ココ の ブログ

タイトル変更(1)

タイトル変更(1)

 これまでボクのブログのタイトルは「建築家のブログ」だった。それを「ラグドール・ココのブログ」に変えた。ココというのは我が家のペットの名で、妻が好きなフランスの女性デザイナーの名からとった。変えた理由は「建築家・・・」では硬いイメージで気軽な気持ちで読もうという気が起きないのではないかと想ったからだ。書いている内容は硬いものから軟らかいものまで多岐にわたっているが、文章が硬いのは書き言葉にしているからで、話し言葉にすれば少しは柔らかくなるだろうとは想うものの、どうも軽薄な気がして書き言葉からはみ出すことが出来ないでいる。擬音や感嘆符は入れてはいるが文章そのものの脈絡や読み易さから慣れた言葉が書きやすいのだ。

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我が家に来た頃のココ(生後4か月で、1kgも無かった)。

 そもそも文章には品というものが必要だとボクは常々想っている。若さに任せて単刀直入に激しい言葉を書くのは読み手にとって辟易とするものがあるし相手を罵倒したりののしる言葉は書いている本人は言い放し書きっぱなしで良いだろうが、言われている者は勿論、そうでなくとも読めば気分が悪いものである。逆に、誉め言葉でも媚びへつらう言葉は知性を疑う場合がある。ほどほどという言い回しがある。常識で考えれば当たり前のことでも当事者にとっては飾り立てることが異常とは思わず逆に良いと信じているのだろうが、読んでいて辟易とさせられる。ニ重三重の敬語の使い方は文法を知らない未熟さだが、敢えてそういう言い回しは聞きづらいものである。


   例えば、皇室関係者に丁寧語や敬語を使うのは常識でも馬鹿丁寧な敬語を聴かされては耳障りなものである。何々様と子供にまで丁寧に言うのはマスコミの思い上がりだろう。そう言うことでマスコミのリーダーシップを発揮しているつもりなのだろうが、何々さんで充分な場合が多い中、どれもこれも様ばかり付けるのは馬鹿の一つ覚えだ。マスコミは言葉と写真や動画で成り立っているから小細工をすれば違った報道に聞こえたり見えたりするものである。不必要なまでの敬語を使ったり写真も撮る角度や場所によっては違った印象を与える。言葉は特に正確に大事に使わないと時として褒め殺しにも黙殺にも成り得るのである。

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3年目で大人の猫になったココ(体重は5kgある)。

 マスコミ業界ではNHK標準語と言われる用語があって一応、民法もそれに右へ成れいをしているがNHKとて間違った言葉づかいを平気でする時代である。よく言われる言葉では、幕間というのを「まくま」と言うアナウンサーが居る。当然「まくあい」であるのに重箱読みはいけないと思い込んでいるからそう言ってしまうのだろう。「シミュレーション」というのを「シュミレーション」と言い間違えて平気でいる人も居る。わざわざ外国語を使わなくても良いのに、知っているぞと主張したいのか市民権を与えたいのかわざわざ英語を言うのだ。母国語を大事に使う人は本当に自分のアイデンティティを知っている人で文化を知っている人である。


 ところが軽薄にも自国語を簡単に外国語に置き換えて話す人は、その国に大変な思い入れをしているか、それとも自分の国に誇りを持てない人である。外来語となってしまった言葉は歴史的に市民権を得ているから日本語と同様の扱いをしても良いが、やたらと外国語を取り入れるのは戴けない。ある会合で「日本語だけで話をして下さい」と最初にアナウンスされて言葉に詰まった人が多く居たという。それほど日本にはこれでもかこれでもかと言う位に外国の単語が多く入り込んでいる。専門用語なら仕方がないが、昔からある綺麗な日本語で用を足せる場合は極力日本語で書いたり話したりしたいものである。

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お気に入りの書斎のデスク下の椅子でくつろぐココ。

 ところで、ラグドールとは「縫いぐるみ人形」という意味の英語で猫の種類である。原産はアメリカ・カリフォルニアで、35年ほど前に偶然に出来た新種である。ベースにペルシャ猫とタイ産のバーミャンが入っていて人懐っこく、来客があれば必ずまとわりつくぐらいである。初めての人なぞ玄関先でまとわりつかれると驚き「あ、外へ出ますヨ、大丈夫ですか?」と心配してくれる。人付き合いの悪い人でもココにかかると顔がほころんで話しかけたりする。ラグドールの特徴は全体が白っぽく顔や耳、足の先、尻尾が焦げ茶色で太い。スマートではなく縫いぐるみと言われるだけあってふさふさコロコロしている。(つづく)



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