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槍・穂高連峰の登山
槍・穂高連峰の登山
先日、NHKのBSで日本アルプスの登山風景をやっていたのを興味深く観ていた。田部井さんという女性登山家としょぼい男性アナウンサーの二人が3週間強のスケジュールで槍・穂高連峰の夏登山をしたもので、一種の素人向けの対策登山の案内版のようなものであった。しょぼい男性アナウンサーの名前は知らないが顔は知っていた。軟弱さを売り物にしているような男性としっかり者の女性老登山家のコンビだからヤジキタ道中のようで何とか上手く行ったのだろう。他には当然ながらカメラマンや音響効果担当など数名が居る筈で総勢7、8名のパーティーなのだろう。槍ヶ岳や穂高の頂上で一般の中高年の登山者達が歓迎の拍手で迎えていた。
槍・穂高連峰(左に槍ヶ岳が見える)。
最近では中高年の登山者が多い。それだけに事故も多い。この番組は、しっかりとした基礎知識をもって登ってもらいたいという願いがあったのだろう。テレビを観ていて若い頃の経験を想いだした。学生時代に単独で1週間、槍・穂高連峰を登山したのだった。わざわざ独りで行ったのには訳があった。理由は実に単純なもので一種の肝試しだった。それまで一人で旅行もしたことがなかったから、そろそろ大人なのだから自分を鍛えるつもりで敢えて独りで山に登ってみようと想ったのだ。友人に山岳部に入っているのが居て、彼に道具を借りて、1週間分の食料を入れ、テントも持ち、フラフラしながら重い荷物を担いで行った。30kgはあったろう。
槍・穂高連峰の夕焼け(右に槍ヶ岳が見える)。
槍・穂高連峰は割合ポピュラーなコースだが、途中で大キレット(岩場の谷間)があって簡単に考えたり、なめて掛かれば大怪我をするか、下手をすれば転落事故を起こして命を落とす難所を越えねばならないから、そこそこ心得のある登山者でないと行けない場所でもある。だから番組では、山小屋の案内人が付いて行った。ボクなんか大キレットの底で野営(テントを張って一泊)したのだったから、後で山岳部の友人が「よく大丈夫だったな」と驚いていた。落石が多い場所で当たれば勿論大怪我をする。そう言えば夜中に数度、ブーンと何かが空気を切って頭の上を通過する音が聴こえた。野鳥だと想ったのだったが実は落石だったのかも知れず、遅まきながらゾッとしたものだった。
ハイ松の密集地から槍・穂高連峰を観る(槍ヶ岳が飛び出している)。
怖さ知らずの強みで登山したのだったが今ではとても登れないだろう。それだけにデジタルの綺麗な画像を観ていて懐かしさと青春の無謀さとが折り重なって、見覚えがある細かな風景を横で一緒に観ていた妻に詳しく説明するのだった。画面には出なかったが槍ヶ岳の頂上の狭い場所からの360度の眺望や、遥か遠くの足元に観えた黒部ダムが鮮明に想い出された。再度行きたいという気になったものの体力的に無理なだけに単に懐かしがるだけだったが、矢張り大自然を歩く楽しみは行った者でないと分からないものがある。これからは、せめて家の周りの丘のような山々をウオーキングするだけでも気持ちの良い季節になるのだからボチボチ再開しても良いと想ったりもした。
何所から観ても槍ヶ岳は目立つ。
一番強く印象に残っているのは穂高や槍の頂上からの眺めではなく、その手前の涸沢の斜面で野営した時のことだ。初日の朝、上高地を発った頃は良い天気だったのに、途中から雨になった。濡れながら夕方ようやくたどり着いた涸沢の斜面には既に多くのテントが設営されていた。見廻しても適当な場所が無く、已むなく残っていた余り高くない岩の陰にテントを張り、疲れた身体を伸ばし、そろそろ夕食でも取ろうかと一休みしていた時だった。ドドッと大きな音がするのでテントから顔を出すと、何と、沢の上から滝のような鉄砲水が落ちて来るのだった。恐ろしい光景だった。あれよあれよと観ている内に次々と総てのテントが流されて行くのだった。それは一瞬の出来事だった。
夏の槍・穂高連峰。
ボクの居た牛ぐらいの大きさの岩で鉄砲水は二分され、辛うじてボクは水に浸かることも流されることもなく、周りの流されて行く人々を只々観ているしか出来なかった。水が去り、流された人々が這い上がりながら倒れて流されたテントや道具類を片づけている光景は、まるで今の鉄砲水が嘘だったような一瞬の出来事だった。それからローソクの灯りで食事を摂ったのだったが、流されなかったボクは実に幸運だったとしみじみと味わったものだ。禍福は縄のようにあざなっているという実感が湧いて来るのだった。残り福とはこういうことを指すのだろうという想いだった。
紅葉の槍・穂高連峰。
望んでその場にテントを設営した訳でもないのに、神様は疲れて遅れて来た者に一寸微笑んでくれたのだ。そのことがこれからの登山が無事に終えることが出来る暗示のようにも想えるのだった。だから、結果論だが、大キレットの底で野営した時も事故も無く過ごせたのかも知れない。そう言えば、槍ヶ岳を目前にしながら途中で疲れきって風邪をひいてしまい、テントを張る気力も無く、山小屋で泊まらざるを得なくなったことがあった。風邪なぞひくとは想わなかったから薬は持ち合わせていなかった。薬を求めたが山小屋の係員は不親切だった。風邪をひくなぞ山男の風上にも置けないという「勝手にすれば」という風な態度だった。
冬でなくとも残雪が観える槍・穂高連峰。
仕方なくボクは寝袋で眠りに眠った。寝ている途中で隣に居た人が「風邪ですか?薬を上げましょう」とくれた。薬が効いたのか翌朝にはすっかり回復して小屋を出ることが出来た。隣で寝ていた人は既に発っていて礼を言うことが出来なかった。それが残念だった。山小屋に対しては良い印象を抱けなかった。そういう気持ちを今も持っている。身から出た錆とは言え不親切な山小屋に期待を裏切られたという想いをその後も抱き続け、テレビで如何にも親切そうに出演者達にサービスをしている光景がやらせのようにしか見えなかった。だから山の関係者には悪い人間は居ないというのは必ずしも幻想でしかないのではないかと残念ながらボクにはそう想えてしまう。神様は黙って見ているだろう。
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