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すっかりリラックスできたので、そろそろアマルフィを後にします。こんな船です。(後方の船です。)出航しますよ。アマルフィの栄えた時代は、なんと千年前。そして、イスラム文化をある程度受け入れていたため、大聖堂にもそんな影響が感じられます。エキゾチックな町の景色よ、さよふなら~!! はい、船出しました。アマルフィの海ですが、青緑です。カプリ周辺の藍のような青とは一味違う青さなのですよ。ちなみにこの国旗の白の中の4つの紋章が、ジェノバ、ヴェネツィア、アマルフィ、ピサの4つの海洋王国を表しているそうなのですよ。突然ですが、水は泡立てると白いですね。イグアスの大瀑布も、真っ白でしたが。そうこうするうちに、船はポジターノ港に入っていきます。なんという美しい断崖に貼りついた家々でしょうか? こんなに美しい港町を見たことがありません。まるで絵葉書です。とても去りがたかったポジターノでした。つづく
2006.07.19
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あいかわらず7月18日です。ランチも食べちゃったし、さて、これからどうしよう。アマルフィ海岸は世界遺産になっていますが、それはアマルフィの町のあたりに限ったことではなく、周辺の海岸線を含めて、風光明媚であるということで指定されています。このため、船でアマルフィ海岸を回るのもまた良し。とガイドブックに書いてあります。バスの帰りの切符は持っていますが、実は、バスの片道は1.8ユーロ。使わなくてもまあいいやと思える金額です。さっきの拷問のようなバス旅行を思い出すと、たしかに海沿いの船に乗るのも良い選択肢だと思えてきます。でも、帰りの船便はあるのだろうか?町のインフォメーションセンターはランチタイムは見事にクローズしております。直接、埠頭の切符売り場で聞きますと、15時30分にナポリ行きの海上バスが出るという。しかも、ポジターノやソレントに立ち寄るということで、ちょうどバスで通らなかった海岸線を見ることができます。しかも、片道たったの10ユーロですって。カプリ行きの水中翼船よりも断然安いではないですか!! 迷わず1枚買いました。さて、問題は、これから2時間あまり、何をして過ごそうか、ということです。近隣の町にバスで行くには、微妙に足りない時間です。私は考えました。今まで、この数日間、親の敵をとるがごとく歩き回り、観光三昧をしてきた。ここらで少し、無駄に休んでもいいじゃないか。ということです。そう、私は、珍しく、カフェでぼんやり時をすごそうという気になってきました。問題は、長時間いても楽しいカフェがあるかしら、ということです。たとえば、大聖堂前の広場にもカフェはあるが、2時間いて楽しいだろうか? 否、海が見える場所でなければならない。しかし、かんかん照りのひなたではいけない。長時間いても居心地のいい場所でなければならない。そんな場所が果たしてあるのだろうか?あるんですね、これが・・・。というか、私が偶然見つけました。日本の喫茶店のようなメニューがあり、すいていて長時間いることができ、日陰だが海が見え、とてもくつろげるカフェが。特別に、ご紹介しましょう。Mar di Cobaltoというカフェです。アマルフィのバス停前広場から、海を正面に見て左側に歩き、100メートルも行かないところ。階段を降りて入るようになっています。メニューも喫茶店ぽいでしょ。道路のところに目印もあります。ちょうど海水浴場の上に、張り出したベランダのような作りになっています。景色も美しいですね。左側の景色。右側の景色。正面の景色。中生ビール4ユーロです。飲んじゃいました。心に浮かぶ和歌を書き留めたりしながら、ぼんやりと時間をつぶしました。実は、贅沢な時間の使い方でしたね。和歌はまたの機会にご紹介したいと思います。
2006.07.19
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このままではどんどん日付と日記がずれてしまう・・・。まずい。でもいつか一致するまで書き続けましょう。まだ7月18日です。お昼ごはん食べなくちゃ。海沿いのレストランにしました。まずは、海辺でビールを飲みましょう。美味しそうでしょ。すぐ外では、おじさんが素手に糸を持って釣りをしています。えさは、パンを丸めたようなもの。しかもどんどん釣れています。海も透きとおっていますよね。さて、何を食べるか悩んだのですが、昨夜貝を食べすぎたので、ボンゴレを食べる気になれなかった。そして、トマト好きの私としては、トマト味のパスタが食べたかった。でもこれは、というメニューがなかったため、そこでついつい選んでしまいました、ニョッキ。なんとなく、冬っぽい料理です・・・。味は悪くないのですが、まぶしい日射しの下で食べるにはちょっとそぐわないかも。ちょっとやっっちゃった感がありました。ま、こういうこともあるさ、と。周りは、非常にぎんぎんぎらぎらの夏なんです。つづく。
2006.07.19
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アマルフィは観光地です。山に向けて観光客向けの商店街が延びています。でもどんどん上ると洗濯物が干してあったりします。イタリアらしいカラフルなアパートですね。あんまり上ると単なる住宅街になっちゃうので、引き返します。大聖堂に行きました。中庭が瞑想に適しています。とても南国らしい大聖堂の中庭です。アマルフィは海洋王国として栄え、その財力はすごかったらしいです。たとえばこの豪華な天井に当時の面影があります。でも、そろそろ外へ出て、また海を見に行きましょう。
2006.07.18
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それではアマルフィの町を歩いてみましょう。まず、バス停で降りて目についたのが、鳥さんの群れ。反転しますと、町があります。さらに町の奥に入るには、この門をくぐります。美しい大聖堂があります。反転しますと、広場があります。さて、私は今どちらの方角を向いているでしょう?というのは冗談で、続きはまた明日で~す。
2006.07.18
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とっとと更新しないと7月の日記が書けなくなってしまうことに気がつきました。そこで、7月18日はいきなり最初の目的地の風景から。サレルノです。サレルノは、ナポリからESスター(イタリアの新幹線のようなもの)で約40分。2等車で、9.5ユーロでした。ナポリ中央駅は混んでいましたが、自動券売機ですばやく切符を購入することができました。これから、写真に見えているオレンジ色のSITA社のバスに乗って、世界遺産であるアマルフィ海岸へと向かいます。サレルノ~アマルフィのバスは、名高い絶景バス路線です。SITA社のバス切符は、駅の売店で買えます。私は念のため往復を買っておきました。結局、帰りの切符は使わなかったのですが・・・。左手に海をみながらバスは順調に走り出しました。色とりどりのコンテナが綺麗だったので写真とっちゃいました。やがてバスは、ヘアピンカーブを何度も曲がりながら山の頂へと向かっていきます。こんな景色です。道が、やたらと細いんです。このバスの運転手さん、やたらめったらクラクションを鳴らします。やはり陽気なイタリア人だからか? ちゃんと理由がありました。どうやら、ヘアピンカーブのところでは、対向車に下手に突っ込んでこられると危険なので、クラクションを鳴らして俺のバス曲がるど~!! と、自己主張しているらしいのでした。しかし、よくよく注意してみてみると、それだけではありませんでした。どうも知り合いの車とすれ違うたびに、あいさつがわりにクラクションをさんざん鳴らしているのでした。ちとうるさいぞ。バスはえんえんとヘアピンカーブをのぼりつづけます。絶景ですね。絶景なのはいいのですが、さっきから身体を左右に振られるつづけ、だんだん三半規管がやられてきました。ありていに言いますと、気持ちが悪いです。あの、乗客の半数以上が船酔いでグロッキー状態だったという今明かされるイエローラインの真実の中でも、船酔いしなかった私ですが、さすがにこれは胸に迫るものがあります。もう写真もうまく撮れません。しかもバスはとんでもなく高い絶壁のうえを走っており、カーブを曲がりきれなかったら?と思うと、もう生きた心地もしません。そんななか、この状況を記録に残そうと必死で撮影した一枚がこれ。ちょっと心霊写真ちっくになってますがどんなに高いところだったか分かっていただけますか?これ以降、投降寸前だったため、生命活動を控えておりました。サレルノからアマルフィは約1時間のバス旅行でした。バスがアマルフィの駐車場に停車し、私の生命の無事を確認できたときは、本当に心底ほっとしました。つづく
2006.07.18
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なんとですね。1日に投稿できる記事の数は、5件なのだそうです。それで、7月17日の話がまだ終わっていないのに5件すでに書いてしまったので、便宜的に7月18日のところに書いておきます。ポンペイから帰ってきまして、その足でナポリ考古学博物館に行きました。素敵な大広間があります。この人、とっても重そうです。ほかにもいろいろ彫刻を見ました。その後、諸般の事情で歩いて帰りました。教会にも立ち寄りました。もう晩御飯の時間ですよ。海辺のレストランに入ってみました。わたくし、実はスパゲッティが大好き。今日は、プリモに前々から狙っていたシンプルなトマトのスパゲティ、ポモドーロをいただきました。ウマイ!!!さらにセコンドに、zuppa di cozze なるものを頼んでみました。するとやってきたのがこれ。山盛りのムール貝のスープじゃあないですか。すごーく美味しい。美味しいんだけど、量が多すぎました・・・。もう当分、貝はいいやっていう気持ちになっちゃった。ようやく食べ終わったらあたりはもう真っ暗。夜の港が美しいです。今日も長い1日が終わりました。
2006.07.18
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引き止める 人を打ち捨て帰り来る ブログ更新したいがために
2006.07.18
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本日、8月14日は、珍しいことがあったので、旅行とも短歌ともまったく関係ありませんが、書きます。朝、停電がありました。私は、だいたい判でついたような朝の支度をおこないます。つまり、早く行く用事がなければだいたい7時30分に起床し、まずガスコンロでお湯を沸かし、(このとき換気扇をつけます)コーヒーを飲んだ後、シャワーを浴びます。コーヒーを飲んでいる間は、フジテレビを見ています。今日は、シャワーに入って出るまでは、何の問題も無くいつもと同じでした。ところが、湯上りにテレビをつけますと、電源が入りません。おかしいな。さっきまで点いていたのに。家のテレビは十年以上経った旧式のものです。とうとう壊れたのか、買い換えなければ。と思いました。そういえばイエメン戦。間に合うように買い換えなければ。そうすると、急なことだな。ぶつぶつ。つぎに、習慣でパソコンをつけます。問題なく点きました。つぎに、コーヒーをもう一杯飲むため、ガスコンロでお湯を沸かそうとしました。換気扇のボタンは押せますが、羽根が回りません。風が来ません。おかしいな。どうなっているのだ。パソコンを見に行くと、画面は普通に立ち上がっています。ここで私が思ったことは、家の中で部分的に停電しているのか?ということです。馬鹿ですね。でも朝なので、頭が回っておりませんので。メールをチェックしてみます。するとオフラインにしかならない。なんとインターネットエクスプローラーもオフラインにしかならない。おかしいな。なにごとぞ。冷蔵庫を開けてみました。真っ暗です!! え、これは、停電なのか? なぜ、パソコンは立ち上がったのか? そういえば、パソコンは、充電されている電力がある間は、普通に動けるのだ! ということに思い当たりました。 ここにいたって、ようやく私は、家全体が停電していることに気づきました。次なる問題は、私の家だけか、それとも近所もなのか?息を殺して耳を澄ませましたが、よく分かりません。バッテリーか。電気制御の扉を開けて、レバーをONにセットしなおしましたが、何も変わらず。そういえば、さっきONにしたお湯のスイッチも、お風呂の換気スイッチも、なにもかも死んでいます。ええ~!! 私の家だけ? とりあえず、東京電力に電話しようっと。ところが、家電話のディスプレイはすべて消えている。しかたない、携帯か。携帯で電話しましたが、何度かけても、つながりません。どういう状況なんでしょう? 遠くで、消防車が、走っていく音がします。上空ではヘリコプターの音。いったいなにごと?? テレビも点かない。家にはラジオは無い。 これは停電なのか?いつまで続くのか?今日は会社に行くべきなのか?何の情報も無いです。電池で動くラジオくれ。電気の来ていないとき、町は不思議な静寂に包まれます。エアコンのぶーん・・・という唸りすら聞こえない。タイムスリップしたかのように、蝉の声だけが、あたりに響き・・・。そのとき、本当のことですが、蝉の鳴き声が止んだのです。すると、何の音もしない。この暑い気温に、蝉が鳴いていない?このまぶしい日差しに、蝉が鳴いていない? 何の音もしていない? 世界は終わったのか? それともこれは、私の錯覚なのか? 終わっているのは私の方なのか? 音が聞こえていないのは私だけなのか? 一瞬、そのように考えた一瞬、ぞうっ としました。音を探して、家の中を歩き回り、違う方角の窓に、耳を傾けたり・・・しているうちに、やがて蝉が鳴き始め、ヘリコプターが飛び始め、音のある世界が戻ってきました。蝉の声って、普段はうるさいなと思うけど、夏に急に泣き止まれたなら、それこそ怖いのね! という、新しい発見です。さて、そんなことより、これがこのまま続いたら? 冷蔵庫の中のものが駄目になってしまう。 例のワインが温まってしまう。今、家で使える電化製品ときたら、携帯電話とデジタルカメラだけ。それも、充電はコンセントからだけだから、なくなったらどうするのか? ぶつぶつ。そうこうするうちに、ぶうん、という低い唸りがして、家中のあらゆる電気が回復しました。ありがたや。そのとき感じたありがたみって、普段は感じられないものでしたね。わたしたち、電気に依存して、暮らしているんですね。今、これを書いている今、身の回りを見渡しても、すべて電気で動くものばかりです。だけど・・・こういうのってどうなんですかね。なんだか、文明に頼り切ってそれが無いと普通の生活ができないというのは、悲しいじゃあないですか。今日思ったこと。それは、一瞬だけですが、電気の無い生活を経験できた今日、いざというときに、なるべく電気に頼らない生活を目指そうと。それと、電池式のラジオを買っておこうと。それと、セミさん、うるさくていもいいから鳴いていてね。ということを思った朝でした。
2006.07.17
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気を取り直して、続きを書きます。たとえば、この家には、美しい壁画が残っています。ポンペイ地方では昔から壁に絵を描いているんですねえ。さて、町の中には運動場もあります。大きなすり鉢に見える小劇場もあります。大きな大劇場もあります。アリーナもあります。小さいですけどねポンペイはほんとうに1個の町でした。 以上でポンペイ通信を終わります。
2006.07.17
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それではポンペイの続きです。まずこの道路ですが、置いてある石が横断歩道になってます。どの写真も非常に青い空が見えますが、見たとおりかんかん照りです。今年の夏は、ヨーロッパでも多数の死者が出るほどの猛暑です。猛暑なのに南イタリアのポンペイですかい。私も無謀なことをしたものです。み、水がほしい・・・。でも、古代の水道は枯れてます。倒れないように、なるべく日陰を歩くようにしました。またなるべく屋内を観光するように、と。これは秘儀荘ですね。壁画が残っております。なんだか日本家屋ににてますね。さて、ポンペイを真夏に歩くことのつらさですが、まずは日射しが強すぎる。つぎに、石畳が多いので、足への抵抗が強いです。砂地か芝生を歩きたいよう。そして、ポンペイ遺跡はやたらめったら広いです。何しろ普通に町だったのですから。最後に、多少暑かろうが痛かろうが、海さえ見えれば心がなごむのですが、残念ながらポンペイ遺跡からは見えません。そして、同じ景色の廃墟の町並みがえんえんと続きます。下手すると迷子になります。よほどの遺跡好きでなければ、真夏のポンペイでは気が滅入ってしまうかもしれません、ご注意を!!実は、ポンペイ遺跡はいまだ6割くらいしか発掘が終わっていないそうで、いたるところで発掘作業をこの炎天下にやってました!! 頭下がりまする。私は、というと、発掘をするほど遺跡好きではありませんが、せっかく来たポンペイがで灼熱の太陽に焼かれようともとりあえず見たいものは全部見ちゃおう、というくらいには遺跡好きです。たとえばこのような邸宅跡、などなど、ご紹介しようと思っていた矢先ですが、写真の容量が足りないといわれたので、ひとまずここで終わります。もちろん、まだ つづく
2006.07.17
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それでは、ポンペイをご紹介します。まずは、裁判やビジネスに使われたという建物の遺跡。火山灰に一度は埋まったとはいえ、当時の面影を残しております。つぎに、問題のヴェスーヴィオ火山。もともとは、富士山の高さくらいあったということですが、この噴火の際に上部が吹っ飛び、約3分の2の高さ、2600メートル程度になってしまったんだとか。富士山と同様、今は噴火することもなく、美しい姿で人々を楽しませております。ちなみに日本人グループ観光客もけっこう出くわしました。家なのかお店なのか分かりませんが、道に面して少しずつ仕切られています。何のお店なのかは、字の読めない人にもわかるよう、絵で示してあったそうです。ちなみにここは運送屋。一夜で灰に埋まったと言い伝えられていますが、前日には、火山灰だけが噴出し、空の高くを覆い、昼間なのに暗く感じるくらいだったといいます。そこで、逃げられる人は舟に乗って海へ逃れたんだとか。海も近いですからね。でも町が埋まってしまったら帰る家も無いし、命が助かったとはいえ、どんな気持ちだったのか、想像できません・・・。ちなみに、人の形をしていますが、人の形の空洞ができた火山灰のかたまりに、石膏だかなんだか固まるものを流し込んでとったひとがたなんだそうです。でも熱そう。ここにも凱旋門のような門が。居酒屋のカウンターのようなものが。なんだか長くなっちゃいますので、つづく にします。
2006.07.17
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お待たせしました。ようやく7月17日になりました。今日の遠足の目的地は、ポンペイです。約2000年前、べスービオ火山の噴火により、一夜にして灰に埋まってしまったという、ポンペイ。古代のロマンじゃあないですか!!バスに乗って、べスービオ周遊鉄道駅に向かいます。ナポリチェントラーレ駅からも乗れますが、そちらは2個目の駅で、周遊鉄道駅が始発になります。ナポリの車窓から。ここはたまたま横断歩道がありますが、通常は無いことが多く、びゅんびゅん車が走っているところをすり抜けて地元民は道路を渡っていきます。怖いぞ。周遊鉄道の切符代は、けっこう安いらしいのですが、私はカンパーニャアルテカードを買ってあったので、提示しただけで乗れました。バスも周遊鉄道も乗り放題、ポンペイを含むいくつかの観光スポットの入場料が無料になるこのカード。私はガッレリアのところの売店で買いました。周遊鉄道では、意外な発見がありました。駅のプラットフォームの壁に書かれた落書きなんですが、芸術的でしょう。ほら。こんなところにまで芸術的センスが光っているとは、さすがイタリアです。さすがナポリ 2000年の歴史 恐るべし。つづく
2006.07.17
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意外にイエローラインに満足して、帰路につきました。帰りの船では、ちゃんと甲板に陣取りました。それにしても、ものすごい光量のひなたにいるというのに、すごく眠くなっちゃうのはなんででしょうね? 海からのぞむべスービオ火山がすばらしいです。ところで、そういえば今日はランチを食べる暇がありませんでした。そこで、昨日見かけて食べたいものがあったので、思い切っておやつがわりにこれを食べることにしました。道端で焼いてて、美味しそうなので買ってしまいました。とうもろこし1本2ユーロです。同じ屋台ではビールを売っていなかったので、違う売店でビール(ペローニの小)を買いました。ビールは2ユーロしないくらいでした。売店のおばさんがとうもろこしを指差して、どこで買ったの?いくらで買ったの?とたぶん聞いているので、ドゥーエだ!と言いました。高いわねえ。高いですかねえ。などとおしゃべりしました。これもテレパシーですけどね。こんな海を見ながらホテルにいったん帰ります。部屋で少し休んでから、町歩きをしよう・・・と思っていたのですが、あんまりくたくたなので、そのまま19時くらいまでホテルにいてしまいました。残念。そうこうするうちにまたお腹がすいてきます。さて、本日のディナーは!!またまた開店時間にはあいてませんでしたが、しばらく散歩してから入りました。まずスープです。あ、言い訳しますとわたくしイタリア料理のスープが大好き。ズッパといいますが、あれば必ず頼みます。今日はかき卵のスープ。とろける粉チーズがとろけて美味しいのです。ビールはまたしてもペローニです。そして、今日はお約束、ピッツァ・マルゲリータ。トマトの味が濃くて美味しいんです。あっと言う間に1枚たいらげてしまいました。今見てもお腹がすきますね。今日も平和に日が暮れていきました。
2006.07.16
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みたびマリーナグランデにやってきました。チケット売り場のにいちゃんは? おじさんに変わっている。そして、チケット売り場には、その他の変化が。看板が出ている。なになに。本日は、高波のため青の洞窟行きのボートは出ておりません!しかも日本語でも書いてある。 何ですと~!! とうとう今日は舟が出ないと決まったとは!! 私はその場にへたり込みそうになりました。青の洞窟。夢にまで見た青の洞窟よ。私のナポリ滞在予定は4泊5日。他のところに行くのをやめれば、明日もあさっても、青の洞窟を見ようとトライすることはできる。しかし、天気はどうなるか分からないし、波の具合もどうなるか分からない。ナポリからカプリまで、片道14ユーロもかかる。こんなことならいっそはじめからカプリに泊まるべきだったか? いやいや、もっと情報を集めて、青の洞窟に行ける確度の高い日時を選ぶべきだったか? それにしても、いったい、いつ来れば青の洞窟を見られるのでしょうか? 誰か教えてください!! 日本に帰ってきてから聞いた話では、観光船が出ないのであれば、水着に着替えて舟をチャーターし、泳いで見に行けばいいそうである。そんなこと思いつかないもん、このときは。 とにかくも、もしどうしても心残りであれば、明日の朝早起きして、またカプリ島に来るという方法があるではないか。そこまでして青の洞窟にこだわるのかどうか、自分の胸に手をあてて一晩よく考えるべきである...。今は、今これからどうするのか、決めなければ。 選択肢は、1 泣きながらナポリに帰る 2 島の内部の観光に徹し、ロープウェイなどで山頂に上る 3 島を一周するイエローラインの舟で我慢する の3つから選べますが、私はほとんど迷わず3を選びました。なぜなら、カプリの海は非常に美しく、ぜひ海上をボートで巡ってみたいと思ったからです。 結果的に、イエローラインもけっこう楽しく、また、いろんな種類の海の青色を堪能することができました。結果からいうと、青の洞窟以外のカプリの海を楽しめたこと、他の観光地をあきらめて青の洞窟観光に絞ることができないほど、他の観光地も魅力的だったこと、などから、今回の旅行では青の洞窟はあきらめました。今後、来れる機会があればぜひもう一度、青の洞窟観光にトライしてみたい。これは私の今後の目標で大切にとっておくことになりました。 さて、気を取り直し、イエローラインの紹介をしたいと思います。 出航します。観光スポットでは観光船がたくさん行き交います。奇岩が並んでいますがここも有名らしいです。なんて素敵な海の色。いろんな洞窟があります。奇岩の穴の下を2回通ってくれました。いろんな洞窟に入ってみます。いろんな青色に出会いました。以上、イエローラインでした。
2006.07.16
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マリーナグランデという名の海岸に引き返してきました。チケット売り場には同じにいちゃんが座っています。 「舟は、出るようになりましたか?」にいちゃんは首を振る。「舟、出ない。波、高い。後で、来い。」何ですと!! まだ舟がやってないとは。今日はもしかして、青の洞窟には行けないのだろうか?「後っていうのは。いつなのですか? 波はおさまる可能性はあるのですか?」にいちゃんは、首を振る。「今、分からない。後になれば分かる。後で来い。ランチタイムごろ。」 はあ~ため息。今11時なのでランチタイムまではまだまだ時間があります。1時間も歩いたのでまた足が痛くなってきました。そう、新しいサンダルに履き替えたとはいえ、私の足の痛~い魚の目、靴擦れ、ひび割れは完治しておりません。絆創膏がべたべた貼ってあるし、血もにじんでいる。あんまり歩くわけにはいかないのです。 そこで、私はバスに乗って町まで行くことにしました。バスはなかなか来ませんでしたが、バス停からは美しい景色が見えます。 バスが来たので乗り込みました。冷房も無く、小さいバスで、満員です。吊り革につかまって立ちました。山の上を越えるバスですから、度重なる急カーブをけっこうなスピードでのぼっていきます。私は重力と遠心力に負けて倒れないようにするのが精一杯。とても写真を撮るどころではありません。が、実は、この、カプリの山の上から海を臨む光景、この世のものとは思えない美しい光景でした!まさに天空のバルコニーから急角度で見下ろす海。眼下いっぱいに広がる深い青。この写真を撮りたい...!! 残念ながらこの希望はかなえられず終わりました。替わりに、低い標高から緩い角度で見た海を載せておきましょう...。 さて、こじんまりした町に到着しました。 海の見えるスポットを探してはみたのですが、けっこう足が痛かったので、あまり探すことができず、見つかりませんでした。近くからロープウェイに上れば、展望台に行けるようです。しかし、それに乗ってしまうと、ランチタイムにマリーナグランデに戻ることはほぼ不可能。そうすると、青の洞窟をあきらめるのか? いえいえそんなことはできません。名残惜しいと思いながらも帰りのバスに乗ることにしました。 でも、相変わらずバスはなかなかやってきません。 カプリ島のバスって分かりにくいんです。まず、行き先はフロントグラスのところに小さい紙が貼ってあるだけ。1個のバス停に、いろんな行き先のバスが停まります。小さい島なのに、カプリ行きとか、ピッコラグランデ行きとか、いろいろややこしいです。マリーナグランデ行きのバスが来ました。私は乗りたい意思を表示しながらバスに手を振って近づきましたが、バスは徐行しただけで停まらない。なんで? なんと、あまりに満員で新しい乗客を乗せられないということらしいのです。そんなぁ。ここでバスに乗れなかったら、ランチタイムに遅れてしまう。そしてもしその時間だけ青の洞窟行きの舟が出ていたら? さらに待つこと数十分。やっとまたマリーナグランデ行きのバスが来ました。そこで、私はナポリ初日に学んだ乗りたいバスには強引にでも乗る、という教訓を生かし、満員のバスに身体を滑り込ませたのでした。ぜえぜえ...。 さあ、果たして私は青の洞窟を見られるのでしょうか?つづく
2006.07.16
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カプリ島は、ナポリから高速船で約50分。船には、屋内の席と甲板の席があり、私は断然甲板席をおすすめします。往路ではそれが分からずに、面白くない船室にいました。隣り合わせたドイツ人と世間話などして時間をつぶしました。本当はドイツへの旅行も考えていたのだけど、ワールドカップがあったから断念したのだ、というと、ホテルなど何もかも値段がつりあがっていたので、それは賢明だと言われました。さて、カプリ島に着いたら、一目散に、青の洞窟行きのチケット売り場へ。しかし、様子が変です。あまり人が並んでいない。おかしい。人気が無いのだろうか?しかも、前方でチケットを買おうとした人々がみな一様に渋い顔で首を傾げながらユーターンしてくる。私の番が来る。青の洞窟行きを1枚くださいというと、チケット売り場のにいちゃんは、波が高くて、今は舟を出してない!というのだ。今はだめ。あとで来い。という。何ですと~!!もっと早く起きるべきだったのか?いやいや、今日という日がよくなかったのか?でも、あとで来いというからには、あとになったら波がおさまって、舟を出せるようになるのかも。そういえば、ナポリを見たら死ぬといっていた先輩、青の洞窟を見るために、波の具合の良い日にあたるために、3日間通いつめた、と言っていたような・・・。仕方ない。少し散歩でもして時間をつぶそう。カプリ島は、海岸にはみやげ物店がたくさんありますが、町というほどのものではありません。みやげ物屋を通り越すと丘の上に向かう一本の道があります。ためしにその坂を上ってみます。高台からは、泣きたくなるほどの青い海が見えます。あんまり眺めが美しいので、また1時間も歩いてしまいました。歩いていて気がついたのですが、カプリの町はもっとずっと高いところにあるようで、バスかタクシーが私をどんどん追い越していきます。本気で町まで向かう人は、どうやらそれに乗っているようです。しまった。町も楽しいのかもしれない。しかし、このまま歩いていてもすぐに町はなさそうだし、いったん海岸のチケット売り場まで戻ろう。もしかしたら、洞窟行きの舟が出ているかもしれないし!!こうして私は海岸へと引き返したのでした。さあ、いったい本日、私は青の洞窟にいけるのでしょうか? つづく
2006.07.16
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7月16日になりました。今日の目的地は、カプリ島、青の洞窟です。ガイドブックによると、青の洞窟は午前中に行けと書いてあります。というわけで、なるべく早く、港に行って、カプリ島行きの船に乗りたいと思っていたのですが、連日の歩き疲れや、初めての土地での緊張感、などなどが重なり、やや寝坊してしまいました!!いったいこの寝坊はどんな風に今日一日に影響してくるのでしょうか・・・。朝食にもまた時間をとられてしまいました。貝型のパイ、スフォリアテッラが美味しくて~♪朝食をやっと終わって、港に着いたのが8時過ぎ。これ、港です。下の方に写っているのが切符売り場です。いろんな会社が、フェリーや高速船を、カプリ、イスキア、ソレントなど各方面へ、出しています。一番分かりやすいカプリ行きの切符売り場に並んでみました。買った切符の船は9時10分発。しかも片道14ユーロ。なんだか高いのですが、これも世界的なオイル価格上昇のせいでしょうか??さて、ベヴェッレロ港には、出発予告の掲示板があって、行き先、会社名、出航時刻、船着場番号、の順に電光掲示板に表示されます。直近10個くらいずつ、表示されます。船着場は、かなり広く、船着場番号は12番くらいまであり、端から端まで歩くと200メートルくらいはあるのでしょうか。けっこう遠いです。ですから、早めにどの船着場から出発するのか、知りたいなあと思っていました。ところが、わたしの買った船の切符に該当する情報が、なかなか表示されません。不安です。そこで、インフォメーションデスクのところにいた若い案内係、男女二人、のうち女の子の方、に聞いてみました。まだ電光掲示板に情報が出ないんですが、どこから船が出るのでしょうね? と。ナポリの女性というのは、親切なんですね。経験的には、8番あたりから出ると思うけど、直前まで定かでなく、時々変わることもあるから、直前になってはっきりしたら教えてあげるから、あなたこのあたりにいてくださいね、と言う。なるほど。ありがとう。そこで、わたしはミネラルウォーターを売店で買ったりしながら、(1.3ユーロくらいですね。他の観光地よりかは安い、)その近辺で時間をつぶしていました。すると、電光掲示板に、わたしの船が船着場8番という表示が出ました。それで8番って出たから、8番のあたりで待つことにする。心配してくれて、ありがとう。と、彼女に言いにいったんですが、いえいえあなた、本当に8番かどうか、確認してあげるから、まあ待ってなさい、と言う。わたしは、電光掲示板が8番って言ってるなら、もうそれを信じるからいいや、と思ったわけです。というのは、彼女もけっして暇ではなく、案内係として、いろんな人が質問をしに来るわけですし、それに答えなければいけないわけです。そうすると、わたし一人の情報を覚えていられるかということ、それと、覚えていても忙しい中でタイムリーに対応できるか、ということ、などに確証が持てるわけでもないので、わたしとしては、後は自己責任でやってみるから、と言う心積もりだったんですが。そうこうするうちに、8番船着場に、船が入港してきました。8番船着場まで行って、船の表示、船着場の直前にある掲示板、のどれを見ても、わたしが切符を買った船会社の船に間違いなく、また行き先もでかでかとカプリと書いてあります。いやはや、この船であることは99%間違いが無い。今度こそ、彼女に、やっと確証が持てたから、もう大丈夫。ありがとうね。と言おう。そう思って、案内デスクに行くと、彼女、いません。あれ、どこへ行ったんだろう?あたりを見回しますと、8番乗り場の方から、歩いてくる彼女の姿を見つけました。なんと、わたしの切符の船が本当に8番乗り場から出るかどうか、自分で歩いて確かめに行ってくれていたのでした。それで、わたしを見つけて、あんたの船、8番から出るわよ!というので、いやいや、もう本当にありがとうね!と私も手厚くお礼を言いました。私が確認してあげるから・・・っていうのは、どういう意味かなと思っていたのですが、自分の足で歩いて、見に行ってくれるという意味だったのですね。そこまでしてくれるはずがないと思っていた自分が恥ずかしくもなりました。ナポリには、日本の都会では見ることの無い無償の親切がありました。私は世界中に宣伝したいです。ナポリの女性は、本当に優しくて面倒見がよく、頼れる存在ですよ、と!!そんなこんなで船に乗り込みました。続きはまた次回。下の写真の、右側の方の規模の船でカプリへ渡りました。
2006.07.16
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アンジュー家の城に夕方までいましたので、お腹がぺこぺこです。なにしろ、機内でこのような早いお昼を食べたきり。ガイドブックを見ると、ナポリのレストランは、開始時間が軒並み19時半か20時。こんなにお腹がすいているのに耐えられません!!メニューとか、値段とか、そんなものはもう関係なく、ただ19時から開いているレストランであるか、という基準で、某1軒を選択。19時にすぐ駆け込んでお店の人を驚かせてもよくないので、必死に我慢してようやく19時10分ごろに店にたどりつく。「ボナセーラ!!」挨拶は完璧です。わたしをテーブルに案内して、早く晩御飯を食べさせてちょうだい!!でも、出てきたおじさんは渋い顔。イタリア語で、まだ準備中だから少し後で来い、みたいなことを言う。そして、「セッテ!セッテ!」と、言う。セッテとは、イタリア語で7のこと。もしかして、7分待てということなのか。おかしいな。ガイドブックでは19時からなのに。しかたなく、近所のスーパーマーケットで買い物をして7分時間をつぶす。おかげで、買い物ができてよかったのだけれど。レジのおばさんが、あんたの腕時計かわいいね、なんて話しかけてくる。イタリア語全然わからないんです。すみません。でもほめられたようなので良しとする。7分後、わたしが「どうだ7分経っただろう!!」という顔で同じお店に行くと、ちゃんとテーブルに通してくれる。やっぱり7分っていう意味だったのかな。と、そのときは、思ったのですが、その後、ナポリのレストランにガイドブックどおりの開店時間に行ってみたところ、開いていたためしがありません。開店時間が19時と書いてあれば、まだ開店前だから、と追い返されます。お店の人は20時には開く、と言います。わたしの経験から得た結論としては、ナポリの、サンタルチアのレストランは20時からしかやってません。そこで、わたしのたてた仮説としては、2とおりです。1 ナポリのレストランは、夏時間を採用していない。したがって、夏は19時開店といいながら実際は20時に店をあける。2 ナポリのレストランは、開店時間イコール準備開始時間である。開店時間イコール客が来ていい時間だという考えはここでは通用しない。どうも2のような気がしますが、どなたかご存知だったら教えてください。ちなみに、食べたのはこのようなものです。まず野菜スープ。イタリアの野菜ってほんと美味しいです。大地の味がします。塩加減も絶妙。そして包み焼きのピザです。具はモツァレラ、生ハム、きのこ。最初はフォークとナイフで食べていましたが、途中からかなぐり捨てて、両手で持って食べてみました。なんと、美味しさが1万倍くらい違いますね!!最後に、夜の景色を少し。夕暮れ時の卵城です。7月15日の夜も無事に暮れていきました。
2006.07.15
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13世紀のアンジュー家のお城です。ヌオーヴォ城。 真ん中部分は大理石のため、白いです。白い部分は凱旋門だそうです。 門をくぐりますと、あまりに暑いために犬が何匹も死んだように倒れています。でも帰り道にはいなかったので、きっと生きていたのだろうと思います。でもぴくりとも動きません。これが村上春樹がギリシアで発見したという、世に言う死に犬現象であろうと思われます。地中海周りの気温の高い地帯で発生します。 さて、このお城には地下牢があり、再現したものか当時のものか定かではありませんが、詳細に様子を見ることができます。なぜなら地下牢の上には透明のアクリル板がひいてあり、その上に立つことができ、上から眺められるのです。まるで宙に浮いているようで相当怖いです。しかも、たぶん再現だとは思いますが、地下牢には人骨のようなものが・・・!! キャー怖い~!! 解説によりますと、地下牢に放り込まれた人間は、ワニに噛み砕かれたそうです。なかなか、お化け屋敷感覚で楽しめる地下牢でした。 2階の窓やベランダからは、ベヴェッレロ港を見渡すことができます。何隻もの船が、白い軌跡を海上に残して、地中海に向けて出港していきます。出航の汽笛の音が時折鳴り響きます。港町ナポリに来た気分が満喫できました。 お城の中には現代美術や、ナポリを描いた絵画も飾ってあります。また、中庭も四方から違う表情を楽しめます。 シンプルで美しい礼拝堂もあります。 中庭では猫も倒れています。 以上、予想以上に長時間楽しめるヌオーヴォ城でした。
2006.07.15
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結局、40分ほど大荷物を背負って猛スピードで歩き、ようやくホテルに到着しました。そのときの自分の顔を鏡で見たわけではありませんが、全身汗だくで化粧は剥げ、追いはぎの恐怖に顔はひきつり、必死の形相だったに違いありません。 ホテルのフロントマンがちょっとひいていたくらいです。 それでも部屋に荷物を置き、本当に何時間ぶりかでほっと一息つくことができました...。そして、ナポリの街に出てみて、最初にしたこと・・・靴屋に行った! なにしろ、さっきまでの負荷20キログラムつきの競歩まがいの早歩きといい、前日の3時間半立ちっぱなしのパレード見学とその後の街歩きといい、水曜日のウォークラリー、月曜日のブルージュ街歩き、等など、日本ではそこまで歩かないだろうっていう長い時間、毎日毎日歩いている。スニーカーとヒールありサンダルがわたしの手持ちの履物で、日本では歩きやすい靴なのですが、これほど長時間歩いた結果、どちらをはいても痛い魚の目、靴擦れ、ひび割れができてしまい、満身創痍のわたしの足には当たり所が痛すぎる。もっと、楽な履物を調達しない限り、これ以上歩けません!というくらい靴が合わなくなっていたのです。 とにかく、一番先に目についた靴屋へ行こう。ガッレリアの中にさっそく1軒ありました。ちょうどバーゲン時期で安くなっている。そして、疲れなさそうなヒールなしのサンダルが何点かありました。店番の若い女の子と年長の女の人はおしゃべりに花がさいています。 英語で、このデザインの24センチを試したいというと、無いという。おしゃべりを邪魔されて少々無愛想。じゃあ、こちらのデザインの24センチはありますか? パソコンを叩いて、在庫の状況を見てくれるが、それも無いわね、と無愛想。 ちなみに、お二人、英語をほとんど話しません。したがって、ここでの会話は身振り、手ぶり、英単語、およびテレパシーです。 割とかわいいデザインの2種類はサイズが無いという。残っているのは、あまりかわいくないデザイン。そして、店員は接客に熱心ではない。でも、わたしはひきさがるわけにはいかなかった。なにしろ、これ以上一歩も歩けないくらい足が痛かったんです。私は食い下がりました。じゃあ、このデザインかそのデザインでいいから、24センチが欲しいんです!! 若い女の子が、ようやく、じゃあ待ってろといって、裏の倉庫に探しにいってくれた。数分後、最初に頼んだデザインの24センチを持って戻ってくる。なあんだ、探せばあるじゃないか。やればできるじゃないか。 はいてみると、今のスニーカーの何万倍も楽に感じた。即決でこれを買います、と言いました。 支払いのためカウンターへ。クレジットカードで支払ったので、サインをした。私のサインは漢字だ。すると、二人は、漢字のサインがよほど珍しかったのだろう、好奇心を抑えられないという表情で、わたしを質問ぜめにしはじめたのです。「あんた、どこから来たの?」 わたし「ジャパンよ。」「ジャポネーズだって!!」二人で顔を見合わせ、ものすごい感動の表情。「あんた、名前なに?」 わたし「○○よ。」「日本のどこから来たの?」 わたし「トーキョー」「トーキョーだって。」「聞いたこと、あるわね」「トーキョーは、綺麗?」 わたし「綺麗じゃないわ。ナポリの方が、とっても綺麗」「なぜ?」 わたし「だってビルばかりだもの」 さっきまでの無愛想さはどこへやら。なるほど、これが噂に聞く人なつこいナポリっ子なのね。 ジェスチャーと単語のおしゃべりを終えて、店の外へ。二人は、旧友を見送るかのように、とびきりの笑顔で見送ってくれました。わたしは、ナポリという街を、初日からとても好きになってしまいました。 ガッレリアです。カフェで靴をはきかえました。街のそこかしこから海が見えます。広場からも海が見えます。
2006.07.15
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バスを降りたのはムニチーピオ広場。ああ、ナポリの風が心地いいわ・・・ でも、だからってどうしろって言うの!! わたしは、一刻も早く荷物を降ろさなければいけないのよ。なにしろこの大荷物、追いはぎの格好の標的だわ。 それに、肩から斜めがけしてる貴重品バッグ、ナポリでは後ろからバイクが来てひったくると言う。一刻も早く安全な場所まで行かなければ! でも、いったいどっちへ行ったら・・・? こんな街中で立ち止まっていたら、追いはぎに目をつけられてしまう。ワールドトロッターを気取っているわたしの唯一の追いはぎからの自衛策は、常に歩き続けることだった。追いはぎの目が、あいつを標的にしようと思う前に、その視界から消えること。それが究極の自衛策だ。方角も分からぬまま、わたしは無闇に歩き始めた。後から気がついたことだが、ムニチーピオ広場とサンタルチアは、最短距離をたどれば、それほど遠い場所ではない。15分くらいで歩いていける。しかし、ナポリに初めて降り立ったわたしには、そんなことは分からなかった。わたしは、ただ一つの方角の手がかりー 海だ -を左に見て歩き始めた。海を左に見てぐるっと海岸線を回れば、必ず自分のホテルにたどり着くことができる。 確信できるのは、この見知らぬ街で、ただそれだけ。 徒歩で最大のスピードで歩き始める。それでも、自分が背負ったり引いたりしてる荷物は合計約20キロ。重いなあ。しかも、ナポリの石畳道は、でこぼこしていて、しょっちゅう車輪がひっかかり、停滞する。あせる私の気持ちを波立たせようとしているとみえる。汗のしずくが流れ落ちるのも気にしていられないほど。 歩いているのは、右側の歩道。右車線の車やバイクに次々と追い抜かれる。もしも次にくる車、またはバイクが、引ったくり強盗だったら?私は恐怖で立ちすくむ。早く左の歩道まで渡らなければ。けれども、ナポリの車道には歩行者用の信号など無く、わたりたければ、信号なしの道路を車の鼻先を渡っていく必要があるのだ。地元民のように。 道路を渡りたい。でも、時速70キロで迫ってくる自動車道に、歩行者が飛び出す習慣なんて、日本には無い。なんて恐ろしい街に来てしまったのか。汗が出すぎてもう涙も出ない。 そんなとき、海が見えたんですね。たぶんそのとき私の疲れや恐れは、半分ふっとんだと思う。ナポリの素朴な海。それに会いたくて来たのだから。
2006.07.15
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7月15日、いよいよ一人のバカンス、ナポリへ出発の朝です。フランス国内だったらだいたいのところは行けるようになりましたが、イタリアへ行くのはなんと6年ぶり。そのときは友達と一緒だったしフィレンツェやミラノなど中北部だった。そんな洗練された観光地ですら、そこにはすでに子供の物乞いがおり、乳児を抱いたふりをしているスリ達もいた。イタリア南部は、北部よりもより危険だと言う。うーん、緊張します。 「ナポリを見て死ね」ということわざがあります。「日光を見ずして結構と言うなかれ」と似たような意味です。しかし、実際にナポリを見に行った先輩は、「ナポリを見たら死ぬ」と言っていました。なぜそんな感想をいだいたのか、具体的なエピソードは忘れましたが、とにかく死ぬ思いだったということです。そこで、私も日本を出る前に、ナポリを見たら死ぬかもしれないので、みなさんお世話になりました。と永遠の別れを予感した挨拶を一応してきました。 とはいえ、ナポリで日本人が死んだという話も聞いたことはないし、地球の歩き方には、「ナポリは、うわさほどには汚くも、危険でもない」と書いてあります。また、Bravadoさんからも「普通に気をつけていれば大丈夫です」と言われました。なので、少し緊張を緩めていましたところ・・・ ローマ生まれのイタリア人で仕事仲間のマックスさんに、今度ナポリへ行くのですよ、と言うと、大袈裟に驚かれ、「お前、ジュエリーをつけて歩くなよ」「ハンドバッグは、必ず道路と反対側に持ち、手で押さえておくこと」「スペイン地区の坂道を登ってはいけない」「大変あぶないところだからとにかく気をつけろ」と必要以上に脅され、すっかり萎縮してしまいました。 空港に着いたら、贅沢だけどまずタクシーでホテルまで行っちゃおう!と心に決めた私。 ところが、タクシー乗り場に着いたところ、他にタクシー待ち客も無く、なにやら様子が変です。 おじさんが「タクシーか?」と聞いてきます。 わたし「イエース」 「タクシー無い。ストライキ。」 わたし「なんですってぇ~!!」 「あんた、どこ行きたい?」 わたし「サ、サンタルチアですぅ」 「じゃ、あのバス乗る。ムニピーチオ広場まで行く。歩く。」 わたし「歩くぅ?」 しかたが無いので、バス停まで重いスーツケースをひいていきます。スーツケースのほかに、肩からは財布など貴重品の入ったバッグをさげ、さらにパソコンの入った大きめの別のバッグを持っているため、実は非常に歩きにくいのであった。しかもタクシーに乗れなかった人々でバス停は溢れかえっており、かなり定員オーバー状態。 やがてバスがやってきたのですが、あっという間に乗り口に客が殺到し、わたしは順番待ちのはるか後方。待ってれば乗れるかしら・・・などと考えていると、イタリア語でたぶん「ちょっとごめんなさいねえ!」などといいながら、地元民であろう夫婦が、待っている客の混雑をすり抜けて、あっという間にバスに乗り込んでいきます。 なるほど、さすがイタリア。ここでは、要領のいい方の勝ちなのかも。日本人らしく悠長に待っていてはいつまでもバスに乗れないのね。そう思ったわたしは、次に来たバスには要領よく乗り口の近くに立ち位置を確保。ようやく次のバスに乗ることが出来ました。南イタリアの歩き方を、少し実践したような気がしました。 バスの中です。この写真、あんまり現実を反映できてませんね。見た目以上にひどい混みようでした。
2006.07.15
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オランジュリー美術館は、工事のためしばらく閉鎖されていましたが、このたびのパリ訪問では工事が完了し、やっと入ることができました。 天井から自然光が取り込める作りになってます。 楕円形の部屋で、四方の壁にモネの絵が飾られています。 いくら待ってもその場から動いてくれなかった人。写りたかったのかな? オランジュリーの入り口前にはロダンの接吻があります。 接吻を前から見たところ。解説によると、この男性は女性の情熱に気圧されているそうなのですが、みなさんはどう思いますか?
2006.07.14
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仏軍の 愛国心に 見とれつも 胸に翳射す ひずぼらのこと
2006.07.14
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7月14日は革命記念日です。 ホテルの人が言うには、パレードは9時に始まるが、もちろん早めに行くのがベター。といわれましたので、だいたい8時くらいにシャンゼリゼ通りに並びました。 ところが、待てど暮らせど何も始まりません。 もう帰ろうかと思った矢先・・・ 若い兵士がモデルのように撮影に応じてくれたりします。 やはり今日は晴れ舞台なのでしょうね。 そうこうする矢先・・・ 10時を過ぎてのことです。 シラク大統領が、手を振りながら通り過ぎて行きました。一瞬でした。 続いて、各部隊の行進。この部隊分けが、何によるものか、分かりませんが たいへん揃った行進です、しかも 部隊ごとに制服が異なります。そして、服飾的に見て、おしゃれ!! 218年前も、こういうことだったんじゃないかと、思わせられます。 飛行機が頭上を、編隊飛行で飛んでいきます。 この白い部隊は、山岳作戦用らしく、手にスキー板を持ち、背中にパラシュートを背負っているようです。 以上、いろいろな部隊が、それぞれの軍服に身を包み、誇らしげに次々と行進していくのでした。
2006.07.14
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食べかけのものを見せてしまいすみません。 この仔牛、すご~く美味しかったんです。 普通の牛肉と異なり、ミルクだけを飲んだ仔牛のうちの肉なのだそうです。 おかげで、途中までこの柔らかさは鶏肉だと思って食べていました(汗) こちらは、本日テーブルをご一緒したエレーヌさんと、フィリップさん。パリジェンヌとパリジャンです。 ほんとうは、今日までずっと会議だったのです。もうみんなお疲れ気味。 今、やっと会議が終わりました!フランスは明日から3連休。みなさん少々浮き足立っております。ま、いちばん解放感にひたったのは自分かもしれません。今から、仕事を離れて、夏のバカンスが始まるのだ!!
2006.07.13
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翌日の夕方は、ウォークラリーに参加しました。場所はモンマルトル。 観光客としては、サクレクールを見て終わりにしがちなモンマルトルですが、裏通りはとても綺麗で、そぞろ歩きが楽しい街です。 ただ、ここで歩きすぎたのが足に多大なダメージを与え、後の旅行に影響を及ぼしていくのですが、今はそんなこと分かりません。人生って往々にしてそのようなもの。 夕飯も、モンマルトルで。周りの人が、日本では丸のままの魚なんて出ないんだろ?って言うのですが、それはサシミやスシのイメージが強すぎです。日本のお祝い事は、尾頭付きの鯛だ!と言っておきました。 モンマルトルの夜は、少々怪しい雰囲気なのですが、この行事のおかげで、体験することができました。 いわゆるムーランルージュの外観も、バスの車窓から、見ることが出来ました。
2006.07.12
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パリに行ったことのあるみなさま、この景色って、不思議に感じませんか? いったいどこから撮影できるのだろうか?と。 実はこれは、チュイルリー公園にある観覧車の上から、撮っているのです。 歴史的な建造物に囲まれた中で、賛否両論ある遊園地ではありますが、この観覧車に乗ってみると、とても面白い風景に出会えます。 観覧車は、1回乗ると、5周以上はものすごいスピードで周回してくれます。高所恐怖症の人には、けっこうキツイかも。でも、高いところ好きな人には、たまらない数分間です。しかも、いつもと違うパリの街並に出会えます。 たしか、1回6ユーロくらいで乗れます。みなさまも、ぜひ一度どうぞ。
2006.07.11
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敬虔な人 修行する中庭で 鳥のさえずる声のみを聞く
2006.07.10
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運河見て フラマン語にて 船頭に お礼言ったら 喜んでいた
2006.07.10
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一年の 日数分の階段を のぼりのぼって 鐘の音を聞く
2006.07.10
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翌日は、パリから日帰りで行けるバスツアーでブルージュへ行きました。 ブルージュは、パリからバスで4時間弱でいけるベルギーの古都で、街中に運河が巡り、北のベネツィアとも呼ばれています。中世には貿易都市として繁栄しましたが、北海へ通じる運河が泥の蓄積により使えなくなったため、貿易都市としての機能を失ったそうです。ただしそのおかげで、中世の町並みがそのままに残っており、今は観光地として大変有名です。日本で言えば九州の柳川のような風情があります。 街で見かける人の種類は、観光客か、観光客でなければガイドや馬車の御者や、商店やレストランの人など、観光産業に従事しているたちのみ。観光産業以外に生活の雰囲気がまるでしないと感じました。当然、怪しげなスリや物乞いなどまったくおらず、街中で財布をあけていても全然平気です。ある意味、知らない街に来たというスリルさえ感じません。しかし、景色は大変に大変に美しく、一見の価値ありです。運河です。 左側の高い塔がブルージュの鐘で有名な鐘楼です。ベルギービールです。フランボワーズのビールが、とっても美味しかった。 ストリートパフォーマーも、他の街と一味違って個性的です。最後に、366段の階段を上って鐘楼の上まで行きました。素晴らしい景色でした。
2006.07.10
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イタリアの 狂喜乱舞の若者を 大目に見ている パリっ子の粋
2006.07.09
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やっと日本に戻ってきました。 コメントをくださった皆様、ありがとうございます。 今回の旅行で2000枚も写真を撮ってしまったので、和歌の他に、少々旅行記を書いて見ようと思います。 7月9日の夕刻、CDG空港に到着して、タクシーで市内に向かいました。運転手さんが流しているラジオからは、興奮気味のサポーターたちの応援の声、叫び、怒鳴り声。フランス語なのでさっぱり意味は分かりませんが、イタリアをやっつけろ、といっているように聞こえます。そう、この日はワールドカップの決勝戦の日だったのです。 自分も決勝戦を見たいので、20時前にホテルにチェックインした後は、食事もせずにテレビにかじりつき。どちらの選手も、プレーもすばらしいのですが、ファウルを受けた後の大げさな痛がりようも超一流、演技派俳優です。これも作戦のうちなのでしょうね。フランス語の解説なので、選手の名前以外、これまた何を言っているのかはさっぱり分かりません。が、ジダンの頭突き事件、その後のマテラッツィの苦しみながら薄目を開けて周囲の様子をうかがっているさま、トレゼゲの痛恨のシュートミス、などなど、見所満載、どちらが勝ってもおかしくない興奮の決勝戦でした。 さて、試合後、食事に出ようとすると、シャンゼリゼ通りの方から、怒号のような騒乱の音が。危険かもしれないと思いつつ、痛恨の準優勝に対するパリっ子の反応を見ようと、街にでてみました。 街には警官が、数人で固まって、数十メートルおきに配備されており、相当厳重な警戒体制でした。 そんなわけで大きな暴力沙汰などはなかったようですが、爆竹があちこちで鳴り響いており、これが銃弾だったら流れ弾に当たって死にそう。道を歩いていた私の目の前に、火を吹く花火が4階あたりの窓から落ちてきたり。発炎筒が焚かれて煙が充満するなど、街は騒乱状態です。 シャンゼリゼ通りも、珍しく歩行者天国になっており、がっくり肩を落として帰る若者、無闇に騒ぐ若者など、さまざまな様相を呈しています。 シャンゼリゼのカフェは全て早めに店じまいしてしまったので、裏通りのカフェへ。車も通行可能な裏通りでは、自動車から身を乗り出して国旗を振りかざしたり、バイクに国旗をつけて疾走する若者の姿が。 しかも、フランス国旗だけでなく、イタリア人がイタリアNO.1!!などと叫びながら国旗をかざして練り歩いています。殺されないよう、気をつけてね!と心配になりました。そんなこんなで、エキサイティングな旅の始まりとなりました。
2006.07.09
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撮影を したり心の充電を するためしばらく 日本を出ます
2006.07.08
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輝ける 海岸線を 探しゆく ひとあし早い 夏休みにて
2006.07.08
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ご心配おかけしました無事すべて片付きました しばしサヨナラ!
2006.07.08
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何にしろ やるだけのことはやったので 後は黙って見守りましょう
2006.07.07
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買い物し クローゼットは埋めたけど ホントは違う何かが欲しい
2006.07.06
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身体なら 確かにここにあるのだが 心はここに無い気がします。
2006.07.06
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しみじみと骨休めしたい気がするがそれは一体いつかなうのか?
2006.07.06
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仕事での気配りするのは飽きてきて 自分の美容に気を配りたい
2006.07.06
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ミサイルが頭上飛び交う 此処にいて 生き延びられるか賭けてみようぜ
2006.07.05
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大好きと 言われた次の朝なぜか 寂しくもある私の恋は
2006.07.05
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彼からの 電話来なくて 一口の 余分なワイン ぐっと飲み干す
2006.07.05
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対岸の あなたに会える河ならば 死など覚悟で渡ってやるのに
2006.07.04
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そういえば 和歌と写真にかまけてて 編み物全然進んでません
2006.07.04
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良いこともあったし悪いこともあった 今日一日は 人生の縮図。
2006.07.04
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ひと雨の 後は涼しくなりぬれば 今宵の風に 身を任せおり
2006.07.03
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