「財津和夫の30年」テレビルポ








第30回記念久光製薬KBCオーガスタスペシャル
「~財津和夫の30年~“心の旅”いつまでも」 (朝日放送テレビ8月28日放送より)

「ZAITSU SONGS~CINEMATIC~」という、ニューアルバムレコーディング中の財津和夫。
このアルバムは、チューリップの楽曲をすべて第三者のアレンジにゆだねるという初の試み。
オーケストラアレンジの中に、時折財津和夫の歌声が入るというものらしい。

その中の1曲、30年の時を経て、尚色あせない「青春の影」をカバーし、多くの若者に支持されているアーティストということで、福山雅治が先輩財津和夫へメッセージ。「ずっと続けていく作業というのは大変だと思いますが、これからも末永い活動を期待しております。」といった趣旨。

秋からのツアーのポスターデザインについて、グラフィックデザイナ―、大野拓家らと打ち合わせる財津和夫。
強いビジュアルへのこだわりは、歌の中の情景を大切にする財津らしい一面。
デビュー以前からの友人で、チューリップの多くのアルバムデザインを担当してきた大野がコメント。
最初に手がけた「ぼくがつくった愛のうた」の付録のブックレットの、四角い目玉焼きの写真に苦労した話。
チューリップのメンバーが1972年に上京する際の模様を、大野が撮影した映像と、その裏話。

デビュー曲「魔法の黄色い靴」と、続く第二弾シングル「一人の部屋」がヒットしなかった時の苦悩について、財津コメント。

その頃できた友人で、財津を励まし明るくしてくれたというつのだ☆ひろが、財津とともにその頃の思い出の地を歩きながら語る。
つのだはデビュー前のチューリップのライブを見て、そのサウンドに魅了され、プライベートでも親密な関係を持つようになったとのこと。
プロのドラマーから見て、チューリップはどうだったか、という財津の質問に対して、
「個々の技術が云々ではなく、バンドとしてまとまって出て来た時にどれだけ良いか、ということで、初めて観た時にすごくいいバンドだと思ったよ。」 と、つのだ。

「心の旅」ヒット後のシングル「夏色の思い出」がでた時に、つのだが激怒した話・・・ つのだ・・・「『心の旅』が大成功して、他人事ながら俺は大喜びして、それで2作目何だすのかな、と思ったら
      『夏色の思い出』っていうので作詞家立てて、俺はすっごいくだらないって、怒って怒って...
      レコード会社にも怒りいの、事務所にも怒りいの、怒り倒したの。
      なんでかってったら、こんだけ才能があって良い曲作れて良い詩も書ける人間達が、
      売れっ子の作詞家使って、『心の旅』の二番煎じみたいなのをやる、
      その業界の常識とかプロダクションの常識なんかに縛られる玉じゃないのに、
      それが誰も見抜けなかったんだよね。
      またチューリップはチューリップで唯々諾々としてそれを飲んでやったっていうのが、
      すごく許せなかった。
      俺の好きなチューリップをこんな風にしやがってって、すんごい腹立った。」

デビュー当時、チューリップのメンバー5人が一緒に住んでいた合宿所のあった場所で、財津が合宿所で捕まえたムカデを焼酎につけて、精力がつくからといって飲んでいた話など。

『心の旅』を、曲を作ったリーダーの財津本人ではなく、メンバー最年少の姫野達也が歌うことになったことについて・・・ 財津・・・「もちろん僕が歌うつもりで、レコーディング前日まで発声練習しておりました。
      でもギリギリになって、財津が歌うとヒットしないな、と。
      姫野の声のほうが、甘い感じがして魅力的だから姫野に歌わせようと。
      姫野君はね、リードボーカルをとるなんて夢にも思ってなかったと思いますし、
      そういうタイプじゃなかったですね。」
(別の場所で撮影された)姫野・・・「というか、やっぱ、遠慮しますよね。
      僕としては、ずっとそんなリードボーカルとって来たわけではないんで、すごい面食らうし、
      (財津さんが)歌うつもりで準備もしてたんで、申し訳ないな、と...」
財津・・・「レコーディングが終わって、ヒットするっていうのがわかるまで、僕はこの事件に対して恨みを持ってました。
     でもヒットしてからは、手のひらを返すように、僕は姫野さんに対しては足を向けて寝ないように、
     今でもさせていただいています。(笑)
     (画面に向かって)姫野く~ん!」


財津の音楽の原点は福岡にある。高校時代を過ごした、福岡の地を歩く財津和夫。
思い出の神社で、高校時代、人生で初めて作った歌をギターで弾き語りする。

福岡県芥屋ゴルフ倶楽部にて・・・
この地で毎年開催されるゴルフトーナメントのテーマ曲のイメージ作りをする財津。
ホールにも出てイメージ作り...のはずが、自らゴルフ好きな財津はつい自分のプレーと照らし合わせてしまう。

(突然流れ出す「キラキラ」)
ナレーション「そんな彼のゴルフ仲間には、年齢も職業も同じ友人がいる」レコーディングスタジオらしきところで録画された小田和正の映像。
小田・・・「財津個人とは、ゴルフへよく行って、もう一時期しょっちゅう行ってたって記憶があって。
      あるとき正月の2日か3日、よしゃあいいのにどこか遠い所へゴルフに行って、
      それで帰り財津が運転したんだね。
      で、俺は寝ちゃってね。それがもう正月の帰りの車でめっちゃくちゃ渋滞して、もうずっと動かない。
      で、ふっと気がつくともう料金所に到着してまして、
      あー、財津も眠かったのに、黙ってずっと運転してたんだろうな、と思って、
      あー申し訳なかったなって、そういうことを思い出すわね。」

ナレーション「年齢も同じ、デビューも同時期の2人だが、当時小田のオフコースにはヒット曲がなく、
「心の旅」が売れていた財津のチューリップを羨ましく思っていたと言う。」(「ある日の楽屋でのスナップ」として、若き日のチューリップメンバーとオフコース(小田・鈴木)が一緒に映っているモノクロ写真が写される。
ロン毛の小田、当時26歳)

小田・・・「えー、中野サンプラザっていうところがありましてですね、そこの楽屋に行ったんです。
     そしたら、楽屋にそこの中野サンプラザの中にあるホールのレストランからとった、
     出前のコーヒーが置いてあったんですね。
     で、当時、コーヒーを出前でとって楽屋で飲むっていうのはこれは、

     (しみじみした声で) 売れてるって凄いなぁって、もうなんか言葉を失って。
     もちろん楽屋にいてなんだかんだみんなで喋って、
     バンドの連中と喋ったりしたんだと思いますけど、
     ずっとそのポットとコーヒーカップとそのお皿、白いね、白いコーヒーカップ、
     それが未だにとっても印象に残ってて、
     チューリップって言うとすぐそれを思い出すんですよ。
     あ、チューリップ売れてるんだなって思ってですね。」

(「友 財津和夫へ」)
小田・・・「是非これから、同じ同級生として一緒に頑張っていければ、嬉しいと思っています。
      僕ももし手伝えることがあったら、逆に声をかけてください。
      もし行けるようなら、必ず行きますから。」
(なぜかくすくす笑う)

(「友 小田和正へ」)
財津・・・「今も、あの、ガーンと声出して歌うあのパワーはねぇ、もう嫉妬するくらいねぇ、ちょっとねぇ、羨ましいですね。
     もう、やめてください、歌は。
(バックで流れつづけていた「キラキラ」がぴたっと止む) ホントに。(笑)
     周りを助けると思って。」

チューリップデビュー30周年を記念して公演されている、彼らの福岡時代をモチーフにしたミュージカル「魔法の黄色い靴」の稽古風景。
「チューリップのメンバーは全ステージにドラマティックな内容で出演」とのこと。(どんな形での出演かには、具体的に触れず)
財津が出演者についてコメント。

チューリップ30周年記念ライブのスタートとなる、福岡の伝説のライブハウス「照和」でのリハーサル風景。
「故郷福岡へ恩返ししたい」という財津のコメント。
その和気あいあいとしたリハ風景とは対照的な、若き日の財津の音楽に対する厳しい姿勢について、姫野やラジオ番組ディレクターのコメント。
2002年7月7日「照和」でのライブ風景。
グループとソロの違いについて、財津コメント。
~旅にたとえると、グループは社員旅行、ソロは一人の傷心旅行。自分としてはそれを交互にやってられると、精神衛生上とても良い、と。
ライブ終了後のインタビュー。 「財津にとってチューリップとは?」
財津・・・「もう、青春そのもの、それしかないでしょ。」
     「自分が年を取って声も出なくなってきたんですけど、
      でもそこから原点を見つめることが、改めて出来るっていうことはね、
      やって良かったですね、はい。いい時に出来たと思います。」

東京での、ゴルフトーナメントテーマ曲レコーディング風景。テーマ曲「一歩ずつ」に込めた思いをコメント。

財津和夫54歳。
ナレーション「・・・30周年という節目の年に何を思う」
財津・・・「やっぱりこの仕事についてよかったとつくづく思いますね。もちろん、まったく苦しくないとは言えないけど、
      楽しみがあるんだっていうのが裏返しにはっきりあるから、苦しみはもう半分以下になってしまいますよね。
      うーん、もう迷わないのかな。若い頃はなんだかちょっとね、
      好きなことやってるんだけど、ホントにこれでいいのかな、とかね、
      自分は社会から実は取り残されてるんじゃないかな、とかね、
      そんな風に思ったこともありましたけども。
      もう、本当に、楽しめるっていうことがやっとわかったっていうんでしょうかね。
      純粋に楽しめるんだっていうのがわかってきたっていうか。
      随分時間、掛かっちゃいましたけどね。
      でもその感覚は始まったばっかりなんですよね。これからもう、たっぷり味わいますよ。」

最後に・・・ ディレクター・・・「次また、40周年か何かでお会いしたいですね。」
財津・・・(吹きだしながら)「棺に入っているか、(両手で大きく四角を描きながら)こう黒枠の中にいるかもしれませんが、それでも良かったらお会いしましょう。」



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