼女もバスで帰るというではありませんか。

何十万もする鞄を持ってバス停に列ばれたりしますと、見ていて恥ずかしくなって来るのは俺だけでしょうか?

見た目はお金持ち風に身を包んでいるけれども、これではもう、『私は見ただけなのよ』と宣伝しているようなものではありませんか。

せめてハイヤーを呼べるようになってから持って欲しいのです。



女性が、美しく化粧をしたり身を飾ったりするのは非常に理解できますが、彼女の場合は、間違った方向に進んでいるような気がしてなりませんでした。


女性が美しく身を飾るのは、ひとつ異性の気を引くためというのがあると思うのですが、これでは僕なんかは、逆に引いてしまいます。


さて、そんなことを考えながらバスを待っていたのですが、普段バスを利用されていない彼女は、定期を持ち合わせておりません。


ロンドンのバスは、非常に不便で前もって小銭を用意しておかないと乗れないか、もしくはバスストップのところにあり自動切符販売所で買わなければなりません。

彼女は、そのバスストップの自動発券の機械で買おうとしていたのですが、どうやら1ポンドないようです。


『○○さん(←僕の名前)、20ペンス持っている?』

といいながら、ブランド物の、おそらくはその時の俺の身に付けているもののすべての値段よりも高価であろう財布から、小銭を探しているではありませんか。

しかも、明らかに貧乏な俺からお金を借りようとしているではありませんか、しかも20ペンスという、もうこれまた庶民チックな金額です。

せめて、20ポンド紙幣を俺に差し出して、『20ペンスと交換してくださらない?』なんて言うのならば、理解できますが、彼女の行為と、その身なりを見ると、俺を笑わせようとギャグをしていたように思えてなりませんでした。


彼女が身に付けているものは、おそらくすべて本物のブランド品だと思われますが、彼女の行動を見る限り、それは全て俺の身には本物、偽物を問う前に、意味のないものに見えて仕方ありません。


本人はそんな意識など持っていないのかもしれませんけれど、これは、物によって自分のレベル以上のステータスを得ようとしているに過ぎません。

車、香水、腕時計、ネックレス。

いったい、俺の生活費の何十倍のお金を使って、そんな哀れな姿になってしまうのだろうかと考えてしまいました。


その時の俺の身なりといえば、米軍払い下げのコートに、タンザニアの古着市で買った無名のジーンズ(ひざ小僧がちょっと破けて穴が開いてます)、日本のユニクロで買った980円くらいのシャツに、その中はフィリピンで友人からもらった、Tシャツ、マフラーをしていましたが、それはず~っとまえに付き合ってた女の子からもらった品でした。
決してほめられるような姿ではありません。

パーティーの時はお酒が出るので、お酒を飲むとタバコが吸いたくなるのですが、高いです。そういうことでもっとも安価の刻みタバコを買い、それを自分でまきまきして吸ってまっていました。

おそらく第三者から見れば、明らかに身分が違う人間が並んでいると見られるかもしれません、しかしながらそれが庶民の足であるバス停で待っているとなると話は別になるのです。

皆さんが、これをどういう形で見るかはわかりませんが、僕は『ぼろは着てても心は錦』、そう信じ、逆に彼女を哀れんでしまいました。


外見を派手に飾れば飾るほど、こういう場では、なんかみすぼらしく感じてしまうのは僕だけなのでしょうか?


今まで、ブランド品を身に付けたことのない僕にとって、彼女の心理は理解できませんが、おそらく日本人の多くの方は、何らかのそういったブランド品を持ち合わせているのではないでしょうか?

ブランド品を持ち合わせていないとしても、何かしら『みんなが持っているから』という形で購入したものがあるはずです。その代表例はおそらく携帯電話でしょう。

まぁ携帯電話に関しては、仕事上ですとか確かにないと困ってしまうし、そのために購入した人がいるとも思われますが、そのほかにも必ず何かしたあると思うのです。

流行っているから、とか、格好良いから、とか、周りがみんな持っているから、なんていう理由での消費は、ちびっ子と変わりがないではないのでしょうか?

大人になって、自分の意のままに使えるお金が多くなって、心は子供のままに消費に明け暮れているというのはどうかと思います。

「これ買ったよ」「オレも欲しい」こういう会話が、大人と呼ばれる年代の間でも繰り広げられているというのは、滑稽ではありませんか。

人は、年齢に応じて成長していく生き物のはずです。僕は、大人になるという事は、子供時代のおもちゃを捨てて、自分の歩むべき道に向かって歩き出す事だと思っています。

けれど、今の大人というのは、成長するに従って古いおもちゃは手放しても、それに代わる新しいおもちゃを次々と手にしてしまう。

僕の目には、ブランド品で着飾った彼女は、いい年こいてそんなおもちゃで着飾った大人としか見えなかったのです。

しかも、それにいくら費やしたのか。おそらく僕の予想をはるかに超えるお値段でしょう。

そんなおもちゃで着飾った彼女は、僕に問いかけました。

彼女とはパーティーの最中まったく口を聞いていなかったのです。というのも、今の僕にとってパーティーという場は、社交の場というより、食糧支援の場ですので。

彼女とは初対面だったのですが、どうやらパーティーに来ていた、俺の知り合いの誰かに聞いたらしく、自分が獣医だということにすっかり関心をもたれておりました。

僕はこちらに来て、別に隠すつもりはないのですが、自ら『獣医ですよっ』とアピールする事はありません。だって今は学生ですから。

日本人の多くは今でも『医』という文字がつく職業に対して、畏敬の念を少なからずもたれているようで、しかも昨今の流行で『獣』の字がつくと、若い女性からは人気があるようです。

さらに『開発額』を勉強したいけど、まったく専門外なので、勉強したくてもにっちもさっちも行かないなんて言っていた彼女には、『タンザニアやフィリピン』で暮らしていた『獣医』なんてのは、それこそブランド信仰とまったく同じで、なにやら根掘り葉掘りと質問をしてきたがっておりました。

そうです、僕の目からは、彼女はまったくどうしようもない子供を見ているようで、哀れにしか思えなかったのです。



『獣医』が人気の職業というのは、これもブランド信仰の一種なんではないかと思われます。

獣医の真相なんて、それは残酷で、肉大好きで、エロで、もうどうしようもないんですから。


まぁ、そんな『獣医』信仰が存在するおかげで、われわれ獣医も、それなりに暮らしやすいというのもあるわけで、完全に否定はしませんけれども。


そんな事を考えていました。



かなり長々と、貧乏を語ってしまいましたが、所詮貧乏人の僻みと思っていただいて、呼んでいただければ光栄です。


それでは。


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