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言葉の重み

言葉の重み

 人の言葉というのは、単なる情報伝達手段だけではなく人格を表したり説得したり雰囲気を伝えイメージを湧かせる為にある。書面では伝わらない意味も持つ。それはフェ―ス・ツー・フェースで話す言葉と電話で話す言葉との違いでも分かる。だから書面では真意が伝わらなくて表示された単語と動詞と形容詞、その他の限定された中だけでの意味しか伝達しないから誤解を生んだり曲解したりされる事もある。その点、文学は逆に書面や画像からイメージを膨らませる作用があり、その絶妙な表現で芸術にまで達するのである。それに似たものでは詐欺師が話す言葉は、単なる言葉だけで様々なイメージや期待を持たせ、裏に隠された意味を知らずに騙されるから怖い。長く続く暗示である場合はもっと怖い。

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 善意で聴いたり疑いの心を持たず受け入れる人が大抵の場合騙されるから、騙した方はにんまりとほくそ笑んで何がしかの金品をせしめる。勿論それは犯罪だから、善意の人は臍(ほぞ)を噛みながらも「可哀想な人だ。しかし、騙すよりも騙される方が人間的に良い」と自分や被害者を慰める。しかし「騙される方が悪い」とする人も居るぐらいだから如何に騙されないかを研究し身につける方が賢いのは言うまでも無い。騙される主な原因は慾である。慾と言っても様々ある。金品が主であるが、情の場合もあれば人間関係もある。名誉や地位の場合もあるだろう。詐欺師で無くとも弁舌さわやかな人が居て、いわゆる口が立つとか回転が良いとかディベートが上手い人の事を指し、人は感心しながらも内心では警戒する。

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 電話での「俺おれ詐欺」なんかは言葉巧みに相手を信用させたり暗示に掛けたりして大金をせしめる犯罪だが、国会答弁をテレビで観たり聴いたりしていると如何にも人を馬鹿にして煙に巻いたり話を反らせて別の事を言っているのが多い。ディベートとは本来、相手との話し合いの手法で如何に説得性を持たせるかで発達したものなのに言葉巧みに言い負かしたり言い訳をするのが達者な人だと想う間違った世間の常識がある。それは一種の詐欺のようなもので真意を伝えれば自分が不利になるから使う手法の場合が多い。本来は真意というものは以心伝心であるのが望ましいが、其処まで発達した人間関係で無い場合が多く、特に第三者が聴いたり読んだりする場合は矢張り話し合うしか無い。

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 誤魔化したり引っかけたり騙したりして国会答弁をする相手よりも上手(うわて)を行って言い負かすだけの能力があれば太刀打ちできるだろうが、大抵の場合はそういう人は少ない。それは与党野党に限らずだ。しかし、誠意と熱意を持って昏々と話す内に相手が折れる場合もあるだろう。が、其処まで行くには相当な人生経験をし人徳を積む必要がある。海千山千の代議士を相手に話し合いで勝つには相当な反論資料を持ち、有無を言わせない程の論陣を張らなければ現在のような何を応えているのか分からない誤魔化しの答弁で満足するしかないだろう。それを聴かされる国民は胸に引っかかりを持ち不満が鬱積して行く事になる。つまりは残念な社会である事になる。人間として嫌な社会である。

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 国会の場では無く一般家庭でそういう事になれば嫌な家族関係になってしまう。誤魔化したり話を反らせて強弁で相手を言い負かせるというのは既に家庭崩壊の兆しが表れている証拠である。ため口ではなく敬語を使うようになれば夫婦や親子関係は秋風が吹いている事に成る。暴言もそうだ。哀しい事だが、何故そうう風に成ってしまったのか原因を探らないと問題は解決しないだろうし、最終的に解決しない場合は離婚や断絶の状態になってしまうだろう。特に自分が原因で無く、その親とか家庭環境を非難する場合は悲しむべき事だ。全く別々に生まれ育った人間が一緒に成るにはお互いに惹き合うものが合った筈で、その時は相手の親や環境についてはおおよそ理解していた筈だからである。

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 それを後理屈で相手をあげつらう態度はその人間性を疑う事に成る。尤も出自を偽ったとか全くの出鱈目の生い立ちである事が分かった場合は非難されるべきだろうし、偽った方は謝罪するのが人間としての誠意であり筋でもある。尤も、そんな事を言い出せば世の中の夫婦は殆どが自分の過去を多少は美化しているだろうから、殊更それを問題にする方がおかしいのかも知れない。好きで納得して結婚したのだから過去よりもその時の現状が問題なのである。人間は過去よりも現状こそが大事であって、以後の未来を見据えて建設的な思惑で一緒になっておいて思惑が外れたからと言って離別を考えるのでは何処の世界に行っても思惑通りの相手は見付からないだろう。「青い鳥は真の言葉にあり」と考えるべきである。

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