シアトルからこんにちは

シアトルからこんにちは

2002年7月前半の日記


私と心理学
お友達でお母さんが心理学者の人がいる。面白い男で誰かが何かを言うと直ぐ「何故その人がこういったのか?」と分析したり、自分の感情を明確に言葉で表す。例えば「今日の自分は落ち着きがない。それは新しいプロジェクトが始まってそのことで気分が高まっているからだ」とか、自分の感情をいちいち表現する。

これは冗談だがアメリカでは男の感情には2つあるといわれる。1つは「怒り」でもう1つは「しあわせ」だ。感情表現が乏しい
という男のステレオタイプだ。

そんなステレオタイプとま反対の人だった男のお母さんは毎晩夕食事に「何故その人はそういったのだと思いますか?」と子供達に質問するのが癖だったそうだ。そのお母さんのおかげで彼は人間を理解する力を持ち精神分析医のような洞察力を持った人だった。

知識欲の強い私は、「そんな風になりたい」と真剣に思ったが、やっぱり実践的に役立つようにと興味のないことを大学で専攻した。

今でも興味深いので心理学のサイトに行っていろいろ読む。「心の散歩道」のウエブサイトなど大好き。特に神学者と心理学者のコンビネーションは素晴らしい。神様のことを知り、同時に人間を知る。

インターネットのおかげで大学に行かなくてもかなり自分で学べる。いい時代に生まれたもんだ。

感謝


7月 14日 日曜日 のち
ガレージセール
お友達4人でガレージセールをした。昨日はシアトルでは珍しい暑い天気の下で、フーフー言いながらやりました。今日は少し温度が下がって、気持ちよい日でした。

このガレージセールの主な目的はちょっと経済的に苦しんでいるお友達が家からアパートに移ったので家具とかいろいろ売る手伝いをすることにありました。2日やって4人で約300ドルくらい。
時間計算したら、最低給料にもならない。
セットアップなどすごく大変くたくたになって、その後皆でレストランに行って収入の11/4くらい使っちゃった。

でも心の中で、なんとなく嬉しかった。そのお友達は、去年から悪いことが続いている人だったので、彼女の嬉しそうな顔を見れたことが最高だった。

それに娘に頼まれていたものをいくつか売ってあげたので、少し彼女の経済援助にもなったし。

ここのガレージセールは質がいいねとか
あなた達クリスチャン?

とか聞かれたのも嬉しかった。


----------------------------------------------------------------------7月 13日 土曜日
額にある傷
娘が「イーサンおもしろいのよ」とニコニコしながら話してくれたこと。

朝、ママより先に起きた孫は娘のところに来て、ママの額にあるほくろを押して、「Turn On Play time」と言ったそうだ。
おもちゃのほとんどボタンで動く時代に生まれた孫は何でも「On」
のボタンを押したら、動くと思っている。
それで寝ている娘の額にあるほくろを押して、Onにしようとしたというのである。娘はその話をげらげら笑いながら話した。私もニコニコしながら聞いていたが、心の中ではなんともいえない気持ちだった。

娘の額にあるのはほくろではなく傷だ。あの子が3ヶ月くらいのとき、ポータブルのクリブから抱き起こそうとしたとき、突き出ていたステンレス・スチールのパイプのようなものに額をすらして、傷になったのだ。娘は痛くてぎゃーぎゃー泣いた。初めての子供につけた初めての傷だった。その傷は母である私の責任だった。「ごめんね、ごめんね、痛かったでしょう?」といいながら私は泣きそうになり、母親としての自信を失いそうになったのを覚えている。

でも今日あの子は傷のことを「ほくろ」といって、楽しそうにイーサンの話をしている。

こんな風に神様は傷を、笑いに変えてくださるんだなと思った。


----------------------------------------------------------------------7月 12日 金曜日 のち
Hand that rocks the cradle rules the world.
今日孫と一緒に公園に行った。馬、豚、羊、ウサギ、と見て回り、ボールで遊んでランチを食べた。周りは小さな子供を連れたお母さんばっかりだった。

「Hand that rocks the cradle rules the world」ということわざがアメリカにあるが、まさにそうだ。

今こうしてママと一緒に手をつないでいる子供達の誰かが、ガンの治療法を見つける医者になるかもしれない。難解な数学の問題を解決する人になるかもしれない。あるいは音楽家になって多くの人に美しい音楽を作ったり演奏したりして喜ばれるかもしれない。一人一人無限の可能性を秘めている子供達にお母さん達は、忍耐強く、話し掛けている。

ヨハネによる福音書 / 13章 3節
<イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、 食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

全ての力を与えられたイエスは弟子達の足を洗う選択をした。

子供達を汚い手を拭いているお母さんをみてそんなイエス様の姿を想像した。





7月 11日 木曜日 のち
国際結婚
若い人が国際結婚についていろいろ書いている。アメリカと日本の文化・歴史・地理の違い、アメリカ人と日本人に気質の違い。個人の生まれ育ち方の違いなどいろいろある。

振り返ってみると結婚当時「国際結婚とは?」などと考えているひまもなかった。がむしゃらに生きてきてふと振り返ってみたら結婚25周年を迎えていた。といっても問題がなかったわけではない。結婚後10年たって、もういやになって別れたいとひそかに思ったことがある。あまりひそかでもなかったのだろう。私の変化に気付いて牧師の妻だった親友はご主人に相談した。次の日、彼のオフィスに呼ばれた。3時間ぐらいカウンセリングを受け、彼から主人に連絡がはいった。主人はあたふたと牧師のオフィスに駆けつけた。この日のことは今でも主人に悪かったと思う。ちゃんと彼に先ず話してそれから2人でカウンセリングに行くべきだったのに、牧師のお友達から電話をもらったとき、突然岩で頭を打たれた気分だったという。

このカウンセリングで学んだことは、「Noboday makes me happy.」
という真理だった。「自分の幸せは自分の責任だ。」ということ。

この地点から私は夫婦生活の中でboundariesを実行した。
主人は家族のため私のため努力してくれている。残念ながらそれは十分でない。でも努力を認め感謝するのが私の勤めであり、彼には私を幸せにする能力はない。というか一人の人間がもう一人の人間の全てのニーズにこたえることは不可能だ。神様以外に私を満足させるものはないのだから。

国際結婚だろが、日本人との結婚だろうが、神様の祝福のない結婚は無理だと思う。間違いだらけの赤の他人の人間2人が仲良く何十年もともに生きることは奇跡としか言いようがない。
離婚率が高くなったといわれるけど、神様なしの結婚は100%破綻確実。そう考えると、うまくいっているほうが不思議。

私達が気付かないうちに神様が祝福してくださっているにちがいない。

神様ありがとう。



----------------------------------------------------------------------7月 10日 水曜日 のち
It’s you I like
毎日11時半から1時まで孫の面倒をみる。11:30から30分PBSのミスター・ロジャーズのネイバーフッドという番組を一緒に見る。
ミスター・ロジャーズは長老教会の牧師で長年子供のテレビ番組を放映している。アメリカのテレビは子供のものとはいえ、強い刺激の物が多いなかで、彼の声を聞いていると安心できる。

私の大好きな歌がある。

http://pbskids.org/rogers/songlist/song5.htm

It’s You I Like
© 1971, Fred M. Rogers

It’s you I like,
It’s not the things you wear,
It’s not the way you do your hair--
But it’s you I like
The way you are right now,
The way down deep inside you--
Not the things that hide you,
Not your toys--
They’re just beside you.

But it’s you I like--
Every part of you,
Your skin, your eyes, your feelings
Whether old or new.
I hope that you’ll remember
Even when you’re feeling blue
That it’s you I like,
It’s you yourself,
It’s you, it’s you I like.

この歌を聴くたびに神様の愛を感じる。



7月 9日 火曜日 のち
おばあちゃんのサポートグループ
このグループに参加するようになって、3年経つ。

今晩神様は私の罪に対して目を開かれた。

振り返ってみると私がアメリカに来た70年代の後半、女性が社会進出し、離婚率が急激に上昇していた。女性が、社会福祉援助なしで自立することが良いことだとメデイアは歌った。大学に戻りなさい。キャリアをつみなさいと、奨励され、育児所がすごい勢いで増えた。Hilary Clintonの弁護士として彼女のなした業績??は子供が親から離婚できることだった..

フランク・シナトラの「I did it my way」が大ヒットした。これほど傲慢な歌の文句はないかもしれない
アメリカは急激に家族崩壊していった。

そんな中で私は知らないうちに、この考え方に流されていた。

今晩、神様は私に家族を大切に、明確に言うと、主人を大切にするようにと話し掛けられた。
頭の中では神様、主人、子供達、お友達という順番だったが、実際には私は主人を大切にしていないと示された。

これは私にとってかなりの打撃だった。

私が40歳にして大学に戻ったときも、ずっと働いていたときも主人は支援してくれた。だから今主人が退職して寂しい思いをしているときに私が彼の支えになってあげることは当たり前のことなのかもしれない。なのに私は躊躇した。

ごめんなさい。神様。
ごめんなさい。だんな様


----------------------------------------------------------------------7月 8日 月曜日
娘夫婦とキャノンビーチに行ってきました。
娘家族と主人と私の5人でキャノンビーチに行ってキャンプしてきました。

何をみてもはしゃぐ孫の顔をみてこんなに喜んでくれるなんて一緒につれて来てよかったなーと感激。

ところが夜2時に起きて、「mama, napping done」と大声でわめき、娘がなだめて、やっと寝かしたかと思うと、6時に起きてきて、「mama, Wake up」とさけぶ。
やっと落ち着いた頃かんかん日が照ってきて、もう寝てられない。
寝不足で目の下にくまができた。

つくづく、子供は若いうちに産んで育てるものだと思う。何度も起こされて、日ごろ何の妨げもなく寝ることができることはしあわせだなと心から感謝。

子育てに一番必要なのはなんといっても体力。

子供を産もうかキャリアをつもうか悩んでいる人がいたら、私は子供を産むことを薦めたい。子育てには信じられないくらいの体力が必要なんだから、若いうちに子供を産んで育てたほうがいいよ。

子育て中のお母さん達に脱帽。



----------------------------------------------------------------------7月 7日 日曜日 のち
You’re special
キャノンビーチの帰り、シーサイド市にある、クリスチャンブックストアーに寄った。
この間お友達が推薦していたマックス・ルカドの「You’re special」という絵本を孫のために買った。

娘は早速車の中でこの本を2歳の孫に読んであげた。
読んだ後、ボソッと「この本いいね。」と言った。

木でつくられた人形の主人公は人の言うことに振り回されいろんなレッテルを貼られていた。ところがある日造り主に「ほかの人がどう思うかなんて気にしなくていいんだよ。あなたは私にとって特別なのだから。私がどう思っているかだけを覚えておきなさい」と励まされる。

この絵本は、子供だけでなく大人の心にも響く真理が美しい絵とわかりやすい文章で語られている。

一人でも多くの人がこの真実を知るように祈る。

http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0891079319/denigcom/102-3848816-9120121


----------------------------------------------------------------------7月 6日 土曜日
「種を蒔く人」のたとえ
今日のデイボーションから
ルカによる福音書 / 8章 4節
大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」
中略
良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」

この話は聖書の中で有名な話だが、今日家族と一緒にラスベリーファームに行ってラズベリーの実をつまみながら考えた。

良い土地に落ちた種は百倍の実を結んだとあるが、この時期は神様が決める。ラズベリーもタイミングが肝心できょう行くと、まだ熟れていない実も来週行くとちょうどうまく熟しているかもしれない。

~年たったから実を結ぶのではなく、神さまの時期がくれば熟れる
のだ。それを信じて私達は種をまきつづける。

----------------------------------------------------------------------7月 5日 金曜日 のち
久しぶりに親友の妹と会いました。
他界した親友ジョーさんの単一卵生双子の片割れ(ジェーさん)と会ってきました。

彼女は「twinless twin(片割れを亡くした双子)」というサポートグループに行くそうです。ご主人の仕事でミシガン州に引っ越してしまったため最近ほとんど会ってません。よく考えてみると最後に彼女と会ったのは去年の8月親友のお葬式ででした。

(面白い本当の話。去年ジョーさんの葬式直前、彼女のご主人は、皆に「自分の妻には同じ顔をした双子がいるので、葬式で会ったとき驚かないように。」という警告のイーメイルを出した。知らない人がみたら、ジョーさんが生き返ったのかと驚くだろうな...考えたらおかしくておかしくて。。。)

彼女は亡くなったジョーとまったく同じ声、同じ顔、同じしぐさなんですよ。パーソナリテイは全然違うけど...
彼女ともう一人のお友達キャシー3と会えジョーの思い出話をしたり一緒に笑ったり泣いて祈りました。
神様がジョーさんという友達を与えてくださったことを感謝するとともに人との出会いを大切にしようと心に決めました。



7月 4日 木曜日
Shall we dance?
結城さんのHPから

>それはちょうど、花嫁が花婿とダンスを踊るようなものです。
これは彼が私達と神様の関係を説明されたときに仰った言葉。
結城さんって難しいコンセプトを簡単に説明できる賜物を持っておられる。
以前ダンスのレッスンを取ったとき、インストラクターが言った。
男性がうまいと、女性が美しく見えるのですよ。
神様との関係もそうかもしれない。神様に委ねれば委ねるほど、その人に美しさが現れる。

去年亡くなった親友のジョーさんもそんな美しい人だった。神様の小さなささやきにも耳を傾け、苦しみの中でもウオルツを踊っているような、華麗さがあった。

それは長年の祈りと聖書朗読から生まれた鮮やかなステップだった。

----------------------------------------------------------------------7月 3日 水曜日
Boundaries by Henry Cloud
ゆうべおばあちゃんのグループで、ある人がふと言った。「あーあ子育てしていたとき今持っている知恵があったらもっと違う結果が出ていたかもしれない..」それは子育てを終えた誰もが一度は思うことかもしれない。私も子育て中無知でがむしゃらだった。

中学生のとき、次女が宿題をせず、成績が落ちたとき、先生に、「これはパワー・ストラグルです。子供にもっと力を与えなさい。」といわれ、方針を変え、彼女の部屋を掃除してあげることはやめ、「宿題おわった?」などと聞くことも止めた。なるべく自分でできることは自分でしてもらうように薦めた。

子供が自分でできることまで母がやるとそれは甘やかしで、子供が自分で出来ないことをしてあげないのは、無責任だと頭ではわかっていたのだけど、どうも感情がはいって、disciplineとやさしさのバランスがうまくとれなかった。

神様が私を扱うときのことを思い出したらよかったのかもしれない。神様は私がする全ての誤りから守ってくれない。私がしたことの結果は私が、受け止めなければならない。

娘達のために祈るし、娘達を愛すが、それぞれ、自分が決めた決断に対する責任は取る必要があり、私が救出するのは単なる甘やかしなのだ。

このBoundariesというのがなかなかむずかしい。身体的Boundaris, 感情的Boundariesといろいろある。

例えば、誰かが、私に言った言葉で傷つく。
でも実は私に選択肢がある。(これをBoundariesという。)私の許可なしに誰も私に腹を立たせることは出来ない。
言葉を聞いたとき、1。怒る 2.この人は全ての状況がわからず話しているのだから、気にしないでおこう。
と思うかは私の選択。

全てを神の言葉に照らし合わせてみる。これは一生かかって学ぶレッスンなのかもしれない。



7月 2日 火曜日 のち
こだくさんのすすめ・英語の日記をはじめました
夕べ夜遅く話していたとき突然、

Kさんが
「子供をたくさん作っとけば良かった。」「子供のために学費なんて貯めないほうがいい。」といった。
私は耳を疑った?ええ?どうして?でも彼女の説明を聞いてなるほどと思った。
アメリカという国は子供たちに大学教育を与えることに対して責任を感じすごい予算が用意されている。下手に親に貯金があると奨学金の枠を越えてしまって何にももらえない。例えば親が離婚して、貯金がゼロだと私立の大学4年位いける奨学金をもらえる。実際私のお友達の息子さんは質素な学生生活をしたあと残った奨学金で卒業後すぐ家を買った。(まあ彼はとくにビジネスセンスのある人だけど...)その上親が大学費用を払ってあげた子より自分で奨学金を見つけて大学に行った子供のほうが、一生懸命勉強する傾向がある。
あーあ。もっと賢かったらな...
私が子供を2人しか産まなかった理由は2人くらいしか子供の大学資金を貯めることが不可能だと確信していたからだ。自分の両親が姉と私の大学授業料を払ってくれたので私もそれくらいのことは娘達にしてあげたかった。
でもこのアメリカのシステムを知っていたら、お金なんか貯めず、もっと子供を作った。少なくとも4人くらい。
私のような親戚のいない移民人にとって、子供が多いということは交流が広がり、生活が豊かになる。

若い人に大声で言いたい。

1.子供をたくさん作りなさい。
2.子供のための学費は貯めないほうがいいよ。

聖書にも子供をたくさん産むように奨励されている。やっぱりあの聖句従っておけばよかった。

こう書いて、私は霊の子を生み育てる責任があることに気付いた。
肉体的に子供はもう産めないけど(実は私は産めるが、主人が駄目。ごめんなさいパパ)

神の子を増やしたい。
もっと祈ってみよう。


日本語が怪しくなってきたので去年12月にこのHPをはじめたのですが最近英語のほうが怪しくなってきましたので、今日から英語の日記をはじめます。

皆さんもはじめてみませんか?




7月 1日 月曜日 のち
Shizuko’s Daughter
作者キョウコ・モリは自伝とも言える「The Dream of Water」のなかで日本語についてこういっている。

「日本語は自分の感情をはっきり表現することを歓迎しない言語で、論理的なことだけを語り感情を曖昧にしておく。だから感覚や直感に頼って思考している私には日本語はむいていない。それは日本に住んでいたときから同じだった。13年にわたって日本を離れていた今、私が英語だけど施行していることも、その思考を日本語に翻訳できないことも私にとっては不思議ではない。」

この気持ちなんとなくよくわかるな...私は子供達が幼かった頃わざと日本語を教えなかった。心の傷が深く、母の裁く言葉を理解して欲しくなかったからだ。私にとって日本語は単に心を傷付ける道具でしかない愛のない言葉だった。

母と和解した今、日本語で御言葉を読むようになった。日本語のすばらしさがはじめてわかるようになった。感謝だ。

きょう長女がうれしそうに「来学期大学で日本語を取るのよ。」といった。孫に日本語を教えたいらしい。
ごめんね、幼い頃教えてあげたら苦労しなくてすんだのに...

日本語に関心をもってくれるようになったことに感謝。

© Rakuten Group, Inc.
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