浅きを去って深きに就く

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January 10, 2016
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カテゴリ: 仏教講座
「難来たるを以て安楽」との御聖訓のままに

「人生には、三つの坂があるといわれます。『上り坂』『下り坂』そして『まさか!』です」「平穏な人生を願うのは人の常ですが、信心したからといって『まさか』と無縁になることはありません。そうではなく、どんな『まさか』に出あっても、すれをプラスに変えていけるのが私たちの信心なのです」

秋田総合ドクター部長として講師を担当する「仏法セミナー」で、私はよくこうした話を導入にして、病魔と闘う中で境涯を大きく広げた都のも体験を紹介している。

男子部時代から広布一筋に生き抜いてきたある壮年部のメンバーは、40代の時に、突然、腸閉塞で入院。検査の結果、大腸がんが見つかり緊急手術を受けた。一時的に人工肛門も増設。計3回の手術を経て、社会復帰した。

しかし、約1年後に肝臓へ移転が判明。肝臓の3分の2を切除し、化学療法が始まった。抗がん剤の副作用や再発恐怖と闘う日々が続いたが、“試されているのは自分自身。絶対に病に負けるわけにはいかない”と真剣に祈り、学会活動にも、できる範囲で参加した。肝臓の手術6年以上が経過した今、病気は完治し、本部長として広布の第一線を駆けている。病と闘う同志に対する、彼の“死と隣り合わせの体験を踏まえた激励”は、聞く者の心を揺さぶらずにはおかない。

大聖人は「妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意(こころ)得(う)可(べ)きなり」(御書750頁)、「詮ずるところは天もすて給え所難にもあえ身命を期とせん」(同232頁)と教えてくださっている。

人生で遭遇する困難を嘆いてはならない。むしろ、喜び勇んで真正面から困難に立ち向かっていくことが肝要である。困難に挑戦する中で、境涯を大きく開いた時、困難は、むしろ感謝すべきものとなる。

生死の境をさまようような重い病や、親しき人との永遠の別れ……。「死」はある意味、人生の困難の中で最も大きいものかもしれない。だが、その「死」さえも真正面から見つめ、真剣な祈りと広布の実践を重ねていった時に、必ずや自身の「生きる意味」を深からしめるものになる――。多くの同志の姿に、そう実感する。

(つづく)






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Last updated  January 10, 2016 07:46:41 AM
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