きぇ☆拒食症時代・・後半


辛すぎる。でも。行きたい高校、やりたい夢の実現の為。休まず通った。
でも。何より辛かったのは。友達関係。。。
この高校は白浜や奈良など。他の地方から来ている程で。皆がみんなぉ初の顔ぶればかり・・・。
そんな中で。体力もない。何をするのにも時間がかかる私。
骸骨のような容姿。。。友達関係にも悩んでいた。歩く速度も全然違う。1緒に居ても迷惑をかけるだけ・・・
そんな私のようなコをわざわざ選んで、友達になろうなんて思う人はいないだろう。もし。居たとしてもそれは、同情からでしかない。
友達は必要だと思うし。実際、寂しかった・・・。でも、友達なんて居なくてもその当時の私は夢だけを追いかけて。学校に通い、必死になって勉強するだけで満足でした。『いつか看護婦になる』とゆう夢だけの為に・・・
しかし。必死になればなるほど。食べる事への頑張りが薄れ・・・体重は
減る一方。。。体重を自分で増やす事がすごく難しい・・・
私は夏休みの間を利用して。また入院して体重を増やしてもらうように自ら決め、また同じ病院に入院。入院当時の体重・・・23キロ。
そして。夏休みの間中。IVH(中心静脈栄養法→心臓近くの静脈に直接カテーテルを留置して。特別な高カロリー栄養剤を24時間ずっと点滴注入する方法)で。1日1600カロリーを点滴から入れてもらい。
それと同時に、1日1回。鼻から胃の中まで管を入れ、高カロリーの栄養ドリンク剤400カロリーを注入してもらった。その上。給食も食べれるだけ必死に食べた。そのカイあり。27キロに戻り。夏休みが終わると同時にまた。学校へ通いだした。しかしこんどは家からではなく。学校のある地元の町に母と引越し、そこから通う事になる。家族には本当にとても迷惑をかけたと思う。この案わDrが提案してくれた。家。家族と離れる事で気持ちに変化ができて食べられるようになるかもしれない。しかも。学校の近くに住む事で体も楽になるだろうと・・・。しかし。そうは問屋が卸してはくれない・・・。また体重は減り続け。1ヵ月後には23キロになってしまった。
また入院する事になる・・・。そしてまた同じ治療・・・。
結局。出席日数が足りず留年になってしまったのである。
治療を続け・・・。4月、留年と言う形で。私はまた高校1年生をやり直した。また1年前と同じ。28キロの体で・・・実家から通う。
しかしまあ。。。やる気だけでは、どうにもこうにも・・・。体力がもつはずもなく・・・(´Д`)7月にはまた、21キロで入院となる。
その頃私はもう。限界だった・・・
あぁ。このままじゃ私死んでしまう。第6感が。ひOひOひO~♪
と。働いた・・・。
本当に。後1日でも遅ければ死んでいたかもしれない。
今でもその時感じた恐怖は忘れられない。
そして泣きながら親に頼み込み、入院させてもらう。
病院では。前回と同じ治療。。。それと。行動療法も・・・(何キロになれば病室から出られる。何キロを超えれば面会など。)
夏になっても体重は・・・ドオオ~ン♪とは増えてくれず。
また。出席日数が完全に足りないので。やむなく退学を決意したのである。
ここまで苦労して通ったのに・・・試験にもセツカク受かったのに・・・
愕然とするばかりだった。。。
自業自得。。。でもその当時の私の命は点滴で生かされているような物だ。
そしてまた、入院生活が続いたの。翌年の夏まで・・・・・
しかし。どうも体重は、27キロから増えてくれない・・・
小児科病棟なのに、こんなお姉さんな私が入院しているのもおかしい。
病棟を変わる話がでた。Drはもう。入院期間がこんなにも長いのに体重が
増えないのは仕方ない。1度ためしに外泊をして。体重が減らないようであれば。外来で診て行く事にしようとゆうことになる。
私の人生こんなことの繰り返しじゃいけない・・・
私は。かなりすごく必死に食べた。毎晩夜中に起きて枕元に作って置いた、おにぎりを2つ食べるのを習慣にした。
お試し外泊は成功を納め。28キロではあるが・・・
私は3年間の入院生活から、ようやく脱出することになる・・・。
きぇ☆17歳の夏のことだ。。。

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