午後からのクラス
犯罪、裁判所、ドラッグとこんなテーマで毎回楽しく進んでまいりました。
今日はOnixsの提案でDVDを鑑賞することに。
Jyonny Cashというロック歌手がドラッグに溺れながらも家族や友人の理解で立ち直っていく物語です。
Onixs、プロジェクターを持ってきてくれて、教室の大きなホワイトボードがスクリーンになりました。
おまけに、ポップコーンまで持ってきてくれ、マイクロウェーブでチンして、食べながらの鑑賞でした。
本当の映画館で見ているような雰囲気。
映画自体は、アメリカンイングリッシュで、聞き取りにくい。(もっともイギリス英語でも映画になると聞き取れないと思われます)
下に英語字幕が出るので終始注意はそちらへ、
字幕見てもしゃべるのが早いから追いつかない。
疲れました。
でも楽しかったです。
ドラッグがテーマだと思っていたので、かなりグロテスクな場面もあるのかと思いきや、ぜんぜんそんなことはなく、終始彼の歌が流れ楽しく観る事が出来ました。
エルビスプレスリーとちょうど同時期のようです。
以下ネットより抜粋
1944年、ラジオで流れるカントリー曲に憧れ、このころからすでに曲作りを開始していたとされる。同年事故で兄をなくしており、父親は冷たく彼に「悪魔はできる子のほうを奪った。」と言い放ち、後年まで心の傷として深く突き刺さることとなる。当時兄ジャックと共に好んで聞いていたのはカーター・ファミリーで、そのメンバーでカーター家の次女のジューン・カーターはのちに彼の妻となった。
1954年テネシー州メンフィスに移り住む。同年8月に最初の妻ヴィヴィアン・リベルトと結婚。訪問販売員などをしながら地元の自動車整備工2人とバンドを結成。趣味の枠内で音楽活動を続ける。同年末にメンフィスのローカル・レーベル「サン・レコード」のメンフィス・レコーディング・サーヴィスでレコード作りを依頼、「製作料は4ドル」と聞かされた金欠のキャッシュは驚くが、当時エルヴィス・プレスリー(1954年デビュー)のプロデュースに忙しかったサン社長でプロデューサーのサム・フィリップスに、強引にオーディションのアポイントを取りつける。
1965年、違法薬物の一種アンフェタミンをメキシコ国境から持ちこもうとし、逮捕される。 映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」 劇中、キャッシュが薬物に手を出したきっかけとなるシーンでは、ミュージシャン仲間のどんちゃん騒ぎの中で、カール・パーキンスが薬物を服用した状態のプレスリーの様子をキャッシュに見せ、「スカッとするぜ」とあおっている。このトラブルが元で妻ヴィヴィアンとも離婚。娘達も妻側に引き取られる。
1968年、ドラッグを乗り越え再起。
刑務所の囚人からのファン・レターが多いことに気付いていた彼は、自分の歌で囚人を勇気づけようと、フォルサム刑務所でのライヴとライヴ盤収録を企画。
このアルバム「 アット・フォルサム・プリズン
( At Folsom Prison
)」は1月13日に録音され、同年6月に発売。カントリー・チャートに92週、ポップ・チャートに122週もランクしつづける大ヒットとなり、翌年には初のグラミー賞も受賞しシーンに返り咲く。
1968年、オンタリオ州でのコンサートで演奏中にジューン・カーターに「君と結婚したい。今返事してくれないとこれ以上歌えない。」と電撃プロポーズ。後世に語られる伝説のプロポーズとなる。翌週二人はケンタッキー州で結婚。
2003年5月、最愛の妻ジューン・カーター・キャッシュが73歳で死去。同年7月のライヴ・パフォーマンスを最後に、自身も妻の後を追うように9月に死去。享年71。
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