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今日は、午前中は、デパートへ買物に行き、昼食をそこでとった。その後、K病院へ行き、帰宅後は、ビデオで映画「雨月物語」を見た。病院では、血液検査、心電図、胸部エコーなどの検査をした。結果は12月28日の診察で分かる。雨月物語は、8月に「上田秋成展」を見、その後「雨月物語」を読んだ一環で、今回は映画を見たもの。雨月物語からの2つの話を組み合わせたもので、いい映画になっていた。1958年の作品で、監督は溝口健二。出演は、京マチ子、水戸光子、田中絹代、森雅之、小澤栄太郎など。今日は、写真を取らなかったので、一昨日、淀川河川敷で見た植物の写真。コスモス3点、ナンキンハゼ、ヨシ、ピラカンサ、ススキ3点
2010.11.30
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今日は、ジパング倶楽部の企画で「上方演芸を楽しむ」というイベントに参加した。その前に、会社OB会事務局へ先日のOB会の忘れ物を届けに行き、OCATへわいわいPC例会の会場予約に行き、図書館へ行った。演芸の終了後は、梅田へ眼鏡の修理に行った。上方演芸特選会の会場は、国立文楽劇場。11時15分開場で、11時45分から桂福丸の「寄席の楽しみ方」という話が30分あった。寄席の歴史、江戸・京都・大阪の違い、舞台の造りと名称、落語の小道具、寄席演芸の種類、出演順の名前尉、寄席文字、寄席の太鼓、鳴り物などの説明、実演があった。そのあと、弁当が配られ昼食の時間。本番の寄席は13時から始まった。先ず前座は落語で桂福丸の「桃太郎」、続いて浪曲で京山倖若の「左甚五郎」、落語で林家染丸の「掛取り」、漫才で二葉由起子、羽田たか志、中入り10分のあと、カブリは漫才でサムライ勇・朝、浪曲で三原佐知子の「佐々木貞子ーはばたけ千羽鶴」、そしてトリは落語で桂福団治の「蜆売り」。内容もバラエティに富み、それぞれに面白かった。笑い過ぎて、漫才師自身も笑い歌が歌えないハプニングもあった。面白いだけでなく、「佐々木貞子」の浪曲は原爆症で亡くなる子供の実話で、落語の「蜆売り」は親のために蜆売りをする子供の話で、どちらも笑う話ではなく、涙を誘う物語で、どちらも熱演であった。画像は、桂福団治と桂福丸、パンフレット、開場前、桂福団治の話、大太鼓、締太鼓、当り鉦の実演。
2010.11.29
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今日は、午前中は淀川探鳥会に参加し、午後は今昔館で開催された三河万歳を見に行った。探鳥会は、9時に十三駅に集合し、淀川沿いに柴島干潟まで歩きながら、川面やヨシ原、上空の鳥を観察した。今日見た鳥は次の通り、36種。鳥以外にも、モズの早贄(はやにえ)、カヤネズミの巣、セッカの巣を見たり、珍しい野草、昆虫なども見た。カンムリカイツブリ、カワウ、ダイサギ、アオサギ、マガモ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、スズガモ、オオバン、ユリカモメ、セグロカモメ、イソシギ、タシギ、チュウヒ、チョウゲンボウ、ハイタカ、キジバト、ヒバリ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、モズ、ツグミ、ウグイス、ホオジロ、オオジュリン、カワラヒワ、ムクドリ、スズメ、ハシボソガラス、ハジブトガラス、シロハラ、ベニマシコ。写真は、セグロカモメとユリカモメ、いろいろなカモ、カンムリカイツブリ、オナガガモ、カルガモ、マガモ、チョウゲンボウ、カワウ、ダイサギ。探鳥は12時に終り、南方から梅田に戻り、昼食を済ませてから、午後は、くらしの今昔館で開催された「三河万歳」を見た。今の漫才のルーツである昔の万歳で、当時は各家を回る縁起ものだったそうだ。今日は2人で1時間を越える熱演で、三河万歳のいろいろな芸を聞かせてもらった。司会の講談とともに、非常に聞き応えがあり有意義な催しであった。写真は、ポスター、めくり、司会の講談師・旭堂南青、万歳師登場・森田淳也・増田浩紀、三曲万歳・なぞかけ、あほだら経(ないない尽し)、名鳥名木、覗きからくり節、最後の挨拶。帰宅後は、留守中録画しておいた「日曜美術館」などを見た。
2010.11.28
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今日は、ジパング倶楽部の企画で、「H亭当主T氏に学ぶ京料理」というイベントに参加した。大阪駅を朝8時31分発の快速に乗り、京都駅で乗り換え、二条駅には9時28分に着いた。参加者は28名、先ずは、バスでH亭専属農園である田鶴農園に行き、農園内を見学、H亭当主のT氏と農園主の田鶴氏から京野菜の話を聞いた。今はすぐきの収穫の最中で、すくすく育ったすぐきがたくさん見られた。京かぶら、京だいこんとの違いも教えてもらった。京人参、九条ねぎも収穫されていた。その後、バスで南禅寺入口にあるH亭へ向い、本館にて京料理をいただいた。初めにH氏から、今日の献立の説明を20分にわたって聞いた。料理は7点、話を聞いたあとだったので、深く味わうことができた。材料一つ一つ、素材を最高の状態で味わうようにするのが料理だというT氏はいう。デザートの柿も渋柿の渋を抜いて最高の甘さを引き出したのだそうだ。写真は、田鶴農園、田鶴氏、収穫したての京野菜、H亭前の紅葉、H亭前でT氏、料理の出る前の座敷、床の軸は伊藤若沖の「寒山拾得」、前菜、デザートの代白柿。帰宅後は、句会のまとめの続きを行った。
2010.11.27
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今日は、午前中は、午後の準備や雑事で過ごし、午後から関西郵趣サロンと総研OB会に参加した。関西郵趣サロンは、初めに1リーフ展が行われた。14点の作品が出展され、出展者は1分程度の説明をしたのち、全員による人気投票が行われた。その結果、1~3位には次の作品が選ばれた。結果は、1位Ya氏航空郵便、2位Ka氏16回オリンピック馬術、3位Ko氏フランス切手ほか2名だった。私は今回は出展しなかった。写真は、会の模様(盆まわし風景)、1リーフ展の鑑賞、Ya氏・Ka氏、Ko氏の説明、1位~3位のリーフ。総研の同窓会は、上六のたかつガーデンで18時から開催された。75名の参加者があった。過去1年に逝去された4名の故人の冥福を祈って黙祷を捧げたあと、歓談に移った。20時頃、記念撮影を行い、その後中締め、流れ解散となった。写真は、開会前の状況、開会の挨拶、乾杯音頭、歓談風景3枚、集合写真3枚。
2010.11.26
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今日は、午前中は、メールの返事を書いたり、DVDで落語を聴いたりしながら過ごし、昼前から外食に出かけ、そのあと、心斎橋大丸で買物をした。今日は写真を撮らなかったので、昨日撮ったカワセミの写真を載せる。写真は同じ場所から、望遠の倍率を変えて撮ったもの。左上が38mmでの映像。カワセミは約20メートル前の木に停まっている。この池は、太閤園の向いの藤田美術館に隣接する藤田邸跡公園と大川との間の河川敷にあり、通称瓢箪池と呼ばれている。瓢箪のくびれ部には長さ5メートルほどの朱塗の橋がかかっている。池には、アオサギ、コサギ、ジョウビタキ、鴨類などがやって来る。また、夏には、睡蓮がきれいに咲く。釣人が鯉を釣っている姿もよく見られる。しかし、ここでカワセミを見たのは昨日が初めてである。これからは、ときどき来てみよう。
2010.11.25
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今日は、朝は大阪城早朝探鳥会に参加し、帰宅後、京都へ「カポディモンテ美術館展」を見に行った。探鳥会は、大阪城公園森之宮噴水前に7時に集合、Sさんの指導で1時間あまり鳥を観察した。今、大阪城公園にはマヒワが来ているとのことだったが、遠くを群れて飛ぶ姿を見ただけで、近くでは見ることができなかった。今日探鳥会の時間に見た鳥は下記の24種だったが、帰宅途中で、コサギとカワセミを見たので、計26種となった。カイツブリ、カワウ、ササゴイ、マガモ、コガモ、ヒドリガモ、ハシビロガモ、キンクロハジロ、オオタカ、ハイタカ、ユリカモメ、キジバト、ハクセキレイ、ヒヨドリ、モズ、シロハラ、ツグミ、シジュウカラ、メジロ、カワラヒワ、マヒワ、スズメ、ハシボソガラス、ハシブトガラス。写真は、マガモの♂♀、カワラヒワ、ササゴイ、キンクロハジロの♀、探鳥中の参加者、コガモ♂、カワウ、コサギ、カワセミ大阪を11時に発ち、京都には11時半に着いた。御池近くの店でゆっくりと昼食を摂ったあと、京都文化博物館で開かれている「ナポリ・宮廷の美 カポディモンテ美術館展」をゆっくりと鑑賞した。今回の美術品はすべて日本初公開のもので、日本では有名な画家でも作品でもないが、イタリア・ナポリの17世紀の大貴族、ファルネーゼ家とブルボン家が収集したもので、気品ある作品ばかりであった。中でも目を引いたのは、「貴婦人の肖像(アンテア)」であった。この時代の絵は聖書に基づいた場面を描いたもので、ほとんどが人物を描いたものであった。首を切る場面や首のない人間を描いた絵など、不気味さを感じるものもあった。展示は3つに分けられていた。1.イタリアのルネサンス・バロック美術 ファルネーゼ家の収集品。聖母子、貴婦人の肖像、マグダラのマリア、燃え木で蝋燭を灯す少年、リナルドとアルミーダ、キューピッド、アタランテとヒッポメネスなど23点の絵と19点の彫刻(ブロンズ、象牙、琥珀、蝋)2.素描 ファルネーゼ家の収集品から14点。やはり、素描は本画に比べ迫力が劣り、立ち止まって見る人も殆どなかった。3.ナポリのバロック絵画 ブルボン家の収集品。ユディトとホロフェルネス、聖アガタなど24点。珍しく静物画が2点あった。写真はパンフレットなどより、左:パルミジャニーノ「貴婦人の肖像(アンテア)」、右:レーニ「アタランタとヒッポメネス」、グレコ「燃え木で蝋燭を灯す少年」、ティッツァーノ「マグダラのマリア」、ジェンテレスキ「ユディトとホロフェルネス」、ルィーニ「聖母子」、スケドーニ「キューピッド」、カラッチ「リナルドとアルミーダ」美術展を見たあと、館内の喫茶店で休憩し、胡麻入りのコーヒーというのを飲んだ。あまり美味しいとは言えないが、変わった口当たりのするものだった。その後、大丸で生湯葉を買って、4時半に帰阪した。
2010.11.24
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いつもなら句会の翌日は句会のまとめをするのだが、今回は先生の選も指導もないので、それが来てからになる。午前中は、先生へ清記の資料などを送る作業をしたり、会社の職場のOB会の資料を作ったり、プリンターインクを詰め替えたり、美術やコンサートや俳句の資料を整理したりして過ごした。今昔亭の落語は、毎月1回で、今月は13日にあったばかりだが、今日の落語は、毎年11月に行われている「古典芸能シリーズ」の一環として行われたもの。落語のほか、狂言、三河万歳、座敷舞なども予定されている。今日の落語は、露の紫の「松山鏡」、笑福亭学光の「持参金」。「持参金」は聞いたことがあるが、「松山鏡」は初めてだった。露の紫は露の五郎の弟子・露の都の弟子。都も紫も女性。紫は入門後2年だそうだが、なかなか上手いと思った。演題の「松山鏡」は鏡を初めて見た夫婦の話。夫は鏡の中に亡父がいると思い、妻は鏡の中に夫の愛人がいると思うところから喧嘩が始まる。女性の落語家は今年2月に桂文福の弟子の桂ぽんぽ娘を聞いたことがある。笑福亭学光は、鶴光の弟子。演題の「持参金」に入る前に隠し芸の腹話術を披露してくれた。腹話術の人形の名前は「小学光」。写真は、「古典芸能シリーズ」のポスター、今昔館の入口、落語の開演前、司会者、露の紫、笑福亭学光、学光と小学光。
2010.11.23
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今日は句会の日、午前中は出句する5句の選定と最後の推敲を行った。また、会社所属のOB会が数日後に迫って来たので、確認のメールを参加予定者全員に送付した。句会では、先生がお休みになられたので、選は生徒だけで行い、先生には清記を郵送して選や指導をしていただくことになった。先生の選が未完ではあるが、今日の成績はまずまずで、5句のうち3句が選ばれた。 願掛けに神農の虎うんうんと (3票) 観音像訪ぬ湖北の冬日和 (3票) 大鷲のもがく獲物を放さざる (2票)選ばれなかったのは、次の2句。 裳階ある五重塔に紅葉散る 大根を洗ひ真白き肌を撫づ今日最高得点を取ったのは次の句。 ふと会話途切れしままに蜜柑剥く 愛子(4票) 蒼天に悠然と舞ふ番鷹 茲子(4票) 渓流の岩に張り付く散紅葉 茲子(4票) 散紅葉淵に逡巡してゐたり 昇一(4票)また、各自選句7句のうち1句を特選としたが、その中で複数の支持を集めたのは次の句。 掛大根風と光を集めをり 豊子(2票) お互ひに先立つ積り根深汁 昇一(2票)先生の句で今日一番人気だったのは次の句。 大根を引く垂直にはすかひに 塩川雄三先生(3票)写真は、神農祭をバックに句会風景。
2010.11.22
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今日は、朝NHK俳句、日曜美術館を見たあと、長居公園で開催された「大阪バードフェスティバル」を見に行き、午後は、伊丹・柿衛文庫で開催された「今、鬼貫が面白い」という講演を聴きに行った。「大阪バードフェスティバル」は、府下の約30の野鳥観察団体が参加してその活動を紹介するもので、毎年春・秋の2回行われている。私の所属する団体「大阪城バードウォッチモーニング」も出展した。野鳥の観察だけでなく、鳥の彫刻(バードカービング)、鳥の絵、鳥の折り紙、石で鳥を作る、団栗で鳥を作るなど、野鳥に親しむためのいろいろな活動も合わせて紹介されていた。写真は、上3枚は会場風景、バードカービング、鳥の写真(私の出展)、鳥の折り紙、鳥の絵、団栗の鳥、石の鳥。「バードフェスタ」を見たあと、植物園をざっと見て回った。いろいろな木々の紅葉がきれいで青空や池にもよく映えていた。バラ園のバラも見頃で、春ほどの花の数はないが一輪ずつはきれいに咲いていた。最高の見頃は少し済んだ感じ。写真は、枯れ蓮、ラクウショウ(落羽松)、大噴水、中:バラ3種、下:講演する坪内稔典氏。植物園を出て、12時過ぎに地下鉄に乗り、大阪駅を経て、JR伊丹には12時50分に着いた。駅前で食事をして、柿衛文庫には13時15分に着いた。坪内稔典氏の「今、鬼貫が面白い」は、春の代表句を13句を例にあげ、鬼貫の俳句の特徴を解説したものであった。会場の聴衆に質問をしながらの進め方で、突然当てられて咄嗟に答えられない人が多かったが、適切に答えている人もいた。東の芭蕉、西の鬼貫と言われているが、稔典氏の評価では、鬼貫はそれほどでもなく、芭蕉の弟子と同列くらいということであった。しかし、今日の講演を聴いて、鬼貫の俳句は確かに俳諧味があって面白いということには同感である。例 桜咲く頃鳥足二本馬四本 鬼貫 によつぽりと秋の穴なる富士の山 鬼貫講演のあと、鬼貫展をもう一度見て、さらに「オットーディックスの版画展」を見た。兵士として世界大戦を二つ経験したドイツの画家だが、精神がおかしくなるほどの悲惨な戦争現場を生涯描き残したもの。正視するのを避けたいような絵が多かった。大阪に帰ってから、Sさん、Mさんと3人でビールで歓談した。
2010.11.21
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今日は、わいわいパソコンのメンバーで、山科から三井寺へハイキングを行った。絶好のハイキング日和で、紅葉もちょうど見頃、疏水の紅葉、三井寺の紅葉と、紅葉三昧の一日であった。大阪駅9時15分発の新快速に乗るべく駅に行ったら、9時発の電車が25分遅れとのこと。遅れて到着した電車は超満員。京都までぎゅうぎゅうに押し込まれた状態だった。山科駅に着いたのは、10時5分頃。今日の参加者は16名。さっそく世話役のTさんの案内で疏水沿いの道を東進する。疏水の両岸には桜紅葉、楓紅葉、銀杏紅葉などさまざまな木々が紅葉して実に素晴らしい景観を作っている。疏水がトンネルに入るあたりから山道に入り、上り下りを繰返しながら、2時間ほど歩いて12時30分ごろ、三井寺に到着した。三井寺の境内も見事な紅葉に包まれていた。その一角に場所を決めて各自持参の弁当を拡げた。お菓子やデザートのお裾分けもあり、自己紹介、近況報告、記念撮影などで和気藹々のひとときを過ごした。その後、境内の本堂、弁慶の引き摺り鐘、三重塔、観音堂など境内を散策し、最後に琵琶湖を一望できる高台の登った。しばし、紅葉と琵琶湖の眺望を楽しんだのち、15時に帰路の登山開始。順調に歩を進め、16時、疏水沿いに休憩地を取り、Y氏持参のコーヒーをご馳走になった。コンロ、水を持参しての本格的コーヒーで、屋外で飲む淹れ立てのコーヒーは実に旨い。小1時間休憩ののち、山科まで行き、有志10人は駅前の居酒屋に入り、慰労会となった。19時35分の新快速に乗り、大阪には20時15分に着いた。心地よい疲れを感じた一日が終った。歩数計は25197を示していた。 写真は、上は琵琶湖疏水沿いの道にて、中と下左は三井寺にて、下右は帰路の琵琶湖疏水。
2010.11.20
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今日は、ジパング倶楽部の企画で、「銘酒藤居本家、びんてまりの宿場・愛知川を訪ねて」というイベントに参加した。雲一つない秋晴れの中を歩き、びんの中にてまりを入れる過程を見学し、中仙道の宿場跡を見、老舗の酒蔵で試飲をするという貴重な経験をした。8時21分大阪発の新快速に乗り、近江八幡に9時26分着。ここで9時31分発の近江鉄道彦根行きに乗り、愛知川駅には10時ちょうどに着いた。10時10分、参加者48名が揃ったところで、地元ボランティアガイドの方の案内で先ずは「びんてまりの館」に向った。ここでは、数多くのきれいなびんてまりが展示されていて、製作の実演もされていた。大変な手間がかかり、一つ作るのに、朝から晩まで作業しても1週間かかるそうだ。一個2万円の値段がついていたが、手間と時間を考えると非常に安いと言える。「びんてまりの館」は図書館に併設されていた。次に向ったのは、「近江の麻」。途中に「旧郡役場」の建物を見た。明治の木造洋風建築で、最近まで農協などが使用していたが、老朽化により取り壊す案に対して保存運動が起っているそうだ。「近江の麻」は正式には、「近江上布伝統産業会館」といい、麻布の技術を保存・広報するための館で、麻糸や布の製造を実演・販売していた。次に、旧中仙道の街並を通って、宝満寺という寺に行った。紅葉がきれいであった。近くに本陣跡に建った近江銀行の建物があったが、今は空家になっていた。沿道いろいろな遺跡の説明を受けながら歩き、12時半に酒蔵・藤居本家に着いた。大きな家で、庭も広い。2階の大広間で持参の昼食を摂った。食後は庭を自由散策。1時から、7代目当主の藤居さんの案内で酒蔵見学、大きな蒸し釜や仕込みタンク、貯蔵タンクなどを前に、酒造りの工程と特徴をわかりやすく説明された。6代目当主静子さんは凄い人だったそうだ。見学のあとは恒例の試飲、渡り船という銘柄の米を使った酒「渡船」はきりりとして大変深みのある酒だった。最後に、大龍神社を参拝し、杉の巨樹(神木)や本殿の燈籠、祭りの様子などの話を聞いた。その後は、まっすぐ、稲枝駅へ歩いた。15時45分の電車に乗り、大阪には17時05分に着いた。各所で紅葉が見られ、田んぼにケリやキジの姿が見られたことも、嬉しかった。愛知川駅前のびんてまり型ポスト、びんてまりの展示、旧郡役場建物、天秤腰機の実演、旧中仙道の街並、宝満寺境内、藤居本家の屋敷と庭、酒蔵を説明する主人、大龍神社帰りに昨日点灯式があったOAPのクリスマス・イルミネーションの写真を示す。
2010.11.19
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今日は、午前中は、K病院の整形外科へ外反拇指の診察に行き、午後は、次回句会のための俳句を考えた。1か月ほど前から、少し歩くと右足の親指の付近が痛くなる症状があったが、さほどの痛みではなく歩かないときは何も痛まないので、放っておいたのだが、靴下を脱いで見てみると左足とは指の形状が違っていることに気が付いた。このまま放置しておいてもいいものかどうかを相談するため、診てもらったのである。レントゲンを撮って診察の結果、「軽い外反拇指だが、心配することはない。痛むようになれば薬を塗ればよいし、もっとひどくなれば手術もできる。これ以上進まないためには、補正具をつけることも考えれる。」とのことで、結局、しばらくは何もしないで様子を見ることになった。今日は、何も写真を撮らなかったので、一昨日五個荘で撮った小幡人形の写真を載せる。ウィキペディアより。小幡人形(おばたにんぎょう)とは、滋賀県東近江市五個荘小幡町で作られている伝統的な土人形。18世紀、小幡において京都への飛脚業を営んでいた安兵衛が、京都伏見において作られる伏見人形の製作方法を習得し持ち帰ったのが始まりとされる。鮮やかな原色、特に桃色による彩色が特徴である。昭和59年と平成4年には年賀切手の図柄に採用されたことがある。なお、今日から、マンション近くのOAPでは、クリスマス・デコレーションのイルミネーションに灯が入ることになり、18時から点灯式があった。
2010.11.18
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今日は、ジパング倶楽部の企画で、「龍馬ゆかりの地・酢屋 龍馬追悼展特別見学」というイベントに参加した。海援隊の隠れ家であり活動拠点であった酢屋の現当主(10代目)から、当家に残る資料を中心に龍馬の晩年の話を聞いたあと、霊山歴史館の木村武仁先生の案内で、三条から四条に散在する幕末の遺跡を見学した。最後は「京四季」で京料理の昼食を楽しんだ。折りしも一昨日11月15日は龍馬が近江屋で襲われ非業の最期を遂げた日。店の前には龍馬追悼のための祭壇が置かれて、遺影の前に献花や献酒が供えられていた。酢屋では、15日から末日まで龍馬追悼期間として、特別展を開催している。現当主の話も、展示されている品々も生なましく、特に、涙痕帖、海援隊日記、龍馬の手紙、龍馬遭難の記、異国船渡来日記などの資料、龍馬遺愛の弁当箱、脇息など興味の尽きない展示会であった。なお、酢屋は290年続く材木商で、現在も頑なに現地で商売を続けている。これは先祖の遺言で、このような店は他にはないそうだ。やはり遺言により、竜馬を匿っていたことは、明治の世となっても、大正になっても、昭和になっても、押し隠していたそうだ。1時間の酢屋見学のあと、木村先生の案内で、幕末の遺跡を1時間半かけて見学した。高瀬川沿いの遺跡が多かったが、ちょうど桜紅葉がきれいで、天気も快晴、いい気持ちでの散策だった。下記の遺跡を見学したが、それぞれの碑の前では、まるで幕末に戻ったような迫真の説明を聴くことができた。彦根藩邸跡、お龍独身時代寓居跡、京都府知事中井弘幕末期寓居跡、土佐藩邸跡、角倉了以顕彰碑、本間精一郎遭難の地、勤皇志士古高俊太郎邸跡、中岡慎太郎寓居跡、坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡)、池田屋跡、佐久間象山・大村益次郎遭難の地、吉村虎次郎(天誅組)寓居跡、武市瑞山先生寓居跡、佐久間象山寓居跡、桂小五郎・幾松寓居跡、長州藩邸跡など。散策のあと、京四季という店で京料理の昼食を摂った。デザートにお菓子と抹茶が出たのには感激した。写真は、酢屋、龍馬追悼の祭壇、高瀬川の桜紅葉、幕末遺跡の碑。
2010.11.17
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今日は、ジパング倶楽部の企画で「白壁と蔵屋敷が織り成す五個荘の美景散策」というイベントに参加した。秋晴れの素晴らしい天気の中、往時の近江商人の活躍を偲ぶことができ、最後は、紅葉公園で、見頃の紅葉を満喫した一日であった。9時ちょうど大阪発の新快速に乗り、能登川駅には10時19分に着いた。(定刻は12分着だったが、7分遅れた)。参加者は30数名だった。先ずはじめに、近江商人博物館に行き、学芸員から、近江商人の歴史とその活動についてスライドを交えて話を聞いたあと、館内を見学した。近江商人には、近江八幡、日野、五個荘と3つのグループがあるが、五個荘のグループが一番多い。有力商人の子孫には、伊藤忠、ワコール、西川ふとん、スキー毛糸など大企業へと発展した者も多い。館内には、西川甚五郎、松居久次郎、矢尾喜兵衛、小杉五郎右衛門、高田善右衛門、藤井彦四郎などの業績が紹介されていた。博物館を出たあと、金堂地区の残る商人屋敷の点在する古い町並みへと移動。その中で、商人屋敷を改装して、今は食堂を営んでいる「めんめんたなか」に入り、「まちかど弁当」の昼食となった。午後は、現在内部が公開されている3つの商人屋敷を見学した。屋敷の周囲には愛知川の水を引いた水路が掘られ、屋敷内にも「川戸」を通して引き入れている。はじめに入ったのは、中江準五郎邸。昭和初期に朝鮮や満州で20数店のデパートを経営した三中井一族の一人。ここには郷土玩具小幡人形の展示館もあり、博多人形に似たかわいい土人形が数多く展示されていた。2番目は、外村繁邸。ここには、繁が文学者として活躍した足跡を示す資料が、「外村繁文学館」として展示されていた。3番目は、その本家に当る外村字兵衛邸。広大な庭に圧倒された。屋敷も当時は数多くあったそうだが、今はその何分の一だそうだ。それでも大きな屋敷だった。その後、大城神社に参詣し、最後の目的地、紅葉公園へ行った。全山みごとな紅葉であった。3時過ぎに「五個荘観光センターでみやげを買い、帰路のバスに乗った。4時2分の新快速に乗り、5時15分に大阪に着いた。写真は、近江商人博物館、スライドで説明する学芸員、屋敷まわりの水路、中江準五郎邸入口、同屋敷と庭、小幡人形、外村繁邸入口、外村字兵衛邸の広大な庭、大城神社。紅葉公園の紅葉と山頂からの眺望。
2010.11.16
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今日は、一日中家にいて、雑事をして過ごした。午前中は、Yさんから頼まれた写真の選定とプリントを行い、午後は、先日の東吉野吟行の選句結果が来たので、その整理をした。Yさんからの依頼は、20日、21日の2日間、長居公園で開催される「大阪バードフェスティバルに展示する鳥の写真を送ってくれと言うもの。写真は上手くないので、断ったが是非にと言われ、しぶしぶ引き受けた。A5かA4版くらいということだったが、アップに耐えるような写真はないので、KG版で20枚ほどプリントして送った。途中、2回インク切れがあり、インクの補充に手間取った。インクが5本もあるので、少しプリントするとすぐにどれかがインク切れになる。写真を整理してみて、改めていろいろな鳥の写真を撮ったものだと思った。順不同だが、ハクセキレイ、キセキレイ、ツグミ、トラツグミ、シロハラ、カワラヒワ、メジロ、エゾビタキ、コサメビタキ、メボソムシクイ、カワセミ、シュジュウカラ、シメ、エナガ、コゲラ、ツツドリ、コマドリ、キジバト、モズ、ヤマガラ、ジョウビタキ、ヒヨドリ、アトリ、カワウ、キンクロハジロ、ホシハジロ、ハシビロガモ、マガモ、コガモ、ササゴイなど。吟行の成績はまあまあだった。7句のうち先生からは1句しか選ばれなかった。仲間からは4句が選ばれ、残り2句はだれからも選ばれなかった。先生から選ばれたのは次の句。 句碑探し上り下りする紅葉道 (先生ほか1票)仲間・先輩から選ばれたのは次の句。 天誅義士無念の跡や菊日和(3票) 吉野路に籾殻焼の紫煙立つ(2票) 秋麗の石鼎庵に師の句栄ゆ(2票) 秋の滝落ちて朱塗りの橋くぐる(1票)先生の特選に選ばれたのは7句あるが、そのうち上位2句は次の通り。 ◎薄紅葉して深吉野は黙の里 庸二(先生特選ほか3票) ◎綿虫を目で追ひゐしが見失ふ 紀代(先生特選ほか3票)先生の句で一番人気だったのは、次の句。 冬の滝落ちて流れと同化して(5票)今日の画像は、昨日関ぱ例会で紹介された逆さ絵。(ビスコの箱に描かれているもの)象、コーヒーカップ、カンガルー、家、ヨット、コアラ、サボテン、針ねずみ鷲、サッカー、兎、かかし、船、ペリカン、ヘリコプター、白鳥
2010.11.15
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今日は、午前中は、テレビでNHK俳句、日曜美術館などを見たあと、5方陣の連結線のまとめをし、午後は、関西ぱずる会の例会に参加した。関西ぱずる会の例会は、従来の西宮の会場が取れなかったそうで、立花公民館で行われた。会場が変わったのを知らずに遅刻した人が一人いたが、参加者は11名だった。今日の目玉は、H氏考案のEX4というパズル。正三角形を二等分した形の直角三角形の大きさの異なる4片を用いて、線対称の形を作れという問題で、大変難しい。これは、Y氏考案のEX3というパズル(3枚のピースを用いて線対称の形を作れという問題。下図の右上参照)に触発されて作ったものだそうだ。これもたった3枚なのに難しい。M氏はビスコの逆さ絵コレクションを紹介、U氏は去る10月21日に東京で行われたガードナー記念集会の報告と最近入手した本の紹介、I氏はカークマンの女生徒問題、T氏は文房具コレクション、有馬筆、米食い鶏などを紹介し、Y氏はコンピュータが女流棋士に勝った新聞記事などを発表した。なお、会誌85号も配布された。次回は来年1月22・23日。写真は、今日回覧されたパズルの約80点より主なもの。
2010.11.14
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今日は、午前中は、ビデオで映画「たそがれ清兵衛」を見たり、テレビで「俳句王国」を見たりして過ごし、午後は、今昔亭の町家寄席を聴いたあと、ヨドバシカメラをぶらつき、その後、南港ATCで開催されたサンセットコンサートを聴きに行った。「たそがれ清兵衛」は本では短編だったのであまり覚えていなかったが、映画になると非常に内容のあるいい作品になっていた。出演は真田広之、宮沢りえ、小林稔侍など。町家寄席の出演と演目は、桂出丸「二人ぐせ」と桂春駒「骨釣り」。「骨釣り」はよく聞くが、「二人ぐせ」は初めて聞いた。「骨釣り」は長い話で熱演だった。春駒のマクラは、笑いの効用で、難しい医学用語を使っていた。暮しの今昔館の現在の飾り付けは年末の風景。呉服屋の誓文払いの様子を再現していた。写真は、プログラムと司会者、出丸、春駒ら。下3枚は誓文払。ヨドバシカメラでは、プリンターインク、写真印刷用紙などを買ったあと、パソコン、テレビなどを物色した。サンセット・コンサートの今日の内容は、「想いをピアノにのせて」と題してのピアノコンサートであった。出演は、柳川真理子と南亜貴子。演奏曲は、加古隆の「黄昏のワルツ」、ドボルザークのスラブ舞曲、ショパンの「小犬のワルツ」、「ノクターン作品9-2」ほか、スクリャービンの「ワルツ」ほか、ピアソラの「リベルタンゴ」ほかで、全10曲だった。うち、柳川と南がソロ3曲ずつを弾き、4曲は連弾だった。アンコール曲はガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」でこれも連弾だった。アルゼンチンのピアソラは聴いたことがあったが、ロシアのスクリャービンは初めて聴く作曲家だった。コンサートのあと、ATCの海辺に出て見ると、早くもクリスマスデコレーションが設置されていた。写真は、パンフレット、ブログラム、開場前のホール、柳川(ブルー)と南(ピンク)。
2010.11.13
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今日は、朝から、家内の実家の留守宅へ行き、一日中庭の草刈をした。夏中伸び放題だった草は私の背丈くらいに伸びていたが、それを剪定鋏で根元から切り取った。今年の夏は猛暑の上、雨も降らなかったので、庭木のオオデマリが枯れてしまったほか、レモン、プルーン、夏蜜柑、柚子などの果樹にも実が付いていない。スダチと柿だけが実を付けている。柿は例年より粒が小さい。行き帰りに大川沿いを通り、源八橋を渡ったが、今両岸の桜紅葉が大変に綺麗だ。ユリカモメも来て桜紅葉の上を舞っていた。写真、上は大川右岸より、下は源八橋の上より。
2010.11.12
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今日は、午前中は、回生病院へ診察に行き、午後は、中央公会堂へ「大阪の古代史」講座を聴きに行き、夕方からは、会社OB会の打合せに行った。「大阪の古代史」は全10回シリーズで、今日が6回目。前回までは古墳時代だったが、今回から飛鳥時代に入った。今日は、「摂河泉古代寺院の盛行」と題して、大阪府近つ飛鳥博物館の市本芳三氏の話があった。日本に仏教が伝わったのが、6世紀の中ごろ、最初の寺は588年に建てられた飛鳥寺。以後各地に寺院が建立され、7世紀の終りには545か寺あった。8世紀には全国で700か寺を数えたと言われている。当時は大和の約70に対し河内には約100の寺があったそうだ。今では、寺と言えば奈良に多いと思われているが、古い時代には奈良より大阪(摂河泉)の方が多いくらいであったのだ。その多くは廃寺となってしまったが、礎石や瓦が出土することにより、当時寺院があったことがわかるのだ。今日の講義では、寺院配置や瓦の模様の変化などにより、時代を見分ける方法を学んだ。それにしても、莫大な費用と高度な技術を必要とした寺院の建設が、短い年月の間に、あちこちで進められたことは驚きである。写真は、講演のタイトル、司会者、講演する市本氏、同。
2010.11.11
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今日は、ジパング倶楽部の企画で、南山城の恭仁宮跡と海住山寺を巡るイベントに参加した。なかなか行きにくいところだが、バスで移動したため、スムースに回ることができ、紅葉も見頃で、ゆったりとした一日を過ごすことができた。恭仁京の名前は聞いていたが、いつどこにあった都なのか、よく知らなかったし、海住山寺という寺に、国宝の五重塔や珍しい十一面観音像があることも知らなかったが、やはり百聞は一見にしかずだ。10時前に自宅を出て、11時過ぎにJR奈良駅に着いた。集合は加茂駅に12時半なので、三条通りを歩きながら見つけた店で早目の昼食を済ませた。食後、まだ時間があったので、猿沢池まで往復し、11時51分の電車に乗り、加茂駅には12時07分に着いた。今日の参加者は20人だった。マイクロバスに乗り込み参加者が揃うのを待ち、12時半に出発した。最初の目的地恭仁宮跡には12時45分に着いた。ここでは、地元ボランティの方が恭仁京、恭仁宮について説明してくれた。服装が凝っていて、なんと、聖武天皇と光明皇后になり済ましているのである。お蔭で説明はよく分かった。奈良時代の740年、聖武天皇が作った都で3年間だけ、ここに都があったのだそうだ。今、大極殿の跡だけが残っていて、礎石も2個が残っている。大極殿のあとは、国分寺が建てられ、近年までこの地は、山城国分寺跡という名で知られていたようだ。国分寺には七重塔がありその礎石15個が残っていた。13時20分、再びバスに乗り、次の目的地海住山寺に向い、13時40分に着いた。初めに住職から、国宝の五重塔はじめ、本堂の諸仏像、文殊堂の仏像、本坊の庭、裏山からの眺望などの説明があり、約1時間をかけて、これらの塔頭、仏像等を鑑賞した。五重塔には、玄奘、常啼、梵天、帝釈天、法涌、阿南、閻魔王、婆伽羅竜王を描いた極彩色の板絵があり、東寺と唐招提寺から分けられた仏舎利の器が安置されていた。本堂には、蓮華化生図(室町)、弘法大師像、両界曼荼羅、木造四天王像、本尊十一面観音像、十一面観音像(小)、法華経曼荼羅図(鎌倉)、十一面観音来迎図(室町)、海住山寺縁起絵(永徳筆)などが安置されていた。文殊堂には、文殊菩薩坐像、役行者椅像と前鬼・後鬼、地蔵菩薩などがあり、本坊の庭は奥の山を借景とした見事な庭であった。本堂の裏山を少し登ると、奈良方面が見渡せ、ここが奈良から見て鬼門の位置に当たることが実感できた。見学・鑑賞を終り、14時40分、再びバスに乗り、JR加茂駅には、15時前に着いた。15時14分の電車に乗り、天王寺には、16時14分に着いた。恭仁宮跡の石碑、ボランティアガイドの人達(聖武天皇と光明皇后)、大極殿の礎石、五重塔の礎石、海住山寺本堂、国宝五重塔、文殊堂、本坊の庭、裏山から奈良の眺望。
2010.11.10
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今日は、午前中は、5方陣の連結線の検討の続きを行い、午後は、城北にぎわい亭へ落語を聴きに行った。また、東吉野通信句会の清記175句が送られて来たので、その選を行った。5方陣の連結線の検討は、3ヶ月がかりで、少しずつ行って来たが、ほぼ完了した。30年ほど前に研究された数字に、若干の調査漏れがあり、回転対称型5方陣の総数は、発表されている16752から32個増えて16784であることがわかった。東吉野通信句会の参加者25名から7句ずつ出句された175句の句はそれぞれに当日の情景が浮かぶいい句ばかりで、7句を選句するのが難しかったが、なんとか7句にしぼった。選句の結果は数日中に送られてくると思う。城北にぎわい亭での落語会は、2か月に一回開かれている。枝雀の弟子桂雀三郎一門4人の出演で、本格的な落語を聞かせてくれる。今日の演目は下記の通りだった。 桂 雀喜 「時うどん」 桂 雀五郎 「初天神」 桂 雀三郎 「植木屋娘」 桂 雀太 「小倉船」初めの2つはよく聞く話だが、何度聞いても面白い。あとの2つは初めて聞く話だったが、どちらもいい話だった。特に最後の「小倉船」は鳴り物も入る大一番で雀太も大サービスの熱演だった。「植木屋娘」は娘の婿取りのために出向き「根回しは任せておけ」がオチ。「小倉船」には浦島太郎や竜宮が出てくる。オチは「お前らの籠には乗らん。籠賃は安うても酒代が高こつく」画像は、パンフレットとポスター、開演前、開演直後、雀喜、雀五郎、雀三郎、雀太
2010.11.09
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今日は、朝9時に家を出て、奈良国立博物館で開催されている「正倉院展」へ行った。1時間待ちの長い行列だったが、なんとか13時頃までには見終えることができた。近鉄奈良には、9時50前に着き、博物館には10時ちょうどに着いた。案内板には待ち時間60分を書かれてあった。土・日は混むと思って月曜日に来たのになぜこんなに混むのかと訊くと、土・日の方が空いているとのことだった。みんな思うことは同じなのだ。11時少し前に入場すると、ちょうど別室で、ボランティアガイドによる作品説明が始まるとことだったので、それを聞くことにした。30点くらいの展示品についてスライドを使った説明であった。知っていることもあったが、知らないことも多かった。説明を終わると11時半。やっと展示品を見る時間となった。展示品は71点と比較的少ないのでじっくり見てもそんなに時間はかからない、と思っていたが、中に入って混雑に驚いた。人気の「螺鈿紫檀五弦琵琶を見るためには、またジグザグの列に並ばなければならないのだ。これに20分くらいかかった。なるほど綺麗だ。しかし、近くで見るのでなければ、並ぶ必要はないものだった。直前に説明を聞いたので、展示品を見るのに役立った。人気の展示品は前半に集中していて、後半になるほど、人は少なく流れも早くなった。「琵琶」の待ち時間も入れて1時間ほどで見終わることができた。琵琶以外で、感動したのは、鳥獣花背円鏡、銀壷、漆胡樽などであった。記念品を買おうとミュージアムショップを覗いたら、ここも満員の混雑。レジにも長い長い行列が出来ていた。こんなに並ぶのなら買うのを止めようかと思ったが、絵はがきとカタログだけは別のレジだったので絵はがきだけを買った。仏像館をざっと見て、13時に博物館を出、駅前で昼食を食べてから帰路に着いた。家には15時に帰着した。画像は、パンフレットより。螺鈿紫檀五弦琵琶(表面)、種々薬帳、伎楽面酔胡王、銀壷、鳥獣花背円鏡、蘇芳地彩絵箱、銀平脱鏡箱、五色龍歯、漆胡樽。画像は、博物館だより75より。山水夾結屏風、螺鈿紫檀五弦琵琶(背面)、繍線鞋、黒柿蘇芳染金絵長花形几、正倉院古文書正集第七巻、蓮華残欠、伎楽面獅子、橡地臈結?袍、雑札、青斑石鼈合子帰宅後は、5日の東吉野歴史探訪のときの俳句を作り、今日の17時締め切りの通信句会へ送った。7句提出だったが、どれも満足する句ではない。
2010.11.08
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今日は、午後図書館へ行った以外はほとんど一日中家で過ごした。テレビで、美の京都遺産、NHK俳句、ルソンの壷、日曜美術館などの定例番組を見たあと、報道特集を見ようを思ったら、大学駅伝をやっていたので、そのまま1時半まで見てしまった。早稲田の大会新記録も凄かったが、日本大学のアンカー、ベンジャミンの追い上げも凄かった。13位から牛蒡抜きで、4位にまで順位を上げた。今日の写真は、一昨日、東吉野へ行ったときの風景写真。(当日のブログでは風景写真を載せなかったので)上:天好園付近、中:川上神社付近、下:夢淵付近。
2010.11.07
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今日は、午前中は、俳句を考えたり、BSで「俳句王国」を見たりして過ごし、午後は、柿衛文庫で開催されている「伊丹が生んだ孤高の俳人ー鬼貫のすべて」展を見、記念講演会を聴きに行った。鬼貫(おにつら)は芭蕉とほぼ同時代の俳人で、芭蕉より7年遅い1661年、伊丹の酒造家の三男として生れた。蕪村、碧梧桐らにより、東の芭蕉、西の鬼貫と言われた鬼才だが、全国的にはそれほど有名でない。伊丹市では、郷土の生んだ孤高の俳人の業績を世間に示すため、市制70周年の今年、記念行事の一つとした開いたもの。展覧会を記念して講演会「鬼貫の内なる芭蕉」があったので、私はそれを目当てに今日行ったのである。講師は、神奈川大学名誉教授の復本一郎氏。参加者は50名くらいだった。鬼貫は芭蕉を常に意識して俳句を作っていたようで、芭蕉の句を元句とした俳句をたくさん作っている。講演ではそれらの句を8句紹介された。例えば、 古池や蛙飛んだる水の音 芭蕉 空井戸へ飛びそこなひし蛙よな 鬼貫 石山の石より白し秋の風 芭蕉 石山の石の形もや秋の月 鬼貫 旅に病んで夢は枯野をかけまはる 芭蕉 かけまはる夢は焼野の風の音 鬼貫写真は、講演会の開演前、司会、講演中の復本先生、同。講演のあと、「鬼貫のすべて」展の展示を見た。短冊、懐紙、掛軸に書かれた多くの句が展示されていた。鬼貫の俳句のほか、師宗旦や他の俳人の短冊も展示され、鬼貫の書簡や画賛、著書、関係書なども多数展示されていた。写真は、パンフレット、ポスター、展示品の一部右下の俳句は、右から順に 星月夜文治の鞍杜鵑 にょつぽりと秋の空なる富士の山 中宿や大たそ??の炭ふくを 人の親の烏追ひけり雀の子 梅散つてそれよりあとは天王寺 雪路かな薪に狸折添て
2010.11.06
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今日は、ならまちくらぶの主催で、「東吉野村の俳句ゆかちの地を訪ねる」イベントに参加した。俳人の旧居や句碑など多くの場所を訪れることができ、幹事の周到な計画と準備のお蔭で、大変有意義な晩秋の旅となった。本来は吟行だったが、私は、珍しいに景色や史蹟に心を奪われていて、句を作るどころではなかった。9時15分に近鉄奈良駅近くに集合したあと、塩川雄三先生はじめ25人を乗せた貸切バスは予定通り9時30分に発車。奈良市街をすぎ、天理、桜井を過ぎ、10時30分に大宇陀の道の駅に着いた。20分休憩ののち、バスは山道に入り、11時20分、たかすみ文庫に着いた。先ずは、水原秋桜子の「冬菊の纏うはおのがひかりのみ」の句碑が目に停まった。たかすみ文庫に入ると、著名な俳人の句短冊や額がたくさん展示されていた。展示品は茨木和生氏の寄贈品だそうだ。誓子、真砂女、六林男、楸邨、青畝、兜太、汀子ほか草創たる顔ぶれだ。たかすみ文庫見学をあと、隣の天好園の庭を散策し、記念写真を撮り、昼食を摂った。食事のあと、13時5分バスは、天誅組終焉の地へ向う。ここで、地元の歴史研究家の阪本先生から話を聴いた。幕末に勤皇倒幕の思想を掲げ活動しようとした日本各地の浪士の集団だったが、哀れ幕吏に捉えられ37人全員処刑されたそうだ。維新5年前のことだった。次いで、明治38年、この地で最後に発見されたニホンオオカミの銅像を見たあと、俳人原石鼎の旧居跡を見学した。石鼎の句短冊のほか、多くの俳人の句短冊が展示されていた。近くには小川城跡もあった。続いて、夢斑というところに行き、高見川のせせらぎの側にある誓子句碑や、東の滝を見たあと、丹生川上神社境内を散策し石鼎句碑などを見た。 「滝の水直ぐ透き通る神の淵 誓子」 「頂上や殊に野菊の吹かれをり 石鼎」 そのあと、鷲家八幡神社にある桂信子の句碑を見た。近くには伊勢道の道標や伊勢藩の本陣跡などがあった。 「おのづから伊勢みちとなる夏木立 信子」今日の見学予定を全部終了し、バスは16時15分帰路に着いた。途中大宇陀道の駅で休憩し、18時に近鉄奈良駅前に帰着した。バスの中では、車中懇親会が催され、ビールを飲みながら自己紹介などを行い、時間の経つのがあっと言う間だった。今日は200枚以上の写真を撮ったが、各スポットから1枚ずつを下記に示す。秋桜子の句碑、たかすみ文庫展示室、天好園の敷地内を流れる川、天誅組顕彰碑、ニホンオオカミ銅像、原石鼎旧居内、夢淵の誓子句碑、丹生川上神社、鷲家神社の桂信子句碑。
2010.11.05
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今日は、ジパング倶楽部の企画で高槻市の北の根本山にある神峯山寺へ行った。声明を聴くことができたし、12年籠山修行僧宮本祖豊師の講話を聴くこともでき、非常の有意義なイベントであった。10時にJR高槻駅に集合し、市バスで上の口まで行った。ここから西へ行けば摂津峡だが、今日は東の神峯山寺道へと進む。高槻市観光ボランティアガイドの方の案内で、神峯山寺の歴史や沿道の遺跡などの説明と受けながら、なだらかな山道をゆっくりと登る。今日の参加者は、当初募集人数50人の2倍の100人だった。みんな、今日のイベント内容に魅力を感じての参加だ。原の集落、鳥居、牛地蔵、勧請掛け、宝橿印塔、五輪塔、行者の笈掛石などを見ながら、1時間弱で、神峯山寺に着いた。境内は、あちこちで紅葉が始まっていた。神峯山寺は、8世紀に役行者は開いた天台宗の寺で、当時は多数の塔頭を有していたが、江戸時代に炎上、3棟を残すのみとなった。本尊は刀八毘沙門天である。11時半から神峯山寺本坊の広間で昼食を摂った。寺が「なだ万」から取り寄せた弁当である。食事を終え、12時半に本堂に移り、13時から始まる「比叡山秘密曼荼羅法要」を待った。法要は、数多くの蝋燭を一つずつ点火するところから始まり、予定より早く12時45分から声明が始まった。声明は、天台声明といい、無形文化財に指定されている貴重なもの。6人の僧侶がある時はソロで、ある時はデュエットで、ある時は合唱で、厳かなメロディを奏で、それを伴奏に法師が読経をするもの。本来は夜中の暗闇の中で行うものだが、今日は特別に昼に行われた。45分の長い演奏だったが、初めて聴いたので、興味深く聞くことができた。そのあと、秘仏の本尊、刀八毘沙門天立像を拝観し、ふたたび本坊に戻って、宮本師の講話を待った。宮本師は、22歳のときに比叡山の僧となり、29歳から49歳までの20年間、外界からとざされた浄土堂で過ごし数々の修行を積んだ稀有の僧。戦後この行を達成した僧は数人しかいないそうだ。宮本師の話は、14時から始まり、僧となるまでの道程、籠山修行中の状況を淡々と話された。昔なら修行中に命を落す僧もいたが、現在では、監視する人がいて危ないとなればドクターストップがかかるようになっていて、宮本師の場合、2回も生死の境を経験したそうだ。不眠不休の行ではしばしば意識不明になり、これが300日も続くのだ。鍛錬されているとは言え、物凄い精神力だと思う。講話は45分くらいで、その後、15分の質問時間があった。いろいろな質問が出て、そのやりとりも興味深かった。その後、境内を自由散策し、15時30分に下山開始、16時に「どぶろく本舗」に着いた。ここで、どぶろくの試飲をした。甘酒から糖分を抜いたような酒で、口当たりが良く美味しく、2回お変わりをした。バスで高槻駅に着いたのは、16時45分だった。今日は、本当に有意義な一日だった。写真は、原の集落、牛地蔵、勧請掛け、宝橿印塔、笈掛け石、山門、本堂、宮本師、開山堂。写真は、神峯山寺境内の紅葉、龍の滝、どぶろく本舗など。
2010.11.04
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今日は、午前中は、昨日に引き続いて句会資料の作成作業を行い、午後からは、ザ・フェニックスホールで行われた「宇留嶋美穂/河合摂子ジョイントリサイタル」を聴きに行った。綺麗な歌声にうっとりとなった2時間だった。宇留嶋美穂はソプラノ、河合摂子は作曲とピアノ。二人のほかバリトンの青木耕平がゲスト出演した。第一部は、河合が作曲した声楽作品集で、金子みすずの詩による歌曲6曲、オペラ「遣唐使」より李白のアリア、挽歌ーソプラノとピアノのためにー2曲の計9曲だった。初めて聴く曲ばかりだったが、きれいなソプラノの声と力強いピアノの演奏に酔いしれた。金子みすずの歌も曲がつけばこんなに変わった印象になるのかと驚いた。「遣唐使」は平城遷都1300年用に作られたオペラだそうだが、古代オリエント的な感じが出ていていい曲だった。休憩後、第二部は、オペラのソロとデュエットで、モーツアルトの「コシファントゥッテ」から2曲、ヴェルディの「椿姫」より1曲、同「トロヴァトーレ」より1曲、レオン・かヴァッロの「道化師」より2曲、グノーの「ロミオとジュリエット」より1曲の7曲だった。「コシファントゥッテ以外は、あまりよく知らない曲が多く、歌詞が原語なので意味がわからなかったが、プログラムの解説と歌い方・表情で雰囲気だけは感じられた。300名くらい入る会場であったが、少し空席がある程度でほぼ満員だった。前から1番目の中央の席で聴いたが、小さい会場ではもったいないくらいの声量であった。ソロ曲もそれぞれ素晴しかったが、やはりデュエットのハーモニーが心地よかった。近くで生の声を聴いたので、息使いまで聞え、迫力があった。アンコールは、「はるかな友に」を宇留嶋さんが独唱したあと、最後は観客も一緒に合唱した。アンコールが始まると舞台後のカーテンが上り、たそがれの梅田ビル街を眺めながら歌うという楽しい趣向になっていた。歌が終わると、3人の出演者に花束が届けられた。公演後は、2人の出演者が退出する観客を見送ってくれた。客席内は撮影禁止だったが、ここで、1枚写真を撮らせてもらった。宇留嶋さんは今日3回ドレスを着替え、それぞれ綺麗だったが、中でも最初のワインレッドのドレスが一番よかったと思った。写真は、プログラムの表紙、入場券の半券、プログラムの1ページ、観客を見送る宇留嶋さんと河合さん。
2010.11.03
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今日は、午前中は、昨日の句会のまとめを行い、午後は、ホテルグランヴィア京都で開催されたRITE設立20周年記念式典に参加した。式典のあと、設立当時の関係者だけが集まって二次会を持ち、午後8時半まで盛り上がった。RITEとは、(財)地球環境産業技術研究機構の略で、地球環境問題を解決するための技術を開発する研究所として、1990年に設立されたもの。私は設立当初から3年間、出向勤務した。今日の式典には、これまで20年間の勤務経験者約300名が出席した。式典は、14時から始まり、初めに京大総長松本紘氏から、「生存学と宇宙エネルギー利用」と題する記念講演が行われた。現代社会の対するにさまざまな問題点を投げかけると同時に、その解決法が提言された。このままの人口増加が続き、このままみんなが豊かな生活を追求し続ければ、数十年のうちに、資源もエネルギーも枯渇し、人類が滅亡することは明らかである。これを避けるために新エネルギーの開発も必要だが、さらに有望なのは、太陽エネルギーを宇宙からの無線輸送によってを地球に持ち帰る技術を開発することだと提案された。すでに技術開発は進んでいるのだそうだ。松本総長の話は、後半の技術論も興味深かったが、それよりも前半部の、人口爆発問題、豊かさ・便利さ追求の是非論、新技術利用の審査と制限の必要性などの問題点を提起されたことに、より強い興味を持った。もっとこの問題が検討されるべきであると思った。基調講演のあと、主催者RITEの今井敬会長、来賓経済産業省大畠章宏大臣、関経連下妻博会長、京都府山田啓二知事らから挨拶があった。そのあと、RITEの活動状況の紹介が行われ、式典は、1時間半ほどで終了した。RITEの最近の活動はあまり知る機会もなかったが、今日の報告を聴いて、数々の世界最高レベルの研究が行われているとともに、地球環境問題のPR活動も盛んに行われていることを知った。続いて、場所を移して、パーティとなった。17年ぶりに再会した当時の仲間に多数会うことができ旧交を温めながら、積もる話に花が咲いた。話は、パーティの時間内には治まらず、初期の勤務者40数名だけが場所を移して二次会をすることになった。5時から始まった二次会ではさらに話が弾み、気が付けば8時半になっていた。ここでお開きとなり、5年後の再会を約して、それぞれの帰途についた。写真は、式典場正面の垂幕、基調講演する松本京大総長、主催者(左4人)と来賓、パーティで開会挨拶をする山田元京都府知事、鏡割りをする主催者代表と来賓たち、パーティ歓談風景、二次会で開会の挨拶をする山口務元RITE専務理事、乾杯の音頭をとる木村慎作元RITE総務課長・現大阪府副知事、締めの挨拶をする二次会幹事の新宮原純元RITE総務部次長。
2010.11.02
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今日は句会、午前中は、出句する5句の選定と最後の推敲を行った。句会の成績はまずまずで、先生から2句選ばれ、仲間から残り3句の中の2句が選ばれた。先生に選ばれたのは、次の句。 綿虫の綿を大事に抱いて飛ぶ(先生ほか3票) 懐石の締めの沢庵茶漬かな(先生)仲間から選ばれたのは、次の句。 木枯の未練を残し海へ出る(4票) 伊勢熊野春日住吉神無月(2票)だれからも選ばれなかったのは、次の句。 螺鈿紫檀五弦の琵琶や文化の日今日、先生の特選に選ばれたのは次の句。 ◎何もかも沢庵漬けてからのこと 豊子(先生特選ほか1票) ◎怪獣も飛び出すテレビ文化の日 昇一(先生特選ほか1票) ◎いきなりの木枯服の間に合はず 洋子(先生特選ほか1票)今日、最高得票を得たのは先生の句で次の句。 プライドは高きがよくて文化の日 塩川雄三先生(5票)写真は、花の散った梯梧の木をバックに句会風景。
2010.11.01
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