浅きを去って深きに就く

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January 14, 2017
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カテゴリ: 抜き書き

現代の組織では、この“友情による相乗効果”がなかなか生まれにくくなってきた。しかし、あらためてそういうものをつくりだす人望力も、新しいリーダーシップの一つではないかと思っている。

それはなぜかといえば、人を育てる場合に、育てる側自身が常に自己の向上に努力しなければならないからだ。いってみれば、「生涯学習」を絶やさないということである。

ところが、人を育てる側にまわると、なかなか自分の未完成部分に気がつかない。つまり人を育てているから、ともすれば、「俺はパーフェクトだ」と思い込む。

そうなると、自分の長所ばかり目について、短所に目が入らない。自分を向上させる努力を怠るようになる。ほんとうは、そういうことを続けていれば、育てられる側が気がついて、(このリーダーはだめだ)と思うようになってしまう。そうなると育てる側がいきり立って、(こいつはしだいに俺のいうことを聞かなくなってきた。生意気だ)と思い込む。

せっかく良好な関係にあった育てる側と育てられる側の関係にヒビが入り、しだいに亀裂を生じる。やがて大きなミゾができ、両者は完全に隔たってしまう。

いってみれば、育てられる側が、「育てる側離れ」をしてしまう。ところが育てる側は反対に、「育てられる側離れ」をしない。いつまでも執拗につかまえていて離さない。

親と子の関係も同じだ。子のほうは、どんどん“親離れ”をする。ところが親のほうは、いつまでたっても自分の子どもを、幼い時代のことを一つの基準にして、「生意気なことをいったって、この子はしょせんは私の子だ」と思い込んでいる。

つまり、子ども側の“親離れ”のスピードに、親側の“子離れ”なかなかついていけない。これが親と子の意思疎通を欠き、しだいに両者の間が険悪になっていく要因だ。

私がここで、「よい友人に恵まれることは、互いに能力の掛け算が行われる。すなわち相乗効果が出る」というのは、このへんのことが頭にあるからだ。

つまり、よい友人をもつということは「自分でまだ気がついていない自分」に目を向けさせてくれるということだ。仲間たちと議論し、いろいろ志を語り合うことは、「自分を客観的に見直す」という機会がたくさんあるということだ。

つまり議論をしていて、相手にやられ、相手のいうことがもっともだと思ったときは、改めて自分のいたらなさに思いが至る。そうなると、(もっと学ばなければならない)という気持ちが起こる。それが、自分の不完全さに気がついたということだ。

また同時に、友人を論破したときは、(俺にも、俺自身でまだ気がつかなかったこんな能力があったのだ)という自信がわく。これはある部分について、新しい発見をしたということだ。

【「人望力」の条件】童門冬二著/講談社+α文庫






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Last updated  January 14, 2017 04:50:43 AM コメントを書く


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