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今回、みなさまに協力していただきたいことがあり、ブログにしました。僕は、厚生労働省障害保健福祉部にて実施されている障害者総合福祉推進事業の「重度障害者等包括支援に関する実態把握と課題整理に関する調査」の委員をしています。 先日の委員会で、重度障害のある方が、現在受けているサービス(ニーズ)等の調査を行うことになり、その内容を話し合ってきました。 僕は、他は全員学識者という委員会の中で、唯一ALS当事者委員ということで入っています。僕の方では、神経難病の方がもつ日常生活の問題点について意見できたらと考えています。そこで、みなさまのご意見を是非聞かせていただきたいです。現在のサービスについての不満や、受けたいサービスについての要望にはどのようなものがあるでしょうか?是非、みなさまお聞かせいただけないでしょうか? ALSは重度な障害をもつ病気であるため、家族の介護負担を考えて、生きることを躊躇する方が多いと思います。療養体制が整わないために、人工呼吸器の装着率は3割弱しかなく、特に女性はほとんど生きることができません。 療養体制について、家族がケアすることがよいのか、それとも他人が介護するほうがよいのか、その両方なのか。そのあたりについてもご意見があれば聞かせていただきたいです。 また、僕のつくったケアホームという暮らし方についてのご意見などもお聞かせください。 僕も発症当時死のうと思っていました。家族の負担を考えたり、生きる目的をもてずに苦しんでいました。しかし、ケアホームを通じて色々な患者さんに出会えて、生きていてよかったと思っています。今日も30代のALSの男性が体験入居に来ています。 みなさまよろしくお願いいたします。 kawasakihisanobu@yahoo.co.jp 僕のアドレスです。
2012.10.28
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今年の4月に気管切開をして退院後、ケアホームに入り二か月経過する中で、下腹部にガスがたまり、胃ろうから栄養も入らなくなってしまい、病院に入院することになりました。 9月10日に退院し、千葉市のケアホームに再入居しました。ケアホームのよいところは自宅にいるような雰囲気でヘルパーさんも寄り添ってくれるところです。まるで友人のようです。ケアホームの仲間が増えそうです。 千葉市を主に活動していきますが、全国で展開していきましょう。僕で役に立つことがあればどこにでも行きます。 この病気は過酷でつらく僕も時々落ち込む時がありますががんばります。 これがケアホーム外観です。
2012.10.08
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僕の状況 介護保険 要介護5 (気管切開後再申請して) 重度訪問介護 区分6 700時間/月 (共同生活介護) 住所地特例使用 (簡単に説明すると住所地以外の市町村のケアホームなど の施設に入所した場合、住所を移す前の市町村が引き続 き支給する特例措置。施設を多く抱える市町村の負担が 過大にならないようにするため)介護などの状況 訪問介護 24時間ヘルパー常駐 訪問診療 週1回 訪問看護 週5日 訪問リハビリ 週2回 訪問マッサージ 週3回 訪問入浴 週3回ケアホーム 家賃 3万円 (国から1万円、市から1万円補助金あり個人負担1万円) 水道光熱費 1万円 日用品代 1万円介護保険料 35830円重度訪問介護上限 37200円 (申請後返還されます) 合計 65830円 (その他手袋、コットン、メラチューブ代等は自己負担あり) (訪問マッサージは自己負担26000円位あり)入居の問い合わせは多数あります。患者どうしの共同生活を始めてみませんか。
2012.07.01
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復活しました!4月3日、帝京大学ちば総合医療センター入院4月4日、気管切開後日、呼吸器装着5月29日、退院・ケアホーム入居気管切開に至ったのは、朝昼晩痰の排出が困難で、夜も眠れなかったので、主治医の先生に相談したところ、気管切開を勧められ一週間後に入院となった。約2か月の入院になったのは、退院後ケアホームに入居する準備が必要だったからだ。現在僕は在宅医の先生と訪問看護師、訪問リハ、訪問マッサージ、吸引のできるヘルパー約17名の皆様の協力を得て24時間他人介護で生活しています。ケアホームは人員基準など難しい問題が多く、最初のケアホームは支援してくれるL株式会社の施設に入ることにしました。患者自身が運営に関わることが大事だからNPO法人でこれから進めていくつもりです。ケアホームの情報をこれからどんどん発信していきます。全国で僕の手伝いが必要なら声をかけて下さい。皆で一緒に楽しく頑張りましょう。
2012.06.10
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難病タウン構想を発表してから病気に関することを調べたり、福祉制度を勉強したり、患者さんや関係機関を訪問して話を聞いたりするうちに、どこから切り込んでいけばいいのかと考えた結果、ケアホームを進めていくことにしました。ケアホームとは・・・医療や介護体制が完備され、一戸建て、Aマンション、Bアパートなど一定の範囲にある共同生活住居のことをいいます。人員や設備に一定の要件があります。小規模から始めることが可能で、賃貸も可能なことから資金もあまり必要ないことがケアホームから始めていく理由です。当然、医療、看護、介護は万全の体制をとらなければなりません。家族も泊まれるし在宅の感覚に近いこと、建物が一定範囲内にあることが要件になるため、患者が近くにいることも集まりやすい等メリットになると思います。(3LDKなら3人まで住めます、1人がいいのであれば狭い部屋になります)費用は若い人でも負担できるような設定にしたいです。軌道にのったら在宅介護されている患者さんのお手伝いもやらせていただきたいと思っています。介護されている方が入院される場合など緊急時対応時の患者さんの受け入れ等です。僕と一緒に取り組んでいる訪問介護事業者とともに準備をしています。障害者用のケアホームは全国的に実績が少ないです。まず、僕が入居して情報を発信しながら、患者仲間に安心して療養できるということを示して,入居希望者を募り、意見を聞いて始めたいと思います。参考までに千葉県内に神経難病患者さん(特定疾患)は約3,300人いらっしゃいます。患者同士が共同生活をする・・男女は別棟(僕は同病の患者さんが傍にいるだけで気持ちが癒されます)最初からはできにくいですが、軌道に乗って患者さんが増えれば同じ趣味や気の合う仲間も出来ると思います。楽しいと思いませんか?呼吸器を付けないと言っている患者さんに、共に生きようと話したいのです。僕は呼吸器を付けて、生き続けることを強要するつもりはありませんが、希望が持てる選択肢をつくりたいのです。1.患者が共同生活もしくは患者同士が近くにいることで出来ること患者さんによっていろいろな価値観があり、一人で療養したい人もいれば、家族の介護を受けたい人もいるし、仲間と一緒に療養したい人もいると思います。社会や世間と交流する中で喜びを感じる人もいれば、遊びや観光やゲームや読書や映画で楽しみを感じる人もいると思います。ケアホームや難病マンションなどで患者が集まって療養することで、患者さんが楽しみや生きがいを持って療養できるように実現したいです。具体的な例1.NPOや会社などの運営 2.近所や近隣への障害者理解のための取組 地域や高齢者との交流 学校などへの授業参加3.月に数回程度、旅行や劇場に行く1人では行けない人も複数だと可能、行きたい場所を話し合いで決める4.将棋やゲームなどの大会 対戦形式、ネットなどを活用5.読書や映画に(読書は朗読をしてもらう)6.おしゃべりなど 気の合った患者同士で 僕は今、風邪をひいて体調は悪いのですが、早く治してがんばります。
2012.03.16
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土日で研修会に1泊で行ってきました。同行したのは妻と手手伝ってくれる女性2名の合計4人です。歩けなくなったので急きょ車椅子をレンタルしました。車椅子に乗ったのも、外出したのも初めての経験でした。目的駅は栃木県の小山駅です。東京から小山駅まで新幹線で40分程度です。東京駅と小山駅は駅員の方が車椅子を押してくれてエレベーターまで案内してくれ、ホームまで一緒に行ってくれました。乗車時にはホームと電車をつなぐスロープのようなものを敷いてくれました。ご親切にしていただき有難うございました。車椅子に乗って怖かったことは、目線が低かったことです。人が大勢いる中を走るときは少し怖かったです。(車いすごと乗れる福祉タクシーで自宅まで帰りました)カフアシストも必需品なんですが、メーカーのほうで宿泊先のホテルまで届けてくれましたので安心して旅行することが出来ました。Iさん、Kさん大変お世話になり有難うございました。研修会については僕の構想と関係がありますので、次回アップします。
2012.02.27
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9日に胃ろう交換に行ってきました。僕の胃ろうはボタン式でダンパー方式です。胃カメラを入れて今までの胃ろう取り出して、新しい胃ろうを付ける手順で、麻酔は一切使いませんでした。手術室に入っていたのは20分程度でした。四角の胃カメラガイドをくわえ、胃カメラの先端が胃までが入りました。苦しかったけどなんとか我慢できました。古い胃ろうを抜くとき、グリグリされてすごく痛くてうめき声が出た、時間にして7~8分くらいだったと思います。あまりに痛くて、手を動かそうとしたときに看護師さんが手を握ってくれてもう少しで終わるからと言ってくれたのが救いでした。新しい胃ろうを装着して終わりました。先生がこれで6か月大丈夫だからと言ってくれました。痛いのは知っているようでした。6か月後の交換はいやだなー。この痛みはどうにかならないもんかなー
2012.02.11
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今日は淑徳大学の総合福祉学部の3年生の授業に事例発表者として参加させてもらいました。Y先生とヘルパー事業所のR株式会社I社長の進行で進められ,最初に患者さん4名から発表があり、その後全員によるディスカッション形式で行われました。 (熱心な授業風景)発表タイトル1.Aさん(ALS)「ヘルパーの医療ケアがなければ生存ができなかった例」体調不良により本人欠席のためI社長が代わって説明を行う2.Bさん(SMA)「難病だから病院が安全だといわれた30年」 3.Cさん(脳性まひ)「施設からでて22年二次障害もあるけどそれでも施設は嫌だと思う」 4.希望 (ALS)「ALSのような神経難病患者が、介護力や経済力がないという理由で死を選択する現実から、脱却するための暮らし方構想」 ディスカッション 学生やゲストから多くの意見が出されたが、その中で痰の吸引について学生の意見としては家族の負担を減らすために痰の吸引を行いたいという積極的な意見ばかりだったが実際に痰を吸引するには不安という意見が多かった。 そこで、医療系などの専門家の優れた技術を学びたいという意見が多かった。 近い将来に、我々重度障害者の介護を担ってくれる若手との意見交換ができる機会を提供してもらったY先生、I社長に感謝の意を表します。
2012.01.21
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吉野病院で戦友Yさんに会った。Yさんとは同病で症状も似ていて、昨年の9月に一度お会いして、その後時々メールをやりとりしている、このところ、Yさんの症状が進行し心配していました。呼吸能力が低下し常時バイパップが手放せなくなったようだ。リハビリを受けているということで、リハビリ室に向かいました。お互い話せませんので、リハビリの先生に一礼して手を握り合った。目があった瞬間こらえていましたが、泣き出してしまいました。長くいると泣き続けるので早々に退散しました。しばらく涙が止まりませんでした。強制泣きの症状が進んで涙もろくなっていますが、患者仲間に会うたびに泣いてしまいます。僕は元々患者仲間に強い親近感を抱いていますが、最近はますます強くなって生死が隣り合わせで戦っている戦友のような感覚があります。病院を後にするとき、Yさんガンバレ!共に強く生きようと心の中でつぶやきました。
2012.01.09
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今日、今年初めての診察に吉野病院に行ってきました。診察室に入ると、先生は必ず調子はどうですかと聞いてくれます。僕の目を見て形式ではなく、本当に心配顔で具合を正確につかもうとしてくれます。僕は話せませんので紙に書いた症状を渡します。口の中や舌をかむのでほぼ100%胃ろうから栄養をとっていますが痩せてきていますので口の中を見てくれて適切なアドバイスをくれました。いつも思いますが、信頼できる先生です、どんな質問をしても、誠実に応えてくれます。握力、血圧、体の動きを見てくれます。月に1回血液検査と肺活量検査があります。僕がこれまで診察を受けた大学病院とは対応が全く違います。治る病気ではないですけど患者が困っていることや辛いことなどに真摯に向き合おうとしていることがよくわかります。僕は今までこの病気の告知など冷たい先生が多かったので、僕にとっては吉野先生が神様にみえます。リハビリスタッフも優秀で熱心です。喉に聴診器を当てて、痰が少したまっているため、カフアシストの吐出し圧を高める方向で調整することになりました。自宅から遠いけど、出来る限り通うつもりです。
2012.01.04
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僕は病名が一昨年の10月に確定しましたが、その頃は不安の真っただ中で後ろ向きの考えだけでした。ドイツへ移植で行ったのもリスクはありますが、今、できる限りのことをしておきたい一心でした。その頃、患者仲間と知り合い、話すうちに生きる勇気が湧いてきました。いろいろなことを議論し、議論していくうちにメラメラと元気が出てきました。僕は患者仲間に救われたと思っています。本当にいやな病気になってしまいましたが、その後たくさんの仲間が出来、少しずつ進行して不安にもなる時もありましたが仲間から励まされ、元気をもらいました。この年になって仲間が出来るのは死と隣り合わせの病気になったからだとも思います。僕は命のある限り明るく前向きに生きていきます。そしてメールやコメントを頂いた方、BLOGを拝見させていただいている方(読み逃げが多いです)全ての方に本当にありがとうございました。みなさま良い年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。!!
2011.12.31
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昨日,介護事業者主催のクリスマスパーティに参加しました。僕はヘルパーさんはまだ入いっていませんが、事業所の社長が僕の構想実現に協力してくれているので参加させていただきました。患者さん、家族、ヘルパーさん、関係者などで100名くらいの大パーティでした。子供たちによるクリスマスソングメドレーやダンス、マジックショー。結婚した方のお披露目、プレゼントの抽選などにぎやかなイベントが行われ、すごく楽しかったです。「小学生のマルマルモリモリダンス・・とても可愛かったなー」患者さんでNPO法人を立ち上げて重度訪問介護の養成講座など難病患者の支援の担い手を育成されている方や難病患者を支援されているご遺族の方を紹介いただきました。これから僕の構想を実現していくための力強い味方になっていただけると思います。ALSだけでなくほかの病気の患者さんとも仲良くなって、再会を約束して会場を後にしました。楽しかったなー また来年も出席したいなー
2011.12.24
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バイパップ(人工呼吸器)、カフアシスト(排痰補助装置)、痰の吸引器が我が家にやってきました。最近、口周辺の症状が進み、その中でも痰が出ずらいのが辛くなりました。眠れなくて、緊急的に吸引器をY医院で購入し使い方を教えてもらいました。でも管が奥まで入っていかなくて、なかなか痰はとれない。管が入るとオエッと言いながら涙が出るほど苦しいです。(痰の吸引器)カフアシストを使うようになって楽になりました、吸引器もほとんど使わなくなりました。痰が上がってきて、数時間後にはとれるような気がします(咳払いしているうちに飲み込んでいる感じがする)今は眠れるようになりました。調べたら健康な人は無意識に痰を飲み込んでいるが病気のため飲み込む力が弱くなっているため出づらくなるようです。今の使い方はワンセット5回を2回ずつ、朝昼晩使っています。何かアドバイスがあれば教えてください。(上がカフアシスト、下がバイパップです)サァー調子良くなったので構想の取組を急がなくっちゃ!!ガンバルゾー
2011.12.17
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昨日はALS協会千葉県支部の交流会に出席しました。最初に芹沢さんによるマリンバのミニコンサートが開かれました。皆さん、美しい音色に聞き入られていました。いつもは研修会などが行われるのですが、今回は交流会に時間をたっぷりとりたいということで、ミニコンサート終了後、引き続き交流会に入りました。(患者、家族で円陣を組んだ交流会)長期療養されている数名の患者さんから、日ごろ介護する中で「こんな工夫をしている」「こんな風に乗り越えた」などわかりやすい説明があり、それに対して患者や家族から質問が出され、和気あいあいの雰囲気の中で進みました、暗さなどみじんもなく、笑いが出るような明るさでした。気の持ちようでこの病気に明るく向き合えることにびっくりしました。同時に患者同士の交流や連帯がいかに大事かということを思い知らされました。これからも患者さんとの交流を積極的にやっていくつもりです。その後参加されている患者や家族も自己紹介などや質問などで話に加わって、和やかな交流会となりました。工夫やアイデアをさわりだけ紹介します。・患者さんは体温調節機能が低下しているため「ゆたポン」「洋服の一部」など活用・便座に座って排便することは大事で、頭がぐらつかないように板等で支える・ペットボトルに穴をあけたものやや百均の店で調達して簡易なウオッシュレット代わり・外出時には尿処理剤やビニール袋で対応・介護の引継ぎ用に写真入りのスケッチブックを活用・へるぱーさんにさすりをやってもらって、少し手の機能が回復した。特に発病間もない患者さんから、ためになったとの声が出されるなど、有意義な交流となりました。僕は最近、進行が早くて体調の悪化に気持ちがついて行かないときがありますが、仲間から元気と勇気をもらうことが出来ました。交流会でも話しましたが県支部のホームページ作成と患者が安心して療養できる環境づくりへの取組に全力で邁進します。
2011.12.12
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11月8日幹細胞の移植を受けに新宿にある韓国系のK医院に行ってきました。ドクターと看護師3~4名の小さな医院でした。9月に韓国で採取後、培養したものを移植します。最初、ドクターの診察を受け、症状を用紙に記入しました。ドクターは優しそうな方で、これから一緒にがんばりましょうと言ってくれました。別のALS患者で移植により進行が抑えられたことを話してくれました、しかし月に1回移植を行っているそうです。移植の効果は2か月くらいかかるそうです。えびのように体を丸めて腰椎穿刺(脊髄から注入)をした後、しばらく休んで点滴により静脈注入しました。約3時間かかりました。腰椎穿刺は麻酔をして5cc(0.5億セル)脊髄注入するのですが、1回目は針がうまく入らなくて、2回目で上手くいきました。痛みは麻酔時にチクッとした程度でした。点滴は100ccを2袋(2億セル)で1時間30分かかりました。狭い医院なのでドクターと患者さんの話が聞こえるのですがほとんど韓国語でした。最近は進行が早く、体に力が入りなくなり、指がほとんど動かず足も弱くなりました。特に痰が絡むようになり、気持ちが悪くて夜も眠れません。吸引器とバイパップ、カフアシストを近々自宅に備える予定です。体調は悪いのですが患者さんと会ったり、介護事業者と打ち合わせしたり結構忙しい毎日です。今回の移植で効果が出ることを期待しています。次回は11月24日です。
2011.11.09
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昨日、講演会で僕の構想を発表してきました。主催者の千葉神経難病医療センター・難病脳内科センター長 湯浅 龍彦氏とともにドイツのベーテル(難病の街)研究の第一人者の橋本孝氏が顧問として参加されていました。参加者は80名位で医療や介護関係者が多かったです。朝から夕方まで内容が盛りだくさんで、終了後事務局長さんとHPの打ち合わせ行いました。午前中は行政、医療関係者、理学療法士、介護関係者などから10のテーマについて発表がありました。テーマは最後に載せます。この中で9「みやこグループにおける入居に関する障害」と、10「新しい地域づくりの挑戦」僕の構想に関係ありますので別の機会に詳しく報告したいと思います。午後からは僕を含めて3人の患者と駒形先生から発表がありました。 「若年重度神経難病患者が直面する課題と挑戦」伊藤さん(自立への挑戦)脊髄梗塞により四肢が麻痺。自宅を新築して独居されている40歳ちょっとの患者さんであり、独居の目的は同じような患者さんに、24名のヘルパーさん、住いを継承したいということで、社会への主張とのことであり、立派な考え方を持たれている人でした。山口さん(離職と社会参加への挑戦)ALS患者さんであり、30歳ちょっとの年齢であり、海上自衛隊に勤務、湯浅先生に相談した時に自衛隊の職務は国民を守ることであり、その考え方で今後も頑張れと激励されて前向きに生きるきっかけをみつけたとのこと。さわやかな好青年でした。川崎(起業の夢実現を目指して)妻が代わって発表しました。発表の内容はブログに書いたのと同じです。駒形先生(現場医師からみたALS患者の自立)発表中の妻です。後ろに座っていらっしゃるのが橋本先生です。立たれているのが湯浅先生です。3人の患者さんが発表した後、森先生より、「ALS患者の心の揺れ」というテーマで講演がありましたが、ALS患者の不安な気持ちを学問的に分析されてすごく興味深く聞かせていただきました。告知、進行、呼吸器装着3つの時期で患者の気持ちの揺れを、わかりやすく説明をしてくれました、なるほどと思うところがありました、発症間もない患者さんが病気を受け入れることが出来ないのは、自分の気持ちが壊れないための防衛反応だとの説明でした。印象に残ったことは湯浅先生が、患者に相談に乗る時は、患者の病気になる前の生きざまを知ることが大事であり、患者が何を大事にしているかが決定的に重要である。橋本先生が言ったことで印象に残ったのは日本は身障者のための施設や場所はドイツより多いと思う、しかし有機的につながっていないことが問題だ。そして福祉の街「ベーテル」はベンツに自動車部品を納品している、施しを受けないで仕事をしているのだと,そんなことが可能になる社会システムが必要だ。湯浅先生も橋本先生も難病タウンのような街づくりに賛同している先生であり、そのためには全体をデザインするコーディネーターが必要だと言われています。僕の役目は地元の千葉県で具体的に着手し、そして、成功した実績を少しずつ積み上げていくことだと思っています。最後になりますが、最近症状が進行していて数日間元気が出なかったのですが、昨日の講演会に参加して、発表後に関係者から頑張ってくださいと激励を受けました、千葉H病院の看護師さんありがとうございました。そして両先生をはじめとして参加者全員が一つになって、全員が協力してくれるんだという気持ちになって元気になりました、色々なことが勉強できて、参加させていただいて本当に良かったです。ありがとうございました。午前中の講演テーマ1. 千葉県における神経難病対策の動き2. 壮年期発症の神経難病幹座に対する自立支援の取組3. 計画停電に対する東京都の対策と自家発電機・バッテリーの利用4. IVHポート増設したNPPV装着ALS患者のリハビリテーション5. 人工呼吸器を装着したTLS患者における理学療法6. ALSと鍼灸治療~鍼灸師としてのかかわり方7. 在宅マッサージの効果8. 平成22,23年度ALS医療相談室の実績9. みやこグループにおける入居に関する障害10. 新しい地域づくりの挑戦
2011.10.16
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2回目の幹細胞移植を受けるために、韓国のソウルに日帰りで幹細胞の採取に行ってきました。とても疲れたー1回目の幹細胞移植はドイツで受けましたが、移植を受けた病院は現在、移植は中止しています。理由はドイツ国内及びEUの移植ガイドラインが強化されたと聞いています。この移植によって歩ける距離が長くなりました、移植前は5分も歩けなかったのですが、移植後は長い時間を歩けるようになりました。ドクターから受けた説明では神経の損傷が少ない部位に対して効果があると聞いていましたので、比較的大丈夫な足に効果が出たのかなと思っています。現在は、症状が進行して、口周辺の進行に加え、指は動きにくい、首は前に倒れる、体幹はフラフラ、足も少し弱くなっているようで、ふらつきます。呼吸機能も低下してBIPAPの練習を始めています。僕の構想をブログでお話ししましたが、実現するためには少しでも進行を抑えたいため、2回目の移植を受けることにしました。併せて8月から都内の鍼灸院でALSの進行を抑えることが出来るという鍼治療を受けています。治療後は指の筋力が強くなることを実感しています。進行を抑えるためにジタバタしています。脂肪の採取はへそ周辺に3か所に麻酔をして、へその近くから20ccほど採取し、痛みはありませんでした、15分くらいで終了しました。おなかから採取した脂肪を、6週間培養して、都内の提携病院で数回に分けて移植することになります。出迎えてくれた病院スタッフでもある通訳のKさん、僕が食べやすい昼食の心配をしていただき、帰りの飛行機まで時間があったので宮殿「景福宮」(キョンボックン)の案内をしていただきありがとうございました。景福宮の中の勤政殿(王が朝礼を行い、外国の使臣と接見するところ)勤政殿の内部韓国で採取・培養して、日本で移植を受けることが可能になったのは、患者仲間のイノッチさんが道筋を作ってくれたおかげです。心より感謝申し上げます。
2011.09.25
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「ALS自立支援千葉東葛ネットワーク会議」で話をさせていただくことになりました。僕の出番は 「生きる:若年重度神経難病患者が直面する難題と挑戦」という大項目の中で「起業の夢実現を目指して」というテーマで午後の予定になっています。ブログで書いた患者さんの孤立感を減らすことと、安心して療養できる住まいの確保のための対策について県内の公式の場で話します。患者さんだけでなく医療や介護の関係者も多く参加されますので僕の考えていることを訴えるつもりです。他の患者さんや関係機関の方も興味深い話をされると思いますのでご都合のつく方は参加してくださいね。(応援していただければうれしいです)日時:10月15日(土) 10:00~16:45場所; 鎌ケ谷総合病院9F大会議室 千葉県鎌ケ谷市初富929-6研修会の詳細は一番下にあります、ところで、僕の今の症状は口周辺の進行が早くて、まったく言葉が出なくなりました、常時口の中を噛むようになりました、筋肉が弱くなって頬の内側が垂れてきているようです。しゃべれないだけでも辛いのに、口の中は出血と口内炎との戦いです。呼吸と唾液を飲み込む関係で眠れる姿勢は左向きの一点だけのため、寝返りするたびに目が覚めてよく眠れません。本当にいやな病気ですね。構想の具体化のために人と話す機会が多くなりましたので、強力なツールを獲得しました、IPADを購入し、会話ソフトのボイスエイドを使い始めました。指は動きにくくなりましたが、腕自体は動くのでなんとかキーは押すことが出来ます。会議で何回か使ってみたのですが、操作に慣れないため、人が話しているときにIPADが話したりして迷惑をかけていますが、段々慣れてきましたのでコミュニケーションをとるために活用していきたいと思っています。下のキーボードに入力し、上に表示され、話すボタンを押すとしゃべります。前もって入力した言葉をしゃべることもできます。音声デモですhttp://www.arcadia.co.jp/VOCA/sample.htmlALS自立支援千葉東葛ネットワーク会議鎌ヶ谷第7回会議日程 日時:平成23年10月15日(土曜) 午前のプログラム: 開会挨拶 10:00~10:15 セッションI(10:15~10:30)座長 川上純子(ALS千葉県支部) 千葉県における神経難病対策の動き:始関俊夫 セッションII (10:15~12:00)座長 駒形清則、寄本恵輔 第5回東葛地区神経難病医療ネットワーク研究会(一般演題) (一般演題を募集します。ALS並びに関連疾患の在宅・地域療養支援などに関わる演題。どなたでも応募可能。演題、所属、400~800字抄録、メールで下記へ;yuasaruy@kamagaya-hp.jp) 午後のプログラム: セッションIII(1:30~3:30)湯浅龍彦、橋本 孝 「生きる:若年重度神経難病患者が直面する難題と挑戦」 (1)新築独居:自立への挑戦(Iさん)20分 ・Iさんへのエール(建築家安井昇)10分 (2)離職と社会参加への挑戦(山口さん)20分 ・山口さんへのエール(安房保健所神作)10分 (3)起業の夢実現を目指して(川崎さん)20分 (4)現場医師からみたALS患者の自立(駒形清則)20分 総合討論30分 セッションIV 特別講演(3:45~4:45)座長 古野茂一 「ALS患者の心の揺れ:心理支援のポイント」(1時間) 講師 森朋子 (東京国際大学言語コミュニケーション学部) 主催並びに共催:鎌ケ谷総合病院千葉神経難病医療センター、 千葉県難病連絡協議会、日本ALS協会千葉県支部、市川ケアクリニック
2011.09.18
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僕は、難病タウンの構想を実現するために、目的を「2パターン」設定してみました。今日のブログでは、その目的と、それぞれのメリット・デメリットを書いてみたいと思います。目的パターン1:ALS患者の療養の場にするメリット・介護力がなくても患者さんは安心して療養が出来る・「交流の場」を設置しないので設備費などかからない(施設費、人件費、送迎費用)デメリット・入居は療養される患者さんに限られるため地域とのつながりは少なくなる目的パターン2:ALS患者の療養の場にする+ALS患者の交流の場にするメリット・介護力がなくても患者さんは安心して療養が出来る・患者同士の交流が可能になる 通所している患者さん同士の交流だけでなく療養中の患者さんと通所の患者さんとの交流も可能になる・患者の孤立感が少なくなる 患者の気持ちを理解できる患者自身が運営し、仲間が集まることによって、引きこもり気味の患者も参加できる可能性が生まれる・事業を行う際に取り組みやすい 患者が介護実習等の事業展開するうえでいろいろな症状の患者が集まることによって、症状に応じた役割分担が可能になる・他の神経難病患者との連携が可能になる 脊髄小脳変性症など他の神経難病患者も通所で集まることが可能になり、患者間の輪が大きくなる。・地域を巻き込むことが可能になる 通所の患者さんが加わることによって患者さんや家族、支援者など地域との接点が増え、地域を巻き込むことができるようになる ・他の神経難病患者や地域を巻き込むことで行政への働きかけも可能になる デメリット・交流の場をつくるために施設の初期投資額などが増える二つの目的を設定した意味このALSという病気は手や足が動きづらくなり、飲み込みや会話ができなくなり3年~5年で呼吸筋が麻痺して呼吸困難になり呼吸器を付けないと生きていけなくなります。僕は大きな問題が二つあると思っています。問題のひとつは、現実は介護力などがないという理由で呼吸器を付けずに死を選択している患者さんが約7割もいらっしゃいます。また呼吸器を付けている患者さんでも介護をしている家族になにかあれば大変なことになるということを不安に思っているのが現状です。もうひとつの問題は、この病気が進行性の過酷な病気であり、患者さんが将来への不安などで精神的に落ち込みやすい現実があります。また身体が不自由で移動することが困難なため、会話が出来ない患者も多く意思疎通がうまくいかないためALSのような神経難病患者は自宅に引きこもりがちで孤立している患者さんが多いのが現状です。自分の考えをブログなどで発信されている積極的な患者さんはごく一部と思われます。僕はALSのような神経難病患者が、介護力や経済力がないという理由で死を選択しなくていいように安心して長期療養できる住まいを確保して、患者さんが自宅に引きこもらないで、地域の一員として元気に参加できるように、交流の場などを通じて今まで引きこもって方が、自ら外に出てみようと思ってもらえる、そんなALS患者の社会や地域を巻き込んで作っていきたいと思っています。また難病患者自ら取り組むことを強みと考え、患者自らビジネスを行うことが出来るようにしたいと思っています。実際の建物については、一戸建てとマンションについて、下記のようなことを考えています。加えて、一戸建てとマンション以外の方法についても検討中です。<一戸建て> 患者単独か数名の共同生活なので、住宅の確保・改修費用が少なくて済み、患者も少数のため、比較的早く実施可能である。 介護事業者が1戸建て計画を進めているため、連携の形態によってはいち早く着手可能<マンション> マンションの場合、介護・医療体制の構築や資金調達、入居者の選定・確保など課題が多いいずれの建物を選択するにしても、僕は交流の場は最優先で確保する必要があると考えています。交流の場で話し合いをしながら、県全体の計画につなげていきたいです。そろそろ夏も終わります
2011.09.09
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自分のため、自分達のために、一緒に取り組みませんか僕はやりたいことがあります。何人かの方には話しましたが、ブログに書くのは初めてです。それはALSのような神経難病患者が、安心して療養できるような街づくりをしたいのです。現実は介護力や経済力がないという理由で呼吸器を付けずに死を選択している患者さんがいらっしゃいます。また呼吸器を付けている患者さんでも介護をしている家族になにかあれば大変なことになるということを不安に思っているのが現状です。介護力や経済力がないという理由で死を選択しなくていいように、安心して長期療養できる住まいを確保したいのです。ドイツのベーテルという町のことを聞いたことはありますか?町全体が障害者(てんかんが始まり)の町で、福祉政策のお手本として有名です。できれば、関東地方に神経難病の患者が安心して暮らせて、しかも充実した気持ちになれるような環境の町が作れればいいなと思っています。夢のような話ですが、その町では教育、福祉、生活、環境などをより自然と調和し、理想に近づけて、豊かな気持ちで暮らせるまちづくりができればなと思っています。 僕は、これらの考えを「難病タウン構想」と呼ぶことにしました。以上のことを目標として、まず僕が始めているのは、患者や識者や福祉関係者との交流です。(千葉県患者会のHP作成も患者間の交流や情報の共有が大きな目的です)患者さんの考え方、悩んでいることなど本心が知りたいのです。最も重要な問題は呼吸器装着をどうするかだと思います。呼吸器装着については介護負担を心配する患者、寝たきりになってまで生きたくないという患者、生きる目標がなくなったという患者など悩ましい問題があります。介護力がないという理由で、呼吸器を付けずに死を選択することをなくしたいと思っています。特に女性の30代~40代は呼吸器を付けない方が多いと言われています。(多分、家族による介護が困難のためと思われます)また呼吸器を付けられている患者さんについても、安心して療養できる方策が必要と考えます。そのために医療や介護体制の心配がない住まいを確保することが大事だと思います。介護効率を高めるために集合住宅や地価が安いとこであれば平屋の住宅を確保して(数名の共同生活も可能)介護体制を構築することで家族の介護力がなくても患者は安心し呼吸器を付けて生きることを選択できるし、呼吸器を付けている患者さんもこのような住まいがあれば安心して療養が出来ると思います。介護の制度や施設のレイアウトなどALSなどの神経難病患者の視点が入らないといいものはできないと思います。また、行政などに働きかけていく時は,患者・家族・支援者の知識や経験を総結集し、患者と家族を中心として、まとまって行動を起こすことが重要になります。身体的なハンディはありますが、患者自身の参加と連帯こそが上記のような制度の改善や障害者の支え合いや生きがいある生活の場を造り出してゆく要になるのだと思います。僕はALS患者さんだけでなく、ほかの神経難病患者とも連携が必要であり、交流を始めています。この「難病タウン構想」に賛同くださる方は一緒に取り組みませんか? また、「難病タウン構想」に対するご意見など、ぜひコメントやメールをいただけませんか?ALS患者は移動することが困難で、なかなか集まって話し合う機会がありませんが、僕の場合は全くしゃべれなくなりましたが、まだ歩けますので患者さんを訪問して、連携をとって取り組みませんかということを呼びかけています。千葉県の場合、患者さんは約400人いらっしゃるんですが、ALS協会加入は約150人で、加入されていない方は住所もわからない状況で、多くの患者さんは孤立されていると思います。患者さんは人それぞれですから押し付けはできませんが、この過酷な病気と闘っている患者さん同士の連携をとっていくため、行政や医療機関の協力を得て少しずつでもいいから前に進みたいと思っています。8月18日は群馬県支部の患者さんと、このテーマについて意見交換を行いました。安心して療養できる施設は必要との意見でした。またネットもいいけどお互いのぬくもりを感じて話し合うこのような機会は大事だとの意見が多くありました。今後も、皆様からご意見をお聞きできる機会を作っていきたいと思っています。
2011.08.20
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7日は京都在住のIさん宅を訪問しました。閑静な田園地帯に入っていき、幹線道路から少し離れたところにIさん宅はありました。昼食前にIさんの病状や今迄の経過を聞かせていただきました。僕はしゃべれないので妻が話し、僕は時々筆談で参加しました。僕が普通食はだめなので、10割そばをカットして、すりおろした山芋を混ぜて、食べやすいようにしてくれました、カレーライス,デザートもおいしかったです。ホテルの食事がだめで、コンビニでヨーグルトや卵とごはんを買ってきて卵ごはんを主食にして、しのいでいましたので、体重が減り続けていました、昼食をおなか一杯いただきましたので、少し挽回できました。同居されているおばあさんの作品です。玄関に飾ってあります。(スゴーイ)やはり、同病の患者・家族同士で話しますと、あうんの呼吸で共感できるとこがたくさんあるんですね。普通の姿勢で食事できないから人前で食事しにくいことや、汗をかいた後はシャツがぬぎにくい等、そうだ、そうなんだということがたくさんありました。僕は家族にとっても感謝しているけど、患者同士にしか理解できないこともあるのは事実だと思います。昼食後、近くの一休寺を案内してもらいました、観光地とは異なり、静かで人も少なくてのんびり、ゆっくり見ることが出来ました。もみじがたくさんあり、紅葉したらきれいだろうなと思いました。暑かったので、お決まりのかき氷をたべました、イチゴ味でしたがとてもおいしく生き返りました。入口付近の参道です、両側はもみじです、きっと紅葉したらきれいと思います 一休さんの像です おいしそうでしょ8日はIさんと僕と妻でドクターを交えて、移植治療の打ち合わせに参加しました。別れ際にIさんと手を握り合って再会を約束しました、(強制泣きで涙が出るのをなんとか我慢しました)終了後は刈谷PAで仲間のAさんと会う約束をしていましたのでそこに向かいました。伊勢湾岸自動車道です、素晴らしい景色でした 刈谷PAです、観覧車、温泉までありますAさんはこの病気の治療につながる研究報告など情報提供されている方で、有意義な意見交換が出来ました。こまかいことはたくさんありますが、この病気に立ち向かっていく熱い気持ちを強く感じることが出来ました。固い握手をし、お互いにがんばろうと、再会することを約束しました。帰りは風と一緒になりました今回の茨城や京都方面の旅が終わって思うことは、仲間のありがたさ、仲間の大切さをしみじみ感じるとともに、失ったものもたくさんあるけど生死と隣り合わせの状況でかけがえのない仲間ができたことは健康ならば出来なかったことだと思います。確実に進行していくこの病気に時々恐れおののくこともありますが、この病気をきちんと直視してがんばって一生懸命生きていこうと思いました。ドライブはやっぱサザンですね
2011.08.10
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4日茨城の患者仲間Yさん宅を訪問しました。僕のアイス好きをご存じで奥様がピノを準備されていました。同病の患者同士で家族も入って話がはずみ、本音の話ができました。Yさんは僕のブログで元気づけられたと言われましたが、話しているうちに僕のほうがパワーをもらっていることがわかりました。やはりこの病気は仲間が必要だと強く認識させられました。再会を約束して帰路につきました。5日無事京都に到着しました。でもNAVIが少しお馬鹿さんなのと、渋滞で12時間かかりました。天気も時々雨に降られ風を切ることが出来ませんでした。(京都に着いてからの楽しみにとっときます)ホテルはウエスティン都ホテル京都で4泊5日の日程です。京都は学生時代に1回と10数年以上前に会社の慰安旅行で行って、久しぶりです。今回の目的はドライブ、観光、仲間に会う、幹細胞移植情報の収集です。6日は、銀閣寺と清水寺に出かけました。炎天下の中2時間くらい歩きましたので最後のほうはフラフラでした。特に銀閣寺は初めてだったので、上り坂がこんなにあるとはつゆ知らず、てすりにつかまりながら、なんとかコースを回り切りました。汗びっしょりになって、喉も乾いたし、何か水分を欲しくて、出口でかき氷をみつけて食べましたが、すごくおいしくて生き返りました。写真中央の少し上に写っているのが銀閣寺です おいしそうでしょ2か所目の清水寺は仁王門のとこで階段がいっぱい見えたので、大丈夫かなと思いましたがせっかく来たんだからと思い、チャレンジすることにしました。上半身と首がフニャフニャで大変でしたが、何とか回ることが出来ました。出口でかき氷をめっけて、また生き返ることが出来ました。仁王門です。階段がいっぱいあります 清水寺の舞台を奥の院から撮りましたいちごミルクおいしそうでしょでも、2か所とも、境内にはいる前に両側に商店街があるのですが、上り坂なんです、以前行ったときには気にも留めなかったのですが、僕には結構きつかったです。明日以降の報告はまた。
2011.08.06
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退院してから、千葉県ALS患者会のホームページ作成の勉強のために部屋にこもっていました。心強い協力者が現れたので手伝ってもらいながら作成したいと思います。もう少し待ってくださいね。今日久しぶりに吉野病院に行ってきました。吉野病院の正面玄関です。 リハビリ室です。吉野病院に診てもらうようになって約1年になりますが、毎週土曜日で、車で約1時間30分かかります。診察、ラジカットの点滴、言語と身体のリハビリを受けていますが、先生の顔をみるとなぜかホッとします、癒し系ですが、言いにくいこともはっきり言う先生です、患者の気持ちを理解しようとしているところが好きですし、信頼しています。あと、看護師さんやリハビリのスタッフ全員が先生と同じように患者の気持ちをわかってくれています。頭が下がります。(いつもありがとう・・しゃべれませんのでブログで言います)ラジカット点滴後は体が少し楽になる感じがします。月に1回肺活量検査と血液検査があり、今日は肺活量40%でした、この次に血ガス検査をやることになりました。最近強制笑・泣きがひどくなってきました。TVの少しの感動シーンで泣き崩れています。スイッチが入ったら大変です。身体のリハビリはつらい首を主に呼吸筋、手、足をやっています、終了後は首が少し楽になりますし、リハビリをはじめてからこむら返りがなくなりました。言語のリハビリは全く話せなくなって100%筆談になったので、舌の動きの練習や機能チェックが主です。このところ人と会うのが多いので声が出る器具を相談していたのですが、会話補助装置がいくつかあったのですが、iPadとボイスエイドの組み合わせが一番使いやすいようです。 いい情報があればおしえてくださいね。でも1年前、半年前、3か月前からみれば進行しています、確実に進行する病気なんですね、上半身はフニャフニャになるし、手もボタンがある服は自力では着れなくなりました、唾液がこぼれるし、食べていない時でも舌や頬をよく噛んで出血するし、口周辺はすごく進行しました。(はぁ)でも病気には飲み込まれませんよ、動ける範囲で頑張るつもりです。来週から活動再開です。ドライブと観光が目的ですが患者仲間にも会ってきます。木 茨城方面までドライブです金~月 京都方面までドライブです風を切って突っ走ってきます。(本当に気持ちいいんですよー)失恋したときに聴きました
2011.07.30
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今日退院しました。みなさんから励ましの言葉をいただきありがとうございました。おかげさまで、無事に手術も終わり、楽しい入院生活を送ることができました。今回の入院で人の優しさが身に染みました。ひとつには前回の入院は県外だったこともあり、見舞客はなかったんですが、今回は地元だということもあり、入れ代わり立ち代わり、上司、部下、取引先がたくさん見舞いに来てくれました僕の病気については、不治の病と知られたくなかったのでALSということを会社に報告したのは遅くて今年になってからでした。3月にドイツに行く時と4月に休職する時に総出で見送ってくれ、カンパまでいただきました。休職期間をじっくり療養して元気になって戻ってくるように懇願されました。会社は辞めていくものには冷たいということを、僕は体験していましたので、このような恩情のある対応をしてくれるとは思ってもいませんでした。僕は病気の関係で強制笑と強制泣の症状が出るのですが、見舞客をエレベーターまで送る度に、別れ際にこらえきれずに顔をクシャクシャにして泣いてしまいました。現代医学では決して治らない病気とみんな知っているのにその優しさが・・・・・ふたつめは看護師さんの対応でした、手術後の痛みが続いたものですから、病室に来て痛みはどうですかと聞いてくるのですが僕が「少し痛みがとれた」というと看護師さんが「本当、よかったー」と自分のことのように喜んでくれるんです。ちょっとしたことですが随分癒されました。みっつめはブログの患者仲間です。辛い痛みで苦しんでいるときに、ブログのコメントやメールの仲間の声が支えになりました。今回の入院で新しい仲間も増えました。みなさん ありがとうございました 、僕は一生懸命生きていくことで皆さんの優しさにこたえたいと思います。今回のブログを書いている間中、涙が止まりませんでした。退院後は介護事業者との打ち合わせ、HPの作成、患者さんとの交流、ほかの難病患者代表者との会議などスケジュールは一杯です。気合を入れてガンバルゾーそうだ湘南にも行かないと本当にありがとうございました湘南サウンドです
2011.07.17
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ヤッホー 胃ろう手術後6日経過して待望のアイスです。豪華じゃないけど僕には宝石が6個並んでいるようにみえます。手術終了間際はとても痛くて、術後も痛みで身動きできず、栄養と抗生剤の点滴にずっとつながれっぱなしでした。今日になって点滴も外れ、痛みも少なくなり、おかゆ、とろみ入り味噌汁などキザミ食ですが口から食べられるようになりました。手術前はまずくてあれほど文句を言ったのに、口から食べられるだけで満足感いっぱいでした。6日ぶりに洗髪もできて頭だけですがすっきりしました。当たり前のことなんですけど僕はとっても幸せな気持ちになりました。検査では肺活量は40%を下回っていましたが、口周辺の筋肉が衰えて息がもれているため、もう少しはあるだろうとのことでした、嚥下は最悪で飲み物はとろみ剤が必須となりました。胃ろう手術が可能との判断でした。呼吸機能も、嚥下機能も3月に検査入院した時と比べて確実に低下しています、パックからストローで飲むのも厳しくなりました。いつまで食べられるかわかりませんが、一日一日をを充実して過ごしたいと思います退院したらやることがたくさんあります。夏だから海岸沿いをドライブもしたいし、県内、関東、中部、関西の患者仲間にも会いたいし、体がふたつホシイヨー 頑張るぞと力む僕でした。僕の病室は10Fなんですがドクターヘリのポートが下に見えます、1日数回患者さんを救急搬送してきます。なんとか助かってほしいとお祈りしました。ヘリポートに進入してくるドクターヘリ ヘリポートで患者さんを降ろしていますサザンのデビュー曲です。退院したら湘南いくぞー
2011.07.12
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入院して約1週間たちました。前の入院では個室を奮発したけど今回は節約して6人部屋です。僕がいるフロアーは内科と神経内科の病棟であり、部屋の他の患者さんは内科の患者さんで手術後の終日点滴で夜に警報音がよく鳴りそのたびに起こされます。30日に胃ろうの手術予定だったんですけど、検査がたくさんあって、検査結果をみて手術可能かどうか判断することになりました。呼吸機能と飲み込み確認と胃と腸の位置関係できまりそうです。いろいろ検査をやりましたが肺活量はとうとう40%を切りました、SPO2も92~93%と低いです。入院してから手や上半身の動きが悪くなりました、握力は両手とも6kgでかなりやせ細ってきました。飲み込みも悪くなりました、はじめてとろみをつけた食事を食べましたが、はっきりいってまずい。リルテックは水では飲めないのでプリンに埋め込んでゴックン。体重も減り続けています。なんとかしないと-。朝食 おかゆ、みそ汁(ゼリー状)あとは忘れました昼食 おかゆ、シューマイを細かく切ったもの、あんかけのようなもの体重減は自宅で食べてたアイスや氷菓子を食べない影響もあるのでしょう。それにしても部屋が暑くて我慢できない、看護師さんに言っても,暑いわね-の一言、たまらずに扇風機を買ってきた、これでなんとかしのげそうだ、この10cm程度の扇風機が僕を守ってくれている(ナデナデ)この病院は電気製品の持ち込みは禁止になっていて、パソコンは僕が話せないため、何とか頼み込んで了解をもらった、扇風機はコソット使っている。体力測定の結果、足の筋力は普通の人と同じくらいあるそうだ、半年前位から5分間程度しか歩けなかったが、長時間歩けるようになった。移植の効果が出たのだろうか。今日、アイスを食べていいとの許可をもらった、よーし食べるぞ-買いに行こうっと(体重増加作戦開始・・人呼んでモリモリ作戦開始)PS暑くて、首はぐらぐらで体調悪しだけど、主治医の先生が好印象で若くてイケメンなんです、そして担当看護師も可愛い方なんです。世の中悪いことばっかりじゃないということかも。キャンディ―ズのスーちゃんがメインで歌っている曲ですスーちゃんのご冥福をお祈りいたします。
2011.07.03
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昨日ALS協会千葉県支部の総会に出席しましたので報告します。平成22年度会計報告、役員選出、23年度活動計画が承認されて総会終了後、国立病院機構 宮城病院の今井尚志先生による講演が行われました。講演の要旨は患者が、自分の介護について主体的にマネジメントしていくことが重要であり、そのことが自立していくことにつながるということでありました。今井先生は千葉のH国立病院から宮城に転勤されたのですが、患者の信頼は厚く、ALSでは伝説的な名医という評判を聞き僕は優しくて癒し系の先生かなと思っていました、ところが今日初めて今井先生の話を聞いて、「患者の自立を育む支援を確立する」ためには患者自身が、果たすべき責任と役割を明快に話されるのを聞いて、思い違いをしていたことに気づきました。正直驚きました。講演会終了後、交流会が始まりました。講演された今井先生のほかに吉野病院の吉野先生と都立神経病院の前院長の林先生が駆けつけてくれました。交流会吉野先生が挨拶をされています患者さんや家族の方が自己紹介を兼ねて発病の経緯や病状などについて話がありました。僕は前から事務局と打ち合わせをしてきた県内の患者会のホームページを作ることを報告し協力をお願いしました。交流会終了後に、協力するから頑張ってくださいとの話が患者さんや事務局の方がたくさん来られ激励を受けました。ホームページ作成は素人なので不安だったのですが、皆さんから声をかけられてすごくうれしかったです。がんばって作るぞ-。ブログ仲間のみなさんも応援よろしくお願いします。キャンディ-ズで一番好きな曲です
2011.06.27
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父の日のプレゼントです。毎年もらっているけど,この病気を受け入れた今年は特別です。ウレシイナ僕は目が悪く、外ではコンタクトレンズ、家ではメガネで、眼鏡ふきは必需品です。最近は指の動きが悪く、コンタクトの脱着が厳しくなってきました。なぜか子供のころを思い出しました、小学2年生の時、こずかいをためて母の日にプレゼントをしました。ゆで卵を細い線で4等分にする器具だった。その母は今も健在だけど僕のことはわからなくなっています。わからなくてよかったと思うこともあります。
2011.06.20
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昨日、市役所に身体障害者手帳の申請に行ってきました。大学病院で診断書・意見書を書いてもらったのですが、音声・言語は全くしゃべれないので3級に相当するのかなと思っていたら、相手が言っていることを理解できる場合は4級相当になるといわれました。上肢は6級相当とのことでした。僕としては、四肢の力はまだ残っていますが、指はあまり動かないし、体幹もフニャフニャしているのでそんなものなのかなと少々不満ですが、転院して間もないこともあり今回は仕方ないかなと思います。手帳は申請後1か月半から2か月かかるそうです。病気の初発は平成21年12月に宴会のカラオケで歌っていたら、みんなから今日はなぜそんなに下手なんだと言われたことでした。自分でも何かおかしいなー。声が出にくい感じがありました。(病気になる前は歌が上手だったんですよ)診察を受けていた大学病院で、あなたは足がダメになる前に、呼吸器が必要になる可能性があると言われました。呼吸機能の低下が他の部分の進行に比べて早かったのでしょう。口から始まった人は呼吸機能がだめになるのが早いと言われたことがありますがそのとおりなんですね。この病気は行き着くところは同じでも、症状の現れ方や進行具合に個人差が大きいことを改めて思い知らされます。むせることが多くなったし1日数回呼吸困難になりゼーゼー、頭は前方に下がるし、食事のときは左手の肘をついて額を支えながらでないと首がもちません。普通の食事はほとんどだめになるし、口の中は舌の動きが悪いせいか噛んで傷だらけ。両手は筋肉がなくなってがい骨のようになりました。やはり確実に進行する病気なんですね。出来なくなったことを悔やんでもしょうがないから、元気を出してがんばろ―っと
2011.06.17
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先週の金曜日、地元の保健所主催で確定診断されて3年以内の患者・家族の集いがあり、参加しました。患者・家族9名、保健所の方、市役所の方、ケアマネージャーさんなどで合計15名でした。ALS協会の副会長で千葉県支部の事務局長でもある川上さんが講師でこの病気のことやALS協会、千葉県支部の活動などについて講演されました。講演終了後に5組の患者さんが各自自己紹介をしました。確定診断後間もない患者さんが2名自己紹介をされましたが、奥さんが泣きながら話をされ、ご主人の病気を受け止めることが出来ないとの発言に、部屋が静まり返りました。もう一人は初老の女性で主治医から胃ろうの手術を勧められたが受けるのが怖いとのことであった。参加者から励ます発言などありました。講師からこの病気になったらやがてくる呼吸器装着の判断や長期療養可能な施設が関東地区に埼玉、東京、千葉で5施設あるとの説明がありました。この中には呼吸器装着は条件ではない施設もあるそうです。Y病院は現在市川市でTハウスという難病マンションを運営していますが、来年2か所目として30床の難病マンション建設(高齢者向け)に向けて取り組んでいるとの説明がありました。自分が発病間もないころにネットで調べたり、医師からALSの可能性があるといわれた頃を振り返ると、たまらない不安の中で絶望のどん底にいたのを思い出しました。夜寝るとき、このまま目が覚めなかったら楽だろうなとも思ったりもしました。ネットで調べているうちに患者仲間のブログに出合い、元気をもらいました。ブログに出合ってなければどうなっていたかわかりません。病気の正しい情報や、仲間の頑張っている姿は発病間もない患者さんには特に力になると思います。また、介護保険等の複雑な制度の中で情報を集めて、有利に交渉して動くことは大事だと思います。千葉県内の患者さんは400名いらっしゃるそうですが、調査によると自立支援法の制度を知らない患者さんが4割もいたとのことです。患者同士が病気や制度の情報を共有すること、また交流はすごく大事なことだと思います。患者仲間が自分のためになる情報を共有できるように事務局の方に要望しているところです。このような機会を作ってくださった市原保健所のみなさん、講師の川上さん、ありがとうございました。先週の診察の結果、今月28日から入院して胃ろうの手術を受けることになりました、僕はこれまで健康で大きな病気をしたことがありません、手術を受けるのは生まれて初めてです(少し不安)
2011.06.12
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朝起きたら無性に出かけたくなって、今日は次女の誕生日なんですが、友だちと予定があるみたいなので、妻と二人でアクアライン経由して鎌倉・湘南方面にドライブしてきました。最初の勤務地が横浜だったこともあり、夏は湘南、冬は八方尾根にスキーによく行っていました、それから、福岡、東京と転勤になったため20年ぶりになります。海ほたるです。妻です。鎌倉の鶴岡八幡宮です、本宮までの階段がきつそうなので、手前の舞殿でワンショット出口に人力車の兄さんがいて、1時間コースで山アジサイを見に行くことにしました。軽妙なしゃべりで楽しかったです。荏柄天神は太宰府天満宮、北野天満宮とともに菅原道真を祭神とする日本三大天神のひとつといわれています。右側の大きな木が樹齢900年の大銀杏です鎌倉宮山アジサイの名所です疲れたので妻の運転で湘南の海岸線をドライブ久しぶりの外出は気持ちヨカッタナー。来週も天気よかったら海方面に出かけようかなー。目標を立てました。冬、一瞬でもいいからスキーでゲレンデに立ちます。結婚前に妻とデートしたのもこの方面で、大好きな曲ですそうそう、移植してから2か月たちました。今のところ改善の兆しはみられません。2~3か月で効果が出るのにな-、もう少し待ってみようかな―スキー以外にやりたいこともありますし、先のことはわかりませんが明るく、楽しく、充実して暮らすことをモットーにがんばりまーす。
2011.06.06
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今年の3月に政府(内閣府)により示された障害基本法改正案は、障害者などが中心となって「障害者制度改革推進会議」(以下、推進会議)で議論を重ねて昨年末にとりまとめた内容を踏まえて作成されましたが、取りまとめた内容とは大きな違いがみられました。この改正案は国会に提出され、これから審議が始まります。障害者などが中心となった代表障害者制度改革推進会議でまとめた内容と、改正案の違いの主な部分を説明します。障害者などが中心となった推進会議でまとめた内容1.障害者に対する権利の保障を明記する障害があるから保護をするというのではなく、障害者も健常者と同じく生まれながらに人間らしく生きるための権利(基本的人権のすべて)を持っているという考え方に転換し、権利を明確に位置づけることで、今後の障害者施策の基本とすべきです。このことを「保護の客体から権利の主体へ」と言っています。2.地域社会における共生社会の実現すべての障害者が国民から分け隔てられることなく、社会の一員として受け入れ、合理的配慮や必要な支援を通じて,障害の有無に関わらず地域社会で共に自立した生活を営むことが確保された共生社会を実現することが目指すべき社会であることを明記し、そのための国や地方公共団体の責務が明らかにすべきです。例えば障害を持っている子供が障害のない人と共に生活し、共に学ぶ教育として、すべての子どもは地域の小・中学校の、通常の学級に在籍することを原則とする。本人や保護者が望む場合や、適切な環境が必要な場合には、特別支援学校や、通常の学校の特別支援学級に在籍することができるようにします。3.差別の禁止イ.合理的配慮を行わないことは差別であると明記します。例えば職場で、言葉が不自由な障害者に対して手話や文字盤等の非音声言語の介助者をつけないと差別に当たると明確に規定することです。ロ.障害のある女性に対する施策の推進障害のある女性は女性であることで更に複合的な困難を抱えていることに十分配慮し、早急に障害のある女性に対する独自の施策を推進する必要があります。、改正案の内容1.第1条の改正の目的があいまいで障害者の権利が明確になっていない。2.第3条の地域社会の共生で可能な限りという文言が入っている。3.第4条の合理的配慮がないと差別に当たるとは規定していない。4.障害を持っている女性に対する条文が作られず、第10条に性別という文言を入れるにとどまった。まとめ政府側と推進会議側の基本的な争点は障害者の権利を保障するかどうかであった。結果的には政府案が閣議決定され国会に提出されたわけであり、これからは政党や国会議員に対する要請活動等のロビー活動が主とならざるを得ません。改正案は障害者の権利を保障するということを法律に書きたくないと思われます。その理由としては担当者の説明によれば、国や地方公共団体、国民にどのような義務が生じるかを精査しないで権利規定を書けない、また、そのことによってどのくらいの財源が必要になるかわからないためとのことです。また、障害者差別となっている社会的障壁を除くために、合理的配慮をしないことは差別にあたるということについては、合理的配慮の定義を含めて差別禁止部会で協議してくれとの姿勢です。推進会議側は国連の権利条約を批准していくためには、障害者基本法が引っ張っていく べきで、最初に障害者の権利を明確に決めて、必要な財政面、関連法律を定めるべきとの積極的な意見でした。わかりにくくてゴメンナサイ。読んでいただきありがとうございました。今回で終わります。障害者基本法案の抜粋(目的)第一条 この法律は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有する個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。(地域社会における共生等)第三条 第一条に規定する社会の実現は、全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを前提としつつ、次に掲げる事項を旨として図られなければならない。一 全て障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されること。二 全て障害者は、可能な限り、どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと。三 全て障害者は、可能な限り、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保されるとともに、情報の取得又は利用のための手段についての選択の機会の拡大が図られること。(差別の禁止)第四条 何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。2 社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによって前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない。(施策の基本方針)第十条 障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策は、障害者の性別、年齢、障害の状態及び生活の実態に応じて、かつ、有機的連携の下に総合的に、策定され、及び実施されなければならない。
2011.05.31
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障害者福祉制度が大きく変わろうとしている背景として、今回はふたつめをお話しします。それは平成18年度にできた自立支援法に対して障害者の方たちが裁判を起こしたのですが、裁判を起こした理由は障害者の方が受けるサービスに応じて個人負担をする(応益負担)等の内容に抗議し、各地で裁判をおこして争いましたが、平成22年1月に政府と和解し合意文書を交わしました。、応益負担の実施により、障害が重い障害者ほどサービスを受けると自己負担を1割支払わなければなりません。このため一部の障害者は「憲法25条で保証された生存権の侵害」として、全国の地方裁判所に集団訴訟を起こしました。もし自己負担が支払えなくなると、結果として市町村に生活保護の申請をしなければならないという「障害者の自立」という法の趣旨から外れる事態になってしまうのです。今回は原告団と政府の合意内容を主にお話をしていきます。合意内容1.障害者自立支援法の廃止の確約と新法(障害者総合福祉法)の制定国は応益負担を廃止し、遅くとも平成25年8月までに総合的な福祉の新法(障害者総合福祉法)を作ることになった。2.障害者自立支援法制定の総括と反省・国は、障害者自立支援法を障害者の実態や意見を踏まえることなく、制度を実施し、原告や障害者やその家族に大きな迷惑をかけたことに、国は反省の意を表明する。・今後の新たな障害者制度全般の改革のため、障害者を中心とした障害者制度改革推進本部を速やかに設置し、国は、今後推進本部において、上記の反省に立ち、原告団・弁護団提出の本日付要望書を考慮の上、障害者の参画の下に十分な議論を行う。 3.新法(障害者総合福祉法)制定に当たっての論点原告団・弁護団からは、利用者負担のあり方等に関して、以下の指摘がされました。イ.支援費制度の時点,及び現在の障害者自立支援法の軽減措置が講じられた時点の負担額を上回らないこと。<これまでの障害者福祉政策は、支援費制度や措置制度、その他各種補助制度のもとで運営・実施されてきて、収入によって負担額が決まっていました、これを応能負担と呼びますが自立支援法によりサービスに応じた負担(応益負担)に変わりましたが障害者等の反対運動により利用者負担の軽減措置がとられています、この支援制度の時点、軽減措置がとられている現在より負担が増えないことを意味しています>ロ.市町村民税非課税世帯には利用者負担をさせないこと。ハ.収入認定は、配偶者を含む家族の収入を除外し、障害児者本人だけで認定すること。ニ.介護保険優先原則を廃止し、障害の特性を配慮した選択制等の導入をはかること。<現在、介護保険と障害者のサービスが重複してるものがありますが介護保険が優先されますので1割の自己負担が発生します>ホ.実費負担については、厚生労働省実施の「障害者自立支援法の施行前後における利用者の負担等に係る実態調査結果について」の結果を踏まえ、早急に見直すこと。ヘ.どんなに重い障害を持っていても障害者が安心して暮らせる支給量を保障し、個々の支援の必要性に即した決定がなされるように、支給決定の過程に障害者が参画する協議の場を設置するなど、その意向が十分に反映される制度とすること。そのために国庫負担基準制度、障害程度区分制度の廃止を含めた抜本的な検討を行うこと。<重度訪問介護などのサービス費用の財源は国が50%、都道府県と市が25%ずることになっている。しかし国や都道府県が負担するのは、国が決めた「国庫負担基準額」の範囲内である、つまり市町村が決めたサービス量の費用が国庫負担基準額を超えると超過分は市町村の持ち出しになる。このことが市町村の財力などによって、地域格差を生み出し、大きな問題となっています>国は、「障がい者制度改革推進会議」や「部会」における新たな福祉制度の構築に当たっては、上記に示した本訴訟における原告らから指摘された障害者自立支援法の問題点を踏まえ、次の事項について、権利条約の批准に向けた障害者の権利に関する議論を含めて、しっかりした対応を行う。 ・利用者負担のあり方・支給決定のあり方 ・報酬支払い方式・制度の谷間のない「障害」の範囲 ・権利条約批准の実現のための国内法整備と同権利条約批准・障害関係予算の国際水準に見合う額への増額4.利用者負担における当面の措置国は、障害者自立支援法廃止までの間、応益負担制度の速やかな廃止のため、平成22年4月から、低所得(市町村民税非課税)の障害者及び障害児の保護者につき、障害者自立支援法及び児童福祉法による障害福祉サービス及び補装具に係る利用者負担を無料とする措置を講じる。
2011.05.24
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障害者福祉制度が大きく変わろうとしている背景のひとつに、2006年に国連で障害者権利条約が採択されました。日本政府も2007年にこの条約に「署名」しました。この「署名」は日本政府が条約の内容を承認し、尊重し、将来的に批准(条約を守り、国内法を改定・制定して実行するということです)するという意志表示です。もうひとつは平成18年度にできた自立支援法に対して、障害者団体が障害者の方が受けるサービスに応じて個人負担をする(応益負担)等の内容に抗議し、裁判をおこして政府と和解し合意文書を交わし、廃止して新たな法律として障害者総合福祉法を作ることになりました。障害者の立場としては、障害者権利条約の内容と、政府との合意文書にそって、障害者に関するすべての法制度の基本となる障害者基本法の内容が抜本的に改正されるように求めていくことが重要です。そのためには当事者である私たちが、障害者権利条約や合意文書の内容を理解することが大事です。そこで今回は障害者権利条約の内容を説明していきます。本条約は前文と第1条から50条で構成されますが、重要なポイントとしましては1.障害者団体等の当事者の努力によって作られました。1987年に障害者差別撤廃が世界で初めて提案されてから、2002年から議論が始まり世界中の障害者と障害団体等の声が実を結びました。2.この条約の意義としては単なるスローガンから、法的拘束力を持つことになりました。国連は1970年代から各種の人権宣言を発したり、「国際障害者年」などの世界的キャペーンを展開してきましたが、これらは法的拘束力を欠き、実効性の面で問題を抱えていました。このような中で本条約は法的拘束力を持つという形をとることで、障害に対する国家や社会の対応を、慈善やモラルといった対応から、国家や社会が侵してはならない最低限のルールといった人権規範に変えたところに大きな意義があります。3.これまでの障害を持っているから保護するという考えから、障害者が社会に参加できるように合理的配慮を行うことで権利を守るという考え方に変わりました。この合理的配慮ということは、障害者が障害のない人と実際に平等な機会を保障されるためのものです。具体例で説明しましょう。例えば、仕事面で本条約では障害者であることを理由に雇用しないという差別を禁止しています。障害者が障害のない人と一緒に仕事をできるように環境を整備するために段差をなくす、手話をつかう、介助者をつけるなどの合理的配慮を義務付けています。例えば、利用面で車椅子を使うAさんは、今、話題のパフォーマンスショーを見たくてチケットの予約をしようとしました。ところが、車椅子は一番最前列の席で、ここが車椅子の専用席ですと言われました。明らかに、他の客とはちがってみる場所を選ぶことが出来なくなっています、 権利条約はこのような扱いを禁止しています。この場合も車椅子を利用する客に対してよく見える場所の席を用意する必要があります。例えば、施設面で2階~4階建のビルでは、エレベーターがない建物はたくさんあります。足が不自由だと困りますが、これは、障害者の足が不自由であることが原因ではなく、エレベーターがないことに原因があり、社会の問題として捉えるわけです。これらの物理的な環境面だけでなく、教育や労働や住宅などあらゆる社会制度に及びます。でも、現実は障害者の労働は「権利」として認められていませんし、事業主の合理的配慮義務が法的には定められていません。障害者雇用は事業主の経済的負担であるという認識が現実ですそういう意味では、障害者権利条約の目指しているものは、現状からすれば、画期的な大改革につながるものですし、議論の行方を見守っていき、必要な時は団結して、行動を起こさなければなりません。次回は障害者福祉制度が変わる背景として、もうひとつの障害者自立支援法の廃止について報告します。
2011.05.22
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ご存じかと思いますが、障害者の福祉制度が大きく変わろうとしています。僕のこれからの闘病生活に大きく関係してきます。勉強のつもりでまとめてみましたので、次の7項目に沿って報告します。まずは障害者基本法とか世界とか大きい話から始めますが段々と僕たち患者にとってどういう意味を持つのかにつなげていければいいなと思います。今回はこれからブログで書く大まかな項目を記載します。 次回以降詳しく報告します。(僕は福祉関係や法律の専門家でもありません。おかしいところがあれば教えてくださいね)1.障害者福祉制度を見直していく背景障害者福祉制度を見直していく背景は大きくはふたつあります。ひとつは平成18年国際的な障害者権利条約に日本は賛成しました。そこで国際的にみて福祉政策は遅れていると言われている日本の国内法の改正等の整備を進める必要がでてきました。(批准手続き)もうひとつは平成18年度にできた自立支援法に対して、障害者団体が受けるサービスに応じて個人負担をする(応益負担)等の内容に抗議し、裁判をおこして政府と和解し、廃止して新たな法律として障害者総合福祉法を作ることになりました。2.見直しするための体制障害者制度改革推進本部を2010年12月に内閣に設置し、障害者制度推進会議を開催していきます。この会議は障害者団体等を中心に構成されています。綜合的な福祉法制の検討を行う綜合福祉部会のメンバーにALS患者として東京の橋本さくら会理事長が選ばれています。3.見直しや制定の対象となる法律・障害者基本法の見直し (理念を主とする法律)・障害者総合福祉法の制定(自立支援法に代わる補助金給付のための法律)・障害者差別禁止法の制定 (世界をみると40か国以上にに差別禁止法がありますが、今まで日本にはありませんでした、障害者基本法は国や地方公共団体を対象にした規定であり地域における障害者への差別をなくすためには障害者の権利を守るための法律が別に必要です)4.自立支援法について自立支援法は重度訪問介護の根拠となっている法律のため、新たに作られる障害者総合福祉法の内容は僕たち患者にとっては極めて重要になります。5.現在までの検討内容4月22日障害者基本法改正案が閣議決定され、衆議院に送付されました。障害者総合福祉法については第1期作業チームが法の理念・目的、障害の範囲と選択と決定。支援体系第2期作業チームが地域移行、地域生活資源整備、利用者負担、報酬体系等について検討を行い、本年8月までに骨格提案を行います。 6.スケジュール障害者総合福祉法は平成23年8月に新法の骨格案提出、24年はじめに国会提出、25年8月までに施行することになっています。7.一連の改革はALS患者にどんな影響を与えるのか詳細は厚生労働省のHPに掲載されています。 http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/ 古いですが、好きな曲です
2011.05.17
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今日、Y大学病院で診察を受けてきた。初発のときからT大学病院で診察を受けてきたが、病名がほぼ確定した1月以降はT大学病院側から、提携しているA病院で胃ろうや呼吸器の準備をするよう勧められたが、A病院の先生の印象がよくなかったこと等から、患者仲間に協力してもらいながら、良い病院を探していたのだが、先月初めてY大学病院に行って、よさそうなので本日2回目の診察となった。この病院はすごく田舎にあるので、途中道に迷ったため着いたのは予約時間を過ぎていた、病院が雨にけむって中世のお化け屋敷のようにボヤーッとしてみえた。(なにか暗くていやーな予感がした)僕は全く話せないので、先生に話したいことは、メモに書いてわたすようにしている。最近症状が進んだのは呼吸機能、左手と首であることや、必要な証明書をお願いする内容を書いた。主治医の先生があっさりと、この病気は進行するので仕方がないでしょうとのこと、嚥下障害がひどいので、なるべく早く胃ろうの手術をしましょうと言われた。僕が幹細胞移植したことは知っているのに一切触れないのだ、僕がしぶっているのを察知したのかどうか、あなたは呼吸機能が低下しているし、呼吸が安定していないと胃ろうの手術はできないので早く検討するように言われた。僕としては移植の効果を見極めたうえで決めたいのだ。もうひとつは、会社に提出する診断書、身体障害者の申請、生命保険の高度障害のための診断書だ。身体障害者の申請はもっと早く申請する予定だったが、メインの病院が決まらなくて遅くなってしまった。高度障害は神経内科ではなく耳鼻科の診察を受けて、言語の高度障害で何とか通りそうな印象だった。移植の効果を楽しみに待っていたのに、今日は現実の厳しさを考えさせられた。高度障害というのは死亡相当であり、不治の病にかかっていることを再認識させられ、余命宣告を突き付けられたような気持ちになった。と同時に不思議な感覚があった。近い将来、症状が進んで呼吸器をつけて、寝たきりになっている自分が、開き直って頑張って前向きに生きているのが一瞬みえたのだ。本当に不思議な感覚だった。結果は神のみぞ知る。どういう結果になっても楽しく、充実して生き抜けるような気がした日だった。
2011.05.12
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移植から3週間経過しました。病状について報告します。先週、肺活量の検査を行いましたが40%ちょっとでした(やばい数値です)。2月は60%3月は50%ありましたので確実に進行しているようです。ほかは、帰国後とほとんど変わりありません、気のせいかもしれませんが両手に力が入り、少し食べやすくなったような感じがあります(握力は右15kg、左20kgです)。体重はドイツ行で5kg痩せましたが、帰国後努めて食べるようにしていますので、2kg位増えました。移植報告の中で移植を受けた患者のうちで効果があったのは約50%と説明しましたが、この数値はあくまで腰椎穿刺(腰椎から脊髄に注入する方法)による方法であり、私が受けたカテーテルによる首の動脈に注入する方法は効果としては腰椎穿刺より劣ると思います。本年になってからの変更ですからタイミング悪かったです・・・・ガッカリいま、最も気になっていることが首の筋力低下です、2か月前くらいからの症状ですが、 歩くときや姿勢を変えるときに首が安定しないためかなり辛いです、下を向くともとに戻すのが辛いです。このため、パソコンによる仕事ができないため会社を休んでいます。効果が出る日を移植から2か月後の6月5日を目安にしていますが、この日は二番目の娘の誕生日なんです。誕生祝いと併せて改善祝いをやりたいものです。 デュッセルドルフで有名な市庁舎前広場の「ヤン・ヴェレム騎馬像」です
2011.04.25
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移植日が4月5日なので効果が出るといわれている2ヶ月後の6月5日に向けて効果が出た場合、出なかった場合、どちらになっても対応できるように、残っている時間の生き方、仕事のこと、やりたかったことをやることなど、気持ちと現実面の準備を始めるつもりです。効果が現れるかどうかの確立は実績からすれば1/2なのでそう低くはないと思いますが、神のみぞ知るという心境です。神が必要と思えば助けるだろうし、そうでなければ見捨てるだろうし(私自身は無宗教ですが、こういうときは神頼みになるものなんですね) 明るい未来さんから質問のあった、歩ける距離については、家の近所をあるいてみたのですが約2kmを30分歩けました。ドイツでは一時間弱歩けたのですが、買物をしたりして休んでいる面もあったからだと思います。でもドイツ行きの前は5分くらいしか歩けませんでしたので、静脈を拡げた効果かどうかわかりませんが歩けるようになっています。体調が変われば報告しますが、私のブログは更新頻度が少なくなりますのでご容赦ください。
2011.04.17
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1.ドクターへの質問わからないことをドクターに質問した、回答は次のとおり質問 資料によると約50%が改善しているが、改善の程度はどうか回答 車椅子の患者が歩けるようになった、しゃべれない患者が話せるようになった、食事ができない患者ができるようになったこと等顕著な改善がみられた。質問 この病気は進行性のため、改善したにしても、また進行するのではないか回答 確かに進行するため、完治は望めず繰り返し移植する必要がある、3回移植を受けている患者もいる。質問 改善した患者の共通点はあるのか?回答 どちらかというと、初期の患者さんが効果的のようだが、あくまで個人差があり、よくわからない。質問 初期の患者に効果的だとすれば、その理由は幹細胞の修復能力と神経の損傷との兼ね合いによるものなのか。回答 よくわからない、あくまで個人差だと思う。質問 人口呼吸器の患者の実績を教えてほしい。回答 現在進行形の患者がいるが、ここに来るまでのリスクが大きい。(これについては、飛行機会社との交渉になる)質問 腰椎穿刺がなぜストップしているのか回答 ドイツ保健省がリスクと効果を検証しているので、その間は中止するしかない2.費用(1ユーロは約125円で計算)コーディネート費用約40万、治療適合審査費用約10万、最初に支払った移植費用約126万、追加費用約50万、旅費と宿泊費 約77万、その他約20万 合計すると 約320万かかった。航空機はビジネスクラス、ホテルも普通食がだめなため、融通がきくように五つ星クラスだった。 病気を口実にかなりリッチな旅行だった。Xcell社とコーディネーター会社のHPにも費用等が記載されているので関心のある方はご覧くださいhttp://www.xcell-center.jp/http://medical-tour.jp/service/service01_coordinatet.html3.私の状況移植終了後に血液をサラサラにするため注射と錠剤を呑むように処方されて、自分で注射し、錠剤を服用している、そのためかどうかわからないが内出血しやすくなっているようです。体の数か所で内出血しています。症状が広がるようであれば病院に行きます(少し不安です)手首の下が痛々しいです。今日、吉野先生に報告しました。吉野先生は効果が出るといいねといってくれました。今後、私の体調について報告していきますが、現在の状態を報告します。最近体調が悪く、この3日間会社を休みました。手 特に右手の動きがわるく、車のエンジンキーを回せません。左手も弱り両手でもペットボトルのふたを開けることができなくなりました。好きな運転ができるのも時間の問題と思っています。足 のどの静脈を拡げた効果があったのか、ドイツでは1時間近く歩くことができました。近所を歩いてみて確認して報告します。体幹 意識しないとまっすぐ歩けません。特に首と腹筋の力が入らず、姿勢を変えるときによくころぶようになりました。意識しないと頭をうなだれて歩くようになります。口 ほとんどしゃべれません、もっぱら筆談です。時々唾液がこぼれるようになりました。食事も食べられるものが少なくなってきました。口の入り口でかむため、よく唇やほほの内側を噛み、出血します。呼吸機能 肺活量は50%です。今回で幹細胞治療報告は終わりますが、何か質問等あればわかる範囲で精一杯お答えしますのでブログでもメールでも連絡ください。最後に患者仲間、病院関係、コーディネーター会社(株 メディカルツアー・インターナショナル)にお礼申し上げます。
2011.04.15
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4月5日 移植当日1.通訳のkさんありがとう.ドイツは私一人で行ったのですが、私が行動するときはkさんというドイツでドイツ語講師をやりながら通訳業務で頑張っている日本人女性がずっと一緒でした。ドクターとの打ち合わせはもちろんのこと、私が治療を受けている時は近くにいてくれた。ドクターや看護師の処置をこと細かく日本語で通訳してくれた。なにをされるかわからないことはすごく不安なので、とても心強かった。ライン川をバックにkさんとのツーショットをとりました。kさん、買物や観光にも付き合っていただき大変お世話になりました。ありがとうございました。2.剃毛と死の覚悟 最初に手の甲に点滴用の太い針を刺された、すごく痛い。その後、剃毛してベッドに寝かされ、移動して手術室に入った。今まで大きな病気をしたことがありませんので剃毛は初めての経験でした。 入ってすぐドクターから移植を効果的に行う方法を実施したいが、了解するかという話があった。内容は先日の喉の狭くなっている静脈をカテーテルバルーンで広げるというものであり、追加費用として約50万かかるとのことであった。私としては少しでも可能性のあることであればということで了解した。血管が破れる危険性もあると言われたが、もとより覚悟のうえだったので、手術用ベッド上で何があっても責任は問わないという同意書にサインをした。3.移植はとにかく痛かった 手術がはじまり、太ももの付け根のほうから、針をさし、カテーテルが挿入され、喉が拡がる感覚は耳がやぶれそうですごくいやな感じだった。それよりも、太ももの付け根でぐりぐりするのが痛かった。ふんばってこらえた。バルーンで拡げた後に、幹細胞をカテーテルにより太ももの付け根から刺し首の動脈に注入した。(顔を動かしたらだめといわれていたのでみることができなかった)腰椎穿刺(腰椎から脊髄に注入する方法)に比べて、脳に行く幹細胞が少ないので、少しでも多くの幹細胞を脳に届かせるため、太ももから首の動脈までカテーテルを通し、注入した。喉の静脈を拡げたのも、少しでも脳に幹細胞を届かせるためだ。 その後も腰の採取部分とカテーテル挿入した太ももが痛くて眠れなかった。今日現在も腰の採取部分はまだ痛みが残っています。4.安静中 終了後、1リットルもあるような大きいボトル3本も点滴をしながら4時間安静にしていた。この点滴の中にマンニトールという物質で脳関門を一時的に開くために使用されるそうです。私が休んでいる時に、次々と4~5歳位の4名の子供が運ばれてきました。脳性まひを治療するため全身麻酔で移植を受けたようで、麻酔専門医が必要なため、この日に集中して移植したそうです。5.トラブル発生 ここでトラブルが発生しました。50万円の持ち合わせがなかったので日本から送金すると言ったが、旅行者なので振り込んだという証拠を提出するまで私のパスポートをあずけることになった。この解決にkさん、国内のコーディネーター会社、家族が連携をとって、解決してくれた。6.のどの静脈を拡げた効果 移植後、買い物をしてライン河を歩きましたが、今までだと10分も歩けば、力がはいらなくなって、休まないとだめでしたが、1時間弱歩いてもなんともなかった。パスポートを取り返しに行ったとき、移植したドクターにこのことを報告したら、静脈を広げることで脳への血流がよくなったためだと言われた。(ホントカナ・・・)でも、帰国して国内のコーディネーター会社社長(内科医である)と話した時に、静脈を拡げる方法は学会でも議論されている方法で効果が確認されている方法ではないということで怒っていた(無事に終わってヨカッタナー)夕暮れ時のライン川湖畔です。 続く
2011.04.14
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4月2日~9日ドイツで移植治療を受けてきました。数回に分けて報告します。治療を受けた病院は、ブログのバナー広告でよく出てるXcell社です。ALS,パーキンソン、アルツハイマー、脳性まひなどの治療を行っている公式の認定を受けた施設です。詳しくは同社のHPをご覧ください。1.幹細胞移植について幹細胞の定義 国際幹細胞学会によれば次の二つの性質によって定義されます。 ・未分化な状態で自己複製ができること ・皮膚。筋肉、血液といった特有の働きをする特定の機能をもった細胞へ変化することができる。幹細胞移植の改善実績とリスク 幹細胞には主なものに、京都大学を中心に研究が進められているIPS細胞、胚性幹細胞(ES細胞)成体幹細胞がありますが、Xcell社は生体幹細胞の移植を行っています。幹細胞については研究段階であり、その作用はよくわかっていません。顕著な改善がみられる患者もいますが、全く効果がみられない患者もいます。 ALSの移植治療を受けた患者に対して改善した患者の割合は約50%だとの説明を受けました。改善の程度は車椅子の患者が歩けるようになった、話せないのが、話せるようになった。食事をできなかったのが、できるようになったなどがあるそうです。一方リスクとしてがん化の心配がありますが、今までがん化した患者はいないと、採取した幹細胞はすぐ体内にもどすためリスクはないとの説明をうけました。※国際幹細胞学会によると、移植された幹細胞は何年も体内に残る可能性があるためその副作用や長期的な安全性については確認されていないとの説明がされています。2.移植の手順・骨髄の採取腰の骨から約200mlの骨髄を採取します。私の場合は1時間もかかり、麻酔をしましたがすごく痛かったです。今も採取部分は痛みがあります。 ・骨髄の分離、分析、濃縮幹細胞だけを分離し、幹細胞の活力の検査をし、合格したら患者へ投与されることになります。・移植 移植の方法は、静脈への点滴か動脈カテーテルによる内頸動脈(首にある動脈で脳への血流を担う)への注入かを選択します。(効果的な腰椎からの脊髄への注入は、現在ドイツ保健省の指 導により中止となっています。中止の理由は効果とリスクの検証中のため見合わせているとのことです、これは大きな問題だと思います) 私は、動脈からのカテーテルによる注入が脳に届く幹細胞が多くなる可能性があるため、動脈からの 注入を選択しました。 ※途中でMRI,CT、筋力検査がありました。画像検査でのどの静脈がせまくなっていることがわかり、数人のドクターで打ち合わせすることになるといわれました。 Xcell社の外観 ドイツ滞在中になぜかこの曲ばかり聴いていました 次回に続く
2011.04.13
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幹細胞移植を受けに4月2日~10日でドイツに行ってきます。幹細胞移植については否定的な意見が多くありますが、昨年の12月に受けたいと思い情報収集を始めました。その時は呼吸器をつける意思はなかったので一か八かという気持ちもあったのですが、少しでも可能性があるのであればチャレンジしてみたいと思いました。情報を集めるうちにリスクもあるけど、症状が改善する可能性もあるとの判断からきめました。調べた範囲ではドイツとアルメニア共和国で移植をやっていましたが、ドイツの場合、ドイツ保健省が認可しているとのことで、ドイツに決めました。でもドイツでも医療事故等の問題があり、迷いましたがリスクも受け入れるとの覚悟を決めました。主治医の先生に相談したんですが、あくまで自己責任だからねと言われました。病院はデユッセルドルフにあり、周辺はライン川をはじめ有名な観光地がある都市のようです。私は学生時代にドイツ語を勉強しましたので、会話の腕試しをしようと思いましたが、ほとんどしゃべれないため、あきらめました。(トホホ、残念)でもせっかくの機会ですから楽しんできたいと思っています。行ってきます。帰国したら詳細を報告します。
2011.04.01
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