富士吉田市内に「愛染通り」という道があります。そこから少し奥まったところに「愛染地蔵」というのがある・・・ということは以前から知ってはいたのですが、近頃になってやっと場所が分かったので、先日行ってみました。
富士の見える場所に立つ、ま新しいお堂がそれでした。
僕が行った時にも、お参りをしているご老人がいらっしゃいました。大祭の時には賑わうようです。
何故興味を持ったか・・というと、ちょっと仏教関係に詳しい人ならご存知でしょうけど「愛染」ときたら「明王」なわけで「愛染明王」が一般的なはず。ところが「愛染地蔵」ですから、ある部分では意味不明なんですね。
お堂の中は真っ暗でしたがISO800にて、あてずっぽうで撮影してみました。緋衣をまとった、紛れも無い地蔵尊です。
由来に関する看板がありました。どうやら「愛染」というのは地名から来ているらしく、「愛染にある地蔵尊」>愛染地蔵になったようです。そして月江寺に所属するそうです。憤怒の形相の「愛染明王」と穏やかな慈悲の表情の地蔵では大違いですが、なんとなく分かったような、分からないような・・・・・
分からないことが、もう一つ増えました。愛染地蔵の正面にある神社です。
金比羅神社なんです。富士吉田市内には、圧倒的に「浅間神社」が多いのに、なぜ金比羅神社なのでしょうねぇ?
愛染地蔵と、金比羅神社の中間には「関一歩」と記された石碑があります。戦国時代には富士登山者から通行料を徴収する場所があったからだそうです。
そんな時の流れを、ずっと見てきた野仏。富士道の名残を今に残す場所でした。鎌倉とは全く異なりますが、大昔の庶民の信仰がそこここに残る富士吉田。まだまだ行ってみたい場所がたくさんあります。
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