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2025.03.14
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鎌倉幕府が崩壊の道を辿り始めてのは、元寇の役以降である。多くの諸奉行や役人が全力で元との戦いに参加したり、土塁を築いたりしたが、それに対する恩賞が与えられなかったことから不満が生じ、同時にその後の執権である北条一族の放埓な生き方を見て、このままでは駄目だとの機運が高まっていた時、河内源氏の血族として残っていた新田と足利が、自らが声を上げれば全国の武将で不満を持つものを結集できると考えたのであろう。時を同じくして、後醍醐天皇が楠木正成らを立てて討幕の宣下を下した。
新田と足利は、これに呼応して、新田が鎌倉を責め、足利が内裏の守りの要である六波羅を責める計画を立てている。新田は小さな村程度の御家人で、兵も百人程度しか擁する事が出来なかったが、鎌倉への進軍の途上において、幕府に不満を持つ勢力が参加しその数は莫大なものになって、楠木軍などへの討伐で手薄になっていた鎌倉を落とし、北条氏が亡びる事になる。一方、足利はかなりの領地を持っていたため、数千人の軍を率いて楠木軍などの討伐に向かっていたが、鎌倉幕府の都敬語の中心である六波羅攻めへの反旗を翻し、これを落として鎌倉幕府は完全に崩壊した。
これに成功した足利尊氏は、武家の世界を平定するには公家を中心とする政より武家を中心とする政でなければ、平定できないと考え征夷大将軍として足利尊氏を認めさせようと南朝の後醍醐天皇を説得したが、認められず、結果的に北朝の天皇を立て、北朝の天皇によって征夷大将軍を認めさせて、後醍醐天皇に退位を迫った。結果的に同時に南北の二人の天皇が存在する状況に陥っている。新田氏は五大湖天皇側についたため、滅亡していくことになる。
足利尊氏も河内源氏の血統であったから多くの武将がこれに従い征夷大将軍に慣れたと言える。





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最終更新日  2025.03.14 11:17:44
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