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2012年05月13日
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テーマ: 琵琶湖(29)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 湖北の寺院めぐりをした (5月6日)

天寧寺 羅漢堂
最初に来たのが彦根市内にある天寧寺の五百羅漢だ。拝観は9時からなのだが、少し早くついてしまった。「まだでしょうか?」と言うと「どうぞ」と入らせてもらった。

天寧寺 五百羅漢_01

天寧寺 五百羅漢_02
五百羅漢と言っても各地にいろんなものがあるが、ここのなかなり立派なつくりだ。

【天寧寺 五百羅漢】
五百らかん天寧寺は、井伊直弼公の父である直中公が自分の過失で手打ちにした腰元と初孫の菩提を弔うため、禅宗界屈指の名僧寂室堅光禅師の勤めで発願建立した。
文政2年(1819年)の春、男子禁制の槻御殿(現在の楽々園)で大椿事が持ち上がった。奥勤めの腰元若竹が、お子を宿しているらしいという風評が広まり、それが藩主の耳にも届いたのである。
大奥の取締のためにも相手の名を詰間したが、口を固く閉ざして相手を明かさない。遂には不義はお家の法度であるという掟によりお手打ちということになった。後になって若竹の相手が長男直清であったということが明らかになり、直中公も不知とはいえ若竹と腹の子(初孫)を葬ったことに心痛め追善供養のため、京都の大仏師駒井朝運に命じて五百羅漢を彫らしめ安置されたのである。


天寧寺 五百羅漢_03

天寧寺 五百羅漢_04

天寧寺 五百羅漢_05

天寧寺 羅漢堂内の釈迦像と釈迦10弟子
五百羅漢の中心には釈迦像と十大弟子の像があった。

天寧寺 石庭園_02
羅漢堂の裏側には石庭があった。

天寧寺 井伊大老供養塔
また、桜田門外の変で殺害された井伊大老の供養塔があった。


彦根のICから名神高速に乗り米原JCTで北陸道に入り、長浜ICで下りた。
そのまま琵琶湖岸に出て、さざなみ街道を走る。高月から国道8号線に戻り、渡岸寺観音堂にに向かった。

渡岸寺 本堂_01

渡岸寺 本堂_02
ここでは国宝の十一面観音と大日如来を観ることができた!

撮影禁止なので、写真はありません。その代り、パンフレットからその由来を紹介します。

【国宝十一面観世音 渡岸寺観音堂】
その昔、聖武天皇の天平8年(今から約1250年前)当時都に疱瘡が大流行し死者が相次いだので、天皇は除災の祈祷を僧泰澄に勅せられました。泰澄は勅を奉じ、祈願をこめて十一面観世音を彫み、一宇を建立して息災延命、万民豊楽の祈祷をこらしてその憂いを絶ったと伝えられます。
以来、病い除けの霊験あらたかな観音像として敬仰せられ、桓武天皇の延暦20年(801年)には比叡山の僧最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立し、多くの仏像を安置して輪奥の美をきわめました。しかし時勢とともに寺運は漸く衰え、元亀元年、豪雄浅井・織田両氏の戦火のため、堂宇は悉く烏有に帰し寺領亦没収せられて、ここに全く廃滅してしまいました。
此の兵乱に観音様を敬仰する住職巧円をはじめ土地の住民達は、兵火が堂宇を襲うや猛火を冒して搬出しましたが、お守りする堂なく、やむなく土中に埋蔵して難をまぬがれたといわれます。その後、巧円は真宗に転宗し、光眼寺を廃寺にし向源寺を建て、諸佛は秘仏としてお守りしてきました。
(中略)
十一面観世音菩薩は、頭上に十又は十一の小面をもつ変化観音で、夫々の小面に化仏をもつことより考えて、十一体の観音のはたらきを一身に具現したものと思って良いでしょう。その成立の根拠には異説が多く定説となるものがありませんが、シヴァ神の異名である十一最勝神との交渉により、多面に亘る救済化益の観音として説かれたものと思われます。その十一面は前三面が菩薩の慈悲相、左三面が瞑怒相、右三面狗牙上出相、後一面暴悪大笑相、頂上にある一仏面の如来相をいいます。
この十一面観音像は頂上仏面が菩薩相で、五体の化仏のあるほかは、きわめて儀軌に忠実であり、左右夫々の一面を耳のうしろに大きく表現するなど、密教像特有の印度的な感じをまことによく伝えています。(法隆寺金堂被災壁画・胎蔵界曼茶羅などにその例をみます)像高は約1.95メートル(約6尺5寸)頂上面を除く宝髪より蓮肉に至るまで一木彫成で、その刀法は上から下へ、下から上へ、いささかも渋滞するところなく、冴えた彫りの美しさをあらわしています。
また眉から鼻にかけての秀麗な線、かたく結ばれた唇など、その豊かな顔容には崇高な森厳さが秘められています。そして腰をわずかにひねるかのような豊麗な姿態に、仏身ながら官能的な量感をさえ感じます。これらのことは泰澄作の寺伝はともかく、平安初期の様式を代表するすぐれた遺例として奈良法華寺の十一面観音と併称される所以でもありましょう。(略)


全長寺 本堂
最後は旧余呉町の全長寺だ。達磨さんの掛け軸や紫陽花で有名なお寺だ。

全長寺パンフ1
拝観300円となっているのだが、日常的に受け付けていないようで・・・。予約しておく必要があるようです。
今回、第17代目(だったかな?)の住職さん直々の案内でした。初めに「達磨さんの写真はだめですよ」と断られた。

以下、パンフレットからの紹介です。
縁起
文明元年(1469年)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一字を開き全長坊と称す。大永6年(1526年)全長示寂を前に禅宗に帰依し、同郡椿坂村曹洞宗桂照院二世願正全養に請うて全長坊を託す。慶長2年(1597年)願正禅師、全長の意を受けて全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久沢山全長寺と改め、当寺の開山となる。
安永6年(1777年)池原、国安、文室、東野、今市の5ケ村より現在の境内地の寄進を受けた。十世泰蟠童龍禅師は15ケ年の歳月を費やし、寛政3年(1791年)に七堂伽藍の完成をみた。
門前の杉の老木は往時をしのばせる。以来法灯連綿として今日に至っている。

達磨さんの頭の「たんこぶ」は知恵を表しているとか、耳のイヤリングはインド風だとか。久沢山の由来はこのあたりに伏流水が湧き出ているからだとの事。いろいろ教わりました。


全長寺 馬頭観音堂
こちらは馬頭観音のある観音堂です。観音様といえば温和な顔立ちなのですが、この馬頭観音は強面ですと言われました。





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最終更新日  2012年05月13日 23時49分23秒
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