ココ の ブログ

五稜郭

五稜郭

 大阪城、姫路城と続けば次なる城はと考えてしまう。沢山ある城の中でも愛着のあるのは誰でも自分が生まれ育った処にある城だろうから世界的に有名な城の次には自分の慣れ親しんだ城を連想するのが当たり前だからである。ところがボクは彼方此方にある城の情報は自分の脚で得たものが少ないのだ。熊本城は高校の修学旅行で最初に観て、彦根城や関西にある城々もその頃には観て知っていたが、その後、大人に成るまで旅行先で観る城程度だから数は知れている。大人になってからも出張先で観たりする程度だから城について詳しい訳ではない。だから三番目に挙げる城は戦国時代のものではなく、ずーっと後世の、それも近代になってからの最後の城にすることにしたのだ。

五稜郭 1
グーグルアースで観た函館の五稜郭(1)

 それは大学に入学した年に友人二人で北海道一周旅行をした時に観た函館の五稜郭である。それまでの城に対するイメージがガラリと変えさせられた城であった。西欧の真似をした城壁だけの城で、天守閣が無く五角形というよりも星型をした城壁だった。アメリカのペンタゴンは五角形だが星型をしている処が斬新だった。流石、北海道だけあると思った。敵に対する防御方法で一番優れた形だそうだがボクにはよく分からない。成りたちは観光ガイドさんが丁寧に教えてくれたが忘れてしまった。調べれば直ぐに分かるので敢えて書かない。幕末を経て明治期のまだ政情が安定しない頃に榎本武揚が此処に籠って新政府と戦ったというのは覚えているが余り興味が無かったので覚えていないのだ。

五稜郭 2
グーグルアースで観た函館の五稜郭(2)

 その時の愛想の良かったバスガイドさんが「五稜郭にある松は何松か御存じですか?」と訊くので、たまたま直ぐ横に居たボクが「どうせ赤松でしょ」と言うと「まあ、よく分かりましたネ。北海道には唐松や蝦夷松、黒松ばかりなんですが、此処だけに赤松が在るのですヨ。本州から持ってきて植えたからなんです」と驚いて説明してくれたのをハッキリと覚えている。友人が「よく知っていたな」と驚いていた。当てずっぽうに言っただけだったが、木肌が赤いのでそう想わせたのもあったのだろう。そのことがあってバスガイドさんが最後まで親切にボクの顔を見ながら五稜郭の説明をしてくれたのにスッカリ忘れてしまったのだ。何と薄情な男よ。

五稜郭 3
春の五稜郭(桜が満開である。展望台が五稜郭の外、南西位置に出来ている)。

 当時の夏の北海道は学生の旅行者で溢れ返っていた。大きなリュックを背負って歩くのでカニ族と呼ばれた。ユースホステルを廻って北海道を一周するのである。北海道は広い。その広大な土地を走る列車ものんびりしたもので1時間の延着はザラだった。待つ方も慣れたもので「亦か、しようがないな」と諦めるしかなかった。現代では考えられないことだ。函館は北海道旅行の最初の訪問地だったから青函連絡船に揺られながら眠るのも勿体ない気持ちで夜の海峡を眺めていた。すると臨時ニュースで「日本青年がヨットで太平洋を単独横断に成功。サンフランシスコの港で元気に会見」と伝えて来た。それが鮮明に耳朶に残っている。

五稜郭 4
夏の五稜郭(1)

五稜郭 5
夏の五稜郭(2)

五稜郭 7
秋の風情の五稜郭。

五稜郭 6
晩秋の五稜郭。「晩夏」といういう小説が流行っていたのを想い出す。

五稜郭 8
雪化粧が綺麗な五稜郭。夏しか知らない北海道だが、冬は綺麗だそうな。



© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: