ココ の ブログ

梅雨の晴れ間(5)

梅雨の晴れ間(5)

 今、耐震改修の工事現場へ監理業務で行っている場所は、大阪の南部にあって、4年ほど前にその付近の府営住宅の調査に行った事がある何となく懐かしい処だ。近所に在る平安時代に造られたという有名な寺院の横には大きな溜池があって、昼の休憩時間に散歩がてら歩くと、その池の土手の下に古墳があって太古の歴史を感じさせるのだった。公園になっているその古墳跡には自生したクロガネモチの木が一本、古墳の横で真っ赤な実をたわわに稔らせていた。唯それだけの風景だったのに何故か印象深いのだ。寒い頃だった。丁度その頃、矢張り愚息の事で悩んで落ち込んでいたのだったが、最初、その赤い実が遠望で花のように観え、冬枯れの中で少し気持ちを明るくしてくれた。木全体が赤く燃えるように観えたのだった。

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 その大きな池や公園が府立高校の工事現場の近くにある事を知ったのはグーグル・アースだった。以前は余りにも遠いので電車で行っていたのだったが、車なら飛ばして1時間半も走らねばならない程遠くの不便な場所への近道を探すのにグーグル・アースは便利なのだ。更にストリート・ビューを観れば目線での風景も観えるから見覚えのある場所だと当時の状況が懐かしく想い出せ、村の細い道とか上り下りの道なぞ手に取るようなリアルさである。池を一周したりJRの駅の一駅分を歩いたりと当時はウォーキングに凝っていた。尤も、3年ほど前に大阪東部に在る府立高校の耐震改修工事中に突発性難聴になってウォーキングを中止したのだった。それが原因だったのかどうか分からないが、精神的に煩わしい時期だった。

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 当時、設計・監理業務で忙しくしていた中、住宅団地の自治会長までやらされ、突発性難聴に成るひとつの原因とされる精神的疲労の要因となっていたようだった。中でも或る女性民生委員と数人の頭のおかしい連中が怪文書をばら撒いたり脅迫状をポストに投函したりする事件があって市や警察に相談した結果、何とか解決したのだった。が、彼等を逮捕してまで問題を大きくしたくなかったから何とか穏便に済ませたものの、それが余計に連中を増長させる結果になって、亦もや同じような流言飛語を広め始めたのだった。だから今度は市の幹部や自治会連合会の会長と一緒に民生委員本人を召喚して民生委員を辞めさせる事にしたのだった。お蔭で、今では連中は住民の殆どから冷たい視線を浴びる様になって空中分解してしまったから過去の問題となり、今はもう昔話になってしまった。

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 しかし、民生委員の件にしろ愚息の件にしろ問題が起きるという事はボクの不徳の致す処なのだろう。民生委員に関しては自治会長という役に就いたから生じた問題で、民生委員の任期3年の交替時期にたまたまぶつかって、継続して役を続ける同意を得て彼女ともう一人を推薦しただけの事だった。自治会長に成らなければ話を交わす事も無かった相手だ。自治会運営が上手く行くようにと願って民生委員が決定した折に集会所で懇談会を開き、世間話のついでにボクがブログを書いている事を教えたのだったが、それが失敗だった。まさかそれを悪用するとは想わなかったのだ。因みに、もう一人の民生委員も彼女のブログを教えてくれていたのだった。彼女は敬虔なクリスチャンで作家としても活躍しているという事だった。

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 事件を起こした民生委員は、実はボクの妻の友人達で作る仲良しグループのメンバーに加わりたかったらしいのだ。ところが誰からも誘いが無く、どうせ参加出来ないなら、そんなグループなぞぶち壊してしまえという気になったらしく、ボクのブログが悪用され、企みは成功したのだった。好意から教えたブログが悪用され、その中から都合よく編集できそうなものをプリント・アウトしてグループや無関係の人々にも配ったのだ。グループの一人には「あなたの事が書いてあるワ。世界中の人が之を読んでいるのヨ。どう想う?」と炊きつけ、無関係の人々には「自治会長がこういう事を書いている。どう想う?」とさぞ何か問題がある様に言ったと言う。何処の誰が誰の事を書いたのかさえ分からないブログは、内容的に微笑ましいものでありこそすれ決して不愉快にさせるものではなかったのだ。

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 一方、愚息の事は未だに訳が分からないままだ。自分の不甲斐無さと横着さが社会人として仕事をするのが嫌という我侭に過ぎず、自分が如何に社会に適合し貢献出来るかという社会性とでも言うべき貢献度を示す言動なぞ何一つ持ち合わせていないのだ。子供時分にボーイスカウトに入団させたのが何の役にも立っていない様だった。祖父(妻の父)が青年時代に新渡戸稲造に感銘して一緒に付いて全国を廻った話も聴いている筈なのに冷ややかにしか見ていないのだ。小さな自分の世界観で自分にとっての狭い意味での損得でしか判断出来ない小さな人間に育ってしまった。が、それもひとつの人生だから自分で構築し解体をしながら進むしかないだろう。良くするも悪くするのも自分の器量ひといつで決まるのだ。(つづく)

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