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まだ高齢者ではないので、ワクチン接種券が届いたのは2月末だった。今回は、1・2回目とは異なり横浜市の集団接種会場が開設されなかったので、ネットで個別の病院を探すことになった。徒歩圏でも2~3軒あったが、他の用事もあったのでバスで10分程度の新横浜の病院を選んだ。ファイザー製ワクチンだし、病院の評判も良かったからだ。先週ネットで予約した病院に行き、待ち時間なしで受付を済ますとすぐに個室に案内された。2人分のフカフカのソファーが置いてあり、既に1人目の人が座って問診を受けていた。上着を脱ぐ暇もなく続いて問診を受け、上着を脱いで座ると直ぐにワクチン接種が行われた。病院に入ってからワクチン接種が終わるまで、なんとわずか5分だった。その後廊下のソファーで15分待機して、書類をもらって帰った。病院選びからワクチン接種まで、接種日や病院の変更も含めて極めてスムーズだった。そして1・2回目と同様、ファイザー製ワクチンは全く副反応がなかった。感染したくないと思うなら、とっとと3回目を受けるべきだろう。
2022/03/18
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7月20日現在で、横浜市のワクチン接種が100万人を超えた。内訳は1回目のみ完了者が378,899人で、2回目完了者が628,020人だ。合計1,006,919人というと結構な人数だが、接種率はまだ26.8%に過ぎない。(※R3年3月末現在の住民基本台帳ベースの横浜市人口:3,758,300人)横浜市の高齢者人口(65歳以上)は92.8万人もいるし、地方都市と違って大都市は何かと大変だ。以前書いたように、横浜市ではネット予約も実際の接種も気が抜けるほどスムーズだった。横浜市では現在2,282,070回分のワクチンが確保されているので、当面滞りもないだろう。一方、神奈川県が行っている大規模接種は現在予約を受け付けていないので、モデルナ製ワクチンはやはり不足しているのかもしれない。私の場合幸いにも副反応は全くなかったが、やはり現時点では副反応が少ないとされているファイザー製ワクチンの方が安心感がある。希望するワクチンを徒歩圏で接種できるのは、大都市の恩恵といえるのかもしれない。
2021/07/23
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1回目のワクチン接種を受けてきた。予約(ネット)は予想以上にスムーズだったが、ワクチン接種はそれ以上にスムーズだった。「10:30」の予約だったので、2~3分前に集団接種会場に入った。最初の受付で「10:30」の28番という札をもらって、待合スペースに案内された。ちなみに28番は「10:30」の組の最後だった。7~8分後に書類チェックを受けて、次のブースで接種番号113をもらって待合スペースへ。5~6分待ってから2箇所ある予診スペースの1つに呼ばれた。ちなみに予診スペースの前には、銀行の窓口にあるような電光掲示板が置いてあり、現在予診中の接種番号だけでなく待ち人数も表示されていた。予診が終わると、6箇所ある接種スペースの入口に案内された。待つほどのこともなく、接種スペースの1つに呼ばれてワクチンを接種したのが「10:50」。つまり、会場に入ってから約20分後には接種が終わっていたのだ。そして「11:05」と書いてある付箋を持って接種後の待機スペースへ。体調に変化はなかったので、「11:05」に帰って良いですよと言われてすべて終了した。これは、会場に入ってから約35分しかたっていない。ちなみに、家を出てワクチンを接種して帰って来るまでに1時間もかからなかった。立って並ぶということは殆どなく、全ての段階で案内の人が付くので迷うこともなかった。初めてのことなので多少は身構えたところもあったが、見事な肩透かしだ。しかも注射は、「えっ、打ったの?」というくらい無痛だった。副反応についてはしばらく様子を見る必要があるが、全くストレスのないワクワク接種だった。
2021/07/11
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横浜市では、本日5日から64歳以下(優先接種者のみ)のワクチン接種の予約が始まった。ワクチン接種に関しては、これまでに様々な報道を目にしていた。「大規模接種会場は空いている」「職域接種が予想以上に進んでいる」「地方では64歳以下の接種も始まっている」「日本製ワクチンの開発も進んでいる」などの肯定的な報道。「予約電話がなかなか繋がらない」「ネット予約に半日もかかった」「職域接種用ワクチンが足りなくなった」「一部に、ワクチン接種を望まない人への差別がみられる」などの否定的な報道。ただし、横浜市のワクチン接種に関する報道は見かけたことはなかった。現在の感染者状況をみると8月には新たなピークを迎えそうなので、できれば早めにワクチン接種をしておきたいと思っていた。横浜市では、64歳以下の優先接種者に対して6月23日から接種券を送付していた。26日には接種券を受け取り、横浜市のHPで予約方法などを調べておいた。接種券を持つ者は本日9時から予約可能で、徒歩5分の場所に集団接種会場があり、比較的安心感のあるファイザー製ワクチンだということだった。さて、9時になりPCから予約サイトにアクセスしようとすると「順番待ち」表示が出ていた。2019年のラグビーW杯のチケット予約を思い出して若干不安を覚えたが、3~4分の待ち時間であっさりアクセスできた。後は手順に従って、ログイン、メール登録、再ログイン、予約会場の選択、接種日・時間の選択と進んだ。私が選択した接種会場は週4日稼働だったが、直近の3日はその時点で既に埋まっており、6日後の日曜日の午前中に予約が取れた。2回目の接種については、自動的に3週間後の同会場・同時刻で予約されるシステムだった。(もちろん後で変更することもできるし、最初から別々に任意に予約することもできる)3週間後の予定は不確定なので、日曜日なら仕事とのバッティングは無いので好都合だった。この間、約20分くらいだっただろうか。何のトラブルもなく、順調に予約が取れたという印象しか無い。
2021/07/05
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今日の横浜は雨模様で、少々肌寒い天候だ。そんな中、クルマで10分ほどの横浜労災病院に行ってきた。といってもお馴染みの整形外科ではなく眼科だ。実は先月受けた健康診断の眼底撮影で「要再検査」と言われていたのだ。初めての事なので、さっそくきちんと調べてもらうことにしたのだ。視力、眼圧、眼底の検査結果は特に異常なしで、若干拍子抜けしてしまった。健康診断の眼底撮影では、緑内障の心配をしたのだろうという事だった。「最近手元が見にくいなぁ」と思っていたのも単に老眼の始まりのようで、遠近両用のメガネに換えるのも良いかも知れないなどと言われてしまった。異常がないのは喜ばしい事だが、なんだか少々複雑な気分だ。しかしいつも思うのだが、この病院は比較的待ち時間が少ない。予約なしで10時半頃受付に行った時には「少々時間がかかります」と言われたが、診断-検査-診断の後、12時半には会計が済んでいた。会計でのカード払いも手際が良いし、システムがしっかりしているのだろう。ただ、強い光を当てたから数時間はクルマを運転しないで下さいと言われてしまった。仕方がないのでクルマを駐車場に置いたまま新横浜駅の方に歩いて行き、ランチを食べたり何軒かお店を回ったりとブラブラしていたのだが、徐々に雨が強くなってきたのでそそくさと帰ってきたのだった。さて月末は整形外科だ。なかなか病院とは縁がきれないなぁ。自動給餌器はコチラ!なるべく安く旅行に行こう!防災グッズはコチラ!生命保険は大切だ!アウトドアを楽しもう!ギターが大好き!ハーモニカとウクレレ!木のコップを使おう!自転車に乗って!アマゾンでお買い物!なるべく安くクルマを買おう!住まい探しを楽しもう!
2006/02/20
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突然病気になり、退院した後長期療養に入ってから早2年が過ぎてしまった。その間収入はない。多少なりとも退職金が入いり、住宅ローンの部分返済、車、引越し関連などには役立ったものの、中小企業のそれではたかがしれていた。入院してからの1年半は、健康保険で食いつなぎ、その後の約3ヵ月は雇用保険で食いつないだようなものだ。その後は、まさしく蓄えを食い潰す生活だが、こうしてみると、公的な支援制度はまだなんとか機能しているように思う。「モトはとれたかな?」とも思ってしまう。仙台にいた間は、月2~3回のペースで病院に通い、“15分歩いても平気”“2~3時間外出しても平気”というように、徐々に身体を回復させることが唯一の“仕事”だった。現在腰は痛くはないが、生活にたいした違いはない。腰とは違うことでちょくちょく病院にも行っている。が、恐らく“時間が解決してくれる”病気に対して、何だか“時間を消費している”ような気がしてならない。この間、何度もオキナワに“保養”に行けたのは実に楽しく幸せなことだったし、趣味が充実した面もある。しかし、将来の展望が見えてこないのも事実だ。もし病気にならなかったら、好きな仕事を続けてそこそこの収入も得られた。しかし一方で、もし骨の腫瘍だったら退院すら危ぶまれたかもしれない。良いふうに考えるか、悪いふうに考えるか、確かにこれは気の持ちよう一つだ。しかしまぁ結局、“ボチボチいくしかない”というところだろう。
2004/12/14
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血圧が上がったせいでたいしたリハビリもできないまま、入院してから3ヵ月近くたった。すると病状が安定しているからと、退院の話がでてきた。これは喜ばしいことだが、実は色々と病院側の事情もある。12月に入ると仙台は結構寒い。雪が積もっていない時でも、たいてい道が凍結する。すると高齢者を中心に、ころんでケガをする患者がかなり増える。つまり整形外科はさらに混むことになり、ベッドが空くのを待つ患者も出てくるのだ。一方で健康保険の制度上の問題も大きい。入院患者が3ヵ月を越えると、どうも保険の点数が病院に入らなくなるようだ。つまり3ヵ月以上の入院患者は、病院経営にとってはあまり好ましくないものらしい。結果として、3ヵ月以内で退院するケースが増えることになる。無理やり退院させることもないだろうと思うが、特に東北の冬では、3ヵ月以上の長期入院はかなり少なくなっているのではないかと思う。まぁ、こちらとしては“静養”を続けるだけなので、家にいた方が自由だし、何かと都合がよかった。で、3ヵ月の入院生活を終えて“自宅療養”に入った訳だが、「腰椎化膿性脊椎炎」とはなかなかやっかいな病気だった。(続く)
2004/12/04
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病院には高齢者が多い。予約ができない病院の朝の光景といったら、すさまじいものだ。リハビリ・ルームも非常に高齢化者が多い。しかもその多くが、立ったり座ったりできるようになる、歩けるようになる、階段を登り降りできるようになる、といったことを目標としているから、“元気”とはほど遠い雰囲気だ。スローモーションのような空間で、一人何をやっていたかというと、一言でいうと“筋トレ”だ。穴のあいた腰骨の負担を軽くするために、腹筋などを鍛えようというのだ。軽く準備運動をした後、足にウエイトを付けて腿の筋肉を鍛え、ベッドで腹筋背筋を鍛え、エアロバイクをこぐというメニューだ。スローモーションの世界では明らかに異質だった。こっちは大汗をかいていたが、そもそも汗をかく運動をする者など他にはいなかった。まぁ、なんとなくやりづらいので朝早い時間に変えたが、汗をかくのは気持ちがいいものだった。2週間ほど順調にリハビリは進んだが、ある日いきなり目眩がした。リハビリを中断して病室に戻ったが、全く回復しないのでそのまま横になっていた。看護婦さんが様子を見に来たが、血圧が200を越えているとのことで、すぐに降圧剤を点滴することになった。幸い翌日には正常に戻ったが、内科でみてもらった結果、“筋トレ”系は禁止になってしまった。全く何が起こるかわからない。しかしこれで、腰の回復のペースが遅くなってしまったのは間違いないと思う。(続く)
2004/12/02
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長期入院といっても「腰椎化膿性脊椎炎」の場合、手術する訳でもなければ特に何をする訳でもなかった。最初の10日くらいは毎日点滴をしていたが、それが終わると「投薬+安静」が基本となった。まず炎症をある程度抑えて病気の進行を止めるわけだが、1日の大半をベッドで寝て過ごすことになり、仕方がないとはいえ単調この上ない生活だった。10日くらいで身体に合わせたコルセットが出来てきたので、ちょくちょく病室を離れても良くなった。確かに入院した頃は、5分も歩けばかなり腰がズキズキと痛くなったものだが、病院の建物内を移動するくらいは殆ど負担にはならなかった。メリハリをつけるために朝起きると着替えていたから、パッと見た限りではとても病人には見えず、まして入院患者とはとても見られなかった。喫煙所などでは、付き添いか見舞いの人とよく間違われた。2週間目くらいに最初の外泊をして家に帰ることができ、郵便物やメールをチェックし、洗濯をし、美味いものを食べ、着替えなどを病院に持ち帰った。泊まって来ない時もあったが、以後退院するまで週末には家に帰ることができたので何かと助かった。そうそう、最初に帰った時に、本を交換するだけじゃなくて、古いノートパソコンも病院に持ち帰った。その結果、病室にいながら、CDを聞き、ゲームをし、ワードで「入院日記」を書き、時には携帯電話をつないでネットサーフィンも出来るようになった。ちなみに、携帯は病室での使用は禁止だったがテラスでは黙認されていたし、パソコン持ち込みは事前にOKを取っていた。病室にはもちろんテレビもあったが、プリペイド式というのはなんだかもったいない気がして、ニュースやスポーツ以外はあまりテレビを見ない生活になっていった。炎症が治まってきたとはいえ、「腰椎化膿性脊椎炎」で腰骨に穴が開いた状況には変わりはない。病気の進行が止まったとしても、その後、少ぉ~しずつ回復してくるのを待つしかなかった。入院してから1ヵ月くらいたった時、骨のまわりの筋肉を補強するためにリハビリを始めることになった。しかしこれは、新たな問題を生み出すことになるのだった。(続く)
2004/11/30
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2002年9月、人生初めての長期入院が始まった。入院先は仙台市北部にあるT病院。借りていた家から車で10分足らずのところにある総合病院だ。こう言っちゃぁなんだが、建物は結構古い。トイレなんかも狭いし、病室はなんと8人部屋だった。今時の病院は4人部屋くらいが主流のようだから、“昔仕様”と言ってもいいだろう。しかしまぁ、ちょくちょく外出して家に戻ろうとも考えていたので、検査設備が整っていれば家から近いのが何よりだった。昔、半月板の手術で1週間ほど入院した時にも思ったのだが、整形外科病棟というのは意外と雰囲気が明るい。見た目では結構オオゴトの患者もいるのだが、何といっても他の病気と違って“生き死に”に関係がないということが大きい。実際問題、今の日本では病院は主な“死に場所”でもあるのだから、深刻な話には事欠かない。その中では、整形外科病棟は実に平和なところではある。患者どうしの一番のコミュニケーション・スペースはというと、実は喫煙所だ。T病院も、古いとはいえ喫煙所は外にあった。そこを舞台にして、熱い寒いの挨拶から始まり、病状や治療方法の話、頭にきた話や医者の悪口、看護婦の評価など、様々な話題に花が咲く。最近の傾向として入院期間は短くなってきているようだが、やはり長期入院患者はいるもので、当然顔馴染みも出来てくる。その中から、数人の親しい患者仲間が出来たことは、色んな面で幸運だったと思う。(続く)
2004/11/29
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経験者にはわかるだろうが、大学病院というところはメチャクチャ時間がかかる。10時に受付を済ませても、午前中に診てもらえないことすらある。最低、診察の前後1~2時間ずつはとられることを覚悟しておかないといけない。待たされる病人は心身共にグッタリと疲れ、たいてい病状は悪化してしまう。ちょっとドキドキしながら行った大学病院だが、すぐに腹がたってきた。どうにも収まらず、思わず言ってしまった。「腰が痛くて来ているのに、いったいいつまで座らせておく気なんだ!」すぐに医者の控え室のようなところに通され、ベッドに横になりながら待つことになった。…言ってみるものだ。確かに色んな病院を見てきたが、“横になって待つ”ことができるところはなかった。客が病人なんだから、少しは考えて欲しいものだ。で、診断結果はというと「腰椎化膿性脊椎炎」というものだった。何でも、バイキンが入って腰骨にたまり、骨の内部が部分的に腐って溶けているというような話だった。腫瘍ではないとのことなので一安心と思いきや、「即入院して下さい」「最低1年以上は治らないと思います」と言われてしまった。まさに“晴天の霹靂”というやつだ。針治療などの際にバイキンが入ることがあるようだが、今回は当てはまらない。ただし極まれに空気感染することもあるとのことで、それくらいしか考えられないそうだが、正式には“原因不明”だった。原因は分からずとも病状と対処法がハッキリしただけでも良しとすべきかもしれないが、やはり困った。結局、週明けまでの数日間入院するのを伸ばしてもらって最低限の“後かたずけ”をし、何かと都合がいい近くの総合病院に入院することになった。時は2002年の9月に入ったところだった…。あぁ、なんてこった!(続く)
2004/11/26
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痛い右膝は、どうやら「変形性膝関節症」らしい。もしそうなら、これは“進行性の慢性関節疾患”なので“進行を防ぐ”だけになるのかもしれない。で、当面は投薬治療することになった。あ~あ。さてそろそろ「入院→休職→退職→長期療養」の原因となった“腰痛”について整理しておこう。あれは2年前の2002年のこと、そう日本中が大騒ぎしたW杯イヤーだ。なんとか4試合分のチケットを手に入れて、一息ついた春のことだった。ある朝、起きようとしたら腰に激痛がはしった。ハンパな痛みではない。少しでも身体を動かすと痛くて、全く動けないのだ。しばらくすると痛みが落ち着いてきたので、なんとかそのまま出社したように思う。その後、痛みは消えることはなく、日によっては歩くこともままならない状態だった。もちろん病院に行った。近所の整形外科だ。レントゲン検査の結果は「ヘルニアの兆候がない事は無いが、特に異常はなさそうだ」とのことで、鎮痛剤と湿布をもらっただけだった。1週間後に状況に変化がないことを伝えだが、「変ですね~」という感じで前回と同じ対処だった。3度通ってもラチがあかないので、ちょうど用事があって実家に帰っていた際に他の病院にもいった。その時も、MRIとかは予約がいるとのことでレントゲン検査だけだったが、最初の整形外科と同じような診断だった。腰痛に悩まされながら仕事を続け、もちろんW杯も見に行ってきたが、いっこうに良くなる気配はなく、「針とか整体とかも考えてみようか」とも考え始めていた。しかし、「まず精密検査をしてみるべきだな」と思い、8月になって近くの総合病院に行くことにした。そこの整形外来でも、最初はレントゲン検査をして“大きな問題はなさそうだ”との診断で、おきまりの鎮痛剤&湿布ではあったが、1週間後に状況報告すると精密検査をしてみることになった。血液検査をした上で、MRIとCTの断層撮影を行った。結果は、大きな炎症反応がみられ骨の内部にかなりの異常があるとのことだった。ただし、そこでも詳しい診断ができないとのことで、東北大学付属病院で再診断してもらうことになった。その際紹介されたのが“整形外科の腫瘍担当”の医者であり、どうも“骨のガン”の可能性もあることを示唆された。正直これにはビビッた。「何だ何だ?どうなってるんだ?」といったところだ。(続く)
2004/11/25
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このところ右膝が痛い。特に曲げる時が痛く、日によってはかなり苦痛だ。この調子では、また病院の世話になりそうだ。かつて、もう15年程も前になるが、いきなり左膝が痛くなったことがある。1~2ヵ月我慢していたが、回復のきざしが無いので会社の近くの病院に行くと、いきなり日大病院にまわされた。どうも半月板が割れているとのことで、結局手術して割れた部分を除去するハメになった。半月板とは、間接のクッションみたいなもので、上から見ると“半月”の形をしている。スポーツ選手が結構ケガするところで、日大病院には日大フェニックス(アメフト)の連中も来ていた。担当医は、元ジャイアンツの吉村の手術もしたそうだ。当時はまだ若く元気だったから、よくテニスやスキーにも行っていたが、問題は“膝を強く打った”という記憶がなかった事だ。後から考えて「あの時かなぁ?」というくらいで、どうも原因も時期も特定できずスッキリしないままだった。今回も特に“何がどうした”という事はなく、気がついたら痛くなっていた。しかしまぁ、結局会社を辞める原因になった腰痛も“原因不明”のままだったし、病気やケガというものは案外こんなものかもしれない。結構、劇的な出来事なんていうのはあまり無いような気がする。これまで“学習”した事は、「素人判断はあてにならない」ということと「近代設備は大事」ということだ。こんどくわしく整理するが、レントゲン検査では2つの病院で“大きな問題はない”と診断されていた腰痛が、実際には3ヵ月の入院と長期療養になっていった。そうだなぁ、やっぱりちゃんと診てもらおう。
2004/11/23
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