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主人公、塚崎多聞は行く先々で何故か不思議な出来事に引きつけられる。「木守り男」「悪魔を憐れむ歌」「幻影キネマ」「砂丘ピクニック」「夜明けのガスパール」の5つからなる連作短編集。恩田陸の作品を全て読破したわけではなく、3分の2くらいは読んだであろう私の感想なのであまりあてにはならないかもしれませんが、この作品は恩田陸作品の中でも地味な部類に入るのではないかと思われます。以前に読んだ「月の裏側」という作品の主人公塚崎多聞が登場する連作短編集なのですが、その「月の裏側」自体が強烈に印象に残る作品ではなかったせいか、まさか続編が出るとは思いもよりませんでした。この作品は作者があとがきでトラベルミステリーと書いているように、主人公がゆらりと旅をしていたり、はたまたふらりと散歩していた先で起こる少し不思議な出来事を主軸にして物語は展開していきます。不可解な連続殺人事件が起こって大騒ぎというよりは、都市伝説のような、まゆつばで奇妙な話や、日常にふと起こる不可解な出来事がモチーフとなっているので、作品に派手さが無いのはいたしかたのないことなのかもしれません。昨今のベストセラー作品にありがちな「怒涛の展開で、ページをめくる手を止められない!睡眠不足必死!!」と謳われる作品ではないことは確実でしょう。しかしだからといって、途中で読むことを投げ出してしまうような作品ではないことも断言出来ます。静かでゆるゆるとした展開の作品なのだけれど、ひとつひとつのエピソードは魅力に溢れていて面白いので、決して退屈ではない。読者を引きつけるけれど、無駄に吸引力のない良質な作品とでも言いましょうか。そうなんです。私はこの作品に良さは「無駄に吸引力のない」ことだと思ってます。寝る前に読んでしまってつい夜更かししてしまったり、読み終わった後しばらくその作品の余韻が残ってしまう作品も素敵なのですが、忙しい日常に毎回そんな感じでは読書が疲れてしまうような気がします。それに引き換えこの作品は主人公のようにふらりと散歩に出かけたり、ちょっと気分転換に国内旅行でもしようかというような、気軽に作品の世界に出掛けることが出来き、いとも容易く日常に戻って来れるのです。そういう気軽いけれども、決して薄っぺらではない雰囲気を纏っているので気負わずにいつでも読めるところがなんとも素晴らしいと感じました。そして更にこの作品の主人公の塚崎多聞も変に個性が際立っていないので、登場人物に入れ込み過ぎることもなく作品が読めるのもこの作品の気軽さに合っていて良かったのではないかと思いました。続きが気になって寝食を忘れ読みふけってしまうことも、登場人物が好き過ぎて読み漁ってしまうこともない。ちょっとした合間に気軽に読み進められることがこの作品の最大の長所になっているのではないでしょうか。ただ少し気になったのは、各作品の結末です。それまでの展開や小道具が魅力的過ぎるので結末に過剰に期待し過ぎた結果なのかもしれませんが、なんとなく結末がしっくり来なかったような。期待はずれというよりはいまいち説得力に欠ける結末だったように感じました。普通の作品だったならばマイナス要素になってしまいそうな地味で静謐なところが全てプラスとなっている恩田陸の実力がいかんなく発揮された作品です。続編と書きましたが「月の裏側」を読んでいなくても問題なく楽しめると思います。一日一作品ずつ丁寧に読み進めてみてはいかがでしょうか。
2009.09.28
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白土三平「忍者武芸帳 影丸伝」乱世の時代、凄腕の忍者影丸と彼を取り巻く登場人物たちは苛烈な運命に翻弄されながらも、時代を生き抜いていく。白土三平といえば、最近映画化された「カムイ外伝」があまりにも有名ですが、私がおすすめするのは「忍者武芸帳 影丸伝」です。私にとって、「好きなマンガは?」と聞かれたら、この作品がぱっと頭に浮かぶくらい特別な存在で、何度読み返しても飽きない作品です。とはいっても私が初めに出会ったのは漫画ではなく映画のほうでした。深夜にひっそりと映画をテレビ放送している時間帯に「忍者武芸帳」の文字を見つけ、タイトルだけなら本来ならばまず観ないであろうと思われる映画でした。なにせ、とても古そうでしかも特に思い入れもない忍者ときては、ピアノ線が見えるくらい稚拙なアクションが繰り広げられている場面を思い浮かべてうんざりしてしまっても、むべなるかなというものです。しかし、監督がなんとあの大島渚ということだったので好奇心も手伝って観たところ、私の先入観や予想は大きく裏切られることとなりました。大島渚が監督だというのにまさかの実写ではない映画とは!かといってアニメというわけでもなく、漫画に声と効果音を吹き込んだだけという、今で言うなら「もしかしてあまり手間がかかってないのでは?」と取られかねない方法だったのです。まあ、当時としては斬新だったかもしれませんが。しかし、それでも監督の腕前か、漫画自体の完成度の高さゆえか、ちっとも飽きることなく最後まで夢中になって観てしまいました。そして次の日に本屋へ文庫本「忍者武芸帳」全8巻を買いに走ったことはいうまでもありません。そんな出会いをしたこの作品なのですが、凄腕の忍者影丸を中心にして、戦国の世を生き抜く登場人物たちが物語を織りなしていきます。そしてその合間に、相次ぐ戦に苦しみながらもたくましく生きていく農民たちが登場し、物語に深みを与えているのです。一応主役と思われる影丸の登場は少ない気がしますが、他の登場人物たちが魅力的過ぎるので仕方のないことなのかもしれません。重太郎や甚助、明美や無風、敵方の主膳や蛍火など、魅力的な登場人物たちが運命に翻弄されながらも一生懸命道を切り開いていく様は目が離せません。あと、どうでも良いことですが、もし「恋人にしたい漫画の登場人物は」と質問されたら私は迷うことなく重太郎と答えます。それくらいこの作品の登場人物である重太郎にやられました。私の中では主役は影丸ではなく重太郎。重太郎の場面を読むだけでも価値のある作品です。(友人は甚助の方が良いと言っていたので、あくまで個人的で恋ゆえの盲目的意見かもしれませんが)そんな主役にも匹敵するくらい魅力的な登場人物たちにも容赦ない展開が待っていて、そんな決して甘く無い所も、この作品の素晴らしさの一つでもあります。文庫本で全8巻なので「カムイ伝シリーズ」よりもとっつきやすい作品ではないかと思われます。「カムイ伝・外伝」読んだ人もまだの人も白土三平の世界を堪能したい方、是非おすすめの作品です。
2009.09.16
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沢村凛「黄金の王 白銀の王」国の支配をめぐって長年対立してきた二つの一族。いつの時代も互いの一族を倒すことを目的にしてきたのだが、ある時二つの一族の長は二つの一族を一つにまとめあげようとする。ファンタジーのジャンルに入るであろうこの作品なのですが、架空の世界を舞台にしていながら歴史物を感じさせるような重厚な作品になっていました。読み終わった後、実際にあった世界の出来事を読み終えたような深い余韻が残りました。史実を独自にアレンジして描いている藤水名子を彷彿させる世界感とでもいいましょうか。しかし、しかし、これは毎回そうなのですが、この作者の作品はとても良質だと思う一方で、なんとなく手放しで絶賛出来ない気持ちが残ってしまうのも事実なのです。私はこの作者の作品は好きなのです。が、読み終えるといつも何か足りないと感じてしまいます。この作品にしても藤水名子を彷彿させると書いたのですが、藤水名子ほどの歴史ファンタジーに対する熱っぽさは感じられなかったし、作者のミステリ作品にしても上質な出来なのになんだかインパクトに欠ける気がしてしまいます。あと、どっちつかずの中間位置を取ってしまったためファンタジー好きと歴史物好きどっちもおいしい作品かといえば、残念ながらそうでもなく、どっちつかずの中途半端な位置の作品になってしまったようにも感じました。私はこの作者の作品になんとなく、「守り」を感じてしまいます。あまり突出しないで、「こぢんまり」とまとめてしまうような。もちろんこじんまりとしているせいで、作品がまとまった印象になるのは良いのですが、個人的には、もっとはみ出した感じが欲しいような気がします。この作品は良く作り込まれた舞台やストーリー、登場人物が丁寧に描かれているので、飽きずに読むことが出来ます。だけれど、はらはら感や意外なストーリー展開もあまりなく、どこかで見たことのあるような世界と登場人物とストーリー展開だったので、目新しさに欠ける気がして、あまりぱっとしない印象を受けてしまいました。もっと作者の個性を感じさせる突き抜けた感じの「攻め」の作品が読んでみたいと思いました。しかしながら、はみ出さずに「こぢんまり」とまとめているだけに、読んでいて嫌な気分になることのない作品ですので、万人におすすめ出来る作品です。
2009.08.31
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横須賀に突如謎の生物が大量にあらわれ、人々を襲い始める。潜水艦「きりしお」に避難した二人の自衛官と少年少女たち。彼らは、無事脱出できるのか。あらすじだけを見るとマニア向けと言いますか非常に読む人を選ぶ感じの作品なのですが、実際読んでみるとぐいぐいとひきつけられ読む手を止められなくなる作品です。毎回思うのですがこの作者は読ませる力が非常にあります。なんだか突然巨大なザリガニが?!というマニア向けで「んな、あほな!」的な展開で始まり、それで読む気が失せることもなく最後まで面白く読めてしまいます。マニア向けでも最後まで読めてしまうのは、やっぱり登場人物をリアリティを伴って上手に描いているからでしょう。非常事態の閉じ込められた空間での人間関係、親と子の関係、中学生の友達付き合い、近所付き合いなど、一筋縄ではいかない人間関係がちりばめられており考えさせられることがとても多かったです。こういったところを見る限り、この作者は人を実によく見ている人なのだと感じます。おそらく人に興味があって、人が好きなのでしょう。そんな作者の人柄がひしひしと伝わっくる作品です。そしてこの作者で忘れてはならない恋愛についてですが、この作品は普通あり得ない状況下で、そして恋愛においても普通あり得ない結末を迎えるのですが、それでも結末に妙に納得してしまう不思議な作品になっています。吊り橋効果と言いましょうか、現実では非常事態で芽生えた恋愛感情は、日常に戻った途端に脆いものとなり、破局を迎えるのが常だそうです。非日常のドキドキと恋愛のドキドキを勘違いしてしまい、平穏な日常ではドキドキが続かないことが原因だそうです。それは映画「スピード2」でも証明済み。だとすると、この作者のいろいろな作品で見られる非日常で恋愛が芽生えた男女が恋を成就させることなど、普通はあり得ないことになるのです。しかし、頭ではこんなことあるわけないと分かっていても、何故かハッピーエンドはとても自然なことに感じてしまいます。これはもう理屈を超えた一種のファンタジーとでも言っても良いのではないでしょうか。作中の男女は必ずハッピーエンドになるという。そういう意味では最近知ったロマンス小説なるものに近い気がします。ロマンス小説においては、必ずハッピーエンドで、ヒーロー、ヒロインが永遠の愛を確かめ合って終わります。※以下若干ネタばれ防止のため反転していますこの作品の恋愛も普通は恋愛において一番お盛んな時期である男女が五年間消息も知れずにお互いを思い続けるというのは、あまり現実的ではない気がします。しかし、この作品ではそんな展開になっても違和感を感じません。しかもそんなロマンス小説的結末で納得してしまうし、寧ろ望んでしまうのです。誰しも少なからず持っているであろう「たとえ現実的ではなくとも夢を見たい」というファンタジー願望を大いに刺激してくれる作品です。人類対謎の生物の戦いを読みたい人、単純ではない人間関係の奥深さを読みたい人、ロマンス小説ばりの恋愛物語を読みたい人など、様々な人におすすめの作品です。
2009.08.24
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主人公の女子高生チカが、幼馴染のハルタの助けを借りて学園で巻き起こる謎を解決する連作短編の青春ミステリ。「結晶泥棒」「クロスキューブ」「退出ゲーム」「エレファンツ・ブレス」の4作品。「漆黒の王子」を読んで以来、新作を待ち望んでいた作家さんです。まあ、正確には発売されて一年近く経とうとしているので、もはや新作ではないのですが。ミステリ作家さんでトリックが凄い人、魅力的な登場人物を描ける人などの様々なタイプがありますが、この作家さんは「水の時計」「漆黒の王子」を読む限り、抜群に雰囲気のある作品を描ける作家さんだと思います。物語全体を覆うファンタジックさにダークな雰囲気が漂う作品。この作家さんの最大の魅力はまさにダークさ漂うファンタジックな雰囲気なのです。しかし今回はミステリではあるものの、青春ものということで魅力的であった作者特有の雰囲気は、ほぼ無しと言っていいでしょう。しかも、なんとなくどこかで見たような感じのコメディタッチの青春ミステリになっていたのが少し残念でした。登場人物たちも等身大の高校生が登場しているというよりは、どこかライトノベルを感じさせるような、デフォルメされた感じだったのも気になりました。私は「水の時計」「漆黒の王子」のイメージがあるせいか、今迄になかった軽快な会話にも少々違和感を覚えてしまいました。おそらく笑いを誘う目的の会話なのかも知れませんが、ツボにハマる人はハマるとは思うものの、なんとなく人を選ぶ笑いだったように思います。なので、ハマる人は本当に好きになる作品ではないかと。ただ、今までの作品と違って難しいことを考えることもなくさらりと読めるという魅力はあります。作中で明かされていない伏線も多々あったので、シリーズ化しそうな作品です。「結晶泥棒」なんとなく慌ただしく始まって終わってしまった感じの作品でした。トリックは専門的過ぎてピンとこなかったのですが、作品の冒頭の一行がこの作品のもう一つのトリックとなっていて、作品の印象的を強めていたように思います。「クロスキューブ」トリックはこれもまたまたマニアックだったので、特に驚きも少なかった感じでした。気になったのは親友だった女子二人の関係がいまいち伝わりにくかったことでしょうか。短編で書ききれなかったというものあるのかもしれませんが、どうしてこの二人が親友だったのか想像しづらいところが気になりました。「退出ゲーム」表題作だけあっていちばん良かったように思います。「退出ゲーム」という他ではあまり見たことのない斬新な設定がとても面白かったのですが、なんとなくもうひとひねり欲しかったような気も。「エレファンツ・ブレス」個性的な登場人物が多くて賑やかな感じの作品です。「オモイデマクラ」の設定も回りくどい感じがするので、全体的にごちゃごちゃしたイメージでした。続きを感じさせるようなラストでした。
2009.08.19
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「ゆっくり急げ」最近よく言われる言葉。なんか常にぎりぎり。昔からそう。学生時代、テスト前は常に一夜漬け。社会人になっても、朝はまさに一秒を争うぎりぎりの戦い。追いつめられないと、なかなかやる気が出ない性質なのだ。小心者のくせに、余裕を持った行動が出来ない。実に厄介。そしてさらに輪をかけて厄介なのは、追いつめられたからといって、決してテキパキと行動出来るわけではないということだ。テキパキどころかあたふたもいいところで、昔からそんな私を見かねた周りの人から、もっと余裕をもって行動しなさいと苦言を頂戴するはめになる。で、専業主婦になって時間的に余裕の出来た現在はどうかといえば、もともとの性質なので「追いつめられた揚句のあたふた行動」が改善されることもなく、毎朝戦場状態である。低血圧で朝が弱い私に、早めに起きて準備することは不可能なわけで、毎日の朝食も味噌汁とご飯と納豆と果物という実にシンプルな品数だとしても、食卓について待っている旦那に「ご飯だけでも先に食べちゃってて~」「納豆かき混ぜといて~」と味噌汁を慌ただしくかき混ぜながら叫ぶ日々である。そんな私を見かねての旦那の言葉が、「ゆっくり急げ」である。「ゆっくり急げ」トムとジェリーの「仲良く喧嘩しな」みたいな矛盾した言葉である。でも、この場合はおそらく「優雅なハクチョウは、じつは水面下では必死で足をもがいている」的な意味合だと思われる。慌てている様子を見せずに、急げということだろう。しかし、低血圧な朝に優雅に行動することは実に難しい。そこでとりあえず、これは「ゆっくり急げ」のイメージトレーニングが必要だと思い立ち、想像力に乏しい私が必死の想いで思い起こした「ゆっくり急げ」のイメージはまさしく「ムスカ」だ。「ムスカ」とは、「天空の城ラピュタ」に登場する人物である。眼鏡をかけている男の人。分からない人は「トトロ」のさつきとメイのお父さんに似ている人と言えば良いだろうか。(それでも分からない場合はお手数ですが各自調べて下さい)で、そのムスカが天空の城で飛行石を使って、手長ロボットを動員させたり、地上にミサイルを打って「見ろ、人がごみのようだ」とか言っちゃってまさに天下取ったり状態のところである。見かねたシータが飛行石をムスカから奪って逃げたまさにその場面。「返したまえ良い子だから!さあ!!」とムスカがシータを追いかけるあのつかつかした早歩き。あれこそが私の思い描ける「ゆっくり急げ」のイメージなのだ。始めてあの場面を目にしたとき、幼いながらも私は「なんで走って追いかけないのか」ともどかしい思いでいっぱいになったことを覚えている。だってあの場面で歩くってある意味凄いことではないだろうか。世界征服ために唯一必要な飛行石は、ある意味ムスカにとっては命と等しいくらいのもの。それを奪われてもなお歩くって、「ゆっくり急げ」順守もいいところだ。あの場面で最初から走っていれば、もしかして飛行石を取り戻せていたかもしれないのに。違った結末になったかもしれない重要な場面なのに。しかし、そんな状況においても決して走らないムスカの心意気こそが「ゆっくり急げ」の真髄なのだろう。そうだとすると私には到底「ゆっくり急げ」の精神は無理だと自覚せざるを得ない。なぜなら、あのラピュタの場面を自分に置き換えてイメージトレーニングしても、どうしてもつかつか歩いている自分を想像出来ないのだ。確実に出だしから全力で追いかける自分しか描けない。無理に歩くとしたら、水の中で走るような重い足取りになってしまう。恐らくあの場面を落ち着いて違和感なしに見られる者こそが「ゆっくり急げ」の行動が出来る選ばれし人なのではないであろうか。未だにあの場面を目にするたびに「シータ逃げてー!!」と思うより「ムスカ走っちゃいなよ~!」と、もどかしい気持でいっぱいになってしまう私には無理なことみたいだ。貴志祐介「新世界より」未来の日本。そこでは、人々は「呪力」なる力を使いながら、穏やかに生活していた。分厚い上に、上下巻なので読み応え十分過ぎる作品でした。ずっと読みたいと思っていた作品でした。SF大賞受賞作です。前半、読んでいて受ける印象は、大人の未来型和風ハリーポッターでしょうか。現代で言うところの超能力みたいな能力「呪力」を使うことの出来る世界の物語です。細部まで作り込まれた世界観。少年少女達が無茶をしながら多少の無謀さと勇気をもっての冒険など、最初の方はハリーポッター的な世界観と展開に、この作者の他の作品を読んだことのある方は少々違和感を覚えるかもしれません。そして更にその合間にはマニア向けな性描写などもあったりしてと、今までにないくらい広いジャンルの世界観を感じました。しかし、しかし、中盤から徐々に作者おなじみの黒い影が物語に忍び込んできて、後半は息もつかせぬ展開が繰り広げられるのです。待ってました!まさに私が望んでいた「クリムゾンの迷宮」のような、はらはらして思わず「逃げて~!」「う、後ろ~!」と叫びたくなるような展開。後半はもう期待を裏切らない展開の応酬です。読み終わったあとはまさしく息も絶え絶え、しばらく放心状態でした。まるで大きな大きな津波にさらわれて、海の中でもみくちゃにされ、気が付いたら波打ち際に打ち上げられたみたいに読者を離さない怒涛のストーリー展開でした。はぁ~、堪能致しました。そしてはらはらさせる物語もさることながら、深く読み込んでみると「優位な者からの正義とは実は一方的なものではないのか」など、現代の社会情勢にも通じるテーマもあったりして実に奥の深い作品とも読めると思います。この作品で壮大な世界を主人公達と一緒になって生き延びてきたような冒険を体験することが出来ます。大人から子供まで、この作者の作品を読んだことのない人にもおすすめな作品です。刺激的を求めている方、夏休み特に出かける予定のない方、この作品の世界に旅をしてみてはいかがでしょうか。
2009.08.04
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不倫相手の赤ん坊を奪って逃亡する主人公希和子。逃亡先で二人を待つものは…。メロドラマのように多少強引で波乱万丈、怒涛のストーリー展開が待っているわけでもないのに、読書を引き込みぐいぐいと読ませる手腕はさすがでした。といっても作者の他の作品と比べてこの作品の前半は割と起伏に富んだ展開だとは思います。しかしそれで物語にとらわれ過ぎることもなく、主人公の感情にもきちんと沿って丁寧に描かれているので深く胸に沁み込んでくる作品になっています。まさか読みながら自分がこの展開で涙ぐんでしまうとは思ってもいませんでした。いかにもお涙頂戴の展開だったので。私も年を取ったのかな。いや、きっと角田さんがうま過ぎるのです。この作品のように母子という関係を描いた作品というと、桜庭一樹さんを思い出します。桜庭さんは母子の関係を陰の方から描くのがうまいのに対して、この作者は陽の方に焦点を当てて描いているように感じました。それでも決してきれいごとにはならずに、陽の方向から描いていても、その後ろにきちんと影が感じられるので作品に深みを感じます。最近の角田さんの作品は昔のように、読者を突き放したり、ふいっと突然手を離した感じで終わってしまう作品ではなく、きちんと結末へ着地出来ているような気がするので読後の満足感が格段に上がっています。若者向けの作品ではないかもしれませんが、特に女性の方におすすめな作品です。
2009.07.31
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主人公荒野は恋愛小説家の父とお手伝いさんと暮らしていた。ある日電車で助けられた少年と再会するのだが…。とても静かな作品です。大まかなあらすじは主人公、荒野の十二歳から十六歳までを描いた、少女の成長の物語です。作者得意の少女を描いた作品なのですが、この作品は他の作品に見られるような激しさはなりをひそめ、表面上はとても静かに物語が進行していきます。しかしその静けさのずっとずっと奥深くでは、「女」と「家」がツタのように絡まり合い濃密な存在を醸し出しています。表面上は荒野という少女の成長を描いていて、その実中身は作者が得意とする少女だけにとどまらず女全体について描かれているように感じました。その点からいくとこの作品は「赤朽葉家の伝説」に通じるところがあるように思います。三部からなるこの作品ですが、第一部と二部は昔ファミ通文庫なるものから出版されていたらしく、読んでいてかなり若い年齢を対象としているような文章だと感じると思います。しかしながら、文章に難しい表現などを用いていなくとも、少女のそして登場する女たちの描写はこの作者の他の作品と比べても引けを取ることはないくらい冴えわたっています。ただそのせいなのか、登場する男達の印象の薄さは否めません。もちろん魅力的な男性の登場人物もいることはいるのです。ですが、この作品の女たちに比べれば、男たちの存在はさしみのつまみたいなものに感じられます。おそらくこの作者が描きたかったのはあくまで女たちなので、男達は女を描く為だけに必要な存在に過ぎなのではないのでしょうか。決して難しくなく、さくさくと読めてしまう静かで軽い文章なのに、内容は決して薄っぺらではないこの作品。女の激しさ、悲しさ、痛みが根底に流れる濃密な作品でした。大人も子供も全ての女性たちへおすすめの作品です。
2009.07.27
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車のハンドルを握ると性格が変わってしまうという人が世の中には存在する。普段は争いを好まず穏やかな人が車のハンドルを握った途端に、信号待ちでは青になったら我先にと飛び出す為アクセルを吹かし、他の自動車が割り込んで来ようものならクラクションを浴びせかけるといったような、気性も激しく好戦的な性格に豹変してしまうのだ。自動車のハンドルに闘争本能を煽るスイッチがでもついているのだろうか。それは愛玩用として飼いならされてきたペットがふとした拍子に野生の本能を垣間見せる瞬間と似ている。きっと人間なら誰しも持っている本能なのかもしれない。さて田舎から現在住んでいる割と都会のこの地へ引っ越してきた私なのだが、運転技術の拙い私はこちらで車の運転は無理なわけで、移動手段は専ら自転車となった。田舎では移動範囲が膨大な為自動車がなければ生活が不便極まりないのだが、こちらでは狭い空間に様々な店や施設が密集しているので、昔からあまり自転車に乗る機会に恵まれなかった私でもさほど不便を感じずに快適な自転車ライフを満喫していた。ある時、私は市役所へ行こうとしていた。もちろん移動は自転車だ。買い物用に特化した籠の大きな水色のママチャリが私の愛用車だ。市役所は自宅から自転車を普通に漕いで10分くらいの距離にあった。私は初夏の心地よい風を頬に感じながら市役所への道を鼻歌交じりで進んで行く。そして走っていると、どうも向かう方向も走る速度も自分と同じくらいの人がいることに、ふと気付いた。その人は深緑のママチャリに乗った若い男の人で、大学生というよりは浪人生とでも言った方がしっくりくるような地味な風貌だった。初めは特に意識してはいなかったので、私は颯爽と自分のペースで自転車を漕いで行く。しかし、相手も私と同じくらいの速度で漕いでいるので、気が付くとお互いに抜いたり抜かされたりを繰り返していた。そうすると、だんだん相手が前を走っていることが気になって来きた。相手の背中を見せつけられながら自転車を漕いでいるのがなんだか歯がゆい心地になってくるのだ。私は思わずペダルを漕ぐ足を速めてしまう。目の端から後ろへ流れるように相手の姿が消えていく。相手を抜かして前へ出ると、視界も開け気分もすっきりと爽快な心持で、私は再び気分良く走り出した。しかし次の瞬間にはまた彼に追い抜かれることとなった。どうやら彼も私と同様の心境に至ったらしい。そうなると私も意地になって自転車の漕ぐ速度を速め相手を抜き返すが、彼も負けじと再び私を追い越す。次第に私たちは立ち漕ぎになりながら、抜きつ抜かれつの死闘を繰り広げるようになっていた。しかし、その戦いも一旦休止となった。赤信号につかまったのだ。私たちはいつでも発進できるように、自転車にまたがったまま、片足をペダルに乗せ準備を整える。私は息が切れていることを悟られまいと、肩で息をしないよう浅めに息を吐きながら平気な風を装う。相手も余裕な表情を見せているが、額に浮かぶ汗は隠せない。私の自転車は籠が大きめなので、全体的にがっちりとしている。対して相手の自転車は籠が小さいため全体的な作りも簡素で私のよりは軽そうだ。そうなると車体の重い私の方がやや不利に思えるが、私の自転車は彼の自転車にはないBAAマーク付きだ。多少の無茶な走りにも耐えうるだろう。二人ともギアなしなので勝負は互角だ。私はじりじりと信号が青になるのを待った。信号が青に変わった途端、私はペダルに全体重をかけるようにして猛然と漕ぎだす。相手も飛び出し私の右に並ぶ。しかし私はすごい勢いでペダルを回し続け相手より半身前へ躍り出る。すると、運悪く私の前方に歩行者が見えた。私はブレーキをかけ歩行者をよける。その隙に相手が前へと出る。私は再び自転車を必死で漕ぎ彼の後を追う。前方にある青信号が点滅しているのが見えた。あれを渡れるかで勝負は決まるだろう。相手も同じことを考えているようで、信号を見据えながら必死にペダルを漕いでいる。よし、ここで抜いて一気に勝負を決めてやる。私はそう思って渾身の力で自転車を漕ごうとしたとき、あることに気が付き、後ろを振り返った。後方、視界の遥か先に市役所が霞んで見えた。目的地通り過ぎてるよ!私は彼との戦いに熱中するあまり目的地の市役所を既に通り過ぎてしまっていたのだった。はっと我に返った私は慌てて踵を返し、市役所へと向かって自転車を走らせた。今日のところは勝負はおあずけだ。人間はもともと競争意識が備わっていて、ふとした拍子にその本能のスイッチが入ってしまう。自動車のハンドル然り。私の場合は自転車のハンドルがそれだったようだ。近藤史恵「サクリファイス」自転車のロードレースの選手である主人公は、自分の勝利を犠牲にしてエースを勝たせるアシストに徹することに固執していた。久しぶりのミステリです。今話題の?自転車ロードレースを題材にした作品だけに大変興味深く読めました。日本ではなじみの薄い自転車ロードレースのことが丁寧に書かれており、この競技を全く知らない人でも問題なく読むことが出来ます。「サクリファイス」とは犠牲という意味で、自転車ロードレースのアシストという役目を如実に表現した言葉です。チームのエースを勝たせる為に自分の勝利は犠牲にして身を粉にして働くのがアシストなのですが、この競技はアシストなしでは勝ちはないという特殊な側面をはらんでもいます。そのアシストを主人公にして物語は展開していくのですが、ミステリなのでやがて「サクリファイス」の意味の本当の意味が判明していきます。初めて読む作家さんでした。そんなに薄いわけでもないのですが、あっという間に読み終えられます。あんまり行間が詰まってないせいでしょうか。そのせいなのかロードレースの描写は多くても、人物の描写がさらりとし過ぎて少々物足りないような気もしました。「まあ、メインはミステリだし」と思えばそうなのですが、もうちょっと登場人物たちを深く掘り下げていればラストはもっと感慨深く感じられたような気もします。あとどうでもいいですが、この作品の登場人物たちは、ほぼ男性という男祭り状態なのですが、唯一、作品のヒロインともいえる女性の登場人物がいます。そのヒロインなる登場人物が少しも好きになれないのは私だけでしょうか。多分男の人はピンとこないかもしれませんが、私的にはこんな女の人が周りにいたら厄介だと思ったのです。男の理想ってこんな感じでしょって雰囲気の女性と申しましょうか。タッチの南を彷彿させるというか、なんだかどんなことをしても決して汚れにはならない南って感じです。思わず作者は本当は男性なのか?と疑ってしまったくらいでした。女性の作家さんでこういった女性をヒロインにしている作品ってあまり知らないのでとても変な感じです。でも、人物の描写自体が薄いのでもっと書き込んであれば、印象は変わっってくるのかもしれませんが。さて、そんな作品なのですがミステリとしては結末で真相が二転三転したりと、読み応え十分でした。しかしどうも、この競技に詳しい人にはこの作品の結末の受けが良くないらしいので、知らない人の方が楽しめるようです。ロードレース初心者の方などおすすめです。これで、自転車ロードレースに興味をもたれた方は、今まさにロードレースの最高峰ツールドフランス開催中(8月26日まで?)ですので、合わせて見てみてはいかがでしょうか。
2009.07.23
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「青空チェリー」「なけないこころ」「ハニィ、空が灼けているよ」の三作品大学在学中にR-18文学賞の読者賞を受賞した作者の初めての作品だそうです。賞のテーマがテーマだけに、受賞作とその次に収められている作品は、軽いタッチで性を絡めて描いた作品でした。文学というよりは漫画に近いような表現なので、さらさらと読みやすい半面、あまり深く掘り下げていないような物足りなさも感じました。あと、どうでもいいですが、私が普段読む作品であまり見かけたことのない、地の文に倒置法でもなく疑問形でもないのに「~が。」や「~で(て)。」という表現の多さにアラサ―ワールドの住人の私は、若さを感じないでもなかったです。「青空チェリー」読者賞を受賞した作品ということで、とても軽くて読みやすい作品だったように思います。性がテーマということなので、あまり重苦しい雰囲気でも読む人を選んでしまうと思うので、この軽さが皆に支持されたのではないでしょうか。タイトルの青空のようにスカッとした作品だったように思います。「なけないこころ」長い片思いの話なのですが、受賞作のしがらみなのか、なんとなく無理無理な感じで性の描写が多かったような。性のところは特になくても良いような気もしました。「ハニィ、空が灼けているよ」三作品の中で一番ストーリーがあって、物語として楽しめる作品だったと思いました。ある日、突然戦争が始まってしまっても相変わらず日常は穏やかに過ぎていき、実感のないままどこか遠い国で戦争でもしているような設定は「となり町戦争」を思い起こさせました。まだ大学生の主人公が、平和ながらもじわじわと日常を侵食されていく戦争の影に恐怖と憤りを覚えるところは戦争の持つ暗い部分を表現していて良かったと思いました。ただ、ダーリンよりも教授のほうが圧倒的に出番が少なかったので、教授に対する主人公の思いの強さがいまいち伝わってきづらいところや、徴兵を免れるためにダーリンにしなければならなかった行為についての意味合いや葛藤がさらりとし過ぎるとことなどはこの作品の長さでは伝わりにくかったように思いました。もっと、深く掘り下げた長編で読みたかったテーマの作品でした。
2009.07.13
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宮下奈都「よろこびの歌」 福田栄一「あの日の二十メートル」 瀬尾まいこ「ゴーストライター」 中島京子「コワリョーフの鼻」 平山瑞穂「会ったことがない女」 豊島ミホ「瞬間、金色」 伊坂幸太郎「残り全部バケーション」新しく生まれ変わる、再び歩き出す、といったような再生テーマにしたアンソロジー。作者もバラエティーに富んでいて楽しめました。特に宮下奈都があったのがうれしかったです。ただ、なんとなくテーマにしっくりきていた作品が意外に少ない気がしました。テーマを気にせずに読むほうが良いと思いました。宮下奈都「よろこびの歌」読むのが楽しみな作者でした。ただ期待し過ぎていたせいか中途半端な感じで終わってしまったような印象をうけました。高校時代によくありがちな展開だったのですが、肝心のところはさらりと流されて、最後もちょっと不自然な展開だったような気がしました。福田栄一「あの日の二十メートル」始めて読む作家さんでしたが、一番、テーマにあった作品だったように思います。再び、始める、再生といった感じがうまく表現されていたと思いました。瀬尾まいこ「ゴーストライター」今回もそうだったのですが、この作者は毎度バイオレンスもセクシャルなことも極力ない話を書かれるのに、飽きずに読めます。長編のもととなっている作品のようなので、機会があれば長編も読んでみたいです。中島京子「コワリョーフの鼻」なんとなくこのアンソロジーの中で異彩を放っていた作品です。「再生」「はじまり」といったテーマにも他の作品とは違った角度からアプローチをしています。そして最後はコントのようなオチでした。この作品は受け入れられる人と受け入れがたい人に分かれる作品ではないかと思います。平山瑞穂「会ったことがない女」この作者らしい不思議な体験を綴った作品でした。短編の為か、急ぎ足な展開に感じたのが少し気になりました。長編にしたほうが面白く読めた様な気もします。豊島ミホ「瞬間、金色」いじめや学校の教室の雰囲気など学生時代の空気がうまく表現されていました。ただ、いじめの解決法にあれは都合よすぎる感じがしました。いじめられてる子がこうなってくれないかなという願望そのまんまのような展開だったので。いじめに関しての解決方はとてもデリケートで難しいとは思いますが、もう少し現実的で納得のいく解決法が欲しかったです。伊坂幸太郎「残り全部バケーション」割とどろどろした展開から話は始まっているのですが、そこは伊坂さんらしくドライでユーモアにあふれており、楽しく読み始められました。そして魅力的で個性的な登場人物たちも良かったです。短編なので、伊坂さんにしては最後の展開にドラマチックさが足りなかったような気がしました。やっぱり長編で、もっと長く読みたかったと感じた作品です。
2009.07.07
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吉原の遊女を主人公にした連作短編集。「花宵道中」「薄羽蜉蝣」「青花牡丹」「十六夜時雨」「雪紐観音」この作者は前にアンソロジーで短編を読んだことがあり、その時は軽い雰囲気の作品だったのですが、今回は「遊女」ということでだいぶ印象の違った作品でした。読んでみると遊女のことがよくわかり、大変勉強になる作品でした。遊女の生活が緻密に描かれており、作者はとてもよく調べて書いたのだなあと感心させられます。しかしその緻密さのせいなのか、読み終えた後、とても疲労した気分になってしまいました。多分、遊女のことがとても詳しく詳細に書かれていたため、勉強したような状態になったからでしょうか。おそらく知恵熱出たみたいな感じではないかと。さて、ストーリーの方はといいますと、遊女だけに基本は性愛が絡む恋物語なのだけれども、「遊女」「恋」とくると、大抵の場合は悲恋な感じのものを想像してしまうと思います。この話ももちろん大抵は悲恋ものなのだけれども、読み終えて思ったほど切ない気持や悲しい気持を呼び起されませんでした。読後作品の余韻にしばらく浸ってしまう感じがあまりしなかったといいましょうか。登場人物たちは結構悲しい運命に巻き込まれていたりするのですが、読んでいてそれほど身を切るような思いにさせられないのです。これは多分、この作者の持ち味と言いますか一種の才能みたいなものかもしれません。岩井志麻子や桐野夏生のようにどんな作品にもどろどろした暗いものを感じさせる「どろり系」があるように、この作者はどんな作品もさらさらと流れ、一種の清々しさを感じさせるような「さらり系」の才能を持つのではないでしょうか。なのでこの作品は「遊女の恋物語」の割には読後はさらりとした感触を持つ、ある意味読みやすい作品になったのではないかと思います。そのため、読み終わると、物語の印象よりは遊女たちの暮らしぶりほうがなんだか心に残る印象を受けました。この作品は物語を語るというよりは、遊女の生活を切り取った感じの作品とした方がしっくりくるような気がします。せつない恋物語を読みたいというよりは、吉原の遊女の世界を覗いてみたいという人におすすめの作品です。
2009.07.02
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井上荒野「ボサノバ」 江國香織「おそ夏のゆうぐれ」 川上弘美「金と銀」 小手鞠るい「湖の聖人」 野中柊「二度目の満月」 吉川トリコ「寄生妹」女性作家による甘くほろ苦いアンソロジー。 甘いものをテーマにしたアンソロジーだというので、ケーキやシュークリーム、チョコレートや綿菓子、誰しも一つは甘いものに関する思い出ってあるよねーと思い読んだら、どうも甘いもの=チョコレートのことらしい。なので作品に登場する甘いものの小道具にチョコレートしか登場しません。ちょっとがっかり。どうもこの作品はチョコレート会社とのコラボレーション企画なものらしいので、必ずチョコレートが登場する物語になっているようです。その為なのか、物語の中に不自然だったり、明らかに付け足しのようだったりとチョコレートが登場している作品もちらほらあるように感じてしまいました。そこが少し気になってなのか、正直あまり心が動かされるような作品は少なかったような。まあ、午後のおやつの時間帯にでも甘いものでもつまみながら、ゆったり読書する時にでもおすすめな作品ではないかと感じました。井上荒野「ボサノバ」この作品の中で唯一主人公が男性でした。なんとなくありがちな設定と展開だったように感じました。どうしてそんなに主人公が彼女に惹かれているのか、やや不思議でした。チョコレート率(物語におけるチョコレートの必要性、違和感のなさ)、50パーセント。江國香織「おそ夏のゆうぐれ」久しぶりに読んだこの作者。柔らかいようなのに刺を持っているような雰囲気は相変わらず健在でした。私的にはこの作者は昔から「甘くて柔らかい、けれど毒入り」なイメージだったので、この甘いものがテーマのアンソロジーにはしっくり来る作者なのではないかと思います。でも、この作者は作品に甘いものを感じても、その甘さはチョコレートの甘さとはちょっと違う気もするのですが。あと、この作品は正直何かを食べながら読むことはおすすめ出来ない感じです。チョコレート率、40パーセント。川上弘美「金と銀」この作者も久しぶりでした。激情に駆られることもなく穏やかな登場人物たちとストーリーなのに軽い印象にならずに芯の通った作品でした。チョコレート率25パーセント。小手鞠るい「湖の聖人」始めて読む作家さんです。私はコバ○ト文庫なるものをほとんど読んだことがないのですが、多分この作品はそれに近いものがあるんじゃないかと思わせる物語でした。切ないですが恋愛のきらきらした雰囲気漂う作品ではないかと。ただし、主人公は30歳半ばくらいなので、大人の女性のコ○ルト文庫だと思うですが。大人の女性の夢と切ないときめきが詰まった極上の恋愛小説です。チョコレート率30パーセント。野中柊「二度目の満月」一番テーマにしっくり来ている作品ではないかと思いました。チョコレートだけでなく、他の甘いお菓子も印象的な作品です。読後感も良いです。チョコレート率70パーセント。吉川トリコ「寄生妹」他の作品と趣が少々異なっている作品でした。他の作品達は割と大人のしっとり系な雰囲気なのですが、この作品は良い意味でまだ若くて落ち着いていない感じとでも言いますか。この作者だけ他の作家さんと年齢が離れているせいなのかも知れません。チョコレート率25パーセント。
2009.06.23
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はあ~面白かった、というのが読み終わっての感想です。シリアスではない三浦しをんの作品です。「格闘する者に○」と同系統と思われるコミカル三浦しをんの作品でした。まず、なんといっても今回も三浦しをんの実力をまざまざと見せつけられた感じです。ロマンス小説なるものとそれを翻訳する主人公あかりの物語が交互に語られるのですが、そのロマンス小説がきちんとロマンス小説してるところがまず素晴らしいです。と言っても私は今までロマンス小説を読んだことがないのでロマンス小説のなんたるかをあまり理解してはいないのですが、海外の翻訳小説なら何冊か読んだことあります。「そうそう海外の小説ってこういう回りくどい比喩を多様するんだよな~」など作中のロマンス小説も海外翻訳小説のツボをしっかりと押さえています。そして何がすごいって、三浦しをんがロマンス小説を愛していることはひしひしと感じるのですが、それで盲愛するだけでなく、愛して止まないロマンス小説に突っ込みを入れられるような客観性も持ち合わせていることでしょうか。そいういうこともきっちり踏まえた上で文章を作りストーリーを展開させていく腕前は、三浦しをんが今までに触れてきた物語の膨大さと物語への並々ならぬ愛を感じさせられるばかりでした。そして何が面白いって、ロマンス小説の世界とどんどんかけ離れていく状況に陥るあかりが、毎回予定調和で終わるロマンス小説を思うがままに作り変えていってしまうことでしょうか。しかもそのあかりの独創のストーリーも実に面白く、ページをめくる手を止められないくらいです。私もちょっとロマンス小説なるものに興味がわいてきました。ただ少し残念だったのは、ロマンス小説の方の出来が完璧過ぎて、あかりの方のストーリーがロマンス小説に比べて弱かったように感じてしまったことでしょうか。なんとなく中途半端なまま残された感じの設定(神名の家族のこととか、百合のこと)や、まさみちゃんのストーカー退治にみんなあんなに必死になることに疑問を感じるところなど、作り込みが少々甘いような印象を受けました。しかし読み終わったあと、清々しい気持になれるので、そんなには気にはならないのですが。読書する楽しさを改めて実感させてくれた素晴らしい作品でした。読んで良かった。とにかく楽しめる作品を読みたいという方、是非おすすめです。
2009.06.19
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「しゃぼん」「いろとりどり」「もうすぐ春が」「ねむりひめ」の4作品。始めて読む作家さんでした。「R-18文学賞」を受賞した作品を含む短編集だそうです。さくさくと読みやすくて、苦にならずに読めました。全体的にすごく続きが気になるという展開の話でもないのですが、この作者の持ち味なのか飽きずに最後まで読めてしまう不思議な作家さんです。読後感も悪くなく、わりと前向きな展開で終わる作品が多いので、読んで損はない作品だと思います。しかし、その読みやすさと読後感の良さのせいか、印象に残るかどうかといえば、あまり残らない感じのする作品だったように感じました。口当たりは良くてもぴりっとした感じが少なかったというか、個性があまり感じられなかったというか。まあ、これは個人的な好みの問題なのですが、私はただ読後感が良くて読みやすい作品よりも、内容に少しだけでも刃物的な雰囲気があるものが好きなのです。刃物的といっても刃物そのものが登場するようなバイオレンスな作品でなはなくて、刃物で切り込むような鋭さがあるということなのですが。例えば作品が果実ならば、その果肉を味わう為に作者は皮をどう剥いて読者に差し出すのか。最近は皮を丁寧に手でやさしく剥いて差し出す感じの作品が多い気がします。きっと最近の流行りなのでしょう。やさしくて、わかりやすく、刺激の少ない感じとでもいいましょうか。私はそういった作品も読みやすくて好きなのですが、欲を言えば多少読みやすさからかけ離れたとしてもナイフを使って深くも鋭くもどのようにも調理出来る、刃のきらめきを感じるようなどきりとした雰囲気を持つ作品が好みなのです。女性作家で言うならば、綿谷りさや金原ひとみはナイフでざっくり切り込む感じだし、三浦しをんは巧みなナイフ使いでくるくると実にきれいに皮をむく感じだし、桐野夏生に至ってはナイフでぐりぐりとこじ開けていく感じでしょうか。まあ、この作者の他の作品を読んだことがないので、この作者は刃物を使えるのか、実は使えるがあえて使っていないのか分からないので、この時点でなんとも言えないのですが。なのでもっとこの作者の他の作品も読んでみたいと思いました。とりあえず、読みやすさは抜群ですので難しい気持にならずに気軽に読むことで出来る作品です。「しゃぼん」主人公と近い年齢のせいか主人公の抱える問題に共感出来ることも多く、難しい言葉を使わずとも丁寧に描写できているので、作者の伝えたいことが伝わってきました。ただ主人公が自堕落な?生活を送る心理に至ることになった動機にいまいち説得力を感じなかったり、後半、主人公が天啓を得てからの展開と主人公の精神の変わりぶりが激し過ぎてついていけなくなり、置いて行かれた感じがしたことが気になりました。うう~ん、二人の間の問題なのに片方だけ開眼してもあまり良い結果が得られるとは思えないんだけれど。なんだか問題が解決したような、突き詰めて考えると解決していないような微妙なまま終わってしまった気がしました。読みやすさと巧みな描写で作者の伝えたいことは伝わってきただけに、諸所にみられる強引な展開が残念な気がしました。「いろとりどり」なんとなく山田詠美の「風葬の教室」を思わせる、大人びた悩める女の子が主人公の話でした。「しゃぼん」と登場人物がリンクしているのも面白いし、これも前向きな感じで終わるのですが、やっぱり後半は急過ぎて、まだ問題が残されているような、いまいちすっきりしない感じを受けました。「もうすぐ春が」これも登場人物が「しゃぼん」とリンクしていました。前の作品たちと違ってほの暗い雰囲気をまとった短い作品でした。「ねむりひめ」R-18文学賞を受賞した作品。賞に「女による女のための」とついているように女性むけエロティックな作品らしいのですが、あまりエロさは感じられなかったように思いました。女の私でさえそう思うのだから、男の人が読んだらなおさらでしょう。タイトルに惑わされずにエロさを求めず、読んだ方が良いと思いました。
2009.06.15
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「私の血液はエンジェルパイで出来ているの」ってなくらいエンジェルパイにハマって毎日毎日貪り続けていた時期があった。「もう私あなたに首ったけ」って感じで四六時中エンジェルパイ漬けだった日々があった。五年前のことである。でも、最近はエンジェルパイを一日に2個も食べればもう満足になった。というか、胃がもたれたり、体重うんぬんの前に体脂肪が気になったりと、おのずとセーブしてしまうのだ。精神的にエンジェルパイを求めても体がもう付いていかなくなった。無茶がしづらくなってしまった。悲しいことである。つまりは年をとったということなのだ。そういえば、三年くらい前にもモツ煮込みが食べられなくなった。昔は平気で食べられたはずなのに。モツ煮込みの味は相変わらず好きなのである、味は。だが、二口、三口食べて箸をおくはめになってしまった。なんだか、モツが強くて箸を進めることが出来なかったのだ。モツの強さに体が耐えられなくなった。つまりは年を…、もう悲しすぎる。ふと思い出す。子供の頃おばあちゃんはコーラを飲めなかった。炭酸がぴりぴりして飲めないということだった。コーラの刺激に舌が耐えられなかったのだろう。年をとると刺激の強いものは受け付けなくなるのだろうか。エンジェルパイに始まってモツ煮込み、やがてコーラへ?これって、やっぱり体の衰えのはじまりなのか。じわじわと忍び寄る老いの気配…!?悲しいより、むしろ怖い!自分ではまだまだ若い頃と変わらないつもりでも、体は正直で、こんな風に確実に衰えを見せてくる。それを実感したとき、もちろんショックだったし落ち込んだ。が、自分を奮い立たせ「でも心はまだ青春を謳歌しているっていうかまだまだ反抗期だ!」と思っていた、思い込もうとしていた、いや思い込んでいたかった。いたかった…。それは、ふと「カムイ伝」(カムイ外伝?)の漫画を目にしたときのこと。その場面はカムイ少年が相棒の鷹と戯れているというシーンだった。だが、「カムイ少年よ、その時代にはいかがなものか?」というくらい彼は裾の短い着物を着ていた。そしてその短い裾からさらけ出されたカムイ少年のおみ足を目撃した時に思わず目をそらしてしまった。無邪気な少年の素足がまぶしすぎて直視できなかったのだ。ねえ、少年の素足に刺激を感じてしまうなんて、どうよ。若い頃はありえなかったよね。これはもう、精神的にも…。「怖い!これがアラサ―?アラサ―ってこんな世界なの?」とあまり深刻にならずにいささか、ふざけ気味で恐怖を感じていたのだが、「いや、これはこれで楽しみが増えたのか?」というこれまた若い頃には到底思いつかなかったであろう考えが浮かんだとき本気でアラサ―の怖さを知り、そしてまた自分は既にどっぷりとアラサ―の世界に浸かっていると実感したのだった。「29歳」アンソロジー山崎ナオコーラ「私の人生は56億7000年」 柴崎友香「ハワイへ行きたい」中上紀「絵葉書」 野中柊「ひばな。はなび。」宇佐美游「冬の夜のビターココア」 栗田有起「クーデター、やってみないか?」柳美里「パキラのコップ」 宮木あや子「憧憬☆カトマンズ」29歳をテーマにした女性作家によるアンソロジー。掲載されていた雑誌のせいか、全作品の主人公は29歳の女性という設定に加えて仕事を持つ独身者という縛りがあるようで、全体的に似たり寄ったりの話が多かった印象を受けました。やっぱり30歳を目前にしたこの年齢ともなると漠然とした焦りのようなものを感じてしまうのでしょうか。このままで良いのか、変化を望むならここが最後の機会になるのではないのか、などの焦燥感をそれぞれの主人公達は抱えて生きています。あるいは自分が焦燥感を感じていなくともなんだか周りが変化を求めてくる。女性にとって29歳とは内側からも外側からも何かしらの変化を求められる時期なのかもしれません。また、この作品を読む限り恋愛においても25歳くらいまでと比べると明らかに変化が見られたように思います。だいたい25歳くらいまでは、もっと全身で恋愛していたように思えるのですが、アラサ―になってくるとあまりのめり込まない感じで恋愛する人が多いような気がしました。そして少し気になったのは恋愛相手も既婚者という設定が多かったことでしょうか。やっぱりこの年齢くらいで独身だと、相手は既婚者という単純な発想になってしまうのでしょうか。そんな複雑で微妙なお年頃である29歳をテーマにしたアンソロジー。29歳という年齢にこだわらず、働く女性や変化を求める女性などにおすすめの作品でした。山崎ナオコーラ「私の人生は56億7000年」何か劇的なことが起こるわけでもなく淡々と日常が進んでいくという作者らしい話でした。読みやすさは、相変わらずで、さらりと流れるように読めます。柴崎友香「ハワイへ行きたい」なんとも評価しづらい作品でした。そういえば昔、この作者の作品を読もうとして断念したことを思い出しました。なにが原因かというと私にはこの作者の作品を読みすすめることが苦痛に感じてしまうからなのです。多分、この作者は現実の日常に忠実に沿った話を書く方なんでしょう。確かに現実は物語の中のようにそんなに劇的なことも、少々奇抜で魅力に溢れた人もそんなに登場しないと思います。多くの人は平坦な日々を過ごしていてそこで感じたあれやこれやを紡いで生きています。この作者はそんな風に日常を描いているのだと思います。しかしながら、私にはその現実に沿った感のある起伏に乏しいこの作者の作品を読み進めるのがなんとも苦痛思えてしかたないので、今回も短編にも関わらず何度も断念してしまそうになりました。なので、内容の感想うんぬんの話ではないのです。きっと私はこの作者と合わないのでしょう。この作者の作品の楽しみ方を知れば良さがわかると思うのですが。中上紀「絵葉書」初めて読んだ作者だったのですが、一番印象に残った作品でした。あまり旅行をしない私なのですが、読後、主人公と流れるように旅をした余韻が残り、それがとても良かったです。野中柊「ひばな。はなび。」この作者も初めてだったのですが、読みやすいかわりに特に印象に残らなかった感じが残念でした。宇佐美游「冬の夜のビターココア」この作品も面白く読めました。ただ主人公の仕事や恋愛、そして生活にどことなく悲愴感が漂ってしまっているようで、この年齢の負の部分を如実に感じてしまう作品でした。栗田有起「クーデター、やってみないか?」最近めっきり読んでいなかった作者の久しぶりの作品なので読むのが最も楽しみだった作品です。だいたいにおいて、まずタイトルが素晴らしすぎます。そりゃ期待も膨らむってもんです。だけど、素敵すぎるタイトルに対して内容に「縛り(仕事を持つ独身の女性)」があるせいか、栗田さんにしてはいまいちパンチが弱かったような。もっと自由で奔放でもっと長編であったら素晴らしい作品だったのではないかと少々悔やまれます。しかしながら、文章に栗田さんらしさはちゃんと発揮されていたので、作品を読めたというだけで十分幸せな気分を堪能できました。柳美里「パキラのコップ」この作者は初期の頃の作品しか読んでいなかったので、この作品を読んで作者の書く作品の変わりように衝撃を受けました。作者、ずいぶんと軽やかになったんですね~。なのでここ最近のこの作者の作品を読んでみたくなりました。宮木あや子「憧憬☆カトマンズ」この作者も初めてでした。読みやすくてテンポも良く話は進んでいくのですが、読み進めていくうちに頭の片隅に引っかかるものがあって、それをずっと気にしながら読んでいました。ん~、なんだろうそう何かに似ているような…。あ!三浦しをん!この作品のノリは三浦しをんに似ているんだとやっと思い当たり、胸がすっとしたのを覚えています。確かに少々情けないけれどこだわりを持った主人公や、それを取り巻く登場人物など、シリアスではない三浦しをんの作品と通じるところがあると感じました。しかし決定的に違うのはこの作者は三浦しをんほどのマニアックさがないところでしょうか。そうは言っても不思議なことにこの作品にも主人公を始めとする登場人物にオタク臭(おもに音楽)なるものを持った者が多数登場しているのです。にも関わらず、三浦しをんほどのマニアックさは感じられない。三浦しをんのさっぱり系とでもいいますか。というか、三浦しをんってどれだけマニアックなの?どっしりとし過ぎてブレがないというか、どれだけ物語に触れてきたんだと改めて感心してしまいます。そんな感じなので、三浦しをんファンはもちろんのこと、苦手な方にもこの作者はおすすめかもしれません。暗い気持にならず爽快さを感じさせる作品でした。
2009.06.10
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昔から音楽の実技のテストが苦手だった。特にリコーダーのテストが苦手だった。もともとあがり症で本番に弱いガラスのハートの持ち主なので、ぶっつけ本番であるリコーダーのテストなどはもってのほかだった。事前に懸命に練習して、目をつぶっても指使いが乱れることも、見当違いな穴を抑えることもないくらいまでに仕上げていったとしても、本番にはうまくいったためしがない。指遣いは完璧でも息だけはコントロール出来ないらしく緊張で震える呼吸の為に震える音色になってしまうからだ。震えをごまかそうとして意識して強めに息を吐き出してしまうと耳をつんざくような極端に大きな音になってしまうし、反対にそれを抑えようとして抑え気味に息を出そうとすれば、また息が震える。自ら意図しなくともビブラートがかかり、たびたび強弱するリコーダー音。それは聞く人が聞けばある意味、尺八名人ばりのワビサビすら感じさせる幽玄な演奏だったかもしれない。しかし、小学生の音楽の時間にリコーダーで演奏される「きらきらぼし」にワビサビや幽玄の世界観は不要であろう。というかむしろそんな演奏は小学生にとっては、「悪魔が来りて笛を吹く」のごとく不気味な演奏に違いない。そんな訳で小学校の時分は苦渋に満ち満ちた音楽の時間であった。しかし中学生になり、最初はでかくて黒いアルトリコーダーなるものに同じように苦しめられたのだが、やがてそれらの出番も少なくなってきた。そしてとうとう中二のときに、呼吸を必要としない実技のテストに巡り合うことが出来た。それは打楽器のテスト。もちろんそれまで打楽器に触れたことはほとんどなかったのだが、呼吸を必要としない楽器ならば、意図せず不気味なワビサビを醸し出すこともあるまい。今度こそはいける、ついに悲願成就の時がきた!とばかりに、と私はひとり喜び勇んだ。打楽器のテストは5つのパートに分かれており、決められた5人でチームを組んでそれぞれのパートを一緒に演奏するというものだった。私はやっと努力が報われそうな実技のテストの登場に興奮を感じながらも、同じチームの人達に迷惑はかけられないという責任感も手伝って、今まで以上に練習に励んだ。私が受け持ったのは4番目のパートだった。そんなに複雑なリズムではなかったが、なかなかアップテンポで忙しい感じのリズムだった。私は渡された譜面に「ン、タ―タ、タタタタ」などと書き込んでいき手拍子で練習した。それからテストのまでの私の日々は打楽器の練習一色だった。家では四六時中手を叩き、学校では授業の合間にこっそり膝に手を打ちつけた。手相が消えるんじゃないだろかというくらい懸命に練習した。もちろん何度か同じチームの人達と合わせて練習もした。完璧だ。そうして私は来る打楽器のテストへ備えた。そしてついにテスト当日が来た。音楽の先生は各パートの人に担当の楽器をつぎつぎと渡していく。生徒はテストする直前に担当する楽器を知ることになるので、一応十分間の練習時間が設けられていた。第一のパートはトライアングル、2パートは鈴、次は木魚のような楽器(名前忘れた)など、テストで使う楽器がつぎつぎとそのパートの人に手渡されていく。そして、ついに私の番。先生に手渡された楽器を見て私は唖然とした。ギ、ギロ?そう、私がこのテストで演奏すべき楽器はギロだったのである。ギロという楽器をご存じだろうか?辞書には「中をくりぬいたヒョウタンの表面をぎざぎざに刻んでそこを棒で擦って音を出す打楽器」とある。つまりは木製の洗濯板を棒で擦って音を出す感じだと思って間違いはないと思う。多分名前は聞いたことなくとも、音は誰しも一度は耳に入れたことがあるのではないだろうか。ルンバなどラテンの音楽でジーチコ、ジーチコっていっている、あれである。私が手渡されたギロをみて驚愕したのは、打楽器のくせに擦らなきゃいけないという動作にである。打楽器のテストだということで、私は(みんなも)いままで手拍子で懸命に練習してきた。打つ、叩くという打楽器の動作を手拍子で練習するのは不思議なことではない。手拍子のあの「パン!」という動作は打つ、叩くという動作に容易に変換できるからだ。しかし、このギロの様に擦るという作業と手拍子を連動させることは恐ろしく難しい。だいたい打楽器なのに擦るという動作を事前に少しでも想像出来る者などいるのだろうか。それにギロは基本ジーチコ、ジーチコなのである。それに対して私が刻まなければならないリズムは「ン、タ―タ、タタタタ」である。これがトライアングルだったなら「ン、チリ、チ、チチチチ」で、鈴だったなら「ン、シャン、シャ、シャシャシャシャ」で出来るけれども、ジーチコ、ジーチコという、どこか間延びしたリズムを奏でるギロにアップテンポな4パートはとうてい無理な話である。そうこうしているうちに他のメンバーたちは渡された楽器で練習を始めていた。トライアングルは右手に持った棒で三角形の本体を叩き「チリチリチリチリ」、鈴の人は鈴を持った手首を拳で叩いてシャンシャン。いいなぁ、やっぱりみんなは叩く動作なんだ。それに引き換えこのギロの野郎、打楽器のくせに叩かれる気なんか全然じゃないか。あまつさえ擦られるって、どうよ!打楽器の自覚さらさらなし!などど、私は一人のんきに毒付いていた。しかし、悠長にそんなことをしている暇はなかった。このテストはチームやらなければならないのである。私一人が演奏出来なくて済む話ではないのだ。私もとりあえず試しにギロで練習を始めてみた。「ン、タ―タ、タタタタ」をギロで何とかやってみようとする。その場合「ン、ジーチ、ジ、ジジジジ」だろうかと、見当をつけて試しにやってみる。その結果、ものすごい早い手の動きが要求されることが判明した。ギターをかき鳴らすごとく軽快な手首のスナップを利かせなきゃならないのだ。しかしギロはギターの弦ようになめらかに奏でられる訳もなく、頑固な汚れを落とすためである洗濯板の表面を持っている。そこを汚れた洗濯物ではなく、固い棒をすごい速さで何度も擦らなければならない。そうすると、棒を持つ右手の刺激は、低周波出んのかっ!てくらい強烈で、棒を持つ手にしばらくしびれが残るほどであった。何これ?こんな調子で一曲やり終えた頃には、「若い頃、あたいのこの右手はギロにくれてやったのさ・・・」って場末の酒場で語っちゃうようなことになるんじゃないか?と想像は果てしなく広がっていった。いや、無理無理無理無理。やっぱりギロはないないないない。どう考えても、ギロで4パートは不可能だ。無理しようものなら右手が再起不能になりかねない、などと怒りを通り越して不安がよぎった。そのうち、もう擦るにこだわらないで、普通に表面を棒で叩いてもいいかなと思い始め、試しに音楽の先生に提案してみたところ、「良い訳ないでしょ!」という意味の一瞥をもらいあえなく断念することとなった。そんなわけでおおかたの想像の通り、打楽器のテストの結果は散々だった。しかもチームのみんなの足を引っ張るというおまけ付きで。結局私は楽器と相性が悪いのだと悟った中学二年の初夏だった。「Heart Beat」音楽と青春がテーマのアンソロジー。小路幸也「peacemaker」 伊藤たかみ「シャンディはおやすみを言わない」 楡木由木子「おれがはじめて生んだ、まっさらな音」 芦原すなお「アルゴ―号の勇者たち~短い叙事詩」 藤谷治「再会」 花村萬月「フランソワ」世の中に音楽好きな作家は多いと思う。音楽鑑賞と読書の両方を愛して止まない人もまた少なくないだろう。その証拠にベストセラーになった文学作品の中には少なからず音楽が重要な要素になっているものも数多く存在する。ぱっと思いつくものは、そのまんまビートルズの曲がタイトルの村上春樹の「ノルウェイの森」だろう。あと、伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」の中にもボブディランの曲が物語に重要な役割を与えている。音楽と文学は表現方法は違っていても、心が感じる部分は似ているような気がする。文学をこよなく愛する人は同じ感覚で音楽も愛しているのだろう。しかし、小説でうまく音楽を物語のキーポイントとしている傑作は多いと思うのだが、音楽そのものがテーマの作品では傑作はあまり見かけないのは何故だろう。音楽と文学はそれを受け止める側の感じる部分は近い気がするのに、文学で音楽そのものを表現しようとすると、何故だかあまりうまくいなかいような気がする。さて、このアンソロジーは青春音楽をテーマにしているらしいので、読書も音楽も大好きな私は楽しみにして読んでみた。一番の感想は、期待し過ぎたかな、だった。少し期待はずれな感じを受けた。なんだろう。全体的に作品が気持に入ってこないこの感じは。まず、このアンソロジーは6つの作品が収録されている。その中で読んだことのある作家は最初と二番目に収録されていた伊藤たかみ氏と小路幸也氏の二人だけだった。割と好みの作家だったのだが、その二人の作品も彼らの他の作品に比べてあまりぴんと来なかったように感じられた。とりあえず、気を取り直して続きを読んでみる。初めてよむ作家たちの作品だったのだが、これらも特に感性に訴えてくる作品ではなかった。テーマである青春は感じることは出来ても、音楽はあまり感じられないような気が。読んでいて登場人物に置いてきぼりにされている感じというか、温度差があるというか。こんな調子だったので、アンソロジーの後半にさしかかってくると、もう音楽にこだわらなくても良いのではないだろうかとさえ、考えてしまった。しかし最後から二番目に収録されていた藤谷治氏の「再会」でやっとこれはよかったと素直に思えた作品に出合えた。藤谷治氏は知らなかった作家だったので経歴を見てみると、作者はどうも昔、音楽に携わっていたことがあるようだった。そのせいか、作品に専門的な用語などが登場するのだが、それでも意味が分からなくても作品の中から音楽が伝わってきて、青春音楽小説の名にふさわしい作品だった。そこで、ふと思ったことがあった。文学で音楽を表現しようとしてうまくいかないのは、作家は文学者としてはプロでも音楽家としては、愛好家の域を出でいないからじゃないだろうかということだった。恐らくどんなに音楽を愛していても私情が入りすぎていて客観的に音楽に接することが出来ないのだろう。一度でも、音楽の道を志したり、音楽と真剣に向き合った者でもない限り、音楽を客観性を交えて感じることは難しいのかもしれない。そうなると文学作品で音楽そのものをテーマにした場合、作品から音楽が伝わってくるものは少ないんじゃないだろうか。客観性を交えずに書いた音楽の作品は、思い入れたっぷりの他人の恋文を読まされている感じに近いのかもしれない。全体的にみると、なんだかタイトルが短い作品ほど良い感じがした。そんな感じだったので、この作品は音楽青春小説のアンソロジーとして読むと少々物足りない気がすると思う。なので青春小説のアンソロジーとして読んだ方が良い作品ではないだろうか。音楽が好きという人よりは、青春小説が好きという人向けかもしれない。
2009.06.02
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恋愛をテーマにした短編集。この作品は11の短編が収録されているのですが、それぞれの話にはお題が付いています。何のお題なのかは、最後のページに載っているので読みながらお題を予想する楽しさもありました。私的には「裏切らないこと」と「春太の毎日」が良かったです。お題があるせいか、恋愛というテーマは一応あるものの、内容はとてもバラエティに富んでいます。そこからも作者の引き出しの多さがうかがえるのですが、その引き出しの中にボーイズラブが多めなのが少々気になるところでした。それどころか作者の引き出しにはボーイズラブもひっくるめて同性愛的なものが多いかもと感じてしまいました。それにしても、世に恋愛小説なるものは数多に存在するけれどもこの作者のそれは、この作品から見るに少々趣が違うような気がします。まず恋愛小説によくありがちな登場人物に感情移入して、物語の世界に浸るということがこの作品はしづらい。読後、恋心やときめきなどが喚起されることはあまりない、ことなどです。しかしこんな風に書くとこの作品が恋愛小説として薄っぺらいという感じを与えてしまうかもしれませんが、そうならないのがこの作者のすごいところだと思います。それどころが、寧ろこの作品は巷にあふれる恋愛小説たちに比べて深くて濃い感じすらします。しかもその深さと濃さは暗い影に縁どられている感じがするのです。不思議なことに短編の中には明るく弾けた感じの作品があるにもかかわらず、なんだか全体的にまとめるとなんとなく影の漂う短編集になっています。そんなところが恋愛小説として感情移入のしづらさや、恋心がくすぐられないなどの結果になってしまったように思うのですが。ということなので、恋愛小説として読むと好き嫌いが分かれるであろう作品です。なので私はむしろ恋愛小説として読むより、何気ない日常の、何気ない事柄に、ふっと覗いた底の見えない深淵を切り取った短編集だとした方がしっくり来る気がしました。一日一作品ずつ、じっくり読むのにおすすめの作品かもしれません。
2009.05.20
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主人公、山田なぎさは早く大人になってお金という実弾を手に入れたいと思っていた。そんなある日、転校生の海野藻屑がやって来てこう言った。「ぼくはですね、人魚なんです。」「少女には向かない職業」からこの作者にハマった身としては、それ以前の作品はもちろん気になる存在ではあったものの、いかんせん表紙でしり込みしていまい読む機会を逸していました。しかし最近書店で文庫本になったこれらを発見し、ついに手に入れることが出来た次第です。三冊文庫本になっていた中で最初に読み始めたのは一番タイトルが印象的なこの作品。そんなに厚くない作品なのですが、もう一気読みでした。そして読み終わって真っ先に思ったことは単純に、読んで良かった、ということでした。本の感想としてそれはどうなの?という感想といえばそうなのですが、私としては本として最高に近い称賛ともいえる感想です。それにこの作品は正直、後味の良い作品ではありません。なのに読み終わった後、その読後感の悪さにもひるむことなく、読んで良かったと素直に感じることが出来たのです。読後、少女達の辿る運命が胸の中にしばらくの間引いては打ち寄せてきて、まるで波打ち際のようにゆらゆらと作品の余韻に浸っていました。この作者の味がもっとも活かされるであろう、少女を描いたこの作品が面白くないわけはなく、しかも面白いだけではなく、この年頃の少女たちが抱えるやり場のない思いが見事に表現されているのです。そして、その先にちゃんと家族の物語へと繋がる片鱗が見えるのもこの作品の魅力の一つではないでしょうか。もちろんこの作品がいかに素晴らしいかといって、気になるところが全くないわけではありません。この作品をミステリーとして読むと、物足りないと感じでしまうと思います。なぜなら冒頭にすでに藻屑の運命が語られてしまうからです。その過程を追っていく楽しみもあるのですが、物語は概ね読者の予想通りに展開していくので、後半に意外性はほとんどありません。それから、もともとライトノベルとして出版されたであろう作品のせいか、ライトノベル色が強めといいますか。私はそれほどライトノベルに拒否的な反応はないのですが、ライトノベルをあまり読まない人や、偏見を持っている人には読んでいて鼻につくような個所が多々あるかもしれません。少々デフォルメされた感じの登場人物とか、表現とか。なので、ミステリーファンとライトノベルが苦手な人にはおすすめしづらい感じではあります。しかし作品にとって弱点ともなりうるそれらのものですら、まるで津波のように一気に呑み込こみ、読者を物語の先へ先へと引きずりこむほどの強い力をこの作品には感じるのです。買わないにしても、一度読んでみる価値はあると思います。もちろん桜庭一樹ファンには是非おすすめの作品です。
2009.05.15
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「お父さん、臭いから嫌~い」ある日、思春期の娘から突如として発せられるこの一言。幼き日から惜しみなく愛情を注ぎ、手塩に掛けて育てて来た娘に「臭い」うえに「嫌い」だと言われた日には、その夜は涙で枕をぬらさずにはいられないことだろう。しかし、娘からの死刑でも宣告されたようなこの一言、実は利己的な遺伝子のなせる業とでもいおうか、その裏には実に奥深い生命の神秘があったのだ。生物学的にみた場合、配偶者を選ぶ選択権はどうも雄ではなく雌にあるらしい。その場合、雄を選ぶ権利のある雌は何を決め手に雄を選ぶかといえば、いかに優れた遺伝子を持つ子孫を残せるかどうかということになるわけだ。ジグソーパズルの欠けた部分を埋めようとするがごとく、遺伝子は自分が持っていない遺伝子を求めるものなので、自分と遠い遺伝子を持つ者が自分にとって最適な遺伝子を持つ者ということになる。その為に雌は遠い遺伝子を持つ雄を一体どうやって選別しているのか。どうも雌は嗅覚(ほ乳類限定?)によって無意識にそれを判断しているらしい。つまり雌は自分と遠い遺伝子を持つ雄の匂いはとても心地よいものに感じるのだが、反対に近い遺伝子を持つ雄には臭くて嫌だという嫌悪感を抱いてしまうようになっているらしいのだ。そう、それこそが愛娘からの「お父さん、臭いから嫌~い」の元になっているというわけだ。遺伝子は自分に近い遺伝子との交配を避ける為に「臭くて嫌だ」という感情を与え、無意識に近親交配を避けさせていたのだ。確かに娘時分、女子高の友達にお父さんとお母さんどちらが好きかと訊ねれば、答えは8割がた「お母さん」だった。しかも、残りの2割の「お父さん」派は、お母さんは怒ってばっかりだからといった「お母さんが嫌いだから、残りのお父さんで良い」というような消去法的な「お父さん」派で、お父さんは思春期の娘にとってはあまり好ましくない存在だったようだ。さてさて、ではそうなるとここで一つの疑問が生じる。近い遺伝子が嫌われるなら、「お母さんはなぜ臭いと言われないのか」ということになる。ここからは私的見解になってしまうが想像するに、母親という存在は子にとって確実な存在であるということに関係があるのではないだろうか。なぜなら母親は父親と違って出産という事実がある為に確実に自分の子がわかる。しかし父親の場合、出産という事実がない為に確実に自分の子かどうかの確証を得られないのだ。そうなると、確実性のある母親と息子は近親交配を避けることは容易なのだが、万が一社会的に父親と思われる人と娘が遺伝的つながりがなかった場合、将来遺伝子上の父親と娘が知らずに近親交配になってしまう事態が起こりうる。そんな時娘の「臭いから嫌~い」が有効になってくる。それは自分の子孫に確証を得られないという雄の悲しき性?故の遺伝子のなせる業。そう、何もお父さんだから「臭いから嫌~い」ではなく、遺伝子が近いから故の「臭いから嫌~い」なのだ。さあ、娘を持つ世のお父さんよ!これで娘からの「お父さん、臭いから嫌~い」に怯えることも絶望することもない!最愛の娘から「お父さん臭いから嫌~い」なんて言われた日には、「この娘、確実に自分の血を引いてやがる」とむしろその夜は安堵の涙を流しても良いのである。「私の男」桜庭一樹花と養父の淳悟。二人は誰にも言えない罪を抱えていた。この作者の作品で私が初めて読んだのは「少女には向かない職業」だったのですが、その時に「この作者は将来桐野夏生のようなものすごいものを書くに違いない」と衝撃を受けたのを覚えています。そしてその後出た作品たちは私の予感を裏付けるかのようにどんどん進化していって、とうとうこの「私の男」で直木賞を受賞するまでになりました。地方の少々うらぶれた感じの街が登場するのは今作も健在なのですが、そこで父と娘の愛憎溢れる物語が繰り広げられます。少し気になったのはいささか他の作品に比べて、そしてこの作者の直木賞受賞作にしては深いけれどいつもの力強さが足りなかったような。それというもの、この作者の実力がいかんなく発揮されるのは、少女と女同士の関係を描いたときだと思っているので、この作品は残念ながらそれがなかったからなのです。それでも、この作者のすごいところは女性同士の関係を描いていても、それだけでは終わらずにやがてそれらは家族の、血の物語に昇華してしまうところだと思ってます。なのでこの作品は男女の話ながらも根本は家族の物語となっており、十分に桜庭一樹の世界は堪能出来きます。個人的には直木賞受賞はきっとこの作品自体に与えられた賞というよりも、作者の今までの作品、そしてこれからも進化して紡がれるであろう作品への総合的な意味合いの賞なのだろうと思ってます。しかしながらこの作品は気にかかる所も満載で、↓若干ですがネタばれ防止 血の繋がった父娘だったら↑の「お父さん臭いから嫌い」問題はどうなのかとか、淳悟の花への執着は理解出来るのだが花の母親に対しての淳悟の感情が全く説明されてないとか、花に妹がいるのは淳吾と花の母親との不貞があったあとなのに少々不自然ではないか(花の奥尻島でのお父さんの心はまるで仏だよ)とか美郎の語りの章があるにもかかわらず美郎が花と結婚に至るまでが想像出来ないとか、美郎と小町の章の必要性などなど。まあこんな具合に突っ込みどころは多かったりするのですが、きっと作者が描きたかったのは淳吾と花の二人だけだったのではないかと思います。この二人の関係さえ描くことが出来れば他の噛み合ないところは瑣末なことなのでしょう。そう読むとこの作品は作者にとっての父と娘、家族の関係をより濃密に深く描いた作品なのだと気付かされます。後味の良い作品とは言えないので、桜庭一樹初心者にはあまりおすすめ出来ませんが、桜庭一樹の世界に深さにはまりたい人はぜひ。
2009.04.30
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「硝子のハンマー」で登場した弁護士青砥と、防犯探偵榎本が活躍する密室をテーマにしたミステリ短編集。「狐火の家」「黒い牙」「盤端の迷宮」「犬のみぞ知る」の4作品。以前読んだ「クリムゾンの迷宮」がとても面白くて、似たようなテイスト?の「新世界より」が読みたーいと思って図書館へ行き、予約件数のあまりの多さに愕然として断念し、せめてもの慰めにと思って借りたこの作品。テイストはだいぶ違いましたが、なかなか面白く読むことができました。「硝子のハンマー」の登場人物の二人が出て来る密室をテーマにした短編集でした。一番良かったのは表題作である「狐火の家」かな。ただ、この作者の書く話は面白いと思うのですが、決して登場人物で売れる人ではないな~と実感してしまいました。なんか青砥弁護士と榎本にあんまり魅力を感じない・・・。そしてあんまり魅力を感じない二人を登場させるため全部密室トリックのミステリになってるので、読んで行くうちに無理して密室にしなくても、無理して二人を登場させなくてもと感じてしまったのです。う~ん、まあ榎本の職業上密室になってしまうのは仕方ないのにしても、密室のミステリになると、人間関係よりもトリックの説明が多くなってしまうので、それを短編でやっちゃうとなんだかトリックの印象ばかりが残ってしまうような気がして物語に少々深みが足りないような印象を受けてしまいました。「硝子のハンマー」で青砥弁護士と榎本のファンになったという人、三度の飯より密室が好きと言う人にはおすすめな作品です。
2009.04.14
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社内報編集者の杉村は、ある時、無差別毒殺事件の被害者の遺族である女子高生と出会い事件に関わっていくことになる。人と人の出会いに「縁」があるように、人が出会う本にも「縁」があると思うのですが、私の場合、世間でたくさん読まれているにもかかわらず、意図的に避けていたわけでもないのに、ほとんど読んだことのない作家さんが思い付く限り二人ほどいます。その「縁」がなかったとしかいいようのない作家のひとりは宮部みゆきでした(あとは、東野圭吾)。この作品を読んでみて今まで私は宮部みゆきはミステリ作家だと思ってたのですが、これを読む限りでは正統な?ミステリ作品とはちょっと違うなと感じました。意外な犯人や複雑な人間関係、様々に張り巡らされた伏線がある訳でもなく、割と早い段階から犯人がなんとなく分かってしまうし、最後のほうの展開も予想どおりなので、この作品はミステリのトリックとしてみると地味な部類に入るように思います。どちらかというと、人間の、とりわけ犯罪を犯す人の内面に深く焦点をあてているような感じでした。なので読んでいて事件の経緯よりも、登場人物の言動の方に興味が湧きました。宮部みゆきがこんなに人気があるのは事件の為に人がいるという物語ありきの作品ではなく、人がいるから事件が起きるというスタンスで人の内面を描くことに長けた物語を作るからなのではないかと感じました。なのでこの作品はミステリとして読むよりも、人間の内面、特に「悪意」に焦点をあてた作品として読んだほうが楽しめると思いました。
2009.04.09
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大学教授の村川をめぐる人々が描き出す真実を探しもとめる連作短編集。人間の内面の、しかも「愛」という存在するかどうかも怪しく、未知で正体不明なものを当事者たちからではなく、その周りの人物の視点から描いた深い作品でした。前に読んだ「むかしのはなし」の感想で、するすると水を飲むように読むことの出来る文章だと書いたのですが、この作品はそういった喉越しが良いものとは違って、濃密で時に思わず立ち止まって考えさせられるような文章でした。作者がいままで膨大な文学に触れてきたことの裏打ちがなされたような文章です。まあ、どちらにせよ文章のうまさは相変わらずです。文庫本のかいせつで金原瑞人が絶賛していたように、とても完成度の高い作品なのだということはわかります。なのですが思う所が一つ。悪いわけではなのでですが、とても玄人向けな感じの作品だなということです。読む人を選ぶというか。携帯小説に慣れ親しんだ人たちや、普段あまり読書をしない人達にはこの文章と世界観を味わうことは難しい以前に、読むことすらままならなのでは?と懸念してしまったのです。多分この作品は文学として完成度が高過ぎるために、それがゆえに玄人向けになってしまい万人向けから遠くなってしまった印象を受けました。そういう意味合いでいくと直木賞を受賞した作品「まほろ駅前多田便利軒」の方が、万人向けな作品のような気がします。すごい作品なだけにそこだけがちょっと残念な感じです。しかし、何度もいいますが決して悪い作品ではないのです。というか、ものすごい作品です。とても真摯で古風な文学とでもいいましょうか。この作品は多分いつの時代でも存在するであろう登場人物に感情移入して物語そのものを味わいつくすような恋愛小説ではなく、新しい感覚で時代を映し出していくような現代の文学でもなく、かつての文豪たちが心血を注いで描こうとした人間の深淵をえぐり出すような小説に近い感じがします。恋愛小説ではないのに「愛」を描くことによって人間を深く掘り下げていくようなこの作品はなんだか古い文学のもつ雰囲気に似ているような気がして、(ちなみにここでいう古いは「レトロ」ではなく「クラシカル」の意味です)、時代を越えても通用する力を秘めた作品ではないかと感じました。すごいベストセラーにならないにしても、こつこつと読書する人達のあいだで、長い間読み継がれてゆくであろう作品です。
2009.04.06
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ラジオのDJをしている野枝は、新天地で新しい生活をはじめようとしていた。他人を必要以上に信用しないし、期待もしない。誰かと信頼を築いてもそれは一時のものでやがて壊れていくから。相手との関係を失って傷付くくらいないら、最初から心を開かないほうがいい。だって傷付けられるのは辛い。自分の醜い容姿がコンプレックスの主人公、野枝は人となるべく深く関わらずに、派手なことはせずにひたすら地味に生きて行きたいと思っていた。「待ってました」と言いたくなる絲山秋子の作品でした。私が絲山秋子の作品で一番好きだったのは「袋小路の男」で、賞を穫った「沖で待つ」も良かったと思うのですが、何だかその後の作品は特にこれといって引っかかるものが無く、昔の絲山秋子カムバックと思っていたのです。誰とも深くつき合うことを拒否して来た主人公野枝の卑屈さと頑さに最初読んでて少々イライラしながらも、顧みれば自分にも少なからず野枝に通じることろがないとも言えず、不思議と共感を覚えてしまっていたり。そうなんですよね~、自分に当てはめて考えてみても若い頃に比べて、年齢を重ねてくると様々な(その大部分はあまり良い経験とは言えない)経験から、野枝ほどではないにせよ過大に期待をするということをついついセーブしてしまう傾向が出て来てしまうように思います。まあ、野枝は年を重ねて経験を積んでというよりは、幼い頃からそんな傾向で生きてきたわけなのですが。野枝のその考えは恋人であった美丈夫との関係にも当てはまってて、ひたすら傷つかないために、彼に求めないし、何も期待しない。いつかは終わってしまう関係だと諦観していたから、二人でいるときでも早く終わってくれとひたすら願っている。野枝のそんな失うくらいなら最初から何も手に入れないというモットーは、なんだか相手に人一倍大きな愛情を持ってしまうからという裏の面を孕んでいるようで、それが読んでいくうちに切なく痛々しい気さえもします。実は野枝は本当は人一倍感情豊かでその分傷付きやすいために、小さいころから期待を押さえ込んでしまうようになったのではないかと思ってしまいます。やがてそんな野枝の頑なな心は新しい土地での仕事、出会いを通してしだいに変化していくのですが。読み終えてなんだか綿谷りさの「夢を与える」を思い出してしまいました。人との繋がりを拒絶してしまった主人公というのが、この作品の野枝と通じるものがあるように思ったのですが、「夢を与える」は繋がりを拒絶したまま話が終わってしまうのに対して、この作品主人公は少しずつ周囲に手を伸ばしはじめる。二つの主人公は似ているようでその結末は逆の方向へ開いた終わり方をしています。人との付き合いは、決して思いどおりにならなくて、落胆したり煩わしかったりするのですが、それでもそこに光に似たものを少しでも見いだしていければ良いのではないか。決して都合良くも薄っぺらくもなくそれをリアリティを伴いつつ、結末をここまで導けた作者の力量に圧倒されます。絲山秋子の本領発揮な感じの素晴らしい作品でした。マニアックなインディーズミュージックと外国車はもう絲山作品の定番で、今回ももちろん登場します。「海の仙人」と似たテイストの語り口なのですが、私はこちらの方が断然好きでした。読んで損はない作品です。
2009.04.01
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伊坂幸太郎の短編作品集。「動物園のエンジン」「サクリファイス」「フィッシュストーリー」「ポテチ」の4作品。「動物園のエンジン」短い作品です。世界感は伊坂ワールドなのですが、ミステリの部分が極めて少ない感じでした。そのせいなのか、純文学的というか村上春樹の短編を思い起こさせるような気がしました。なんだか、この作者の新境地を少しだけかいま見たような気がする作品でした。「サクリファイス」この作品はミステリの占める割合は多かったです。多分この短編の中で一番ミステリっぽかったような。都会的な雰囲気が漂う伊坂ワールドでは異例な感じの地方の村を舞台にした郷土感溢れる作品。しかし登場人物たちは伊坂幸太郎風なので、相変わらず楽しく読めます。「サクリファイス=犠牲」、読み進めていくとそのタイトルの真の意味に気付かされることになります。ちょっと乾いた切ない余韻を残す作品です。「フィッシュストーリー」これは表題作らしく一番伊坂さんらしい作品。時間も場所も越えたそれぞれの登場人物たち、彼等の話がどのように繋がっていくのか読み進めていくのが楽しい作品です。その手法は「ラッシュライフ」を思い起こさせるのですが、短編でここまでの作品を描けた作者の成長を感じずにはいられない作品でした。「ポテチ」これも仙台を舞台にした伊坂ワールド全開な作品。ドライな感じよりはほろりとする作品でした。タイトルのポテチが内容と上手くリンクしていて、それがまたいい感じで話を盛り上げています。全体的にそんなに深く重い話では無かったので、さらりと読めました。ただ、短編だと短いせいか伊坂幸太郎ワールドが凝縮され過ぎていて続けて読むには少々食傷気味になってしまう感じがします。この作者は長編で良さが発揮されるような気がします。長編向きな作家さんですね。次回は長編の作品を読んでみたいです。
2009.03.26
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盗聴専門の探偵である主人公の三梨。ある企業の依頼で盗作調査を行っていたのだが、眼にコンプレックスを持つ冬絵をスタッフに迎え入れてから、調査は思わぬ展開に・・・。この作品で久しぶりに満足出来るミステリを読んだ気がしました。それというのもしばらく読書から遠ざかっていて、最近また少しずつ読書するようになったのですが、なぜかミステリらしい作品はほとんど読んでなかったのです。私的に満足出来るミステリとは、物語の終盤くらいに真相が明かにされて「ああ、あの伏線はこれだったのか!」と気付かされる瞬間があることです。なのでこの作品も伏線が明かされて「そうだったのか!」と気付かされる瞬間があり、それこそがやっぱりミステリの醍醐味だと改めて実感することが出来ました。少し残念だったのは、肝心の殺人事件の真相はなんとなく分かってしまったことなのですが、この作品はそれ以外にも伏線が各所にちりばめられているので、もう終盤は「これでもか!これでもか!」と伏線ネタあかしの大判振る舞いです。もちろん最初読んでいて、「これは騙されるな」っていう気配だけはびんびんしてました。なのですが、用心して用心して読んでいても、思いもよらなかった部分までもが伏線だったりするので、一つ二つくらい見破れてもそれ以上に見破れない伏線の多さにもう十分満足出来ます。物語全体の本当に細かいところまで伏線が張り巡らされているので、どんなに頑張っても誰でも一つくらいは見破れない部分が出てくるのではないでしょうか。ふぅ~、久しぶりにミステリをおなか一杯食べた感じの贅沢な作品でした。
2009.03.23
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桂をかぶる店長のいる「桂美容室別室」の従業員達と主人公淳之介と梅田さんが織り成す彼等の日常。この作者らしい日常をあわあわと描いた作品でした。相変わらすセンスの良い表現力で、「人のセックスを笑うな」の時のような瑞々しさはなりを潜め、その分少しだけ深みが出て来た感じがしました。この話は主人公と桂美容室の従業員達と梅田さんを交えて話が進んでいくのですが、特別にとっぴなことが起こるわけでもなく、ただ淡々と日々が過ぎていきます。そして登場人物たちもそれほど個性的でもありません。なのでこの作品は物語、登場人物を楽しむ作品ではないような気がします。多分この作品で一番味わうべきは人との微妙な距離感ではないでしょうか。親しいようで実はあまり踏み込めていない、何でも話しているようで実は何も知らない周りの人との近いようで遠い距離感。作者が描きたかったのはそんなきちっと括ることの出来ない、人との距離だったように思います。それにしても、ストーリー、登場人物のインパクトがいまいち少なかったせいか読んだあと、余韻が残らなかった。読後、どうしても「・・・それで?」と感じてしまいました。正直、何度も何度も繰り返し読みたい気を起こさせることは薄い作品のような気がします。日常のように通り過ぎる感じの作品。なので、就寝前などにでも、さらりと読みたいときにはおすすめな作品です。
2009.03.17
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死んだ父親の遺言で拳銃を届けることになった龍哉、同居人の公平とくるみもその旅に同行することになるのだが・・・。なかなかに味のあるイラストが印象的な表紙のこの作品。拳銃を届ける為にわけ有りな男女3人の行動を追った青春ロード・ノベルらしい・・・のですが、それにしてはなんとなくスピード感が足りなかったような。足りないというか、中盤あたりまで結構まったりしちゃってたというか。あらすじを見る限りではなんとなく伊坂幸太郎さんをイメージしてしまったので、伊坂ワールドのようなスピード感溢れる展開とスタイリッシュさを期待し過ぎていたのかも。でも、展開はゆっくりでも登場人物の心の傷などは丁寧に描かれていて良かったです。うん、心の傷は・・・良かったのですが、でも読んでいてなんだか払拭しきれない違和感を感じてしまった。なんでだろうとずっと考えていたのですが、それはおそらく主人公3人の年齢に問題があるのではないかと。彼等の心の傷とそれに伴っての「殺したい奴がいる」の心情は納得出来るのですが、もうその彼等、御年25歳・・・。いい加減いっぱしの社会人。これが10代、せめて20歳くらいまでだったなら、彼等の心情とその行動に納得がいくかもしれないのですが、25歳の社会人にしては無責任すぎて幼過ぎる気がします。そこが気になってあまり話に入って行きづらかったのがちょっと残念。でもさくさくと読めて、お手軽な作品でした。
2009.03.12
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「しゃざむねぇ~。」これは恋か!?って思うくらい最近頭の中からはなれない言葉がある。その言葉はふっとした拍子に不意に頭に浮かんできて、頭の中で幾度となく繰り返される。最近の私のそれは「しゃざむ」という言葉。「しゃざむ」とは某週刊少年漫画雑誌の巻末の漫画に出て来た言葉で、意味は「シャズナのボーカルはイザム」という、一般人の日常会話では使用頻度が限りなくゼロに近い言葉。「しゃざむ」使いどころねぇ~!日常会話で使いどころもなく、何の意味も脈絡も無い言葉が頭のなかをぐるぐるまわってしまうので本当に困る。何をしてても「しゃざむ」、「しゃざむ」、もう勘弁して~。しかもその「しゃざむ」の話はもう先週号・・・。私は先週から気が付くと「しゃざむ」という言葉がが頭の中からはなれないという、「しゃざむ」地獄に落ち入ってしまった!忘れろ~忘れろ~っと念じていると、増々頭の中を「しゃざむ」が駆け巡ってしまう悪循環。もう助けて~!人生においてこんなに長い期間、ある一つの言葉が頭の中を駆け巡ったのは、「インドメタシン配合」と「山村美紗サスペンス」以来だ。もうこうなったら週末カラオケにでも行って「メルティラブ」歌うしかないかな・・・。 「夜は短し、歩けよ乙女」森見登美彦よく歩く黒髪の乙女と彼女に片思いする主人公の青春ラブストーリー。前に何かのアンソロジーで読んで、とても面白かったのですが、それに続きがあると知ってずっと読みたかった作品。この作者の独特の文章は合う合わないがあると思いますが、合う人には、是非おすすめの作品。この作品は4章からなっているのですが、表題作である第1章のパワーは衰えることなく2章3章そして最後の4章まで続いていて、とてもむちゃくちゃで、でも底抜けなほど愉快な世界を最後まで存分に味わえます。奇妙キテレツなサークルと登場人物たちなど、ごちゃごちゃでデタラメに見える登場人物やエピソードが、毎回最後に一気に集結するさまは爽快です。この作者独特の言い回しがこの奇妙な世界観と妙にマッチしていて、それはもうある意味童話めいていました。大人の贅沢な童話という感じです。夢をみたい方はぜひ。
2009.03.04
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「メディア良化法」が施行され本が狩られるようになってしまった時代。狩られる本を守るため図書隊の活躍を描いた「図書館戦争」シリーズの第二作目。シリーズ一作目の「図書館戦争」は随分前に読んだので、内容を思い出しつつ読みました。そんなに複雑な人間関係はないので割とすんなり思い出せて話に入っていけました。もうこの作者のカラーでもある軍人さんの恋愛ものです。恋愛色も濃いめですね。今回は戦闘は少なめでした。「ペンは剣より強し」のその最たる象徴でもあるような図書館で武力が用いられている設定に少々違和感を感じないでもないのですが、そこを気にしなければとても面白く読めました。でもこの作品を読んで強く感じたのは、この作者は女同士の人間関係の描き方に光るものがあるなということでした。昔桜庭一樹さんの作品を初めて読んだ時に、「この作者は女同士の微妙な心理描写がうまいな」と思い「将来桐野夏生くらいの作品が書けるかも」と感じたのですが、この作者もまだ桜庭さんほどではないにせよ光るものがあるように感じました。主人公の郁はまっすぐ過ぎて女同士の関係にあまりリアリティを感じなかったのですが、主人公の友人の柴崎の描き方が良かったと思います。柴崎に対立する登場人物をただ「悪」として柴崎を「善」とするのではなく、きちんと柴崎の性格の悪さも描いてあったので私はむしろ主人公より柴崎に好感が持てました。こういう女同士の鬱屈した人間関係をきちんと描ける女性作家さんは力があると思います。軍人恋愛ものに隠れてしまいがちですが、人間関係(特に女同士)の描き方もこの作者の持ち味ではないでしょうか。今度はこの作者の日常で女同士に焦点をあてた作品なんかを読んでみたいです。
2009.02.24
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古道具屋の三姉妹の長女、麻子。奇麗な妹と比較して何事にも自信を持てないでいた。そんな麻子の成長を描いた物語。前にアンソロジーで初めて読んで、味わい深い文章と世界にすっかり魅了されてしまい単行本がでたら是非読もうと心に誓っていたこの作者。念願かなってとうとう読むことが出来ました。作品は4章で構成されていて、主人公の麻子の成長を追って行きます。期待し過ぎたせいか正直アンソロジーで読んだほどの衝撃は無かったのですが、この作者の持ち味である表面は静かだけれど底にある力強さは健在で最後まで飽きずに読ませてくれます。1、2章は展開もゆっくりであまり起伏が少ない地味な感じなのですが、後半3、4章からは物語がぐっと進展して面白くなって行きます。だた、最後は上手くまとめ過ぎな感じがしますが。あと少し気掛かりだったのは姉妹達のエピソードが少なかったことかな。ただ相変わらす文章は味わい深いのでこの作者の世界を味わうには十分なのですが。それにしてもこの作者はなんだか手作りの料理を思い起こさせますね。高級料理やファーストフードなどではなく、素朴な素材をシンプルな調味料で手間と時間をかけてじっくりと作り上げた料理です。食べると体にじんわりと栄養と温かさを与えてくれるやさしい料理。この作品もそんなやさしい温度と栄養を与えてくれるような作品でした。こんな世界観で次はぜひ大長編の作品を読んでみたいです。
2009.02.16
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突然人が塩化してしまい世界が崩壊しつつある近未来。そんな世界で生き残った人々は塩化に脅えながら暮らしていた。人が塩化するという、近未来のファンタジーな話でしたがジャンル的にはファンタジーよりもラブストーリーでしょうか。読んでいて物語が佳境に入っている感じなのに、本の厚さではまだ中間辺り、どうなるの?っと思いましたが読んでみるとなるほど・・・という感じです。しかも自衛隊などが出て来て、今まで全く接触も興味もほとんどなかった私としては塩化の方よりこっちの世界の方が全く未知の世界でした。作者は自衛隊が好きなのでしょうね。もしかして関係者?と思ってしまうほど、すごく詳しく書かれていて、今まで知ることもなかった新しい世界を知ることができ大変面白く読めました。ただ、ちょっと気になったのは主人公2人の設定です。なんだかどこかで見た感じ(主にアニメや漫画)で現実味が薄いような気がして、他は作り込まれた設定なのにそこだけライトノベルっぽい感じだったことです。というか私が図書館から借りたのはハードカバーでしたが、もともとはライトノベルだったのかな?だとしたら主人公達の設定も納得かも。でもその他の設定はファンタジーにもかかわらずリアリティも感じさせるので(主に自衛隊)ライトノベルっぽいからと読まないのは非常にもったいない作品です。ありきたりな設定のラブストーリーに飽き飽きしていた方などぜひ。
2009.02.05
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開けては行けない扉を開けてしまったとき、人類にとっての脅威ははじまった。迫り来る黒い春に人類は・・・。こういう架空の病原菌が登場する場合、作品に入り込むには多分膨大な下調べはもちろんのことリアリティも重要で、しかしそうなると専門用語だらけで文章が難しくなってしまいがちです。けれど、この作品は細かい所までしっかり調べられているのに、非常に分かりやすく描かれていて読みやすかった。毎回思うのですがこの作者は難しくなりがちな事柄を非常に分かりやすく書くことに長けていますね。なのでこの作品は読みやすさはもちろんのこと、実際にこんなことが起こるかもしれないと思わせるリアリティがありとても面白く読めました。ただ、残念だったのはいまいちドラマ性が薄いような印象を受けたことと、それに伴って終わりが少しあっけなかったような気がすることでした。多分その原因は先ほど述べたリアリティが関わってくるような気がするのですが。それというのも実際のところ現実はどんな困難を乗り越えたり、大恋愛の後失恋したとしても、終わりはないんですよね。「めでたしめでたし」で完結することもなく明日は続いていく。でも普通小説は架空の物語として読んでいるので話が完結すれば、それで終わりだと納得出来ます。しかしこの作品はドラマ性よりもリアリティの方に偏り過ぎてしまったせいで、物語に現実味が増してしまいそのアンバランスさが仇となって結末が受け入れづらく、なんだか完結していないような印象になってしまったように感じました。リアリティさがこの作品の最大の長所でもあり短所にもなってしまったような気がします。なのでもっとこの素晴らしいほどのリアリティに負けないくらいの紆余曲折なドラマ性があったなら、読み終わった後しばらく余韻に浸ってしまうようなとてもすごい作品になったような気がします。
2009.01.21
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幼いころから大人に囲まれて芸能界で過ごしてきた夕子の18年間を描いた長編。とても読後感の悪い作品でした。だからといって決して悪い作品だと言う訳ではなのですが。最初読んでいて、前作と比べて随分変わったなーと思ったのですが、その最たる理由は三人称になったからか。しかし人の弱い部分、暗いところを目をそらさずにごまかさず真摯に描くところは相変わらずで、それが素晴らしいというか作者の持つ希有な才能ではないかと思いました。正直ストーリーは在り来たりだと思います。誰かをモデルにしたんじゃないかと言う感じで、展開に意外性はあまりないのですが、それでも飽きることなく最後まで読むこのが出来ます。というかこの作者は昔からストーリーで読ませる人ではないです。主人公がピンチの時にどこからともなく優しさの権化のような人が現れて手を差し伸べてくれるこのもなく、主人公の都合の良い展開になったりもしないところなど、現実のしかもどっちかというと暗い部分をしっかりと見つめて描いているのはこの作者らしい。なので、性的な描写も、少女漫画にありがちな次のコマには朝になっていて小鳥が鳴いている感じでもなく、妙な官能の世界のオブラートに包まれているでもなかったので良かったと思いました。表現は相変わらず素晴らしいです。しかし毎回思うことなのだけれど、話がさあそれで?というところで終わるのが気になる。中途半端な結末傾向は芥川賞作家さんの作品に非常に多い気がするのですが、話が中途半端な感じで終わるのはもういいかげんいかがなものだろう。純文学の作品は人の内面に重きを置いているものが多いので作品で問題を提示するのは当然と思いますが、それだけで満足して終わりというのは違うような気がします。作品には問題が提示されているなら、それに対する作者の答えが、出来ればそれを乗り越える答えが必要な気がします。実生活では答えが出ないことがほとんどだと思うので、現実をしっかりと描くなら答えを描くことはリアリティを失わせるかもしれません。しかしだからこそ文学の世界には話が多少都合がよくなったとしても作者の答えを記して欲しいと思いました。数学みたいに確かな答えがない文学で答えを出してしまうのはとても難しいこととは思いますが、その作者が考えた答えが作品には必要な気がします。多分、前作までが好きだった人にはこの作品はあまり好きになれないかもしれないですが、今までの綿矢りさがいまいちだった人はにはお勧めの作品かもしれません。
2009.01.15
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「旅を数えて」川本晶子「ニケツ」 平田俊子「いとこ、かずん」 中島京子「ポジョとユウちゃんとなぎさドライブウェイ」 前川麻子「ニューヨークの亜紀ちゃん」 松井雪子「道くさ、道づれ、道なき道」 篠田節子「ライフガード」 旅をテーマにしたアンソロジー。全体的に読後感の良い作品ばかりだったので、良かったと思いました。ただ、それだけに似たような話が多かったのが残念。そして旅をテーマにしているアンソロジーにしては、あまり旅がメインになっていない感じがして、どちらかと言うと、失恋がテーマのアンソロジーなのでは?という感じがしないでも。でもよく考えてみると旅と失恋は良く似ている気がします。日常から解き放された旅の開放感と少しばかりの心細さ、恋を失った寂しさと少しばかりの開放感、確かに似ているのかもしれません。この作品の中で特に良かったのは川本晶子の「ニケツ」と平田俊子の「いとこ、かずん」でした。「ニケツ」は旅率のとても低い話でしたが、登場人物の優しさが溢れていて良かった。台詞が方言なのですが、それが読みづらいということもなく、かえって暖かさを醸し出していてなお良かったと思いました。あと平田俊子の「いとこ、かずん」は登場人物に悪い人がいないというか、作者が登場人物全てに優しいまなざしをそそいでいる感じがしました。なので家族を置いてでも旅に出てしまう登場人物達の描き方も悪者的な感じがしなくて良かったです。そして旅人が通りかかったら、水をかけて自分のものにしなさいという祖母の教えのエピソードもとても素敵でした。中島京子の「ポジョとユウちゃんとなぎさドライブウェイ」と前川麻子「ニューヨークの亜紀ちゃん」と松井雪子「道くさ、道づれ、道なき道」は自分勝手な女友達に振り回される話の設定が似ている感じでちょっと残念でした。篠田節子「ライフガード」は良い話だったのですが、あまり意外性は少なかったのが残念でした。これを読んで旅に出たくなるかということはさておき、さっぱりとした話が多いので毎日一つづつ読むには最適な作品だと思います。
2009.01.09
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「夜市」で第12回日本ホラー小説大賞を受賞した作者の3作品目。「秋の牢獄」「神家没落」「幻は夜に成長する」の3作品。読んでみて、全体的に悪くはないのだが、惜しい印象を受けました。何か足りないというか、もう少し何かが欲しい感じの作品でした。そしてだいたい「閉じ込められ、出られない系」の話だったのも気になった。この作者の好きな設定なのかな。そういえば、「夜市」とか「風の古道」とかもそんな感じだしね。なのでそろそろ新しい設定の話が読んでみたいと思いました。「秋の牢獄」11月7日水曜日、毎朝目が覚める度に何故か同じ日に戻ってしまう。永遠にくりかえされる11月7日に主人公は・・・。まず、読み終わって真っ先に感じたことは、「ええっー、これで終わり?」だった。すごーく物足りない感じと、何だったんだという消化されない思いが残った作品だった。まあ、発想はそんなに目新しいものじゃないと思う。どこかで読んだこと見たことある設定だ。でも、その場合は何が重要になってくるのかというと、その設定を生かした展開が重要になってくると思う。でも、主人公はくりかえされる日々を逆手にとってこんなすごいことを?!ということも普通に考え付く範囲内でしかしないし、それなりにエピソードがあっても後の展開の伏線というわけでもないしで、なんだかもの足りなさが残った。そして、主人公達の存在を脅かす者の正体も主人公達の憶測でしか明かされていなくて結局はなんだったのかともやもやしたまま結末を迎えてしまうし。結果として完成していない作品のような感じを受けました。「神家没落」散歩をしていて、主人公はふと古い民家に迷い込む。その民家にはある秘密があった。これは「秋の牢獄」に比べると、一応起承転結がしっかりしていた方だと思う。でも、なんだろうあまり心に残らないというか、特に何も訴えてこない感は。結末に行くまでに心に響いてくるものが少ない感じだからかな。あとおそらく結末にかけてはらはら感が少ないせいどだと思う。最後の所で主人公が危機に落ち入ったりすれば良かったような気がした。惜しい感じの作品だった。「幻は夜に成長する」不思議な力を持つ幽閉されている女。女は過去に思いをめぐらす。これもいまいち心に響かなかった。展開はまあそれなりなのだが、登場人物の誰一人として感情移入出来なかったのが原因か。もっと深い所というか人の嫌らしさみたいなものが足りなかったような。岩井志摩子の登場人物くらいのどろどろした人間の感情がうまく表現されていたら盛り上がったような感じがしました。
2008.12.22
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アニメのアトムに始まって、今では二足歩行が出来るものや受付案内をこなすまでに進化したロボット。彼等は日々進化している。電気ひつじの夢をみる日もそう遠くないのか・・・。そんなロボットなのだが、私は数年前、しかも田舎の地方都市の一角で忘れがたい邂逅があった。それはふと近所の科学博物館へ足を伸ばしたときのこと。閉館間際で観覧者もまばらな展示室内の一角にそのロボットはいた。「おしゃべりロボ マックス君」それがそのロボットの名前だった。見た目はスターウォーズのR2D2風の作りで、いやほとんどR2D2、っていうかまんまR2D2だった。「話しかけてみよう。」脇にたてられたパネルにそう書いてあった。もちろん平凡な私は十人中八、九人が言うであろう言葉を発した。「こ、こんにちは」「こんにちは~」それは機械にあるまじき流暢さで、しかしどこかドラえもん(もちろん大山のぶ代声)っぽいしゃべり方で、返答してきた。それにいささか驚いた私は手を伸ばしてロボットに触れてみる。もしかして本物のR2D2なのか?!「触らないでねぇ~」そのロボットは突然言葉を発した。さ、触られてるの分かるんだ・・・。そこで私は少々いじわるな質問をしてみた。「今日は良い天気だね」もちろん外は雨であった。そのロボットは鼻であざ笑うような感じでこう答えた。「違うよぉ~」こ、このロボ、なかなかやるじゃねえか・・・。なんだか人類の尊厳をいたく傷付けられた気がした私は意地になって次の質問をした。「それじゃあルート5は?」案の定ロボットフリーズ。そこに絶妙のタイミングで小学生がやって来てロボットに話かけた。「こんにちは!」「こ、こんにちはぁ~」ロボットは私の質問をあっさり消去して小学生と話はじめる。やがて展示室内には閉館を知らせるアナウンスが流れはじめた。あれ以来私はずっと信じている。あのロボットの中に人が入っていて、もしくは遠隔操作で質問に答えていたんだと。きっと博物館職員かアルバイトの大学生でも入っていたんだと。だって、ルート5でフリーズって!フジサンロクニオウムナいてくれよ!っていうか人が入っている時点で、もはや科学博物館の展示物ではないような。きぐるみショーのきぐるみと一緒じゃんみたいな。ロボットの中に入るアルバイトをした方ご一報お待ちしております!! 「からくりアンモラル」SFと官能の短編集。「からくりアンモラル」「あたしを愛したあたしたち」「玩具少年」「いなくなった猫のはなし」「一卵性」「レプリカント色ざんげ」「ナルキッソスの娘」「罪と罰、そして」の8作品。前々から読みたいと思っていたこの作者。前に住んでいた所の図書館にはこの作者の作品は無かったのですが、引っ越した先の図書館で発見。都会万歳!で、読んでみました。うん、全体的に良質な短編集だと思いました。SFについては、ディープなSFファンにはいただけないと思いますが、SF初心者には十分かと。で、エロはね、エロの方はエロティズムというか、大部分SM。うちの母の料理の味付けにめんつゆが使われるくらいの高頻度でSM。SFをSMって誤植しても大丈夫なくらいのSMでした。しかし、個人的にもっとも良かったと思われる「いなくなった猫のはなし」と「ナルキッソスの娘」のようにエロが少なめでも良質な作品もあったり、エロ抜きで考えても深いテーマを孕んでいるような話もあったりで、私は良かったと思いました。「からくりアンモラル」これは表題作なだけに、やっぱりSFと官能の名にふさわしい作品。一番SFとエロのバランスが良かった。アンドロイドと性愛という昔からあったSFのテーマがわかりやすい感じで描かれていたなと。アンドロイドが主人公の足の間を見た後の一言がなんとも感慨深いというか。ビョークの「All is full of love」のPVを見た時の衝撃のようなものを感じました。「あたしを愛したあたしたち」これは、SF色は薄め、少女の性愛みたいな感じでしょうか。作者の好みな感じがしました。「玩具少年」これはタイトルどおりで近未来っぽい舞台以外はエロがほとんどだったような。ウ゛ァンパイア好きは是非!な作品。「いなくなった猫のはなし」これはもう一番心に残った作品。この短編集の中ではもちろんのこと、今まで読んだ全ての物語の中でも上位に位置するくらいの良い作品でした。良い作品過ぎて何度も何度も読み返したんですがそのたびにラストには涙がにじみました。これを読んで私は昔飼っていた雄うさぎを思い出したのでなおさらでした。そうなんですよね~。ペットって赤ん坊の頃から飼っていると最初は母親的な役割で世話して、そのうち恋人みたいになって最後は老人になって看取ってっていう人間同士ではあり得ない感じで関係性があっと言う間に進んでいくんですよね。その子の一生分を役割を変えながら過ごしていくので、言葉に出来ないくらいの特別でいとおしい存在になる。そういったことが、うまく表された作品でした。是非おすすめ。エロを抜いて、「世にも奇妙な物語」なんかで映像に出来そうです。「一卵性」これはSM爆発でした。SMとレズビアン。エロさに反比例してもちろんSF要素はほとんどなし。「レプリカント色ざんげ」これはSFも割と多め、エロも盛りだくさんな作品。あるレプリカントの一生を描いた、エロメロドラマって感じでしょうか。「ナルキッソスの娘」今までの濃い話達に比べると、SFもエロも少なめで割と地味に話が進んでいくのですが、最後の方にちょとした展開があり、割とあっさりラストへ。でも読み終わってから時間が経ってじわりじわりと温かい気持ちが溢れて来る感じの作品でした。これも「猫のはなし」に続いてお勧めな作品。「罪と罰、そして」これも作者の好み爆発な作品だったような。ほとんどエロ、そしてSM。
2008.12.18
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た、ただいま。戻ってきちゃった・・・。前回のブログの日付けを見て、絶句!2006年って・・・。二年以上経過してるじゃないですか!!これはもう二年以上も何やってたかって話ですよ。二年ったら、アイゼンガルドを経て指輪捨てに行けるくらいの冒険が出来ちゃう年月。まあ、結婚して左手の薬指に指輪を手に入れたのである意味指輪物語でもあったんですけれど。といってもこっちの指輪物語は職場で大規模な異動があって、いろいろごたごたしているうちに後輩も出来、そうこうしているうちに恋人が転勤になったので、寿退社して一緒に新天地に越してきて、今はマイペースに主婦してますっていう人生で比較的起こるべくことが起こっただけなんですが。しかし、やっとなんとか新生活にも慣れてきて、最近また読書出来るようになったのを機に放置プレイだったここに戻ってきちゃいました。こんなに時間がたってしまうと、なんだかとても戻りづらかったんですが、「だよね~、だよね~」とちゃっかりと会話の中に相づちいれて、いつの間にか加わっていた感じでさりげなく戻れるといいなともくろんでおります。今住んでいる所は前より都会なので図書館で本を借りるのも、新作は予約で一杯で前の田舎の図書館みたいな新作いれぐい状態みたいには借りれないのが残念。でも、きまぐれにほそぼそと更新していこうと思います。
2008.12.17
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「パンを寄越せ!パンを寄越せ!」窓の外では大合唱。それに耳を傾けながら、「まいったなぁ・・・」と一人つぶやく私。空気も冷たくなって、めっきり冬めいてきた今日この頃、人肌が恋しい季節です。私なんかは、シロ様のふわふわが恋しくて仕方ないです。そんなシロ様のぬくもりを埋めるためというわけでもないのですが、獣ポイントのめっきり少なくなった私の心を補うために身近にいる獣であるスズメの餌付けを始めることにした。餌付けと言ってもたいそうなことをするわけでもなし、庭にパン屑を撒いておくだけなのだけれど。うちの母曰く、「米で餌付けをするとすずめが米の味を覚えて田んぼで悪さするから米はあげちゃ駄目!」だったのと、朝はご飯派の我が家では食パンの減りが遅く大抵賞味期限は切れてるということもあり、賞味期限切れの食パンで餌付けをすることとなった。餌付け初日と二日目はスズメがパン屑に気付くこともなく過ぎていった。三日目くらいからちらほらスズメがやって来てパン屑をつつく。一週間くらい経てばもう庭には二羽ニワトリどころじゃなく、庭には常にスズメが状態になった。というか、スズメは五分前行動よろしくパン屑を撒く時間に待っているようになった。そして少しでも遅れたり、パン屑が無くなると図々しくも騒ぐようにもなってきた。でそんなんだから、当然パン屑の減りも早くなる。もう賞味期限切れのパンどころじゃなく、賞味期限内のパンもなくなってきた。もともと朝はご飯派の我が家なので、パンも頻繁に買うほうではなし、春のパン祭りでもないしで、やがて我が家からパンが消えることに。スズメの為にパンを買うといものなんだか、もったいないような気がするので次第にパン欠状態に。で、ある日とうとう餌付けするパンが底を尽きてしまい、庭にパンを撒けなくなった。そしたら、スズメの奴らチュン!チュン!チチチッ!!って例の大合唱。「パンを寄越せ!パンを寄越せ!」もう気分はマリーアントワネットである。しょうがないから、パン粉を撒いてみたが甚だ不評。スズメの奴らさっぱり食べやしない。マリーちゃんにあやかって「パンが駄目ならやっぱりお菓子か」ということで、曲がりせんべい砕いて撒いている今日この頃。 「彼女がその名を知らない鳥たち」沼田まほかる主人公の十和子は昔の恋人が忘れられないまま、新しい恋人である陣治と暮らしている。昔の恋人と比べ、田舎者の陣治に嫌悪さえ抱く十和子。ある時、思いきって昔の恋人に電話をかけてしまい、そこから十和子と陣治の生活は少しずつ壊れていく・・・。「九月が永遠に続けば」でホラーサスペンス大賞を受賞した作者の作品です。前作に比べミステリー色は非常に薄い作品でしたが、読み終わっての感想はなんて悲しくて切ない話なんだろうということでした。ミステリーの結末は割と容易に予想がついてしまうのが残念でしたが、ストーリーは後半も後半、最後の方でぐっと面白くなり、あの切ない結末です。読み終わった後は切ない余韻を残す作品なのですが、いかんせん前半部分のあの暗くてじとじとした描写がだらだらと続くのが本当につらかった。話にも特に進展がないので何度読むことを挫折しそうになったか。それを超えて後半からラストにかけては良くなってくるので、あの前半部分をもっと簡潔にしてあったら、良かったです。
2006.11.18
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親を恨むことがあるとすれば、名前のこと。変な名前を付けられたとかではなく、私の名前は読み間違いをしやすい漢字で出来上がっているのだ。名前って自分では付けられないのに、人生において使用頻度は恐ろしく高い。だので、こちとら小学校入学くらいから今まで「○○さーん」「いいえ、△△です」というのを何十回何百回と繰り返して来た。新しい担任の最初の出席確認の時。臨時、実習生の先生の出席確認の時。病院、歯医者、などの待ち合い室。朝会などの全校生徒の前で賞状を渡される名誉な時にまで、「○○さん」「いいえ、△△です」のやりとりを繰り返してきた。こんな調子で行けば将来、大往生した時のお葬式でも「故人、○○はー」「いいや、△△じゃ」と棺桶をこじ開けてまで訂正するコントみたいなことが起こるかもしれない。何が嫌って訂正するのも面倒くさいのだが、特に小学校のときは、名前を読み間違われると別に読み間違いの名前が変な訳でもないのにクラスに笑いが起こるのでそれも嫌な理由だった。で、とうとう小学校3年時に両親に切れた。「なんで、こんな読み間違いしやすい名前にしたのさ!!」すると親は全然悪びれる様子もなく「漢字なんて音読みと訓読みがあるんだから、読み間違えられるのは仕方ない」と言ってきた。なので私はその時の知識を総動員して答えた。「理科って漢字はリカとしか読めないもん!」「じゃあこれから理科って名前にしたら」と、両親に私の苦行は理解しもらえなかった。しかし、それでも私の「○○さん」「いいえ△△です」の日々は続いた。そのうち、だんだん年齢も重ねてきて諦観というか、面倒臭いのが強くなってきて名前を間違えられても訂正しない事にした。とりえず、私って確認出来ればいいんでしょということで、「○○さん」と呼ばれても、「はい」と返事をすることにしたのだ。ある時教室で名前を読み間違えられても訂正しなかったら、そうしたらそうしたで、教室がざわざわし出すではないか。「ちょっと、訂正しなくていいの?」「言い直しなよ~」などと周りの人達に言われ、そうなると読み間違えをした先生も「どうした?」という事態になったのだ。訂正してもしなくても結局面倒臭い事態になる。忌わしき名前の読み間違い。結局私はこの苦行から逃れられないらしい。 「少女七竃と七人の可愛そうな大人」大変美しい少女七竃。彼女の友達は大変美しい少年の雪風だけ。そんな雪風は繰り返し七竃に言う。「七竃、君がそんなに美しく生まれてしまったのは、母親が淫乱だからだ」アンソロジー「Sweet Blue Age」にあった「辻斬りのように」にこんな続きがあったとは驚きでした。「辻斬りのように」は桜庭さんにしては、大人の女性を扱っていて珍しい話だなあと思っていましたが、この作品ははその娘の話です。「辻斬りのように」の世界を引き継いだ美しくも悲しい雰囲気を漂わせていました。冒頭に「辻斬りのように」があってそこから七竃の話が続くのですが、あの冒頭がこんな風に本編に生かされて来るのかぁ~と面白く読めました。話の展開の上手さはさすがです。なんとも美しい少女の七竃の趣味が鉄道という一風変わった設定だったりしますが、その違和感を吹き飛ばすくらい雰囲気のある文章で世界を上手く完成させているので、あまり気になりません。しかし、この作者は少女を描くのがなんとも上手いです。上手いというか、私が少女とはこうあるべきでしょうと思っているのと同じなので好感が持てるのですが。少女というとか弱くて守ってもらうみたいなイメージが世間一般にありますが、桜庭さんの描く少女は強いです。それは力が強いと言う訳ではなく、もっと精神的な強さです。その中でも特に少女に必要なのは少女を終わりに出来る強さでしょうか。永遠の少女や、いつの間にか少女を卒業していた少女なんていうのは幻想で、私が思うのは自分で少女を終わりに出来る強さを持っていることが少女であるということです。自分で自分の少女に決着を付けられる人こそが少女たる資格を持っていると思うのです。この作者の描く少女にはそれがあるように感じるので好きですね。「キハ八兆M」や「かんばせ」などあまり聞き慣れない言葉がたくさん出てきますが、この世界は一読の価値ありだと思います。最近読んだ本の中で一番お勧めの作品です。これは良かったです。
2006.08.19
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最近耳に焼き付いて離れないメロディ(フレーズ?)ぽーぽーぽっぽ、ぽーぽーぽっぽ・・・・・。そうここ2、3週間、朝はこれで目を覚まし、夕方はこれで家に迎え入れられ、休日には日がな一日この鳴き声がBGM。どうも近所に山鳩が居るらしい。もうずーっと、ぽーぽーぽっぽ、ぽーぽーぽっぽ。ずーっと聞こえているのでそのうち自分の心臓音がぽーぽーぽっぽ、って打つんじゃないかと思うほど。どうしたんだ、山鳩。何故にそんなにずーっと、ぽーぽーぽっぽって鳴いてるんだ。その山鳩の鳴き声の何が気になるって、ぽーぽーぽっぽ、ぽーぽーぽっぽが、お風呂で「いい湯だな~、いい湯だな~」って口ずさむ様なお気楽な感じだったらいいのになんだか「盗んだバイクで走り出す、行き先もわからぬまま」って感じや「ホワイ~何故にぃ~、生きているのかぁ~」って感じの必死な熱いメッセージ性を感じるからだ。もう朝から晩まで、「15の夜ぅ~」や「ホワイ何故に?」の必死な鳴き声じゃ気になってしょうがない。いや気が抜けなくてしょうがない。何をそんなに、訴えてるんだ?雨に打たれても、ぽーぽーぽっぽ、ぽーぽーぽっぽ、って何をそんなに必死なんだ?で、考えてみた。鳴くとは他の仲間に何か伝えるということ。鳥の世界(動物全般?)では、大抵オスがメスに求愛行動をするらしい。つまり、この山鳩はオスで、運命の恋人を必死で探しているに違いない。あの、必死な感じのぽーぽーぽっぽ、ぽーぽーぽっぽは、愛を叫んでいたのだ。もう彼はまんま「セカチュー」を、愛を叫んでいるんです。朝から晩までぽーぽーぽっぽ、雨が降ってもぽーぽーぽっぽ。もしかして、なんらかの事情で世界に彼以外の山鳩が居なくなってしまったのでは?そうなったら彼の愛の叫びは?などと想像して胸が痛くなったりもした。その必死な彼の姿が2、3週間。運命の恋人探しもいいけれど、そろそろ現実見つけてその辺の鳩で妥協したらいいのでは?と思わないでもない今日この頃。たまには贅沢も良いかと近所のフランス料理屋さんでお食事会をすることに。まあフランス料理と言っても、そこは堅苦しいところではなくてアットホームな感じのお店なのだけれど。アミューズもオードブルもスープも自家製パンもおいしくてメインに期待がふくらむ。そして、やってきましたメイン。香ばしい香りがなんとも食欲をそそる、や、山鳩・・・・・?それ以来、ぽーぽーぽっぽ、ぽーぽーぽっぽを聞くたびに、「ごめん、君の運命の恋人食べちゃったかも・・・」と申し訳なく感じる。今日も朝から山鳩は鳴いてる。ぽーぽーぽっぽ、ぽーぽーぽっぽ・・・・・・。 「愛の島」孤児院で育った身も心も一つの三人。その三人がある無人島に一目惚れをする。三人はその島を買う為に、それぞれお金を貯めようとするが・・・。前作の「グルメな女と優しい男」と同様、短くて読みやすい作品でした。しかし前作のようにちょっと都合が良い展開などはなく、特にラストは少し意表をつく感じで良かったです。気になったのは登場人物の設定や性格など、なんとなくどこか他の作品で見かけたことがあるような感じだったことでしょうか。もっと性格を作り込んでいれば、話に引き込まれたような気がしました。でも前作よりも私はこっちの作品の方が好みです。男女の愛というよりは、女性同士の間にある微妙な関係などを読みたい方、お勧めです。
2006.07.19
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あれは桜舞い散る、ウン数年前の春のこと。演劇部の扉を叩く私の姿がありました。高校に入学したて、さあ部活はどうしようかと思ってた頃。昔から演劇が好きで女優を志していたという訳でもなく、運動部以外で何か良い部がないかな~と、軽い気持ちで担任におすすめの部を聞いた答えが、演劇部だったので入部を決めただけという真相だったけれど。その担任は自分が顧問である美術部を勧めたことは言うまでもないが、演劇部の顧問の先生はすごく優しくて良い人柄だよと言っていた。なので私は優しいなら、さぼっても怒られたりしないだろうから良いか~、と邪な気持ちで演劇部に入部を決めたのだった。するとクラスの友達が、私の友達でも演劇部に入りたいって人いるから一緒に入部したらとその子を紹介してくれた。その子は小川さん(仮名)と言って、隣のクラスのだった。友達が「小川さんは、中学時代学級委員をやってた」というとおり、小川さんは髪を後ろできゅっと一つに結んでしっかり者という感じの人だった。お互い自己紹介して、入部届けを持って演劇部に着く頃にはすっかり打ち解けていた。そして部室に入ると、そこは入部希望の新入生でひしめき合っていて、小川さんと私は少し畏縮して部室のすみの方でじっと待っていた。すると、部長らしき人から集合の号令がかかり、担任曰く優しい顧問の先生が登場した。顧問の先生は噂どおりで、はきはきというよりは、ふんわりとした雰囲気の優しいそうな感じだったので安心した。顧問の話が終わると、部長らしき人が再び登場し、「柔軟体操の後は、発生練習、その後新入生のブメイ決めるから」と、こちらははきはきした調子でみんなに伝えた。ん?ブメイって何だ?私ははじめて聞く言葉に戸惑いつつも、上級生に手伝ってもらいながら柔軟体操を行った。そして発生練習の後、「これからブメイ決めるから、新入生は呼ばれたら一人ずつ私の所に来てね」というではないか。一人ずつってちょっと恐いかも、と思っていると、既に呼ばれた子は奥の方で先輩達に囲まれて何か話をしているようだ。これはやっぱり新入生を一人ずつ呼んでお説教でもしているのかもと、どきどきしていると、やがて私も名を呼ばれることとなった。恐る恐る奥に行くと、部長らしき人を中心にして4、5人の上級生達がまわりを囲んでいた。教育的指導と言う名の新入生いびりでも行われるのかと、はらはらしていたら部長らしき人は「趣味は何?」っと意表をつく質問をしてきたのだった。戸惑いつつも私はその当時はまっていた「・・・お菓子作り、です」と答えると「好きな食べ物は?」「特技は?」「何色が好き?」などとまるで友達のようなフレンドリーな質問がなされた。そして「何月生まれ?」と質問されたので「9月です」と答えると「9月って、セプテンバー?あれ?ノーベンバーだっけ?」と9月の英語名について上級生同士でしばらく盛り上がった。私は上級生達のこんな質問意味を計りかねて、戸惑っていると部長らしき人が言った。「ノーベンバー、ノーベンバー・・・ん~、じゃああなたのブメイはノーベンバーから取ってノンね」ノン?ブメイ?部名とはもしかして部活での名前ってこと?その時はじめて私は「ブメイ」とは「部名」であることを知ったのだった。部名はどうやら先輩達が新入生と話をして、会話や見た目の印象やニュアンスなんかで決めるみたいだった。ノン・・・。私の部名がノン?私の部活での名前はノン・・・。ちょっと待って、っていうか9月はノーベンバーじゃなくセプテンバーだし!という突っ込みをなんとか飲み込み私は他の新入生達のところへ戻った。すると、もう既に部名が決まったショートカットで小動物系顔をした新入生が親しげに「部名何になったの?」と話かけてきた。「の、ノン」と私はまだ慣れない部名を答えるとその子は「私はチップ、よろしくね」と少し大きい前歯を見せて笑った。チップ・・・、もしかしてその子は小動物系の外見なのでチップとデールから取ってチップなのか?周りを見るとどうやら、部名で戸惑っているのは私だけみたいだった。しかし、部名と言ってもそんな名前どの程度浸透してるのか。だって、チップだの、デールだのって。きっと、日本女子バレーのプリンセスメグやパワフルカナくらいの浸透率(つまりあまり浸透してない)だよと思っていると、ふと周りからこんな会話が聞こえてきた。「ローラ先輩これどこに運べばいいですか~」「それは、倉庫に運んで置いて。でもオリビア一人じゃ重くて大変だから私も手伝うよ」「そんなローラ先輩に重いの持たせるわけにはいかないですよ。きららに手伝ってもらうので大丈夫です」「遠慮しなくていいよ~。それに私、前にムラサキに馬鹿力って言われたことあるんだからこれくらい余裕で持てるよ」ローラ先輩ににオリビアって・・・。部名、めちゃくちゃ浸透してるよ!!浸透しきってるよ!ローラ先輩にオリビアにきららにムラサキかぁ・・・。そして私はノン・・・。そんなこんなで、その日、新入生は部名決めの後は、解散になった。私は部名という衝撃に打ちのめされたまま、小川さんと一緒に帰り道を歩いた。私は帰り道、小川さんに部名の事を聞いてみた。心とは裏腹に部名というものがあるって知らなかったよ~と明るい感じで言ってみたら、小川さん曰く部名は演劇部に昔から伝わる伝統みたいなものらしい。そして小川さんに私の部名を聞かれたので「の、ノンになった」と未だに慣れない部名を告げると「私の部名はプリンになったよ。明日も一緒に帰ろうねノン」と笑顔を向けられた。その日私は結局小川さんをプリンと呼ぶことは出来なかった。そして家に帰ってから私は、苦悩した。優しい顧問、でもチップ・・・。アットホームな雰囲気の部活、しかしオリビア・・・。フレンドリーな上級生達、なのにローラ・・・。仲良くなれそうな小川さん、何故にプリン!そして私はマドモワゼル、ノン!!小川さん、好きな食べ物をプリンとか言ったのか?先輩がローラ、オリビア、きららにムラサキ。同級生はチップ。小川さんがプリン、小川さんがプリン、プリンが小川さん・・・。一晩苦悩した結果、やっぱり、私には無理ー!!次の日、部室には退部届けを提出する私の姿がありました。 「チョコレートコスモス」東響子は、若くして実力も人気も手にしているベテラン女優。無名の学生劇団に天才的な演技を持つ少女、飛鳥が入団する。二人の少女を軸に舞台にかける女優達の演技が繰り広げられる。「ガラスの仮面」のオマージュとも言える作品ながら、恩田テイストたっぷりに読ませてくれました。テンションは高めなので、最後まで気の抜けない感じで読めます。登場人物達もそれぞれ個性的で楽しめます。少し気になったのは響子と飛鳥の二人が主人公っぽいのですが、どちらかというと響子の方が主人公っぽかったというかきちんと書かれていた感じがしました。あと、最後が続いているような感じで終わっていたので、きちんと話の決着を付けて欲しかったです。「ガラスの仮面」のオマージュは良いのですが、これじゃあ未だに終わらない「ガラスの仮面」と同じなので、恩田さんなりの「ガラスの仮面」の結末を見たかったです。でも、文章でこれだけ演技を奥深く表現しているのはさすがです。「ガラスの仮面」にはまった人はもちろんのこと、まだ「ガラスの仮面」を読んだことのない人もおすすめです。
2006.06.21
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「いい加減にしろよ!全く何考えてるんだよ!二回目だぞ!二回目。大体一回目だったら、うっかりで許されるところだけれど、二回目になったら、うっかりどころか意図的、もしくは真性の間抜けだとしかないだろ!犬だってこんな間違いを二度もやらねーっつうの!ったく学習能力は犬以下だな!おい!」なんて言っているよ、私の左手の人指し指が。そう、以前にカッターで左手の人指し指の先を少し切り落としてから数年後、先日また指を切ってしまった。といっても今回もそんなにひどくはなかったので幸いだったけれど。まあ今回は、指の先ではなく、爪を半分近く包丁でそ削ぎ落としてしまったのだけれど。本当に、左手の人指し指が言っていることは、全くもって理解出来るというか、もう本当に申し訳ないです。いつも、いっつもこういった刃物の被害を被っているのは左手で、特に人指し指が一番のデンジャラスエリア。夜道の一人歩きも危険と言われている昨今だけれど、なかなかどうして、結構身近なところで左手人指し指の親指側先端部分も魔界都市さながらの危険区域かも。本当にこんな身近なところに魔界都市がって感じで、白菜を普通にざくざく切っていたら、指までざくざく切ってしまった。それでも二回目だからか、切った直後はあまり痛みを感じないからなのか、最初は、またやっちゃったよ~って感じの軽い気持ちで、血がどんどん溢れて止まらなくてもちょっとちょっと血が止まらないよ!止まらないのはロマンティックだけにして!と余裕をかましているうちに、痛みもどんどん増すことに。最初の余裕も嘘のようにもうその頃には、「パ、パトラッシュ少し休ませて・・・」とそっと横になって痛みに耐える始末。病院はもう閉まっている時間だったので、もう寝て忘れるしかないとばかりにそうそうと床に付き、翌日も血が止まってなかったので、早速病院へ行き、強面の先生の「痛かったねぇ~」の言葉にやっとひと心地つけました。「失恋の痛みは何度経験しても慣れない」とよく言うけれど、なかなかどうして、この左手デンジャラスゾーンの痛みも慣れないことよ。けれど、慣れないのは本人だけで周りの人たちといえば二回目ともなると、さすがに慣れたよいうよりは、あきれたのか最初の時ほどあまり労ってくれない感じでした。まあ、私の左手があきれてるくらいだから当然か。で、今回のことで教訓というか強く思ったことはと言えばもし拷問にあって爪を剥がされそうになったら、迷わず仲間売るよ!ということ。ごめん、私、仲間売っちゃいますよ。だって、爪の半分削がれただけでそりゃもう痛かったんだもん。本当にごめん、仲間も左手人指し指も。 「クビキリサイクルー青色サウ゛ァンと戯言遣い」天才ばかりを集めた孤島に住む令嬢のところに招かれた天才少女の玖渚友とその付き添いの主人公である「いーちゃん」。しかしそこで天才を狙った、首なし連続殺人事件が起こることになる。知人がこの作品が好きで、周りでも何かと話題になっていたので、ずっと読んでみたいと思ってました。しかし、悲しいことに近所の図書館にはシリーズの途中しか入って居なく泣き寝入り(違うか)でしたが、このたびめでたくこの作品を図書館で発見。早速借りてみました。表紙からライトノベルなことは一目瞭然なので、そのつもりで読んだせいかでライトノベルの世界に違和感はあまり感じませんでしたが、なんとなく私は主人公が好きじゃないかも。主人公の少し屁理屈めいた考えなどは結構好きなのですが、なんだかネガティブというか、自分の中の闇の部分に優越感を感じているようで、でも罪悪感も持っているようなことを心の中でぐるぐるまわっているという感じはあまり共感出来なかったです。多分中学くらいに読んだのなら、すごく共感できたかも。しかしもう学生時代すら霞んで来たこの歳になると、会社の人たちには年賀状一日に届けなければならないし、黙ってても自動車税も来るしで、もう罪だの闇だのでまわってる暇ないのですよ。う~ん、でもこんなこと感じるなんて大人になったというよりは、荒んで来た感じで悲しくもありますが。ちょっとあり得ないキャラクターの登場人物が多いのを、魅力と感じるか余計だと感じるかは人それぞれだと思いますが、後半はミステリーとして面白く読めました。そこまで考えなかったな~という感じでミステリーとしては良かったと思います。ライトノベルが好きな人、ミステリーが好きな人、もちろん両方が好きな人に是非おすすめです。
2006.06.02
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シロ様データ種類:穴うさぎ性別:雄体毛:ほぼ白(片耳としっぽだけ灰色)瞳:周りが青で中心が濃い赤色爪:伸びるの早い歯:伸びるの早い好きな食べ物:ミックスぺレットの赤色、うさぎ用ビスケット、ちんげん菜、大根の葉、りんご、 パイナップルの砂糖付け嫌いな食べ物:ハードタイプのぺレット、薬お気に入りの場所:暗くて狭いところ趣味:穴堀り、解体作業特技:三日月ジャンプモットー:言いたいこと言うぜ、やりたいことやるぜ(ホタテのロックンロール)おまけ: シロ様かじり馬鹿一代列伝 (「何故かじるのか?」と問われたならば「そこに齧るものがあるから」と答えるであろう飽くなき齧り精 神に富んだシロ様が挑戦したものの戦歴) ○シロ様VS新聞紙× シロ様1ラウンドKO勝ち ○シロ様VS少年ジャンプ× シロ様KO勝ち ○シロ様VSダンボール× 相手を再起不能(ばらばら)に ○シロ様VS家の柱× 角柱が円柱に ○シロ様VSカゴバック× 購入して二日目にしてぼろぼろに ○シロ様VS G-SHOCK× 15階建てのビルから落としても壊れないと言われる伝説の腕時計もシロ様に はかなわなかった 5月11日シロ様永眠 シロ様と過ごした10年はあまりにも楽しすぎたので、シロ様のいない今はとても寂しく辛い日々です。うさぎの世界で10歳というと、もし日照りが続いたなら「お知恵をお貸し下さい」と、村の者が集まってくるくらい長老というか、むしろ仙人の域に片足を突っ込んでいるくらいの長生きらしいので、長寿を全うしたと言えるのですが、寝たきりで思うように動けなかった最後の約一年間はシロ様にとっては辛い日々だったと思うと切ないです。でも、今はもうシロ様は好きなだけ飛び跳ねて、好きなだけいろんな物をかじれているといいな。それにしてもシロ様と過ごした日々はなんて素晴らしかったことか。シロ様ありがとう。シロ様万歳! 「ルート225」主人公の中2のエリは、ある日中1の弟のダイゴと微妙にズレた世界へ迷い込む。そこは普段と変わらない世界なのだが、二人の両親だけがいなかった。二人はこの世界から抜け出せるのか。映画化される(された?)そうです。なので、随分前に読んだのですが、ひさしぶりに思い出して、なつかしくなった作品です。私はこの本を読んだのは図書館で何気なく手に取ったからという理由だったのですが、私はこの作品で、はじめて読んだ藤野千夜を一気に好きになってしまいました。あらすじを読むとSFテイストなのですが、読んでみるとあまりSFっぽくは感じません。それは、主人公のエリをリアルな15歳として描いているので、主人公が非常に物語の登場人物っぽくないからです。しかしこんなSFな設定でリアルな15歳を描ける藤野千夜はすごいです。そしてそして、注目すべきはラストです。「あのラストはちょっと・・・」という意見が結構あるようですが、もう私はあのラストだからこそこの作品が好きなのです。あの結末ではなんだか物語としてしっくりこないような気がするかもしれませんが、この作品が表現したかったことはおそらく話を語るということではないように思います。恐らくこの作品はみんなが普段感じたことのある、喪失感を表現したかったのではないでしょうか。それは大切な人を突然失った喪失感はもちろんのこと、普段の生活でふと感じる誰かが居ないような足りないような物足りなさ。そういったなんとなく寂しいというあやふやな感情を抱いたまま日常を送るということが生きること、と言っているように思いました。文庫化もされたようなので、是非おすすめです。
2006.05.24
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すごい!100円ショップってすごい!季節はすっかり春ですね。春と言えばイチゴ(?)。親戚からイチゴを大量にいただいた。もちろん嬉しいのだけれど、イチゴって割と痛むのが早いので、大量にあると結構大変なのだ。近所にお裾分けはもちろん、食後には毎回イチゴ。おやつにもイチゴ。酒の肴にもイチゴ。早寝早起き、イチゴってくらいイチゴ漬けの日々を送っても大量のイチゴはなくならなかった。もちろん飽きないように食べ方もいろいろと工夫してみた。そのまま食べるのはもちろんのこと、コンデンスミルクをかけたり、ジャムにしてみたり。それでも毎回はさすがに飽きてくるので潰して砂糖と牛乳をかけてイチゴミルクにして食べることにした。そこでイチゴを潰すイチゴスプーンを探してみたが、何故か見つからない。前は確かにあったのに、イチゴスプーンはしばらく見ないうちにどこかにいってしまったようだ。そこで、近所の100円ショップへ行き、3本セットのイチゴスプーンを購入した。「3本で100円なんて今時の100円ショップはすごいなー」と感心したが、このあと更にすごいことに遭遇することになった。早速買って来たイチゴスプーンを使って家族みんなでイチゴを潰そうとしたその時、そのすごいことは起こった。ス、スプーンが!!ち、超能力発動?イチゴミルクを作ろうとしたまさにその時、家族の3人が突然超能力に目覚めたのだ。つまり、なんの苦もなく、スプーンがぐにゃりと曲がったのだ。そう、イチゴを潰そうとしたまさにその時に!そのスプーン曲げの超能力はイチゴを潰すときにのみ発動するのだけれど、どうも全てのイチゴに発動する訳ではないらしい。どうも、その超能力はイチゴはイチゴでも青い果実に対して顕著に現れる。食べごろのものでも発動はする。だけど腐りかけの美学のものにはかろうじて超能力は発動しないらしい。テレビで見た超能力者が額に汗を流しながら、一生懸命スプーンを曲げるというのがあったけれど、この3本100円のイチゴスプーンは、何の苦もなく、例えばもう片方に熱いお茶を持ちながらでも余裕で曲がるんです。もうユリゲラーやマリックさんごめんって、申し訳ないくらい余裕でスプーンはくの字なんです。しかもこのスプーンで少し堅めのイチゴでも潰そうとしたのなら、誰でもすぐに超能力者になれるんですよ。もう、100円ショップってば、すごい。3本100円ってだけでもすごいのに、まさか超能力まで兼ね備えているとはね。こんなの100円で売っていたら超能力者、皆、失業ですよ。「ザ・美容健康」「ザ・布」「ザ・CD」「ザ・超能力」もうすぐ出来るかも。 「風が吹いたら桶屋がもうかる」牛丼屋でバイトをする主人公のシュンペイは超能力者のヨーノスケとミステリ小説ファンのイッカクと同居をしていた。今日もヨーノスケの能力を頼って悩める美女達が訪れるのだが・・・。この作家さんはSFやホラーチックなミステリーより「the・TEAM」やこの作品に代表されるように、日常の出来事をのんびりと描いたミステリーの方が私は好きです。この作品の最大の魅力は、不器用だけれど好感の持てる登場人物達はもちろんのこと、なんと言っても毎回話のパターンが決まっているということだと思いました。普通は同じパターンを繰り返すとなると、飽きてしまうものなのですが、この作品はそのパターンを繰り返すのがなんとも言えず快感なのです。恐らく水戸黄門や寅さんのような感じで、毎回話のパターンが決まっていても面白く感じるのは、名作だからなのでは思いました。このパターンで何作も読んでみたい感じです。追いつめられたり、どきどきする展開はないのですが、安心して楽しめるミステリーです。毎日一作品ずつ読んでも良いかも。是非。
2006.05.01
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今日(4月24日)は何の日でしょう?とりあえず、大安。これはカレンダー見れば分かること。ちなみに盲導犬の日でもあるらしい。林家ぺーに聞いたら「大鶴義丹と山吹千里の誕生日」だと答えるだろう。私の身近な出来事としては、今日は姉の誕生日でもある。そして、恐らく私以外の人にはどうでも良いことなのかもしれないけれど、今日はこのブログ始まって一周年なのです。・・・ごめん。ここまで引っ張って本当にどうでもいいことでした。申し訳ないです。まあ、とりあえず一周年ということで、恒例だけどこの一年を振り返ってみよう。走馬灯のようにこの一年回想してみる。風の強いお天気の日、このブログを始めたり、そしてブログを通していろいろな人たちに出会えたり、夜も寝ないで仕事中に居眠りしながら、必死でブログ更新していたり、シロ様、寝たきりでオムツになったり、海水浴中に溺れて気が付いたら無人島だったり、サーカスに身売りされたり、恋人が実はスナイパーだったり、七つのボールを集めに行ったり、「たっちゃん、私を甲子園に連れて行って」って、この一年いろいろあったなぁ・・・、まあ今の回想で本当なのは半分もないんだけどね。そんなこんなで、飽きっぽい私が一年続けられたのは奇跡に近いことであります。これも、ごひいきにしていただいている皆様のおかげです。ありがとうございます。しかし振り返ってみると、一年前と比べて、本当に何も変わることのないブログです。こんな、メニュー(インデックス)もない、カラオケ(画像)もない、しかも季節感のない内装(一年中雪印の壁紙)もリフォームされることなく、一日に訪れる客も私の年齢とタメを張るんじゃないかってくらいしかいない廃れた所で、それでも訪れる客にはこちらから強引に少々マニアックな酒(本)を進め、唯一の酒の肴は「あたいも昔は・・・」とママが勝手にし出す昔語りだけというしょぼい場末のスナックみたいなこのブログ。こんな所がなんとかやっていけてるのは、数少ない常連さんのおかげです。本当にありがとうござます。これからはせめて、カラオケ(画像)くらいは入れたいものです。しかし知的好奇心と向上心が乏しいと言われたことのあるこの二つが乏しいなら人間としてどうだろうというこの私なので、あまり変わらないかもしれないんですけれど。 一周年というところで、何か普段よりも豪華に、と思い、「私の秘密をおしえて、あ・げ・る」ということもなく、とりあえず、今日はちょっと豪華に(?)おすすめの本を抱き合わせで紹介しようと思います。そして一周年なので、1にちなんでお勧めの一文字タイトルの本を紹介してみたいと思います。まず、お勧めの恋愛小説。小池真理子「恋」浅間山荘事件の年。大学生だった布美子は猟銃で人を撃ち殺す。それから約二十年後、ルポライターの鳥飼は布美子に取材をすることになる。そこで語られた真相は、世間で知られていたものとは違っていた。第114回直木賞受賞作。これは、本当に小池真理子さんの世界を堪能出来る作品です。もう小池ワールドに魅せられます。恋愛小説といいましたが、軽いミステリーとしても良いかもしれません。あの事件の本当の真実は?という感じで、推理しながら読んでも良いと思いますので。さすが賞を受賞しだけはある作品。お勧めのミステリー作品。麻耶雄嵩「蛍」前に感想を書いたので、詳しい感想は省きますが、後半部分で「あっ!」と驚けます。こういう、まんまと騙されてしまう作品はミステリーとして素晴らしいですね。続編など出て欲しいです。お勧めの短編作品。姫野カオルコ「桃」これも詳しい感想は書いたので省くとして、「ツ、イ、ラ、ク」の登場人物たちを主人公にした短編集です。「ツ、イ、ラ、ク」にハマった人は是非おすすめの作品です。少し違った「ツ、イ、ラ、ク」の世界が見えますよ。もちろん「ツ、イ、ラ、ク」読んでない人も楽しめると思います。お勧めのファンタジー作品。小山歩「戒」古代の小国再。「舞舞い猿」と蔑まれながら一国を救う戒の物語。ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。この作品は歴史物っぽい舞台に少し風変わりだけれど才能溢れる主人公が活躍する話です。登場人物達も個性的でストーリーも本当にあったかのように描かれて面白いと思うのですが、こういう風に書くとそのまんまこの感想が当てはまりそうな作品、酒見賢一の「後宮小説」が思い出されてしまいます。う~ん、やっぱり面白くても「後宮小説」と比べられると不利だと思います。なので、「後宮小説」を読んでいない人には、お勧めかもしれません。私は泣けませんでしたが、泣けるという話です・・・。こうしてみると、結構一文字タイトルの作品は結構ありますね。「恋」「蛍」「桃」「戒」で、一番のお勧めは恋愛小説としても、ミステリーとしても読める「恋」でしょうか。さすが賞を取っただけはありますよ。まだ読んでいない人は是非。
2006.04.24
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「みんなが笑ってるー、子犬も笑ってるー」っていうのはサザエさん。前に手荒れがひどくて皮膚科に行ったときのこと。その日は、体調が非常に悪かった。体調が悪いといっても、病気というわけではなく女に周期的にある体調の悪さだった。その体調の悪さはその時々によって強弱があるのだがその時は体調の悪さが星5つの最高ランクのときだった。どこがどう悪いとは説明するのが難しいくらいに全体的に体調が悪く、そんだか意識が薄いというか、頭がぼーっとしてしまうのだった。そんな感じなので車の運転が出来るのも奇跡なのだが、なんとか皮膚科へとたどり着いた。手荒れなんて「熱がある」とか「虫歯が痛い」とかの急を要するわけでもない症状なのでそんな状態なら家で静かに寝ていればよいのだろうが、そんな判断も出来ずに、こんな最悪な状態なのにたかが手荒れの為に皮膚科に行ってしまうところが体調の悪さを如実に物語っているといえよう。ぼーっとしながら皮膚科の受付に行き保険証を出すと、そこの皮膚科は初診だったので、問診票を渡された。名前や年齢、病気やアレルギーの有無を機械的に記入して、受付に提出して、順番を待つ。待合室は閑散としていて、診察を待っている人は私の他に二人しかいなかった。ふと、顔をあげると受付の人が私のほうを見ているのに気付がいた。しかも、心なしか微笑んでいるようだ。知り合いでもなく、微笑まれる覚えもないので気のせいだろうと思い、私はトイレに行こうと受付にトイレの場所を訪ねたとき、私が感じた違和感は嘘ではないと感じた。私の気のせいではなく、やっぱり受付の人は私をにこやかに見ていて、そしてやけに親切なのだった。トイレの場所を訪ねた私ににっこり微笑んで、私をわざわざトイレの場所まで案内してくれたのだ。そんなに具合が悪そうに見えたから、トイレまで連れて行ってくれたのだろうか。そんな疑問を抱きながら、トイレから戻って来てすぐに名前を呼ばれ、診察室へ入って行った。そこでも、看護士の人が私の腰にそっと手を添える感じでやけに親切に席まで案内してくれ、医者もにこやかに私を迎えてくれた。「今日はどうしたんですかー」と訪ねて来る声もやけに優しげだ。なんでこんなにみんな親切でにこやかなのか。親切にされる心当たりがどうしてもない。いままでの人生を振り返ってみても、見知らぬ人達に親切にされるような人徳が備わっていたとは思えない。なのになんだかみんな微笑んで私をみている感じがするのだ。いや見守っている感じすらする。「みんなが笑ってるぅー」ってサザエさんじゃあるまいし。これは一体どういうことなのか。こういった接客がこの病院方針なのかと思ったが他の患者さんに対しては、通常の病院と接客態度は変わらない感じなのでそうではないらしい。なんだか突然周りの人たちがにこやかになり、私は嬉しいというよりは少し気味が悪かった。そんなことを思いながらも診察は続き、医者はやけに優しげに問診を続けていく。その病院では症状をカルテに記入するのではなく、パソコンに直接打ち込んでいくようで、目の前にあるパソコンの画面に問診票に書き込んだ私のデータと手の平の図面があって症状がつぎつぎ打ち込まれていった。そのとき、私はみんながやけに親切で優しげだった意味がわかった。パソコンの画面にあった私のデータ。そこには、「妊婦」とあったのだ。そういえば、問診票にあった「現在妊娠していますか」の質問。もしかして「はい」に丸を付けたのか。記憶にない。だってその時はよりによって、体調はワーストを誇る時だ。頭がぼーっとして、意識が朦朧状態に近いときだったのだ。おすぎとピーコの区別も不可な状態だ。病院がパソコンに打ち込み間違えたというよりは、恐らくというか多分、私が記入を間違ったのだろう。でも、訂正しづらい。「妊婦じゃないです」ってなんて言いづらい。こんな最悪な症状の張本人によって、間違っても妊娠してないことは実証済み。結局、言い出せなかったので最後までにこやかな感じで見送られることとなり、「ごめん、私、命、宿してないけど・・・」と謝りながら、病院を後にした。それからだいたい半年くらい経って、またその病院に行きたいのだが、なんとなく行き辛い。その病院では私、もうそろそろ臨月近いくらいのはず。 「チームバチスタの栄光」大学病院の不定愁訴外来を担当している主人公の田口は、バチスタ手術専門の「チームバチスタ」で起こった3件続けての術中死の真相の調査を依頼される。果たして術中死は事故なのか故意なのか。第4回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。リンクしていただいている@かぼちゃさんや、各所で絶賛されていたりして気になっていた作品です。しかし、医者が主人公、心臓外科手術などという医学がテーマの作品だったので、ちゃんと読めるのか尻込みしていました。読んでみて、そんな心配は無駄に終わりましたが。私みたいな何も知らない人にもちゃんと分かりやすく説明されている部分もありましたし、そうではない所でも個性的な登場人物達のおかげで最後まで楽しく読むことができます。少し個性が強過ぎて現実ではあり得ない感じの登場人物もいましたが、医療という堅苦しい感じの世界の話では、あれくらいの個性があって正解だったと思いました。「空中ブランコ」の伊良部一郎と近い感じでしたが、この作品はもっと医者の世界が深く描かれています。さすが、現役医者ですね。ミステリーとしては少し物足りない感じもしましたが、シリーズ化されそうなので次回作も楽しみです。
2006.04.20
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二人とも悪くない。決してどちらも悪い訳ではないのだ。そう、悪いのは二人が出会ってしまったということだけ・・・。番組改変の時期。テレビ番組はスペシャルばっかりで退屈だったりします。そんなときは、スカパーを観てます。そして、その新旧入り交じりなアニメチャンネルをたらたらと観ていると思うところがあります。それは最近のアニメの主題歌ってどうよ?はじめに断っておきますが、アニメやその主題歌が駄目だと言っている訳ではありません。どちらも、良いのです。どちらも悪くはないのです。二つが組合わさってしまったのが、問題なのです。もちろんアニメの主題歌として良いものはいっぱいあります。ルパン三世の曲なんて、何年も経た今でさえかっこいいではないですか。奥田民生だってカバーしてますし。「千と千尋」の歌なんて聴いてて癒されますよ。でも最近のアニメの主題歌はアニメ自身と噛み合ってないと思いませんか?例えば、昔のアニメ。「ドラゴンボール」なんて「つかもうぜ!ドラゴンボール!」なんて、のっけからタイトル名乗ってますし、「私は私はキャンディキャンディ」ってキャンディも自己申告してます。もう、その主題歌はそのアニメの為に存在しているんですよ。そのアニメと主題歌は結ばれる運命というか、もうお互い離れなれない存在なんです。しかし、最近の主題歌は「あれ?何でこのアニメにこんな曲?」って感じの関連性が見受けられないもの多くないですか?そんなちぐはぐコンビのアニメ主題歌をいくつかあげてみたいと思います。なお、アニメのタイトルは伏せておくので、だいたいで良いからその辺、感じて下さい。まず、とある文明開化の時代に頬に傷のあるわけ有り元人切り抜刀斎が主人公のあのアニメですよ。問題なのはそのエンディングの曲でボニーピンクが唄っていた曲です。もちろん良い歌なんですよ。なにせボニーのピンクちゃんが唄っているんですから。オシャレな感じの心地よいメロディなんですよ。しかし、しかしですよ。問題は歌詞ですよ。ボニーちゃん、「チャオ チャオ」言ってるんです。しかし、このアニメの時代は文明開化したばかり。まだまだ、お江戸の色が濃いご時世なんですよ。ちょんまげだって、現代のアフロ人口よりも多いであろう時代なんですよ。その時代に「チャオ!チャオ!」は、いかがなものかと。駄目と言うよりは、周りきょろきょろしちゃうんです。しっ!ご近所さんに聞こえちゃうからって。人に聞かれたら「この毛唐がっ!」って言われちゃうからって、気が気じゃない感じなんです。そして、次は今もテレビで放送されている大人気のあのアニメです。毎回事件を解決している、「体は子供頭脳は大人」のあの主人公のアニメですよ。そのアニメの少し、いやかなり前のオープニングの曲です。そのアニメは結構ダンスミュージック系なノリの良い曲が多いのですが、その問題の曲もダンスミュージック系だったと記憶してます。誰が唄っていたか忘れましたが、愛内あたりではなかったかなと。そのアニメはおそらく幅広い層に人気な感じがしますが、多分こんなダンスミュージックを愛好する人々には、そんなに指示されないでろう番組なのに何故?と疑問の残る曲だったのです。そんな曲だからなのか、よりによって主人公の彼、パラパラ踊っているんです。もちろん無表情で。彼、恐らくというか絶対に近いくらい、パラパラは踊らないであろうキャラクターなのに。だって、彼「体は子供でも頭脳は大人」なんですよ。まだ、まだね、子供がパラパラ踊っているなら微笑ましい気もしますが、彼はの中身は「NO」と言える大人なのに・・・。これは、もう踊らされているに違いない。彼には拒否権は無く、踊らされているに違いない。タイアップとかオリコンとか売れる為とかで、社会のどろどろした部分に踊らされている違いない。それがもう観ていて痛々しいんですよ、無理矢理パラパラさせられて。パラパラって好きではない人には踊ることが躊躇われるダンスですよ。人質を取って立てこもった犯人の要求がパラパラ踊れってことだったとしても、人質の為とはいえ、パラパラ踊るかなんて苦渋の決断ってくらいダンスですよ。そんなパラパラを彼がね、踊ってるんです。彼に、たいして思い入れのない私でさえ、「やめてあげてぇー!」って両手広げて彼の前に立ちはだかってかばってしまいたくなるくらい痛々しいんです。「体は子供でも、頭脳は大人なのよぉ!」って、毎回彼が言っている台詞を、涙ながらに訴えたい感じなんです。さて、最後はキテレツな発明をする主人公に、コロッケ好きなロボット?からくり人形?がまとわりついてくるあのアニメです。ちょっとちょっと、そのアニメ最近じゃないじゃんって思った人多いと思う。分かっている、分かっているけど忘れて。忘れて。今だけは忘れて。今だけは奥さんのこと忘れて。違った、今だけはそのことは忘れて。このアニメは「はじめてのチュウ」や「お料理行進曲」などの心に残る名曲が多いと思います。しかし、それに隠れて知名度は低いが問題の曲は存在してました。タイトルは「フェルトのペンケース」これね、歌詞が「フェルトのペンケースからあなたに手紙書いてます」とか「遠ざかる電車に手を振る」とかなんです。世界は「木綿のハンカチーフ」風味なんです。というか、まんま木綿のハンカチーフと言ってしまっても良いのではと言う感じなんです。このアニメそんな設定もイメージも皆無って感じなのに。このアニメで「フェルトのペンケース」ってタイトルなら「いざ布を切るぞ~、針に糸を通して~、怖がらずに縫い込め~」って感じのペンケースの作り方の歌詞の方がそれらしいのに、何故か木綿のハンカチーフなんですよ。でもまだね、まだねエンディングで良かった。救いはエンディングだったことだと思います。だって、これがオープニングだったなら、アニメの看板とも言えるオープニングだったなら、アニメの内容が違ってきますから。というか、この歌に合うアニメってあるんでしょうか。なんか、時代というか雰囲気がね、レトロというか古き良き時代というか葉っぱくわえてる番長とか、喫茶店のテーブルがインベーダーゲームな感じなんです。フォークソングな感じなんですよ。二次元キャラが登場するには、暗い雰囲気の話になりそうなんです。まあ、そのミスマッチ具合が良いのかもしれないんですが。まあ、こんな感じなのでこれからもアニメの主題歌から目が離せない。 「女形」京都と東京同じ日の歌舞伎の舞台で二人の名優が死んだ。果たして二人の死は偶然かそれとも・・・。内弟子のすみれが謎を解き明かす。リンクしていただいているしゃんテンさんのブログで知った作品でした。歌舞伎なんて自分とは縁遠い世界だと思っていたのですが、大変興味深く読むことが出来ました。歌舞伎のことなんて全くといって良いほど知らなかった私でさえ面白く読めたのは登場人物たち、そして恐らく作者も歌舞伎を愛しているであろうことが、ひしひしと伝わってくるからではないでしょうか。歌舞伎に対しての愛を感じる作品でした。さて、さて肝心のミステリーとしては、そんなに意外な結末という訳ではなかったです。が、なんだかやるせないというか、悲しいというかせつない感じの結末は結構私好みだったりもしました。ちょっと金田一耕助シリーズの結末に近い感じなので。そして、ちょっと気になったのは、話が少々中だるみっぽかったことでしょうか。最初にばたばたと事件が起こってから、話の進展があまり無いんです。後半部分まで来ると一気に進展してぐっと面白くなるんですけれど、事件というか話の展開が最初と最後に集約されているので、最初を読み終わってしまってから後半にたどり着くまでの途中、物語の動きが少なくちょっと飽きてしまうんですね。なので、もう少し謎を小出し小出しにして引っ張っていけばもっと面白く読めたのではないかと思いました。 ここからネタばれの為、一部反転してます。 そしてこの作品の真相であった遺伝子と、代々技を伝えていく歌舞伎というある意味究極のミームが絡めてあるのが面白かったですね。血の伝承と知(技)の伝承、その対立する二つをテーマにした深い作品なのではないでしょうか。 そして、最後にしゃんテンさんの感想にもありましたが、嫌なイメージだった登場人物が読んでいくうちに、だんだん良い人に思えて来るのが良かったです。というか、その人が最後においしいとこ全て持って行ってしまった感じすらしましたが。登場人物が嫌なイメージの一遍だけではなく、違った面からも描かれていたので人物に奥行きが出ていてこの作品の世界に深みが生まれてました。はじめて読んだ作者でしたが、面白かったです。しゃんテンさんに感謝です。歌舞伎に興味のある方はもちろんのこと無い方にもおすすめの作品です。
2006.04.11
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春はあけぼのって清少納言が言ったけれども、私的には春はやけ酒。この季節、お花見、歓送迎会などで飲み会が多い。お酒が飲めない私は、飲み会自体あんまり楽しいとは思えないのだが、それにくわえて会社の歓送迎会は、席順をクジで決めることになっている。生まれつきなのか今話題のオーラのせいなのか昔からくじ運の良くない私はこの席順をくじで決めるのが嫌でならない。親しい人と隣になれるなら良いのだけれど、周りをあまり親しくない人アンド上司で固められることもままあるからだ。前に比べれば、今の上司は割と話せる人が多いので前ほど嫌ではないのだが、それでも飲み会時の席のくじ決めが憂鬱なことに変わりはなかった。この前の飲み会のこと。私の席は角で案の定隣は上司だった。そんな訳で私は強制的にその上司としか話す人はいないのだが、この上司は、気さくで話しやすい人柄なのでそんなに嫌ではなかった。そんな気さくな上司と話をしていたらどういう展開でそうなったのか覚えてないけれど、上司が「もう、オレは限界なんだよ~」と漏らす。私はとっさに返事困る。だって、何が限界かと言うと上司、自分の髪の毛のことを言っているから。そりゃね、その上司ふさふさとは言いません。高温多湿で超えた土壌の密林では決してないんですよ。かと言って砂漠でもなくてね、なんていうかね、ほそぼそというかね、こうサバンナって感じなんですよ。それなんので、「限界なんだよ~」と言われても「そんなこと全然ないですよ」なんて返せない。男の永遠なる悩みを女の私に話されても、非常にコメントに困ります。もう、私は知識総動員で「今はヘアコンタクトとかあるじゃないですか~」だの「電話で簡単に診断できますし」だの「リアップだってありますから、心配ないですよ」だの、はたまた「研究員のみなさん寝ないで研究して、日々技術は進歩していってますから大丈夫ですよ」と、もう希望的展望まで引っ張り出して大奮闘なわけです。こんな時、何が辛いってお酒が飲めないことです。飲んで酔ってこの場から現実逃避したい。酒の席だからってことで、あやふやにしたいんですよ。だけど、悲しいことにこんなきわどい話題にもしらふで解答しなければならない。春は「やけ酒」したい。もう飲んで忘れたい。 「Sweet Blue Age」甘くて青かったあの頃。角田光代、有川浩、日向蓬、三羽省吾、坂木司、桜庭一樹、森見登美彦の7人の作家が描く青春文学。読んだことがある作家さんは角田さん桜場さん森見さんの3人。そして三羽さんは読んでみたいと思ってた作家さん。あとは知らない作家さんでした。うん、全体的に良かったと思いました。青春文学がテーマのアンソロジーらしいのですが、作品によって年齢、舞台、性別もばらばらなのでまとまった感じのしないアンソロジーなのです。が、かえってそれがそれぞれの作家さんの世界が生かされていたようにも感じて良かったです。十代の人よりも、それ以上の年齢の人にお勧めかもしれません。角田光代「八月の、」卒業した大学のサークル室に忍び込んだ主人公と友人の話。角田さんは短編がすごく上手なので安心して読めました。期待が大き過ぎたせいか、若干角田さんにしては、卒なくこなしてしまったようにも感じましたが、相変わらず上手いことに変わりはなかったです。有川浩「くじらの彼」合コンで知り合った恋人とは、滅多に連絡もとれない遠距離恋愛。知らなかった作家さんでした。少しマニアックな恋愛の話だったけれど、思ったより楽しめました。どうやらこの短編と関連した作品があるようなので読んでみたいです。日向蓬「涙の匂い」大阪から東北の田舎に転校して少しずつ大人になっていく主人公。この作家さんもはじめてでした。うう~ん、なかなかに味のある表現力を持った作家さんだと感じました。田舎のあか抜けない男の子をだんだん素敵に見えるように書けるのは上手だからでしょうし、一番性を意識でしてるであろう中学生時代の性の描きかたが上手でした。三羽省吾「ニート・ニート・ニート」突然会社を辞めた主人公のもとにヒモをやっている友人レンチがやって来る。読んでみたいと思っていた作家さんでした。う~ん、思ったより・・・という感じだったです。青春文学としてはよくありそうなストーリーだったからでしょうか、特に残るものが無かったです。でも悪いと言う訳ではないのです。もっと違った切り口から書いてたらもっと良かったような気がしました。坂木司「ホテルジューシー」沖縄のホテルでアルバイトをする主人公。この方もはじめての作家さん。いい話なのですが、癖というか個性が少なかったような気がしました。なので、なんだかあまり共感出来るところがありませんでした。桜庭一樹「辻斬りのように」25歳の私はある日突然辻斬りのようにある考えに取り付かれる。「少女には向かない職業」が良かったので今回も楽しみに読みました。ちょっと意外でした。主人公が25歳だからなのでしょうか。こんな大人の少し乾いた感じの文章をたんたんと語る口調で書けるんですね。結構引き出しの多い作家さんなのかもしれません。少し短かったのが残念でした。もう少しそれぞれの男達の描写の部分が欲しかったような。森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」お酒を飲む彼女とそれに絡む人たちと私の一夜の物語。今回一番印象に残った作品。雰囲気や小道具など「太陽の塔」に近いものがありましたが、今回は簡潔にしかし内容は濃く描かれてたので分かり安く読みやすかったです。登場人物や展開がごちゃごちゃした感じがしますが、それぞれリンクしていてだんだん話が繋がっていく感じが良かったです。そして面白かったのは話の中で語られることが、思わず納得してしまうような詭弁ばかりなのです。現に作品に詭弁論部なんてものも登場してますし。特に「女性は好きではない男と結婚すべきだ」と「おともだちパンチ」なんかの詭弁は秀逸。そして最後に、作中にも有りましたが女の人は「おともだちパンチ」を習得しておくべきかもしれないと思いました。それというのも本文曰く「世の中、聖人君子はなどはほんの一握り、残るは腐れ外道かド阿呆か、そうでなければ腐れ外道でありかつド阿呆」らしいので是非「おともだちパンチ」が必要だそうです。「おともだちパンチ」の詳細については作品を読んで確かめて下さい。奇跡か夢か、はたまた法螺のような一夜を描いた作品でした。
2006.04.04
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「所詮は完全犯罪なんて無理」小学校を卒業して中学校に入学したての12歳の頃なんて、まだまだ子供。人生の酸いも甘いも知らない、ぺーぺーみたいなものだ。しかし、そんなまだまだお子さまの12の時にも悟ったことはある。「完全犯罪なんて無理」ということである。男24歳独身一人暮らしの英語の教師の自宅に電話をしてみよう。中学に入学したての放課後、友達の部屋で4人で遊んでいたときのことである。その友達の家は学校のすぐ近く、しかも友達の一人部屋で部屋に電話もテレビもあり放課後よく私達のたまり場となった。仲良しの友達4人で部屋に集まり気が大きくなっていたのだと思う。クラスの子が例の英語教師の自宅に電話したら、留守番電話の応答のメッセージを英語教師自ら吹き込んでいてすごく笑えると言っていたことを思い出したのだ。そこで自分達もその教師の家に電話して応答メッセージを聞いてみようということになった。ただ電話して留守電を聞くだけでは面白くないので悪戯してやれと、友達の部屋にあったエレクトーンでヘビメタ風にアレンジした「君が代」を演奏して吹き込んだのだった。ここが小心者だと思うのだが、電話を切った後、私達は不安になった。悪戯が私達だってばれたらどうしよう。必死で堪えたが私達の笑い声が入ってしまったかもしれない。そこから、私達の犯行だと知られたら、と。そうなると、職員室に呼びだされて叱られる光景や、朝会で全校生徒の前で叱られる姿などが頭に浮かんできてしまう。私達はどんどん不安になっていったのだった。そこで、当時横溝正史を読みあさっていた私は考えた。だったら、悪戯が私達だとばれなければ良い。罪を人になすり付けば良い、と。そこで、私達は再び英語教師の家に電話をした。今度は、エレクトーンでドラムの音を出してそれを吹き込むために。友達のエレクトーンは高性能で、素人では本物とわからないくらいのドラムの音が出せる。それを利用して、このドラムの音を本物のドラムと錯覚させようと思ったのだ。当時バンドをしていて、自宅にドラムを所有していた男子が学年に二人いた。私はそのことを思い出し、それを利用しようと考えたのだった。ドラムなんて高価で簡単に買えるものではない。だからドラムの音を録音しておけば、犯人はそのドラムを持つ二人の男子のどちらかだと思われるに違いないと。今考えるとなんて単純で卑怯な方法なのかと思ってしまうが、やっぱりそこは神様もちゃんと見ていたのだろう。そう、完全犯罪(?)に見えたこの方法、ミステリー小説で言うなら、「犯人はその時重大なミスを犯した!」的なことが起こったのだ。エレクトーンでドラムの乱れ打ちを演奏し、教師の留守電に録音をして完全犯罪が成立しようとしたまさにその時、予想だにしないことが起こったのだ。録音途中で、突然「キーンコーンカーンコーン」と学校のチャイムが鳴り響いたのだった。まさに、誤算。神様の悪戯。そう、友達の家は学校のすぐ側。つまり学校のチャイムもよく聞こえるのだった。それに対して罪をなすり付けようとしていた二人の男子の自宅は学校から離れた場所。学校のチャイムがこんなに大きく聞こえるはずはないのだった。もし二人の男子が犯人だとしたのなら留守電に録音されたドラムの乱れ打ちに学校のチャイムの音が入ってしまっては不自然なのであった。私達は慌てて電話を切ったが、もう遅かった。学校のチャイムは録音されてしまったであろうことは間違いなかった。まさに追いつめられた状況。小説なんかの場合は、このミスを隠す為に犯人はもっといろいろと手を下すことになるのだが、そんなことまでは、考えつかなかった12の私達。そう、そんな所詮12の小娘である私達が取った選択は、ただ一つ。自首ですよ。結局、学校に電話をして英語の教師を呼んでもらい、みんなで罪を告白して謝ったのだった。私達の突然の電話にその教師も戸惑ったようで、素直に罪を告白してもそんなに怒られることはなかったのが幸いだった。やっぱり、完全犯罪なって無理だと自分の間抜けさを棚にあげて、悟った12の春。 「殺人ピエロの孤島同窓会」今は誰も住んでいない島で、36人の高校時代のクラスメイトが20歳に同窓会を開いた。この同窓会に出席しなかったのはただ一人、クラスでいじめられていた生徒だけ。そして同窓会の途中、殺人ピエロが現れ、つぎつぎとクラスメイト達を殺していく。果たしてピエロの正体は?今話題の12歳の作者が書いたミステリーです。話と雰囲気はバトルロワイヤルに近い感じです。やっぱりこういう無差別につぎつぎ殺されていくという設定は若い世代に受けが良いんでしょう。こんなことあり得ないでしょうという大人の分別がまだないぶん、ブレーキをかけずにこんな作品が書けるのはまさに若さのなせるわざ。でもバトルロワイヤルと違って、これは一応ミステリー。真相は予想どおりながら、一応ミステリーにはなっていました。話の組み立てなどは、若さ溢れながらも小説にはなっていますが、それでもやっぱり12歳だからなのか、結構突っ込みどころは豊富です。特に登場人物達の描き方が。まず、孤島で次々と殺されていく状況、いつ自分が殺されるのかわからないのに登場人物たち結構のんびりしてます。夜道を一人で歩くときの危険度が1だとしたなら、この場合は危険度は10くらいでしょう。いつどんな方法で殺人ピエロが殺しにやって来るのか分からない時なのですから。なのに、結構みんな大いに眠って大いに飲み食いするんです。「寝るの?見張りは?」とか「食べるの?毒の心配とかは?」と読んでいて、はらはらしっぱなし。そして時には登場人物達、学園ラブコメディな感じにもなったりするので、ま、待って、恋はそりゃあ大事だけれど、まずさ、まずはさ、殺人ピエロを最優先事項にしようよ、などと読んでいて心配になってしまうのです。状況はバトルロワイヤルで、登場人物の脳内は学園ラブコメというある意味斬新な世界感なんですよ。あと気になったのは、後半部分がリフォームしたみたいにすっかりライトノベル風になってしまってるということです。入り口はバトルロワイヤルで出口はライトノベル、さてその答えは?って感じでどこかのなぞなぞみたいになってます。とりあえず元クラスメイト達がどんどん殺されていくんですよ。普通、話的にはどんどん重くなってクライマックスへ向けて盛り上がっていくところのいくはずなのに、最後の方はどんどんライトな感じになっていき、最後の一文がもう、まぎれも無くライトノベルでした。最初からライトノベル風だったら良いのですが、途中で変わってしまうのでちぐはく感は否めなかったです。しかし、作者がちゃんと調べた結果なのか、警察とかお役所のところとかコンピューター関係のことなど、大人の私でも知らない所を詳しく書いていたりするところもあったので(その内容が正しいのかは私はわかりませんが)、それはとても感心しました。いろいろと思う所はありましたが、12歳でこの量の話を最後まで書ききったのは見事だと思いました。作者が12歳だということを知って読めばすごいと感じると思います。次は年齢を意識させずに読ませてくれる作品を期待したいです。
2006.03.27
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