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続 長生き(大仏殿)

続 長生き(大仏殿)

 先日の奈良の大仏を拝んだ印象が未だ強く頭に残っているので記す事にした。お礼参りよりも観光的な気持ちの方が今は強い。奈良近辺に住む人々は学校からの遠足で行く生徒は別にして改めて大仏を拝観する人なぞ居ない。宗教の対象として拝むのならわざわざ入場料を払わなくても南大門辺りから拝めば済むからだ。其処に大仏がおわすという意識だけで頭の中で拝んでいるのである。だから今では宗教の対象として入場するよりも世界遺産の観光として人々は集まるのだ。ボクなんかは奈良に住んではいても場所的に寧ろ大阪に住んでいる様なものだから奈良の大仏は矢張り宗教的な目よりも観光的な目で観てしまう。場所的にと言うのは奈良市が山を越えて遥か彼方の方に隔てて在るからだ。住んでいる処は県境の丘陵地で、丘の向こうは大阪だから奈良市内へ行くよりも大阪の方が近く、歩いてでも行ける距離なのだ。

大極殿(1) 1.大仏殿(世界で一番大きな木造建築)。

 其処に住んでいる人々も奈良の出身者よりも大阪から来た人々が殆どで、店や会社も大阪にある場合が多い。中小企業の経営者が多く、サラリーマンも居るが役職者が多い。しかし、バブルが弾けてからは大不況になり全国的に不動産の評価が下落したのと店や会社が左前になって自宅を転売する人が増え、それを買った新しい住人がそれまでの住民とは余り交流を持たず点在している状況である。だから自治会も以前のような仲間意識が薄れ、新住民がこの団地の40年近い歴史や取り決めを知らず好き勝手な事を総会の度に言いだす始末で、ボクなんかのようにかつて自治会長を勤めた人間は敬遠して出席せず、まとまりの無いバラバラの状態とでも言うべき新興住宅地の様な雰囲気になってしまっている。「どうぞお好きな様にして下さい」とでも想って居るのか無関心派が増えてしまった。そのせいで後任の自治会長は大変だ。 

大極殿(2) 2.大仏殿(入り口前に観光客が多く居る)。

 それは任期の2年が過ぎても代わりが居ない状態だったから已む無くもう1期務める羽目になってしまった事である。一所懸命にボランティアに勤める人で手抜きが出来ない性格だけに、高齢のせいもあって傍で観ていても大丈夫かしらと想うぐらいなのだ。だが、それも来春で終了する。先日、スーパーに買い出しに行くと偶然にも自治会長夫妻と出遭って立ち話をしたのだった。ボクが「御苦労さまです。大変ですネ」と声を掛けると「なあに、もう半年で終わりですから」と任期終了が待ち遠しい様な口ぶりだった。横に居る奥さんに「お久しぶりです。相変わらず日本画は描かれています?」と訊けば「ボチボチです」と応え「それより奥さんと一緒に遊びに来て下さいな」と誘われた。ボクの妻も日本画を描いているから絵の話をしたいのだ。ボクよりも一回り上の高齢ながら夫妻は元小学校の教員をしていただけに頭はしっかりとしている。

大極殿(3) 3.大仏殿(奈良時代からある国宝の銅製灯篭)。

 しかし体力は歳には勝てない。80歳を過ぎて自治会長の仕事は気の毒だ。子供が居ないから二人だけの気楽な生活ではあっても家の掃除から日常生活の家事も思う様には行かなくなっているだろうし、大きな家も今では二階は全く使って居ないそうで、何時も茶の間と食堂と寝室の往復でしか無いという。スーパーへ買い出しに二人して出掛けるのは珍しいぐらいだ。そういう老人所帯が増えている。最近では家族葬が増え、回覧板で死亡通知や葬式の連絡が無くなって久しいだけに何処の老人が亡くなったかは口伝てでしか分らなくなってしまった。老人会に出席している人には分るだろうが、その会員も欠席者が多く成って、出たくても身体が言う事をきかないから出られないのだ。そういう人々の為に送迎車を出していた時期もあったが、数が多く成るとそうも行かなくなって今では迎えの運転をする老人も民生委員も居なくなった。

大極殿(4) 4.大仏殿(奈良の大仏の顔)。

 時の経つのは速く、それよりも人々の老化現象の方がもっと速く感じる時代である。この住宅団地に移り住んだ人々は当時50代が多かった。それから30年から40年経てば当然、老人村になってしまう。昔は大家族だったからそれでも良かった。が、結婚して所帯を持った息子や娘が勤め先の関係もあったのだろうが何故か大家族を嫌い核家族が当たり前になって家はガラガラに空いてしまった。空いた部屋は物置代わりになってしまうか空き部屋のまま掃除も出来ない状態になってしまった。時代が変わってしまったのだ。核家族が何故良いのか分らないまま、嫁が主人の両親と同居するのが嫌だとか子供の教育環境が都会の方が良いからというだけの理由でそうなったケースが大い。教育環境が良くても本人の能力の問題を忘れているのだ。戦後のアメリカ映画の影響もあったのだろう。

大極殿(5) 5.大仏殿(大仏殿から南大門を振り返った風景)。

 大仏殿の大仏を眺めていて想ったのは、世の移ろいなぞ一瞬のことでしか無いという事だった。去年は平城遷都1300年記念のイベントが行われた。木造に依る大極殿の再建もされた。悠久の時を経て人々の生活様式は変わろうとも大仏はジッとしたまま虚空を眺めているだけである。そこから読み取れるのは人間の寿命なぞ高が知れているという事だった。そう言えば6年前、妻の乳癌の術後1年目健診の後、京都木船川の床で鮎料理を食べた。その時偶然、木船神社に茅野輪があったのでお礼参りとして輪をくぐって参った。節目節目には何かしている事になる。今年も京都へ行っても良かったが、たまには地元の寺院を参るのも良いだろうと代表的な大仏にしたのだ。お蔭で歴史を感じ、鎌倉の大仏とは亦違った巨大さと気の遠くなる様な膨大な粘土の型枠づくりから大量の銅を鋳造する人間の技と根気と意志力、更には真摯な宗教心を感じた。人間の信念の凄さには驚く。

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