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今月の一発目も・・・「葉隠」で行くよ。 「武士道は死に狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬもの。」と、直茂公仰せられ候。本気にては大業はならず。気違ひになりて死狂ひするまでなり。又武士道に於て分別出来れば、はや後るるなり。忠も孝も入らず、武士道に於ては死狂ひなり。この内に忠孝はおのづから籠るべし。 「武士道は死に狂いである。一人を倒すために数十人がかりでも倒せない場合がある。」と直茂公が仰った。正気では大仕事を達成出来ない。気違いになり、死に狂いするまでである。 また、武士道においては、考慮(物事を考える)がうまれると、その時点で遅れをとっている。武士道にとって忠孝は邪魔である。全くの論外だ。ただただ死に狂いあるのみ。しかしながら、忠孝は自然に宿るものである。 何も言う事はねぇ。 何も考えず、ただ実行あるのみ!!粛々と遂行するのみ。しかし、無関係の他人を巻き込んだり迷惑を掛ける事は、自分勝手であり、ただの馬鹿野郎だ。無差別は論外。全くもって、みっともない事だ。 合掌
Sep 4, 2011
いつ頃になるのか、もう何年も書いていないように思う。今日は久々に「葉隠」で行こう。 一番最初に書いた有名な行だが、もう一度だけ記しておく。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわつて進むなり。図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を支果すべきなり。」 武士道の本質は死ぬ事であり、生か死かを決めなければならない時は、迷わずに早く死ぬ方を選ぶだけだ。面倒な事はない。腹を据えて、余計な事は考えずに邁進するだけだ。”事を貫徹しないうちに死ねば犬死だ”などというのは、上方風の思い上がりで、打算的な武士道である。二者択一を迫られたとき、正しい方を選ぶのは難しい。人間は、死よりも生きたいと思う。ならば、生きる方に理屈が多くつくのは当然である。生きる方を選んで、それが失敗に終わってなお生きているならば、それは腰抜けとそしられる。その決断が難しい。 しかし、死を選んでいれば、事を仕損じて死んだとしても、犬死や気違いと言われようが恥ではない。これが武士道の本質という事だ。武士道を極めるには、朝夕繰り返して、死の覚悟をする必要がある。これに依って、武士道は自分のものとなり、一生誤りなくご奉公ができる。 と、一番有名な行を紹介したが、今日は、全くの対極である行だ。「人生一生誠にわづかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚かなることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が好きなり。今の境界相応に、いよいよ禁足して、寝て暮らすべしと思ふなり。」 人の一生なんて短い。やりたい事をして暮らすべきだ。束の間ともいえるこの世で、やりたくもない事をして苦しむのは愚かだ。しかしこれは悪く解釈すれば害になる。私は寝るのが好きだ。今の境遇に応じて、家に引き籠って寝て暮そうと思う。 と言っている。武士としてか遊人としてか、歯車としてか人としてか・・・。 「葉隠」を、どう読むかって事だ。何時でも死ぬ覚悟を持ちながら生きている。しかし、その生きているって事が難しい。その時の時勢や境遇に依っても変わるだろう。 今日は終戦記念日だが、66年の月日が流れた。・・・合掌・・・。もうすぐ、戦争を経験した人達は居なくなり、平和ボケの日本国民だけになる。何の覚悟もなく、何の経験もなく、何の考えもない。自分としては、他人に何を望む訳でもない。他人には何も期待していない。手前の事で目一杯だからよ。手前の事は手前で考える。 行 =くだり 他人=ひと 手前=てめぇ 葉隠を、戦争と結び付けてはいけない。政治哲学ではなく、行動哲学と解釈すべきではないかと思う。手前の行動を決める為の道標だと思っている。葉隠
Aug 15, 2011
何某当時倹約を細かに仕る由申し候へば、よろしからざる事なり。 水至つて清ければ魚棲まずと云ふことあり。およそ藻がらなどのあるにより、その陰に魚は隠れて、成長するものなり。少々は、見のがし聞きのがしある故に、下々は安穏なるなり。人の身持なども、この心得あるべき事なり。 最近のOOoOには困ったもんだと思ってんだよなぁ。何でもかんでも暴露すりゃぁイイってもんじゃねぇだろ・・・ってよぉ。っんでもってよぉ、島国根性っていうか、誰彼構わず目立って来ると潰す。目立たなきゃお構い無し。 いいかげん疲れるぜ。もう、んなこったぁ飽き飽きよ。何時の時代になっても同じ事ばっかしだしよぉ。それをネタに金を儲けてやがる。罰が当たるぞ・・・!! 国民をマインドコントロールしてるしよぉ、親切ごかしにコメントしてるしな。それで、日本人は他人の悪口が好きだって事に付けこんでよぉ、事を大きく煽ってよぉ、そんでもって世論調査なんかして、どれだけコントロール出来たかを確かめてんだよな。民間OOは、そんな事ばっかしやってんだよなぁ。 国営OOは比較的視聴者に考える余地を与えた△△かなって思うけどよぉ・・・。十人十色だって言ってんだろ、オメェ等の意見なんか聴きたかねぇよ。 ウチの年寄りなんかは完璧に洗脳されてっからよぉ、もっと裏や違う角度から考えたりしてよぉ、世間に軽々しく賛同すんなって言ってんのよ。 帝国主義の時代に生きて来た人間とは思えねぇよなぁ。 何時も脱線しちまうなぁ、っまぁイイか・・・。 何でもかんでも一掃すりゃぁイイのかぁ?? まぁ、整理は必要になって来たかもって思うけどよぉ、全てをクリアーにするって事はよぉ、今までを全否定するって事になりゃぁしねぇのかよ。コレとは違うけどよぉ、最近は車のハンドルや電気製品なんかでも ”抗菌” なんて文字が書かれていたりするけどよぉ、人間が菌に対して弱くなってる様だしよぉ。何処に、どんなシワ寄せが出てくるのかが分らねぇよな。 さて、またまた御託を並べ過ぎたな。 また暫くは雲隠れすっからよぉ。
Jun 22, 2010
武士は当座の一言が大事なり。ただこの一言にて武勇顕はるるなり。即ち治世に勇を顕はすは詞なり。乱世にも一言にて剛臆見ゆと見えたり。この一言が心の花なり。口にては云われぬものなり。 はじめの一言が大切なのである。心を表す。 覚悟して話せ! って事よ・・・。っでないと、毎日OOOながら◇◇◇事になるよなぁ。
Jun 19, 2010
久々の葉隠だぜっ。 或人云ふ、「意地は内にあると、外にあるとの二つなり。外にも内にもなきものは、益に立たず。たとへば刀の身の如く、切れ物を研ぎはしらかして鞘に納めて置き、自然には抜きて眉毛にかけ、拭ひて納むるがよし。外にばかりありて、白刃を常に振廻す者には人が寄りつかず、一味の者無きものなり。内にばかり納め置き候へば、錆もつき刃も鈍り、人が思ひこなすものなり。」と。 俺の周りには、何時もガタガタと煩せぇ輩が多くいるけどよぉ、 俺的にはよぉ・・・、何時も大人しいと思ったら大きな間違いだぜってこったな。 本当の意味は・・・また何時かな・・・。
Jun 15, 2010
芸は身を助けると言われているが、それは他所の藩の侍のこと。ご当家の侍にとっては、全く無用である。反対に、芸は身を滅ぼす事になる。一芸を持つ者は技芸者である。侍ではないのだ。何某は侍であると言われるように心掛けなさい。芸がある者は、侍にとって害であると知れば、はじめて芸が役立つのだと言う事を肝に銘じなさい。 なかなか難しい。この「葉隠」は、どのように解釈するかは、その人達に依るところだろう。しかし、何を云わんとしているかが、皆さんも少しずつ解ってきたのではないかと思う。単純に解釈すれば、上記のようなものだが…。では、また何時か…。
Oct 18, 2009
芸は身を助くると云ふは、他方の侍の事なり。御当家の侍は、芸は身を滅ぼすなり。何にても一芸これある者は芸者なり、侍にあらず。何某は侍なりといはるる様に心懸くべき事なり、少しにても芸能あれば侍の害になる事と心得したるとき、諸芸共に用に立つなり。この当り心得べき事なり。 芸は…身を…滅ぼすかぁ。 この「葉隠」は、一見カッコ良く死ぬ事のように捉える者が多いと思うが、実は全く違う。
Oct 15, 2009
武士道の本質は死。生か死かを選ばなくてはならない時には死を選ぶ。たいした事ではない。腹を括って、静かに遂行するだけだ。成し遂げる前に死ぬのは犬死だと言うのは、上方風の計算だかい考え方だ。二者択一で正解を選ぶのは難しい。普通は生きる道を選ぶ。しかし、生きる方を選んで失敗すれば腰抜けだと言われる。故に、死を選んでおけば成し遂げる事が出来なくて死んだとしても犬死だとか気違いだなどと言われても恥ではない。これが武士道の真髄だ。朝起きた時にも夜寝る時も、死する覚悟をする事により武士道は自分のものとなる。そして、一生、誤り無くお仕えする事が出来る。 人其々、解釈のし方が違うと思うが、これを自分に当てはめて考えてみるが…。 次回は…、まだ考えてない。。。
Oct 9, 2009
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当たることのわかることは、及ばざることなり。我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。葉隠より 一番有名だが、猿真似日本人が忘れてしまった日本の精神。まずはココから行くか…。
Oct 7, 2009
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