気まぐれの風

気まぐれの風

夏の北海道まるごと



羽田発8:30のJAL507便に乗って、新千歳空港10:00に着いた。
私たちのバスはめずらしい男性のガイド長井さんを初めとして、添乗員佐藤さん、
ドライバー柳田さんでした。
話し方も落ち着いていて安心できる感じ。

色んなことを教えてくれた。

まず、北海道の面積は東北6県に新潟を足した面積より大きいってこと。
すごいなぁ。

まず最初の観光は日高ウエスタンファーム。
日程表には書かれていない。
ここで日程表に書かれていないところに、それも馬油が良いのでとパンフまで配
られ疑心暗鬼になった。
バス旅行で一番重要なのはトイレ休憩。
定期的に休憩しないと大変なことになるらしい。
まして北海道は「トイレに行きたい」と言われても広すぎて、次の休憩できる場
所までが遠いから。
だから旅行社とお土産屋さんとの関係はトイレを貸すからお土産も見てね、と言
うことらしい。。。
まだ北海道に来たばかりなのにお土産なんて買わないよぉーと思っていたけど、
ここで馬油の良さに感動して沢山買ってしまった。
第一号の宅配便。

前回流氷のときは「ハッカ油」に感動して沢山買ったっけ。


次のトイレ休憩は十勝平野。
ここは日程表に記載あり。
ここのお土産屋はさっぱりとしていてホントにトイレだけになった。
ただ、「十勝平野」という記念碑みたいなものがあって、みんなそこで記念写真
を撮った。
牧場独特の匂いがしてきて、すぐ下の林を覗くと馬が何頭もいてちょっとうれし
かった。

その後は足寄を通った。
「足寄」と聞くと「松山千春」を思い出し、ガイドさんもきっと言うだろうと思
ったら、今は「鈴木宗男」だったんだ。
千春よりも有名なんてある意味すごい!
そして、ガイドさんから教えてもらったことは足寄は日本一大きな町らしい。
だけどピンと来ないなぁ。

次に阿寒湖に行った。
ここは流氷の時に泊まったことがある。
お土産屋さんの近くはなんとなく覚えがあったが、その他は全くわからなかった。
一面氷と雪で覆われていた阿寒湖が今はボートが浮かんでいる。
景色が違うと雰囲気も違うよねー。


今日の宿泊は川湯温泉。
ホテルに19時すぎに到着。
ハードな旅行日程。。。(+_+)

近くに大鵬の生家がある。
大鵬は優勝32回、父白系ロシア人とガイドさんが教えてくれた。
生家の前には大きな銅像があった。


8/30 388km

今日はホテルを7:20に出発。
朝食は6:30からなので起床は5:30。
( ̄□ ̄;)!!
5:30?
信じられない。
旅行なのに(>_<)
それに今は(織田)裕二の世界陸上がやっていて絶対に見逃せないからと
昨日も遅くまで見てしまった。
携帯のアラームが鳴ってもすぐに起きれなかったけど身体にムチ打って
やっとの思いで起きた。

今日の最初の観光は摩周湖。
こんなに早い観光なのに既に観光客がいた。
恐るべし・・・( ̄□ ̄;)!!



ここも流氷のときの観光場所だから勝手知ったるところ。
今回もカムイシュ島が綺麗に見えた・・・( ̄‥ ̄)
ガイドさんの話に寄ると摩周湖の透明度は今は世界第一位らしい。
以前はバイカル湖だったらしいが...。



開陽台は標高271mの台地。
ここからの眺望は視界をさえぎるものがなく、晴れた今日は国後島までが見えた。
周りは放牧風景が広がっていて地球がまるいことが実感できる。
そして冬の寒い朝には、四角い太陽を見ることができることもあるらしい。

野付半島からも国後島が見えた。
ここから16kmしか離れていないらしい。
野付半島はオホーツク海の潮の流れによって造られた日本最大の「砂し」。
荒涼とした風景と花々が咲き誇る美しい風景が混在する半島。
「トドワラ」「ナラワラ」とが有名らしい。
「トドワラ」とはトドマツの森が海水におかされ、風化した白い木肌の巨木が乱
立する奇観な風景。
「ナラワラ」は海水に浸食され風化したミズナラの木が横たわっている。
時間がないので近くまで行けなかったけど今度機会があれば近くに行って見て見
たい。
丹頂もいた。
海岸では釣り人が等間隔で並んで釣りをしていた。
この時期、秋と勘違いして川に上ってくる鮭(とき鮭)がいてとても美味しいら
しい。きっとその鮭を海岸で釣ろうとしているのだろう。

また、反対に秋になって川で釣る鮭は油が落ちているので美味しくないとのこと。
この鮭を猫もまたいで通ることから「猫またぎ」と言うらしい。


知床峠は斜里町ウトロと羅臼町を結ぶ知床横断道路の頂上、知床連山の尾根筋に
あたる標高738mの峠。
この峠でガイドの長井さんが「雪の遺書」の話をしてくれた。

十勝管内中札内村中札内川上流の十の沢で昭和40年3月14日未明、日高山脈縦走
中の北大山岳部の登山隊6名が雪崩に巻き込まれ、全員が死亡した。初期捜索は
困難をきわめ、雪解けをまって再開始された捜索によって、全員の遺体が発見
され、澤田君の胸ポケットの中からは、ポリエチレンの袋に収められ、地図の裏
に書かれた遺書が見つかった。奇跡的に即死をまぬがれた澤田君が雪崩の雪の下
で記したものだ。絶望の淵で必死に書かれた遺書は強い責任感と家族愛に満ちて
読む人の胸を打つ。

彼等は必ずしも危険な所で雪洞をつくって露営していたわけではない。その後の
調査によるとこの雪崩は、走行約3km、デブリの長さ1km、幅30-100m、量約40万
トンの日本国内の雪崩としては最大級に属するものと推定された。

この遭難に関しては、遺稿集『雪の遺書』や、現地の救助隊の吉田勇治氏の『鎮
魂歌 ああ、十の沢』(平成11年)などの書物が出版されているが、ここでは、
北大山岳部々報第10号の遭難報告をもとにした。

この悲しい遭難事故の鎮魂歌 『ああ十の沢』、『日高哀歌』ができています。


【登山計画】
リーダー        澤田義一(農4)
アシスタント・リーダー 中川昭三(文3)
メンバー        橋本甲午(農4)、 田中康子(教養2)、
            松井作頼(教養1)、坂井丈寛(教養1)

【日 時】昭和40年3月11日―3月24日最終下山日(行動9日、停滞5日)
【コース】札内川―カムイエクウチカウシ山―カムイ岳―幌尻岳―トッタベツ川


 遺 書    澤田義一(リーダー)

 三月十四日(?)の深夜ニ時頃、(後で時計を見て逆算した)突然ナダレが雪
洞をおそい、皆寝ているままにして埋めてしまった。最初、雪洞の斜面がなだれ
たのかと思ったが、後ですき間を少しずつ広げてみた結果、入り口よりデブリが
なだれこんできたものだった。
 皆は最初の一しゅんで死んだようだったが、私は、幸いにして口のまわりに間
隔があったのを次第に広げて、ついにナタで横穴をニメートル近く掘って脱出し
ようとしたが、外はデブリで埋まっているためか、一向に明るくならずついに死
を覚悟する。ただ今十四日十三時十分、しかし何とか外に出たいものだが、根気
負けしてしまった。一休みしてから考えよう。
お母さん、お父さんごめんなさい。一足先に行かしてもらうだけです。きっと、
何かに生まれ変わってくるはずです。その時お母さんお父さんを見守っているは
ずです。
土田のおばさんすいません。心配が本当になってしまいました。でもゆるしてく
ださいね。田中さん、坂井君、松井君、中川君、橋本君ごめんなさい。とりかえ
しのつかぬ失敗をしてしまって。
皆さんのお母さんごめんなさい。ついにやってきたのです。きっと天から皆さん
を見守っているつもりです。せめてできることはその位です。早く、安らかに眠
りたいものです。どうせ死ぬなら、僕ひとりだけです。
十四日十三時二十分。尾崎さん別にいいんです。
内藤さんアマゾンはどうでした。佐藤君、牧野内君、友達として心のふれあう君
達だった。佐藤君には五千円借金しています。
海内さんだって、波多江さんだって小泉君だって死んでいるじゃないか。ちっと
もさみしくないはずだ。
杉山さんご指導ありがとうございました。
ルームの皆さんさようなら。松田君、庵谷君すいませんが、後始末をお願いしま
す。
広瀬先生すいません。上山さんお先に行きます。鈴木、清水、裏、山下、田中、
井上、林頑張れ。
何がなくなっても命だけあれば沢山だ。死を目の前にしてそう感ずる。親より早
く死ぬのは最大の情けない気持ちだ。松井君は一人子、橋本君は男一人、僕も男
一人で、親のなげき悲しむ様子が手にとるようにわかる。
三月十四・十五・十六・十七と寝たり掘ったりする。日付は時計の針でのみ計算
する。ナタが手に入った。懐中電灯が二ヶ、スペアの電池が一ヶ、非常食が二人
分。掘っても掘っても明るさが出てこないので、がっくりしている。
生は10%ぐらいだろう。十七日朝八時。
お母さん本当にごめんなさい。今まで育ててくれたつぐないをなさずに、先に行
ってしまうなんて。
今は比較的落ち着いています。仲間が皆そばで眠っているせいでしょう。後一週
間くらいならこのまま寝て待っていられるのだが、二十五日ごろ騒ぎだして、捜
索隊がここにつくのは早くて二十九日。そしてここが見つかるかどうかも疑問だ。
十三日にここであった山スキー部のパーティが、一緒に来てくれれば分かり易い
のだが、あの時あいさつしておけばよかった。向こうのパーティも知らん振りし
ていってしまった。
(注:このとき会った山スキー部パーティの正確な情報、捜索協力は捜索活動の
決定的役割を果した。)
佳江、珠代へ。先に死んでしまってごめんよ。お母さん、お父さんはこれからお
年寄りになっていくんだから二人仲よくして、お兄ちゃんの分もよく面倒みてあ
げて下さい。
昌子姉へ、お母さんお父さんのことよろしく。
お母さん今死んでしまうなんて残念だ。切角背広も作ったのにもうだめだ。

  お父さんの詠んだ歌「 義 一 」   澤田己之助

就職のきまりしときの喜びは いまもなおわがまなかいにあり  (昭和40年3月)

妻ときて悲しみあらたなり あたらしき背広の服を子の部屋にみて(昭和40年3月)

おん身いま日高山なみ深き谷に 焼かるる夜をわれは眠れず  (昭和40年6月)

北のはて日高の谷の山旅に わらじも足に馴れて下りぬ    (昭和40年8月)

子の死してすでに十年を過ぎにしを 憶いつつ生く老いらくの身は(昭和50年3
月)

「北の山脈」17号(昭和50年3月15日)より


ガイドの長井さんの話し方が上手で、また、内容がとても悲しく、眠気もなくな
り涙があふれた。


知床遊覧船(硫黄山コース)は約90分の遊覧。
初めはあまり乗り気ではなかったけどマスコット?のカモメに船の売店でかっぱ
えびせんを差し出すと上手くキャッチして食べるので面白かった。
ふと気がつくと周りの景観が迫力満点!
北海道の東端に突き出た知床半島は、オホーツク海と太平洋を隔てている場所。
海岸線は断崖絶壁が続き、滝が直接海へ流れ落ちている。
これは船からしか見られない絶景!乗ってよかったと思った。
知床五胡は原生林に囲まれてたたずむ幻想的な湖。
5つの湖を一周できる遊歩道があった。静寂を保っていて手付かずの原始の中と
いう雰囲気。熊に出会うこともあるらしい。湖の魚は昔の人が放った鮒らしい。
厳しい自然環境を生き延びてきている。
人が近づくと条件反射で寄ってくるが国立公園なので餌はあげられない。

ここの売店で果実酒の試飲ができた。
8種類ぐらいを気前良く飲ませてくれて、味も美味しかったので買ってしまった。
これも宅配便。。。

オシンコシンの滝は以前から行ってみたいと思っていたところ。
途中から流れが2つに分かれていることから「双美の滝」とも呼ばれている。
滝の中ほどの高さまで階段で上がることができ、なかなかの迫力!
暑かったこともあって滝のマイナスイオンを心地よく感じた。
この滝は「日本の滝100選」にも選ばれているらしい。
バスに戻るとオホーツク海に夕陽が沈みかけていた。
沈むまで見たかったが、スケジュールの時間に追われるバスツアーなので断念し
た。
添乗員の佐藤さんがしきりに謝っていた。



宿は網走湖畔。
ここも阿寒湖と同じく流氷のときに泊まったホテルの近く。
でも、やはり冬の雪一色の景色だったのでどこがどうだったのかわからない。

近くの能取湖で星空観賞ができるというので参加した。
さすがに夜は寒い。
ジャンパーを持ってきて良かった。
バス3台のうち希望者だけが集まった。
地元のガイドさんが説明してくれた。
天の川、はくちょう座、織姫、彦星、火星、北斗七星などが見れた。
初めは目が慣れなくてわからなかったけど、時間が経つとだんだんと見え始める。
自然はいいなぁ、と感じた。

8/31 452km

今日もまたホテルを7:30に出発する強行なスケジュール。

まずは北きつね村。
期待はしてなかったけど、予想以上に寂しいところだった。
お土産屋を抜けるとそこは北きつね村だった。
奥に檻があって、「あぁ、あそこにきつねがいるんだ」と思ったら、犬みたいな
きつね、それも痩せていてなぜか怯えながら寄ってきた。
餌が欲しいのか。。。
写真を撮ろうとして構えると怯えて逃げていってしまった。
道にあるきつねの落し物を避けながら檻に近づくと、管理しているようには見え
ない檻の中にシルバーフォックス、レッドフォックスなどお洒落な名前のついた
きつねがいた。
どれがシルバーフォックスでどれがレッドフォックスなのかわからないきつねた
ちだった。
写真や絵で見る北きつねが見たかったのに。。。

次に行ったのは銀河流星の滝。
夏の旅行なので滝は気持ちが良い。
マイナスイオンを身体いっぱいに浴びて、写真を撮ってバスに戻った。
バスの窓からは層雲峡の険しい奇岩や岩肌を見た。
奇岩を見ると中国の三峡下りを思い出す。
想像力を働かせてガイドの長井さんが言うマリア様や大黒様を思い浮かべて、納
得したり、首をかしげたり。。。


美瑛では広いお花畑があった。



お花畑をバックに写真を撮ったがお花畑が上手く映せない。
ここではコロッケが美味しいとガイドさんに言われたので並んで買った。
バスに戻るとほとんど全員、コロッケを食べていた。
今回の旅行は食べ歩き旅行だ。



富良野では富田ファームに入った。
ここは主にラベンダーを栽培しているらしいので今の時期はちょっと寂しい。
相変わらず時間がないので奥には行かず、手前の売店で手作り夕張メロンパンと
ソフトクリームを買った。

バスの窓から見える雄大な土地、日本にもこんなに広い土地があるんだと思った。
夕暮れで少しずつ空が赤く染まり始めていた。

札幌のホテルに入ったのは19時。
それから懐かしい「大通り公園」や「さっぽろテレビ塔」「時計台」に向かった。
まず、テレビ塔に昇った。
エレベータを降りたら「えっ?こんなんだった?」と思ったほど狭く薄暗かった。
窓から見た大通り公園は暗いせいか、ただの広場に見えた。
思い出を美化しすぎたか・・・。
前に来たときはGWだったからか昼だったからか明るく綺麗に感じたのに。
ベンチには浮浪者らしき人もいてちょっと恐かった。



食事をしてホテルに帰った。
部屋のお風呂に感動!と言うか驚いた。
なんと家のお風呂のように洗い場があったのだ。
何回も確認して入ったのだけれど、いつ水漏れで苦情が来るかとひやひやした。
ホテルのお風呂に洗い場があるなんて初めてだった。


9/1 今日は何キロだったのだろう

今回の旅行は朝早くから夜遅くまでのせいか、まるで観光付きのヨーロッパ旅行
をしているよう。

最後の今日はいつもに比べてゆっくりめの8:40にホテルを出発。
途中、余市のドライブインでトイレ休憩。
ローソク岩などを見ながら積丹半島(神威岬)に向かった。
今日の日程は「積丹半島」と「小樽自由散策」とさっぱりした予定になっていた。
途中で気がついたのだけれど帰りの飛行機は21:10。
たった2つしか寄らないのに?
そう、簡単に積丹半島と書いてあったが神威岬までは約100kmなのだ。
北海道旅行はダイナミックだ!
神威岬に着くと北きつね村で見たような細く汚いきつねが一匹近寄ってきた。
しかし、ガイドさんから野生のきつねには病気があるのでさわらないように何度
も言われているので無視した。
まぁ、細く汚いきつねだったからさわりたいとも思わなかったけど。

[ひとやすみ]
その昔、首長の娘チャレンカは義経への恋心を募らせ、積丹半島のとある岬に立
ちました。しかし、義経は平取へと旅立った後で、そこにはいとしい人のぬくも
りもすでになく、チャレンカは海に身を投じてしまいました。
その身体はやがて神威岩になったと伝えられています。チャレンカがたどりつい
た岬、それが積丹半島の神威岬です。積丹半島の海は、北海道の海で唯一海中公
園に指定されており、その透明度と奇岩がかもし出す景観は北海道の自然の宝庫
です。

展望台まで緑の草原が続いている。
陽射しが強いが風が吹けばさわやかに感じる。
風で草原の草が波打っていた。
綺麗に整備された木製の階段で展望台まで登った。
少し離れた場所に灯台が見えた。
空は青く、雲は白く、海は藍色。
いつまでも見ていたい風景だった。

小樽自由散策は約1時間半。
まずは銀の鐘を目指した。
ガイドさん情報によると売店と喫茶店になっていて、売店では店内奥の工場で作
られている人気の釜だしバターケーキが売られているらしい。
喫茶店では自分が使った陶器のカップを記念に持ち帰ることができるらしい。
お店の前まで行ったけどやっぱり限られた時間内なのでゆっくりお茶できないと
言う理由から取りやめにした。陶器のカップも欲しくなるものではなかったし。

北一硝子に寄ると綺麗なグラスやかわいいグラスが並べられていて、こんなグラ
スでビールを飲んだら一層美味しいんだろうなぁと思った。
すごい人ごみなので店内を歩くだけもグラスを落としてしまわないかと緊張する。

小樽散策で小樽運河での記念撮影は絶対!なので行くことにした。
行ってみると以前よりさっぱりしたような感じがした。
周りの人たちを見ると小樽運河には記念写真を撮るだけのために来ている。
確かに他に何もすることもないから仕方ないのだけれど・・・なんか寂しい。
それにしてもなんでこんなに有名なフォトスポットになったんだろう?

かま栄では美味しい蒲鉾を買うことができた。
でも、お腹が満腹状態なので持ち帰ることにした。

時間になってバスは空港へと向かった。
と思ったら最後のお土産屋に寄るとのこと。
時間は18:00。
お土産屋も片付け準備に入っていた。
バスに戻ると初日に注文しておいたお弁当が座席に置かれていた。
もうこれ以上荷物を増やしたくないと思っていたのに。。。
空港についてほっとすると小腹が空いた。
お弁当があって良かったと思った。
鮭といくらの親子弁当とうにとかに弁当の2種類。
半分づつ食べた。
最後の北海道の味は一段と美味しかった。

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