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抑制のない人類はどこへ?



 ウィーンの動物行動学者であるコンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』(早川書房)は僕が犬を飼おうという気になった時に大きな影響を与えた本である。

 先年、ウィーンに行った際、この本の原書を買ってきた。僕が何度となく読んだ数少ない本の一冊である。

 ローレンツは、実験室で飼っていても動物のことはわからない、共に暮らさないとわからない、という。ハムスターや熱帯魚を飼ったのも、そして十数年を共にしたシェパードのアニーとの暮らしもこの本の影響なしには考えられない。絶対的に従順である彼女との暮らしは時に重苦しいものになることもあったし、生き物を飼う時に避けられない死別は辛い悲しいものだったがそれでも学ぶことは多々あった。

 ローレンツは、動物は仲間同士であれば「抑制」が働く、という。

「負けたと感じた動物は、無防備で相手の攻撃に身をさらすことによって、仲間の攻撃を抑制できる」(p.231)

のである。犬は相手が情けを請いながら首すじをさしだすと、かみつく欲望を失うわけではない、すなわち、かみたいのだが、かめなくなる。

 ところが…

「自分の体とは無関係に発達した武器をもつ動物が、たった一ついる。したがってこの動物が生まれつきもっている種特有の行動様式はこの武器の使い方をまるで知らない。武器相応に強力な抑制は用意されていないのだ。この動物は人間である」(p.234)

 残念ながら、この自然が与えたのではなく、自らの手で創り出した武器によって人類が滅亡することがないための抑制を創り出すには膨大な時間がいる。はたして人類はどこへ向かうのか? 人類の未来についてローレンツはきわめて悲観的である。

 多くの動物の場合、攻撃を受けて負けたと感じると無防備で相手の攻撃に身をさらすことで攻撃を抑制できるが、人間の場合は、人間が自らの手で創った武器によって人類を滅亡させないだけの強力な抑制は用意されてない、とローレンツはいう。

◆攻撃の抑制のしくみ

 ローレンツがいうこの抑制の機構はすべての動物にそなわっているわけではない。詳しくは本に譲るが、攻撃の抑制が働く動物の場合は、同じ原理にもとづいて抑制する。

「それまで絶望的に身を守ろうとしてい敗北者が相手の攻撃にたいしてかまえていた障害が、いっきょに消失するのである! …情けを乞うほうの個体は、攻撃者にむかってつねに彼の体のもっとも弱い部分、より正確にいうならば、敵が殺そうとしておそいかかるときに必ずねらう部分をさしだすのだ」(p.229)。

 無防備になった相手を見ると攻撃はしたいが攻撃できなくなってしまう。

 人間の行動にも似たようなことはある、とローレンツはホメロスの描く古代ギリシアの戦士を例に引く。

「(彼らは)降伏して情けを乞おうというときに、かぶとと盾を投げすててひざまずき、首を垂れた。明らかにこれは、相手が自分を殺しやすいようにする動作だが、実際はかえって相手のその行為を困難にするものである」(p.231)

 このような服従の名残が、今日多くの礼儀作法の中に残っている。おじぎ、脱帽、捧げ銃等々…

 ところが問題は先に見たように、この抑制が人間の場合は十分に機能しないことがあり、情けを乞うても戦士が無慈悲に殺す例をホメロスはいくつもあげているということである。

人もし汝の右の頬を・・・

 ローレンツは書いている。

「私は、それまでどうしても反抗の念を禁じえなかった聖書のあの美しい、そしてしばしば誤解されていることば―「人もし汝の右の頬をうたば、左をもむけよ」というあのことばに、新しい、より深い意味を汲みとった。オオカミが私に教えてくれたのだ。敵に反対の頬をさしだすのは、もっと打たせるためではない。打たせないためにこそ、そうするのだ!」(p.233)

 しかし、「自分の体とは無関係に発達した武器をもつ動物」(p.234)である人間の場合、抑止力は十分機能しない。

 今日ではローレンツの学説も批判されているようだが、僕には興味深く思える。ローレンスが思い描いていたであろうような方向に人類が動いているのでなければいいのだが。

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