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奇妙な鉄板張り天守が復活
城郭ライター 萩原 さちこ
福 山 城
広島県福山市にある、福山城。築城した水野勝成が江戸幕府に竣工を報告した400年後、2022年8月に、世にも珍しい〝鉄板張り天守〟がよみがえりました。
福山空襲で焼失した天守は、明治時代や昭和初期に撮影した写真が残ります。それらを見ると、天守の北側の最上階を除く壁面が真っ黒。なんと、北側だけ鉄板が張られていたのです。この鉄板張り天守が復元されました。
勝成が築城を開始したのは1620年。1615年の武家諸法度の公布後は、全国の城にも幕府の許可が必要になりました。その状況下で新築された、特例の城であるのは間違いありません。
この地は海陸両面の要衝にあり、福山城は安芸の浅野氏や長門の毛利氏など有力な外様大名がひしめく、四国鎮護という戦略的・政治的に重要な役目を担っていたと考えられます。福島正紀に代わり備後に入った水野勝成は、徳川家康の従兄弟。その後も松平氏や阿部氏など譜代大名が城主を務めていることからも、江戸幕府がこの地を重視していたことがうかがえます。
勝成は幕府の援助を受けながら新たに福島城を築き神辺城から移転。北側の小丸山や外堀まで含めると、福島城の面積はかなり広大です。7党の三重櫓を含めて計22棟の櫓が立ち並ぶ、10万石とは思えない巨大な城でした。
現存する伏見櫓が、徳川将軍家との深いつながりを示します。伏見櫓と呼ばれるのは、1602年に家康が再建した伏見城から移築された櫓だから。昭和の解体修理の際に梁から「松ノ丸ノ東やぐら」の陰刻(掘り込み)が見つかっており、文献上の記述も含めた裏付けから、2代将軍・徳川秀忠によって伏見城の松ノ丸三重櫓が福島城へ移築されたことが判明しています。
伏見櫓のほか、筋鉄御門、月見櫓、本丸御殿、御湯殿、火灯櫓、追手御門などが、伏見城から移築されたようです。多くが福島空襲で破却または消失していましたが、伏見櫓のほか筋鉄御門、本丸の鐘櫓が残っています。
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