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つれづれなるままに
思い父は93歳で亡くなって、人に話すと「大往生だね」と言ってくれます。
しかし私は欲張りでしょうか。94歳でも95歳でも、あわよくばもっとずっと生きて欲しかったです。
そして私は残酷でしょうか。
たくさん機械や管が付いてても、話が出来なくても、本人はつらく苦しくても
ただそこにいるだけで、存在してるだけでいい、と思いました。
長生きって
父は「長生きしたいな」とよく言っていたので「延命」したのですが、
親戚に話したら「『元気で』長生き、がいいよね」と。
(友人に話したら、友人の兄弟はみな看護師など医療関係で、自分の親のときは
「挿管されるくらいなら看取ったほうがいいよね」と家族の意見一致したそうです。
あぁ~、そうだったんですね)
希望を聞いておけば…
「死ぬこと」を端で向き合う家族は、最期をどうするか、
元気なうちに本人に、忌たん無く聞いておくべきと感じました。
「おむつ交換だからデイルームでお待ち下さい」と看護師さんに言われ待ってました。
見知らぬご婦人が話しかけてきました。
うちの父のベッドの斜め向かいベッドに、お母さまがいるそうです。
婦人「お父様は延命したの?」
私 「はい。父が長生きしたいと言っていたので」
婦人「本人がおっしゃていたなら良いわよね。
うちの母は1月から入院してて、もう危篤が4回目なの。
妹は『もう、いいんじゃない?』と言うけど、意見が合わない。
本人に聞いておけば良かった」
やはり、いざというとき「家族が」決断することは重責です。
父は「自分の望んだとおりの長生き」とは違ったかも知れませんが、
医師から「看取りか延命か」の選択の問いには、うちでは即決でした。
しかし、見ているほうもつらい「延命」が始まりました。
(動けない、話せない、食べられない)
しかし、この選択が家族の心にのしかかる事はありませんでした。
決断に正解は無い
母が、父はおうちで死にたかったのでは?
病院に連れて行かないで家にいたほうが良かったか?
スープやおも湯を飲ませたかった、と言ってましたが、
↓ ↑
病院に連れて行かなかったら、即日に臨終だったと思います。
延命しなかったら、入院二日目の急変で臨終を迎え、兄(長男)と会えなかったかと。
↓ ↑
兄が延命後、駆けつけて管が入っているのを見て、
「しゃべれないの?」と言ってましたが。
これを考えるとグルグルのスパイラルにはまってしまいます。
まとまりのない心境なくなったあと、「もっと何か出来たのではないか」とさいなまれました。
突然でなく、毎日じわじわ弱っていく父を見ること、
このギューっと締め付けられる苦しい気持ちって大切というか、大事と思いました。
死を実感していくというか、目の当たりに出来てよかったです。
病気(病名)はなく、兄が「老衰だよね」と言ってくれて、ほんとにホッとしました。
父は礎
まったくこの最期の間際、
父にとって、私たちは無知すぎて困った家族だったかもしれませんが、
きっと父は、生き様死に様を見せてくれる役割だったのだ、と(勝手に)思います。
自分たちもこの後、延命やいろんなことを話す機会を持つことが出来ました。
いくつになっても
私はもう50歳も過ぎ、夫や子などいる身です。しかし、父がいないという事は「あ~、自分に父はいないんだ」と
何とも心細い、寂しい思いにとらわれます。
幸せの青い鳥
こうしてみると、家族って特に何もしなくてもお互いそばにいてお話したり、一緒にいるだけで
良かったんだな、と思いました。
明日も明後日も「退屈で平凡な同じ日の繰り返し…そして家族が一緒」これが私の考える「幸せ」です。
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