北の駅

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C-1輸送機

C-1
米軍から供与された自衛隊のカーチスC-46輸送機は、第二次世界大戦前の機体のため、老朽化が著しかった。このため代替となる次期輸送機(C-X)の導入が急務となった。輸入か国産か検討した結果、米空軍のC-130輸送機を退けて国産とすることになり、戦後初の国産輸送機YS-11を製作した日本航空機製造に発注することにした。なお、航空自衛隊ではC-46の用途廃止からC-X導入までのつなぎとして、1965年(昭和40)からYS-11も13機導入した(YS-11を推進した通産省の強い要求で購入に至ったという裏話がある)。

日本航空機製造はYS-11に続く機体として、C-Xを民間機に転用することも考えており、基本設計は1966年(昭和41)より行われ、1967年(昭和42)9月に終了、10月より細部設計に移り、試作も日航製が行うことが決まった。だが、日航製の中枢である三菱重工業の機体部門は、C-Xと同時に国産製作が決定した超音速練習機T-X(後のT-2高等練習機)を受注していたので、三菱をT-Xに集中させると同時に、日航製を構成する各社への見返りとして、川崎重工業を中心として、富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機の5社が分担生産することが決定、川崎で総組み立てが行われた。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー製JT8D-9ターボファンエンジンを三菱のエンジン部門がライセンス生産することとなった。

試作1号機(XC-1)の製造は1969年(昭和44)夏より始まり、川崎の岐阜工場で最終組み立てが行われ、1970年(昭和45)8月にロールアウト、11月12日に初飛行した。

しかし、日航製は設立立法によって民間機のみを製造するとなっていたため、しばらくしてこれを指摘されると、折りしも国会ではYS-11の赤字問題が追及されていたところで、野党議員によってC-Xも議題に上り、違法であるとの追及が巻き起こった。時は70年安保直前で、ベトナム戦争反対運動から続く左翼運動が最高の盛り上がりを見せていた頃であったこともあり、政府と防衛庁は問題打破のため、C-X開発・製造を他の企業に担当させなければならなくなった。このときにC-Xの民間機転用計画は実質放棄された。日航製が主契約企業とされた試作機2機を除き、量産は川崎を主契約企業とすることとなった。1972年(昭和47)年3月に先行量産契約(通産3・4号機)が防衛庁と川崎との間で締結した。

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