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「信」を強調する仏法の教え
仏教では、言うまでもなく、「信」を重視する。
「信」とは、サンスクリット語の「シュラッダー」、もしくは「プラサーダ」の訳語で、仏陀の教えを信ずることによって、心が清らかに澄みわたることを指している。「シュラッダー」の「ダー」は「置く」という意味の語に由来するとされ、「シュラッダー」は「信を置く」「信を起こす」との意味になる。ゆえに、仏道修行の最初に位置づけられる。
『大智度論』には「仏法の大海は信を能入と為す」とある。また、「進とは心をして澄浄ならしむ」(倶舎論)、「信は道の元、功徳の母と為す」(華厳経)との文もある。『大乗起信論』には、「信を説くに四種あり」として、三宝を対象とした「信」が功徳のもととなると説かれている。
仏が悟った真理は、当然、凡夫にとっては理解し難い。考えも及ばないような仏の広大な智慧は、どれだけ修行を重ねてもつかめないかもしれない。
ゆえに「信」への促しは、偉大な教えの敬虔な心を持ち、求道の心を起こさせるための第一歩だったのではないだろうか。
特に法華経は、智の力で成仏を開くのではなく、「信」の力で仏道に入ることを強調している。譬喩品では「汝舎利弗すら 尚此の経に於いては 信を以て入ることを得たり」(法華経 197 頁)と、「以信得入」を説いている。
妙法は、不可思議な甚深の法である。法華経での釈尊の第一声は、「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・ひゃく支仏の知ること能わざる所なり」(同 106 頁)であった。しかも、「智慧第一」と称された舎利弗が成仏に対しての言葉である。その舎利弗が成仏の道を開くことができたのは、「信」の力によるというのだ。
日蓮大聖人は、「以信得入」の経文を通し、「法理をもしらず煩悩をもしらずといえども只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて実報寂光の 台 にのぼり本有三身の 膚 を磨かん事疑いあるべからず」(御書 499 頁)と仰せである。智解ではなく信解によって成仏するのが法華経の教えだ。言い換えるならば、理解を超えたものを実感として捉えていく源こそ「信」なのである。
「御義口伝」にも、「一念三千も信の一字より起るなり」「信は智慧の因にして名字即なり信の外に解なく解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」(同 725 頁)とある。成仏の根本法理である「一念三千」の力は、「信の一字」によって起こる。成仏の種子もまた、「信の一字」に具わっている。
「此の本法を授受するは信の一字なり」(同 751 頁)とも仰せの通り、“法華経を受持する”といっても、「信の一字」が肝要なのである。
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