今日も他人事

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5.死闘、果てなく



<195年 江陵の戦い>

■董卓軍

指揮:董卓
兵力:四万

■袁術軍

指揮:紀霊
兵力:二万

■劉表軍

指揮:劉表
兵力:二万

■劉ショウ軍

指揮:張任
兵力:三万

江陵では疫病が蔓延していましたが、守勢では敵の攻撃に耐えられないと考えた董卓は兵力四万を周囲に展開。

劉ショウ軍の先鋒として向ってきていた張衛、楊帛ら五斗米道の残党一万を騎兵部隊で蹂躙。

その後、すぐさま江陵へと引き返すと、黄忠や王允らが率いる弓兵部隊と連携し、袁術軍の紀霊ら二万と交戦してこれを退けます。

この時、江陵の守備隊は三千と極めて手薄になっていましたが、劉表軍は東側の市場の略奪に時間を掛けていました。

その間に体制を立て直す事に成功した董卓軍は江陵周辺まで迫った劉表軍を、次いで劉ショウ軍を撃破し、なんとか窮地を脱する事に成功します。


<195年 潼関の戦い>

■董卓軍

指揮:カク
兵力:三万

■袁術軍

指揮:孫堅
兵力:四万

潼関は開戦から絶えず、洛陽と宛の袁術軍の攻撃に晒され続けてきました。

総隊長であった皇甫嵩は老体を引きずって防衛の指揮を執り続けていましたが、同僚の朱シュンの後を追うように急逝。

袁術軍の猛攻に関を占拠されながらも、軍師のカクが長安守備軍を纏め上げ、これを撃退することに成功。

しかし、数ヶ月後には再び数万の軍勢が潼関へと攻め寄せてきたため、休むことなくその迎撃に向います。


<宛の戦い>

■董卓軍

指揮:張遼
兵力:一万五千

■袁術軍

指揮:周瑜
兵力:三万

潼関への攻撃を牽制する為、上庸の張遼、ホウ徳らが騎馬隊一万五千を率いて兵舎や市場を荒らし回ります。

これに対し、袁術軍は報復として三万の大軍を上庸へと進撃させます。

張遼は上庸の防備を使いながら迎撃し、ホウ徳が楽進を討ち取るなどの戦果を上げますが多勢に無勢。

壊滅寸前に追い込まれ、張遼は止む無く上庸を放棄し、残兵三千を率いて漢中へと撤退していきます。

上庸の窮地を知り、董卓は江陵から董白、張シュウらの騎馬隊九千、馬超の涼州騎馬隊三千と張キの攻城部隊六千を増援として派遣。

漢中で兵を纏め上げた張遼も加わり、占拠された上庸を猛烈に攻め上げ、一万二千の敵兵を殲滅してなんとか上庸を奪い返します。


<益州侵攻戦>

■董卓軍

指揮:呂布
兵力:二万五千

■劉ショウ軍

指揮:劉ショウ
兵力:十万

各地で防戦に徹している中、密かに漢中に到着した呂布、王異、高順らは騎馬部隊一万と攻城部隊一万を編成して出撃させます。

当初の予定では荊州方面からの侵攻を想定していた董卓ですが、劉ショウ軍が江州に兵力を集中して配備していることから益州方面が手薄となっていることを知り、急遽、呂布らに益州方面からの侵攻を命じたのでした。

シトウに続く関所を次々と突破し、迎撃に現れた孟達らの歩兵部隊一万五千、弓兵部隊一万を撃破。

シトウを囲んで攻囲を開始し、一度は陥落寸前まで追い込みますが、劉ショウ軍の増援三万を許してしまい、戦いは長期戦へ。

原野に陣を張り、漢中から補給を受けながら、遂に197年にはシトウを陥落させることに成功します。

この時、軍師に復帰していた王異が、劉ショウ軍は前線にあたる江州とシトウに兵力を集中させていたため、後方は手薄になっていることを指摘し、すぐに兵を動員して首都の成都を陥落させるべきだと進言。

呂布はこの言を聞き入れて、騎馬部隊五千、攻城部隊五千で成都を囲み、一万の守備兵を撃破して占拠します。

劉ショウの身柄を抑えることはできませんでしたが、成都を押さえたことで劉ショウ軍の領土を分割することに成功しました。



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