日本語はおくゆかし。



日本語とは本当に奥ゆかしい言葉だと思う。
英語のようにはっきりした表現を避ける。

しかし、すこしはアメリアを見習わないと国際社会では通用しないのではないだろうか。


例えば、物をプレゼントするときに、
「つまらないものですが~」という接頭語みたいなのをつけたがる。

外人は思うかもしれない。

「え?つまらないものなら要らないんですけど‥」

いやいや。"つまらないもの"というのは別に本当につまらないものではなく、単に相手に対してヘリクダッテイルだけなんですよ。

例えば、お菓子を人に勧めるときに、
「お口汚しですが‥」なんて接頭語をつけたりする。

これは、あまりにへりくだり過ぎて、汚い表現に聞こえる。


いちいちアメリカを引き合いに出すのは好きではないが、アメリカ的に、「これ絶対美味しいよ~」といってその場で包みを開けて喜んでもらう方が相手も喜び易いかもしれない。


事故をしたとき、外国で"アイム ソーリー"というと裁判で不利になるという。訴訟社会だから「私が悪かった」と自分の非を認める発言と取られるという。

日本人は"すいません"英語で"アイム ソーリー"と翻訳するがこれ自体間違いだと思う。

"アイム ソーリー"には、「僕が全面的に悪かったです。過失の責任は償います。」という意味まで含むのに対し、日本語の"すいません"にはそれほどの意味は込められていない。

日本語の"すいません"は、「君にも過失があるけど、この場を穏便に済ませるのがお互いにとって得策だ。だから、何事もなかったことにしてね

つまり、日本語のすいまんの英訳は"Hello"くらいの意味でしかないのだ。

海外で事故ったら、"アイム ソーリー"といわずに"ハロ~"と言っとけばよろし笑。


日本人が奥ゆかしいということがわかったら、「一応」という言葉について考えてみよう。

僕なんかも自己紹介で
「一応、柔道部です」とか
「一応、ピアノ弾けます」とか、"一応"をつけずには要られない。

ピアノはノンキャリアなので、一応をつけるのも致し方ないが、
柔道は5,6年やっているし、そこそこ強くなってきた。
しかし、"一応"という接頭語は外せない。

この一応の中には、「ちゃんとやってるけど、強いと死んでも言えないし、世の中にはもっともっと強い人がいて、"やってる"などとオコガマシイことはとても言えない。」という意味が含まれている。

つまり、「本格的にやってる私大の強豪大学からしたら、"やっているうちに入らない"」というニュアンスが込められている。


一応をつける必要がないのにつける人もいる。

「一応、全日本選手権にでました。」とか、
「一応、東大です。」とか、
「一応、インターハイに‥」とか。

その"一応"の中には、「自分なんてまだまだッス」という意味がこめられているのだろうが、そういうレベルになったら、そろそろ"一応"を取ってもよろしいのではないでしょうか?

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