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男子部教学室主任 早川 公貴
哲学者アランは、信仰について述べている。「まず信じなければならない。証拠をもとめる前に信じなければならない。なぜなら、何も信じない者に証拠などありようがないから」(神谷幹夫編訳『生きること 信じること』岩波書店)。“信じぬ者に証拠なし”————アランの喝破は、信仰に限ったことではない。自身の可能性や将来、人の心や励ましなど、何かにつけて「信じられない」という人は、自身の底力を発揮できす、人生の深さも味わえない。本稿では、仏法における「信」のあり方を通し、学会員の覚悟の生き方を訴えていきたい。
整合性を重視する青年時代
過度な期待を持つことを諦め、“それなりの生活を送ることができればそれでよし”とする人生観が青年層に広がっている。情報が豊富で知識があるため、合理性を重視し、無駄な努力を避ける。効率的に物事を進める一方で、不確かなものは信じない————。一概に「悪い傾向」とは言い切れないし、そういう生き方を否定するつもりもない。その上で“もったいないなあ”と思ってしまう。
「信じる」ことから、新たな可能性や未来は開けていく————私はそう信じている。何かを信じて全力を尽くした結果、自分でも分からなかった可能性や将来が見えてくるからだ。それが経験となり、人生や人間性に深みが増してくるからだ。
しかし、「信じる」という“行為”が、ハイリスク・ハイリターンであると思ってしまうのか、挑戦しようという姿勢がなかなか現れない人が増えているように感じる。“信じていたものに裏切られるくらいなら、初めから信じない方がいい”“努力しても報われないなら、やらない方が賢明だ”と判断し、傷つくことを恐れて行動しない。“人生のエコ化”ともいうべき風潮が、じわじわと蔓延している気がしてならないのだ。
若者研究科の原田曜平氏は、こう語っている。「苦労は、その時は無駄のようですが、後になれば、それがあっての自分だと感じられるものです。その時にこそ本当の喜びが得られるはずです。未来は若者にかかっています。『さとった風』ではなく、積極的に真の喜びをつかむ人生を送ってほしいと思います」(聖教新聞 2014 年 1 月 11
【論 RON 2016.10.5
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