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そもそも、日本は「知」に対してお金すら払わない人種であると私は思っている。
米国人は、ある分野を極めた人の講演会には一回の聴講料で一人の受講者が数十万円単位でお金を払うこともある。元大統領のクリントン氏の講演料は、一回一〇〇〇万円を超えるともいわれているほどだ。一方日本人は、「ある分野を極めた人の」でななく、とにかく著名な人の講演会にお金を払う。
日本において講演料とは、講演者の「知」ではなく「知名度」に対して払われた対価といえないだろうか。スポーツ選手が開業した焼肉屋が繁盛するのも、美味しい焼き肉を提供する「知」よりむしろ、「知名度」に対価が払われているように感じる。
「知」に対してまっとうな対価が支払われない国では、国民が知を身につけようとしなくても当然だ。しかし、これは先ほど述べているグローバルスタンダードとはまったく逆行した状況にある。たとえばアメリカでは、野球選手が引退後医師免許をとったり、金融マンが弁護士に転職したりと、対価の話を抜きにしても知識を得ようという努力がごく一般的になされている。
また日本では、自国内でのみ通用する頭のよさというものを感じる。社会のシステムや風土の違いも一因だが、そもそもシステムや風土の起源は人々の価値観である。
では、日本国内でのみ通用する頭の良さとはどんなものだろうか。
私はそのひとつに「テレビで重宝される力」があると思っている。生まれた頃からテレビがあった世代であり、テレビが生む大衆文化と共に育ってきた三十代の人は「テレビ的な反応の良さ=頭の良さ」と勘違いをしていないかどうか、考えてみてほしい。
日本のバラエティ番組では「ひな段タレント」が活躍する。ひな段に座る数名~一〇名程度の芸人が、司会者や VTR に対し「気の利いた一言」をいう。スピーディに、気の利いた一言を言える「瞬間コメント」がテレビに求められる。
反応がよく、瞬時に当意即妙なコメントをすることを求められるという意味では、短距離走に似たものがあるかもしれない。
もちろん、テレビを活動領域とする方々にとって瞬間コメント力はコアスキルのひとつであるし、飯の種になっているともいえる。しかし、この反応力を指し、「あのタレントは頭の回転が速い、頭がいい」と評価してはいないだろうか。
政治家の国会答弁にも似たようなことがいえる。国会で質問されたとき、論拠が不十分であっても「その場で大衆を納得させるコメント」が求められる風潮がある。
「その点については十分な調査をしましたが、あいにく手元にデータがないため、明日正式に回答します」と回答したら、おそらく日本の国会ではやじが飛ぶだろう。
いずれにせよ、ビジネスにおいて「テレビ的なコメント」は通用しない。顧客に「このオプションをつけたら納期は何日延びますか」と聞かれて、適当なコメントで笑わせることがまったく役に立たないのは、三十代のビジネスパーソンなら百も承知だろう。
もしわからないなら「一日待ってください」と伝え「多少時間がかかっても正しい回答を出す」のがビジネスだ。きちんとした数字、あるいはフォローアップ調査など、裏付けのない説明は信頼されない。
ニュース番組で流れる外国の大臣との会談シーンでは「わずか一時間余りの会談でしたが、一兆円の融資が決まりました」とアナウンスが流れるが、もちろん一時間ですべてが決まったわけではない。外交官が事前に徹底的な根回しを行い「一兆円までなら妥協しよう」という枠があらかじめ決められた上で始めて、一つの決断がなされるのである。
「知」よりも「知名度」に対価が払われるという日本固有のビジネス構造ゆえ、テレビに出ている人の方がリッチな生活をし、知的な人の何倍もの講演料をとる。テレビ的な受けの良さを信奉してしまってもしかたがないといえるかもしれない。
しかし「瞬間コメント力」では評価が得られないのがグローバルスタンダードである。国際化が顕著になる時代の中で、「日本の満点」ではなく「グローバルスタンダードな知」を世界が求め始めたこと、さらにそれを測る試験の胎動について既に話した。
日本風の偏った「知」に振り回されることなく、自分が培うべき「知」とは何かということを、今一度考えるきっかけにして欲しい。
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