ココ の ブログ

春と夏の間(1)



春と夏の間

 庭に出てみると木々の新芽が膨らんでいるのが目につき始め、いよいよ若葉のシーズンに入ろうとしているのが分かる。それを観ているだけで嬉しくなって来る。生命力を感じて自分にも活力が湧いて来る気になるからだろう。それに冬枯れの庭がいよいよ春から初夏へとうつろう華やかさや緑の美しさに心が洗われる想いがするからだ。街を歩けば、このところ天候不順で未だ冬ものを着ている人々も居て、今年は春と冬がせめぎ合いを長く続けている。が、晴れ間には夏の装束になっている若者も居て、季節は着実に夏に向かって居るのを感じる。朝方は肌寒くとも昼間は少し歩けば汗ばむから何とも身体の具合が調子悪くなってしまう。そろそろ自分の年齢を意識せざるを得なくなる処だが、ボクよりも一回り上の人々が元気そうに活動しているのを観るとうかうかともして居られない。

ガーデニング(5)
庭先の雪柳と橙の実。

 ところで今朝はその一回り上の人々が夢に現れ、住宅団地の変わり行く風景を観ているのだった。多分それは隣家の老人が先日、救急車で病院へ運ばれていったことがきっかけになっているのだろう。一旦、病院へ運ばれれば二度と戻って来れないのが分かっているだけに「ああ、また一人減ったな」という感慨にふけってしまうのだ。ボクなんか未だ六十代だから、あと二十年は大丈夫と想っているが、周りの人々はボクよりも上の人々ばかりだから救急車のサイレンを聴くとギクッと切実な気がするだろう。もっと元気をだしてウオーキングでもしたら良いのにと勝手に想像しているが、そうも行かないのかひっそりと暮らしている。そんな老人二人が夢の中で、街の移ろいを眺めているのだった。

白椿ー4
庭先の白椿(乙女椿)。

 三十五年以上住み続けた街の変わりゆく姿と取り壊されて建て替えられて行く風景が彼等の歴史を感じさせる夢だった。三十五年といえば人生の約半分である。ボクも三十五年以上住んでいるが、彼等の想いの方が感じ方が深刻な気がする。幾ら寿命が延びたとしても八十代は長生きの方だ。夢の中の片方の男性は掛かり付けの医者だった。先生に「あと、どれぐらい診療を続けられます?」と先日思い切って訊いてみた。というのは最近◎◎症状が顕著に観られるようになっているからだった。問診で二週間前に訊ねられた事と同じ事を訊ねられ、これはその前にも、その亦前にも訊かれた事と同じで、返事も同じ内容をしておいたのだったが、別の事で尋ねても反応が今一つ遅く、満足な答が返って来なかったからだ。

雨の庭園(5)雨の庭園。

 先生の奥さんも◎◎の症状が出始め、薬局での仕事をやっているが、たまに薬を入れ忘れていることがあって、電話をして注意すると後で届けてくれることがある。それが二、三年前からで気の毒になって薬のリストをメモしたのを持って行き受け取りの際チェックするようにしている。それでも先日なぞ矢張り間違っていてボクも急いでいたから見落としたのだが、余程注意しないといけないと想っている。後継者が居ないので医者を変えねばならない。近くに病院があるので近々そこへ替えようかと妻と話し合っている。しかし、できることならもう少し今のままで行きたいという気もある。こちらが注意さえすれば薬だけもらうのだから大したことはないからだ。血圧と尿酸とその他の薬を貰っているが、血圧検査の結果ではそう心配する程でもないそうだ。

追加ラチス
クロガネモチを抜いて花壇にした境界線。

 夢の中のもう一人の老人は近所の奥さんで、ご主人を数年前に亡くしている。妻と仲の良い上品な婦人だが息子夫婦が街から戻って来ず、たまに夫婦して来ている程度だから独り暮らしが数年続いている。そういう老人所帯がこの住宅団地には多く、その割には老人会は活性化していない。世話役も歳をとっているせいもあるが、以前の老人会の役員がコソ泥のような連中だったから自治会から締め出した経緯があるだけに、その数人が陰でコソコソ動いているのだ。自治会長も大変だが正義は守らねばならないと頑張っている。先程の医師先生は両者が患者だから悪くも言えず間に入って複雑な顔をしている。が、不正には厳しい態度で接する人だから内心悩んでいるのだろう。それだけに早く引退した方が精神的に楽だろうとボクはボクなりに考えているのである。(つづく)

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