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介護離職を防ぐために㊤介護離職予防アドバイザー 牛越 博文さんうしこし・ひろふみ 介護予防アドバイザー。医療・介護ジャーナリスト。日本生命保険相互会社に入社後、ドイツ、オーストラリア、イギリス駐在中に医療・介護を調査。厚生労働省所管の研究機関、中医協調査担当、監査法人トーマツ(デトロイトマーツ)等を経て、現職。メディア出演、著書多数。育児・介護休業法が改正今月1日に改正施行された「育児・介護休業法」。介護の分野では、介護離職を防ぐための制度が強化されました。起業は何が求められるか、介護離職予防アドバイザーの牛越博文さんに聞きました。中核の離脱は大きな損失介護が始まる時のことをイメージしてみてください——例えば、母親が脳卒中で倒れて手術。多淫後、介護が必要になるが、父親は食事などの家事ができません。このような場合、実際の介護だけでなく、病院や行政の窓口で手続き、父の生活のサポート、利用する施設の検討も必要になるかもしれません。これらには、膨大な時間が必要で、とても仕事どころではなくなってしまうのです。このような介護の負担が発生するタイミングは、予想できません。ある日突然、突き付けられるのです。しかも40~60代という、働き盛りや職場の中核を担う世代になるほど、親の介護に直面する確率は高くなるでしょう。それらの人が離脱することは、企業にとって大きな損失です。超高齢社会の日本にあって、「介護離職」は個人の問題であるだけではなく、社会全体の最重要課題なのです。 雇用環境の整備が義務化今回の改正でポイントとなるのが、全国の全事業主を対象に、「介護離職防止のための雇用環境整備」が義務化された点です。具体的には、すべ店従業員が「介護休業」y「介護両立支援制度」などをスムーズに申し出られるように、次の①~④のいずれか一つは必ず実施しなければなりません。また、①~④のうち複数の措置を講じることが望ましいとされています。① 介護休業・介護両立制度支援制度等に関する研修の実施② 同制度等に関する相談体制の整備(相談窓口設置)③ 自社の労働者の同制度等の利用の事例の収集・提供④ 自社の労働者(同制度等の利用促進に関する方針の周知この他にも、介護に直面した旨の申し出をした人に対し、介護休業に関する制度や手続きについて個別で周知することに加え、直面する前の早い段階(40歳等)でも、情報提供を行うことなども義務化されました。また、努力義務として明介護状態の家族を支えるためのテレワーク導入も推奨されています。 大事なのは研修の中身雇用環境の整備に①~④の項目がありますが、特に中小企業にとって、実施に向けた課題は多いと思います。「②窓口設置」は、人員を割く必要があります。「③事例の収集・提供」は、そもそも事例が少ない場合、難しいでしょう。「④方針の周知」は、たとえば研修などを周知することになっています。介護に直面した時に困らないよう、事前の準備をより確実に意識させるためには、結果、「①研修」を実施するケースが多くなると予想しています。大事なのが研修の中身です。「休業制度の概要」「手続きの説明」といった事務的な研修だけでは、介護離職の歯止めにはなりません。いざ介護に直面したとき、どのような休業の撮り方が効果的か、どの介護保険サービスを活用するとよいかなど、各企業に合った〝仕事と介護の両立〟の方途を従業員と共に考えられる、そんな研修を実施することで、企業への信頼も増すのではないでしょうか。 企業の姿勢が問われるある病院グループでは、近年、介護離職する看護士が増えたといいます。そっこで、一度辞めた人も将来的にも戻ってこられる〝リターン制度〟を模索しています。今後は、このような各企業・団体による工夫も必要になってくるでしょう。介護が大変でやめざるを得ないというのが、介護離職の大きな原因ですが、それだけではありません。介護に直面した時、働き先が丁寧・親切な対応をしてきれなかったことで、最終的にやめていくケースもあるのです。自分が本当に困った時に助けてくれない……。それでは、働き続けるモチベーションが下がっても無理はありません。今回の方形成の対応も、〝最低限のことをやればいいだろう〟とのスタンス七日、本当の意味で〝従業員を大切に〟できるか。企業の姿勢が問われる、分岐点なのだと思います。 【介護】聖教新聞2025.4.2
November 14, 2025
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脳活動の操作は慎重に審査を科学文明論研究家 橳島 次郎光遺伝学技術の臨床応用今年2月、慶応大学病院で、「光遺伝学」という技術を使い、網膜色素変性症患者の失われた視覚機能の再生を目指す臨床試験(治験)が始められたとの発表があった。光遺伝学技術を応用した治療法として日本初の例で、そこで用いられる特殊なタンパク質を患者に試すのは世界初だという。光遺伝学とは、光を当てると活性化するタンパク質をつくる遺伝子を脳神経細胞に挿入し、その神経の活動を光の照射によって働かせたりする技術で、もともとは特定の神経細胞がどういう働きをするかを調べる、脳科学研究の実験手法として開発されたものだ。今回の慶応大学病院の治験は、光を感知する機能を失った患者の網膜の視細胞に、この治療のために特別に開発された光感受性タンパク質を作る遺伝子を注射し、そのタンパク質の働きで光を感じとる機能を再建しようとするものだ。視覚に関する神経回路を操作するものではない。だが光遺伝学技術を使えば、脳の神経活動を操作することもできる。例えば2020年に日本の研究チームが、ニホンザルの手の運動に関わる大脳皮質の領野に関わる大脳皮質の領野に光で活性化するタンパク質を発現させる遺伝子を導入し、脳に光を当てて手を動かすことに成功したと発表している。この成果は運動の抑制にも応用できるので、パーキンソン病患者の手の震えを抑える治療技術の開発につながると期待できるという。さらに肥満症や過食症の治療にこの技術を応用する研究もある。22年に日本のチームが発表した論文では、マウスの食物摂取に関連する脳の中枢のニューロンを光遺伝子の手法で制御し、脂肪の過剰摂取塗装摂取カロリー量を抑制できたという。パーキンソン病のような不随意運動を伴う神経疾患は、これまで薬物療法に加え、脳内に微小電極を埋め込み電気刺激し震えを抑える脳深部刺激療法(DBS)が行われてきた。海外ではDBSを摂食障害(過食症や拒食症)の治療に使う例もある。光遺伝学技術は、これらの既存の電気刺激よりも標的とすべき神経細胞を的確に限局して光刺激し、より良い治療効果を望めるという。だが連載第22回でみたように、こうした脳神経の刺激技術には倫理的問題が伴う。光照射のオン・オフで脳の活動に変化を与え身心を操作できるようになれば、自由意志が損なわれ人としての尊厳が失われることになりかねない。光遺伝学技術の臨床応用は、個々にその是非を慎重に審査する必要がある。 【先端技術は何をもたらすか‐40‐】聖教新聞2025.4.1
November 14, 2025
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脳活動の操作は慎重に審査を科学文明論研究家 橳島 次郎光遺伝学技術の臨床応用今年2月、慶応大学病院で、「光遺伝学」という技術を使い、網膜色素変性症患者の失われた視覚機能の再生を目指す臨床試験(治験)が始められたとの発表があった。光遺伝学技術を応用した治療法として日本初の例で、そこで用いられる特殊なタンパク質を患者に試すのは世界初だという。光遺伝学とは、光を当てると活性化するタンパク質をつくる遺伝子を脳神経細胞に挿入し、その神経の活動を光の照射によって働かせたりする技術で、もともとは特定の神経細胞がどういう働きをするかを調べる、脳科学研究の実験手法として開発されたものだ。今回の慶応大学病院の治験は、光を感知する機能を失った患者の網膜の視細胞に、この治療のために特別に開発された光感受性タンパク質を作る遺伝子を注射し、そのタンパク質の働きで光を感じとる機能を再建しようとするものだ。視覚に関する神経回路を操作するものではない。だが光遺伝学技術を使えば、脳の神経活動を操作することもできる。例えば2020年に日本の研究チームが、ニホンザルの手の運動に関わる大脳皮質の領野に関わる大脳皮質の領野に光で活性化するタンパク質を発現させる遺伝子を導入し、脳に光を当てて手を動かすことに成功したと発表している。この成果は運動の抑制にも応用できるので、パーキンソン病患者の手の震えを抑える治療技術の開発につながると期待できるという。さらに肥満症や過食症の治療にこの技術を応用する研究もある。22年に日本のチームが発表した論文では、マウスの食物摂取に関連する脳の中枢のニューロンを光遺伝子の手法で制御し、脂肪の過剰摂取塗装摂取カロリー量を抑制できたという。パーキンソン病のような不随意運動を伴う神経疾患は、これまで薬物療法に加え、脳内に微小電極を埋め込み電気刺激し震えを抑える脳深部刺激療法(DBS)が行われてきた。海外ではDBSを摂食障害(過食症や拒食症)の治療に使う例もある。光遺伝学技術は、これらの既存の電気刺激よりも標的とすべき神経細胞を的確に限局して光刺激し、より良い治療効果を望めるという。だが連載第22回でみたように、こうした脳神経の刺激技術には倫理的問題が伴う。光照射のオン・オフで脳の活動に変化を与え身心を操作できるようになれば、自由意志が損なわれ人としての尊厳が失われることになりかねない。光遺伝学技術の臨床応用は、個々にその是非を慎重に審査する必要がある。 【先端技術は何をもたらすか‐40‐】聖教新聞2025.4.1
November 14, 2025
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政策の哲学中野 剛志 著 経済政策の対立理解に絶好明治大学 教授 田中 秀明 評 本書は、民主国家における全ての国民にとって必要な「政策哲学」を論じるものである。有権者全員が広い意味での「責任ある政策担当者」だからと著者は説く。政策は政治家や官僚だけがつくるものではない。本書は序論からはじまり、10章と結論で構成される。第1章は、経済政策に大きな影響を与えている主流は哲学の問題点を指摘する。第2~8章は科学・国家・制作などの基本的な概念を整理している。特に、本書の核となる「公共政策の実在論的理論」が展開される。これらを踏まえ、第9章では財政政策について、第10章では政治のあるべき姿について、具体的に議論する。結論では、公共政策の実在論的理論こそが21世紀に必要な政治哲学であると主張する。本書を読んで最初に驚くのは著者の博学である。化学、哲学、経済学、政治学、社会学など関連する論文や研究を丹念に紹介している。哲学などと聞くと読むのを躊躇するかもしれないが、本書は実践的な政策散る案のあり方を論じている。それは、近年に日本の経済政策に関係する。日本経済は、90年代初頭のバブル経済の崩壊以降、全体としては低迷している。長らくデフレに陥り、人々の所得は低下した。これを打開するべく登場したのが、異次元の金融緩和などを軸とした「アベノミクス」である。その効果を巡っては、経済学者の間で賛否両論が繰り広げられている。著者は、これまで経済政策の在り方を支配してきた「主流派経済学は科学ではない」と断じる。同経済学は、非現実的な前提を置いて、小さな政府、規制緩和、民営化、健全な時勢、貿易の自由化などの政策を実行したため、金融危機、長期停滞、格差の拡大、貧困の増大などをもたらしたと説く。また、健全財政という財政に規律の根拠も非科学的だと主張する。著書が拠り所とするのが公共政策の実在論的理論であり、「国家政策が成立し得る存在的な条件を明らかにする理論」だ。ここでは、政策担当者の「裁量」がいっそう重要となると指摘する。そうであれば、日本における政治・行政や政策過程の実際について、もう少し議論を期待したい。著者は国家公務員であり、実態を熟知しているからだ。元より税制債権が目的ではなく、日本が直面する当面の課題は人口減少をのりこえることである。しかし、「年収の壁」などが典型的なように、現実の政策は問題解決には遠い。10年以上にわたり毎年2兆円を使い地方創成が進められたが、東京一極集中は是正されていない。市場は完全ではなく、政府の役割は重要である。しかし、市場が失敗すると同様に制作も失敗する。政治家や官僚は神さまではないからだ。著者は、政府の問題を分析する公共選択理論も批判する。傾聴に値するが、現実として日本の政策過程には問題が多い。議論は尽きないが、それほど本書の問題的期はおもしろく、経済政策のあり方について知的興奮をよぶ。経済政策を巡る対立を理解するには絶好の本である。(集英社 1980円)◇なかの たけし 評論家。東京大学卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。エディンバラ大学大学院より博士号を取得。主著に『日本思想史新論』(ちくま新書)。 【読書】公明新聞2025.3.31
November 13, 2025
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戦国を生き抜いた夫婦 愛の物語 最新作『織部の妻』を刊行小説家 諸田 玲子*1954年静岡県生まれ。96年『眩惑』でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、12年『四十八人の忠臣』で歴史・時代小説大賞作品賞を受賞。昨年8月に『岩に牡丹』(新潮社)、シリーズ第4作『きりきり舞いのさようなら』(光文社文庫)を刊行するなど著書多数。 共に笑い、泣き、世の理不尽に憤ってかけがえのない同志へ 敗者の歴史をたどるのはむずかしい。中世の女性の生きざまを知るのはなおのこと。近世こそ研究者の眼が向けられて重い扉が開かれつつあるとはいえ、著名な女性でもつうしょうや年齢があいまいだったり、家系図にただ「女」としか書き記されていなかったり。私がこれまで史料の乏しい女性たちの物語を紡いできたのは、知られざる声に耳をかたむけ、生きた証を少しでも刻んでおきたいという切実な願いはもとより、従来と異なる角度から眺めることで新たな歴史が見えてくるのではないか、との淡い期待があったからだ。悪妻の汚名を晴らしたいと意気込んで書いた徳川家康の正室の築山殿を皮切りに、秀忠の正室の於江、織田信長の正室の帰蝶、前田家の麻阿や豪、ちよぼ……等々、いわばライフワークのように書きつづけてきた。本紙で連載した『梅もどき』も、家康の側室の一人で、重臣の本多正純へ下賜されたお梅が主人公。歴史では見向きもされなかった側室のお梅だが、実は豊臣や徳川と血縁のある青木家の姫で、正純が宇都宮天井事件で失脚、幽閉の身となったのちも本多家のために尽力をつづけ、伊勢神宮のそばに庵を結んで清廉のうちに波乱に満ちた一生を閉じている。新刊『織部の妻』で自らの数奇な人生を語ってくれたのは、怒涛の戦国を夫織部と手をたずさえていき抜いた仙である。仙は中川清秀の異母妹。清秀は賤ケ岳戦で戦死したため歴史の狭間に埋もれてしまったものの、群雄割拠の時代、摂津国でキリンジのごとく頭角を現わし、信長にも秀吉にも一目おかれた勇将だ。清秀と仙の兄妹は、キリシタン大名として知られざる高山右近や、悪名高い荒木村重の従兄妹でもあった。幼いころから戦禍をくぐりぬけてきた仙は、信長の鶴の一声で古田織部の妻となる。織部といえば「織部焼」「織部好み」「へうげもの」……など、千利久の後継たる茶人として知られる。が、仙が嫁いだころの織部は信長の属将で、戦場を駆けまわっていた。夫婦は時に派手なけんかや紆余曲折をくりかえしながらも心をかよわせ、本能寺の変や関ヶ原戦はいうにおよばず、大坂の陣にいたるまで、数えきれないほどの戦禍をのりこえる。共に笑い共に泣き、ともに世の理不尽に憤って、かけがえのない同志となってゆく。封建時代に家父長制が確立前の女性たちは、私たちが創造する以上にたくましい。家康の母於大や秀吉の妻於根が好例で、夫の出世に一役買った妻も珍しくなかった。夫婦のかたちも様々で、仙姫を娶ってから織部は妻ひと筋、五男三女を生した二人はとびきり型破りな夫婦だった。好奇心旺盛で溌溂とした仙姫はむろん、そんな彼女を巧みに御してゆく織部も、型にはまらぬ、ひょうげた魅力の持ち主である。織田・豊臣・徳川の世を二人三脚で駆けぬけた夫婦が、最期の最後に想像を絶する悲劇にみまわれる。大坂の陣で、織部は択側から豊臣方との内通の罪を問われたのだ。いったいなぜ……織部の賜死はいまだに歴史上のなぞである。これについて、わたしは拙著でひとつの答えを示した。織部一家の悲劇が単なる謀反であったとは思えなし、思いたくもない。夫婦には、力を合わせて守らねばならないものがあった。命を懸けて守りたいものが……。二人は戦うべくして戦った。私はそう信じている。心の声で語り合い、生死の境を超えてなお労わり合う織部と仙に、共感していただければ嬉しい。(もろた・れいこ) 【文化】公明新聞2025.3.30
November 13, 2025
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多様な個性と力強く環境を「パワハラ」なき職場へ暖かい日が増えてきた。春は移動、転勤の時期。身の回りの環境も、人間関係も変化する。新たな職場に期待をする半面、不安を抱く人いるのではないだろうか。職場の人間関係におけるトラブルの一つに「パワーハラスメント(パワハラ)」が挙げられる。2023に実施した厚生労働省の調査によると、約2割の労働者が〝過去3年以内にパワハラを受けた〟と回答。同年の都道府県労働局への相談件数は6万件を超えた。一方、近年は企業や雇用主にパワハラ防止措置が法的に義務付けられるなど、パワハラ問題への認知も着実に進んできた。パワハラは職場での優越的関係を背景に、業務に不必要・不適当な言動で、働く人の就業環境を害するものを指す。職場のルールに反する言動への注意や、育成を目的として高いレベルの業務を任せることはパワハラに当たらない。とはいえ、自身の言動がパワハラに当たるかどうかを自ら判断することは難しい。どのようなコミュニケーションを取ればよいかと悩む人もいるのではないか。前述の厚生労働省の調査では、パワハラが起こりやすい職場の特徴として「上司と部下のコミュニケーションが少ない」ことが挙げられている。パワハラが起きるリスクを減らすために、部下や後輩などの接点を少なくすればいいと考えるのは間違いだ。「パワハラ」という言葉の生みの親である企業コンサルタントの岡田康子さんは、「部下が何を望み、どの方向で成長したいかを知り、その上で社会の期待や組織との調和を考えて対話を重ねることです」と指摘した。大切なことは、日頃からコミュニケーションや対話を重ねることで、同じ職場で働く人同士の「すれ違い」を防ぐことである。その上で、互いの価値観や個性を理解し、尊重しあって意見を交わす。会議での積極的な発言や提案、業務上の報告をしたこと自体を褒める。果敢な挑戦を歓迎する——職場にそのような雰囲気があるからこそ、皆がやりがい・働き甲斐を感じ、成果をあげられるのではないだろうか。どんな職場でも、人材こそ最大の財産であることに変わりはないだろう。さまざまな場面で一人一人が多様な個性を輝かせ、力を発揮できる環境を築いていきたい。 【社説】聖教新聞2025.3.29
November 12, 2025
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子どもが主人公の新時代を実現!教育評論家 尾木直樹氏の講演(趣旨)進む法制化きょうは創価学会教育本部のセミナーということで、小・中・高等学校をはじめ、さまざまな教育現場で奮闘する皆さんにお集まりいただきました。これだけ多くの教育関係者と対面でお話するのは、コロナ禍以降、初めてでではないかしら(拍手)。このような貴重な機会をいただき、とても楽しみにしていました。本日は「『子どもの新時代』の学校と教育」というテーマで、懇談的にお話したいと思います。現在、私はさまざまな場所で、「子ども新時代が到来した!」とお話しています。その背景には、近年、子どもの人権を守る法制化が急速に進んだことがあります。2023年4月、わが国では「こども基本法」が施行されました。これは、こども施策を社会全体で総合的かつ強力に推進するための法律です。実はそれまで日本には、「児童福祉法」や「教育基本法」などの個別の法律はあったものの、子どもの権利を包括的に保障する総合的な法律がありませんでした。「こども基本法」の第一条には、この法律が「日本国憲法」と「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)の精神に則ることが明記されました。つまり、子どもが大人と同様に一人の人間として権利を持ち、社会の形成に意面する機会を得られることなどが示されたのです。この法制化に伴い、政府は「こども家庭庁」を発足させ、基本理念として「こどもまんなか社会」を目指すことを掲げました。それまで言われてきた〝子どもファースト〟ではなく、社会の在り方を子供中心に捉え直す〝子どもセンタード〟へ、考え方を変えたのです。また、その前年の22年12月には、すでに公布されていた「こども基本法」に基づいて、文部科学省が、生徒指導の基本書である「生徒指導提要」を12年ぶりに改訂しました。これにより、教育現場においても、児童・生徒の個性や可能性を尊重し、校則の見直しや学校行事などについても生徒の意見を取り入れる方針になりました。さらに23年8月には、国連子どもの権利委員会が、気候変動に関わる子どもの権利を守るため、各国政府は環境に関する意思決定し際し、子どもの意見を考慮すべきであるとするなどの、新たな指針を公表しました。このように今、社会で、学校で、そして世界で、子どもを主人公とした新時代への動きが加速しています。さまざまな課題があることは承知していますが、私自身こうした動きに希望を感じています。だからこそ、これを単なる枠組みで終わらせるのではなく、子どもを中心に皆が幸福に生きられる社会の実現を目指して、具体的に行動をしていきたいと思っています。 生き延びる力「子ども新時代」を形成する大きな要素の一つに、AI(人工知能)の発達が挙げられます。AI時代の到来によって、人工知能に求められる能力は、大きく変化しています。スマートフォン一つで何でも調べることができ、AIが膨大な情報の中から最適な解答を導き出す時代において、人間に求められる能力は、暗鬼を中心とした知識量以上に、多様な個性を生み出せる人間の力へと移り変わっています。かつては、人間の優秀さを測る指標としてIQ(知能指数)が注目されていましたが、最近では、HQ(人間性知能)といわれるものが問われるようになりました。最先端の技術も、社会のために使おうとする人間性があってこそ、幅広い領域での活用が期待できます。反対に、人間性が欠落すれば、AI兵器などによって、戦争や殺りくが激化する危険性すらあるのです。そうした中で、今、注目されているのがデジタル・シティズンシップ教育です。これは、デジタル技術の利用を通じて、社会に積極的に関与し、勝れたデジタル市民になるための能力を身につける教育です。インターネットや情報端末が普及した今、そのリスクと利便性の両面を理解し、安全に、責任ある利活用を進めることが重要です。いずれにしても、教育には、すごいスピードで変化する時代に即応し、その中で生き抜く力を育む責任があるのです。経済協力開発機構(OECD)が推進してきた「EDUCATIONN2030」というプロジェクトをご存じでしょうか。世界各国の教育関係者らが協力して、2030年の近未来に求められる子どもたちの資質やその教育法などを検討し、提言したものです。そこでは、不確実な世界を生き延びる力の必要性が説かれ、具体的に、新しい価値を創出する力、対立するジレンマを調整する力、自らを客観視して責任を果たす力を三つが示されました。その後、世界中で猛威を振るったコロナ禍を経て、私は〝生き延びる力〟の重要性をますます実感しました。多くの課題が山積し、先の見えない時代だからこそ、豊かな人間力を育む教育の使命は大きいと感じます。 新しい価値を創出する豊かな人間性を育もう 授業も変わる社会が大きく変わりゆき中で、授業の形態も進化しています。多くの教育現場で、かつて行われていた教師から生徒への一方的な講義形式の授業ではなく、児童・生徒の主体性を引き出す、探求型のアクティブ・ラーニング(能動的学び)が導入されていることは、皆さんがご存じの通りです。私は長年、教育の実態を見つめてきましたが、こうした新たな取り組みの降下に目覚ましいものがあると感じています。山形県のある職業高校では、地域の「食育」にユニークな取り組みをしていました。生徒が地域の子どもたちと一緒に農作物を収穫して料理したり、オリジナルの紙芝居を作って「食」や「農業」の課題解決に啓発活動をしたりしていました。大人には思いつかない率直で柔軟な発想や、携わる子どもたちの生き生きとした姿がとても印象的でした。また先日、「スタートアップJr、アワード」という、小学生、中学生、高校生のプレゼンテーション大火で特別審査員を務めたのですが、子どもたちの豊かな想像力に驚くばかりでした。ある小学2年生の女子児童は、小児医療において入院時のプライバシーが確保されないなどの課題があることを、実際に入院中の友達とオンラインで動画をつなぎながらプレゼンテーション。子どものための人間ドックという新しい発想で課題解決を図り、さらに医療ツーリズムを通じたインバウンドの需要を得る提案を発表していました。私は、これらの事例を見ながら、改めて子供の可能性を信じる大切さを実感しました。子どもを一人の人格として尊重し、未来について共に考え、思い切って子供に頼ってみたらいいのではないかと思うのです。 大いなる理想へ最後に、「子ども新時代」の教育に携わる皆さんへのエールを込めて、私が大切だと考える三つの教師力について述べておきたいと思います。一つ目は、「聴く力」です。とにかく、「聴き上手」になること。仮に子どもが悪さをしても、すぐに叱るのではなく「どうしたの?」と耳を傾けてあげて欲しい。「そういう思いだったんだ。勇気を出していってくれてありがとう」と、〝叱る〟を〝褒める〟に転換してできれば、共感が生まれ、子どものエンパワーメント(内発的な力の開化)につながります。二つ目は、優しさと厳しさを合わせ持つこと。私はやさしさと厳しさは表裏一体だと思います。子どもの人権を傷つけることは絶対に許さないという峻厳な姿勢と、同時に、傷つきそうな子どもには徹底的に寄り添って、何としても守リ抜く優しさを持つことです。三つ目は、目標や理想といったアドバルーンは高く掲げよということ。教師は高い理想を掲げて前進することが大切です。アドバルーンを低くすると、学校や社会に脈打つ分かが低下する危険性があります。現実の厳しさを知っているからこそ、大人自身が大いなる理想に向かって進む最高の模範になります。30年後、私たちはどうなっているでしょうか。ある人は仕事を引退し、中にはお空の上から世界を見守っている人もいるかもしれません(笑)。しかし、今の子どもたちは、その多くが現実の社会を生きなければいけません。未来を生きるのも、未来をつくるもの今の子どもたちです。だからこそ、子どもを中心とした新たな時代を築くことは、希望の未来に直結すると思います。きょう集まった、教育に携わるわたしたち一人一人が力を合わせて、各現場で、新たな価値を創出する挑戦を続けていきましょう! 【教育本部セミナーから】聖教新聞2025.3.28
November 12, 2025
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鳥の生活に農業の影響日本野鳥の会 自然保護室長 田尻 浩伸本稿執筆時点では政府備蓄米の放出開始が新聞各紙をにぎわしているが、米不足についてお政府への批判を見ると日常生活に農政が与える影響の大きさをあらためて感じる。いま、今後5年間程度の創成の基本方針を占める食料・農業・農村基本計画の策定が大詰めを迎えている。今回の基本計画は、昨年4月の基本法形成後初めての計画となる。基本法では、農業が環境に負荷を与えることが明記され、環境負荷低減を図るとされた。世界の絶滅危惧種、準絶滅危惧種の鳥類のうち73%が農業の影響を受けており、この数字は森林伐採、侵略的外来生物、狩猟などの影響よりも高い。農業がこんなにも多くの種に影響を与えているのかと驚いたが、逆に言えば、農業で多くの絶滅危惧種の保全に効果をあげられるということだ。国内では年間約230種の鳥類が農耕地を利用するので、やはり農地は重要である。策定中の基本計画を見てみると、化学農薬や化学肥料、温室効果ガスの排出削減などにより環境負荷低減の記述が多く、生物多様性に関しては悪影響を避けることが中心で、積極的に生物多様性を向上させるための取り組みが少ない。農水省も独自の生物多様性戦略を策定しているのに、何とも心許ない。しかし、この状況は国だけの責任とは言い切れない。国連環境計画が昨年発行した報告書によると、政府による生物多様性保全への積極的な取り組みに賛同する人の割合が日本では世界平均より30%ほども低く、また、「よくわからない」と回答した人は世界平均1%に対して20%にもなった。生物多様性への無関心が生物多様性第5の危機という人もいる。多くの人に生物多様性の重要背を知ってもらう取り組みも欠かせない。 【すなどけい】公明新聞2025.3.28
November 11, 2025
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20世紀、欧州を中心に世界中に離散——亡命ロシア文学の世界北海道大学 准教授 小椋 彩祖国との離別、喪失感から独自性へ1917年の革命と続く内戦は、ロシアから膨大な数の亡命者を生み出した。十月革命以後から第2次世界大戦までに起こった人的大流出を、「亡命の第一の波」と呼ぶ。ソヴィエト・ロシアからの大量出獄は、第二の波(40-50代)、第三の波(60-80代)と続いたが、第一線で活躍する芸術家・知識人たちが一挙に祖国を離れた第一の波の文化的影響は、その多方面にわたり、きわめて大きなものだった。亡命者は欧州を中心に世界中に離散し、各地でコミュニティー作られた。その文化形成と維持に大きな役割を果たしたのは、新聞や雑誌などの定期刊行物だった。母語と引き離されることは、言葉を扱う作家たちにとって、音楽や絵画よりもいっそう深刻な意味をもつ。しかし、あるいはだからこそ、各都市には文学グループが多数出現した。こうして、20年代初頭のベルリン、次いでパリ、亡命ロシア文学が花開く。プラハやベオグラードなどにも、独自の文化コミュニティーが存在した。「亡命ロシア文学」という何らかの本質的特徴を備えた文学があるわけではない。作家たちがそれぞれ、自分の文学を創造しようとしただけだ。とはいえ、祖国との別離、その祖国がもはや昔のようには存在しないことから生じる喪失感が、彼らの文学の独自性を作っていたことも確かである。亡命前に文名を確立していても、異国で筆を折る者はいくらでもいた。そうした状況下でも旺盛な創作活動をつづけ、名声を博したのはイワン・ブーニン(①870-1953)だ。1933年、フランスに亡命していた彼がロシアの作家として初めてノーベル文学賞を受賞した報は、世界中の亡命ロシア人たちに大きな喜びをもたらした。代表作『アルセーニエフの人生』(※1)は、亡命ロシア人の回想の形式をとる。作家は自伝的要素の濃い本作に、帝政末期ロシアの姿を、美しく静謐な筆致で永遠にとどめようとした。ソ連国内にあっては、亡命者は裏切り者とみなされ、作品の鑑賞はおろか、一部の例外を除いては言及すらタブーであった。ペレストロイカで状況は一変し、解禁後、亡命文学は一気に大ブームの様相を呈する。ガイド・ガズダーノフ(1903-71)もそうして「発掘」」された一人だ。若くして祖国を離れた新世代の亡命かとしてウラミジール・ナボコフ(1899-1977)に並び称された才能であるが、世界的成功を収めたナボコフとは異なり、亡命ロシアの閉鎖的コミュニティーより外に出ることは叶わなかった。出世作『クレールとの夕べ』(※2)では、初恋のフランス人女性との邂逅を軸に、亡命ロシア人の主人公が、やはり人生を振り返る。フランス語に堪能だったにもかかわらず、ガズダーノフは生涯ロシア語でした創作しなかった。この世代の亡命作家は往々にして、ロシア文学伝統の継承者たる自己を長年作家よりも鋭く意識していた。しかし、「意識の流れ」の文体や、『クレールとの夕べ』に始まり、最期はその夕べへ回帰する円環的な小説構造など、ロシア文学の伝統というよりも、ヨーロッパ・モダニズムの明らかな影響がうかがいしれる。ガズダーノフの初めての邦訳は2022年に出版された。訳者はブーニン研究の第一人者でブーニンの端正な日本語訳で知られる。世代を異にする亡命作家が、愛して振り返った、ときに写実的でときに形而上的なロシアをぜひ読み比べてみてほしい。(おぐら・ひかる)※1イワン・ブーニング『ブーニング作品集4 アルセーニエフの人生 青春』望月恒子訳 群像社※2ガイト・ガズダーノ『クレーベルとの夕べ アレクサンドル・ヴォルフの亡命』望月恒子訳 白水社 【文化】公明新聞2025.3.28
November 10, 2025
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求められる科学リテラシー竹内薫(サイエンスライター)身を守るために必要噓を避ける判断材料に日本の科学力は下がっている「生成AIの進化がすごい」「コロナウイルスの変異株が見つかる」「メキシコで宇宙人のミイラを発見?」——。こんなニュースを目にしたら、皆さんはどう思うでしょうか。これらは、いずれも科学にまつわるニュース。現代では、さまざまなことが科学に関係し、まったく無関係というものの方が少ないほどです。例えばアメリカ大統領選挙。科学は関係ないと思われるかもしれません。しかし、毎回のように、AIによる多くのフェイクニュースが話題になります。偽動画、偽情報が出回り、投票の行方も左右するほどです。以前の日本は科学立国といわれていました。しかし、国民の科学リテラシーは、この数十年の間に低下し、そこにフェイクニュースのようなものが増えて、問題は拡大しているように感じます。混迷の時代だからこそ、化学リテラシーを取り戻して、フェイクニュースを選別できるようになってほしいと思っています。科学を選ぶのは、勉強のためではありません。大切なのは、自分自身や家族の身を守れるかどうか。命に関わるような問題ではなくても、詐欺などの被害を避けたりもできるはずです。科学的な話題について、皆が正しい判断をできるように、拙著『フェイクニュース時代の科学リテラシー超入門』(ディスカヴァー携書)も参考にしてもらえたらと思います。 SNSは便利だが注意したい私自身の感覚ですが、昔はもっと科学リテラシーがあったように感じます。今の方が最近の情報に接する機会が多いのに、どうしてでしょうか。その理由の一つとして、昔は皆が新聞を読んでいたことが挙げられます。科学ニュースの扱い方に関しては、バランスが取れていたように思います。その新聞を、多くの人が、1日1回か2回読んで、情報を仕入れていたのです。私自身はSNSを評価していますが、新聞との違いは、ファクトチェックを経ているかどうか。事実関係を判断できる人にとっては、すごく便利な道具です。しかし、専門分野がちがって、あまり詳しくない問題では判断が難しい。特に、いろいろな意見が出ている時には、判断に迷うのではないでしょうか。インターネットを使っていると、フィルターバブル、エコーチェンバーなどの影響で、似たような意見ばかりが集まってきてしまいます。自分が聞きたい意見、しっくりくるような意見ばかりが集まっているのに、それに気づかないケースも多いのです。例えば、浄水器の宣伝文句。水を飲むなら水道水でもいいはず。水道水のカルキが気になるのであれば、数千円の浄水器で十分。それなのに10万円近くする浄水器は、どうでしょうか。気分的に許せる範囲の宣伝文句もありますが、〝これを飲んだらがんになりません〟などのうたい文句は……。嘘から身を守るためにも、科学リテラシーは必要なのです。 誰を信じるか、見る目を養う科学はそれほど詳しくなくても、科学リテラシーを持つことはできます。重要なのは、誰の意見を信じて、自分の行動を決めるか。大切なのは、その人が、どのような研究をしてきて、どのような論文を発表しているのか、どのように評価されているのかです。ただ、専門家を見極める目を養うのは、単純だけれども難しいものです。そんな時は、詳しい人をフォローすることです。その上で、もっと知りたいのであれば、専門書や科学雑誌を読むといいでしょう。「日経サイエンス」「ニュートン」「子供の科学」などの科学雑誌がおすすめ。一見、難しそうに見えるかもしれませんが、最新の研究内容が分かりやすくまとまっていて、解説も充実しています。多くの人が化学嫌いなのは学校の勉強のせい。受験のため、知識を詰め込む勉強は面白くない。でも、未来の科学は非常にワクワク・ドキドキさせてくれるものです。実は、科学者が何をやっているのか、その現場をのぞくのが一番面白いのです。イメージ的には、動物園で動物たちを眺めるのは楽しいけれども、裏側で飼育員さんが何をしているのかはもっと楽しいもの。見えない場所でそんなことをやっているのかを見るのかと、興味は尽きないはず。科学者が本を出した時に行うイベント。サイン会などに参加すると、リアルな研究の裏話が聞けます。興味を持つことから始めて、少しでも科学リテラシーを高めてほしいと思います。たけうち・かおる 1960年、東京生まれ。サイエンス作家。分かりやすい科学解説や化学評論に定評がある。著書に『99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方』『自分がバカかもしれないと思った時に読む本』など多数。この4月、ZEN大学基幹教員・教授に就任予定。 【文化Culture】聖教新聞2025.3.27
November 10, 2025
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奈良国立博物館 開館130年奈良国立博物館 主任研究員 三田 覚之国宝を守り、未来に伝える実物が語るリアリティー。それが文化財の持つ大きな力である。我々が存在する「今」は、遥か遠い祖先から、続く国の文化や歴史を再確認し、未来へ伝えていく大きな流れの中にある。そのときに参照すべき各時代の思想や美意識を具体的な形として伝える文化財はかけがえのない存在であり、ひとたび失われてしまえば、歴史をリアルに感じることも困難になるだろう。さて、明治28年(1895)に開館した奈良国立博物館(奈良博)だが、その歴史的なきっかけはさらに遡り、明治8年(1875)から18回にわたり東大寺大仏殿とその回廊で開かれた「奈良博覧会」に辿り着く。これは社寺の宝物に加え、特産品などを数多く紹介することで、地域の文化や経済の活性化を目指した企画であった。特に1~3回と5階では正倉院宝物の大規模さ展示が行われたことも特筆される。当時の奈良は、各社寺の経済的な疲弊や明治初期に行われた神仏分離の影響により、文化財の保存が危機的な状態にあった。そうした中にあって博覧会の反響は高く、明治22年(1889)には宮内省の管下に帝国なら博物館(現奈良博)が設置、今から130年前の明治28年(1895)に開館したのである。近代国家として日本画歩み出した初期に、奈良の地に伝えられた社寺の宝物を中心として、文化財を守る動きが始まったのは、現在から見ても幸いであったといえるだろう。博物館は文化財の調査・研究に基づいて、それらをお預かりし、保存と公開によって広くその価値を知らせる役割を担うために生まれたのであり、その基本的な方針は今も変わらない。奈良の地に深く根ざし、多くの社寺に支えられてきた奈良博では、このたび、開館130年を記念した特別展「超国宝—祈りのかがやき—」を開催する(4月19日~6月15日)。国宝とは、数多くの文化財の中にあって特に世界文化の見地から価値が高く、国民の宝として相応しいものとして国が指定した有形文化財である。文化財指定が文化財の価値を決めてしまうものではないが、指定という制度を通じて保護意識を高め、より適切なかたちで未来に伝える狙いもあるといえるだろう。そうした国宝という言葉が持つ意味を踏まえたうえで、今回あえて「超国宝」とタイトルにしたのは、それがとりわけ優れた文化財であるとともに、かけがえのない国宝を生み出したのは先人たちの祈りであり、時代を超えて輝きをつづけるものという思いを込めたからである。展示空間においては、文化財とともに未来に伝えていかなければならない本質として、祈りの輝きを表現したいと考えている。特に今回の特別展では、法隆寺の百済観音像を象徴的な作品としてお迎えする。本尊は明治の終わりから昭和初期まで奈良博にあり、初期の代表的な展示作品であった。百済観音像の燈明のように立ち上がった長身の姿。ぜひ今一度自らの祈りの輝きに出会うためにも、奈良博へ足をお運びいただきたい。(みた・かくゆき) 【文化】公明新聞2025.3.26
November 9, 2025
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個人の尊厳をいかにして守るのか 平等について、いま話したいことトマ・ピケティ、マイケル・サンデル 著/岡本麻左子 訳▲世界的に広がる〝右派ポピュリズム〟の躍進——本書の議論は、その背景に明瞭な説明を与える NHKで好評を博した「ハーバード白熱教室」でおなじみの政治学者マイケル・サンデルと、『21世紀の資本』が世界的ベストセラーとなった経済学者のトマ・ピケティ。欧米を代表する、この二人の巨頭による注目の対談集である。二人が取り上げるテーマは、「平等」について。権利や機械の不平等、富の偏在など、資本主義が構造的に生み出すさまざまな不平等について論じ合う。互いの専門領域や生まれ育った環境が全く異なる以上、両者の考えには当然、多くの差異がある。本書に解説を寄せた同志社大学の吉田徹教授は「サンデルの関心は多かれ少なかれ『(現象や言葉が)人にとって何を意味するのか』という点に向けられているのに対し、ピケティは『現実社会がどのような趨勢にあるのか』ということに関心を寄せる」と評している。そうした二人が合意を見た点の一つが〝不平等が個人の尊厳を毀損している〟ということだ。例えば、近年サンデルが警鐘を鳴らす能力主義(メリトクラシー)について、競争を勝ち抜いた者が、自身の成功を〝すべて自らの努力のおかげ〟と思い込むことが、取り残された人々に対して〝自業自得だ〟との冷たいまなざしを向けること、表裏一体になっていると批判する。実際には、高学歴や高収入といった社会的成功には、生まれ育った環境や境遇、幸運という要素も大きく影響していよう。不平等は今、本来は人類が皆、等しく持っているはずの尊厳を揺るがしているのだ。多種多様な不平等が社会に生み出すひずみは、日本でも随所に見られる。日本社会の未来を展望する上で、二人の議論が提示する視点は大きな示唆を与えるに違いない。(東) 【読書Book】聖教新聞2025.3.25
November 9, 2025
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糖尿病なら目の定期検査を網膜症の進行に注意今日のポイント放置すると失明の可能性 糖尿病には、よく知られる三大合併症「し・め・じ」があります。「神経」「目」「腎臓」の頭文字です。目については、糖尿病網膜症は失明の主要な原因の一つ。信仰するとし矢が架けたり、水らくなったりして生活の質を大きく損ないます。視力低下などの自覚症状が出た時には重症化している例が少なくありません。眼科を定期受診して眼底検査を受ける人を、いかに増やすかが課題です。 年1回以上の受診を推奨日本糖尿病学会の診察ガイドプランでは、糖尿病と診断された人に年1回以上の眼科受診、眼底検査を推奨しています。筑波大学医学医療系の杉山雄大教授(ヘルスリサーチサービス)、大学院生の山本行子さん(糖尿病内科)らは東京大学、国立国際医療研究センターとの共同研究で、医療者から眼科受診を進められたと認識した糖尿病患者は、効率で眼底検査を受けているとする研究結果を発表しました。2022年度に茨城県つくば市が国民健康保険加入者に聞いた糖尿病に関するアンケートの結果を、21年度の受診・健康診断の実績と突き合わせ、糖尿病の自覚があると回答した京290人分のデータを分析しました。すると、医療者から眼科受診を進められたと認識していた人の73%が眼科を受診して検査を受け、93%の人が「年1回以上」の受診の必要性を理解していました。一方で、勧められた認識がない人の、検査を受けた割合は30%。正しい眼科受診の感覚を知っている人も50%で、いずれの項目も大差がつきました。山本さんは「医療者からの受診勧奨が、理解や行動につながる。検査をどの眼科も受けられるので、通いやすいところを受診してほしい」と話します。 血管が傷み出血が起こる糖尿病になると、なぜ網膜症になるのでしょうか。糖尿病で血糖値が高い状態が続くと、血管の内側が傷んだり、血管が詰まったりします。これが神経障害や糖尿性腎荘、心筋梗塞、脳卒中、足の壊疽にもつながります。日本糖尿病眼学会の資料などによると、目ではまず、網膜に広がる毛細血管がダメージを受けます。毛細血管が詰まると体は新たな血管(新生血管)と作ります。このもろい血管から出血が起こると、角膜と網膜の間の硝子体が濁り、視野を遮ります。また、網膜のむくみや剥離が起き、急に視力が低下することもあります。眼科での眼底検査では点眼薬で瞳孔を開き、網膜の血管や神経系の状態を通常の健康診断より詳しく調べます。網膜症の兆候を症状がないうちからとらえて、経過を観察できます。治療では、薬剤の注射かレーザー光による凝固術、濁った硝子体などの切除手術をなどで、進行を防ぎます。 医療機関から手帳をもらい活用ただし、糖尿病を放置したままでは網膜症の進行予防は難しいと言います。特に血糖管理が不十分だと、5~10年で網膜症を発祥することがあります。杉山さんの別の研究によると、〝診断された時点で速やかに投薬治療が必要なほど糖尿病が進んでいた症例では、網膜症の治療もすぐに必要なケースが多かった〟という結果が示されています。糖尿病の主治医と顔回の間の連携が大事になるが、山本さんはそのために作られた手帳の活用を勧めます。日本糖尿病眼学会の「糖尿病眼手帳」は、糖尿病を診る医師と眼科医に提供されています。例えば、眼科受診の際に眼科医に記入してもらい、次の糖尿病の診察の際に見せれば、どんな治療を進めているかといった情報が記録、共有されます。使ってみたい場合は、「手帳をもらえないか」と医療機関で尋ねてみましょう。 メディカルmedicalトピックtopic💊手術すれば交通事故が減る〝睡眠時無呼吸症候群(SAS)の患者は、適切に手術を受ければ工数事故を起こすリスクが下がる〟との研究結果を、米トーマス・ジェファソン大学の研究チームが発表しました。患者280万人余りのデータを分析しました。診断後に交通事故に遭った人の割合は、重症者の多い持続陽圧呼吸療法(シーパップ)装置を使っている患者では6.1%、継承者の多い多数の無治療の患者では4.7%でしたが、手術を受けた患者では3.4%。事故後には高血圧や糖尿病、心不全などの合併症を発症する可能性も高まりました。研究チームは、交通事故による死傷を減らすという公共衛生、安全の観点からも、適応のある患者には外科的治療を考慮すべきだとしました。 【医療MedicalTreatment】聖教新聞2025.3.24
November 8, 2025
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生誕250年を迎える————ジェイン・オースティンを読むフェリス女学院大学教授 向井 秀忠漱石は「写実の泰斗」と賞賛誰にもある人間の滑稽さを描くジェイン・オースティン(1775~1817)は、夏目漱石が「写実の泰斗」と称賛するなど、専門家から文学的に高く評価されてきた。同時に、一般の読者の多くにも、時代や国を越えて長く親しまれてきた。そんな彼女の作品の魅力はどこにあるのだろうか。最も親しまれている『高慢と偏見』(『自負と偏見』の翻訳タイトルもあり)は、出合い、五回、それぞれの反省、双方の和解と歩み寄りを描き、ヒロインの自由闊達さや相手役の格好良さが魅力となって多くの読者を惹きつけてきた。1995年のBBCドラマ『高慢と偏見』は大ヒットし、その後のオースティン・ブームのきっかけとなった。しかしながら、作品の魅力はこの二人だけでない。主人公の母親や主人公に求婚する教区司祭など、周囲の脇役を通して余すことなく描かれる人間性の滑稽さは誰にでも身に覚えのあるもので、そこにオースティンの小説の真骨頂がある。自己中心的で、卑屈さと尊大さが入り混じった複雑で奇妙な人間の本質が、深刻にではなく、笑いを交えて批判される。また、将来の経済的な安定を確保するためだけに、他のあらゆることにすべて目をつぶって結婚相手を選ぶひとりの登場人物の姿は、当時の中産階級の女性が置かれた苦境を描いた社会批判として作品の幅を広げている。作者自らがイングランド国教会の「聖職位授与」をテーマとすると書いた『マンスフィールド・パーク』は、種咽喉が真面目で堅物すぎて面白くないと批判されることが多く、オースティンの小説の中では最も批判が芳しくない。確かに、道徳的に気高いヒロインよりも、世間の目など気にせず、自分の欲望のままに行動する人物たちの自由奔放さの方が読者を惹きつける。ただ、同時に、生真面目で真剣に生きることを心がけ続け、それをひたすら貫き通す気高さとが、ヒロインの大きな魅力であると読後にしみじみと沁みてくる。他にも、この作品は、これまでオースティンについて考える際に避けてきた二つの点、セクシュアリティ(性的思考性)とポストコロニアル(植民地支配の賦の要素)から新たな読み方が示され、オースティンの作品の読みの幅を大きく広げている。最後の作品となった『説得』は、それまでの作品にはなかった静の魅力に溢れている。ヒロインが新たな男性と出会うことで物語が始まるのがオースティンの定番だが、この作品は終わってしまった恋愛のやり直しの物語となっている。新たな出会いも素敵であるが、失ってしまった大切な想いをどうしても断ち切れず、もう一度取り戻すことの方がずっと難しい。他の作品と比べ、主人公の年齢も高めで、その設定もさりげない言葉や行動が持つ意味をより深く切ないものとして読者に伝えるのだ。どうしてあの時にあの決断をしたのか、そうして片ときもあの人のことを忘れることができないのか。そして偶然の再開がもたらす大きな喜びと苦痛。成熟したヒロインの姿は、作者もまた精神的に成長したことを伝えるものとなっている。長い時を経てもなお、変わらぬ人間の魅力が伝わるオースティンの良作を楽しみたい。(むかい・ひでただ) 【ブック・サロン】公明新聞2025.3.24
November 8, 2025
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下山御消息①現代語訳 教学部編第一段 因幡房が訪問の弔問に至った経過(御書新版272㌻初め~11行目・御書全集343㌻初め~8行目) 下山光基の詰問(あなた=下山光基〈注1〉の仰せに)「定例の時刻の勤行〈注2〉としては、当然ながら阿弥陀経を読誦しなければならないのではないか」等とありました。このことについては、お話がある以前から、父の代理〈注3〉としても、自分自身の考えからも、この4、5年の間は、怠ることなく定例の時刻の勤行で阿弥陀経を読誦し申し上げておりましたが、去年(建治2年=1276年)の春の末、夏の初めから、阿弥陀経をやめて、ひたすら法華経の中の自我偈を読誦しています。さらに、おなじ行うなら、法華経全巻を読誦申し上げようと努めています。これもまた、ひたすら現世安穏と後生善処を祈るためです。ただし、阿弥陀経の読誦や念仏をやめていることについては、次のような理由からです。このごろ、日本国中で耳にする日蓮聖人が、文永11年(1274年)の夏の頃、同じ甲斐国(現在の山梨県)の飯野御牧〈注4〉の波木井郷〈注5〉の中の身延山という奥深い山に隠遁されましたので、しかるべき人々が聖人の教えをお聞きになるはずでしたが、聖人が制止なさっていたので、かないませんでした。並々ではない強い人間関係がないと(法門の聴聞は)実現できないようでしたが、ある人が聖人のもとにうかがうと言うので(その型と一緒に行きましたが)、聖人の教えを信仰するつもりでうかがったのではなく、どのような様子か見ようとして、人気のない所からこっそりと入り、お住まいの庵室の後ろに隠れていたところ、聖人は人々の疑問に答えて、教えの概略をお説きになりました。…………………………………………………………〈注1〉〖下山光基〗本抄の宛先の人物。本抄は、日蓮大聖人の因幡房日永のために代筆されたものとされている。日永は、念仏者であった光基の氏寺・平泉寺の僧で、日興上人を通じて大聖人に帰依した。その結果、光基より叱責を受け、平泉寺を追放された。本抄は、この日永が光基に送る弁明書となっている。〈注2〉〖定例の時刻の勤行〗決まった時間に行う勤行のことで、当時の天台寺院では夕刻に阿弥陀経を読誦するのが通例であった。〈注3〉〖父の代理〗因幡房日永は父親の代行として仏事を行っていたと思われる。下山光基を日永の父とする説もあるが、不詳。〈注4〉〖飯野御牧〗甲斐国巨摩郡にあった飯野牧のこととされる。「御牧」は朝廷御用の牧場のこと。〈注5〉〖波木井郷〗現在の山梨県南巨摩郡身延町波木井。 第2段 仏道修行の大綱(御書新版272㌻12行目~274㌻3行目・御書全集344㌻1行目~16行目) 法華経は最も優れた教えまず、法華経と大日経・華厳経・般若経・解深蜜経・楞伽経・阿弥陀経などのさまざまな経典について、それらの優劣・浅深などをお説きになったのをうかがうと、次のようなお話でした。(以下、日蓮大聖人の説法)法華経と阿弥陀経などとの優劣は、一段階とか二段階の差にとどまるものではなく、天地雲泥の差なのです。譬えを挙げれば、帝釈天と猿、鳳凰〈注6〉とカササギ〈注7〉、巨大な山と細かな塵、太陽や月と蛍の光などというくらいの高低・優劣の差である。それら、おのおのの経文と法華経とを引き合わせて、比べられれば、愚かな人でも分かるはずである。明々白々である。それ故、この教えはおおむね他の人も知っている。いまさら驚くようなものではない。また、仏の教えにもとづいて修行する仕方は、必ずそれぞれの経典が大乗なのか小乗なのか、権教なのか実教なのか、顕教なのか密教なのかを判明しなければならないし、その上、十分に、時を知り、機根を定めて、行わなければならないものである。ところが、今の時代の日本では、誰もが、阿弥陀経や阿弥陀仏という名前〈注8〉などを根本としていて、法華経を全く無視している。世間で智慧ある人として尊敬されている人々は、誰もかれもが〝自分は時と人々の機根を知っている〟とお思いになっているようですが、小さな善によって大きな善を攻撃し、権教の経典によって実教の経典をなきものにする過ちは、小さな善が大きな悪となり、薬が毒に代わり、親族がかえって憎らしい敵となるようなものである。彼らを正道に戻すのは容易ではない。 仏法実践の方軌また、仏の教えをよく分かっているような賢そうな人であっても、時により、人々の機根により、国により、前後にどのような教えが弘められているかによるということを理解しなければ、体と心を苦しめて修行しても、結果が出ないものである。たとえ小乗の教えだけが流布している国に大乗の教えを弘めることはあっても、大乗だけが流布している国では、小乗の経典を強く割けるのである。無理にこれ(小乗の経典)を弘めれば、国も禍が起こり、人も(地獄・餓鬼・畜生の)悪道に堕ちることが避けがたくなる。また、修行を始めたばかりの人には、二つの教えを一緒に修行させることを許さない。インド〔月氏〕の慣例では、小乗の教えだけの寺の者は、王が使う中央の道を通ることはなく、大乗の教えだけを学ぶ僧侶は、一般人が使う左右の道に足を踏み入れることはない。(小乗の者と大乗の者は)井戸の水でも川の水でも同じものを飲むことはない。まして、同じ一つの住房に住むことなどあるだろうか。それ故、法華経には、修行を始めたばかりの者がいる大乗だけの寺について、仏(釈尊)は次のように説かれている。「ただ大乗だけの経典を受持することを願い、他の経典の一つの偈ですら受持してはいけない」〈注9〉と。また、「声聞の教えを求める男女の出家者・在家者に親しみ近づいてはならない」、また、「(彼らに)あいさつしてはならない」〈注10〉と。たとえ父親であっても、小乗だけの寺にいる男女の出家者を、大乗だけの寺に入る息子は礼拝することはないし、親しみ近づくこともない。まして、その教えにもとづいて修行するだろうか。大乗・小乗の両方を学び修行する寺は、修行が進んだ〔後心〕菩薩が住むところである。…………………………………………………………〈注6〉〖鳳凰〗中国で聖王の出現の兆しとされえる想像上の鳥。〈注7〉〖カササギ〗鳥の名。御書本文の「鳥鵲」は「うじゃく」とも読む。カラスに似ているが、やや小さく尾が長い。また背は黒いが肩と腹は白い。〈注8〉〖阿弥陀仏という名前〗法然が創立した浄土宗では、阿弥陀仏の名を唱える称名念仏(具体的には、『帰依する』という意味の「南無」の語を付けて、「南無阿弥陀仏」と唱えること)を、極楽世界に生まれるための根本の実践とする。〈注9〉〖「ただの大乗の……受持してはいけない」〗法華経譬喩品第3に「若し比丘有って 一切智の為に 四方に法を求めて 合唱し頂受し 但楽って 大乗経典を受持するのみにして 乃至 余経の一偈をも受けずば 是くの如き人に 乃ち為に説く可し」(法華経206㌻)とある。〈注10〉〖「声聞の声を求める……してはならない」〗法華経安楽行品第14に「又声聞を求むる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に親近せず、亦問訊せず」(法華経424㌻)とある。 第3段 鑑真より伝教大師に至る日本仏教史(御書新版274㌻4行目~275㌻14行目・御書全集344㌻17行目~346㌻2行目) 鑑真の日本渡来ここで日本について見ると、初めて仏教が伝来した頃は、大乗と小乗がき別されていませんでしたが、神武天皇から数えて〈注11〉第45代の聖武天皇〈注12〉の御在位中に、唐の揚州〈注13〉にある竜興寺の鑑真和尚〈注14〉という人が、中国からわが国に法華経と天台宗を伝えたということがあったが、完全な教えを受け入れる機根がまだ十分ではない(円機未熟)とお考えになったのか、この教え(法華経と天台宗)を自分の心の中にしまっておいて、口に出すこともなさらず、唐の終南山〈注15〉にある豊徳寺の道宣律師〈注16〉から伝えられた小乗の戒律を、日本の三つの場所〈注17〉に打ち立てた。これは他でもなく法華宗が流布するための仮の手立てなのである。大乗が現れた後に、(大乗と小乗を)並行して実践しなさいということではないのである。例を挙げれば、儒教の根本の師匠である孔子や老師などといった3人の聖人〈注18〉は、仏(釈尊)の使いとして中国に派遣されて、仏教経典〔内典〕への入門として、礼儀と音楽を説く書物を人々に教えたのである。(天台大師智顗の)「摩訶止観」〈注19〉には、経典を引用して、「私(釈尊)は3人の聖人を派遣して、中国を教化した」〈注20〉などと述べられている。妙楽大師(湛然)は「礼儀と音楽が先に流布し、真実の教えはその後で広がる」〈注21〉と述べている。仏(釈尊)は、大乗への入門として当座は小乗の戒律をお説きになったが、時が過ぎた後にはそれを禁止して、涅槃経でも「もし〝仏は常住ではない〟と言う人がいれば、どうして、この人の舌が抜け落ちないことがあるだろうか」〈注22〉などと説かれている。 伝教大師の法華経の宣揚その後、第50代の桓武天皇〈注23〉の御在位中に、伝教大師(最澄)という聖人が出現した。初めに華厳宗・三論宗・法相宗・俱舎宗・成実宗・律宗という六宗の教えを完全に習得されただけでなく、達磨宗(禅宗)の教えの最も深いところまで探求し、それだけでなく、日本に広まっていない天台(法華)宗と真言宗という二つの教えについても解明して、それらの浅深・優劣を心の中で極め尽くされた。延暦21年(802年)正月19日に、桓武天皇は高雄山寺〈注24〉にお出ましになり、奈良の七大寺〈注25〉の長老である善議〈注26〉や勤操〈注27〉たち14人〈注28〉の僧侶を招集して伝教と対論させ、六宗と法華宗との優劣を追求された。(当時は)六つの宗派の大学者たちが、それぞれの宗派ごとに「自分の宗派は、釈尊が説いた教えの中で最高である」ということを主張したけれども、伝教大師の一言で全て論破されてしまった。その後、天皇は再びお言葉をお伝えになった。和気広世〈注29〉を勅使として𠮟責なさったので、七大寺に属する六宗の大学者は一斉に天皇への感謝を記す上申書(注30)を提出した。14人の僧侶たちが書いた上申書には、「この世界の衆生は、以後は、すべての妙法・円教(円満な教え)の船に乗り、速やかに成仏の彼岸に渡ることができるでしょう」〈注31〉とある。伝教大師は、「250条の戒律は、たちまち捨ててしまった」〈注32〉と述べている。また、「商法・像法の時代はほとんど過ぎ去り、末法の時代がすぐそこまで近づいている」(注33)と。また、「一乗の立場に立つ者たちは、(一乗以外の)方便の教えを一切用いない」〈注34〉と。また、「汚れた食物を貴重な器においてはならない」(注35)と。また、「釈尊がいらっしゃった時代の偉大な阿羅漢も、この叱責を受けたのである。釈尊が亡くなられた後の時代の蚊や虻のような僧侶が、この例に従わないということがあるだろうか」(注36)と。(第3段は次号に続く)…………………………………………………………〈注11〉〖神武天皇から数えて〗御書本文は「人王」。神武天皇は初代の天皇とされ、『日本書紀』などでは、神武天皇より前の天皇家の祖先を神として扱っている。〈注12〉〖聖武天皇〗701年~756年。第45代天皇。鎮護国家の思想に基づき、国立寺院として国分寺・国分尼寺を諸国に建立し、亦東大寺の大仏を造営させた。〈注13〉〖揚州〗現代の中国江蘇省中部の都市。〈注14〉〖鑑真和尚〗688年~763年。中国・唐の僧で、日本律宗の開祖。天平勝宝5年(年)に基づく正式な受戒出家の方式を伝えた。また、天台大師の著作を含むさまざまな文献をもたらした。〈注15〉〖終南山〗長安(現在の陝西省西安市)にある山。〈注16〉〖道宣律師〗596年~677年。中国・唐の僧。律して詳しく、南山律宗の祖とされる。日本に受戒制度をもたらした鑑真は、その孫弟子に当たる。〈注17〉〖日本の三つの場所〗階段(出家希望者に対して正式の僧侶とする場所)が設置された処で、奈良の東大寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺、筑紫国(現在の福岡県)の観世音寺の3カ所のこと。〈注18〉〖3人の聖人〗孔子・顔回・(孔子の弟子)・老子のこと。「開目抄」(新53・全187)では、清浄法行経を引いて、釈尊は月光菩薩・光浄菩薩・迦葉菩薩の3人に中国を教化するように命じ、それぞれ顔回・孔子(仲尼)・老子となって中国に生まれ、中国に教えを伝えたと記されている。〈注19〉〖「摩訶止観」〗『止観』と略される。10巻、天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。〈注20〉〖「私は3人の聖人を派遣して、中国を教化した」〗「摩訶止観」巻6の文。清浄法行経の取意。前中8を参照。〈注21〉〖「礼儀と音楽が先に流布し、真実の教えはその後で広がる」〗妙楽大師の『止観輔行伝弘決』巻6の文。音楽は、儀礼・儀式に欠かせないものであり、中国で古代より文明の象徴とされてきた。〈注22〉〖「もし、仏は常住……落ちないことがあるのだろうか」〗涅槃経(北本)第5の如来性品第4の文。涅槃業では仏が常住であることを説いており、それを認めないものを小乗として批判している。〈注23〉〖桓武天皇〗737年~806年。第50代天皇。光仁天皇の第一皇子。律令政治を立て直すため、長岡京、平安京への遷都を行った。伝教大師最澄に帰依し、日本天台宗の成立に大きく貢献した。(注24)〖高雄山寺〗現在の神護寺のこと。京都市右京区梅ケ畑高雄町にある。〈注25〉〖奈良の七大寺〗奈良(ナント)の中心的な七つの寺。諸説あるが、一般には、東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺の七カ寺を指す。これらの寺は、奈良時代までに伝わり国家に公認されていた仏教学は(南都六宗)を研究する中心的な場所だった。〈注26〉〖善議〗729年~812年、平安初期の三論宗の僧。大安寺の道慈に学ぶ。弟子に勤操がいる。〈注27〉〖勤操〗754年または758年~827年。平安初期の何と七大寺の高僧の一人で、三論宗の僧。善機から三論を学ぶ。〈注28〉〖14人〗「叡山大師伝」によると、善機・勤操のほか、勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏が招かれたという。〈注29〉〖和気広世〗生没年不詳。平安初期の貴族で、和気清麻呂の長子。弟の真綱とともに深く仏法を信じ、日本の天台宗の成立に貢献した。〈注30〉〖天皇家の感謝を記す上申書〗御書本文は「謝表」。主君の恩に対して感謝の意を表明する上奏の文書。(注31)〖「この世界の衆生は……渡ることができるでしょうか」〗『叡山大師伝』から引用。〈注32〉〖「250条……捨ててしまった」〗『叡山大師伝』の取意。「250条の戒律」は、男性出家者(比丘)の律で、当時の日本ではこれを受持することで正式の僧と認定された。伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は、大乗の戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。〈注33〉〖『正法・像法の時代……近づいている』〗伝教大師の著作『守護国界章』巻上の下の文。『守護国界章』は弘仁9年(818年)の作。一般に日本では永承7年(1052年)を末法到来の年とする。〈注34〉〖「一乗の立場に……用いない」〗『守護国界章』巻上の下の文。一乗は、「唯一の教え」の意で、全てのものが成仏できるという法華経の教えのこと。〈注35〉〖「汚れた……置いてはならない」〗『守護国界章』巻上の文。もともとは維摩経の中で、小乗の教えを説いていた富楼那に対して、維摩居士が発した言葉。「汚れた食物」は小乗の教え、「貴重な器」は大乗を求める心をそれぞれ譬えている。〈注36〉〖「釈尊がいらっしゃった……ということがあるだろうか」〗『守護国界章』巻上の下の文。阿羅漢は、声聞の最高位。「釈尊がいらっしゃった時代の偉大な阿羅漢」とは「具体的には富楼那のことで、前注の通り維摩居士から叱責を受けたことを述べている。「釈尊が亡くなられた後の時代の蚊や虻のような僧侶」とは具体的には伝教大師と論争した法相宗の学僧・得一のことで、得一の天台教学批判は、人々の機根を理解していない点で、維摩居士から叱責された富楼那と同じであると述べている。 大白蓮華2025年4月号
November 7, 2025
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「問い」を考えるインタビュー 「編集工学研究所」社長 安藤 昭子さんあんどう・あきこ 編集工学研究所・代表取締役社長。出版社で書籍編集や事業開発に従事した後、「イシス編集学校」で松岡正剛氏に師事、「編集」の意味を大幅にとらえなおし、2010年に編集工学研究所に入社。21年から現職。著書に『問いの編集力』(ディスカヴァー・トェンティワン)など。 「問う」ことで見えてくる——自分の可能性と〝新たな世界〟 ——昨年9月、新著『問いの編集力』を出版されました。 日本の教育では、「答えを出す」ことが重視されてきましたが、その半面、自分で「問い」を立てる練習はしてこなかったのではないでしょうか。それでは、好奇心の起点である〝疑問を持つ〟力が弱ってしまいます。「変動性」「不確実性」などと表現される現代社会では、既存の価値観が崩れていく中で、自分が説くべき問題を設定するのは、ほかならぬ自分自身になっています。それにもかかわらず、問いが何かということは、見過ごされがちです。 ——問いの編集力は、どのように高めていけるのでしょうか。 日常生活の中には、考える労力を使わなくて済むような「固定観念」があります。そんな、「当たり前」を「ほんとにそれでいいのかな?」と塔習慣を身につけることがポイントです。それは例えば〝学校の生徒としてはこうあるべき〟〝友達としてはこう〟……のように、自分が無自覚に規定している「私」という枠組みを取り外すことからはじまります。固定観念の膜を破るため「土壌をほぐす」ことから、「問い」は生まれていきます。 ——安藤さん自身にも、そうした経験がありますか。 私は20年ほど前まで、出版社の書籍編集の部署にいましたが、興味・関心が、会社の部署の枠組みに収まらなかったんです。インターネットにも関心を持ち始め、システムの部署に入り浸ってはプログラミングを教えてもらいました。書籍の構想を考えることと、プログラミングは、私の中では〝つながっている〟感覚があるのですが、周囲にはなかなか理解されない。そんな時、編集工学研究所を設立した松岡正剛の書籍に出会い、同じく松岡が設立したイシス編集学校に入り、師事しました。私の人生も、「当たり前」に対する問いによって進んできたと言えます。 ——松岡正剛氏は、日本文化を独自の視点で読み解く著作を次々と発信してこられました。松岡氏に師事し、安藤さんは何を得ましたか。 編集工学という思考の体系を残してくれたので、まずそれを学べたということ。また、幸いなことに松岡のすぐ近くで仕事をする縁をいただいたので、松岡が何かを行動する際、〝何を捨て何を取っておくのか〟を考えながら〝二重写し〟で師の姿を見ていました。その方が、行動や結果といった〝一重〟の師匠だけを見ている時よりも、はるかに習得が早いと思います。編集工学では「方法を盗む」という言い方をしますけれども、松岡の思想とか智識のみならず、「松岡の方法」を見ているということをやっていたように思います。 ——私たちは、創価学会の池田大作第3代会長の著作である章節『人間革命』『新・人間革命』などから、当会の歴史や師弟の精神を学んでいます。 創価学会には、多くの言葉が残されていると思いますが、そうした言葉からも、師の息遣いを感じることができますね。編集工学研究所では今、「探求型朗読」というものを発信しているのですが、これは、松岡の読書の仕方を「方法」として学び、多くの人が活用できる型にしたものです。ぜひ書籍や言葉から、〝師匠が何を考えていたのか〟を学びの役に立てれば幸いです。 「探求型読書」のススメ「問い」の力を養うため、ここでは読書を通して、テーマを深堀する「探求型読書(クエスト・リーディング)」を紹介します。 ステップ1 テーマ設定「探求型読書」では、本の内容をすべて理解する必要はありません。むしろざっくり読みながら、必要な情報をすくい上げることに重きが置かれます。ポイントは「テーマ設定」。「どのような問いを設定するか」などを先に定めてか読書に臨みます。 ステップ2 目次読みまずは拍子や帯を見て、どのような内容が書いてあるかを想像してみましょう。次に「目次読み」です。本の目次だけを見て、大切だと思う「キーワード」をピックアップします。それを組み合わせて内容を想像することで、本の「輪郭」が浮かび上がってきます。 ステップ3 QAサイクル読む前に立てた仮説やトピックを、頭に浮かべながらザクザクと読み進めましょう。ポイントの一つ目は、著者の問題意識(問=Q)と発見(答え=A)も意識すること。読書時間の目安は、20~30分程度です。 ステップ4 アナロジー本文を読み、「連想ゲーム」の要領で、一冊の本から出た情報が「何に似ているか、何と関係がありそうか」というアナロジー(類推力)を働かせます。次に、読む前に立てた仮説と本文を読んで得られた情報との共通点やズレをメモします。最後に、それらを総合しながら、テーマに照らして思ったことを話し合います。 【「ユース特集」】聖教新聞2025.3.22
November 7, 2025
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「ハイリスク」という快感——ギャンブルへの依存ギャンブル依存症も日常生活の破綻を引き起こす深刻な症状です。例えば、パチンコをしている4人に1人が自分は依存症ではないかと思ったことがあると答えています。また友人同士で麻雀を楽しみ、なかなかやめられなくなった経験がある方も多いでしょう。ギャンブルはお金の出費を伴いますから、依存症の結果は深刻で悲惨なものが多く、時には犯罪を招くこともあります。ギャンブルがやめられなくなる原因として、昔からよくいわれているのは「ビギナーズラック」の存在です。ふらっと入ったパチンコ店で偶然大当たりが出ると、その結果が忘れなくなってパチンコ依存症になるというような説明です。もしこれでお客が増えるならパチンコ店は初めてのお客にサービスをするでしょうが、実際に初めての客を見分ける方法などありませんし、そのようなことをしなくてもお客はパチンコを楽しんでくれます。最近ではどうもビギナーズブラック説は間違いではないかといわれています。つまりそんなものがなくても、人は、いや動物はもともとギャンブルが好きなのではないかと考えられるようになってきたのです。そのきっかけになったのが「スキナーの箱」と呼ばれる、有名な鳩の実権です。 ・Aの箱:スイッチを押すとかならず餌が出る。・Bの箱:スイッチを押すとときどき餌が出る。 この2つのタイプの箱を複数用意し、鳩を入れて一定期間放置して学習させた後、A、Bともに一切餌が出ないようにしました。すると、Aの箱で学習した鳩は2,3回スイッチを押しても餌が出てこなくなると諦めたのに対し、Bの箱で学習した鳩は、一日中スイッチを押し続けたのです。Bの箱では、餌が出たりでなかったりするスリルがハトに何度もスイッチを押させる動機になっていたのです。それがギャンブル依存症の原因ではないかといわれています。 【脳内麻薬「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」】中野信子/幻冬舎新書
November 6, 2025
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アルコール依存症が起こる仕組み日本のアルコール依存症は約230万人とも300万人ともいわれていますが、その中で入院して治療を受けているのは年間1万数千人にすぎません。つまりはほとんどの依存症患者がなんの治療も受けていないのです。アルコール依存症は、その依存対象が麻薬や覚醒剤のように法律で規制されていないだけであって、薬物依存の一種であり、患者数から見て最大の依存症なのです。この病気は『慢性(一度かかると治りにくい)で』で「進行性(症状が次第に重篤になる)」の患者であって、一度かかると完治することがほとんどなく、時には死を招くこともあります。また、人格の変化をともないますから、家族や周囲の人々に強いストレスを与えます。治療には長期間の断酒が必要で、一見正常に回復したとしても一度の再飲酒ですぐに再発しています病気なのです。アルコールすなわちエタノールの直接の作用は中枢神経に対する抑制作用です。神経の働きを弱くするわけです。なぜアルコールで酔っ払って暴れる人が多いかというと、抑制性の神経に対して抑制作用が起こるからです。つまり、アルコールは、脳のブレーキの働きをゆるめてしまうのです。お酒を飲み始めて、血中アルコール濃度が少しずつ上がると、衝動的な行為や、感情の抑制が利かなくなっていきます。このときうっかり、気になっている異性に過剰にバタバタしてしまったり、普段か変えているうっぷんを、上司に面と向かって言い放ってしまったりすることがあります。やがてもう少し濃度が上がると、意識や運動をコントロールしている神経も抑制され、刺激に対して反応しにくくなります。これを酩酊期と言います。さらに濃度が上がると呼吸を含めた生命維持活動までが抑制され、ひどい場合には死に至ります(昏睡期)。さて、この説明では、アルコールが脳の機能をマヒさせる、麻酔に似たような作用を持っていることはわかりますが、なぜ極端な依存症を引き起こしやすいのかについてはわかりませんね。ジュース、紅茶、コーヒーなど、他にも美味しい飲み物にはたくさんあります。産地名の付いた名産物や、高価な贈答品などとして売られているものもあり、中にはお酒より高価なものもあるようです。しかし紅茶やジュースの依存症というのはあまり聞きません。お酒にも「おいしさ」があり、ワインや日本酒などの銘柄にうるさい人はたくさんいます。またビールなどでは「喉越し」の快感を訴える人も多いですね。しかし、おいしいお酒ほど依存症になりやすいかというと、そうではありません。アルコールが依存症を招く原因は、味のせいではなく、アルコールという物質そのものの働きにあります。実は、アルコールは味やのど越しを通して快感を与えるだけでなく、報酬系をじかに活動させるのです。報酬系が活性化されると、人が快感を覚えることはすでに述べた通りですが、前述したようにこの報酬系には、普段、GABA神経を抑制する働きがあるのです。つまりアルコールが他の飲み物に比べて特に好まれるのは、味がいいからではなく「ご褒美」のブレーキを弱らせて、ドーパミンをたっぷり分泌させるからなのです。ところで、アルコールには強い人と弱い人がいます。それはアルコールを処理する酵素を持っているか持っていないのかの違いです。日本人の45パーセントほどが遺伝的にアルコールに弱く、ほとんど受け付けない人もいます。それでは、アルコール依存症のもなりやすい人となりにくい人がいるのでしょうか。最近、BASGRF2という遺伝子が、アルコールが切れても再度求めることはありませんでした。はたヒトの実権では、RAGRF2に変異がある少年はそうでない少年より、習慣的に飲酒をしているという事実が明らかになりました。今後、この遺伝子はアルコール依存症になりやすい遺伝子として研究が続けられていくでしょう。 【脳内麻薬「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」】中野信子/幻冬舎新書
November 5, 2025
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次の行動企画に心を湧き立たせる「長崎へ行ってみたところ、おしくもロシア艦は去ったあとであった」と、鳥山らにすべてを報告したが、べつに落胆する様子はなく、顔色も声の張りもいきいきしている。このあたりが松陰の特徴であった。失敗すればまた、あらたな企画を考えるというたちで、このため失望や退屈をするいと(、、)ま(、)がなく、いまはもう、つぎの行動企画に心を湧き立たせていた。 【世に棲む日日】司馬遼太郎/文春文庫
November 5, 2025
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やっぱり宇宙は面白い佐々木 亮隕石、電磁波、ニュートリノ…地球に到達するものを調査 高い? 低い? 小惑星の衝突確立2月、びっくりするニュースが飛び込んできました。それは、去年発見された小惑星「2024 YR4」について、地球に衝突する確率が高まったというもの。太陽系には多くの小惑星があり、NASAなど各研究機関は、地球に近づく可能性がある小惑星をリストにして追跡、動きをシュミレーションして、地球との衝突可能性や、影響について調べています。この小惑星は、昨年12月27日に発見され、直径は40~90㍍と見られています。1月時点では1.2%の衝突確立だったものが、一時、2.8%に上昇しました。地球に近づく可能性がある小惑星は1700以上あり、その中でこの小惑星の衝突可能性が、最も高くなったのです。通常、小惑星はいびつな形をしていることがあり、軌道計算が難しいのです。きれいな球体であれば、重心の重さを考えればいいのですが、長細くなるとそうはいきません。回転することで、先端部分に重力が働き、軌道自体にも影響が出てしまうのです。通常、隕石が落下しても地上で気付くことはめったにありません。その理由の一つとして、地球の7割は海で、陸上に落ちたとしても、人間は狭い地球にしか住んでいないため、気付かないのです。大きな隕石が衝突したとすると、大きな被害が予想されています。1908年にロシア・ツングースカ上流に落下した隕石は、直径50~60㍍。爆心地から半径50キロの森林が炎上、約2150平方㌔(東京都と同じ面積)の樹木がなぎ倒されました。多数の被害を出した例としては、2013年にロシア・チェリビンスク州に落ちた隕石があります。直径10㍍以下ですが、落下の衝撃などで学校や住居、病院、工場などで窓ガラスが割れるなどの被害があり、1000人以上が負傷しました。NASAでは、映画「アルマゲドン」のように、人工衛星を使って、小惑星の軌道を変えたり、破壊する実験に成功しています。 日本でも見えた赤いオーロラ地球に衝突するものは、小惑星などの物質ばかりではありません。昨年5月、日本各地でオーロラが観測され、大きな話題になりました。オーロラは、極地方で見られる鮮やかな青や緑の光のカーテン。オーロラは、太陽フレアの影響で放出されたプラズマ(高温で電気を帯びたガラスの塊)が地球に衝突することで起きます。太陽からの粒子が地球にぶつかると、大気中の酸素や窒素が励起(活動的な状態になること)されます。これが元の状態に戻る時に、余分なエネルギーが光として放出され、オーロラになるのです。光の色は、エネルギーの大きさによって異なり、酸素が励起されたときには緑や赤、窒素の場合は青や紫になります。地球は磁場に囲まれています。この磁場のおかげで、太陽から飛んでくる粒子や強い放射線から守られているのです。しかし、太陽フレアが発生すると、磁場が強く乱され、太陽から飛んできたプラズマなどが大気にぶつかるようになります。プラズマは、地球に到達すると、地球の磁場に沿って移動し、北極や南極で待機にぶつかることに。そのため、通常は北極や南極に近い場所でしか、オーロラを見ることはできません。昨年は、特に太陽の活動が活発で、強い太陽フレアが発生しました。その結果、大気にぶつかるプラズマの量も増え、大規模かつ広範囲でオーロラが観測されたわけです。いくら広範囲で発生したオーロラといっても、日本の上空で発生したわけではありません。極地方で発生したオーロラが大規模だったので、遠くからでも観測できたのです。また、遠い場所からだと上空のオーロラしか見えないため、赤色に見えたわけです。地球に衝突するのを調べることで、宇宙についてさまざまなことが分かってきました。隕石からは太陽系の誕生などが。宇宙を観測する時にも、目に見える光(可視光線)、エックス線、赤外線、ニュートリノ……。観測のための機器も進化してきました。今後、宇宙についてもっと面白いことが分かってくるでしょう。=談(宇宙ポッドキャスター) ささき・りょう 1994年、神奈川県生まれ。専門は宇宙物理学。理化学研究所、NASAの研究員を経て、現在、科学系の発信やデータ分析を用いた事業を推進。毎日配信しているボッドキャスト「佐々木亮の宇宙ばなし」が注目されている。近著に『やっぱり宇宙はすごい』(BS新書)がある。 【文化Culture】聖教新聞2025.3.20
November 4, 2025
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河川に挟まれた激戦の舞台城郭ライター 萩原 さちこ長篠城長篠・設楽原の戦いの舞台となった長篠城(愛知県新城市)。1575年、徳川家康方の奥平貞昌が籠る長篠城を武田勝頼が攻撃。やがて織田信長・家康連合軍と武田軍が設楽原で激突し、大敗を喫した武田氏は衰退して滅亡の一途を辿ることになります。長篠城は東三河地域の平地と山地の境目、遠江放免、美濃方面、伊那方面の各地に通じる街道の分岐点にあります。この地域では、今川氏の没落後、武田信玄・勝頼親子と家康が熾烈な領土争いを展開。長篠城の支配権も、徳川から武田、そして再び徳川へと目まぐるしく交代しました。城は寒狭川(豊川)と三輪川(宇連川)の合流点にあり、河川によって削られた河岸段丘を利用して築かれています。秘境のような静かな景観からは激戦など連想できませんが、牛渕本に立てば、二つの河川と断崖に守られた城の強みがよくわかるはずです。500余で1万5000の猛攻に持ち堪えられたのは、この地形のおかげでしょう。台地の突端部分には野牛門があり、野牛曲輪が置かれていました。JR飯田線の線路を境に北西側が本丸となり、その境には7㍍の土塁を築いて独立性を高めていたようです。発掘調査によれば、本丸は南西側以外に土塁と堀がめぐり、北側に土橋でつながれた虎口があったよう。北側には虎口を経て帯郭、その北側に外堀がありました。この虎口とセットで、長篠城史跡保存館の辺りには馬出があったとみられます。断崖地形をうまく利用しながら、平地が続く方向は土塁と堀をめぐらせる、なかなか防御性に優れた設計だったといえそうです。長篠城は徳川方の城となった後に城主の奥平氏によって最終的な回収をされたとみられますが、1571年に徳川方から武田方に帰属した際には、武田氏も手を入れていたようです。城内をJR飯田線が貫通しているものの、本丸を取り巻く掘りと土塁はかなりダイナミックで圧倒されます。本丸からは、武田軍が人を置いた中山砦、鳶が巣山砦、姥が懐砦などの砦軍が遠望できます。 【日本全国お城巡り‐33‐】公明新聞2025.3.20
November 4, 2025
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森鷗外と芝居早稲田大学名誉教授 中島 国彦海外の戯曲を翻訳し、演劇に影響近代日本の文学者として、森鷗外と夏目漱石は双璧だが、対称的な点が多い。ほとんど翻訳をしていない漱石に対し、鴎外の翻訳は質量ともに群を抜いている。漱石は劇作品を残していないが、鴎外には明治30年代の旧劇改革の試みから日露戦争後の現代劇まで、戯曲集『我一幕物』に収録されていた幅広い作品が残されている。「芝居」という語感から浮かび上がる世界が、鴎外の周辺には立ち込めている。鷗外の演劇体験は、1872年に東京に出てきたからのものだが、歌舞伎の世界は身近なものだった。鷗外より5歳年下の弟篤次郎は、三木竹二の名で活躍した劇評家で、雑誌『歌舞伎』の主宰者だ。岩波文庫に『観劇偶評』がある。時代が新しくなっても、まだ文学では馬琴など近世小説の影響が強いのと同じように、歌舞伎の世界はまだ身近なもので、季節感もあり華やかな様式美のある別世界として感じられていた。歌舞伎座など桟敷のある劇場の存在が、観客の一体感を生み出し、それを助長したのだろう。1903年、市村座で若い永井荷風が敬愛する鴎外に初めて会い、温かい励ましを受けたエピソードも思い出される。それを転換させたのが、鴎外の外遊、ドイツでの度重なる外国文学の摂取、そして演劇体験だった。近代文学の成熟とともに、その影響が次第に現れてくる。外国滞在時に演劇体験をした文学者は多い。荷風のアメリカ、フランスでのオペラ体験、漱石や島村抱月のロンドンでの劇場体験も見落とせない。それに対し医学研究が中心の鴎外の演劇体験は、文学作品を読むことが中心だったのだろう。それがおびただしい数の翻訳戯曲の存在に現れている。ゲーテの『ファウスト』から、イプセン、ハウプトマンなど比較的新しい現代劇まで、時代に与えた影響は大きい。対立を造形化、心を情感豊かに描く現代劇の基本構図は、二つの世界の対立にある。新旧のこともあるし、男女の対立ドラマもある。「芝居」「台本」という語感ではなく、新しい「演劇」「脚本」、それが言語化された「戯曲」という表に出てくる。舞台上の対話、ダイアローグの熱量が、鷗外によって、一気に増大する。観客は一人一人、そうした舞台上の世界に対面する。1909年に、イプセン作・鴎外訳『ジョン・カブリエル・ボルクマン』上演で自由劇を始めた小山内薫の活動も、鴎外に刺激を受けたからだ。芸術座で松井須磨子と全国各地を回っていた抱月も、鷗外訳の一幕ものを取り上げている。鷗外の大きさは、対立を観念化して造形し、一気にぶつけるという方向だけではなく、人間の心を情感豊かに描き出す方向にも、見事な達成を見せていることにある。『団子坂』「影と形」といった対話は明快で面白いが、それよりも、一編の短編小説が生み出す、しみじみとした印象の方が強いこともある。ひと組の夫婦の愛情が浮かび上がる『ぢいさんばあさん』は、鷗外原作は小説だが、宇野信夫の巧みな脚本により、上演回数の多い、文字通りの「芝居」の世界となった。演劇の世界で鴎外のまいた種子は、今後も大きく広がるはずである。(なかじま・くにひこ) 【文化】公明新聞2025.3.19
November 3, 2025
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海底に眠る負の遺産パラオで進む戦争の後始末 太平洋の青い海に囲まれた常夏の島国パラオ。世界屈指のダイビングエリアとして知られるが、海の底には旧日本軍の艦艇などが静かに眠っている。公的な潜水チームがないこの国で、80年経った今も戦争の「負の遺産」である水中爆発物の後始末に当たる日本人たちがいる。(コロール=パラオ=時事) 元自衛官らが爆発処理を支配者だった日本人の責務から 水深30㍍に残る爆雷4万4000発——。福島県出身の元海上自衛官篠山浩司さんがこれまでに発見・処理した爆発物の数だ。篠山さんは、水中不発爆弾処理に30年以上従事した熟練ダイバー。退官後、自衛官OBらが設立したNPO「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」に参加し、2016年五パラオに赴任した。以来、パラオ人との混成潜水チームのリーダーとして毎日のように海に出て、爆発物に向き合ってきた。日本の問い地下にあった第2次大戦末期の1944年3月、南方作戦の拠点だったパラオの湊に米軍の大空襲があり、停泊していた輸送船など多くの日本観船が沈没。積載されていた爆雷船が沈没。積載されていた爆雷や、米国の不発弾などが海中に残されることになった。戦後、沈没船の探索が進み、主要港であるマラカル港の沖合約1㌔で発見された日本の輸送船「ヘルメットレック」(通称)から約5000個の爆雷が見つかった。爆雷容器は腐食が進み、有害成分が漏出。海洋汚染を懸念したパラオ政府は2012年、JMASに爆雷の処理を要請した。水深約30㍍の暗くて狭い船内から、もろい爆発物を取り出すには高度な専門技術が必要だ。篠山さんたちは1個150㌔ある爆雷を一つずつ水上の筏に引き上げ、陸に移送する地道な作業を進めてきた。「震度の関係で潜水作業は1日に1時間程度。あまりにも量が多く、活動当初は途方に暮れた」と振り返る篠山さん。しかし「自分たちの先輩が残したものだから、自分らで処理するしかない」と諦めず、取り組み続けてきた。かつての支配者である日本人の責務だと考えている。 現地ダイバーも育成パラオでは今なお海中で爆発の危険がある不発弾が見つかる。活動期限が25年末に迫るなか、JMASはパラオ政府と協力し、自分たちに代わる現地ダイバーの育成に取り組んでいる。訓練を受けるコロール州レンジャー隊員のマック・正晴さんは水中での創作方法などを約3年間かけて習得。篠山さんたちを「厳しい先生」と評するが、「爆発物処理の技術を身につけて、国の宝である海の安全を守りたい」と笑顔で話す。「パラオの未来のために」。その思いが両国の人々を深く結びつけている。 世界一の〝親日国〟西太平洋に浮かぶ約340の島で構成されるパラオは、屋久島とほぼ同じ面積に約1万8000人が暮らしている。1914年から約30年にわたり日本の統治を受け、太平洋戦争では激戦地となった。93年には日系2世の故クニオ・ナカムラ氏が第6代大統領に就任。約94年に米国からの独立を果たし、観光業を中心に発展を遂げてきた。絆を忘れず次世代につなげる統治時代に多数の日本人が維持住したため日経人口比率が高く、「ダイジョウブ」「ナマイキ」など日本語に由来する言葉が数多く伝わる。当時、日本が玄地産業育成に力を入れたほか、冬眠向け教育を行ったことなどから親日家が多く、「世界一の親日国」とも呼ばれる。日本風の名前を持つ人が多く、日本にルーツがない人も「サトウ」などの姓を名乗っている。アイタロー外相は「日本とパラオの歴史は長く、兄弟のような特別な関係にある」と強調。「ともに不発弾御処理を進めるのは平和を示す象徴的な動きだ」と述べ、「日本人にはパラオとの絆を忘れず、次世代につなげて欲しい」と訴えている。 【文化・社会】聖教新聞2025.3.18
November 3, 2025
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深刻な社会の分断招く恐れも科学文明論研究家 橳島 次郎ゲノム編集の未来㊦前回、ゲノム編集の発展形として、受精卵の段階で数十、数百の遺伝子改変を施す「多遺伝子編集」の研究が進められていることを紹介し、その医学上の問題点を見た。今回は、この先端技術の倫理的問題について考えてみたい。人間の遺伝子にどこまで手を下してよいか。1990年に遺伝子治療を始める際に米国が作成し、その後、日本を含め世界中で採用された倫理指針では、人間の遺伝子組み換えに二つの制限を設けた。第一に、病気の治療目的以外の利用は禁じる。例えば成長ホルモンをつくる遺伝子の改変・投与は低身長症患者の治療に限り、健常者の身長を伸ばすことに用いるのは禁じる。第二に、子孫に遺伝する生殖細胞(精子、卵子、受精卵)の遺伝子組み換えは禁じる。この二つの制限が設けられたのは、当時、生命の設計図だとされた遺伝子に人が手を加えることへの懸念が非常に強く、人間の遺伝子改変は最小限に抑えようとの配慮が働いていたからである。だがその後、遺伝子治療は、がんなどの一般の病気の治療に広く使われるようになった。さらに2010年代に、従来の技術よりも高い制度と高率で遺伝子を改変できるゲノム編集が実用化され、人間の遺伝子治療にも応用され始めた。こうして遺伝子改変の技術が広まるにつれて、従来の倫理的制限の見直しを求める動きが出てきた。その結果、激しい議論の末、欧米や日本など多くの子にで、受精卵のゲノム研究を、子宮に入れて子を産ませることは当面禁じるという条件で認める方針が採用された。受精卵を対象にするのは、発生の起点で遺伝子改案をすれば全身の細胞に生き渡り、効果を発揮するのに最も確実な方法だからだ。多遺伝子編集は、こうした倫理的制限の緩和の流れの中で企図されたが、最も懸念されるのは、病気や障害のない人間だけを産もうとする優性思想の実現につながる恐れである。今のゲノム編集の週十倍の規模で遺伝子改変を行う多遺伝子編集は、そうした懸念を増大させる。病気や障害があっても生きようとする人々への差別と排除が強まるのは避けなければならない。まして、病気の予防に加え筋肉の増強や記憶力の強化など、心身の向上を目的に多遺伝子編集が行われれば、そうした改造を受けた人と受けない人との間の格差が大きくなり、深刻な社会の分断を招くだろう。人間の遺伝子改変は病気の予防と治療のためだけにするという倫理的制限は、今後も守るべきではないか。 【先端技術は何をもたらすか‐39‐】聖教新聞2025.3.18
November 2, 2025
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痔__3人に1人がかかる病今日のポイント座りっ放しは禁物樽見医師多くの人が知っている、身近な病である痔。デリケートな部位でもあり、人知れず悩んでいる人も少なくない疾患です。エキスパートである樽見研医師(札幌駅前樽見おしりとおなかのクリニック医院長)に聞きました。 ——痔とは?肛門周辺に起こる病の少々です。老若男女の誰にも発症する可能性があり、乳幼児もかかります。肛門の皮膚が切れやすいなど、なりやすい体質もあります。日本人は、あぐらや正座など発症しやすい生活習慣が多く、3人に1人は何らかの症状を抱えていると考えられています。「いぼ痔(痔核)」「切れ痔(裂肛)」「あな痔(痔瘻)」が痔の三大疾患です。いぼ痔は、血管のこぶが生じる部位が外側か内側で「内痔核」「外痔核」に分かれます。 いぼ痔が半数 原因はうっ血 いぼ痔が全体の半数以上を占めます。内痔核は出血しますが、量に個人差があります。脱出や残便感の症状も出ます。痛みはありません。外痔核はほぼ出血しませんが激しく痛みます。いぼ痔の原因はうっ血(血がたまること)です。——なぜ、うっ血するのですか。肛門は内臓の一番下にあります。「無理な力をかける(いきみ)」「座り続ける」「立ち続ける」などで上半身の静脈血が肛門周辺にたまり(うっ血)、腫れていぼ痔になります。あぐら、正座、横座り、椅子に座る姿勢のいずれも、うっ血します。デスクワークや運転手などは、うっ血しやすい職種です。運転席で、膝より下におしりが沈み込む角度の場合、下半身の血まで集まってしまいます。便秘や出産は、強いいきみにつながります。便座に座る姿勢も、うっ血を生みます。トイレでスマホや新聞を見る人もいますが、トイレがながいと、いきみがなくても、長く座る分、うっ血が促されます。冷えも血流を滞らせるため、うっ血を促進します。——トイレに入ったものの便が出にくい場合は、どうすればよいですか。諦めてトイレから出た方が、負荷は減ります。男性は〝一度に出し切りたい〟という気持ちが強く、頑張っていきみがちですが、うっ血を進めます。なお、下痢でも、うっ血します。——どうしてですか。肛門が閉じようとして、無理な力をかけるからです。肛門周辺は蛇口のような役割を果たしています。蛇口を強く開け閉めすると、次第に気密パッキンの収縮性が悪くなることと同じです。下痢での肛門収縮は無意識に長く続きます。意識すれば力を抜ける便秘よりも厄介です。過度の飲酒も、うっ血します。血流が増えて校門付近にたまる一方、上半身の心臓側に送り出せる血流量は増やせないためです。 切れ痔 主に女性あな痔 9割男性 ——切れ痔とあな痔の特徴は?切れ痔は、便が肛門を通るときにできる裂傷です。便秘しやすい女性に多く起こります。下痢でも、校門の伸縮性が落ちて切れやすくなります。入辺bb時や排便後に痛みが強く出ますが、出血は生良です。切れ痔は放置すると、皮膚が出っ張り、ポリープにもなります。あな痔は肛門の内外をつなぐ膿のトンネルです。下痢などで、直腸に近い肛門腺に常在菌などが入り込んで膿むと発症します。通常、それらの菌は免疫で抑え込まれています。体が弱っていると、時に急速に感染が拡大し、数日でトンネルが貫通し、あな痔となります。強く痛みますが、切開して膿を取ると楽になります。患者は9割が男性です。下痢になりやすく、肛門腺が多いからと考えられています。 植物繊維の摂取 入浴が効果的 ——治療法は?いぼ痔と切れ痔の患者は、うっ血や便秘、下痢を起こしやすい生活習慣の改善を図ります。——改善策の例を教えてください。長く座る職業の方は、1時間に1回でも立って歩くと、たまった血は分散します。入浴はうっ血を解消します。体にかかる重力が浮力で軽減し、たまった血を全身に流します。シャワーでは浮力効果は得られません。食物繊維を取ると、便秘と下痢両方に改善効果をもたらします。省庁で吸収されにくいオリーブ油を取ると、排便をスムーズにします。温水便座での洗い過ぎや紙での拭き過ぎは禁物です。皮膚を刺激し、肛門周辺のバリアー機能を弱めます。これらの生活習慣の励行は予防法にもなります。あなたの痔は免疫低下が引き金ですので、寝不足やストレスの軽減を図ります。入浴は体温を上げて菌が活性化しかねず、逆効果です。 手術せず治る患者が大多数 いぼ痔の8~9割は、生活改善と薬物療法(塗り薬と飲み薬)をつづければ2~3カ月で治ります。効果が出なければ内痔核には主に注射療法、外痔核には切除手術を行います。——手術に至るのは少ないのですね。意外です。以前は手術が主流でしたが、現在は患部を温存する治療が中心です。切れ痔は慢性化する前に、薬で改善させることが大事です。放置して「肛門に炎症が広がる→狭くなる→切れやすくなる→切れて、より狭くなる」「痛む→排便を我慢→便秘が悪化→痔が悪化」といった悪循環に陥ると、肛門を広げる手術を行います。あなたの痔は、膿のトンネルを取り除く手術が不可欠です。 血便なら大腸がんの疑いも 痔と大腸がんは併発することもあります。血便は、大腸がんの可能性を示しています。翌便の色は、「痔は真っ赤で、がんは黒っぽい」といわれますが、逆のケースもあります。痔だと思い込んで適切な行わない間に、がんが進行した方がかならず来院されます。血便が出たら、極力早く大腸内視鏡検査を受けてください。肛門は直腸に続く「腸の一部」です。欧米では「痔」に当たる単語がなく、肛門疾患は消化器外科などで診療することが主流です。しかし、日本には痔という特有の言葉があり、腸と肛門を切り離して考えがちです。それが、肛門疾患への羞恥心を強めているかもしれません。痔は、疾患です。過度に恥ずかしがらず。来院してください。 Medicalメディカルtopicトピック認知症死亡少ない職業とは?認知症のアルツハイマー病が原因で死亡した人と職業に関する分析で、タクシー運転手らの死亡割合も低かったとの結果を、米ハーバード大学などのチームが発表しました。2020~22年に米国で死亡した成人約900万人のうち、約35万人がアルツハイマー病で死亡。約440の職業ごとのアルツハイマー病による死亡率を比較した。その結果、タクシー運転手は1.03%、救急車の運転手は0.91%で、他の職業と比べて最も低いグループだった。チームは「頻繁にナビゲーションや空間処理をしている仕事に従事していたことが、アルツハイマー病予防に関連している可能性がある」と指摘している。 取材こぼれ話進化のしるし(・・・)「ヒトは、二足歩行をしたことで痔が生まれました。私の知る限り、他の動物には痔はできません」と樽見先生。——同じ二足歩行するサルには痔はないのですか。「痔は、排便を無理に行ったり、我慢したりすると、ヒト特有の排せつ習慣が大きくかかわっています。排便を、したい時に、どこでも無理なく行うサルに痔はできにくく、起きても軽いものでしょうね。そもそも、餌を取ったり、狙われたりするため、長時間座り続けることもありません」——「あな痔」は感染症ですが、それも動物にできないのですか。「あな痔で菌が入り込む肛門腺は、退化した臭腺だとする説があります。イヌが異性アピールで匂いを出したり、スカンクが攻撃で強烈な臭いを放ったりする線です。退化したヒトの肛門腺は役割もなく、入り込んだ菌に対抗する力もないのでしょう」◇長時間動かずとも生きられる文明や、排泄をコントロールする知恵と引き換えに生まれた痔。ヒトのお尻には、進化(しんか)のしるし(・・・)が刻印されている。(聡) 【医療MedicalTreatment】聖教新聞2025.3.17
November 2, 2025
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第1編「人類の生活処としての地」を終えて東京学芸大学名誉教授 斎藤 毅▶精読に当たって『人生地理学』は、四つの編からなります。その第1編の「人生の生活処としての地」の精読が終わりました。ここでは、自然地理学の最も基礎的な部分を13章に分けて論述。これまで地理学を体系的に学ばれた方には、少々、物足りないところがあったかもしれません。しかし、小・中学校の社会科の中で選ばれた地理とは、だいぶ違うことに気付かれ、新鮮に感じられた方も少なくないのでは?必要に応じて随所に原文を引用しましたが、格調高い文語体の記述に驚かれた方も。中には、牧口師の造語や独特の翻訳語も含まれていて、戸惑いもあったはずです。それにしても、名著とはいえ、100年前に書かれたもの。この間の研究の進展ばかりでなく、背景となる社会情勢や国際関係はもちろん、社会や地域の諸問題も大きく変化しています。そのため、かつての師の提起した諸問題のうち、いくつかは現代への問いかけとして読み替え、独自の展開を試みました。 ▶敗戦と教育改革の荒波牧口師は、地理学の研究とともに、地理教育の実践と研究に情熱を注がれました。しかし、このことについて、戦後は、ほとんど注目されることがないのは、大変残念なことです。これについては、いくつかの原因が考えられますが、何よりも戦後の「地理」を取り巻く教育環境の変化がありました。事の起こりは、終戦直後のGHQ(連合国軍総司令部)による日本の教育への干渉、特に、いわゆる軍国主義教育の徹底に排除です。その一つは、年配の方々はご記憶でしょうが、「国語」を中心とした教科書の黒塗りです。皇国史観に関わる記述は全て、対称となりました。こうした中で、地理・歴史教育の禁止の指令が出されたのです。確かに、当時の塵は「大東亜共栄圏」が強調され、歴史は皇国史観そのもの。ある意味で、当然の成り行きだったといえそうです。実は、ここで妙なことが起こりました。その後、装いを新たにしたちりと歴史が、新教科「社会科」の中へ潜り込まされたのです。真新しい新教科「社会科」への世間の関心は高く、あたかも民主主義教育の旗手のように期待されたものです。そのため、全国の国立大学にある学芸学部の付属学校をはじめ、多くの学校で実践研究が行われてきました。確かに「公民」分野では一定の成果も見られましたが、少なくとも「地理」に関しては現場での苦労の割には目立った成果は得られず、いつしか「這いまわる社会化」の陰口が聞こえるようになります。しかし、占領政策から解放されても、不思議なことに小学校・中学校の「地理歴史科」の独立は見られませんでした。ただ、「歴史」の分野では、特に金・現代史について、止観の相違から主にジャーナリズムからの批判を受けつつも、あまり社会科の枠にとらわれず、いわば「我が道を行く」の感があります。 ▶「空間」の哲学私たちは日常的に、物事を時系列に沿って考える習慣が身に付いています。しかし、「地理的思考」となると、なんとなく、日常的な行動とは無関係のように思われがちです。ただ実際には、「所変われば品変わる」や「地理の東西、歴史の古今」など、その独自性には気付いていたはずです。歴史が「時間」の哲学だとしたら、地理は「空間」の哲学といえるでしょう。ある大先輩が地理学教室の同窓会のスピーチで、「地理を学と人生2倍、楽しくなる」と話し、大変話題になりました。なぜ2倍なのでしょう。話し上手な先輩なので、とっさに出た言葉でしょうが、考えてみると、2倍には、それなりの意味があるようにも思われます。前述のように、私たちは物事を「時間」の経緯で考えながら、その中に何らかの因果関係を見出そうとします。院とかは、いわば時間の関係です。一方、地理は「空間」に重点を置いて物事を考えます。日常的には、あまりとらない方法です。この手法を若し日常的に使えれば、確かに人生は2倍、楽しめそうです。実は、先ほどの大先輩はすでに故人ですが、今でこそ大きな政治問題になっている、いわゆる「1票の格差」の問題を地理学的視点で研究し、具体的なデータを示しながら初めて提起した人です。昭和30(19955)年代のことですが、当時、都市部への人口移住が始まっていました。農山村地域では人口流出が見られる一方で、大都市地域では人口が急増し、従来の衆参議員の戦局では定員のアンバランスが拡大し始めていたのです。この問題が塵学会で発表されるや、マスコミが捕Ⓑ月、一時、社会的にも注目されました。選挙区ごとの人口と議員定数のアンバランスを示す「百問は一見にしかず」の分布図は、黄門様の「葵の御門」のように大きな効果があったのでしょう。実は分布図から、ある印象を把握する手法は、テレビン気象情報でおなじみのものです。各地の観測所で得られた数値をそのまま並べても、日本列島の奇勝の状態は、はっきりしませんが、おなじ気圧の地点を算出し、これを線で結んだ等圧線でしますと、高気圧や低気圧が、くっきり浮かんでくるのです。 ▶人類と地球環境との対話へ諸現象の空間的広がりへの関心は、人類を取り巻く地球環境への関心を、そして認識を深めます。公害問題を契機に、地理学も「人類と地球環境との対話」を一掃、強力に促すことになります。このような「対話」は多岐にわたりますが、牧口師の著書では、これを「人生」(=人間の生活)という言葉によって包み込んでいます。1960年代に入って米国で提起された「トポフィリア(場所愛)」の概念は、環境への感情移入を試みますが、師は、これを100年近くも前に、この『人生地理学』によって果たしてこられたことに、読者の皆さんも気付かれたことでしょう。 ▶「人生地理学」のなかに牧口師は、第4編の「地理学総論」で、当時の地理教育を批判。自らの入り教育の多様な実践から、人間形成に及ぼす、あるべき地理教育の大切さを痛感されます。その結果、『教授の統合中心としての郷土科研究』や『地理教授への方法及内容の研究』を出された後、『創価教育学体系』へと進まれるのです。このように、師は長年にわたる教育実践を踏まえた地理教育の研究に励まれ、やがて日蓮の思想に支えられ創価教育思想の高みに達せられたのでした。この問題については、いずれ稿を改めて論じたいと思います。 さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。著書に『「人生地理学」からの出発』『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論——ピアジェ理論の地理教育論的展開』『世界・切手国めぐり』など。 【人生地理学牧口常三郎の『人生地理学』—その精読の試み】聖教新聞2025.3.16
November 1, 2025
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トルコ遺跡の最新調査から迫る製鉄はいつ始まったのか(公財)中近東部雨下センターアナトリア考古学研究所長 大村 幸弘鉄の帝国ヒッタイトよりもさらに千年前の層から鉄器鉄に興味を抱いたのは、1970年代の初頭、トルコの発掘調査に参加したときである。遺跡は「鉄と軽戦車」を保有し、3400年前にはエジプト王国と勢力争いをしたヒッタイト帝国時代のものだった。日本の教科書には、ヒッタイト帝国が製鉄を独占していたと記載されている。発掘では鉄製品が見つかったものの、その数はわずかなものだった。それまで言われてきた、ヒッタイトが製鉄を占有していたとする定説に対して疑問がわいてきた。それを解明しようと、およそ10年前、トルコに留まり発掘報告書、出土資料、文献資料、遺跡踏査を行った。ヒッタイト帝国で実際に製鉄が行われていたのか、そしてもし行われていたとすればどこで行われていたのか。国家機密である製鉄はおそらく徹底的に管理され、ある特定の場所で行われていたのではないかと推測を立て研究をつづけた。そして最終的に帝国の都市の一つであるアラジャホユック(古代名サリンナ)が製鉄にはふさわしい場所であるとする仮説を立て、私は一応形をつけた。その仮説を立てた1985年から首都アンカラの南東約百㌖に位置するカマン・カレホユック遺跡で調査を開始した。この発掘の目的は、1万年近い文化が縦走しているカマン・カレホユックを上から掘り下げることにより「文化編年の構築」、換言すれば「年表」を作ることであった。この発掘調査でヒッタイト帝国の文化相から教科書通り鉄器が見つかってきたときはホッとしたものである。それらの出土鉄器を見たとき、教科書通りであることを確認し、その鉄器は秘密裏の場所で作られたカマン・カレホユックに送られてきたのではないかと考えた。しかし、発掘調査が進みヒッタイト帝国の文化相も終わり、その下の紀元前400年から三千八百年前のアッシリア商業植民地時代の文化相の調査に突入したところ、鉄器が出土し始めた。私は驚きを隠すことはできなかった。これはヒッタイトの専有物でないとすれば、製鉄はアッシリア商業植民地時代化、あるいはそれ以前に製鉄は始まっていたのかということになる。カマン・カレホユックの調査は、この10年間、紀元前4300年前から4000年までの前期青銅器時代の発掘を集中的に行っており、「年表」は遺跡の半分ほどまで出来上がったところである。アッシリア商業植民地時代で鉄器が見つかり、驚いたのも束の間、さらに私を驚かせたのは4000年以前からの前期青銅器時代の文化相からも鉄器に関する資料が見つかり始めたことだった。その資料というのは、「鉄滓」「鉄鉱石」である。特に「鉄滓」となるとカマン・カレホユックで製鉄が行われていたことにも結びつく。この「鉄滓」に関しては現在千葉工業大学の地球学研究センターのヌルジャン・クチュックアスラン研究員が分析を行っており、その「鉄滓」から400年以上前にカマン・カレホユックでは製鉄委が行われていた可能性が十分にあるとの見解を、第31回トルコ研究会(今月10日、平成館大講堂)で発表した。今後、さらに詳細な分析が行われる必要があると思うが、今、この研究結果から言えることは、ヒッタイト帝国以前、それもおよそ1000年以上も前に製鉄が既に開始されていたということにもなり、私が全精力をかけて打つ立てたヒッタイト帝国時代にアラジャホユックで秘密裏に製鉄が行われていたとする仮説は脆くも崩れ去ろうとしていることである。そして発掘の調査、出土遺物の分析が進むことにより新たなる「年表」を提示する時も近々あるのではないかと期待している。(おおくら・さちひろ) 【文化】公明新聞2025.3.16
November 1, 2025
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