ブログ05

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霊界について



 貴方がどの宗教を信じようと、等価交換を致し続けていれば何の問題も生じない。その宗教団体に借りをつくったから、その分、洗脳、即ち、支配致されてしまったのです。
 私には原罪は有りません。超莫大・超膨大な支払いを致したから。しかし、セックスはできません。世の中の殆ど全て、99.9…9%の方々にはまだ、原罪が有るから。殆ど全ての方々が、私のレベルにすら、ついてこないと。私は最低限の信仰生活しか致していないのに。私の事を一言で言えば、完成イエス・キリストです。イエス・キリストが途中で殺害致されて、できなくなってしまった事を私はやり遂げたから。何を言っているのかというと、霊的基台は創り上げたという事です。

 文鮮明は、血分けと称して、新婦と最初に自分がセックスを致して、原罪を脱がせるという事をやっていたらしい。(こういう事をやった方に、「氏」をつける気になれないので、敬称を付けていません。君がやった事は、変だと思うので。社会は納得できていないぞ。) 私の現実感覚では、千回セックスを致しても、セックスを致しただけという結果しか生じないと。文鮮明は、単なるエゴ、プライドの満足だけの世界にしか生きていないのではないかと考えられるのです。私には、女体は無限に深い存在と感じられています。神様が創った肉体、無限に深い構造に成っているのです。彼は、聖書の主なる神の事を、心情の神と言っていますが、人間は心情だけの存在ではないのです。

 私に言わせれば、人類の神というのは、人類の親神様であると。人類の一番上の御先祖様です。人類全員を自分の子孫と感じている存在です。血統というのと、セックスの関係というのは異なる気が致します。セックスによって、自分の持つ想念エネルギーは交流致しますが、子孫というのは、先祖の肉体遺伝子を継承致している。重さが遥かに異なるように思うのですが。
 1万人の女とセックスを致したとします。しかし、その1万人の女とはセックスだけの関係と。そして、1万1人目にセックスを致した女が妊娠致して、自分の息子を生んだと。この場合、その1万1人目の女は、自分の息子の母親であると。この女と、以前にセックスを致した1万人の女とは比較できるだろうか。全く問題外であろうという事は納得頂けますか。男の感覚と致して、自分の継承者=自分の息子を授かるという事は、無上に嬉しいのです。これ、普通のお父さんの感覚。普通のお父さんは皆、そう思っているのです、おそらく。もしかしたら、この感覚を与える為には、夫を立てて上げる事が必要なのかもしれません。だから、自分が最初にセックスを致して、奥さんを二番煎じに致しては絶対にならないのです。男の気持ちを潰す事を致し続けた文鮮明もおそらく、男ではないと。自分の妻、自分の子、自分の子孫という感覚を持っていないと。そういう感じが致します。

 私は絶対に、夫に現実支払いを致させる。夫の部下しかしない。自分が支払いを致した分しか自分のものには絶対にならないのだから。気分だけという世界、薄っぺらすぎる。深見東州もいいとこ取りの考え方しか致していなかったのですが、結局、彼の身になっていなかったと。彼の人間性の成長に役立っていなかったと。道を歩み続けるのは、人間的成長を得る為なのに。形、結果はどうでもいいのです。道を歩み続けた事によって、学んだ事が尊いのです。形になんか意味が有るのかと。中身が無ければ無駄と私は思います。
 これ、学問、学道の基本。新たな知識を得た事によって、その者が何を智慧と致して得るのかという事が重要であるという事です。その者の現実の人生に役に立たなければ無駄と。感じる世界、考える世界、思う世界が大切という事です。非常に限られている、僅かの体験、経験の生活の中で、日々、感じる世界、考える世界、思う世界を豊かに致していく為に我々は生きているのであると私は思います。
 自分の人生を生きた事によって得た成果と、他人の人生を生きた事によって得た成果とは異なっていると。そして、私は1ミクロンの人生でも、自分の人生を生きた方がいいと思っているのです。満足度が違い過ぎるので。

 教員、1年目の教員も、授業を致している。大ベテランの教員も、授業を致している。何故か。1年目の教員の授業の方がレベルが低いというわけではないから。経験が少なければ少ない程、全力の授業を致すしかない。だから、生徒の役に非常に立つのです。生徒は社会に出たら、1年目から、始めなければならないから。余裕の授業ができるようになる頃には、副担任=妻子や土地や家等が支払い致されていて、やはり、余裕が無いように致されていると。日々、成長できるように、神様が仕組んでいると私は思っています。

 ここまで書けて、やっと、洗脳霊界を抜けられると。霊界というのは、全ての霊が主体的に生きている世界なのです。これ、基本。自分の頭で、心で、肉体で、自分の人生を生きていなかったから、主体的に生きるという事ができていなかった。他人に支配致されていたと。世の中には、他人を搾取致して、自分の利益を計る者達が一杯一杯一杯いるのです。私はサタン=動物のオスとエホバ=ヤハウェ=動物のメスと言っていますが。人間の下の存在である動物をやって、自分の利益を計ろうと致している存在と。
 私のレベルだと、こういう霊界解説になります。自分、即ち、魂がいる霊界と。体だけの世界ではなく、仏界=心の世界でもなく、自分で感じ、考え、思う世界と。魂の世界と。主体的に生きている世界と。

 一寝入りしました。それで、もう一つ、重要な事が有ります。それは、善い事をしたから、善い霊界に行くという事ではないという事です。この世的に、善い事を致せば、この世で評価致される。それだけの事なのです。霊界というのは、単に、自分の現実から、肉体の現実が無くなった、たったそれだけの事なのです、おそらく。世の中には、悪い思いで、善い事を致す方が大勢いらっしゃいます。この世的には、その悪い思いを隠していれば、善い行いだけが評価致されます。しかし、あの世的には、その悪い思いが評価致されるのです。
 悪い宗教家の方々は、支配致そうと致しまくっている。だから、自我を放棄させようとしまくっている。自我を破壊、崩壊させようとしまくっている。何故か。もう自分が崩壊してしまっているからである。だから、他人も破壊しようとしているのである。これがサタンとエホバと。この世の物質的快楽、幸福だけを求めて生きている存在と。良心=両親との信頼関係などもう全く残っていない存在方と。
 私は誰の責任も取らない。そんな暇人ではないので。だから、誰も踏まない。私が致し続けている事は、世の中を支配から、解放致し続ける事です。自己判断・自己選択・自己責任の主体性有る現実に戻してあげる為の手助けを致し続ける事です。私が致す事はここまで。そこから先は自分で決めろと。リーダーなど絶対にやらない。一番下、一番後ろに居続けると。

 リーダーがいると、人は駄目になる。部下をやろうとするから。部下というのは、体、或いは、MEの事です。自分の体の利益だけをやろうとしまくると。物欲だけをやろうとしまくると。この生活、神の観点から見ると無駄。神の観点は、この世の生活を通して、魂を磨く、向上させ続けるという事だから。しかし、これだけでは、肉体が行動を拒否致すので、ところどころに、エサ、褒美を用意致しておくと。中心は、魂の向上なのですが、それだけでは、肉体の行動が止まってしまうのです。だから、肉体的喜びも必要なのです。しかし、それはあくまで従と。主ではない。

 信仰の道の基本:

 私が、この状態は○い春婦状態であると感じる状態について、書きます。私は世間が一般的に言っている○い春婦に、別に差別観念は無いのです。社会的責任を感じているから。社会が悪いと思っているので、その悪い社会の底辺にいるのであろう彼女達を差別致すわけないのだ。人間だから、当たり前の事です。悪魔に魂を売ってはいないのだから。(※悪魔に魂を売るというのは、人間を辞めるという事です。皆一緒に生きているという世界から脱出致して、個人のエゴの世界を生きるという事です。)

 私が感じる“○い春婦”状態というのは、自分が無くなってしまっている状態です。生きていく為に、或いは、贅沢を致す為に、私は○い春婦をやっているというのは、それはそれでスジが通っているから、私は特に問題視は致しません。自己責任の世界と。
 しかし、この自己判断・自己選択・自己責任を取り続ける主体的な自分が無くなってしまっているのは問題なのです。自己崩壊・自己消失だから。この状態に陥っている物達を私は○い春婦と感じる。よく、こぶつきにされたとか言っている状態と。自分と向かい合う主体的な自分がいない物達、こぶと。寄生されてしまった、依存されてしまったという事です。ここまで堕ちてしまったメスは、売り飛ばすか、ふ○俗で働かせて、搾り取っていくしかなくなると。その物の借金、負債を返済致させてあげて、自分を取り戻してあげるという大愛の行為を致してあげるしかなくなると。私には、ここまでやってあげる大愛が有るのです。99.999%鬼をやってあげているその奧の0.001%の世界に、その物への大愛が有るのです。これも私の世界と。これ、普通の神の世界なので、知っておくべきと私は思います。正しい神の世界への信仰の世界に入ると、悪業の清算を必ず、やられる。神の光が、魂の汚れを押し出していくと。想念の穢れが綺麗に致されて、清らかな心境にされていくという事です。しかし、これをやられると、肉体界が汚れる。魂が綺麗に成った分、その汚れが肉体に移動致すのです。即ち、肉体が様々な苦痛を味わわされる事になる。勿論、その者が、信仰の条件を積んで、神の光を得た分しか、これは起こらない。信仰の世界の基本事項です。

 五千億光年宇宙の始まりから、終わりまでの全宇宙史を生きる:

 地球上に於いては、単細胞植物の創造から、人類の最終未来までの全地球史を生きる。創造主と共に生きる。これが今の私の思いです。全存在界の全存在方に、謹んで、御報告致します。H20.8.4.月 15:30。謹んで、致させて頂けました。神様、有難うございます。

 社会人、職業人と致しての最低限の基本的な心構え:

 神の地球人類動物植物鉱物大気会社の社員と致して、神の子方に、食品の提供というサービスを致させて頂いて、仕事にさせて頂いているという基本的な心構えが無いから、神の部下と致しての仕事が成立致していないと。もっとレベルを下げて言えば、日本国の職業人と致して仕事を致させて頂いていないと。憲法に国民主権と書かれており、天皇はその国民の象徴と致されていると。即ち、日本国民全員が、自分達が運営致している日本国の社会人、職業人と致して、ある職業のパートを担当致させて頂いているのであるという社会人、職業人の基本的な心構えすら、持てていないのだ。とんでもないのだ。日本国社会の最低限の信頼関係すら裏切っていて。この日本国社会の社会人、職業人と致しての最低限の基本的な心構えを、謹んで、全存在界の全存在方に、御報告致します。H20.8.12.火 2:06。謹んで、致させて頂きました。こんな事は、中卒で社会人に成る子供達、生徒方に与える成人へのイニシエーションと。先輩の社会人と致して、当然の事と。日本国全体に通用致す信用貨幣を得る為に働くのであるから、当然の事と。さらに、この日本国の信用貨幣には、国際的な信用も有る。他国の通貨と等価価値の交換ができると。日本国民と致しての質的価値が有ると私は思う。複数の発展途上国に行けば、その国の王様の生活が体験できてしまうから。人間には徳の差、運命の差、宿命の差が有るようであると。確かに人間性の差は有ると。これは前世霊の差によるものなのかもしれません。明らかに素質の差が有ると。

 人間意識&人間界:

 人間意識というのは、全人類と共に生きているという意識です。人類始祖から、最終の人、ラストマンまでの全ての人間と一緒に生きているという意識です。これが人間界。この意識で生きている者達が人間と。当たり前の事なのですが、再確認致しておきます。謹んで、全存在界の全存在方に、御報告致します。H20.8.12.火 2:39。謹んで、致させて頂きました。

http://plaza.rakuten.co.jp/sakurasaku1111/diary/200808080000/
Re:答えはあるのか(08/08) トノ01さん
 私は民主的な選択によって選ばれた複数の選択肢が、その代表致している人数の割合によって、選択為された結果を受けて、全ての選択を代表致して、一番上の方が、政治を為されるというのが一番善いのではないかと思っています。即ち、一番上の方は、全員の下の地位を為されなければいけないと。それをやれる程の愛の有る方が、人類の代表と致して相応しいと。自分を踏んで利益を得ているモノの為に心から働くわけない。自分の為に生きて下さっているからこそ、その方に御返しをしなければいけないと思わされて、自ら、その方の為に働くのではないかと。真理は、生き様、実践によって、体現致されなければいけないと思います。言っている内容ではなくて、何をしているのかによって、判断致せば、大体、間違いが無いのではないかと。コメント欄が開かれていたので、繋がりを創る為にコメント致させて頂きました。私は人類は過去を背負って生きていくしかできないと思っています。今の人類の現実を生きていくしかできないと。これが私の答えです。文鮮明の今までの全生き様が、彼と。統一原理に書いてある完成人類始祖アダムを0.0…01%も体現できていないように私には見えます。これからもブログの更新、よろしくお願いします。
(2008年08月13日 10時20分28秒)

全ての者達が真底幸せになるまで、完全に幸せにはなれない、喪失感の教え

 この神の喪失感を埋める為に、生まれさせられてしまうカルマも有るのです。私の一生はこのカルマとの闘いだけでした。神との闘いと。神に情を持たされないように生きるのだ。

 私の考え001:

 基本的に、私は女体の摂理は致してはいません。重すぎるから。それだけで一生が終わってしまうから。最終エヴァの女体を開発致し尽くす事だけしか、やる意味無い、正当な酬いが支払い致されない、これが神が私を置いた状況なのです。神は私をそこまで犯し尽くしたのだ。よくもやったりと。勿論、ここまで私にやったのだから、それだけの説得力の有る御仕事を致して頂かなければ絶対に許さないという強い、強い、強い、非常に強い金剛力の魂が、私の中に、発生致しているのです。私は世の不正を絶対に許さないのだ。(即ち、私は世の中に不正は無いと思っているという事です。不正を発見致したら即、御仕事を致させて頂くから。現状では、私は世の中に不正を発見致していません。全て、正当な酬い・報いで運営致されていると思っています。不当だと思っている方々は、欲が深すぎる、自分中心過ぎると私は感じているという事です。この点に関しては、私は非常に細心なのです。常に自分をチェック致し続けているという事です。世界人類皆、私の鏡なのです。私の如来界、自他一如の世界、一人の女の方とのキスの世界、もうこのレベルまで行っているという事です。私はここまで基礎づくりをやる人間なのです。)

※アストラル界=感情界、メンタル界=具体的な思考の世界、コーザル界=抽象的な思考の世界、ブッディ界=心情界、他の存在の気持ちの世界と共感致す世界、アートマー界=霊的意志の世界、創造界、思想の波動を自らの生き様で発し続けている世界、アーディー界(アディ界)=神即我の世界、この世を創造致し続けている創造主の意識と自らの意識が一体化致し始めている世界、自分一人だけを創造致し続けている神我は一人分の神意識。私はこのように、この世界を捉えています。衛星意識、惑星意識から、恒星意識、銀河意識、宇宙意識、…と、その者の器によって、どんどん拡大致していく世界。

女への転生をやった極悪党のオスの教諭どもは、ついに、娘も犯し尽くした

 女への転生をやって、人類を犯しまくっていた極悪党の教諭どもは、平成12年10月頃に、私を統合失調症に致した。そして、その悪事を私は上司の人類方に、ホームページを作って、報告致し続けたのですが、神奈川県藤沢市教委の職員は、この私の報告を妄想と決めつけ、平成15年6月23日(月)から療休に入れた。そして、平成18年8月31日付で辞職致させた。平成18年7月12日の神奈川県精神保健福祉センターの桑原寛医師と、平成18年7月19日の神奈川県立精神医療センターの木村逸雄医師の、休職期間満了日である平成18年9月27日までに復職致す事は不可能であるという健康診断書によって、平成18年8月31日付けでの辞職を余儀なくされた。女への転生をやっていた極悪党のオスの教諭ども、及び、校長、及び、市教委の職員、及び、県教委の職員は、童貞の教諭である私に1学年も支払い致さないで、私の現実を犯し尽くし、精神疾患(統合失調症)に致した。これが権力者どもが、三浦市民及び藤沢市民に対してやった事なのである。三浦市民&藤沢市民の息子を犯し尽くして、女にしてしまったのだ。しかし、これを上記の医師どもは、妄想と決めつけたのです。

 何故、この文書をUP致して、人類に公開致しているのかというと、人生というのは、普通の人類は皆、やっている事だからです。女への転生をやっているオス、そのオスの部下をやって、男を犯している悪女以外、皆、人生の事は理解致している筈だからです。あまりにも基本的な事なので、市教委の職員、県教委の職員、医師どもが理解できない筈が無かったと私は思っています。当然、理解できていて、尚かつ、人生を潰す事を選んだ、極悪党のサタンをやる事を選んだと思われているのです。

 その後も、この極悪党どもは悔い改める事が無く、ついに、今日(平成20年8月25日(月))、娘まで犯し尽くしてしまった。これはどういう事かというと、子がいる親の方々を、親でなくしてしまったという事なのです。親達から、親の地位を奪ってしまったという事なのです。公務員もサービス業ではないのか。民間人に、親の地位を創り続けるという事が市立中学校運営の目的なのではないのか。私はそう思っているから、こうやって、この情報を公開致しているのです。(勿論、三浦市民及び藤沢市民の方々が、「いいや、我々は子育てなどやっていなかったから当然の報いであるのだから、一切気にしなくていいよ。」と言われるのであれば、この報告は完了致します。)

 私には、この上司の教諭ども、市教委の職員、県教委の職員がやった事が信じられないのです。御客様=市民・県民の為に働くのではなくて、自分の現実利益を創り続ける為に、御客様方を犯し続けているのに、どうして御給料を頂けているのか、??? 誰が御給料を払っているのか。(今、霊界から教えられましたが、書くのはやめます。現実確認がまだできていないので。本当にセ○クスの担任を持たされているのか、確認できてから、書きます。本当に支払いを致しているのか、確認できてからでないと、責任持てないので。)

 天命界の親神様に、謹んで、私の上司方が私にやった全ての事を御報告致します。H20.8.25.月 12:50。謹んで、御報告致させて、頂きました。

 カインがいなくなってしまったので、エヴァの摂理になりました。生きている間に、極悪党どもが最終エヴァの支払いができるか、できなくて、最終責任を取らされるのかという状態になりました。

 「君達の好きにしたらいいよ。私は何の得もしないのだから。」

http://plaza.rakuten.co.jp/aiyogafuku/diary/200808280001/
Re:「いただきます」研究会(08/28) トノ01さん
 このブログの内容と波長が合うので、コメント書き込み致させて頂きました。つけ加えると、太陽・月・地球の創造、大気・鉱物・植物・動物・人間の創造、その全太陽史、全月史、全地球史、全大気史、全鉱物史、全植物史、全動物史、全人類史の昇華されたエキス、精髄を全て、味わって、享受致され尽くす為に、我々は、食事を頂いているのであると私は思っております。万物に深謝致します。有難うございます。
(2008年08月30日 04時01分29秒)

http://ameblo.jp/descendant369/entry-10132567185.html
コメント返答

神の子にできる事は自分なりのベストを尽くす事だけ

 神(かみ)は、上(かみ)であるから、自分の都合を、下々の者に押しつけて、背負わせまくる。この現実はどうしようもないと私は思っています。世の中はそんなものだったから。新採用の者に、一番嫌な仕事を与えてくると。一番嫌な仕事だけれども、一番低能力でもできる仕事と。さらに、2年目はもっと悲劇、…というように、毎年、毎年、消化致さなければならない仕事は増えていった。私の世の中に対するイメージ、印象はこれです。「嫌なら死ね」という扱いを致され続けているだけが人生と。勿論、失敗したら、もっと過酷な運命に墜とされる。これが世の中なのです。お金を稼ぐという事は、そういう事なのでしょう。動物達は、次の瞬間には、捕食されてしまうという、一瞬の気の緩みが即、死に繋がる生をやらされている。人間も似たようなものであったと。だから、自分なりに精一杯努力を致し続けて、それでも殺されてしまったらしかたないと。だから、今を最高最大最深に大切に致し続けて生き続けていくしかないと私は思っています。
 神も一方的に踏みまくっているだけだから、一言も偉そうな事を言えるわけない。関係無い。私の気合いは日々増し続けていて、次から次へと神を越え続けています。これが私の世界です。1ミクロンでも参考に成れれば、大変、嬉しいです。
超超超超人類・超超超人類・超超人類・超人類369 2008-08-31 22:02:01

女は一切踏んではならない、背負うだけ、女のきめ細やかな肉体は、男を育てる為に有る

 女というのは、学級の生徒のようなものであると私は思っています。学級の生徒というのは、自分の鏡の存在である。客観的に見た自分の姿をやり続けている存在なのである。外側から見た自分の姿が、学級の生徒である。だから、その姿を見て、客観的な自分を知り、自分の向上に役立てるのである。私は平成15年6月20日(金)までしか、この修業をやる事が許されなかった。26歳の時に、女の失敗により、私は永遠に自分の女がいなくなった。娘以下の存在しかいなくなった。何て駄目な地球人類の神であると思わされたのでしたが、事態はもっと酷かった。41歳にして、私は日本国すら越えさせられてしまったのだ。こいつら、世界摂理をやらなければならないという自覚すら無かった。市教委・県教委の職員であるという事は、親をやる事が仕事である。天皇家をやる事が仕事である。市立中の校長は、首相をやる事が仕事である。首相とは、学区の人類全員の一番下の地位を致させ続けさせて頂くのだという事である。毎朝、起きたら、学区の人類全員に頭を下げて、今日もよろしく御願い致しますと言って、その日を始め続けるのが最低限なのだ。だから、校長室に写真が飾られているのだ。ゆくゆくは、学区の全家庭に、その写真が飾られるべきなのである。最低限、これを目標と致して、仕事を致させ続けさせて頂かなければならなかったのだ。これが私如きにすらもキャッチできている神の意識と。これが神の世界なのだ。裁かれまくってしまう世界。
 女というのは、妻というのは、外側から見た自分を知り続ける、即ち、自分をフィードバックし続ける為に存在致していると私は考える。その程度の存在なのだ。女には男の役割全くできない。これが男女の役割の違いなのだ。

 このレベル以上が、霊界修業なのだ。自分の内的世界を磨き続ける、創り続けるのが霊界修業なのだ。その為に、この世の現実、物質界を創造致したのだ。物質界から学び続けよ。女の肉体から、学び続けよ。もっと上の修業と致しては、女よりもさらにきめ細やかな肉体を持つ子の肉体から、学び続けるという修業が用意致されている。もっと上の修業と致しては、孫の肉体から、学び続けるという修業も用意致されているのである。しかーし、こんな修業は大した事ではない。たかが2段の修業ではないか。平社員ー係長(父母)ー課長(祖父母)の修業と。組織の一員と致しての修業は、もっともっと過酷なのである。

 米国大統領の予備選での演説、素晴らしいと私は思う。説得力が有るから。そういうビッグな人生を生きる修業も用意致されているのである。生きるという事は、何と素晴らしい事なのかと私は思うのである。

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