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ネット映画(4)

ネット映画(4)

 兎に角、韓国映画や韓国ドラマは情念に振り廻される「お涙頂戴式」の物が多過ぎる。しかし、エンタテイメントなのだからそれで良いのかも知れない。かつての日本がそうであったのだから偉そうな事は言えない。日本映画やドラマが斜陽化し低迷した原因が金儲けに走り過ぎて観客不在の慢心した映画会社や監督、更には軽薄な役者が横行したからに他ならない。演劇文化のレベルがドンドン落ちて行ったのだ。フィクションでありながら、そうでは無いドキュメント風にする事が芸術だと勘違いした事も要因になっていたのだろう。真面目な記録映画もあるが、どうしても暗い思想に支配され勝ちで、観ている者の気持ちを暗くさせる物が多かった。教育用ドラマや映画も暗く作る事が真面目と勘違いしている風で気楽な気持ちで観られない。文芸物を映画にすると大抵がそうなのだ。時代劇でも間違った武士道や儒教的な思想でまとめるから暗い物が多かった。

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 逆にコメディー風の軽い物は極端に馬鹿ばかしい程幼稚で稚拙なのだ。レベルが低すぎて観て居られない。喜劇は矢張り欧米が本場だけあって映画やドラマにはウイットやユーモアが加味され上手くまとめられている。日本は向こうの単なる物真似でしか無く、底も浅ければ思想も浅く充分に理解されていない。人生は「愛と生と死」が中心で動いているのに、それらを充分に掘り下げもしないで表層的な現象だけで作品にしてしまうから底が観え、人々の心に残る様な作品が生まれないのだ。そんな中で、名作と呼ばれる物がボチボチ生まれ、国際映画祭で受賞する作品が現れる。ほのぼのとした日本情緒が未だ日常生活に生きていた時代である。恥じらいを知り何事にも控えめで、人を出し抜くなぞ人の風上にも置けないという風潮が未だまだ在った時代だ。人情もあった。事の善悪を庶民が徹底して身につけていた時代であった。

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 ところが先の大戦で大敗してしまうや占領軍のアメリカによる傀儡政権が生まれ、密かに権力者は蔭で悪事を巡らし、政界や法曹界に忍びより官僚を懐柔し骨抜きにして行くのである。勿論、ハリウッドが政府のプロパガンダ機関であった様に日本のそれも同様、権力者の道具として国民を意のままに洗脳し方向づけて行くのである。だから映画界も二極化の方向へ向かい、真面目な文芸作品やドキュメント映画がある一方、馬鹿ばかしくも軽い大衆迎合作品が大手を振って広がって行くのである。そしてエログロ・ナンセンスや893路線物が流行り、大衆芸能の凋落ぶりはやがて映画産業の斜陽化を招き今日を迎える結果になってしまった。それは社会の風潮の表れでもあったかも知れないが、兎に角日本経済を発展させる事だけが極東アジアの赤化防止と信じて押し進めたアメリカと傀儡政権の政策の結果でもあったのだ。

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 やがて日本は60年安保で国論が二分し、結果的には暴力的官権力で日本の赤化は食い止められ、負けた側の学生運動のリーダー達は追われ、骨抜きにされ、ノンポリ学生ばかりになって行く。折しも高度成長の波に乗った日本は新幹線を建設し、東京オリンピックを開催する迄に成り、1970年の大阪万博ではアジアの繁栄は日本からという謳い文句で、アメリカのNASAに依る宇宙探検で持ちかえった「月の石」の科学的威力のバックアップもあって博覧会は大いに成功するのである。つまり、それでアメリカの世界戦略の一つであったミッションは成功する訳である。ところが、アメリカの浪費経済は留まる処を知らず、世界覇権の野望はあの無益なベトナム戦争の末期的症状から、アメリカ経済力はニクソンショックに観るドルの金本位制廃止に始まる凋落へとひた走り、最終的にリーマンショックへと帰結するのである。

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 つまり、デフォルト寸前国家と成ってしまったアメリカは今やブリックの代表となった中国との軋轢に悩まされる事となるのである。そこで打ち出されるアメリカの戦略はと言えば、最愛の仲間であるイギリスをしてユーロの弱点国ギリシャをデフォルトに導き、ドイツ・フランス経済を揺さぶり、次にはイタリ―・ポルトガル・スペインへと刃を向けユーロを潰しに掛かる。一方、ドルはデフォルト寸前と言われながら闇金ならぬマネー・ゲームによるキャッシュを銀行業務に融資する事で表面的な経済の活性化を演出し株価を操作するのである。つまりトリプルAの評価を維持させる事で虚業が実業であるかの様な錯覚で成り立つタイトロープ経済を演じ続ける訳である。アメリカの国債を大量に持つ日本と同様、それ以上に保有する中国はドルの急落もユーロの崩壊も困るとし、どちらにも付かず離れずで融資を繰り返しながらの模様眺めである。

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 挙句は、金塊の保有率を上げる為に国庫では無く、民間(国民)に金塊を買わせ民間保有率を上げる事で中国元の価値を有利にしておこうという政策を取る。一党独裁国家故に、国民の保有財産は取りも直さず国家の富であるという考え方である。そういう考え方は実は日本も同様で、国民の貯蓄額や年金保有残高が国債発行額を上回っているという現実数値のマジックで政治家も官僚も安心しているのである。簡単に言えば、国の借金は国民の預貯金で賄えると考えているという事である。何時の時代も国は国民を犠牲にして自分達権力側が生き残る事しか考えないものである事を国民は知っておくべきである。その良い例が、仮に国民が一斉に預貯金を引き出せば取り付け騒ぎとなって日本は大混乱に陥り、デフォルトと同様の状態になるであろうという事である。そういう脆弱な経済国でありながら政・官・財は無意味な虚勢を張って(つまり自分達の地位保全の為の策が国民にバレてしまっている)増税路線こそが健全国家を維持する策だと主張するのである。(つづく)

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