ココ の ブログ

晩秋(7)

晩秋(7)

 寒いと想ったら今朝は室温が12度(摂氏)だった。慌てて暖房を点けた。20度を割ると寒く感じるものの、未だ余裕のある寒さの内だが、12度ともなると身体が芯から冷える。寒さに強かった身体だったのに中年以降は抵抗力が減ってしまった。しかし、真冬になると室温が6度にもなるから外気温ではマイナスになり、居ても立っても居られなくなる。動けば少しは温かく成るのだが、朝から運動は無理だから先ずトイレに立って用を足してからココに餌を与え、暖房で身体を温める事から一日が始まる。この頃ではココは寒いから腹が減ってもベッドの上でボクの起きるのを待っている。早朝に起きるのが辛く成って来ると次第にベッドから離れる時間がズレ出し、今朝は8時だった。だからココは3時間ほどジッと我慢していた訳だ。それで死ぬ訳でも無いからボクは自分の体調を見てから起きる様にしている。

晩秋-16(萩の黄葉)
晩秋-16(萩の黄葉)

 何故なら風邪気味なのが未だ治らないので腰が傷むのだ。今度の日曜のゴルフ月例会までには治しておかないと困る事に成る。まあ、遊びの事だから何とかなるだろう。尤も、先月は体調を崩してキャンセルをしてしまった。そういう事の無い様にと慎重になってしまうのだ。その点、ココは健康そのもので、毎日毎回、餌やお八つを食べ終えると幾ら寒くても直ぐに外へ出たがる。雨の場合でもだ。濡れるから駄目と言っても出たがる。ガレージには屋根があるから屋根の下の煉瓦塀の上に乗って道路をジッと観察するのが好きなのである。体毛が長い種類の猫だからそれがレインコート代わりになって皮膚の表面まで濡れないのだろう。体毛には少々の雨ぐらい弾く脂っ気があるらしく、大抵の動物がその様になっている。しかし、ずぶ濡れになればそうも行かない。たまに夏場そういう事がある。

晩秋-17(萩の黄葉)
晩秋-17(萩の黄葉)

 もし、それが今頃だったりすれば幾ら元気なココでも風邪を曳いてしまうだろう。夏場でも震えていたから急いでバスタオルで全身を包んで拭いてやった。ある時なぞドライヤーで乾かした事もあった。ドライヤーの音と熱風が嫌で逃げようとするのを抑えつけて乾かした処、フワフワの体毛になって気持ちよさそうに横になった。それでも一所懸命に毛づくろいをしていたが、懲りたのかそれ以来、ずぶ濡れに成る事は流石に無くなった、濡れればそういう嫌な目に遭う事を学んだ様だ。夏場でも全身雨に濡れれば寒く成るものだ。ブルブルと震える身体をバスタオルで包むのが一番手っ取り早く、ココもされるままジッとしていた。世話の焼けるペットだが、それもペットを飼う楽しみの一つなのだから仕方が無い。そうする事でペットも飼い主に馴染むのだ。我儘で気難しいココも従順になった。

晩秋-18(萩の黄葉)
晩秋-18(萩の黄葉)

 さて、晩秋とも成れば黄葉が益々綺麗になる。そして葉が散って行く。既に前栽の真っ赤な紅葉も散ってしまった。山茶花のピンクが少しばかり赤みを添えている程度だ。前栽には黄葉になる木が無いから山茶花の花と木々の緑ばかりで華やかさは無いが、書斎の前の庭は垣根の萩が黄葉して今が一番綺麗な時である。今年は萩の花は余り綺麗には咲かなかった。その代わり黄葉が庭に色を添えてくれている。そして南天の赤い実がクリスマス・ツリー的な雰囲気を醸し出している。そう言えば、年末恒例の近所のイルミネーションが今年は灯っていない。昨夕、買い物の帰りにその家の方へ廻り道をしたのだったが灯っていなかった。毎年、見物客が多過ぎて駐車で近所迷惑になっていたから中止したのだろうか。少し寂しい気もするが、迷惑を受ける人が居る以上、中止も仕方が無い。

晩秋-19(萩の黄葉)
晩秋-19(萩の黄葉)

 その帰り、近所の空き地にススキが群生していて綺麗だった。毎年所有者が草刈りをするのに今年は春にした切り、秋にはやらなかったのだ。お蔭で風流な気分になったが、自治会から電話で問い合わせた処、近々家を建てるので草刈りはしないという返事だったそうだ。工事が始まれば空き地は消える事に成る。ススキの風景も見られなくなる訳だ。数年前にそのススキの数株を掘り起こして庭に移植したのが毎年生えてくれる。翌朝、庭を観ると未だ穂は開いていなかった。周りの庭木で陽当たりが悪い分、開花が遅いのだ。群生しているススキも綺麗だが、数株のススキの穂も庭にあると乙なものである。月観には時期外れだが、ゆらゆらと風になびく風景も良い。ススキが咲き終えれば刈り取ってココの指定席である高野槇の下に敷き込むことにしている。ココの為のクッションである。

晩秋-20(枯れ尾花)
晩秋-20(枯れ尾花)

 ススキを刈りとれば、いよいよ秋も終え冬に入る。冬景色を見ながら冬を楽しむのなら良いが、往々にして反対の温かな春や真夏の暑さを想い比べ勝ちになるものだ。身勝手なものだが、それが人情と言うものなのだろう。身勝手な事ばかり想う処が俗物の生き様でもあるのだ。聖人君主でも無いのだから寒いとか暑いとか文句を言いながら生きてこそ人間をやっていられるのだとも言える。ところで、年齢と体調を考えて天皇制に定年制をという惚けた事を言う宮さんが現れた。これは別の意味で身勝手な発言である。男子を授かって有頂天になり次代の皇室像を勝手に描いているのかも知れないが、皇室典範によって定められた自分の立場を弁えずマスコミに勝手に発表するなぞ狂っている。何とも哀れな皇太子の弟である。多分、誰かに言わさされているのだろうが、そうさせる影の権力者が最近の国内情勢に危機感を抱き、まるで枯れ尾花に怯えている姿が滑稽に観えて来る。

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