人間対人間の付き合いは不可能ではないか?


今、ふと思いついたことがあるので、それを書いてみよう。

「人間と人間は直接付き合うことはできない」
ふと、そう思った。


直接というのは、媒体がないという意味だ。

例えば、人と人が付き合うとき、サークルでテニスをする、とか、
同じ、研究に向けて頑張っているとか、はたまた、趣味が似ているとか。

人と人の間に「媒体」を通して付き合いというのは成り立つのではないだろうか?

媒体とは、この場合、テニスとか研究とか趣味とか。仕事でもいいし、会話でもいい。わかりやすく言うと、共通項、人と共感できるもの、である。共同作業でもよい。


何も媒体のない二人の人間は果たして付き合いが出来るのだろうか。

「オレは誰とでも友達になれるよ♪」という人もいるかもしれない。
いろいろな経験と知識を持っているので、人と共通項が多いのだろう。

一見、共通項がないと思える人でも友達になれるのは、同じ日本に住んでいて、同じ日本語を話しているからだろう。


共通項が多い人と出会うのは難しい。だから人は共通項の多い人と出会うと嬉しくなって普段思っていても誰にも理解してもらえないようなコアな話が出来る。

共通項の多い人のことを指して「親友」呼ぶのであろう。

共通項の多い人と出会うことのメリットはたくさんある。
同じような感性を持ち、同じような環境で育ってきたので、すべてを言葉で説明しなくても分かり合える。

だから、居心地がいい。

夫婦というのは、性別も違えば、年齢も違う。
そういった二人が喧嘩するのは当たり前だ。

共通項の少ない人とは仲良くなりにくいが、夫婦のすごいところは、年を重ねるんつれて、自ら共通項を増やしていくことが出来る、という点だ。

子供が大学生、もしくは、社会人として自立した後、夫婦の仲が一層よくなるという話をよく耳にする。

同じところに住み、同じ物を食べ、二人で子供を育てるという過程を通じて、共通項を増やす作業は並大抵の努力ではない。

共同作業を異質の二人がするのだからトラブルはついてまわる。

その努力の過程に耐えられなかった者たちは離婚することになる。


よほどヘンテコな配偶者なら話は別だが、常識的な範囲に収まるくらいのヘンテコな配偶者はザラにいる。


配偶者に求めることは、多くの共通項を持った人ではない。
確かに、多くの共通項を持った人との方が楽に分かり合えるかもしれない。

しかし、もっと大切なことは、「トラブルを乗り越える努力が出来る忍耐力」である。

それは、同時に自分に対しても言えることである。



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