妊娠発覚~出産


そこでも色々検査をしたがやっぱりだめで、なつが2歳の秋、私が体調を崩したのをキッカケに治療を休む事を決意、そうしたらゆうを授かった。

体温がなかなか下がらずあと1日、もう1日・・・こなかったら検査薬をしようと思いつつ、2002年のクリスマスイブについに検査。
すぐに濃い線が出た。
もう私には妊娠は無理だと思っていたのでめちゃめちゃ感動だった。

今度は男の子がいいな~と漠然と思っていたが本当に男の子と判明した。
6ヶ月くらいだったか、超音波をしているときにきいたのだった。

その後も順調に経過し、今回もまた実家に里帰りをした。

体重はなつで13キロ増えたので今回は気をつけないと、と思い野菜(トマトや枝豆にはまった)中心の食事、そして何故か氷が食べたくなりしょっちゅうガリガリしてた。
そのおかげか9キロで済んだ(これでも多いのかも知れないが)

そして予定日を過ぎても一向に生まれる気配がない。
まわりの「まだ?」攻撃にもめげず歩き回る毎日。

予定日を過ぎると健診は1日おきになる。
毎回NSTをされ、もちろん健診代もかかる。

これはやばい、なんとかしなくては。。
と思うもやっぱり生まれない。

ついに1週間を過ぎた時先生から聞きたくなかった事を聞かされる。。

そろそろ出さないと胎盤の機能が衰えてきて危険です、誘発をしましょう、その前日には準備のために入院してもらいます、あさってまでに家族と相談して考えるように、といわれる。。。

誘発だけはイヤだ~、点滴は痛いし何より金がかかる。
歩くだけじゃだめなのか~、と思い翌日から布団干しや窓拭き、家中の床を拭きまくった。

すると・・・そのおかげかその日の夕方、4時から規則的にお腹が張り、10分おきの張りが6回、これはもしや?と思い、いそいそとお風呂に入りあがると少量の出血。

まだ痛みはそれほどでもなかったが準備をしてタクシーを呼んで病院に着いたのが夜の8時前だった。

診察をして6cm開いている事が判明、浣腸((((((( *ノノ) キャーをされて陣痛室へ連れて行かれる。

付き添いに来てくれてた父はいったん自宅に帰りひとりでベッドで転がってた。

横になってるだけなのにまたたく間に痛みは既に限界に達し、まだ入院して1時間も経ってないのに思わずナースコールで痛いです~、と訴える。

すぐに助産婦さんがやってきて内診、、そのとき破水。
手早く着替えを手伝ってもらい今から分娩室に行きましょうと言われる。

え??もう??やった~~♪なんて思うが痛みでしばし動けず波が去るのを待って抱えられるようにして分娩室へ。

いきみを逃すのが何より苦痛だったのでここまできたら自分のもの、なはずが痛すぎてそんな余裕はなくあの台に登るのがやっとだった。

何度かいきんだだろうか、もう頭が出かかってるのがわかる、がまだですよ~、と何度も頭を押し戻される。

え~、早く出したいのに~~なんで~?と思うが言葉にはできず。

何かぐるぐるやってるように思った・・・それが永遠に続くかと思うくらい長かった。。

後でなぜかわかった。

へその緒が3回も首に巻きついていたそうだ。

外すの大変だったよ・・・と先生に言われる。

上手にいきみを逃がせなかったのでなんと裂けてしまいなつの時(裂ける前に切開した)より産後はかなり辛かった。

生まれた子はやっぱり男の子、推定体重より400gくらい軽い、色白な子だった。

ただ爪だけは赤紫になってて驚いたけど問題はなかったらしく。

家族もこんなに早く生まれるとは(入院から2時間)思っていなかったようで仕事が終わった実妹といったん帰ってた父が最初に駆けつけた。

さっそく抱いてもらいビデオ撮影。

(この病院では出産から退院までをビデオ撮影してくれる)

夫や友人にもメールで知らせるがこれが仇(?)となりその日の深夜!夫は姑を引き連れてやってきた。。。

居座る事1時間強、時計は2時をさしていた。。
産後くらいゆっくり休ませろ~とも言えず、これからの前途多難を物語っているようだった。



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