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今日も他人事
艦これSS「日々平穏」
ぼんやりとしたまま、提督は身を起こした。
カーテンの隙間から光が僅かに差し込んでいる。
もう朝だった。隣では扶桑が毛布に包まる様にして、静かに寝息を立てている。
起こそうかとも思って手を伸ばしたが、途中で止めた。
昨夜は上層部からピーコック諸島で姿を消した戦艦棲姫、サーモン海に出没している戦艦レ級への早急の対策を要求され、
遅くまで打ち合わせを続けていたのだ。
秘書艦として付き合っていた扶桑も相当、疲れている筈だ。
提督は毛布を扶桑に掛け直し、物音を立てないように静かに部屋を出た。
「今の所、何事もなし、か」
まだ早朝といってもいい時間帯である。人の姿はまばらだった。
ジョギング中の島風と擦れ違い、挨拶したぐらいだ。
先の大規模作戦以降、海は静かなものだった。
深海棲艦の出没が止むことはないが、その頻度は以前よりも少なくなっている。
作戦初期は鎮守府近海の海域から深海棲艦の先遣隊を追い払うだけで精一杯だった。
それが資源地帯である南西諸島海域を奪還し、続けて西方海域、北方海域の制海圏を確保することもできた。
今、攻略中の南方海域に関しても既に多くの深海棲艦を撃沈し、戦局は優勢に傾いている。
深海棲艦の撃滅は難しい。それは戦力の底が見えないからだ。
しかし、今の所、シーレーンの防衛という点では充分に目標を達成できている。
「おはよう、山城」
提督が声を掛けると、山城はとても残念そうに表情を曇らせた。
「なんだ、提督か」
「す、すまん」
予想通りの言葉に提督は気落ちしつつ、苦笑いを浮かべた。
山城は扶桑の妹にあたる艦娘だった。
長らく別の鎮守府に配属されていたが、扶桑が以前から気に掛けていたので、上層部に要望をを出した所、受理され、1ヵ月程前にこの鎮守府へ転属してきている。
ただ、山城は提督に対して含むところがあるらしく、避けられたり、刺々しい態度で接せられることも多かった。
提督にとってそれは一番苦手なものの一つだった。
「別にいいですけど。私に何か?」
「いや、用という訳じゃないんだが。その、調子はどうかな」
「特に問題はありません。大規模な戦闘がある訳じゃありませんし、調練はきちんとこなしているつもりです」
「そうか。そうだな、山城は良くやっていると思う」
「それだけでしたら、もう行ってもいいですか?」
「あ、うん」
スタスタと駆け足気味で去っていく山城の背中を目で追いながら、提督は頭を掻いた。
しばらくして提督が鎮守府内の自宅に戻ると、扶桑が台所に立っているのが見えた。
「あら、提督。おはようございます」
「おはよう、扶桑。まだ、寝てなくて大丈夫か?」
「はい、ゆっくり休ませていただきましたから」
扶桑は朝食の仕度をしている所だった。
出来上がった物に皿に盛り付けていく。
「手伝うよ」
言って、盛り付けが終わった皿から順に居間へと提督は運んでいく。
朝食は味噌汁に炊き立ての白飯、それに漬物と魚の煮付だった。
食事中、提督は箸を休めて、気になっていたことを扶桑に尋ねた。
「なぁ、扶桑。山城の好きなものってなにかな?」
「山城、ですか?」
提督の言葉に意外そうな表情を浮かべ、扶桑は首を傾げた。
「そうですね、甘い物が好きかしら。あとは小説とか物語が好きね。
何かプレゼントですか?」
「ん、まぁ、山城と上手く付き合えてない気がしてね。
できればもっと仲良くしたいんだが」
「そうでしたか」
提督の言葉に扶桑が嬉しそうに笑みを浮かべる。
「おかしいかな?」
「いえ、嬉しいです。提督が山城をそれだけ気にかけてくれて。
あの子、他人に誤解されがちで、いつも心配だったので」
山城はよく自分の身の上を不幸だと語る。それを不快がる者は少なくないだろう。
ただ、だからといって山城自身が人と接することを避けている訳ではないのだ。
実際、かつて西村艦隊に所属していた時雨や満潮とはよく話している姿を見かける。
やはり、提督自身が避けられている。と言うより、怒っている。
それが何なのか、扶桑を見ていると、提督には何となく分かるような気がした。
「ところで夜だが、久しぶりに外食にでも行こうか」
提督の問いに、扶桑は少し考えるような表情を浮かべた。
「あの、でしたら、夕食は千歳のお店でも構いませんか?」
「千歳の?」
千歳の店とは、鎮守府内に設置されている居酒屋の事だった。
艦娘は鎮守府での生活が義務付けられているが、だからといって完全に拘束されている訳ではない。
休日に外出することは勿論、職務に影響が出ない範囲であれば、副業も認められていた。
初めに居酒屋を開いたのは、軽空母の鳳翔だった。
当時は艦娘も少なく、深海棲艦との戦いも手探りの状態だったので、艦娘達の負担も大きかった。
そうした状況で、鳳翔の開いた居酒屋は、任務で忙しく、中々外出できない艦娘達にとって憩いの場でもあった。
後に鳳翔が退役した際、居酒屋も閉店される予定だったが、常連だった千歳の強い希望でそのまま店を引き継ぐことになった。
今は妹の千代田と一緒に店を切り盛りしている。
「その、山城も誘って三人で食事にしたいの」
「なるほど。いいかもしれないな」
山城は提督にとって義理の妹のようなものだ。
嫌われているとはいえ、何時までも溝を作ったままでいたくはない。
一緒に食事をする機会を作れば以前よりも良い関係を築けるかもしれない。
「でしたら、山城には私から伝えておきますね」
満面の笑みを浮かべる扶桑に、提督は頷き返した。
食事を終えた後、提督は本営の執務室へと向かった。
午前は溜った書類の対応に追われた。
商船の輸送計画、物資の貯蔵量、艦隊スケジュールの確認など対処しなければならない事項は多々ある。
午後は工廠に赴いた。
ここでは新装備の開発や艦娘の改修などが行われている。
今は46cm三連装砲の増産を依頼している。
既に六門配備されているが、四隻の戦艦を動員する場合、八門は欲しい。
ピーコック島では数が揃わず、長門や金剛は41cm連装砲とのハイローミックスで運用せざるを得なかった。
この件の対処について、艦隊旗艦を務めた長門からも強い要望が出ていた。
やはり、戦艦棲姫を取り逃がしたことがよほど悔しかったのだろう。
作戦後も長門は調練の手を緩めず、自分自身も更に強くなろうと厳しい鍛錬を己に課している。
「ちょっと、恥ずかしがらないで」
「あの、でも」
「ほら、ちゃんと立って」
工廠内を歩いていると聞き慣れた声が耳に入って来た。
何事かと思い、声の聞こえた方に向かうと、羽黒と夕張と明石の姿があった。
身を縮こまらせるようにして立っている羽黒を夕張と明石が全身くまなくチェックしている。
"工作艦"明石は他の艦娘とは異なり、深海棲艦と戦うのではなく、艦娘の治療や艤装の修繕を担当する役割を持っている。
言わば、艦娘にとっての鍛冶師であり、また医師に当たる存在だった。
一方、夕張は試験艦だった経歴からか艦娘の艤装の開発や研究に並々ならぬ興味を示しており、
鎮守府における艤装開発の主担当として日々、研究に当たっていた。
「第二改造のチェック中か?」
「あら、提督。ちょうど今、終わって最後の確認をしている所です」
明石が横に退くと、新しい装甲服と艤装を身につけた羽黒が恥ずかしそうな表情を浮かべた。
装甲服のデザインに大きな変更はないが、その背部に大型のアームが二基取り付けられている。
第二次改造では、固定式だった主兵装がアーム制御による可動式に変更されていた。
艦娘の意思に背部アームが連動し、四肢を動かすことなく、主兵装を利用できるようになっている。
それに合わせて主砲や装甲服にも改良が加えられており、予定では巡洋戦艦級の戦闘力を得られる筈だ。
「羽黒、新しい艤装はどうだ?」
「はい、2つも腕が生えたみたいで、最初は戸惑いましたけど、もう大丈夫です」
「なら良かった。しかし、本当に立派になったな、羽黒」
「あ……はいっ」
いつもの気弱な表情ではなく、満面の笑みを羽黒は浮かべた。
「Oh,提督じゃないデスカー」
元気な声を上げて現れたのは金剛と足柄だった。
「ああ、工廠の様子を見にな。二人は羽黒の様子を見に来たのか?」
「YES。改造が終わったら、さっそく、テストを始める予定だヨ。
それより提督。早く榛名も第二次改造してあげてヨー!
姉妹の中で、一人だけそのままで可哀想デース!」
「そうだな。榛名の改造計画も予定はされてるんだ。もう少し待ってくれ」
「ちょっと、羽黒の次は同じ妙高型の私の番でしょ?」
不満そうに声を上げたのは足柄だった。
羽黒以上に好戦的な足柄にとって、今回の第二次改造は喉から手が出る程、羨ましい話に違いない。
「あー、すまん。申請は出しておくから、な?」
「嘘じゃないわよね、提督」
「ああ、約束だ」
ようやく納得した足柄から解放され、提督はほっと安堵の胸を撫で下ろした。
工廠での用事を終えると、提督は再び執務室に戻り、残った書類に目を通した。
「提督、そろそろ食事に向かいませんか?」
「ああ、もうそんな時間か」
時計にちらりと目をやる。時刻は19時に近い。
最近、仕事が多忙な為か、1日を短く感じてしまうことが多々あった。
書類が片付いた訳ではないが、今日中に片づけなければならない問題は無い。
「よし、少し早いが行こうか。山城を待たせたら悪いからな」
「はい」
提督は扶桑を伴い、千歳の店に向かった。
「いらっしゃいませ、提督。お待ちしてました」
中に入ると、千歳が出迎えにやって来た。
千代田は奥で準備をしているらしく、姿が見えない。
「ああ。山城はもう来たかな?」
「いえ、まだですね」
「そうか。じゃあ、先に入らせてもらおう」
「はい。こちらです」
千歳が案内したのは四人用のテーブル席だった。
「此処に来るのも久しぶりね」
「扶桑もよく来てたのか?」
「時折。結婚してから来るのは初めてかしら」
「もっと外食した方がいいかな」
「あら、提督は外食の方がお好きですか?」
「いや、扶桑の手料理は上手いよ。毎日作って貰ってばかりでなんか悪いかなって」
「気にし過ぎよ、提督。それに、色々考えて食事を作るのって結構、愉しいんですよ?」
「そうなのか。今度の休み、俺も何か作ってみようかな」
「提督の手料理ですか。愉しみね」
くすっと扶桑が微笑む。
カウンターでは常連の隼鷹が酒飲み仲間の千歳と賑やかに会話していた。
それに付き合っているのか、姉妹艦の飛鷹が頬杖を突きながら時折、口を挟んでいる。
「なんか良いな」
「どうしました、提督?」
「いや、勝敗とか責務とかそういうのとは関係なく、こうしてゆったりできる。
こうやって生きていられること自体が幸せなのかもなって」
「そうね」
「ありがとうな、扶桑。これからも、その、一緒に頑張ろう」
「ええ、こちらこそ」
扶桑と見つめ合っていた時、不意にドアから山城が入って来た。
「すみません、遅くなって。あの、どうかしました?」
「い、いや、なんでもないよ。お疲れ様、座ってくれ」
「はぁ」
内心の動揺を隠そうと慌てて言い繕う。
そんな提督の様子がおかしいのか、扶桑は笑うのを堪えている。
今日、一番、大変なのはこれからかもしれない、と提督は思った。
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