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前衛短歌の旗手
岡井 隆
華々しい功績に隠れた挫折や苦悩
歌の調べを愛し心情を託し続けた
歌人 大辻 隆弘
岡井隆(一九二八~二〇二〇)の障害は栄耀にみているように見える。
慶応大学医学部卒業という学歴。国立病院の医長、大学教授という職歴。宮中歌会始選者、宮内庁和歌御用掛、学術院会員、文化功労者などの要職を担い、歌壇のありとあらゆる賞を受賞した。現代詩の賞も授与された。結社「未来」を率い、優秀な歌人を多く育てあげた感のある一生である。
が、本人の心の中に分け入って考えるとき、その栄耀はあくまでも表面的なものだったことが分かる。むしろ彼は多くの挫折や悲傷を抱えてきた人間であった。
旧制中学時代と慶応大学医学部時代の二度の留年、大学進学時の浪人生活。医師試験を取得するのも他の人より一年遅れている。社会人になったときは三十を超えていた。四度の結婚を経験し、三人の妻と五人の子どもとの離別を経験している。エリートコースから外れ、家庭生活は暗澹としていた。彼は多くの悲傷を胸に刻み込んでいたのである。
そのようなお買いにとって短歌の調べは救いだった。岡井は自分の絶望や懊悩を短歌の調べに載せることによって昇華していたのではないか、と私は思う。
號泣をして済むならばよからむ花群るるくらき外に挿されて
『天河庭園集』
二人目の妻との家庭生活が破綻しつつあったころの歌だ。号泣をして済むのならいいのだろうが、そうはいかない。絶望感の中で夜の庭に立ち尽くす。そんな暗澹とした場面を歌った歌である。が、韻律は美しい。上句の「済む」「よからむ」における「む」の反復。下句の凛とした硬質な音韻。きびきびとした調べの中で絶望という心情の輪郭が明確になってゆく。
生きがたき此の生のはて桃植ゑて死も明かうせむそのはなざかり
『鵞卵亭』
一九七〇年、岡井はあらゆる社会的地位を捨て、三人目の妻となる女性たちとともに九州へ逃亡する。死を決意した流浪であった。生きがたいこの世。せめて人生人生の最後に桃の花を植え、死を明るく照らそう。そんな希死念慮を岡井はこのような柔らかな調べで歌う。死への願望が短歌の調べに添って歌われるとき、言葉はかくも甘やかになる。
恩寵のごとひっそりと陽が差して愛してはならないと言ひたり
『宮殿』
一九九〇年、岡井は最後の妻となる女性と出会う。彼女への愛は築き上げてきた安寧を破壊する可能性がある。神の恵みのようにひそやかな陽光のなかで、岡井は内心から湧き上がってくる「愛してはならない」という声を心に耳に聴くのである。この歌も「ひつそり」と「陽」という頭韻や「挿して」と「愛して」という脚韻が美しく響きあっている。
人は決して癒しを求めて歌を作るわけではない。が、長く歌にたずさわっていると、歌の調べが自分の生を慰撫し、鼓舞してくれることに気づく瞬間がある。岡井もきっとそうだったのだろう。
岡井隆は前衛短歌の旗手であった。口語や記号を駆使した先鋭的な作品を晩年まで作り続けた。彼は、常に自らを革新した歌人であった。が、そのような表面的な仮面の根底には、歌の調べを愛し、それに心情を託し続けた純な「うたびと」の素顔があった。彼はなによりもまず「調べのうたびと」だった。
昨年出版した私の『岡井隆の百首』は、そんな観点から、岡井隆の全三十数冊の歌集を読み直し、百首を批評した一冊である。
(おおつじ・たかひろ)
【文化】公明新聞 2034.2.4
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