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戦国を生き抜いた夫婦 愛の物語 最新作『織部の妻』を刊行
小説家
諸田 玲子
* 1954 年静岡県生まれ。 96 年『眩惑』でデビュー。 2003 年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、 07 年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、 12 年『四十八人の忠臣』で歴史・時代小説大賞作品賞を受賞。昨年 8 月に『岩に牡丹』(新潮社)、シリーズ第 4 作『きりきり舞いのさようなら』(光文社文庫)を刊行するなど著書多数。
共に笑い、泣き、世の理不尽に
憤ってかけがえのない同志へ
敗者の歴史をたどるのはむずかしい。中世の女性の生きざまを知るのはなおのこと。
近世こそ研究者の眼が向けられて重い扉が開かれつつあるとはいえ、著名な女性でもつうしょうや年齢があいまいだったり、家系図にただ「女」としか書き記されていなかったり。私がこれまで史料の乏しい女性たちの物語を紡いできたのは、知られざる声に耳をかたむけ、生きた証を少しでも刻んでおきたいという切実な願いはもとより、従来と異なる角度から眺めることで新たな歴史が見えてくるのではないか、との淡い期待があったからだ。
悪妻の汚名を晴らしたいと意気込んで書いた徳川家康の正室の築山殿を皮切りに、秀忠の正室の於江、織田信長の正室の帰蝶、前田家の麻阿や豪、ちよぼ……等々、いわばライフワークのように書きつづけてきた。本紙で連載した『梅もどき』も、家康の側室の一人で、重臣の本多正純へ下賜されたお梅が主人公。歴史では見向きもされなかった側室のお梅だが、実は豊臣や徳川と血縁のある青木家の姫で、正純が宇都宮天井事件で失脚、幽閉の身となったのちも本多家のために尽力をつづけ、伊勢神宮のそばに庵を結んで清廉のうちに波乱に満ちた一生を閉じている。
新刊『織部の妻』で自らの数奇な人生を語ってくれたのは、怒涛の戦国を夫織部と手をたずさえていき抜いた仙である。仙は中川清秀の異母妹。清秀は賤ケ岳戦で戦死したため歴史の狭間に埋もれてしまったものの、群雄割拠の時代、摂津国でキリンジのごとく頭角を現わし、信長にも秀吉にも一目おかれた勇将だ。清秀と仙の兄妹は、キリシタン大名として知られざる高山右近や、悪名高い荒木村重の従兄妹でもあった。幼いころから戦禍をくぐりぬけてきた仙は、信長の鶴の一声で古田織部の妻となる。
織部といえば「織部焼」「織部好み」「へうげもの」……など、千利久の後継たる茶人として知られる。が、仙が嫁いだころの織部は信長の属将で、戦場を駆けまわっていた。夫婦は時に派手なけんかや紆余曲折をくりかえしながらも心をかよわせ、本能寺の変や関ヶ原戦はいうにおよばず、大坂の陣にいたるまで、数えきれないほどの戦禍をのりこえる。共に笑い共に泣き、ともに世の理不尽に憤って、かけがえのない同志となってゆく。
封建時代に家父長制が確立前の女性たちは、私たちが創造する以上にたくましい。家康の母於大や秀吉の妻於根が好例で、夫の出世に一役買った妻も珍しくなかった。夫婦のかたちも様々で、仙姫を娶ってから織部は妻ひと筋、五男三女を生した二人はとびきり型破りな夫婦だった。好奇心旺盛で溌溂とした仙姫はむろん、そんな彼女を巧みに御してゆく織部も、型にはまらぬ、ひょうげた魅力の持ち主である。
織田・豊臣・徳川の世を二人三脚で駆けぬけた夫婦が、最期の最後に想像を絶する悲劇にみまわれる。大坂の陣で、織部は択側から豊臣方との内通の罪を問われたのだ。いったいなぜ……織部の賜死はいまだに歴史上のなぞである。
これについて、わたしは拙著でひとつの答えを示した。織部一家の悲劇が単なる謀反であったとは思えなし、思いたくもない。
夫婦には、力を合わせて守らねばならないものがあった。命を懸けて守りたいものが……。二人は戦うべくして戦った。私はそう信じている。心の声で語り合い、生死の境を超えてなお労わり合う織部と仙に、共感していただければ嬉しい。
(もろた・れいこ)
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