ココ の ブログ

第2のガーデニングの季節(1)

第2のガーデニングの季節(1)

 夏の干上がった庭を観るのは偲び無かった。せめて夕方に水遣りをして芝生や庭木が一息付くのを観て心を癒していたのだ。そんな暑い中でも百日紅と浜木綿だけは、他の庭木類がジッと葉を茂らせて耐えているのを尻目に元気に花を咲かせていた。その内に台風一過で涼しく成ると想った。それが去年に引き続き今年も夏が長引いて10月に入ってやっと涼しくなったのだ。そこで丁度仕事の区切りも付いて久しぶりに庭の手入れを始めたものの日中は藪蚊が出てイライラさせられ、已む無く朝夕の少し涼しい頃に雑草取りの作業に入った。8月にはシルバーさんに庭木の剪定をしてもらったので何とか見苦しく無い程度に樹木は揃っていた。が、芝生が伸び放題になって周辺がボーダーレス状態で折角の庭木の剪定もメリハリがつかず見苦しいのだった。丁度、髭そりを忘れたような気分で居る様な状態だった。

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 そこで芝生に30cm幅の筋目を入れて刈ってみると、それで少しは庭にアクセントが付いたのかココだけが喜んで走り廻っていた。それを観ると更にもっと変化をつけたくなって芝生横の通路の煉瓦敷きを敷き直す事にした。それで煉瓦の目地の雑草が取り除けスッキリし、煉瓦を敷いていない通路のバラスも撤去して雑草を除去して行った。ところが、これが結構手間が掛かる作業なのだった。ぼちぼちバラスを除去しながらフルイに掛けて、砂と雑草と芝生を選別して行く作業は想ったよりきつい作業なのだ。スコップでフルイにバラスを入れると土も雑草も一緒に入るから、それを持ち上げて前後左右に細かくゆする。かなり重いから良い運動には成る。網目からバラバラと小粒の砂と土が落ちて芝生の目土に成ってくれる。フルイの中の雑草と芝生を取り除き、芝生の無い樹木側の小道のバラスの上に撒いて行った。 

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 そうする事で小道の雑草が隠れて行くのだ。雑草は陽が当たらないと枯れ、種子も出来ないから翌年は生えて来なくなる。それでも生えて来る雑草はヒョロヒョロと弱々しいから簡単に抜き取れる。それは前の家で経験済みだった。芝生だった庭に雑草対策としてバラスを敷き込んだのだ。毎年の雑草取りや芝刈りの手間が大変で、想い余って植木屋に相談したところ、バラス(植木屋はジャミと呼んでいた)を敷き込めば楽になると教えてくれたのだ。その代わり芝生の緑は楽しめなくなる。が、国定公園の中にある住宅団地なのだから元々緑が多く、そんな中で敢えて芝生も無いだろうと考え直してバラスにした処、嘘の様に雑草取りの苦労から解放されたのだ。更には夏の散水で気温が少し下がる効果も分かった。それなのに今の家では敢えて再び芝生にして、樹木のある小道だけにバラスを敷いたのだった。

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 当然ながら雑草が混じって弱くなった芝生は昨年、ゴルフ・パターの練習の為に張り替えた。しかし矢張り雑草取りに手間が掛かり始めたのでパター練習分だけ残し、芝生の周辺通路に煉瓦とバラスを敷き込んで行った。それなら僅かな面積の芝生なので雑草取りの手間は知れている。ところが、本格的なパター練習用にするには転圧ローラーが要るのだった。転圧ローラーまで用意しなければならない事が分かって已む無く諦め、その代わりピッチング練習用に切り替えた。だから今度は芝刈りは必要が無くなった。それでも美観上、生え放題は見苦しく、周辺通路を全部煉瓦敷きにしてしまおうとバラスを撤去した訳だ。そして新たに不足分の煉瓦をホームセンターへ買いに行こうとしたが生憎の雨で考え直し、もう少し寒く成ってからにしようと今は下地処理だけをした土の状態にしてある。煉瓦敷きの作業は重労働で汗をかくのだ。

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 つまり寒い頃にした方が汗もかき難く作業効率が良く、秋のガーデニング季節の終わりの方に残しておく事でガーデニングが長く楽しめる事になる。それまでは庭木の剪定や防虫薬散布をしたり肥料をやる作業で結構忙しいのだ。毎日少しづつガーデニングの足跡を残して行くのがガーデニングンを長続きさせる秘訣である事が分かって来た訳だ。無理をして一挙にやってしまうのは、ボクの様なせっかちな性分には良いのだろうが、それでは息切れがしてしまう。じっくりと毎日少しずつやって行くのが生活のリズムに無理無く乗せられるという訳である。スポーツでも他の趣味でも何でもそういうものなのだろう。毎日やるのが良いのだ。盆栽なんか特にそうだ。ジワジワと僅かしか成長しない木を小さな鉢に押し込めて毎日水をやりながら一年単位で気長に眺めて行く。新芽が出れば残すものと残さないものとに選別をするだけである。

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 うっかり夏場の毎日の水遣りを忘れると直ぐに枯れ、折角の手間暇掛けた年数がパーになってしまう。実に手の掛かる趣味なのだ。それでも慣れて来ると毎日の一寸した変化にも気付く様になる。手を掛ければ掛けただけの反応がある。ところが、人間はそうは行かない。相手は相手なりに考えがあるから歳かさが増して来ると生意気な事を言いだす。それが論理的に無茶苦茶でも平気で言う。一人の人格を持った人間と言う前に家族と言う甘えに浸っているのある。それを幸せなぞとは片鱗も想って居ない。好き勝手な事を言い好き勝手な事をしては失敗する。その失敗をハラハラしながら親は見守っていて、少しでも忠告しようものなら烈火の如く怒りだす。困ったものである。決して植物のようには行かない。だからこそ人間なのであろうが、親は何とか上手く行ってくれればと願うしかないのである。(つづく)

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