2007.02.16
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「二刀流の男」


その男は喫茶店にいた。

若い、ずんぐりした男だ。細い切れ長の目が、もし彼がもう少しやせていたらいい男だったかも知れないと時子に思わせた。でも実際の彼は、ナイロンのコートを着たまま、ずんぐりした背中を丸めて喫茶店の席に座る平凡な男、それ以上ではなかった。

この男が気になったのは、彼がケータイを二つ、同時に操作していたからだ。右手に一つ、左手に一つ。「太ったムサシ君」。時子はそう名付けた。

さりげなく、のぞいた画面に時子は、激しい違和感を覚えた。その意味がすぐには理解できなかった。受信画面か送信画面か分からない。何しろ何も書かれていない。その画面には、ただ件名の欄に

「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:・・・」

と、書かれているだけなのだ。何行にもわたって。

確認してみたところ、右のケータイにも、左のケータイにも同じようにRe:の羅列は続いていた。どちらも本文の文章はない。
それは時子にとって「異様」な光景だった。

『もしかして』


もし、右のケータイから左のケータイへ、自分から自分へ、白紙のメールの送受信を繰り返しているとしたら、なんということだろう。たとえ時間つぶしだとしても・・・。

時子は、目の前のノートPCで書きかけていたルポの文書を閉じ、新しい文書を開いた。そして、彼の行動をさりげなく観察しながら、メモを取り始めた。記事のテーマはいつも自分で選ぶ。それがフリーのいいところだと時子は思っている。
一通り書けたところで、保存する。ファイル名は「さびしんぼうたち」。もう何人かこうしてファイリングしてある。日の目を見るかどうかはまったく分からない。

そうこうしていると、「太ったムサシ君」は不意に立ち上がった。どうやらトイレに行くようだ。不注意にもケータイを二つともテーブルに置きっぱなして。時子はいたずらしたくなった。彼がトイレのドアを閉めると同時に、右のケータイに手を伸ばし、メール画面の本文の欄に、短い文書を打ちこんだ。そして、ケータイを元の位置にカタンと戻すと、店を出た。トイレのドアは閉じられたままだ。

「私を探して」

時子が打ち込んだ言葉はそれだけだった。

時子はオフィス街を歩きながら小さく笑った。

『あたしの小さないたずらは、ムサシ君の悲しい時間つぶしにピリオドを打てたかな』

そして、数歩歩いたあと不意によぎった恐怖に足を止めた。想像したのだ。時子の言葉を彼がそのまま反対のケータイに送信、そしてまた元のケータイに返信しつづける姿を。「私を探して」という言葉が小さな無限ループの中をさまよい続ける様を。それは、時子が以前書いた記事を想起させた。その記事の記憶は、いつも深い寂しさとともにあった。

気が滅入りそうな気がして、時子は、カバンからイヤフォンを引き出して耳につっこんだ。そして、五秒間空を仰いだあと、再びもとの道を歩き出した。





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Last updated  2007.02.16 12:24:59
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