ココ の ブログ

晩秋(5)

晩秋(5)

 今月のゴルフの月例会の組み合わせ表がファックスされて来た。スタートは7時22分である。30分前にはレストランでコーヒーを飲んで寛いでいたいから7時15分前にはゴルフ場に到着していなければならない。ロッカー・ルームでの着替えもある。ゴルフ場へは高速道路を飛ばして1時間少々掛かるから5時半には自宅を出なければならない。この頃では未だ夜明け前の暗い時である。遊びだからこそそんな早朝でも嬉々として起きられるのだ。夏場なら5時起床は平気だしココも起こしに掛かるから簡単に起きられるが、3年前に左耳が突発性難聴になって以来、目覚ましの電子音が聴きづらく成ってしまって、対策として先月、ベルが二つ頭に付いている旧式の目覚ましを買った。それなら電子音よりも波長が長いから聴き易いと想ったのだ。そのノスタルジーな型を見て独身時代を想い出した。

晩秋-06(八手の花)
晩秋-06(八手の花)

 その頃は目覚ましのお世話になったものだった。耳は今と違ってよく聴こえていた。しかし、若さのエネルギーというものはそれを聴きながらでも爆睡して起きられない程身体を眠らせたものだった。それで約束の時間に寝過ごして遅れる事も何度かあって、とうとう目覚まし時計以外にタイマーでステレオのテープが鳴るようにセットしたのだった。そうすれば絶対に目は覚めた。ちなみに曲は交響曲の時もあればモダーン・ジャズの時もあった。独り暮らしだったから音量を相当高くしても近所迷惑になる事も無かった。それよりも鳴りだせば飛び起きてボリュームを下げるから大きな音は数秒間だけの事だったし、隣家に多少は音が伝わっても苦情になる程の事でも無かった。京都の街中の住宅はは「しもた屋」と言って家々の壁がくっついていて所謂長屋風だったから中には安普請の家なぞは隣家の物音が聴こえた。

晩秋-07(柊)
晩秋-07(柊)

 しかし、余程大きな音でも無いと壁に耳でもしない限り迷惑になる様な事も無かった。そもそも日本文化は、障子や襖で仕切られた向こうの話し声は聴こえても聴かないのが礼儀とされたから隣家の物音に聴き耳を立てるなぞという失礼な事はしなかった。住んでいる地域にも依るのだろうが、ボクの生まれ育った四条烏丸(しじょうからすま)界隈では銀行や証券会社が多かった事もあって商業地域だけに家の造りも頑丈だった。中学時代に2km程西の壬生寺付近に引っ越しをして街の様相がガラリと変わったから物音は聴くともなしに聴こえた。所謂下町だったのだ。染物屋の職人が多かった。その後4年ほどして引っ越した西陣では機織りの音がどの家からも聴こえ雨が降るような音を立てていた。矢張り其処も職人の町だった。人生で二度程そういう環境に住んで職人の生活がどういうものか知った。

晩秋-08(万両と山茶花と青木)
晩秋-08(万両と山茶花と青木)

 生まれてから中学3年生の秋までの16年程はオフィス街のある繁華街で育ち、中学、高校、大学と7年一寸の学生生活は職人の町で過ごし、社会人になってからは結婚する迄転々と引っ越しをしたから町の特色を知る程には馴染まずに来たせいで、住まいの印象としては最初のオフィス街と次の職人の町のイメージが大半だった。それが結婚後は閑静な住宅地に住むようになって人生の半分以上にもなると静かな環境が当たり前になって、街の喧騒で育った時代が懐かしいと言うよりも知識として頭の中に在るだけになってしまった。便利ではあるが喧しい場所は落ち着かないものである。其処は矢張り若者の街であり働き盛りの頃の生活の場だろう。言わば職住近接の時代は人生の一番華やかな頃である。そういう頃に閑静な住宅地で生まれ育った人間は大人しくお宅的な人間に成り易いものだろう。

晩秋-09(浜木綿)
晩秋-09(浜木綿)

 反対に、下町の賑やかな処に生まれ育った人間はどうしても庶民的になり住宅地育ちとは違って来るものだ。良いとか悪いという問題では無く、環境が人間に及ぼす作用の問題である。それだけに住む場所や付き合う相手に依って人生は大きく左右される。孟母三遷というのも分かる気がする。都会の繁華街で生まれ育った割には未だスレていなかったのか、青年時代、マカオで小学校の隣がカジノだったのを観て衝撃を受けたものだった。小学生同士で映画館へ行ったり、子供のくせにパチンコ屋で遊んだり、デパートで遊ぶのが当たり前だったくせに変に都会ズレしていなかったという事だ。それよりも親父に連れられて相撲見物に行った帰りに先斗町(ぽんとちょう)のお茶屋で親父が座敷に上がって酒を飲んでいる間、やり手婆というか女将が菓子をくれて「ボン、一寸待っててや」と表の間でジッと待たされ大人しくしていた経験があった。

晩秋-10(ココ)
晩秋-10(ココ)

 それなのに、お茶屋がどういうものなのか知らず、とうとう退屈さを紛らわす為に表の格子戸を開けて出たり入ったりして石畳の通りを行きかう舞妓や芸者を眺めていたのだった。つまり、住む環境がどうであれ、それに影響もされずに育つ子もあるものだという事である。小学校の隣がカジノであろうが神社仏閣であろうが気にもせず都会ズレもせず影響を受けない子が居ても不思議でも無いのに何故ボクはマカオで衝撃をうけたのだろう。それは想うに多分に大人の後知恵がそういう気を起させたに過ぎないのだろう。となれば人間は元来持つ自分の性格で育って行き自分と言う人間を形成して行くという事なのだろうか。良いも悪いも住む場所や環境だけのせいだけではなく、亦、親や周りの人間の影響だけでも無いという事なのだろうか。環境は確かに人間に多大な影響を与える。が、そもそも人間は単にそれだけでは変わるものでも無いという事なのだろうか。(つづく)

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