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宗教の目的とは何か? それぞれの宗教はそれぞれの答えを持っている。中でも最も普遍的な答えは神を求め、魂の救いの大切さを教えることである。ほとんどの宗教は三つの王国を説く。一つは天国、二つ目はこの世の、三つ目は地獄である。天国は神が支配し、地獄は悪魔が支配しており、この世は戦争が絶えない。また、未だ神の威令はこの世を覆わず何時の日かと待たれているある宗教では、天国は神が直接統治しているが故に義の栄える国であるという。別の宗教では、天国はこの世にはないという。そこに行ける者は神とその預言者を信じた者のみである。天国へ行けばいかなる快楽もかなえられる。総ての宗教ではこの天国に到達することが人間の目的であり、どうやってそこに到達するかが最大の問題とされる。この“宗教の目的は何か?”という質問に対し、ブッダは全く異なった答え方をしている。 人生の目的は想像上の天国に辿りつくことだと彼はいわなかった。“義の王国”はこの地にあり、正しい行いによって到達できるということであり、それぞれの悲しみを取り除くため、他人に対し己の行為が正しくあるよう努めて学ぶべきであり、そのことによってこの世を“義の王国”とせと、ということであった。 ここが彼の宗教と他のそれと違うところなのだ。 【ブッダとそのダンマ】B・R・アンベードカル著 山際素男訳/光文社新書
January 31, 2017
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心に刻む御聖訓苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南妙法蓮華経うちと(唱)なへゐさせ給へ(四条金吾殿御返事、1143頁) 日蓮大聖人は、苦境の渦中にあった弟子の四条金吾に語られている。「賢人は、八風といって、八風の風に侵されない人を賢人というのである。(八風とは)利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。おおよその意味をいえば、利益があっても喜ばず、損をしても嘆かない等のことである。この八風に侵されない人を、必ず諸天善神は守られるのである」(御書1151頁、通解)信仰とは、何ものにも揺るがない、堂々たる自分を創り上げる力である。大聖人は、さまざまな面から人の心を迷わせ、紛動させる「八風」に侵されることなく、信心を貫く人こそ「賢人」となり、人生を勝利できると述べている。だが、迫りくる「死」や「病」といった障魔にも揺るがない生き方を貫くのは、決して容易ではない。 突然の余命宣告に動揺山田栄子さん(55)=東京・港太陽区総合婦人部長=の夫・茂さんが亡くなったのは、2014年(平成26年)7月30日のこと。享年55歳。末期のすい臓がんとの宣告から、2年後のことだった。茂さんの病が判明した時、腫瘍はすでに5~6センチあり、腹膜にも転移して手術は困難だった。茂さんから、その事実を伝えられた時、山田さんは頭の中が真っ白になり、涙があふれた。担当医からは、「もっても良くて1年、まれに2年」と告げられた。動揺する山田さんや3人の子どもを前に、茂さんは毅然と語った。「大丈夫だよ。御本尊様は絶対だから。必ず治すよ」——それは、いつもと変わらない茂さんの言葉だった。 常に変わらない夫の姿山田さんは郷里の愛媛で茂さんと知り合い、23歳で結婚。長男が1歳で、くも膜下出血を発症するなどの試練を乗り越えて、信心の確信を深めた。1988年(昭和63年)には茂さんの転勤で東京・港区に転居し、その後、夫妻は広布の最前線で戦い抜いてきた。余命宣告を受けた時、茂さんは副区長。茂さんはその後、抗がん剤治療を開始するが、それは亡くなるまで50回を超えた。山田さんは語る。「がんによる痛みがなかったのは幸いでした。医者は『絶対に痛みがあるはずだ』というのですが、本人はいたって変わらないのです。がんが分かってからも通院で治療し、普段は仕事へ行き、学会活動にも一歩も引かずに挑戦していました」茂さんは闘病中、「同志の励ましがあるからこそ病気と闘える。ありがたいね」と語っていた。山田さんも夫と共に戦い抜こうと決意し、池田先生の指導を何度も読み返し、唱題に励んだ。だが、抗がん剤治療は必ずしも良い結果を示さず、落ち込むこともあったという。そんな山田さんを励ますように、茂さんは語った。「この病は僕の宿命なんだよ。おかげで、本気の題目があがるよ」“夫は決して諦めない。病魔に負けるものか!”——茂さんの言葉を聞いて山田さんも気持ちを新たにした。「苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南妙法蓮華経と唱え切っていきなさい」(同1143頁、通解)との御聖訓を心に刻み、時間をこじ開けて御本尊に向かい続けた。茂さんは医師の予想を覆し、強い生命力で病魔と戦い続けた。だが、2014年4月に入ると、次第に腹水がたまるようになり、茂さんは休職を余儀なくされる。同年5月からは自宅療養となり、山田さんは在宅介護で献身的に支えた。この間、茂さんは亡くなる前日まで、力をふり絞るように自力でトイレに歩いていき、普段と変わらない生活を送り続けた。 悲しみに負けず前進山田さんには忘れられない光景がある。「亡くなる数日前、夫がかつて折伏した人からお見舞いの手紙が届きました。その時、夫はかなり体力も落ち、食事も十分に採れない状況でした。夫は手紙を何度も読み返しては唱題し、必死に食事を取って体力を回復させようとしていました。その姿に、夫の“い生きるんだ!”という強い意志を感じました」茂さんの振る舞いは、最後まで変わらなかったという。亡くなる直前、茂さんは山田さんを呼んで「背中をさすってほしい」と頼んだ。山田さんが唱題しながらゴシゴシさすると、「もうちょっと優しくして」と茂さんが笑いながら言った。そして「ありがとう」と語ると、ゆっくり目を閉じた。これが夫婦で交わした最後の会話になった。茂さんは山田さんにはみとられ、苦しむことなく霊山に旅立っていった。「夫の葬儀を終えてホッとすると、強い悲しみに襲われました。通りすがりの夫婦を見るだけで涙がこぼれ、“私は二度とこんなことはできないんだな”と思って悲しくなりましたそんな私の支えとなったのは池田先生をはじめ同志の真心の励ましでした」茂さんが亡くなってしばらくしたころ、地元の麻布文化会館で法寿会の同志とばったり会った。自身も幾多の苦難を乗り越えてきた法寿会の婦人は、山田さんに駆け寄ると何も言わず抱きしめてくれた。そのぬくもりに学会の温かさを感じた。夫の死から2年半——。この間、残された山田さん家族は、互いを思いやりながら、悲しみに負けず進んできた。山田さんは仏壇のそばにある遺影に日々の出来事を語りかけながら、学会活動に歩いている。「とうびょうちゅうの2年間は、夫婦や家族の絆が最も強くなった時でもありました。夫が、どんな時も常に変わらない姿で家族に接して、病と闘いぬく姿を見せてくれたから、私たちも信心を疑うことなく進んでくることができました。『宿命を使命に変えよう』と、必死で戦い続けたこの2年間があったればこそ、今、病で苦しむ友に心から同苦し、励ましを送っていくことができるのだと思います」 「戦う魂」を持った人が最後は勝つ! 【生老病死を見つめて】聖教新聞2017.1.21
January 30, 2017
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葉室麟さんの小説に、小倉藩の御家騒動を描いた『風花帖』がある。剣の達人である主人公が重臣の渋田見主膳を襲い、刺殺する物語だ。主膳が刺客に襲われたのは事実だが、実際には槍が袴の上を滑り、無傷だったと伝えられている。 主膳がはいていたのは、通常の錦織物に比べて3倍の経糸で織られる小倉織だった。幅35センチの帯に用いられる経糸は、2200本。その密度が丈夫さを生み、龍馬も愛用した。製法上、縦縞にしか織ることができず、横や斜め柄で華美な博多織とは対照的に真っすぐな縦縞模様が特徴だ。 皮肉にも、北九州が支えた日本の近代化の陰で、小倉織は昭和初期に姿を消す。同市出身の染織家・築城則子さんが偶然に手にした端切れから、試行錯誤の末に復元したのは1984年になってからだ。経糸が多く織りにくいことについて、築城さんは以前、「妥協を許さない北九州人の思い」(西日本新聞)と語っていた。 (略) 騒動の後、「槍をも通さぬ小倉織」は、全国の武士の間で袴や刀を差す帯として重用されたという。 【北斗七星】公明新聞2017.1.21
January 29, 2017
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「時代の飢餓感にボールをぶつける」。自身の創作活動を、そう表現したのは作詞家の阿久悠さんだった。作詞とは「時代のなかで変装している心を探す作業」と(『書き下ろし歌謡曲』岩波新書)。 「幸福」という言葉一つとっても、人々の考える意味は時代によって変わる、と阿久さんは言った。おなかが満たされていること、欲しいものが手に入ること、友人や家族と楽しく過ごすこと――。それを知るために、阿久さんは後半生の二十数年間、日記をつけることを習慣にしていた。 書きとどめたのは主に日々のニュース。世界情勢、経済の動向や、天気、スポーツの結果など。毎日の記録で「昨日と違う今日の確認」をしたという。ささいな出来事から時代の変化を洞察する。そうして人々が待ち望む言葉を世に送り続けた。 戸田先生は「歩き方、肩の怒らし方、また、声で、その人が分かるものだ。ドアの開け方ひとつで、その人の悩みが分かるものだ」と。池田先生は、この恩師の指導を通して、人々の生命状態を見抜くことが指導者の要件であることを強調した。 日頃から接し、“よく分かっている”と思う相手でも、その心は常に動いている。祈りを根本に感受性を磨きつつ、今、目の前の一人が求める「言葉」を届けたい。 【名字の言】聖教新聞2017.1.21
January 28, 2017
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静岡大学農学部教授 稲垣 栄洋 お地蔵さまやお姫さまというように、私たちは、敬愛するものを親しみ込めて呼ぶときに、「お」と「さま」をつけます 最近では、あまり聞かれなくなりましたが「お父さま」「お母さま」という言葉もあります。以前、アメリカで日系の小さな子どもが自分の祖父を「おじいさま」と呼んでいました日本では、孫が「おじいちゃん」と呼ぶことさえ少なくなったのに遠い異国に、こんなに響きの美しい日本語が残っていたのです。 「お日さま」「お月さま」「お星さま」というように天体にも「お」と「さま」がつけられています。天にあるものは、それだけ貴いものとされたのでしょう。太陽のことは。太陽のことは「お天道さま」ともいいます。昔はよく「お天道さまが見ている」と言いました誰も見ていなくても、太陽は見ているのだから、悪いことはしてはいけないと言ったのです。そして、人々は「お天道さまに恥じない生き方」を目指しました。今では「お天道さま」という言葉を聞くことも、ほとんどありません。 太陽が出れば、陰ができます。日本語では、その陰にも「お」と「さま」をつけて「お陰さま」と言います。日の当たる方を見ていれば陰は見えません。しかし、目に見えないところで、神さまの庇護や、さまざまな人たちの恩恵によって生かされている。お陰さまにはそんな意味が込められているのでしょう。 太陽は毎日、当たり前のように上ります。しかし、そんなお天道さまに、昔の人たちは柏手を打ち、手を合わせました。目に見える光と目に見えない力に感謝する昔の人の生き方は、何だか素敵に思えます。 【すなどけい】公明新聞2017.1.20
January 27, 2017
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「アップルをクビになったことは、私の人生の中で最良のことだった」。米アップル社創設者の一人、故スティーブ・ジョブズが生前に語った言葉だ。iphone(アイフォーン)などの革新的な製品やサービスで、世に大きな影響を与えたジョブズ。天才的な人間のように思われるが、彼の人生は、挫折を何度も味わう波乱に満ちたものだった。家庭の事情で養子に出され、中学校ではいじめにもあった。大学を中退し、コーラの瓶の収集で生計を立てたことも。そして自身が設立した会社と意見が対立し、追及される。だが、ジョブズはこれらを全て、成長の糧とした。大学中退後も、講義に潜り込む。そこで学んだ西洋書道は、製品に使われる美しいフォント(文字)として結実した。失業後、「もう一度、挑戦者に」との思いで始めたソフトウエアの事業は、彼が社に復帰した後、業績を大きく向上させる礎となった。苦境に陥ったと時、心に挑戦の炎を燃やし続けられるか否かが、成長の鍵となろう。◇仏法には、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の法理が説かれている。法華経(御本尊)への信心を貫くことで、苦しみの生命(毒)が、幸福も生命(薬)に転ずる、妙法の大功力を表す。信仰を根本に、強靭な生命力で苦難に立ち向かっていきたい。 【社説】聖教新聞2017.1.19
January 26, 2017
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キリストは預言者と宣し自ら神の子といい、それを認めない者に救いはないとした。かくてキリストは、自己を預言者、神の子として受け入れるかどうかにクリスチャンの救済がかかっているとすることによって自らの位置を定めた。 イスラム教の預言者モハメッドは神によって遣わされた預言者であると自ら宣した。更に彼は二つの条件を受け入れる者のみが救われるとした。即ちイスラム教に救いを求める者はモハメッドを神の預言者として受け入れ、彼が最後の預言者であることを受け入れねばならない。モハメッドは自らの位置と救済は彼を神の預言者として認めるかどうかにあるとすることで確かなものとした。 ブッダはこのような条件を全く認めなかった。彼はスッドーダナとマハーマーヤーとの間にできた普通の人間以外の何者でもないといった。ブッダはキリストやモハメッドのように彼を救済者と見做すという条件を設けることで自分を自分の宗教の特別な位置に置かなかった。 ◇ ここに彼は救済を約束していないということが明白に述べられている。彼は道を示すだけなのだ。では救済とは何なのか。モハメッドとキリストの場合、救済とは預言者の取り成しで魂を地獄へ送らず救ってやるということを意味する。ブッダの救いとは、涅槃であり、涅槃とは情念の全き統御である。このようなダンマにどのような救いが約束されうるのか? ◇ 彼は、自分は諸々の人間の一人であり自分の教えは人間に対する人間の言葉なのだと明言した。彼は自分の言葉の不謬性など決して求めなかった。彼が求めたのは、彼の言葉をさとった救済に到る唯一真実の道だ、ということであった。そしてそれは人間の普遍的経験に基づき、誰しもがその教えに疑問を持ち、確かめどのような真実が潜んでいるかを見出すことができるものだといった。自分の宗教をかくも大胆な挑戦に晒した開祖はかつて存在しない。 【ブッダとそのダンマ】B・R・アンベードカル著 山際素男訳/光文社新書
January 25, 2017
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橋爪●観音菩薩の起源は何ですか。観音信仰は、ヒンドゥー教のものと考えていいですか。 植木●いや、西北インドで流行したゾロアスター教のアナーヒターだとされます。 橋爪●仏教じゃないところから入ってきたんですか。 植木●ええ、観音菩薩だけでなく、阿弥陀如来も、毘盧遮那仏も、弥勒菩薩も、今でいうイランの神格が仏教に取り込まれたものとされています。 橋爪●では、ペルシャやアフガニスタンの神様が仏教化したんですね。ヒンドゥー教、バラモン教に対抗しようとする場合、ヒンドゥー・バラモンの神様を持ち上げることには問題がある。しかし、ペルシャ、アフガニスタンの神様を持ってくれば、ヒンドゥーに対抗できる。しかもペルシャ、アフガニスタンの人びとは、その神様を信じたまま仏教徒になれる。なぜならそれらの神様は、菩薩、仏になってしまったから。そういう部分が法華経に入ったら、話がややこしくなるんじゃないですか。 植木●外来の神格を取り入れたのは、ヒンドゥー教に対抗するためだと思いませんが、確かにややこしいですね。これら六品が加わったから、法華経の言わんとしたことが正しく理解られにくくなった。 【ほんとうの法華経】橋爪大三郎・植木雅俊著/ちくま新書
January 24, 2017
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国際医療福祉大学教授 川上 和久 1月20日には、ドナルド・トランプ氏が第45代米国大統領に就任する。トランプ氏については、出馬表明の場でメキシコを名指しし、問題がたくさんある人を送ってきてドラッグや犯罪などの問題を持ち込むと発言、批判を浴びた。その後も「メキシコとの国境に壁を造る」などメキシコ批判を続け、「イスラム教徒は入国させない」などの過激な発言でも物議を醸した。 これらの過激な言動は、産業空洞化で失業にあえぐ、特に中西部の白人労働者向けの選挙パフォーマンスとの見方もあったため、そうだと軽く割り切って、既成政治への批判を込めてトランプ氏に1票を託した有権者も少なからずいただろう。 しかし、それが、選挙パフォーマンスかどうか、怪しい雲行きになっている。トランプ氏は年明け、ツイッターで、メキシコ国境の“壁”建設の費用について、まずは米国が負担し、後からメキシコに請求するとの考えを明らかにし、米国の予算に計上される可能性があると報道したマスメディアを批判した。 トヨタ自動車に対しても、メキシコ工場の建設を進めていることに関して、「トヨタはアメリカ向けのカローラを生産するため、メキシコのバハ(・カリフォルニア州)に新しい工場を造るという。ありえない! 米国内に工場を造らないなら、高い関税を払え」と警告し、「アメリカ・ファースト」の内向きの論理を際立たせている。 日本時間11日の当選後初の記者会見でも、「私は神がつくった史上最高の雇用の作り手になる」「アメリカを去り、雇用を殺す企業は莫大な関税を支払うことになる」と、米国内での雇用創出を優先する姿勢を明確にした。 大統領に就任すると、公的な立場の人間としてツイッターで軽々しいことも言えなくなるので、今のうちにリップサービスしておこう、という計算が働いていると言えなくもない。しかし、就任前後の発言の一貫性は問われよう。内向きの論理の危うさに翻弄されないために、日本の政治にも信頼関係に基づいた「大人の対応」が求められよう。 【ニュースな視点】公明新聞2017.12.16
January 23, 2017
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安倍政権の暴走が止まらない。2012年に第二次安倍内閣が発足して以降、特定秘密保護法の選択、集団的自衛権に関する閣議決定、そしていわゆる「安保法制」の強行採決と、傍若無人な政権運営はとどまるところを知らない。閣僚や自民党議員たちの奔放な言動も目立つ。首相の靖国参拝に対し「失望した」とコメントを発表した米国に対し、「むしろ我々が失望だ」と発言した衛藤晟一。改憲に当たっては「ナチスのやり方を真似てはどうか」と発言した麻生太郎。「沖縄の2紙を潰してやりたい」との発言で怪気炎をあげた「文化芸術懇話会」に参加した自民党議員たち。「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条にもとづいて電波停止を命じる可能性もある」と発言した高市早苗など、その事例は枚挙にいとまがない。反動と呼ぶにはあまりにも幼稚すぎる、こうした無軌道な発言が目立つのは、安倍政権周辺だけにとどまらない。◇●安部内閣を支配する日本会議の面々2015年2月4日。船田元(自民党憲法改正推進本部長・当時)は、安倍首相との会談の後、記者団に「憲法改正原案の提示は2016年の夏の参院選の前ではなく、選挙後になる」という見通しを語った。各紙の報道を見ると、自民党内の議論の位相は、もはや「改憲の是非」ではなく「改憲をいつ行うか」に変わりつつあることが如実に見てとれる。「改憲の是非」ではなく「いつ改憲を行うか」が議論の軸となっているのは、なにも自民党内に限った話ではない。2014年10月、「平成28年7月に実施さる予定の参議院選挙で、『憲法改正国民投票』の実現と、過半数の賛成による憲法改正の成立をめざし、1000万人の賛同者を集めること」を運動目標とする「美しい日本の憲法をつくる国民会議」なる団体が旗揚げされた。同年10月1日に開催されたこの団体の総会に出席した衛藤晟一(首相補佐官)は、来賓挨拶で、「1993年に初めて自民党が政権を失ったとき(註:細川内閣成立をさす)、自民党内では党の綱領から自主憲法制定を外すべきではないかとの議論がなされたが、当時初当選だった安倍首相や我々が『憲法改正を下ろすなら自民党なんていうのはやめるべきだ』と反対した。いまそのメンバーが中心となって第二次安倍内閣を作った。安倍内閣は憲法改正の最終目標のために、みんなの力を得て成立させた」と、述べている。(美しい日本の憲法をつくる国民の会2014) この「みんな」とは誰なのだろう?【日本会議の研究】菅野 完著/扶桑社
January 22, 2017
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牧口常三郎先生は「目的は行動を生む。曖昧な的に向かって放たれた矢が当たるわけがない」と語られた。明確な目的があるところ、初めて偉大な目的が達成できる。 【池田大作先生「四季の励まし」】聖教新聞2017.1.15
January 21, 2017
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作家 山名 美和子 男たちが槍を手に戦場を駆けた時代、領地と家を守り抜いた女城主がいた。浜名湖の北、遠江(静岡県西部)井伊谷の城主次郎法師直虎である。直虎は井伊直盛のひとり娘として、天文年間の1530年代に生まれた。幼名はわかっていない。伊井家は古くから伊井谷の領主だったが、駿河(静岡県中央部)を本拠に遠江、三河(愛知県東部)へと支配を伸ばす今川家に従うようになる。甲斐の武田信玄が信濃へ侵攻し、尾張では織田信秀(信長の父)が戦を繰り広げる時代である。直虎が7、8歳になると、男児のいない直盛は従兄弟の伊井直親を婿に迎えることにした。直後、直親の父と、その弟が今川義元に謀反を疑われて惨殺され、直親も信濃の山中に身を隠す。仲良しの許婿が姿を消し、少女はどれほど悲しんだことだろう。世をはかなみ、やがて出家してしまう。出家名は井伊家惣領の名である次郎と法師をつなぎ、俗世に戻れる余地を残した。直親が10年後に井伊谷に戻ったとき、信濃に妻と子があった。直盛は直虎に還俗して正室となるよう求めるが、直虎は強く拒む。井伊家別家の娘が直親に嫁ぎ、待望の男児・虎松が生まれた。井伊家は悲運にみまわれる。永禄3年(1560年)、桶狭間の合戦で今川義元は織田信長に討たれ、直盛も戦死。井伊家を継いだ直親も2年後、今川義元の子・氏真にまたもや謀反を疑われ殺された。虎松はわずか2歳。もう井伊家には男子はいない。直虎は女城主となり、かつての許婿の遺児・虎松を育てていく。戦続きで疲れ切った井伊谷に、氏真は徳政令を発布した。表向きは借財に苦しむ民の救済だが、今川氏に金が入るように仕組まれている。この徳政令を受け入れれば井伊家は井伊谷の支配権を失う。直虎はおよそ2年間、実施を凍結し井伊谷を守るが、圧力に屈して徳政令を受け入れ、城を出た。虎松が15歳を迎えると、直虎は鷹狩途中の徳川家康に引き合わせた。井伊家は家康の正室・築山殿の遠縁でもあり、家康は虎松に直政の名を与えて寵愛。直政は戦ごとに手柄を挙げ、禄を過増されていく。天正10年(1582年)、直虎は泰平の世を願いながら没した。40代であった。直政は聡明さと先陣をきって戦う勇猛さで、家康の家臣随一の禄高を得、「徳川四天王」のひとりに数えられる。関ヶ原の合戦後は近江(滋賀県)佐和山城主となり彦根城の築城を計画しつつ、合戦の傷により他界した。次郎法師直虎が願った泰平が訪れる。徳川幕府による戦乱のない時代は260年ものあいだ続く。この長きにわたる平和は世界史に類を見ない。井伊家は江戸時代を通じて彦根藩主を務め、譜代家臣の筆頭として幕府を支え、幕末は井伊直弼を含め5人の幕府大老を排出して明治を迎える。直虎の奮闘と情愛があってこその永遠のきらめきであった。直虎は男性であり徳政令を受諾した、女人の次郎法師は別人、との説も現れた。徳政令を強要する今川氏が男性・直虎を作り上げなかったかどうか精査しなければならない。(やまな・みわこ) 【文化】公明新聞2017.1.13
January 20, 2017
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彼のダンマは、神にも霊魂にも何の掛り合いはない。死後の生活にしてもそうだ。儀式や祭儀についても関係はない。彼のダンマの中心は人間であり、この世における人間対人間の関係なのだ。これが彼の最初の根本命題である。第二の命題は、人間は悲しみ、惨めさ、貧窮に生きている。この世は苦痛に満ち、この苦悩をこの世からいかに取り去るかがダンマの唯一の目的であり、それ以外の何ものでもない。この苦の存在を認識し、それを取り除く法こそ彼のダンマの基礎であり根拠である。この認識を欠いた宗教はもはや宗教ではない。 【ブッダとそのダンマ】B・R・アンベードカル著 山際素男訳/光文社新書
January 19, 2017
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日本文学者 三浦 佑之律令国家をめざしたヤマト王権は、みずからの支配の根拠となるべき史書「日本書」の撰録を企図した。七世紀後半のことである。歴代天皇の事績を編年体によって記録した「紀」、同時代の祭政や経済・文化、地方の記録などをまとめた「志」、功績のあった人物について録した「伝」、この三つが揃った歴史書を中国では正史とみなすが、その正史「日本書」が、ヤマト王権にはぜひとも必要であった。それ以前の豪族連合政権を脱して、隋や唐に比肩する国家になるために。そして完成したのが、「紀」としての『「日本書」紀』であり、系図とともに養老四年(七二〇)に奏上された。しかし、「志」と「伝」はついに完成することはなかった。ただし、「志」と「伝」の編纂は進められており、その痕跡はいくつも存在する。その一つが、現在、『風土記』と呼ばれる書物であった。和銅六年(七一三)のこと、律令政府が、当時存した六十か国ほどの地方の諸国に対して、地名表示の統一、土地の肥沃状態、物産目録、山川原野の名前の由来、古老が昔から伝える不思議な出来事を書物にまとめて報告するようにという命令を出し、それに応じて提出した公文書が、『風土記』である。残念ながら、今に遺るのは、常陸国(茨城県)・出雲国(島根県東部)など五か国と、のちの書物に引用されて遺った断片的な記事(逸文という)に限られ、多くは散逸してしまった。しかし、多いとは言えないが、これら風土記が今に遺されたために、わたしたちは、古代の日本列島における地方のすがたを窺い知ることができるという点で、きわめて貴重な資料であり、遺された幸運を喜ばねばならない。ここに内容を紹介する余裕はないが、遺された『風土記』を読むと、ほんとうにさまざまな情報が、ごった煮のように詰め込まれている。『常陸国風土記』には、「古老」が伝えた伝承が数多く記されており、『古事記』や『日本書紀』では途半ばで夭折したヤマトタケル(倭建命/日本武尊)が、天皇となって行幸する。『出雲風土記』には、巨大な神ヤツカミヅオミヅノが海のかなたの土地を切り取り綱を掛けて引き寄せ、島根半島を作ったという神話が韻律的な表現によって生き生きと伝えられている。また、『播磨国風土記』を読むと、威厳のある神や天皇が滑稽なピエロのような笑われ者として語られる。一方、『豊後国風土記』には、女性の首長が土地を治めていたという話がいくつも存在する。七世紀から八世紀に至る時代は、日本列島が統一に向けて大きく動いている時代であった。そのなかで、中央に飲み込まれそうな地方と、自分たちの立場を主張しているようにみえる地方記事とが、混ざり合いながら『風土記』に遺されるというのはわたしたちにとってはたいへんありがたいことである。地方と中央という問題は、律令国家の成立とともに生じたのだということも教えられる。(みうら・すけゆき)【文化】公明新聞2017.1.11
January 18, 2017
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コーリヤとシャカとが和解したという知らせはガウタマをひどく落ち着かなくさせた。独りになり、自分の置かれた立場を考え、未だ出家を続ける理由があるかを確かめようとした。何のために一家眷属を捨てたのか? 彼は自問した。私が戦争に反対したからだ。戦争の恐れがなくなったのだから何も問題は残っていないのではないか? 戦争が終わったから自分の問題も自然消滅したのだろうか? 深い反省によって彼は否、と思った。戦争は元々対立なのだ。それはより大きな問題の一部に過ぎない。この対立は王や国同士との間だけではなく、貴族とバラモン、家族間、母と子、子と母、父と子、姉弟間、仲間同士の間で起こっていることだ。国家の対立は時折のものだが、階層間の対立は恒常的で絶え間がない。これこそこの世の悲しみ、苦難の根元なのだ。戦争が元で家を捨てたのは確かだ。しかし戦争が終わったからといって家へ帰るわけにはゆかない。問題は一層深まったのだ。この社会的対立という問題の解決を見出さなくてはならない。従来の既成の思想はこの問題解決にどう答えているのだろうか。かくて彼はすべての思想に挑戦する決意を固めた。 【ブッダとそのダンマ】B・R・アンベードカル著 山際素男訳/光文社新書
January 17, 2017
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ブッダの教えで最初の際立った特色は、あらゆるものの中心に“心”をおいたことである。“心”は物事に先んじ、支配し造り出す。もし“心”を完全に把握すれば総てのことも把握できる。“心”は総ての働きを導くものであり、主人公であり、“心”そのものがその働きでできている。先ず、専念すべきことは心の修練である。第二の特色は、我々の内外に起こる総ての善悪は心が生み出す。悪や悪の関連し悪の属する一切の事柄は心から生じる。善についても同様である。閉ざされた心で語り行動すれば、牛に曳かれる牛車の車輪のように苦しみがついて回る。それ故心が澄み切っていることが宗教の核心でなくてはならない。第三の特色は一切の罪深い行為を避けよ。第四に真の宗教は宗教書ではなくその教えの実践であるとした点である。 【ブッダとそのダンマ】B・R・アンベードカル著 山際素男訳/光文社新書
January 16, 2017
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創価大学 鈎 治雄教授 “現実”から離れる時間も私は、講演会などで多くのお母さま方と触れ合う機会があります。皆さん、子育てだけでなく、家事、パート、介護、地域活動などを、精いっぱい、頑張っておられる方ばかりです。日々のご苦労に本当に頭が下がる思いです。一生懸命ゆえに、ストレスを抱えながら頑張り続けている方もいらっしゃるでしょう。ストレスは一般的に、生活環境などの外的な要因と、個人の性格、ものの考え方といった内的な要因から起きるものとが掛け合わさって、相乗的に生じるものと考えられています。生活環境が大変でも、性格が非常に明るく、くよくよしない人の場合、強いストレスを感じずに生きられることも事実です。だからこそ、個人が外の環境とどう向き合うかということが、大事になってきます。今回は、私なりに考えた子育てのストレス解消法について、5点、紹介します。一つ目は「一人になる時間をうまくつくる」ことです。多くのお母さんは子育てや家事、地域活動等の全てに真面目に取り組んでおられます。とても素晴らしいことです。ただ、真面目というのは見方を変えると、「常に自分と向き合っている」「自分と対決している」状態です。極度に自分と対決している状態が続けば、強いストレスが生じます。自分と対決するのをやめることを心理学では「閉鎖」と呼びます。一人になる時間をつくることです。一生懸命に課題に挑戦しようと励む一方で、適度に“現実”から離れて自分一人になることも、ストレスを上手にコントロールするためにはとても大事です。長時間ではなく、ちょっとした時間でもいいから公園のベンチに座って景色を見る、好きな音楽を聴く、コーヒーを飲むといったことでもよいでしょう。自分の生活スタイルの中で、ごく自然にストレス解消につながることをするのがお勧めです。 頑張った自分にご褒美!二つ目は、頑張ったら「自分にご褒美をあげる」こと。子育てを頑張った後には、映画を見に行ったり、ほしいものを買ったりといったご褒美を与えることを意識してみてください。実際の生活の中では、自分が心から楽しめる、具体的なご褒美を目標に頑張ることが、ストレスの軽減につながります。三つ目としては、現実の生活の中では不満やストレスが、たくさんたまるのが普通ですから、それを「吐き出せる場をもつ」ことです。同世代の方や同じ年齢の子どもがおられるお母さんと、日頃の悩み、つらさを語る。自分の思いの丈を聞いてもらう。つらかったことを吐き出す行為はカタルシス、心の浄化作用になります。自分のことを語ると、気持ちが楽になるものです。 視点を少し先に向ける四つ目は「助けられ上手、甘え上手になるお母さんになろう」ということ。家族や近くの親戚、知人にうまく甘えて子どもの面倒を見てもらったり、自分の時間をつくったりするのです。「子育ては家族の問題だ」と意識し過ぎると、他人に相談できずに、問題を一人で抱え込んでしまうことがあります。それでストレスがたまり、問題がさらに悪化してしまうことも。一人で抱えすぎないことで心が軽くなります。つらいことは、少しでも誰かと共有できるように心がけましょう。ただ助けを求めるといっても、こちらの全ての要求に応じてもらおうとするのは適切ではありません。10の要求のうち、1か2を聞いてくれたら、理解できる人だと捉えることも大事だと思います。五つ目として「子育てに完璧を求めない」ことです。プロのアナウンサーも時には原稿を読み間違えます。超一流のフィギュアスケーターでもジャンプを失敗することが何回もあります。子育てでも失敗がたくさんあるのが当たり前です。ただ、失敗ばかりに目を向けないで、少し先を見ていただきたいのです。近くのものばかり見ていると、目が疲れるでしょう。だから、ちょっと遠くを見るのです。目の前の問題ばかりに気を取られるのではなく、少し先を見据える視点があると、心は軽くなります。楽観主義は、未来志向から生まれます。ちょっと先を見つめる心がけです。そこから希望も生まれるのです。 【教育】聖教新聞2017.1.8
January 15, 2017
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現代の組織では、この“友情による相乗効果”がなかなか生まれにくくなってきた。しかし、あらためてそういうものをつくりだす人望力も、新しいリーダーシップの一つではないかと思っている。それはなぜかといえば、人を育てる場合に、育てる側自身が常に自己の向上に努力しなければならないからだ。いってみれば、「生涯学習」を絶やさないということである。ところが、人を育てる側にまわると、なかなか自分の未完成部分に気がつかない。つまり人を育てているから、ともすれば、「俺はパーフェクトだ」と思い込む。そうなると、自分の長所ばかり目について、短所に目が入らない。自分を向上させる努力を怠るようになる。ほんとうは、そういうことを続けていれば、育てられる側が気がついて、(このリーダーはだめだ)と思うようになってしまう。そうなると育てる側がいきり立って、(こいつはしだいに俺のいうことを聞かなくなってきた。生意気だ)と思い込む。せっかく良好な関係にあった育てる側と育てられる側の関係にヒビが入り、しだいに亀裂を生じる。やがて大きなミゾができ、両者は完全に隔たってしまう。いってみれば、育てられる側が、「育てる側離れ」をしてしまう。ところが育てる側は反対に、「育てられる側離れ」をしない。いつまでも執拗につかまえていて離さない。親と子の関係も同じだ。子のほうは、どんどん“親離れ”をする。ところが親のほうは、いつまでたっても自分の子どもを、幼い時代のことを一つの基準にして、「生意気なことをいったって、この子はしょせんは私の子だ」と思い込んでいる。つまり、子ども側の“親離れ”のスピードに、親側の“子離れ”なかなかついていけない。これが親と子の意思疎通を欠き、しだいに両者の間が険悪になっていく要因だ。私がここで、「よい友人に恵まれることは、互いに能力の掛け算が行われる。すなわち相乗効果が出る」というのは、このへんのことが頭にあるからだ。つまり、よい友人をもつということは「自分でまだ気がついていない自分」に目を向けさせてくれるということだ。仲間たちと議論し、いろいろ志を語り合うことは、「自分を客観的に見直す」という機会がたくさんあるということだ。つまり議論をしていて、相手にやられ、相手のいうことがもっともだと思ったときは、改めて自分のいたらなさに思いが至る。そうなると、(もっと学ばなければならない)という気持ちが起こる。それが、自分の不完全さに気がついたということだ。また同時に、友人を論破したときは、(俺にも、俺自身でまだ気がつかなかったこんな能力があったのだ)という自信がわく。これはある部分について、新しい発見をしたということだ。 【「人望力」の条件】童門冬二著/講談社+α文庫
January 14, 2017
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米クリンストン大学 名誉教授 リチャード・フォーク博士 グローバル化はさまざまな変化をもたらしましたが、その一つは「格差」です。経済成長の恩恵は不平等に分配され、市民と経済エリートの間には、明確な摩擦が生じています。それとは対照的に、2点目として、グローバル化は文化間・文明間の差異を打ち消し、ある種の“同一性”も、もたらしました。(略)その反動として、差異を認めてほしいとの表現が爆発し、ナショナリズムの運動などに形を変えています。つまり私たちは、一方ではアイデンティティーの喪失、他方ではその復興という矛盾を目の当たりにしているのです。最後に挙げたいのは、かつてないほどの資本と労働力の移動です。これにより、とりわけヨーロッパや北米では、近年、移民と居住者の間で摩擦が生じています。◇歴史を見れば、宗教は非人道的側面も備えているのが分かります。今日の宗教的過激主義は、その典型的な例でしょう。多くの人々は、それが信仰の正しい表現であると錯覚しテロリズムと狂信をもってしか、真理への到達と救済はなされないと考えています。未来の世界は、宗教善の可能性を育んでいく必要があります。その善性に開花してこそ、地球を守る道徳的価値の萌芽があるからです。◇とりわけ私は、個人主義を重んじる西洋社会において、対話の必要性を感じます。近代化と啓蒙思想を経て、科学技術と理性に価値が置かれ、西洋人は宗教や国家から離れていきました。コミュニケーションの文化が失われ、家族の絆が弱まったのは、なんら驚きではありません。対話がもたらす最高の“贈り物”とは、相手の話を聞くことにあると私は思います。そこでは、たとえ相手の意見が異なろうとも、その型に自分を“はめる”必要はありません。大切なのは、他者の悲しみを理解することなのです。人間には本来、積極的に他者とかかわる能力があります。子どもが、家族の中で自然と対話の力が身に付けているようなものです。宗教や思想を超えた対話は、その「家族」の枠を延長していく挑戦であるといえるでしょう。◇世界の人々が責任を持って、核兵器廃絶への取り組みを政治のアジェンダ(行動計画)に載せていくことが大切です。それが最初のステップであります。SGIの運動は、そうした取り組みに重要な貢献を果たしてきました。核廃絶への容易ならざる挑戦を前に、私たちは、不確実な現実を受け入れ、遠い未来への“保証”はないことを知るべきでしょう。成功が保証されているから前進するのではなく、自らの努力が正しいとの確信を糧にして、行動を続けなくてはならないのです。チョウの羽ばたきが、はるか遠くて竜巻を起こす“バタフライ効果”という概念があります。これに倣えば、どんなに小さな善の行為も、平和への大きな連鎖を起こしゆく因となりえます。行動しているその時には、その変化には気づかないものです。平和の責任を真に担い立つ人は、目先に変化が表れなくとも、決して落胆しない忍耐の人であるといえます。その人の胸中には、高潔な理念の行動が慈愛に満ちた世界を築くとの、確固たる確信が輝いているのです。 【グローバル・インタビュー「世界の識者の眼」】聖教新聞2017.1.7
January 13, 2017
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実践に移す強い生き方大聖人の御生涯は、行動につぐ行動であられた。「但し法華経計り教主釈尊の正言なり」(御書188頁)との法華経への「信」は、一切衆生を救済しゆく「行」へと表れていった。そして、経文通りの迫害に遭われる中で、いっそう「信」を輝かせていかれたのである。大聖人にとっての「信」は、「行」と双輪をなすものであったと思う。私たちにとっても、確信を深めるためには、実践が欠かせないことを心に銘記したい。誤解を恐れずに言えば“「行」なくして「信」なし”と、あえて強く訴えたい。「御義口伝」にも「帰とは我等が色法なり命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり」(同708頁)とあるように、「帰命」には、色法と心法の両面がある。すなわち、信じること(心法)と、実践すること(色法)の両面があってこそ「帰命」となる、と拝することができようwさらに大聖人は「白米一俵御書」で、「帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」(同1596頁)とも仰せになり、過去の聖人・賢人が、身命を仏に捧げてきた例を挙げられている。そして、凡夫においては、「志ざしと申す文字を心へ(得)て仏になり候なり」(同頁)と述べられ、「着ているたった一つの衣服を法華経に供養するのが、身の皮をはぐことなのである。飢饉の世に、これを供養したら今日の命をつなぐ物もない時に、その唯一の食物を仏に供養することが、身命を仏に奉ることなのである」(同1597頁、通解)と、「帰命」の具体的実践を示されている。帰命とは、志を持ち、苦難に負けずに広布のために行動すること————これは、供養の精神を讃えられた個所ではあるが、大変な中でも友のために奮闘する学会員の実践が、身命を仏に奉る姿であり、「帰命」の姿勢であることを示しているとも拝される。友のため、広宣流布のために、何でもやろう————この学会員の心意気と行動の中に、真の帰命はある。ゆえに学会員は、わが可能性を十全に発揮することで、何でも乗り越えてしまうのだ。さらに大聖人は、「法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心の二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」(同1213頁)と、色心の二法で法華経を受持していく重要性を述べられている。特に「心はよめども身によまず」の一節は、観念で受持していく(信じているだけで実践がない)のではなく、実践的に受持していくのだと示されている。そこにこそ本当の「信」があるのだと教えてくださっているように思えてならない。以上、考察してきたが、結論として訴えたいことは、「自他共の可能性を信じ抜く学会員の覚悟こそ、人生を開く、尊く美しい不屈の生き方である」ということだ。世間から見れば、“祈ったところでどうなるのか”と思えるかもしれない。しかし、学会員は、環境がどうえれ、状況がどうあれ、“必ず乗り越えてみせる”と、自らの可能性を信じる。そして、敢然と行動に移していく。その姿に、人間としての強靭さ、崇高さを感じてならない。最後に、アランの言葉を借りて、学会員の尊い生き方を友に語り抜く決意としたい。「信仰のない精神(ひと)たちはたくさんいる。それは外に支えをもとめる、弱いひとたちである」「確かに、信仰をもっていれば、道が拓けるとはいえない。しかし、どんな道も、君がまず、信仰を持たなければ、拓かれることはない。これは確実である。信仰をもたないのは、戦いながら敗れていることだ」(前掲書) 【論RON——日蓮仏法の視点から】創価新報2016.10.5(おわり)
January 12, 2017
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「命を尽くすとも悔ゆることなし」なぜ法華経が、ここまで「信」を強調しているのか。池田先生は語っている。「生命の次元で言えば、法華経の目的は生命の根本的な無知、すなわち『元品の無明』を断ち、『元品の法性』すなわち“本来の自己自身を知る智慧”に目覚めることにある」「ところが、これは生命の最も深層にあるゆえに、より表層にある理性等では開示できない。それらを含めた生命の全体を妙法に向かって開き、ゆだねることによって、初めて“仏性”“仏界”は、自身の生命に顕現していくのです」(『池田大作全集』第29巻)この指導に、「信」が持つ底力が表れていると、強く心を打たれた。すなわち、“妙法を信じよ”との呼びかけは、「人間よ、自身の無限の可能性に目覚めよ。不可能の壁を超越せよ」ともいうべき仏の慈悲の叫びなのだ。人は、苦悩に直面したり、苦境に立たされたりすると、自分の可能性を疑ってしまう生き物だ。“もう無理だ”“私には不可能かもしれない”との臆病、弱気が心を覆い、本来の力を発揮できない時もあるだろう。そんな時に、「私には御本尊がある!」と奮い立ち、祈りを根本に立ち向かうことができる学会員は、難と幸せか。それは、「御本尊を信じる」即「自分自身を信じる」という、気高き信仰の実像である。そしてその結果、苦難を乗り越えていった体験は、数知れないのだ。さらに、「信じる」の究極ともいえる姿勢が、「南無」という覚悟の生き方であると、強く訴えたい。「南無」とは、古代インドの言葉「ナマス」「ナモー」の音に、漢字を当てはめたもので、「帰命」とも訳される。帰命とは、端的にいえば「根本にする」ことであり、身も心も帰依することである。この意義を、天台は「命を以て自ら帰すべし」と述べ、妙楽は「命を尽くすとも悔ゆることなし」と記している。いわば、私たちの唱題行とは全生命、全存在をかけた戦いであり、可能性への不信を打ち破る大音声なのである。そこには、失敗への恐れも、無駄な後悔もない。これほど覚悟の決まった潔い生き方はないと、誇りをもって叫びたい。自省も込めて言えば、日々、「これで悔いなし!」と断言できるほど、祈れているだろうか。凡夫の浅知恵で物事を判断し、“唱題しても無駄かもしれない”と、中途半端な祈りになっていないだろうか。本当に「帰命」の唱題ができているのかと、常に自身に問いかけていきたい。【論RON——日蓮仏法の視点から】創価新報2016.10.5(つづく)
January 11, 2017
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「信」を強調する仏法の教え仏教では、言うまでもなく、「信」を重視する。「信」とは、サンスクリット語の「シュラッダー」、もしくは「プラサーダ」の訳語で、仏陀の教えを信ずることによって、心が清らかに澄みわたることを指している。「シュラッダー」の「ダー」は「置く」という意味の語に由来するとされ、「シュラッダー」は「信を置く」「信を起こす」との意味になる。ゆえに、仏道修行の最初に位置づけられる。『大智度論』には「仏法の大海は信を能入と為す」とある。また、「進とは心をして澄浄ならしむ」(倶舎論)、「信は道の元、功徳の母と為す」(華厳経)との文もある。『大乗起信論』には、「信を説くに四種あり」として、三宝を対象とした「信」が功徳のもととなると説かれている。仏が悟った真理は、当然、凡夫にとっては理解し難い。考えも及ばないような仏の広大な智慧は、どれだけ修行を重ねてもつかめないかもしれない。ゆえに「信」への促しは、偉大な教えの敬虔な心を持ち、求道の心を起こさせるための第一歩だったのではないだろうか。特に法華経は、智の力で成仏を開くのではなく、「信」の力で仏道に入ることを強調している。譬喩品では「汝舎利弗すら 尚此の経に於いては 信を以て入ることを得たり」(法華経197頁)と、「以信得入」を説いている。妙法は、不可思議な甚深の法である。法華経での釈尊の第一声は、「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・ひゃく支仏の知ること能わざる所なり」(同106頁)であった。しかも、「智慧第一」と称された舎利弗が成仏に対しての言葉である。その舎利弗が成仏の道を開くことができたのは、「信」の力によるというのだ。日蓮大聖人は、「以信得入」の経文を通し、「法理をもしらず煩悩をもしらずといえども只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて実報寂光の台(うてな)にのぼり本有三身の膚(はだえ)を磨かん事疑いあるべからず」(御書499頁)と仰せである。智解ではなく信解によって成仏するのが法華経の教えだ。言い換えるならば、理解を超えたものを実感として捉えていく源こそ「信」なのである。「御義口伝」にも、「一念三千も信の一字より起るなり」「信は智慧の因にして名字即なり信の外に解なく解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」(同725頁)とある。成仏の根本法理である「一念三千」の力は、「信の一字」によって起こる。成仏の種子もまた、「信の一字」に具わっている。「此の本法を授受するは信の一字なり」(同751頁)とも仰せの通り、“法華経を受持する”といっても、「信の一字」が肝要なのである。私たちに即せば、御本尊への確固たる「信」が、一念三千の力用を顕していく源泉であるといえよう。【論RON——日蓮仏法の視点から】創価新報2016.10.5(つづく)
January 10, 2017
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信じたら損しそうなものへの懐疑「信じるものは何ですか?」という調査を目にした(博報堂生活総研「生活定点」2014年調べ)。「愛」「お金」「運命」「宗教」等の10項目に対し、信じるか信じないか、アンケートをとったものだ。特筆すべきは、「〇〇を信じる」という割合が、20年前の調査(1994年)と比べて軒並み下落している点だ(人の善意、愛、運命、霊魂、来世、宗教、超能力)。「宗教を信じる」に関しては、22.9%。初回(92年)の調査と比べると、全体として12.6%も下がっている。特に20代女性の割合は最も低く、13%である。日本人の宗教に対する嫌悪感や偏見がうかがい知れる。一方、「学歴」「お金」「占い・おみくじ」を信じる割合は上がっている。この調査結果から、目に見えるもの、世間で役立つもの、都合のいいもの以外は信じないという傾向が見て取れる。また、宗教は信じないが、占いやおみくじは信じるという結果に、そもそも「信じる」という言葉のニュアンスが曖昧で言葉の軽重の違いが存在している面も指摘できる。「宗教を信じる」ことは「重い」が、「占いを信じる」ことは、まるでファッションのような「気軽な」なのではないだろうか。だから“信じている”占いに裏切られたところで、大したダメージはないのだ。不安定な世の中でもあり、「ミスをしたら終わり」のように思えてしまう社会(実際はそんなことはないのだが)にも、当然、問題の一端はある。それが、物事に対する慎重さを生み、“信じたら損しそうなもの”に対して、斜に構えてしまうことも理解できる。大前提として、何でもかんでも信じることが良いことではないのも事実だ。人を利用し、陥れようとする悪人や宗教に騙されてはいけない。非科学的なものへの狂信も、理性と人格を失わせてしまう恐れがある。ここで指摘したいのは、そうした一部の悪弊が、人間性を高めてくれるものへの「信」をも奪っている、という点である。いかなる時代でも、正邪を見極める眼を持たなければならないと痛感する。【論RON——日蓮仏法の視点から】創価新報2016.10.5(つづく)
January 9, 2017
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男子部教学室主任 早川 公貴 哲学者アランは、信仰について述べている。「まず信じなければならない。証拠をもとめる前に信じなければならない。なぜなら、何も信じない者に証拠などありようがないから」(神谷幹夫編訳『生きること 信じること』岩波書店)。“信じぬ者に証拠なし”————アランの喝破は、信仰に限ったことではない。自身の可能性や将来、人の心や励ましなど、何かにつけて「信じられない」という人は、自身の底力を発揮できす、人生の深さも味わえない。本稿では、仏法における「信」のあり方を通し、学会員の覚悟の生き方を訴えていきたい。 整合性を重視する青年時代過度な期待を持つことを諦め、“それなりの生活を送ることができればそれでよし”とする人生観が青年層に広がっている。情報が豊富で知識があるため、合理性を重視し、無駄な努力を避ける。効率的に物事を進める一方で、不確かなものは信じない————。一概に「悪い傾向」とは言い切れないし、そういう生き方を否定するつもりもない。その上で“もったいないなあ”と思ってしまう。「信じる」ことから、新たな可能性や未来は開けていく————私はそう信じている。何かを信じて全力を尽くした結果、自分でも分からなかった可能性や将来が見えてくるからだ。それが経験となり、人生や人間性に深みが増してくるからだ。しかし、「信じる」という“行為”が、ハイリスク・ハイリターンであると思ってしまうのか、挑戦しようという姿勢がなかなか現れない人が増えているように感じる。“信じていたものに裏切られるくらいなら、初めから信じない方がいい”“努力しても報われないなら、やらない方が賢明だ”と判断し、傷つくことを恐れて行動しない。“人生のエコ化”ともいうべき風潮が、じわじわと蔓延している気がしてならないのだ。若者研究科の原田曜平氏は、こう語っている。「苦労は、その時は無駄のようですが、後になれば、それがあっての自分だと感じられるものです。その時にこそ本当の喜びが得られるはずです。未来は若者にかかっています。『さとった風』ではなく、積極的に真の喜びをつかむ人生を送ってほしいと思います」(聖教新聞2014年1月11日付)。全く同感だ。【論RON——日蓮仏法の視点から】創価新報2016.10.5(つづく)
January 8, 2017
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善知識は、いろんな立場を取り得ると思います。雲雷音宿王華智如来は、《如来に会うことを勧める人が、善き友である理解するということ、これは大変に重要な条件である》と語っています。【ほんとうの法華経】橋爪大三郎・植木雅俊著/ちくま新書
January 7, 2017
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生と死と————永劫に生死流転する無常なる生命。しかし、その深奥に常住不変の大法を覚知した一人の聖者がいた。釈尊である。菩提樹の下、暁の明星がきらめくなか、生命の心理を開悟した彼は、苦悩する民衆の救済に決然と立ち上がった。その胸中の泉からほとばしる清冽なる智水は、仏法の源流となってインドの大地を潤していった。釈尊の教えは、月光のごとく心の暗夜を照らして東南アジア各地へと広がり、北は中央アジアからシルクロードを通って、中国、韓国・朝鮮半島を経て日本へと達した。彼の教えの精髄は法華経として示されるが、末法の五濁の闇に釈尊仏法が滅せんとする時、日本に日蓮大聖人出現。法華経に説かれた、宇宙と生命に内在する根本の法こそ、南妙法蓮華経であることを明らかにされた。そして、その大法を、御本仏の大生命を、末法の一切衆生のために、御本尊として御図顕されたのである。「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)そめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意はは法華経なり日蓮が・たましひは南妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(御書1124頁) 【新・人間革命「源流」54】聖教新聞2016.11.4
January 6, 2017
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「TALK&トーク」代表取締役 野口 敏 人が雑談をするのはストレス解消という意味もあります。私たちは仕事や家庭の中で、小さなストレスにまみれて暮しています。それをどこかで吐き出してしまわないと、心が疲れてしまうのです。「今日の営業先の人が苦手でね」とか「課長にまた文句を言われたよ」と言うことで、ストレスを外に出しているというわけです。この時に聞き役の人の立場は重要です。「うちの家内は金遣いが荒くってさ」と言われた時に、つい「お金の管理はあなたがしたらいい」などと解決策を示してしまいそうになりますが、それは決してしてはならないことです。話し手の望みは、心に詰まった苦しみや迷いを言葉にして吐き出すこと。だから愚痴をこぼされた時の最善の対処法は、「うわあ、それは困ったね」と気持ちを分かってあげる言葉を送ってあげることなのです。解決策を示されても、心に詰まったストレスは解消されません。これは男性がよくやってしまうミスで、相手を閉口させてしまいます。愚痴や他愛もない話には、解決よりも相手にしゃべらせてあげる、吐き出せてあげるという気持ちで対応すると、話も弾んで相手も喜んでくれます。例えば、「それはこうしたらいいんだよ」ではなく、「へー、そりゃ困ったね」でいいということです。女性たちが電車やファミレスで、ああでもないこうでもないと結論の出ない話を延々と楽しげに交わしている光景を見たことがあるでしょうか。男性の中には、あの姿を見て「女っていうのは意味のない話ばかりして」と見下す人もいます。実は、女性は意味のないような話をしつつ、ストレスを発散しているのです。よく考えてみると、総じて女性の方が楽しそうで、しかも健康を長く維持しています。これはストレスの発散方法が男性よりも優れている証だと思います。雑談は意味がないからこそ楽しいものです。愚痴は言わないと決めている昭和の男もまだまだ多いことと思います。しかし、それでは心が疲れてしまうはずです。「仕事はしんどいな」「ほんとに」「やってられないよ」「金があればすぐに辞めてやるんだけど」「そうだな(笑)」とこんなことでOK。職場や居酒屋でぜひお試しください。 【すぐに使える!「盛り上がる雑談術」】公明新聞2016.11.3
January 5, 2017
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男子部教学室次長 星田剛秀 ここ数年、「多様性」という言葉をよく耳にするようになった。一方、現代社会での「生きづらさ」を感じる人も少なくない。多様性が進み、個性が生かされる社会になれば、生きづらさは解消するのか————日蓮仏法の視点から、この難問を解く鍵を考えたい。 生きづらさを抱えた人々ある人気作家の著作で、人の心を開く“魔法の言葉”が紹介されていた。それは「大変だね」「〇〇で大変でしょう?」という声かけである。「大変ではない」と感じる人は一人もいない。「頑張っていない」と思っている人も一人もいない。だから、「大変だね」と伝えることで、相手は「自分の大変さに共感してくれる」と感じ、心を開きやすいのだという。現代は、皆が「自分は大変だ」という思いを抱えている。社会の利便性が向上しても、何か生きづらさを感じているのだ。多くの企業がダイバーシティ(多様性)を標ぼうするようになった。背景には、性別、国籍、障がいの有無などにかかわらず、多彩な人材を雇用することがよいサービス創造につながり、企業利益になろうかという考えの浸透がある。グローバル企業のサイトを開けば、自社がいかに多様性を重視しているのかをアピールする言葉が目につく。確かに日本社会は「多様性を尊重する社会」に変わってきている。男女問わず仕事と育児が両立できる道を探るなど、多様な選択肢が増え始めている。多様性を尊ぶ社会とは、「生き方」が多様になる社会といえよう。しかし、こうした風潮が広がる社会にあっても、生きづらさを抱えて人がいる現実がある。それは、これまでの社会では「一般的」ではなかった生き方を歩む人たちだ。シェアハウスで友人と暮らす人。未婚で子育てをするワーキングマザー。同性のカップル。生まれた時の性とは別の性を選んで生きる人……状況はさまざまであり、決してひとくくりにはできない。生きづらさを抱える社会的な原因は、広く政治・経済にも及ぶ。しかし、多様性を支えきれない背景には、人がふだんは意識していない「思想」や「価値観」が横たわっているのだろう。それは無意識である分、根深いだろう。 人生の「正解」はどこに?本人が選ぼうとする人生は、世代の違う親が手放しで喜ぶ生き方とは違うかもしれない。理解すらなされない場合もある。見知らぬ生き方であるため、お手本が少なく、周りの理解も得づらい。ゆえに世代の間で、人との間で、戸惑いや誤解が生まれるのだ。「そういう生き方もある」という周りの後押しが得られない中で、もがく人たちがいる。彼ら彼女らが多様性社会で幸福に生き抜く選択をするためには、何が大切なのだろうか。まず、仏法では多様性を重んじる教えが数多く説かれていることを確かめておきたい「御義口伝」には「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば」(御書784頁)という有名な一節があり、法華経には「三草二木の譬え」(薬草喩品第5)がある。仏の教えは、名前も形も生えている場所も違うさまざまな樹木や薬草(三草二木)に、平等に降り注ぐ雨のようなものである、という。この譬喩について池田先生は、「しかし、それは仏の側から見た本質であって、衆生の側からは、この功徳は分からない。草木の性質や大小によって、受けとめる雨の量や効用が違うように、仏はただ一仏乗を説いているのに、衆生の受け止め方が違うのです」(『池田大作全集』第29巻299頁)と語られている。現実に、具体的に多様性を守ろうとする時、社会にはさまざまな偏見が立ち現れる。私たちの多くは10年以上学校に通い、教師の授業や人間的な交流を通して、多様な知識と価値観を学び、知恵を開発してきた。ただ、学力を判断する試験は「正解」を書くことが求められるため、少し極端な言い方になるが、問題の「正しい答えは一つ」と思い込んでしまう部分もあった。与えられた複数の選択肢の中から正しい一つを見つけられれば「正解者」になり、褒められた。勉強して学べば正解は見つかるし、分からなければ学校の先生に聞けば教えてもらえた。しかし、学校を卒業して気付くのは、「正解は一つでない」という事実。特に「どう生きるか」という問題は、人の数だけ正解があることを知る。人は皆、個性の違う別個の存在である。だから、ある人にとっては「正解」の生き方でも、別の人にとっては正解ではない。聖教新聞の記者として多くの方々に取材する中で、この「当たり前のことなのだが、実際の生活の中では気付きにくい実例」を数多く教わった。“ビリギャル”で知られる坪田塾の坪田信貴氏の話を聞いたときもそうだった。坪田氏は短時間で子どもの学力を上げる手法で人気だ。親から受ける相談で多いのが、「上の子は聞き分けがよく、勉強できる。でも、下の子は言うことを聞かず、勉強もしない。同じように懸命に育てているのに、なぜうまくいかないのか」といった悩みだという。当然ながら親と子であってもタイプは異なるし、きょうだいでも違う。だから「同じように」ではなく、タイプに合わせた接し方をしなければならない。しかし、頭ではそう理解していても、知らず知らずのうちに同じ「型」で捉えて、接してしまいがちなのだ。なぜ、人は他者を画一的に捉えてしまうのか————。さまざまな面から指摘できるが、一つには、その方が楽で、コミュニケーションのストレスが減るからだろう。画一的に見る怖さは、自分と同じ生き方を歩むことが「あなたの幸せになる」という考えに陥りやすい点にある。「あなたのために言っている」と愛情をかけているようで、人生の正解を決めつけてしまい、場合によっては「私が案内する道を歩まなければ不幸になる」と押し付けることになりかねない。当人の主体性を抑え、支配することに通じてしまう。 「自らの命に生きよ」さまざまな価値を持った他者との「つながり」が社会である。その中で、他者が示した「正しい生き方」という理想像に、自らの幸せを合わせることが正解のように思いたくなることもある。目から鱗が落ちたのが、戸田先生の「自らの命に生きよ」という文章だった。「……貧乏で悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦喧嘩をして悲哀を味わうのも、あるいは火ばちにつまずいて、けがをするのも、結局、それは皆自己自身の生活である」「すなわち、自己自身の生命現象の発露である。かく考えるならば、いっさいの人生生活は、自己の生命の変化である。ゆえに、よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいくということが大事ではないか」「されば、自己自身に生きよ……いや、自己自身に生きる以外にはないのだ、ということを知らねばならない」自分の生き方の正解は、たとえ他者が参考になる何かを伝えることができても、学校のように、答えそのものを教えることはできない。自分の内から湧き出てくる声を捉え、自覚するしかないのだ。他者に正解を求めたり、他者の評価を頼りにしたりするものではない。「あの人が、こうしてくれればよいだとか、この世の中がこうであればしあわせなのだといって、他人に生き、対境(外にある対象)に生きるということは間違いではないか」「しかし、人間の力というものは弱いものである。自己自身に生きていると、いかに力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものなのである」戸田先生は「他人に生き、対境に生きるということは間違いではないか」とされる一方、人間は「他人に支配され、対境に支配されやすいものなのである」と、その性質を指摘されている。誰からも支配されず、また他者を支配せず、自己自身に生きるための生命力を引き出し、生きがいのある所願満足の人生を送る方途。それが創価学会の信心である。「よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいく」生命力を、仏界という。日蓮大聖人は、誰もが例外なく仏界を開くための修行の対境として、御本尊をしたためられた。「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裏(つつ)み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(御書254頁)「一念」とは、私たちの瞬間、瞬間に目まぐるしく移りゆく生命のことである。一念三千は、この一念の「瞬間」に、三千の諸法、すなわち、「宇宙の森羅万象」(全ての現象、働き)が具わっているとする法理だ。この法理により、生命の特徴を捉えることで、仏界を涌現できる筋道が明らかになった。そして、私たちは御本尊を強く信じて祈ることで、ふだんの生活の中で「やすやすと仏になるべし」(同554頁)との道が開かれたのである。「但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずソ法なり」(同383頁)と仰せのように、仏界を開く鍵は己心にある。自分自身が妙法であり、仏なのだ。そして、自らが法の体現者であるからこそ、自身の中に必ず正解がある。仏法には「自らを拠り所とし、法を拠り所とせよ」という「自帰依、法帰依」の教えがある。池田先生は、この教えについて、私たちにこう語られた。「釈尊入滅後、頼るべきものは、何か。それは、己れ自身であり、釈尊の説いた法そのものである。それ以外にはない。己れ自身というのは、少し頼りにならないのではないかと思いがちだが、そうではない。ここに、釈尊が弟子の望んだ、最も厳しい修行者のあり方、主体的な責任というものが、よくあらわれているのです」(『池田大作全集』第12巻203頁) 何のために生まれたのか御本尊への強き信が仏界を涌現させ、他者と外部環境との調和を図りながら、「自らの命に生きる」ことを可能にする。そのことを前提にした上で私はもう一つ、生命力を強くする源として「使命の自覚」があると強調したい。創価学会には、多様性社会のはざまで生きながら、喜々として広宣流布に励む同志が無数にいる。皆の心には「自分の抱えてきた悩みは、広宣流布のための使命だ」という強い誇りがある。「同じ悩みを持つ人の力になれるように、自身を磨き、実証を示したい」という決意がある。大聖人は自身を「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(御書1359頁)と言われ、地涌の菩薩の使命を担って出現したとの自覚を深められた。「地涌の菩薩」は法華経の中でも重要な菩薩である。釈尊のもとで末法弘通を誓い、あえて最も厳しい時代である末法に生きることを選び、宿命を転換するなかで正法の偉大さを証明しようとする存在だからだ。大聖人は、自身が「地涌の菩薩である」だけでなく、題目を唱えるならば、その人もまた地涌の菩薩であると訴えられた。「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女きらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(同1360頁)門下に「あなた方は地涌の菩薩だ」と強調されたのは、この「自覚」こそが、自らの五体に妙法を顕現する鍵だからだと考えられる。命に及ぶ迫害が続く門下にとって、「私たちは正法流布のために生まれてきたのだ」と示されたことは、どれほどの勇気になり、希望になったことか。池田先生は、この地涌の菩薩の自覚を「使命のない人はいない」という誰もが分かる言葉で現代的に表現され、私たちが広宣流布に生きる偉大な使命を持って生まれてきたことを、何度も教えてくださった。「自分は何のために、この世に生まれたのか。何をこの世でなすべきか。それを衆生に気づかせるために、仏は出現したのです」(『池田大作全集』第29巻355頁)と。この私は、何のために生まれたのか————生きづらい思いを抱える人は、より深く、より強く「問う人」でもある。そして、この私は何のために生きるのか————「根源的な問い」を持ち、その答えをつかんだ時、人は強靭な生命力を引き出し、自らの命を燃焼させて進むことができる。使命の自覚は、他者がコントロールすることはできない。と同時に、自分ひとりの力で気付いたり、選択したりできないものである。さまざまな縁に触れ、特に人と人との触れ合いの中で、自らの内奥から湧き出てくるものだ。創価学会の座談会には、自身が「地涌の菩薩」と自覚した同志が集まる。そこでの語り合い、触れ合いそのものが、使命の自覚や再認識につながっている。自分にとっての善知識(仏道修行を支える存在)に会い、自らもまた誰かの善知識になる。使命の自覚を促すきっかけになる。このかけがえのない縁を結ぶ創価学会こそ、人間の多様性を「生命の次元」で守り抜く力がある。「正しさ」に迷う時代だからこそ、生きる意味を自らつかみとる契機となる「生命と生命の触発の場」がいかに大事かを痛感してならない。 【論RON——日蓮仏法の視点から】創価新報2016.11.2
January 4, 2017
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“ヒバクシャ”の中には徴用・徴兵で広島に強制移住させられた朝鮮半島出身者がいる。戦後、1万人以上が帰国したが、日本に渡ったために「母国の裏切り者」と非難され、被爆の事実を隠し、後遺症に苦しんできた。 韓国・慶尚南道のハプ(コザトヘン+夾)川郡。“韓国のヒロシマ”ともいわれ、今も600人以上の被爆者が暮らす。本年8月、同国で初めて被爆2世の養護施設が開設。惨劇を風化させまいとする被爆2世の戦いは続いている。 毎年8月6日、平和公園の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に祈りをささげる広島の婦人部員がいる。釜山生まれの父は爆心地から1・7キロで被爆。自身も“被爆2世の韓国人”と差別された。そんな時、小説『人間革命』第1巻と出あう。一国の宿命をも転換する生命哲学。彼女は「堂々と生き抜こう」と決めた。入会後、韓国名に戻し、父に弘教。今、平和の心を後継に語り継ぐ。 先月14日、世界平和の尽力をたたえ、韓国・ハプ(コザトヘン+夾)川郡から池田SGI会長に「名誉郡民賞」が贈られた。その陰に、原爆犠牲者の慰霊式典の支援や平和展示など、韓国SGIの地道な取り組みがあった。 「日本にとって韓国は『永遠の隣人』」とSGI会長。その友好と平和の心を継ぐ創価の同志。師弟の信念と行動が、崩れぬ信頼を築いている。 【名字の言】聖教新聞2016.11.1
January 3, 2017
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国際医療福祉大学教授 川上 和久 東日本大震災の傷は、まだ癒えていない。宮城県石巻市立大川小学校で、震災の津波で児童74人と教員10人が死亡・行方不明となった事案で、児童23人の遺族が市と県を相手取り23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は10月26日、市と県に約14億円の支払いを命じた。学校の管理下にある児童の命を守るため、教職員には注意義務が求められるが、これまでもさまざまな判例がある。1977年、都立航空高専山岳部のパーティーが長野県中央アルプス駒ヶ岳で雪崩に襲われ7人が死亡した事案では、最高裁が90年、「教師は事故を防止すべき一般的な注意義務を負う」「引率教師が通常の注意を怠らなければ、雪崩の危険を十分予見できた」として、都に計約4億2000万円の支払いを命じた高裁判決を支持した。96年 大阪府で高校生がサッカー大会の試合中、落雷に遭い失明した事案では、最高裁が「暗雲が立ち込め、雷鳴が聞こえた状況から、危険が迫っていることは予見できた」とし、差し戻された高裁が2008年、約3億円の支払いを学校などに命じた。今回の訴訟でも、遺族側が「教員は児童の安全を最優先すべき規範的立場にあり、安全を守るため専門知識や判断力が求められる」と主張したが、災害などが生じた際、どうやって預かっている子供たちを守れるか、より高度な危機管理能力が求められることになる。津波が発生した時、川や海に近づかず、高い所に非難すべきだというのは一般的な認識で、現に、岩手県釜石市では防災教育が徹底していたことで、子どもたちが避難することができた。残念ながら、失われた命は戻らない。ご遺族の方々も、その死の辛さを乗り越えて、こういったことが二度と起こらないように、との思いで訴訟に踏み切ったのだろう。今回の判決を奇貨として、それぞれの地域の学校で、地震や火災、津波、さらに不審者の侵入など、あらゆる事態を想定して、その学校の状況に応じた「防災・厳災のあり方」を再考したい。 【ニュースな視点】公明新聞2016.10.31
January 2, 2017
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祈りは自我の確立のためにある。劣等コンプレックスを、放置しておくと、自我の崩壊につながる。肝心なことは、自身の強い精神の中に苦難を克服するカギがあるのだ。信仰はその対照に丸投げするものではない。それでは、単なるまじないの儀式になるからだ。強い自身を築くためこそ、信仰の真の目的になるのだ。2017.1.1
January 1, 2017
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「ブルータス、お前もか」の台詞で知られるシェイクスピアの傑作『ジュリアス・シーザー』の最大の見せ場といえば、暗殺者ブルータスとその対立者アントニーによる演説の場面だろう。役者ならずとも、思わず声に出したくなる名台詞がずらりと並ぶ。 だが、劇作家の山崎正和さんによれば、この魅惑的な台詞群を通してシェイクスピアが言おうとしたことは、ほかならぬ「話し言葉の危うさ」という逆説だそうな。 実際、劇中で民衆は、シーザー暗殺の「正義」を叫ぶブルータスに酔いしれたかと思えば、アントニーの弁舌に触れると一変、口々にブルータスを罵倒する。そこに浮かび上がるのは、確かに「話し言葉による扇動政治」の危うさだ。 これを阻止する手立てはただ一つ、書き言葉衰退を許さぬほかにあるまい。ときに人々の感情を煽る武器ともなる話し言葉と違い、書き言葉こそは「私はどうあるべきか」を思考させる理性の道具だからだ。山崎さんは「民主主義は書き言葉の政治体制」とまで言い切っている。 折しも時節は、灯火親しむ候。民主主義を鍛えるため、そして何より己が人生の深みと豊かさを添えるため、読書という「書き言葉の世界」にどっぷり浸かる時間を忙中に持ちたいものではある。 【座標軸】公明新聞2016.10.30
January 1, 2017
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