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池上兄弟とその妻たちへの日蓮の教え
これまで、いささか理屈っぽい話に終始した。最後に日蓮が、以上のような人間観を踏まえて、実際に信徒たちにどのように対応していたのかを見ておこう。
まず、初めに武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の地頭であった池上宗仲と、その弟・宗長と、その妻たちについて見てみよう。
この兄弟が日蓮の信徒となってから十九年余も経った一二七五年四月、突然、極楽寺良観の信者でもあった父・康光から、信仰を理由に兄・宗仲が勘当された。そして、その家督を弟・宗長に譲った。兄・宗仲の信仰は揺らぐことはなかったが、弟・宗長は信仰を取るべきか、親に従うべきかという板挟みになって心が揺れていた。
この勘当の三年前には、日蓮が『立正安国論』で予見していた「自界叛逆の難」が北条時輔の乱、(二月騒動、一二七二年)として、また半年前には、「他国侵逼の乱」が蒙古襲来(文永の役、一二七四年)として現実化したばかりであった。そのため、日蓮の関心が高まっていた。勘当は、鎌倉の住民たちの日蓮への関心の高まりを恐れた極楽寺良観(一二一七~一三〇三)が、日蓮の信徒に及ぼした圧力だと日蓮は見ていた。
この時、日蓮は経文の手紙(『兄弟抄』と呼ばれている)を兄弟に送って激励した。日蓮は、兄弟に対して心を一つにして、『法華経』の信仰を貫くことが、真の親孝行になることを種々の角度から説いた。妻たちには、「女人となる事は、物に従って物を従へる身なり」と教示し、夫たちに対して「随って随わせる」という在り方を貫くことをアドバイスしている。それは、この一節の後に「一同して夫の心を諫めば」とあるように、決して従いっぱなしになれということではない。
「ものに随って物を随える」とは、相手には従っていると思わせているが、実は相手を随わせているという一枚も二枚も上手の高度な対応の仕方である。相手を立てながら、うまくコントロールするという智慧の表れだ。
当時は、封建時代で、女性は「家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は息子に従う」という儒教の「三従」の教えが強調されていた。女性が一方的に従わされていた、そのような時代にあって日蓮は、「随って、随わせる」という在り方を教示した。それは、儒教倫理に甘んじさせるものとは全く異なっている。「随って」は女性原理(女人の志)だが、「随わせる」は男性原理(丈夫の志)である。
兄・宗仲の勘当は、一年三か月後に許された。しかし、それから一年四カ月後に再び勘当されている。弟の妻は、再度の勘当の兆候を感じて、日蓮を身延まで訪ね、指導を仰いでいる。日蓮の「随って随わせる」「夫の心を諫める」という教示を自ら実践していたのであろう。
【日蓮の思想「御義口伝」を読む】植木雅俊/筑摩選書
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