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姫路城
姫路城
昨日、大阪城のことを書いていたら中学一年の時に遠足で行った姫路城のことを想い出した。その頃から昭和の大修理が始まって、完成した報道は新聞やテレビで知っていたが行く機会が無いままずーっと行っていない。最近では数年前に近場までは二度ほど行ったが入るチャンスが無かった。国道から遠目にお城の姿を観て、昔のイメージのままなので安心したぐらいだ。何を心配したのかと言えば、中学時代に抱いたイメージが変わっていないかということだった。大修理で綺麗にこそなれ変わる筈がなにのに大修理で何かが変化したと想い込んでいたのだろうか。そういう曖昧なイメージのまま何十年も想い続けて来たのだ。
国道側(城の南)から観える姫路城の姿。
大修理は昭和31年から8年間を要し延べ25万人がかかわったという。大修理が終わった昭和39年といえばボクは大学の3回生になっていた。延べ25万人という計算は、8年間(約2,900日)で働いた職人(技術者)の総数だから、休日を差し引いた実労で見れば一日平均33人の技術者が現場に入ったことになる。毎日33人程度の技術者が、あの大きな天守閣に入っても閑散としたものだが、飽くまでも平均実労だから集中的に入った時なぞは数百人の場合もあっただろう。スッポリと天守閣を包み込む素屋根を掛けるだけで一年を要したそうだから実に大がかりな工事であった訳だ。大きな素屋根を掛けるのは重要文化財級の木造建築物を大修理する時に行われる。
南西方向から観た天守閣(雪の薄化粧に夕陽を浴びている)。
素屋根を掛けてする大修理はつい最近では、京都・西本願寺の御影堂や奈良・唐招提寺金堂の大修理があった。どちらも工事中に横を通ったことがあるが、実際に観ると実に大きな屋根だった。軽い素屋根といっても下の建物に触れずに掛ける訳だから大きなスパンになり、鉄骨の梁も巨大なものになる。それが姫路城の場合、相当高い位置にあるから台風や大風で倒壊しないような頑丈なものが必要だった訳だ。それだけでも大がかりな工事である。ビルの工事で素屋根を掛けることは殆ど無いが、下から観て同じような規模の足場や仮囲いを観て、素屋根よりも大がかりに観えても驚くことは無い。
東南側から観える春の天守閣の姿。
ビルの場合は周りの囲いだけだから素屋根のような大梁は要らないし細いパイプだけでもつ。それは積み木のように足場を垂直に組み立てるだけだからだ。横揺れ防止には建物本体から繋ぎを取るだけで済む。しかし木造建築物の大修理の素屋根と仮設の壁囲いは建物からは繋ぎは取れないから自立させねばならないのだ。巨大な仮設構造物を自立させるのは大変なことである。地震にも大風にも大雪にも耐えねばならないからだ。本体の建物がそういう自然災害に耐えて建っているのは当たり前だが、それを包み込む仮設物(素屋根や仮設壁囲い)も同じように耐える耐力を待っていなければならないのである。もし、壊れて下の重要文化財を痛めでもすれば主客転倒になる。何のための大修理かということになるからだ。
天守閣の周りの塀や建物は戦いの際に守りよい盾になる。
仮設工事は結果的には形としては残らず目に見えなくなるだけに素人は勿体ないと思う。そこが大きな間違いで、仮設工事は準備工事のようなものだから本工事の出来不出来に大きく関わる重要な要素なのだ。今話題になっているダム工事の関連道路や橋のようなもので、それは将来出来上がる人口湖の廻りや上に残れば成果として観えるし納得もされるが、人工湖の下に沈んでしまう仮設道路や土木建築関連の構造物は消えて観えなくなってしまうから何処にそんな莫大な工事費が要ったのかと素人は疑う。損な役割であるが重要な要素であることには間違いない。仮設工事とはそういう運命なのだ。それがかなりのウエイトを占めるからダム工事は工事費がかさむのである。
鉄砲や弓矢を射り、石や熱湯を落とす穴、壁面には多くの防御の工夫がある。
姫路城は一度も戦火に遭ったことはない。だから綺麗なまま残ったのだが、それは意識的にそうなった訳ではないから偶然の産物である。現在の雄姿は増築を重ねた結果、出来上がったことが大修理の際の解体工事で分かった。建物の骨組み(構造体)の他に石垣にも昔の増築前のものが出て来たことが報道されていた。言わば富士山と同じで、何度も噴火を繰り返しコニーデ式火山の優美な円錐形となって行ったようなものだ。現在の姿に成るまでの積み重ねが下地に隠されているのである。偉大な人物にも同じことが言えるだろう。過酷な人生経験を何度も経験し乗り越えた人物でないと偉大さは身に付かないというのと似ている。
北東側から観た朝日を受ける天守閣。
姫路城の天守閣は六層から成っている。六階建てのビルと同じだ。しかし石垣が小山の上に築かれ、その上に建っていて階高(ワンフロアの高さ)も高いから八階建て、プラス、小山分で高層ビルと同じである。高くした理由は勿論、物見、つまり敵を遠くに発見する為である。亦、城下の様子を見渡す為にも使われたのだろう。今の超高層ビルの展望台から周囲の風景を眺めるようなものである。昔はスモッグも無かったから遥か遠くまで見通しが効き、京、大阪、摂津、淡路、四国、播磨、三木、丹波と観えただろう。権力者が見降ろす下界には有象無象の連中が天下取りを夢見て動き廻っていたのだ。群雄割拠の時代だ。
東南の松林から観た天守閣(城に桜も良いが、松も良い)。
そういう戦国時代の男たちの野望を想像してみると、城の持つ魔力がボクにも分かるような気がする。現代では山の上に家(自分の城)を建てる男は成りあがり者が多いという。特に医者が多いそうだ。ボクが信州小諸の山の頂上に、ある若いクライアントの別荘を設計し工事監理をした時にそれを感じた。彼は医者では無く表向きはブティックのオーナーだったが、裏では怪しげな商売をし経営コンサルタントと称し、海外にまで出かけて高額機械の取引をし企業に売りつけたりしていた。別荘の工事の進捗状況を国際電話でボクに訊いて来て自分の立場を誇示するのが嬉しいようだった。言わば目立ちたがり屋の寂しい男だった。
白砂青松の他に、天守閣に松の図も日本の原風景の一つだろう。
要は、男が自分が築いた城(家)をひけらかすのは一種の自己主張であり一国一城の主であることの誇示である。そういう人物は浮き沈みが激しい。小諸の別荘を建てたクライアントは今頃どうしているのか知らないが全く音沙汰がないから別荘も人手に渡っているのかも知れない。そういうことを考えると諸行無常の響きを感じる想いである。ボクがお城の天守閣を観て惹かれるのは建築学的なものではなく戦国大名達のロマンを感じるからだろう。当時の男達のロマンとは、大黒柱にもたれ、左手にに美女を抱き、右手で酒をあおることだと書かれてあった。まさか今の時代、そういう男達は居ないだろうが、似たようなことを政治の世界でやっているような気がする。
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