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2019.02.12
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カテゴリ: 寺社
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​  2月4日……池上梅園の周りからブラブラの続き…


 ​ 法養寺山門 ……堤方神社と向き合うようにありました。​
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​  法養寺境内 ……​ビニールシートは何かしら?


 山門を入って左……供養墓でしょうか? 新しいそうです。


 やはり山門を入って右にあった堂宇ですが、不明です。残念…
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​  ​法養寺 堂​ ……勿論、日蓮宗のお寺であり本門寺の子院(しいん)=「大きな寺の境内にある偉いお坊さんの住坊。禅宗では塔頭(たっちゅう)と称すみたい」だと思ったのですが……
『天正15年(1587年)頃、神田三河町に開創。慶長年間(1596~1615年)幕命により下谷稲荷町に移転。江戸城西御丸と大奥の祈祷所となり「わら店の法養寺」とよばれた。また、境内に熊野稲荷大明神を祀り、江戸市中の信仰を集めた。
 明治43年(1910年)当地にあった妙教庵と合併し、翌年この地に移った。妙教庵は、もと当地にあった蓮光坊が荒廃したため九代将軍徳川家重に仕えた妙教尼が寛保3年(1743年)に再興した寺である。』……と書かれていました。​



 本堂前からの境内……


​  一心欲見佛 ……立派な石碑です。​どこか他でも見ましたっけ…
 新編法華経439頁に「一心欲見仏(いっしんよっけんぶつ) 不自借身命(ふじしゃくしんみょう)」……「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず」ということだそうです。身命を惜しまずに修行しなさい、ということでしょう。
 ちなみに、貴乃花の横砂昇進時の口上は「不借身命」だったかしら?



​  山門の枝垂れ桜 ……咲いたら本当にきれいでしょう。​


 右に法養寺、左に堤方神社の道を南東に歩きます……すぐそばから落ちて行きそう…


 ​ めぐみ坂 ……やっぱり坂道でした。​坂を上がる左側に「大森めぐみ教会」があるため、そう呼ばれることが多いようです。
 明治中期、徳富蘆花(ろか)の小説「富士」にも出てくる料亭「あけぼ乃楼」が現在のめぐみ教会敷地にあった頃は「あけぼの坂」と呼ばれたみたいです。坂の名前も時代と共に変わってしまうんですね。

​​ ​​

 下っていきます……


 右カーブしながらまだまだ……


 このあたりの右手が教会です。
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めぐみ坂 ……下から見るとこんな感じ……左右にクネクネした坂です。​


 ​ 長勝寺山門 ……​山王方面を目指していたので、めぐみ坂下から北東方面に歩きましたが、この辺りの道はとても変則なのでちょっと難儀しました。太陽の向きが方角を知る一応の頼り……土地勘がないので、電信柱に町名があっても 私には 役に立ちません。


 ​ 長勝寺山門前の石碑 ……


 こちらも枝垂れ桜かしら?


​  ​本​ 堂の扁額​ ……覚應山 長勝寺​……密集した子院からは少し離れますが日蓮宗のお寺です。
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​  堂の鬼瓦​ ……獅子舞みたいです…​


 こちらは、まさに鬼瓦……「大増長天王」と書かれているみたいです。増長天とは、仏教の守護神らしいです。


 事務所でしょうが、この枝垂れ桜咲いたらきれいなことでしょう。今年の開花も早いみたいですが、法養寺ともう一度見に行こうかな?


 ​ 供養塔 ……​不受不施派の巨頭、池上本門寺の15世長遠院日樹(1574~1631年)……幕府の裁許により信州飯田に流された。日樹の三十三回忌に近在の信徒集団によって建てられた供養塔だとのこと。不受不施信仰は根強く存在してたのですね。


​ 長勝寺 堂​ ……​正保3年(1646年)田中長勝が創建したと伝えられるそうです。
 江戸幕府によって弾圧された不受不施派のリーダーの一人・大野法蓮寺(千葉県市川市)18世日完上人によって開眼された「日蓮聖人坐像(非公開)」がおさめられており、大田区文化財と書かれていました。
 供養塔の書き物には、日樹上人を15世と記述してありましたが、坐像の説明の後半では16世となっていたのが気になりました。つまらないことが気になる私です。第4話・永寿院でも16世は日遠聖人と書いたのですが……



​  太田神社 ……長勝寺と同一区画にありました。​


 石段はちょっとありますが、行かないわけにはいきません……


 たやすそうでしたが、上れども上れどもまだまだ……


 やっと境内 見えてきました……あぁ~しんど~


 静かな境内です……


​  手水舎 ……プッシュ型の蛇口…初めてお目にかかりました。撮ったつもりだったのですがありません……[運家]との文字が刻まれていました。古くは「家運八幡宮」とも呼ばれたそうです。
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 ​ お稲荷様 ……境内手前の右手です……​


​  北東方面の景色 ……​


 ​ 狛犬と拝殿 ……​主祭神は誉田別命。近隣の[竃神社(かまど、と読むのかしら?)][稲荷神社][貴船神社]を合祀したそうです。明治のことなのでしょう……


​  一願必中の幟 ……​那須与一公の守本尊を御神体としてお祀りすることから、勝負事をはじめ良縁成就、家運興隆など願えば叶わぬことなしと多くの人々に信仰されているそうです。扇の的を一発で射抜いた那須与一、だから「一願必中」なんですね。
 東京大空襲で社殿や神楽殿は焼失したようですが、御神体は旧別当寺「長勝寺」に安置されていたため免れたそうです。よかったですが、戦争はいけません……

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​  神楽殿 ……​社殿左にありました。手前は神輿がしまってあるのでしょう。 ​​


 太田神社を引き返します。社殿裏からも道はありそうでしが、行き止まりを含めて とにかく歩きにくいのでとりあえず来た道へ……


「石段いやだな~」と思いながらも下りました。


​  東の方角 ……景色は最高でした。​法養寺、長勝寺、太田神社……お邪魔しました。
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​ 『おまけ』​

​ こちらには日樹上人は 「15世」 ……​
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 こちらでは 「16世」 ……​私の目が悪いのか? 見方が違うのか? どうもモヤモヤが抜けないので見ずらいのもあったけれど載せておきます。連れ合いが解読してくれることを期待しましょう。


​  ファンタメロンソーダ ……今日は朝刊が休みだったので暇なモーニングでした。いつもはコーヒーと紅茶なのですが、初めて一口試してみました。たまにはこれぐらいなら良いかもしれません。​
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Last updated  2021.05.11 17:00:47
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