ココ の ブログ

冬の京都(1)

冬の京都(1)

 先日、京都で小学校時代の友人と新年会をした際に、事前に参拝しておいた知恩院の夕景を想い出して、少し京都の静寂を書いてみたくなった。この際の静寂とは精神的なものである。京都も大都市だから都市の雑踏は充分にあるのだが、少し繁華街から離れると嘘の様な静寂に包まれる。そういう静寂さがボクの京都のイメージとして頭に残っている。勿論、嵯峨野の竹林の静寂もあれば三千院の静寂もあるが、そういう風景や環境の静寂とは違った心に染みわたる静寂は多分に精神的なものである。だから冒頭にオ―ギュスト・ロダンの彫刻「考える人」をアップしたのだ。これは有名なダンテの小説「神曲」に啓発されたロダンが「地獄門」を創作した際の上部にある小さな彫刻を拡大したもので世界に七つほどあるそうである。この像は京都国立博物館にあるもので、ボクは小学校時代から眺めて慣れ親しんで居る。

京都(1)
京都(1)ロダンの考える人

 人気(ひとけ)の無い夕方の知恩院の参道を一人で歩いていて、寂しいと言う気が全くせず、むしろ心が落ち着くのだった。折からの風邪気味の体調不良も手伝って、だるい身体を労る様にゆっくりと歩いていた。この調子だと多分、これからの宴会で酒は飲めないだろうと考えると、むしろその方が酔わずに楽に帰れるだろうと良い様に解釈出来るのだった。しかし結果的には雰囲気に飲まれたのと美味しい酒だったせいで何時もの様に飲んでしまった。お蔭で翌日は二日酔いの気分で終日自宅で養生していた。根が好きなものだから誘惑に負けてしまうのだ。意志が弱いと言えばそれだけの事だが、何も頑張る事も無いと開き直ったのもあった。気楽な旧友を相手に頑張る事も無いのに久しぶりに会うというだけで楽しい気分になったのかも知れない。最近は歳を意識する事が多く、出来る限り老人よりも若い人と接する様にしている。

京都(2)
京都(2)知恩院の参道

 その方が楽しい気分に成れるからだが、肩の凝らない老人なら大丈夫だろうという気もあった。しかし、50年以上も昔の友人となると長く会わなかっただけに変に気を使う面もあって酒で誤魔化すと言うか、飲まずには居られなかったのもあったのだろう。6人だけの宴会だったが、高校まで同じだった相手が4人居たから50年振りにも成らない相手も居るのに、お互い歳には勝てないのか、若い頃の様には行かない面もあった。それは常識がそうさせるのか、それとも現在のお互いの生活状況が違う点が気を使わせるのか、そういう意味では歳なぞ取りたくないという気にも成るのだ。亦、男と女では同じ事でも感じ方が違うから幾ら色気が無くなったとは言え、それでも枯れ切っていないだけに難しい面もあって、相手の配偶者の事を勝手に想像したり、自分や自分の配偶者と知らない内に比較してしてしまったりするのだ。

京都(3)
京都(3)知恩院の山門

 この知恩院は東山文化が盛んな頃に出来た寺院の一つなのだろうが、応仁の乱で京都が東軍と西軍とに分かれて内乱状態になっていた時代の貴族の生活ぶりを感じさせる空間を維持している気がする。京都と言う小さな盆地に貴族や寺院が広大な荘園や屋敷や境内を持ち、優雅な生活を送っていたからこそ今もこういう寺院が残っているのであり、この付近には個人や企業の大きな別荘や屋敷が残っているのである。細川別邸や野村別邸(碧雲荘)、松下別邸なぞ1万坪もの敷地に日本庭園が優雅な佇まいでひっそりと静寂を保っている様は大きな目で見れば日本の貴重な宝なのかも知れない。金持ちが維持管理するのも個人の我慾だけでは出来ないものである。後世の為に残してくれていると想えば庶民感覚で観ても嬉しく成るのは建築家の目で観るからだろうか。寺院もそういう意味では広大な敷地が貴重な財産である。

京都(4)
京都(4)知恩院の参道

 だからこそ人々は京都観光に来て日本の心を取り戻し癒されるのだろう。ボクがたまたま京都に生まれ育ったという貴重な体験が自分の人生で役立っているとするなら親や御先祖に感謝しなければならない処だ。ボクの人生を壊してくれた親ではあったが、良い面もあったと想えば親の責任も半分は生きて来るだろう。青春時代は親を恨んだものだったが、多い起こせば悪い事よりも良い事の方が懐かしく想えるのは歳のせいだろう。その事を自分の家族に当てはめれば、子供には自分の苦労はさせたくないというのが親心としても、結果的には自分の人生と言うものは自分で切り開くものだけに親の事をどうのこうのと言った処で所詮仕方の無い事なのだ。そういうしんみりとした気分に成れるのも冬の京都の特徴である。反対に夏は全くそういう気には成れず唯々暑いだけである。祇園祭の頃の体温と同じ気候の、湿度も80%以上と言う異常さはジッとして居ても汗が流れる。

京都(5)
京都(5)知恩院の山門

 そういう状況では静寂なぞという静かな雰囲気なぞ感じられず、むしろ新鮮組のテロ集団の熱気や狂気だけしか感じられない。だからこそ無病息災を願って祇園祭が挙行され続けて来たのだろう。そう言えば昨年の祇園祭の殆ど同じメンバーでの飲み会では、ボクは酔っ払ってしまって忘れ物をしたのだった。後日、宅急便で送って貰ったのを半年ぶりに想い出し「迷惑を掛けて、申し訳なかった」と陳謝すれば「いえいえ、女将らしくも無い不手際で申し訳なかった」と返される始末。矢張り夏と冬の雰囲気が全く違う京都ならではの話だ。今年の秋には再び二年毎に開催される小学校の同窓会があるとか。幹事役は地元に住む同窓生の役割と割り切ってやってくれるのを当然のように想っているボクなんか、彼等からすれば五月蝿い同窓生ぐらいにしか想って居ないのだろうが、京都人特有の皮肉まじりの言葉で「出て行かはった人やし、もう他所の人やわ」とでも言うのだろう。(つづく)

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